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ロバート・デ・ニーロ : Wikipediaの情報 - 映画.com

ロバート・デ・ニーロ : ウィキペディア(Wikipedia)

ロバート・アンソニー・デ・ニール・ジュニア( , ; 1943ねん8がつ17にち - )は、アメリカの俳優はいゆうである。

概要がいよう

マーティン・スコセッシとのコラボレーションでられ、同年代どうねんだいなか最高さいこう俳優はいゆう一人ひとりかぞえられる。デ・ニーロはアカデミーしょう2かい、ゴールデングローブしょう、セシル・B・デミルしょう全米ぜんべい映画えいが俳優はいゆう組合くみあいしょう生涯しょうがい功労賞こうろうしょうを1かいずつをふくすうおおくのしょう受賞じゅしょうした。2009ねん、デ・ニーロはケネディ・センター名誉めいよしょう受賞じゅしょう、2016ねんバラク・オバマ大統領だいとうりょうから大統領だいとうりょう自由じゆう勲章くんしょう授与じゅよされた。アメリカ芸術げいじゅつ科学かがくアカデミー会員かいいんである東京大学とうきょうだいがく国際こくさい高等こうとう研究所けんきゅうじょカブリ数物かずもの連携れんけい宇宙うちゅう研究けんきゅう機構きこう(2013ねん4がつ26にち

デ・ニーロはHBスタジオ、ステラ・アドラー・コンザヴァトリー、リー・ストラスバーグのアクターズ・スタジオで演技えんぎまなんだ。1973ねん映画えいが『ミーン・ストリート』ではじめてスコセッシとタッグをんだ。デ・ニーロはフランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー PART II』(1974ねん)におけるヴィトー・コルレオーネやく助演じょえん男優だんゆうしょう、スコセッシのドラマ映画えいが『レイジング・ブル』(1980ねん)におけるジェイク・ラモッタやく主演しゅえん男優だんゆうしょうと、2つのアカデミーしょう受賞じゅしょうした。ほかにも『タクシードライバー』(1976ねん)、『ディア・ハンター』(1978ねん)、『レナードのあさ』(1990ねん)、『ケープ・フィアー』(1991ねん)、『世界せかいにひとつのプレイブック』(2012ねん)でアカデミーしょうにノミネートされた。

そのおも出演しゅつえん作品さくひんには『キング・オブ・コメディ』(1982ねん)、『1900ねん』(1976ねん)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984ねん)、『未来みらい世紀せいきブラジル』(1985ねん)、『ミッション』(1986ねん)、『グッドフェローズ』(1990ねん)、『ボーイズ・ライフ』(1993ねん)、『ヒート』(1995ねん)、『カジノ』(1995ねん)、『ジョーカー』(2019ねん)、『アイリッシュマン』(2019ねん)がある。『ブロンクス物語ものがたり/あいにつつまれたまち』で監督かんとくデビューをたした。コメディの役柄やくがらには『ミッドナイト・ラン』(1988ねん)、『ウワサの真相しんそう/ワグ・ザ・ドッグ』(1997ねん)、『アナライズ・ミー』(1999ねん)、『ミート・ザ・ペアレンツ』(2000ねん)がある。

デ・ニーロはテレビでのやくでも有名ゆうめいであり、HBO映画えいがうそ天才てんさい史上しじょう最大さいだい金融きんゆう詐欺さぎ〜』(2017ねん)ではバーナード・マドフをえんじプライムタイム・エミーしょう主演しゅえん男優だんゆうしょうリミテッド・シリーズ/テレビ映画えいが部門ぶもんノミネートをけた。かれはNetflixのリミテッド・シリーズ『ボクらを』の製作せいさくと『サタデー・ナイト・ライブ』におけるロバート・モラーやくでさらにエミーしょうノミネートをけた。

1989ねん、デ・ニーロとプロデューサー、ジェーン・ローゼンタール映画えいがとテレビの製作せいさく会社かいしゃトライベッカ・プロダクションズを設立せつりつし、自身じしん映画えいが並行へいこうして複数ふくすう映画えいが製作せいさくした。ローゼンタールとはまた、2002ねんにトライベッカ映画えいがさい開設かいせつした。デ・ニーロの出演しゅつえん作品さくひんうち6ほんが、アメリカ議会ぎかい図書館としょかんによって「文化ぶんかてき歴史れきしてき芸術げいじゅつてきにきわめてたか価値かちつ」としてアメリカ国立こくりつフィルム登録とうろく簿登録とうろくされている。

ロバート・アンソニー・デ・ニーロ・ジュニアは1943ねん8がつ17にちにニューヨーク、マンハッタンに、画家がかヴァージニア・アドミラルとロバート・デ・ニーロ・シニアの一人ひとり息子むすことしてまれた 。かれ父親ちちおやはアイルランドとイタリアのいており、母親ははおやはオランダ、イングランド、フランス、ドイツの系統けいとうである。プロビンスタウンのハンス・ホフマンの絵画かいが教室きょうしつった両親りょうしんは、父親ちちおや自身じしんがゲイであるとあきらかにしたことで、デ・ニーロが2さいときわかれた 。デ・ニーロはマンハッタンのグリニッジ・ヴィレッジとリトル・イタリー地域ちいき母親ははおやそだてられた。父親ちちおや近所きんじょみ、少年しょうねん時代じだいはデ・ニーロとしたしい関係かんけいきずいた。青白あおじろかおから「ボビー・ミルク」とあだされたデ・ニーロはリトル・イタリーのストリード・キッドたちと友人ゆうじんになったが、父親ちちおやからはみとめられなかった。しかしすうにんはデ・ニーロの生涯しょうがいともとなった。母親ははおや長老ちょうろう教会きょうかい信者しんじゃとしてそだてられたものの、成人せいじんかみろんしゃとなり、父親ちちおやは12さいときおしえをてたもとカトリックだった。両親りょうしん離婚りこん協議きょうぎちゅう祖父母そふぼらしていたデ・ニーロは、両親りょうしん意思いしはんしてカトリック教会きょうかい洗礼せんれいけさせられた。

デ・ニーロはマンハッタンの公立こうりつ小学校しょうがっこうPS 41に6年生ねんせいまで在籍ざいせきした。かれはドラマティック・ワークショップの演技えんぎ教室きょうしつかよはじめ10さいとき学校がっこうげき『オズの魔法使まほうつかい』における臆病おくびょうなライオンやく舞台ぶたいデビューをたしたStated on Inside the Actors Studio, 1998。デ・ニーロは7年生ねんせいと8年生ねんせいとき、リトル・レッド・スクール・ハウスの上級じょうきゅう学校がっこうエリザベス・アーウィン・ハイ・スクールにとおった。9年生ねんせいときに ハイ・スクール・オブ・ミュージック・アンド・アートに合格ごうかくしたが、短期間たんきかんだけかよって公立こうりつ中学校ちゅうがっこうIS 71、チャールズ・エヴァンス・ヒューズ中学校ちゅうがっこう編入へんにゅうがくした。高校こうこう時代じだいはマクバーニー・スクールとのちにローズ・プレパラトリー・スクールにとおった。デ・ニーロは自身じしん内気うちきさをやわらげる方法ほうほうとして演技えんぎつけ、映画えいが魅了みりょうされるようになり、演技えんぎ追求ついきゅうするために16さい高校こうこう退学たいがくした。デ・ニーロはのちに「18さいころ、テレビ番組ばんぐみて"この俳優はいゆうたちがこれで生活せいかつしているなら、たいして上手うまくもないし、自分じぶんもこれよりわるいことはないだろう"とった」と述懐じゅっかいしている。かれはそのHBスタジオとリー・ストラスバーグのアクターズ・スタジオで演技えんぎ勉強べんきょうした。デ・ニーロはステラ・アドラー・コンザヴァトリーのステラ・アドラーにも師事しじし、スタニスラフスキー・システムの技術ぎじゅつまなんだ。わか俳優はいゆうとして、デ・ニーロはマーロン・ブランドモンゴメリー・クリフトジェームズ・ディーングレタ・ガルボジェラルディン・ペイジ、キム・スタンリーの演技えんぎ触発しょくはつされた。

キャリア

1963ねん - 1973ねん: 初期しょきやくからヒットまで

デ・ニーロは『Encounter』、『マンハッタンの哀愁あいしゅう』(どちらも1965ねん公開こうかい)、『わかおおかみたち』(1968ねん)に端役はやく出演しゅつえんした。そのまもなく、デ・ニーロはベトナム戦争せんそう徴兵ちょうへいかんする風刺ふうし映画えいが青春せいしゅんのマンハッタン』(1968ねん)にメインキャストで出演しゅつえんした。この作品さくひんはデ・ニーロとブライアン・デ・パルマ監督かんとく最初さいしょのコラボレーション作品さくひんいちさくである。1ねん、デ・ニーロは『ロバート・デ・ニーロのスワップ』に出演しゅつえんしニューヨークの映画えいが製作せいさくしゃえんじた。おなじ1969ねん、デ・パルマのコメディ映画えいが婚礼こんれい ザ・ウェデング・パーティー』が公開こうかいされたが撮影さつえいは1963ねんおこなわれており、6ねんしの公開こうかいとなった。当時とうじまだ無名むめいだったデ・ニーロは『ニューヨーク・タイムズ』のハワード・トンプソンからこう評価ひょうかのレビューをけた。「この滑稽こっけいなコメディは若者わかもののトリオによって見事みごとつくられており、馴染なじみのないかお起用きようしているがとても面白おもしろい」。

デ・ニーロはアメリカの犯罪はんざいしゃ4にん母親ははおやであるマ・バーカーの人生じんせいゆるもとづいたロジャー・コーマン監督かんとくてい予算よさん犯罪はんざいドラマ映画えいがまみれギャングママ』(1970ねん)に出演しゅつえんした。デ・ニーロは息子むすこうち一人ひとりロイド・バーカーをえんじた。トンプソンは映画えいが絶賛ぜっさんし、キャストは「演技えんぎ」をしたとかんがえた。その、デ・ニーロは『青春せいしゅんのマンハッタン』の続編ぞくへんであるデ・パルマのコメディ映画えいが『ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN1・哀愁あいしゅう摩天楼まてんろう』(1970ねん)に出演しゅつえんした。『ザ・ニューヨーカー』に寄稿きこうしたリチャード・ブロディはデ・ニーロがキャラクターに「不安定ふあんてい自発じはつせい」をんだとべた。デ・ニーロは『わがしん天使てんし』(1971ねん)やイヴァン・パッセル監督かんとくの『のこるヤツ』(1971ねん)に脇役わきやく出演しゅつえんした。1971ねん最後さいご映画えいが出演しゅつえんはジミー・ブレスリンの『The Gang That Couldn't Shoot Straight』を原作げんさくとした同名どうめい犯罪はんざいコメディ映画えいがであった。

1972ねん、デ・ニーロはチャールズ・マーヤンが監督かんとくつとめたザ・アメリカン・プレイス・シアターの2つの舞台ぶたい出演しゅつえんした。それからかれは『バング・ザ・ドラム』(1973ねん)で銀幕ぎんまく復帰ふっきしホジキンびょうかかったメジャーリーガー、ブルース・ピアーソンやく主演しゅえんした。 共演きょうえんしゃにはマイケル・モリアーティヴィンセント・ガーディニアらがいた。1956ねんのマーク・ハリスの小説しょうせつ映画えいがしたほんさく批評ひひょうから評価ひょうかされデ・ニーロの知名度ちめいどげた。『ハリウッド・リポーター』は「デ・ニーロは最高さいこう俳優はいゆう一人ひとりで、演技えんぎによってこの作品さくひんなかではもっときになれるわか性格せいかく俳優はいゆう一人ひとりだ」といた。『バラエティ』のアレックス・ベルスも「感動かんどうてきな」演技えんぎとしてデ・ニーロについてれている。ガーディニアはアカデミー助演じょえん男優だんゆうしょうノミネートをけた。ハリスはのちにデ・ニーロについて「かれ野球やきゅうについてやく必要ひつよう最小限さいしょうげんのことしかまなばなかった。ふたた野球やきゅうボールにれようとすることはないだろう」といた。

1973ねん、デ・ニーロは犯罪はんざい映画えいが『ミーン・ストリート』ではじめてマーティン・スコセッシ監督かんとくとタッグをみ、ハーヴェイ・カイテル共演きょうえんした。デ・ニーロにはやく選択肢せんたくしがオファーされたが、スコセッシはかれ地元じもと顔役かおやくになろうと苦労くろうする三流さんりゅう犯罪はんざいしゃ"ジョニー・ボーイ"・シベロをえんじることをのぞんだ。 デ・ニーロとカイテルはいくつかのシーンで即興そっきょうゆるされた。アシスタント・ディレクター、ロン・サトロフはデ・ニーロが「きわめて真剣しんけんだった。やく準備じゅんび真面目まじめんだ」と述懐じゅっかいし、のキャストやクルーから孤立こりつしていたという。『ミーン・ストリート』はカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいでデビューし5かげつにはニューヨーク映画えいがさい出品しゅっぴんされ、がいしてあたたかくれられた。映画えいが批評ひひょうロジャー・イーバートは、デ・ニーロが「素晴すばらしい演技えんぎをした。緊急きんきゅうせいきのない絶望ぜつぼうかんちている」とかんがえた。『ニューヨーク・タイムズ』のポーリン・ケイルもおなじようにデ・ニーロに感心かんしんし、かれは「華麗かれい俳優はいゆうかれを『バング・ザ・ドラム』のニヤニヤとわらう、タバコをむたくましくも不器用ぶきようおろものとしてのみ記憶きおくしているひとはこのげきしやすい演技えんぎおどろくだろう。デ・ニーロは『真夜中まよなかのカーボーイ』でダスティン・ホフマンがやっていることをよりおおきくやっている。このはただえんじるだけではない。かれけむりなかはいんでいく」といている。1997ねん、『ミーン・ストリート』はアメリカ議会ぎかい図書館としょかんによって「文化ぶんかてき歴史れきしてき芸術げいじゅつてきにきわめてたか価値かちつ」としてアメリカ国立こくりつフィルム登録とうろく簿登録とうろくされた。

1974ねん - 1980ねん: スコセッシとのコラボレーションと評価ひょうか

デ・ニーロはフランシス・フォード・コッポラ監督かんとく犯罪はんざい叙事詩じょじしてき映画えいが『ゴッドファーザー PART II』(1974ねん)においてわかのヴィトー・コルレオーネやくという大役たいやく抜擢ばってきされた。デ・ニーロは以前いぜんだい1さく『ゴッドファーザー』のオーディションに参加さんかしていたが『The Gang That Couldn't Shoot Straight』のために降板こうばんしていた。かれおぼえていたコッポラが『PART II』でデ・ニーロにやくあたえた。このキャラクターをえんじるため、デ・ニーロはほとんどシチリア方言ほうげんしかはなさず、英語えいごのセリフはすこしだけにとどまった。この作品さくひん商業しょうぎょうてき成功せいこう世界せかいで4800まんドルの興行こうぎょう収入しゅうにゅうげた。『ゴッドファーザー PART II』はだい47かいアカデミーしょうにて11部門ぶもんのノミネートをけそのうち6つを受賞じゅしょうした。そのなかにはデ・ニーロの助演じょえん男優だんゆうしょうふくまれていた。これはデ・ニーロにとってはじめてのアカデミーしょうであった。授賞じゅしょうしき欠席けっせきしたデ・ニーロにわってコッポラがしょうった。デ・ニーロと1さく年老としおいたヴィトー・コルレオーネをえんじたマーロン・ブランドは、1人ひとり人物じんぶつえんじてアカデミーしょう受賞じゅしょうした史上しじょうはつの2人組にんぐみとなった。

『ミーン・ストリート』ではじめてタッグをんだのち、デ・ニーロはサイコロジカル・ドラマ映画えいがタクシードライバー』(1976ねん)でふたたびスコセッシと一緒いっしょ仕事しごとをした。ベトナム戦争せんそううすよごれた、道徳どうとくてき破綻はたんしたニューヨークを舞台ぶたいに、映画えいが狂気きょうきまれる孤独こどくなタクシー運転うんてんしゅトラヴィス・ビックルをえがいている。やく準備じゅんびのため、デ・ニーロはべい陸軍りくぐん基地きちのメンバーと一緒いっしょごし、かれらの中西部ちゅうせいぶなまりやいをにつけた。かれは30ポンド(13キロ)減量げんりょう銃火じゅうか訓練くんれんけてタクシー運転うんてんしゅ行動こうどうまなんだ。この作品さくひん批評ひひょう絶賛ぜっさんされ、とくにデ・ニーロの演技えんぎ評判ひょうばんとなった。『ワシントン・ポスト』の批評ひひょうは「目印めじるしとなる演技えんぎ」と評価ひょうかし、『サンフランシスコ・クロニクル』は「デ・ニーロはこの代表だいひょうさくひとつでかがやいている」といた。ジョディ・フォスター児童じどう売春ばいしゅんやくとして出演しゅつえんしたことに批判ひはんはあったものの、映画えいがはデ・ニーロの主演しゅえん男優だんゆうしょうふくむ4部門ぶもんでアカデミーしょうにノミネートされた。デ・ニーロが即興そっきょうはなった「おれってんのか?」というセリフはアメリカン・フィルム・インスティチュートがえらんだアメリカ映画えいがめいセリフベスト100でだい10選出せんしゅつされている。2005ねん、この映画えいがは『タイム』によって歴代れきだい最高さいこう映画えいが作品さくひん100ほんうちひとつにえらばれた。

1976ねんにデ・ニーロの出演しゅつえんさくに2作品さくひん公開こうかいされた。かれベルナルド・ベルトルッチ監督かんとく歴史れきしドラマ映画えいが『1900ねん』に出演しゅつえんした。アンサンブル・キャストのほんさくは、イタリアのエミリア地方ちほう舞台ぶたいとしており地主じぬしアルフレード・ベルリンギエリ(デ・ニーロ)と農民のうみんオルモ・ダルコ(ジェラール・ドパルデュー)という2人ふたりおとこえがいている。2人ふたりは20世紀せいき前半ぜんはんのファシズムと共産きょうさん主義しゅぎ政治せいじてき衝突しょうとつ目撃もくげき参加さんかしていく。つぎにデ・ニーロは『ラスト・タイクーン』でCEOをえんじた。この作品さくひんF・スコット・フィッツジェラルドによる同名どうめい小説しょうせつ原作げんさくとしており、イギリスの脚本きゃくほんハロルド・ピンターによって映画えいがされた。デ・ニーロはこのやくのために42ポンド(19キロ)減量げんりょうし、映画えいが監督かんとくエリア・カザンはデ・ニーロが日曜日にちようびにリハーサルしていたことをかし「ボビーとわたし撮影さつえいするシーンを見直みなおした。ボビーはより几帳面きちょうめんだった。とても想像そうぞうりょくゆたかだった。とても正確せいかくだった。かれ内面ないめん外面がいめんもすべてみちびしていた。感情かんじょうっていた。かれはすべて計算けいさんずくの性格せいかく俳優はいゆうだ。意味いみ計算けいさんたかいのだ」とべているKazan, Elia. Elia Kazan: A Life, Da Capo Press (1997)。この作品さくひん賛否さんぴ両論りょうろんけ、『バラエティ』の批評ひひょう映画えいがに「まとまりがなく」、デ・ニーロの演技えんぎは「やや好奇心こうきしんをそそる」とべた。映画えいが評論ひょうろんマリー・ブレナーは「『ゴッドファーザー PART II』における素晴すばらしくも大胆だいたんなヴィトー・コルレオーネの演技えんぎしの役柄やくがらだ。かれ演技えんぎ歴代れきだい最高さいこう演技えんぎくらべても遜色そんしょくない」といたBrenner, Marie. "Tender is the Plight", Texas Monthly, January 1977.。

デ・ニーロの1977ねん唯一ゆいいつ出演しゅつえん作品さくひんはスコセッシのミュージカル・ドラマ映画えいが『ニューヨーク・ニューヨーク』で、ライザ・ミネリ共演きょうえんした。デ・ニーロはポップ・シンガー(ミネリ)とこいちるサックス奏者そうしゃジミーをえんじるためにミュージシャン、ジョージー・オールドからサクソフォーンのかたならった。この作品さくひんがいして賛否さんぴ両論りょうろんむかえられたが、批評ひひょうはデ・ニーロにはあたたかかった。デ・ニーロへの主演しゅえん男優だんゆうしょう (ミュージカル・コメディ部門ぶもん)をふくむ4部門ぶもんでゴールデングローブしょうにノミネートされた。1978ねん、デ・ニーロはマイケル・チミノ監督かんとく叙事詩じょじしてき戦争せんそう映画えいが『ディア・ハンター』に出演しゅつえんし、ベトナム戦争せんそう人生じんせいわってしまった製鋼せいこうしょ工員こういんえんじた。共演きょうえんしゃにはクリストファー・ウォーケンジョン・サヴェージジョン・カザールメリル・ストリープジョージ・ズンザらがいた。物語ものがたりはペンシルバニアしゅうピッツバーグのみなみ、モノンガヒラがわ沿いに位置いちする労働ろうどうしゃ階級かいきゅうまちクレアートンをとベトナムを舞台ぶたい展開てんかいする。プロデューサー、マイケル・ディーリーはデ・ニーロのこれまでの出演しゅつえんさくにおける名声めいせいが「おそろしくこえるストーリーラインとほとんど無名むめい監督かんとく」を商業しょうぎょうてきたすけることからかれ起用きよう熱望ねつぼうした。脚本きゃくほん監督かんとく準備じゅんび感銘かんめいけたデ・ニーロは出演しゅつえん契約けいやくむすんだ最初さいしょ俳優はいゆう一人ひとりであった。『ディア・ハンター』の批評ひひょうおおむこう評価ひょうか出演しゅつえんしゃはその演技えんぎ絶賛ぜっさんされた。この作品さくひん複数ふくすう部門ぶもんでアカデミーしょう、ゴールデングローブしょう英国えいこくアカデミーしょう(BAFA)にノミネートされ、デ・ニーロもアカデミー主演しゅえん男優だんゆうしょうにノミネートされた。2007ねん、アメリカン・フィルム・インスティチュートはほんさくをアメリカ映画えいがベスト100リスト10周年しゅうねんエディションのだい53選出せんしゅつした。

デ・ニーロとスコセッシの4度目どめともさくは1980ねん伝記でんきドラマ映画えいが『レイジング・ブル』のときであった。ジェイク・ラモッタ回顧かいころく『Raging Bull: My Story』の映画えいがで、デ・ニーロは暴力ぼうりょくてき行動こうどう気性きしょうつま家族かぞくとの生活せいかつ破綻はたんするイタリアけいアメリカじんのミドルきゅうボクサー、ラモッタをえんじた。ジョー・ペシキャシー・モリアーティ共演きょうえんしたデ・ニーロは、60ポンド(27キロ)減量げんりょうしたこととボクシングをならったことから、もっともつらいやくづくりであったと述懐じゅっかいしている。デ・ニーロは当時とうじ、スコセッシに「原作げんさくすぐれた文学ぶんがく作品さくひんではないが人情にんじょうがある」とはなしたこの作品さくひん批評ひひょう絶賛ぜっさんされたが、なかには「きわめて暴力ぼうりょくてきな」内容ないよう批判ひはんするレビュアーもいた。 それでもデ・ニーロはリアルな演技えんぎ賞賛しょうさんびた。『ハリウッド・リポーター』の批評ひひょうは「デ・ニーロはしんじられないほどで、かれ自身じしんとしてはほとんど認識にんしきできない。かれはラモッタにそっくりだ。最後さいごのシーンにおけるデ・ニーロの外見がいけんもまた見張みはるものがある」とべた。BBC のマイケル・トムソンは「スコセッシの実力じつりょくがデ・ニーロのはげしさとマッチし、デ・ニーロはボクサーのたましいんでいる」といた。だい53かいアカデミーしょうにおいて、この作品さくひんは8部門ぶもんでノミネートをけ、デ・ニーロは主演しゅえん男優だんゆうしょう受賞じゅしょうした。『レイジング・ブル』はアメリカの批評ひひょうによって1980年代ねんだい最高さいこう作品さくひんひとつにかぞえられる。デ・ニーロはスタンリー・キューブリック監督かんとくの『シャイニング』におけるジャック・トランスやく有力ゆうりょく候補こうほがったが、やく監督かんとくだいいち候補こうほであったジャック・ニコルソン決定けっていした。

1981ねん - 1991ねん: ドラマ、コメディ、おおくの受賞じゅしょう

デ・ニーロは『告白こくはく』に出演しゅつえんすることで犯罪はんざいジャンルに復帰ふっきした。この作品さくひんは1977ねんのジョン・グレゴリー・ダンの小説しょうせつ原作げんさくとしている。過去かこ映画えいがほど挑戦ちょうせんてきやくではないが、デ・ニーロは売春ばいしゅん殺害さつがい調査ちょうさをする刑事けいじであるあにロバート・デュヴァル)と衝突しょうとつする司祭しさいえんじた。『ニューヨーク・タイムズ』のヴィンセント・キャンビーはときとしてストーリーをいづらいとかんがえたが、「とても見事みごと共演きょうえんしており、ときとして一人ひとり演技えんぎえる」と俳優はいゆうたちをめた。演技えんぎはばひろ演技えんぎりょく証明しょうめいするため、デ・ニーロは1980年代ねんだいとおしてコメディのトーンを映画えいがえらぶようになった。デ・ニーロは『キング・オブ・コメディ』(1982ねん)にそのトーンをつけ、苦闘くとうするスタンダップコメディアン、ルパート・パプキンをえんじた 。脚本きゃくほん最初さいしょにスコセッシのめたのはデ・ニーロであり、監督かんとく舞台ぶたいをニューヨークに設定せっていしてくらいトーンをあたえた。この作品さくひんはあまり注目ちゅうもくされず、1900まんドルの予算よさんから250まんドルしか収入しゅうにゅうげられず興行こうぎょうてきだい失敗しっぱいした。しかし批評ひひょうたちはデ・ニーロの演技えんぎ絶賛ぜっさんした。つぎ出演しゅつえん作品さくひんセルジオ・レオーネ監督かんとくの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』におけるニューヨークのユダヤけいギャング、デヴィッド・"ヌードルス"・アロンソンやくであった。1984ねんカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい出品しゅっぴんされた229ぶん劇場げきじょうばんは15ぶんのスタンディングオベーションをけた。アメリカでの劇場げきじょう公開こうかいには139ふん短縮たんしゅくされ、批評ひひょう酷評こくひょうされた。全長ぜんちょうばんた『ロサンゼルス・タイムズ』のケネス・トゥランは作品さくひんを「えているのと同時どうじ綿密めんみつにコントロールされている」として俳優はいゆうたちが「おどろくべき拘束こうそくりょく実力じつりょく」をせたとひょうした。

1984ねん最後さいご出演しゅつえん作品さくひんはメリル・ストリープと共演きょうえんしたロマンチック・コメディ映画えいがこいにおちて』だった。1ねん、デ・ニーロはディストピア社会しゃかい白日はくじつゆめおとこえがいた『未来みらい世紀せいきブラジル』ではじめてSFに出演しゅつえんした。『未来みらい世紀せいきブラジル』は興行こうぎょうてき失敗しっぱいしたがクライテリオン・コレクションにふくまれている。1986ねん5がつ、デ・ニーロはロングエーカー劇場げきじょうの『Cuba and His Teddy Bear』で主役しゅやくえん舞台ぶたい復帰ふっきした。つぎのフィーチャー映画えいがは18世紀せいきみなみアメリカにおけるイエズスかい宣教師せんきょうしえがいた『ミッション』(1986ねん)で、ジェレミー・アイアンズ共演きょうえんした。ヴィンセント・キャンビーは映画えいがにネガティブな評価ひょうかくだし、デ・ニーロのキャスティングについて「『告白こくはく』でない司祭しさい見事みごとえんじたデ・ニーロが、ここではくちひらくまではよくやっている」とべた。しかしこの作品さくひんはアカデミー撮影さつえいしょう受賞じゅしょう編集へんしゅうしょうふく英国えいこくアカデミーしょう3部門ぶもん、ゴールデングローブしょう 脚本きゃくほんしょう作曲さっきょくしょう受賞じゅしょうした。

1987ねん、デ・ニーロは2作品さくひん助演じょえんまわった。1さくアラン・パーカー監督かんとくによるホラー映画えいが『エンゼル・ハート』におけるルイ・サイファーやくである。この作品さくひんはウィリアム・ヒョーツバーグによる1978ねん小説しょうせつちる天使てんし』を原作げんさくとしている。2さくはデ・パルマの犯罪はんざい映画えいが『アンタッチャブル』におけるアル・カポネやくである。 ポーリン・ケイルは助演じょえんえんじるデ・ニーロを「なまけている」と表現ひょうげんしたが、デ・ニーロは「これらのキャラクターで実験じっけんしている」とべて自己じこ弁護べんごした。1987ねん7がつ、デ・ニーロはだい15かいモスクワ国際こくさい映画えいがさい審査しんさいんちょうつとめるためロシアをおとずれた。このとし、デ・ニーロはドキュメンタリー映画えいが『ディア・アメリカ 戦場せんじょうからの手紙てがみ』でボイスオーバーを担当たんとうした。次回じかいさくは1988ねんの『ミッドナイト・ラン』だった。デ・ニーロはバウンティハンター、ジャック・ウォルシュやくチャールズ・グローディン共演きょうえんした。この作品さくひん好意こういてきれられぜん世界せかいで8100まんドルをかせいだ。『ワシントン・ポスト』のハル・ヒンソンはデ・ニーロについて賛否さんぴじるレビューをいた。

デ・ニーロはここでもスケールをとしている。名優めいゆう外套がいとう気負きおいをてたのは安心あんしんする。その結果けっかかれは『ミーン・ストリート』や『ニューヨーク・ニューヨーク』のようなフレッシュさがられなくなった。こういった映画えいがかれえんじたやくよりもウォルシュは性格せいかく俳優はいゆうやくだ。概念がいねんなか特異とくいせいすくなく、より典型てんけいだ。しかしこの俳優はいゆうなんなくピタリとえんじている。そしてコメディをえんじるというチャンスが、とくにグローディンのような理想りそうてき道化どうけやく共演きょうえんすることが、かれあたらしい活力かつりょくあたえたようだ。かれはスコセッシの『最後さいご誘惑ゆうわく』(1988ねん)でイエス・キリストをえんじる機会きかいことわった。かれ必要ひつようであれば監督かんとくのためにえんじるとはなした。スコセッシはウィレム・デフォー起用きようした。1989ねん、デ・ニーロは複数ふくすうのあまり注目ちゅうもくされない映画えいが出演しゅつえんした。かれはドラマ映画えいが『ジャックナイフ』でエド・ハリスキャシー・ベイカー共演きょうえんした。この作品さくひんはベトナム帰還きかんへいいもうと軍隊ぐんたい同僚どうりょうたちとの複雑ふくざつ関係かんけいえがいている。かれつぎに1955ねん同名どうめい映画えいがのリメイク、犯罪はんざいコメディ映画えいがおれたちは天使てんしじゃない』でショーン・ペン共演きょうえんした。2人ふたりはカナダにかって逃亡とうぼうする脱獄だつごくした受刑じゅけいしゃえんじた。1ねん、デ・ニーロはロマンチック・コメディ『アイリスへの手紙てがみ』でジェーン・フォンダ共演きょうえんした。映画えいが批評ひひょうたちは『おれたちは天使てんしじゃない』にも『アイリスへの手紙てがみ』にもてい評価ひょうかくだした。現代げんだいのレビュー収集しゅうしゅうサイトRotten Tomatoesではそれぞれ47%と33%の支持しじとなっている。

1990ねん、デ・ニーロは犯罪はんざい映画えいが『グッドフェローズ』でスコセッシと6度目どめのコラボレーションをたした。この作品さくひんはニコラス・ピレッジによる1985ねんのノンフィクション『Wiseguy』の映画えいがであった。映画えいがはギャングじゅん構成こうせいいんヘンリー・ヒル(レイ・リオッタ)の人生じんせい家族かぞく友人ゆうじんを1955ねんから1980ねんまでのスパンでえがいている。デ・ニーロはアイルランドじんのトラック強盗ごうとうでギャングのジェームズ・コンウェイやくえんじた。『グッドフェローズ』はだい47かいヴェネツィア国際こくさい映画えいがさいでプレミア上映じょうえいされ、イタリアの批評ひひょうから「情熱じょうねつてきな」反応はんのうむかえられた。しかし拡大かくだい公開こうかいされると興行こうぎょう収入しゅうにゅうは4600まんドルにとどまった。『ローリング・ストーン』に寄稿きこうしたピーター・トラヴァース出演しゅつえんしゃ演技えんぎ絶賛ぜっさんしデ・ニーロのキャラクターを「魅惑みわくてき拘束こうそくりょく華麗かれいころ」とんだ。『シカゴ・トリビューン』のジーン・シスケルもおなじようにキャストの即興そっきょう芝居しばい感銘かんめいけ、「今年ことしのベスト映画えいがなんなくはいる」とめくくった。しょうレースの時期じきになると、『グッドフェローズ』はアカデミーしょう6部門ぶもんにノミネートされ、デ・ニーロは英国えいこくアカデミーしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょうにノミネートされた。2007ねん、アメリカン・フィルム・インスティチュートはほんさくをアメリカ映画えいがベスト100リスト10周年しゅうねんエディションのだい92選出せんしゅつした。また、おなじ1990ねん、デ・ニーロはペニー・マーシャル監督かんとくの『レナードのあさ』にも出演しゅつえんした。 このドラマ映画えいがオリバー・サックスによる1973ねん同名どうめい書籍しょせき原作げんさくとしており、1969ねんにレボドパというくすり有効ゆうこうせい発見はっけん嗜眠しみんせい脳炎のうえん患者かんじゃ投薬とうやくしたマルコム・セイヤー医師いしロビン・ウィリアムズ)をえがいている。この作品さくひんはデ・ニーロへの主演しゅえん男優だんゆうしょうふくむアカデミーしょう3部門ぶもんにノミネートされた。サックスはのちにこの映画えいがについて「おおきく満足まんぞくした。デ・ニーロは奇妙きみょう方法ほうほうでパーキンソン症候群しょうこうぐん患者かんじゃ手探てさぐりでえんじた。のレベルでえば、物事ものごといくふんかセンチメンタルになり単純たんじゅんされている」とべた。

デ・ニーロのつぎ映画えいが企画きかくはドラマ映画えいが真実しんじつ瞬間しゅんかん』であり、かれはマッカーシズムとハリウッド・ブラックリストの時代じだいにアメリカにもど架空かくう映画えいが監督かんとくデヴィッド・メリルをえんじた。この作品さくひんおおむこう評価ひょうかけた。デ・ニーロはそのミステリドラマ映画えいが『バックドラフト』で助演じょえんのベテラン放火ほうか犯罪はんざい捜査そうさかんえんじた。デ・ニーロの1991ねん最大さいだいヒットはスコセッシと7度目どめのタッグをんだ1962ねん映画えいがのリメイク『ケープ・フィアー』だった。デ・ニーロは自身じしん弁護べんご担当たんとうした国選こくせん弁護人べんごにん復讐ふくしゅうちか有罪ゆうざいとなったレイプはんマックス・ケイディをえんじた。デ・ニーロの演技えんぎひろ賞賛しょうさんされた。『ニューズウィーク』のデヴィッド・アンセンはデ・ニーロが「映画えいが支配しはいし、サイコパスの独善どくぜんをおいしく、ブラックコメディふうおそろしくえんじている」とひょうした。この作品さくひん興行こうぎょうてき成功せいこうして1おく8200まんドルをかせぎ、デ・ニーロはだい64かいアカデミーしょう主演しゅえん男優だんゆうしょうにノミネートされた。

1992ねん - 1997ねん: 監督かんとくデビューと犯罪はんざいドラマ

1992ねん、デ・ニーロは2ほん映画えいが出演しゅつえんした。1さくはコメディ・ドラマ映画えいが『ミストレス』で、冷徹れいてつなビジネスマン、エヴァン・ライトやくえんじた。このとき演技えんぎについて、インデペンデントの批評ひひょうはデ・ニーロが「ここしばらくのなか一番いちばん都会とかいてき一貫いっかんせいがある」といた。1950ねんのフィルム・ノワール映画えいがアーウィン・ウィンクラーによるリメイク『ナイト・アンド・ザ・シティ』が2さくである。かれはニューヨークの弁護士べんごしハリー・フェビアンやく出演しゅつえんした。『エンターテインメント・ウィークリー』のオーウェン・グレイバーマンはこの作品さくひんに「B-」の評価ひょうかあたえデ・ニーロを批判ひはんした。「かつて役柄やくがら奥深おくふかくにはいんだこの俳優はいゆうはスクリーンを爆発ばくはつさせていた。いまうちなるいのちっていないようにえるキャラクターをえんじている」。つぎにデ・ニーロはミステリ・スリラー『サンダーハート』(1992ねん)で製作せいさく担当たんとうした。1993ねん、デ・ニーロはコメディ・ドラマ映画えいがこいちたら…』で犯罪はんざい現場げんば写真しゃしんウェイン・ドビーをえんユマ・サーマンビル・マーレイ共演きょうえんした。この作品さくひん適度てきど評価ひょうかされ、デ・ニーロとマーレイのいは賞賛しょうさんされた。『ワシントン・ポスト』の批評ひひょうは「実際じっさい友情ゆうじょうがこの緊張きんちょうかんがあり、面白おもしろ男性だんせい同士どうしきずな側面そくめんにあふれている」といた。つぎにデ・ニーロはトバイアス・ウルフの回顧かいころく映画えいがした少年しょうねん成長せいちょう物語ものがたり『ボーイズ・ライフ』に出演しゅつえんした。エレン・バーキンレオナルド・ディカプリオ共演きょうえんした。デ・ニーロはウルフ(ディカプリオ)の養父ようふドワイト・ハンセンをえんじ、この作品さくひんはほとんどたか評価ひょうかけた。しかし『タイムアウト』は「ディカプリオがすべてをった」といた。

デ・ニーロは組織そしき犯罪はんざい誘惑ゆうわくとコミュニティにおける人種じんしゅ差別さべつ堅気かたぎ父親ちちおや価値かちかんとのあいだかれるイタリアけいアメリカじん少年しょうねん成長せいちょう物語ものがたり『ブロンクス物語ものがたり』(1993ねん)に出演しゅつえん監督かんとくデビューもたした。この作品さくひんにはチャズ・パルミンテリ出演しゅつえんしており、かれ自身じしん少年しょうねん時代じだいもと執筆しっぴつした戯曲ぎきょく原作げんさくである。『ブロンクス物語ものがたり』はトロント国際こくさい映画えいがさいでプレミア上映じょうえいされたか評価ひょうかた。『オースティン・クロニクル』のマージョリー・バウムガルテンは「監督かんとくとしてのデ・ニーロの選択せんたくはすべて慎重しんちょう地味じみであり、技術ぎじゅつてきなアッサンブラージュや賞賛しょうさんされるスターよりもキャラクターや物語ものがたり注意ちゅういこうとしている」といた『バラエティ』のトッド・マッカーシーは映画えいがおそいスタートに問題もんだい提起ていきしたがデ・ニーロの「人種じんしゅ差別さべつ暴力ぼうりょく不合理ふごうりなルーツにたいする感動かんどうてき繊細せんさいさ」をとなえた。1ねん、デ・ニーロは1818ねんのメリー・シェリーによる小説しょうせつ『フランケンシュタイン』の映画えいがばん怪物かいぶつえんじた。この作品さくひん商業しょうぎょうてき成功せいこうぜん世界せかいで1おく1200まんドルをかせいだが、批評ひひょう一般いっぱんてき批判ひはん意見いけん一致いっちしている。映画えいが評論ひょうろんジェームズ・ベラーディネリは、映画えいがは「狂気きょうきてきな」ペースにもかかわらず面白おもしろくデ・ニーロは力強ちからづよ演技えんぎあたえたとべた。

スコセッシとの8さくともさく『カジノ』でデ・ニーロは犯罪はんざいジャンルに復帰ふっきした。シャロン・ストーンやジョー・ペシと共演きょうえんしたほんさくはニコラス・ピレッジのノンフィクションを原作げんさくとしている。デ・ニーロはマフィアとつながりのあるラスベガスのカジノ支配人しはいにんサム・"エース"・ロススティーンをえんじた。この作品さくひんはギャンブル帝国ていこくめぐ強欲ごうよく裏切うらぎり、とみ地位ちい、2つのマフィアあいだにおける殺人さつじんをテーマにサム・"エース"・ロススティーン、ニッキー・サントロ(ペシ)、トロフィーワイフ(ストーン)をえがく。『カジノ』はほとんどこう評価ひょうかぜん世界せかい興行こうぎょう収入しゅうにゅうでも成功せいこうした。ロジャー・イーバートは主演しゅえんの「無意識むいしき裏付うらづけでやく憑依ひょういする」能力のうりょく感心かんしんした。『グローブ・アンド・メール』の批評ひひょうは「デ・ニーロはパラドックスをとらえる非常ひじょう精緻せいち仕事しごとをしている。それがこの映画えいが中心ちゅうしんにある」とかんがえた。それからまもなく、デ・ニーロは1995ねんのプロの銀行ぎんこう強盗ごうとうだんえが犯罪はんざいスリラー『ヒート』に出演しゅつえんした。デ・ニーロの出演しゅつえん作品さくひん製作せいさくしたことがあるアート・リンソンがまずデ・ニーロに脚本きゃくほんおくった。「脚本きゃくほんはとてもかった。力強ちからづよく、特定とくてい感情かんじょうがある。現実げんじつせい信憑しんぴょうせいがある」とデ・ニーロはべた。アル・パチーノヴァル・キルマー出演しゅつえんしたほんさくひろ賞賛しょうさんされた。『シカゴ・トリビュート』のマイケル・ウィルミントンはこういている。

デ・ニーロとパチーノはすべてをもどした。『ヒート』でかれらは映画えいが俳優はいゆう高尚こうしょう戦後せんご伝統でんとうげんわしている。マーロン・ブランドジョン・カサヴェテスジェームズ・ディーン触発しょくはつされたものたちだ。かれらは感情かんじょうおそれず、それをつかむためにシーンのくちんだ。同年代どうねんだいジャック・ニコルソンジーン・ハックマンハーヴェイ・カイテルらとおなじく、かれらはけずぎらいのマチズモにかたよっている。そのくら階層かいそうもなく探索たんさくしている。

1995ねん、デ・ニーロはフランスのコメディ『ひゃくいち』とドラマ映画えいが『パンサー』に脇役わきやく出演しゅつえんした。1996ねん、デ・ニーロはピーター・エイブラハムズの同名どうめい小説しょうせつ原作げんさくとしたスポーツ・スリラー『ザ・ファン』に出演しゅつえんした。デ・ニーロは正気しょうきうしな熱狂ねっきょうてき野球やきゅうファン、ギル・レナードをえんじた。50さく映画えいが出演しゅつえん作品さくひんは『スリーパーズ』(1996ねん)だった。刑務所けいむしょおくられ看守かんしゅたちに虐待ぎゃくたいされて釈放しゃくほう復讐ふくしゅうねらう4にん少年しょうねんえがいている。デ・ニーロは少年しょうねんたちのみちびやくとなるボビー・カリロ神父しんぷえんじた。そのかれは『マイ・ルーム』(1996ねん)で白血病はっけつびょう女性じょせいダイアン・キートン)を治療ちりょうするウォラス・カーター医師いしえんじた。イギリスの『エンパイア』への寄稿きこうでボブ・マケイブは「演技えんぎ問題もんだいなくていられる。しかしてられた感情かんじょう映画えいが不完全ふかんぜんよろこびにしてしまっている」とべた。おなじ1996ねん、デ・ニーロは犯罪はんざいコメディ『フェイスフル』を共同きょうどう製作せいさくした 。

翌年よくねん、デ・ニーロはジェームズ・マンゴールド犯罪はんざいドラマ映画えいが『コップランド』に出演しゅつえんシルヴェスター・スタローン、ハーヴェイ・カイテル、レイ・リオッタと共演きょうえんした。デ・ニーロはニュージャージーのまち汚職おしょく捜査そうさする内務ないむ調査官ちょうさかんのモー・ディルディン警部補けいぶほやくえんじた。この作品さくひんおおむあたたかくれられたが、『サンフランシスコ・エグザミナー』のバーバラ・シュルガッサーはいくつかのシーンにおけるデ・ニーロの演技えんぎ批判ひはんし、マンゴールドがデ・ニーロを「製造せいぞうしゃ状況じょうきょう」にいて、才能さいのう存分ぞんぶん発揮はっきできないようにしたと推測すいそくした。デ・ニーロは『ウワサの真相しんそう/ワグ・ザ・ドッグ』(1997ねん)に出演しゅつえん共同きょうどう製作せいさく担当たんとうした。この作品さくひん偏見へんけんつパブリシスト(デ・ニーロ)と、大統領だいとうりょうせいスキャンダルを隠蔽いんぺいするためにアルバニアでの戦争せんそうをねつぞうするハリウッド・プロデューサー(ダスティン・ホフマン)をえがいている。1998ねん公開こうかいから1かげつ、クリントン=ルインスキー・スキャンダルが見出みだしを独占どくせんし、映画えいが宣伝せんでんにも役立やくだった。結果けっか、『ウワサの真相しんそう/ワグ・ザ・ドッグ』はこう評価ひょうかけ、ロジャー・イーバートは1997ねんのベスト映画えいがリストにくわえた。デ・ニーロは同年どうねんクエンティン・タランティーノの『ジャッキー・ブラウン』で助演じょえんつとめた 。

1998ねん - 2006ねん: コメディのやく、スリラー、スランプ

デ・ニーロはチャールズ・ディケンズによる1861ねん同名どうめい小説しょうせつ現代げんだい映画えいがばんおおいなる遺産いさん』に出演しゅつえんしアーサー・ラスティグをえんじることで1998ねんのスタートをった。そのおなねん、デ・ニーロのつぎ大役たいやく忠誠ちゅうせい変容へんようという迷路めいろまよいながらなぞのブリーフケースをうためにやとわれたもと特殊とくしゅ部隊ぶたい隊員たいいん傭兵ようへいえがく『RONIN』(1998ねん)というかたちた。デ・ニーロはかつてCIAとつながりのあったアメリカじんサムをえんじた。『RONIN』は1998ねんヴェネツィア国際こくさい映画えいがさいでプレミア公開こうかいされ好評こうひょうはくした。『ニューヨーク・タイムズ』のジャネット・マスリンはアクション・ヒーローとしてのデ・ニーロの自信じしんちた演技えんぎ絶賛ぜっさんした。1999ねん、デ・ニーロはハロルド・ライミスの『アナライズ・ミー』で犯罪はんざいコメディにふたたいどんだ。かれ不安定ふあんていなマフィアのボスをえんじ、ビリー・クリスタルリサ・クドロー共演きょうえんした。 この作品さくひん興行こうぎょうてきにヒットしぜん世界せかいで1おく7600まんドルをかせいだうえ、デ・ニーロはゴールデングローブしょう主演しゅえん男優だんゆうしょうにノミネートされた。『フローレス』(1999ねん)においては、デ・ニーロは脳卒中のうそっちゅうおそわれゲイの歌手かしゅとリハビリをけるホモフォビアの警官けいかんえんじた。BBCの批評ひひょうは5つほしのうち3つほしあたえ、これまでの作品さくひんくらべてデ・ニーロが「爽快そうかいなほどひかえめな」演技えんぎをしたとかんがえた。

2000ねん、デ・ニーロは自身じしんとしてはつ実写じっしゃアニメーションコメディ『ロッキー&ブルウィンクル』にて製作せいさく出演しゅつえんつとめた。デ・ニーロは独裁どくさいてき2人ふたりのギャングをやとうフィアレス・リーダーのこええんじた。この作品さくひん批評ひひょうてき失敗しっぱいしRotten Tomatoesは43%の支持しじあたえている。デ・ニーロはアフリカけいアメリカじんはつのアメリカ海軍かいぐんマスター・ドライバー、カール・ブラシアの人生じんせいもとづいた『ザ・ダイバー』(2000ねん)でマスター・チーフ、"ビリー"・サンデーをえんじた。この作品さくひん賛否さんぴ両論りょうろんけたが『AP通信つうしん』のボブ・トーマスは「デ・ニーロは迫力はくりょくやくんでいる。かれのここすうねん最高さいこう演技えんぎだ」といた。おなねん、デ・ニーロは『ミート・ザ・ペアレンツ』に出演しゅつえんしてベン・スティラー共演きょうえんし、スティラーのキャラクターをきらもとCIA諜報ちょうほういんえんじた。当時とうじコメディのやくさがしていたデ・ニーロは製作せいさくパートナー、ジェーン・ローゼンタールのすすめもありやく挑戦ちょうせんした。この作品さくひんは3おく3000なんドルというたか興行こうぎょう収入しゅうにゅうた。映画えいが批評ひひょうたちはコメディ俳優はいゆうへのデ・ニーロの転換てんかん観客かんきゃくわらわせる能力のうりょく歓迎かんげいした。

コメディすう作品さくひんののち、デ・ニーロは犯罪はんざいスリラー『15ミニッツ』の主役しゅやくいた。これは2人ふたりひがしヨーロッパの殺人さつじんはん逮捕たいほするために殺人さつじん刑事けいじ(デ・ニーロ)と消防しょうぼう保安ほあんかんエドワード・バーンズ)が協力きょうりょくする物語ものがたりである。この作品さくひん一般いっぱんてきてい評価ひょうかけ、『シアトル・ポスト・インテリジェンサー』のウィリアム・アーノルドは「大胆だいたん誇張こちょう」を問題もんだいとしたが、デ・ニーロは「故郷こきょうマンハッタンの貧困ひんこん地帯ちたいでいつものするど才能さいのう」をしめしたといた。デ・ニーロはつづいてフランク・オズのヘイスト映画えいが『スコア』(2001ねん)に出演しゅつえんしてエドワード・ノートンアンジェラ・バセット、マーロン・ブランドと共演きょうえんした。かれわかおとこ(ノートン)に最後さいご仕事しごと一緒いっしょにするようにせまられる引退いんたい間近まぢか泥棒どろぼうえんじた。公開こうかい、『スコア』は批評ひひょうからたか評価ひょうかけたが、『ニューヨーク・マガジン』のピーター・ライナーは、映画えいががデ・ニーロにとって挑戦ちょうせんではなく才能さいのうかしれていないとかんがえた。翌年よくねん、デ・ニーロはアクション・コメディ『ショウタイム』でロサンゼルス警察けいさつ刑事けいじえんエディ・マーフィ共演きょうえんした。『LA Weekly』の批評ひひょうは「デ・ニーロは実際じっさいやくえんじているのではなく自身じしん伝説でんせつっかっているにぎない」としるし、『タクシードライバー』ネタは「やすっぽい」といた。

おなじ2002ねん、デ・ニーロは『容疑ようぎしゃ』で『ボーイズ・ライフ』の監督かんとくマイケル・ケイトン=ジョーンズふたた仕事しごとをした。フランシス・マクドーマンドジェームズ・フランコ共演きょうえんしたデ・ニーロはこのドラマ映画えいが刑事けいじえんじた。この作品さくひん賛否さんぴ両論りょうろんけ、劇場げきじょうでは上手うまくいかなかった。デ・ニーロは1999ねんの『アナライズ・ミー』の続編ぞくへん『アナライズ・ユー』(2002ねん)に出演しゅつえんした。撮影さつえいは9.11事件じけんの7かげつにニューヨークではじまった。デ・ニーロは「ニューヨークの物語ものがたり、ニューヨークの映画えいがだ。いつもここでりたいとおもっていたし、実際じっさいにできてうれしい」とべ、ニューヨークでの撮影さつえいにこだわった。公開こうかい批評ひひょうはこの続編ぞくへんよわいとかんじた。CNNのポール・クリントンは「残念ざんねんながら結果けっかはたくさんの一言ひとことジョークをつないでいるだけで、面白おもしろいものもそうでないものもある。実際じっさい物語ものがたりけっしてはじまらない」としるした。このような失敗しっぱいなかで、デ・ニーロは批評ひひょうてき絶賛ぜっさんされたロマンチック・コメディ『アバウト・ア・ボーイ』を製作せいさくし、CBSによる9.11事件じけんをニューヨーク消防しょうぼうきょく観点かんてんからえがいたドキュメンタリー『9/11』に出演しゅつえんした。

過去かこすうじゅうねん映画えいがほどドラマチックな映画えいが出演しゅつえんしなくなったことにより、デ・ニーロのキャリアはスランプにおちいっているとひょうする批評ひひょうもいた。デ・ニーロは2004ねんにファンタジードラマ映画えいが『アダム -かみ使つか悪魔あくま-』で銀幕ぎんまく復帰ふっきした。2020ねん現在げんざい、この作品さくひんはデ・ノーロの最低さいてい評価ひょうか作品さくひんである。Rotten Tomatoesは139の批評ひひょうレビューをもとに4%の支持しじあたえている。デ・ニーロはドリームワークスのアニメーション映画えいが『シャーク・テイル』にこえ出演しゅつえんをした。ほとんどの批評ひひょう評価ひょうかしなかったが、興行こうぎょうてきにはヒットした。『Stage Beauty』(2004ねん)を製作せいさくしたデ・ニーロは2004ねん、『ミート・ザ・ペアレンツ』の続編ぞくへん『ミート・ザ・ペアレンツ2』でふたたびジャック・バーンズやくえんじた。『スラントマガジン』の批評ひひょうはデ・ニーロを酷評こくひょうするレビューにおいて、「なん度目どめかわからないセルフパロディでデ・ニーロはおおげさにかおをゆがめ、けわしい表情ひょうじょううそ威嚇いかくをした」といた。『サン・ルイ・レイのはし』が2004ねん最後さいごのデ・ニーロ映画えいがだった。これはソーントン・ワイルダー同名どうめい小説しょうせつ原作げんさくとしている。この作品さくひん批評ひひょう酷評こくひょうされた。

2005ねん、デ・ニーロはホラー映画えいが『ハイド・アンド・シーク 暗闇くらやみのかくれんぼ』に出演しゅつえんし、ダコタ・ファニング共演きょうえんして、母親ははおや死後しごトラウマをかかえたむすめ(ファニング)をれてまちるデヴィッド・キャラウェイ医師いしえんじた。この作品さくひん興行こうぎょうてき成功せいこうしたが、批評ひひょうなかにはデ・ニーロがミスキャストであるとかんがえるものもおり、平凡へいぼん映画えいがへの出演しゅつえん決意けついしたデ・ニーロに疑問ぎもんていした。2006ねん、デ・ニーロは自分じぶんだい2さく監督かんとくするために『ディパーテッド』のやくことわった。そのスパイ・スリラー映画えいが『グッド・シェパード』は形成けいせい成長せいちょうするCIAのえがいた架空かくう記録きろくである。この映画えいがでデ・ニーロは『レイジング・ブル』、『グッドフェローズ』、『ブロンクス物語ものがたり』、『カジノ』で共演きょうえんしたジョー・ペシとさい共演きょうえんした。エリック・ロス脚本きゃくほんもとづいたほんさくは、冷戦れいせん時代じだいそだちそれにあこがれていたデ・ニーロにとって個人こじんてき企画きかくであった。ハリウッドの人気にんき俳優はいゆうマット・デイモンアンジェリーナ・ジョリーアレック・ボールドウィン出演しゅつえんしていたにもかかわらず、この作品さくひん賛否さんぴ両論りょうろん評価ひょうかとなった。『シドニー・モーニング・ヘラルド』に寄稿きこうしたサンドラ・ホールはおそいペース配分はいぶんについて「アメリカ面白おもしろいちめんめてはいるが、デ・ニーロはしんじられないほどにぶいナイフでそれをけずした」としるした。『USAトゥデイ』の批評ひひょう最初さいしょのプロットがいづらいものの、デ・ニーロを「感動かんどうてき個人こじん物語ものがたり創造そうぞうした」として賞賛しょうさんした。『グッドシェパード』はだい79かいアカデミーしょうでアカデミー美術びじゅつしょうにノミネートされた。2006ねん最後さいごに『アーサーとミニモイの不思議ふしぎくに』でおうこええんじた。

2007ねん - 2016ねん: さらなる映画えいが出演しゅつえん

2007ねん唯一ゆいいつ出演しゅつえん作品さくひんマシュー・ヴォーンのファンタジー冒険ぼうけん映画えいが『スターダスト』で、1999ねんニール・ゲイマン小説しょうせつ原作げんさくとしている。かれ船長せんちょうであるキャプテン・シェイクスピアやくえんじた。この映画えいがおおむたか評価ひょうかされたが、『ニューヨーク』のある批評ひひょうはデ・ニーロの演技えんぎが「すごくひどい。しかし頑張がんばりによって賞賛しょうさんている」とかんがえた。翌年よくねん、デ・ニーロはポリスプロシーデュアル・スリラー映画えいが『ボーダー』でアル・パチーノ共演きょうえんした。2人ふたり正義せいぎのがれた犯罪はんざいしゃ次々つぎつぎ処刑しょけいする犯人はんにんうニューヨークの刑事けいじえんじた。この映画えいがへの反応はんのうおもわるかった。『サンフランシスコ・クロニクルズ』のピーター・ハルトラウプはストーリーにオリジナルせいがなくデ・ニーロにはエネルギーがないとかんがえた。この作品さくひんは6000まんドルの予算よさんで7800まんドルをかせいだ。つぎに、ハリウッドにおけるアート・リンソンの経験けいけんもとにした風刺ふうしコメディ映画えいが『トラブル・イン・ハリウッド』(2008ねん)に出演しゅつえんした。この作品さくひんは2008ねんカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいでコンペティション部門ぶもんがい上映じょうえいされた。『シドニー・モーニング・ヘラルド』は、「同情どうじょうてき」でこれまでよりしずかなデ・ニーロの役柄やくがら理由りゆうでほとんどの批評ひひょうがこの映画えいが微妙びみょう評価ひょうかあたえたとべた。2009ねん、デ・ニーロはジュゼッペ・トルナトーレ同名どうめいのイタリア映画えいがのリメイク『みんな元気げんき』でフランク・グッドやくえんじた。映画えいが評価ひょうか賛否さんぴわかれたが、『ガーディアン』の批評ひひょうは「ながあいだはじめての、かれ適切てきせつていられる演技えんぎだ」とデ・ニーロの演技えんぎ評価ひょうかした。

2010ねん、デ・ニーロはアクション映画えいが『マチェーテ』にジョン・マクラフリン上院じょういん議員ぎいんやく助演じょえんした。同年どうねんかれは『ストーン』でミラ・ジョヴォヴィッチやエドワード・ノートン(『スコア』でも共演きょうえん)と共演きょうえんした。この犯罪はんざいドラマ映画えいがでデ・ニーロはあやつられる保護司ほごしえんじた。この作品さくひん評価ひょうかかれた。『トロント・スター』の批評ひひょうは、デ・ニーロがジョヴォヴィッチのサポートによって尊敬そんけいあたいする演技えんぎをしたとかんがえた。『スラントマガジン』のべつ批評ひひょうジェシー・カタルドは映画えいが制約せいやくについてしるし、デ・ニーロがおな基本きほんてきなキャラクターをえんじてかえしているとかんがえた。つぎかれはシリーズ3さくとなる『ミート・ザ・ペアレンツ3』(2010ねん)に出演しゅつえんした。世界せかいてき批評ひひょうから批判ひはんされたが、この作品さくひん興行こうぎょうてき成功せいこうし、ぜん世界せかいで3おく1000まんドルをかせいだ。あるレビューで、『デイリー・テレグラフ』は「滑稽こっけい脚本きゃくほんにもかかわらず、デ・ニーロはこの家長かちょうのキャラクターを繊細せんさい調整ちょうせいしている」といた。このとし、デ・ニーロは『復讐ふくしゅう捜査そうさせん』 にキャスティングされたが、創造そうぞうせいちがいにより降板こうばんした。かれやくレイ・ウィンストンいだ。

2011ねん、デ・-ロはイタリアのコメディ映画えいが昼下ひるさがり、ローマのこい』に出演しゅつえんした。かれほかにも『キラー・エリート』、『リミットレス』、『ニューイヤーズ・イブ』の3ほん出演しゅつえんした。Rotten Tomatoesで69%の支持しじた『リミットレス』以外いがいの2さくは、賛否さんぴ両論りょうろんまたは批判ひはんされた。デ・ニーロは2011ねんカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい審査しんさいんちょうえらばれ、2度目どめ役目やくめつとめた。つづく2012ねん、デ・ニーロはニック・フリンの回顧かいころく路上ろじょう文豪ぶんごういどれジョナサンの「まぼろし傑作けっさく」』を原作げんさくとしたドラマ映画えいが『ロバート・デ・ニーロ エグザイル』に出演しゅつえんした。賛否さんぴかれ、A・O・スコットは疎遠そえんとなった(ポール・ダノの)父親ちちおやえんじるデ・ニーロの演技えんぎりょく疑問ぎもんしめし、明確めいかくなプロットにもかかわらず「予測よそく不可能ふかのう微妙びみょう」とんだ。デ・ニーロはスリラー映画えいが『レッド・ライト』と『フリーランサー NY捜査そうさせん』(ともに2012ねん)に出演しゅつえんした。

デ・ニーロはロマンチック・コメディ映画えいが世界せかいにひとつのプレイブック』(2012ねん)ではじめてデヴィッド・O・ラッセル作品さくひん出演しゅつえんした。かれ精神せいしん病院びょういんから解放かいほうされ両親りょうしんとともにらして人生じんせいなおしをはかるパット・ソリター(ブラッドリー・クーパー)の父親ちちおやえんじた。この作品さくひん批評ひひょうてきにも興行こうぎょうてきにもヒットし、デ・ニーロへの助演じょえん男優だんゆうしょうノミネートをふくむ8部門ぶもんでアカデミーしょうにノミネートされた。この作品さくひんぜん世界せかいで2おく3600まんドルをかせいだ。批評ひひょうはキャスト全員ぜんいん絶賛ぜっさんし、『バラエティ』のジャスティン・チャンはデ・ニーロのおさえた演技えんぎについて「まえかれがスクリーンでここまでもなくひとをきつけ、リラックスしていたのはいつだったかおもすのがむずかしい」といた。2012ねん、デ・ニーロはテレビシリーズ『NYC 22』のエグゼクティブ・プロデューサーをつとめた。

2013ねん、デ・ニーロはつぎに『グリフィンのウエディングノート』、『キリングゲーム』、『マラヴィータ』にキャスティングされた。3さくともおも否定ひていてき反応はんのうむかえられた。2013ねんほかにも『ラストベガス』し評価ひょうかするレビューもあった。マイケル・ダグラスモーガン・フリーマン、ケヴィン・クライン、メアリー・スティーンバージェンらと共演きょうえんしたほんさくは、引退いんたいした3にんがラスベガスにき、最後さいご独身どくしん友人ゆうじんのバチェラー・パーティーをおこなうストーリーである。デ・ニーロの演技えんぎたいするきびしい意見いけんとして、『The A.V. Club』の批評ひひょうは「デ・ニーロのキャリアの最低さいていてんのひとつである」となした。それからまもなく、デ・ニーロは『リベンジ・マッチ』でシルヴェスター・スタローンと共演きょうえんし、最後さいご試合しあいのためにリングに復帰ふっきする年老としおいたボクサーをえんじた。デ・ニーロとスタローンは以前いぜん『コップランド』でも共演きょうえんした経験けいけんがある。2014ねんかれ犯罪はんざいスリラー映画えいが『ザ・バッグマン やみはこおとこ』に出演しゅつえんした。同年どうねん、デ・ニーロは父親ちちおやロバート・デ・ニーロ・シニアにかんするドキュメンタリー映画えいが『Remembering the Artist Robert De Niro Sr.』に出演しゅつえんし、HBOで放送ほうそうされた。2015ねん、デ・ニーロはナンシー・マイヤーズの『マイ・インターン』に出演しゅつえんしてアン・ハサウェイ共演きょうえんした。『ロサンゼルス・タイムズ』のマーク・オルセンは「デ・ニーロは新鮮しんせんなリラックスしたあかるさを演技えんぎみ、スペンサー・トレイシー荒々あらあらしい魅力みりょくびている」としるした。かれ演技えんぎだい21かいクリティクス・チョイス・アワードでコメディ男優だんゆうしょうノミネートをけた。

2015ねんにはまた、スコセッシ監督かんとくの『オーディション』とJR監督かんとくの『エリス』という2ほん短編たんぺん映画えいが出演しゅつえんした。『タイム・トゥ・ラン』ではフランシス・"ザ・ポープ"・シルヴァやくえんじヘイスト・ジャンルに復帰ふっきした。この作品さくひん興行こうぎょうてき成功せいこうしなかった。デ・ニーロはアメリカの発明はつめいジョイ・マンガーノをえがいた伝記でんきドラマ映画えいが『ジョイ』に出演しゅつえんし、ジェニファー・ローレンスやブラッドリー・クーパーとふたた共演きょうえんした。この作品さくひんがいして賛否さんぴ両論りょうろんけた。2016ねん、デ・ニーロは『ダーティ・グランパ』に出演しゅつえんし、春休はるやすちゅうまごザック・エフロン)とフロリダしゅう祖父そふえんじた。公開こうかいされると、この作品さくひん世評せひょう不快ふかいわれる内容ないようによって極端きょくたん評価ひょうかけた。複数ふくすう批評ひひょうによる2016ねん最悪さいあく映画えいがリストにつらねた。デ・ニーロはパナマのもとプロボクサー、ロベルト・デュランのキャリアをえがいた伝記でんきスポーツ・ドラマ映画えいが『ハンズ・オブ・ストーン』(2016ねん)にも出演しゅつえんした。このとし最後さいご出演しゅつえん作品さくひんは『The Comedian』であり、映画えいが製作せいさくしゃ功績こうせきたたえる映画えいがさいAFIフェストでプレミア上映じょうえいされた。

2017ねん - 現在げんざい: 復活ふっかつとスコセッシとのさいタッグ

2017ねん、デ・ニーロはバリー・レヴィンソンのHBO映画えいがうそ天才てんさい史上しじょう最大さいだい金融きんゆう詐欺さぎ〜』でバーニー・マドフをえんじ、その演技えんぎ批評ひひょう絶賛ぜっさんけてプライムタイム・エミーしょう主演しゅえん男優だんゆうしょう(リミテッド・シリーズ/テレビ映画えいが部門ぶもん)ノミネートをけた。2019ねん、『サタデー・ナイト・ライブ』の様々さまざまなエピソードで、デ・ニーロはドナルド・トランプやくアレック・ボールドウィンとともにロバート・モラーやくえんじて賞賛しょうさんけプライムタイム・エミーしょう主演しゅえん男優だんゆうしょう(コメディ・シリーズ部門ぶもん)ノミネートをけた。エイヴァ・デュヴァーネイの絶賛ぜっさんされた限定げんていシリーズ『ボクらを』ではプロデューサーとしてエミーしょうノミネートをけた。

2019ねん、デ・ニーロは『バットマン』のキャラクター、ジョーカー(ホアキン・フェニックス)のオリジンストーリーであるかもしれないトッド・フィリップス監督かんとくの『ジョーカー』でトーク番組ばんぐみ司会しかいしゃマレー・フランクリンやくえんじて銀幕ぎんまく復帰ふっきした。この作品さくひん商業しょうぎょうてき成功せいこうし、11部門ぶもんでアカデミーしょうノミネートをけた。おなねん、デ・ニーロはチャールズ・ブラントによる2004ねんほん『I Heard You Paint Houses』を原作げんさくにした『アイリッシュマン』でスコセッシとふたたびタッグをんだ。2人ふたりむのは9さくであり、1995ねんの『カジノ』以来いらいのことであった。アル・パチーノ、ハーヴェイ・カイテル、ジョー・ペシらとふたた共演きょうえんした。この作品さくひん批評ひひょう絶賛ぜっさんされた。『デイリー・テレグラフ』のロビー・コリンはデ・ニーロの「センセーショナルな」演技えんぎ以前いぜんにも共演きょうえんしたほか出演しゅつえんしゃたちとかも雰囲気ふんいきとなえた。『バラエティ』の批評ひひょう雰囲気ふんいきについてしるし、デ・ニーロを「見事みごと」と表現ひょうげんしたが、作品さくひん特殊とくしゅ効果こうか弱点じゃくてんであるとした。

2020ねん9がつ、デ・ニーロはコメディ短編たんぺん映画えいが『Father of the Bride Part 3(ish)』(『花嫁はなよめのパパ』シリーズ)に出演しゅつえんした。この短編たんぺんにはほかにもダイアン・キートンスティーヴ・マーティンキーラン・カルキンフローレンス・ピューらが出演しゅつえんした。おなねん、デ・ニーロはジョージ・ギャロ監督かんとくによる犯罪はんざいコメディ映画えいが『カムバック・トゥ・ハリウッド!!』に出演しゅつえんした。デ・ニーロはジェームズ・グレイ監督かんとくはん自伝じでんてき映画えいが『アルマゲドン・タイム ある日々ひび肖像しょうぞう』にキャスティングされていたが、製作せいさくはじまるころには降板こうばんしていた。2021ねん1がつ、デ・ニーロは歴史れきしコメディ映画えいが『アムステルダム』にサインし退役たいえき軍人ぐんじんえんじた。クリスチャン・ベイル、マーゴット・ロビージョン・デヴィッド・ワシントンマイケル・シャノンマイク・マイヤーズティモシー・オリファントアニャ・テイラー=ジョイらのアンサンブル・キャストで2022ねん10がつ公開こうかいされた。『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』のレビュアーはデ・ニーロが「将軍しょうぐんやくただしい重々おもおもしさをんだ」とかんがえた。

デ・ニーロは2022ねん12月2にち公開こうかいの『Savage Salvation』でチャーチ保安ほあんかんえんじた。2023ねん、デ・ニーロはデヴィッド・グランのほんはなごろがつ殺人さつじん インディアン連続れんぞく怪死かいし事件じけんとFBIの誕生たんじょう』の映画えいがばん『キラーズ・オブ・ザ・フラワー・ムーン』でうしいウィリアム・ヘイルをえんじる。レオナルド・ディカプリオやリリー・グラッドストーンと共演きょうえんする。この作品さくひんの2おくドルという制作せいさくのため、監督かんとくのスコセッシは製作せいさく配給はいきゅうにNetflixやApple TV+をのぞんだとほうじられた。2020ねん5がつ、Apple TVはパラマウント・ピクチャーズと共同きょうどう出資しゅっし共同きょうどう配給はいきゅうすると発表はっぴょうした。2023ねん、デ・ニーロはコメディ映画えいが『About My Father』とテレビシリーズ『Nada』に出演しゅつえんする。2022ねん8がつ、デ・ニーロはワーナー・ブラザーズによるバリー・レヴィンソン監督かんとくのマフィア・ドラマ映画えいが『Wise Guys』への出演しゅつえん契約けいやくむすんだ。

評価ひょうかとその

複数ふくすうのジャーナリストが、デ・ニーロを同年代どうねんだいなか最高さいこう俳優はいゆう一人ひとりであるとしている。『GQ』のジョン・ノートンはデ・ニーロが「我々われわれ俳優はいゆう期待きたいするものをさい定義ていぎした」と表現ひょうげんした。A・O・スコットはデ・ニーロが「自身じしん変身へんしんさせている。肉体にくたいこえ精神せいしんも - それぞれのあたらしいやくで。そしてその過程かていで、我々われわれまえで、演技えんぎわざさい発明はつめいした」とべた。はや段階だんかいでは1977ねんに『ニューズウィーク』がこの俳優はいゆうが「やくになりきる、刺激しげきてき感動かんどうてき驚異きょういてき変身へんしん衝撃しょうげきあたえる」としるしている。伝記でんき作家さっかダグラス・ブロードはデ・ニーロの多才たさいさとあらゆるやくになり能力のうりょく絶賛ぜっさんしたが、ポーリン・ケイルは『レイジング・ブル』のような映画えいが自己じこを「変形へんけいさせる」ことがらないと1983ねん発言はつげんした。なぜこのようなやく挑戦ちょうせんするのかとわれたデ・ニーロは、「現実げんじつ人生じんせい責任せきにんうことなく、べつのキャラクターにってかれ人生じんせい経験けいけんするため。自分じぶんではやる勇気ゆうきがないことをやってみるためのチープな方法ほうほうだ」とこたえた。

2009ねん、デ・ニーロは「アメリカ最高さいこう映画えいが俳優はいゆう一人ひとり、ロバート・デ・ニーロはえんじるやく伝説でんせつてき献身けんしんたし世界せかいでも主要しゅよう映画えいがさい共同きょうどう設立せつりつした」というコメントともにケネディ・センター名誉めいよしょう受賞じゅしょうした。このイベントではマーティン・スコセッシやメリル・ストリープがデ・ニーロをいわった。2016ねん、デ・ニーロはバラク・オバマ大統領だいとうりょうから大統領だいとうりょう自由じゆう勲章くんしょう授与じゅよされた。オバマは「この舞台ぶたいにいる全員ぜんいん力強ちからづよ個人こじんてき感動かんどうさせてくれた。わたしいま自分じぶんになるのをたすけてくれたひとたちだ」とはなした。ホワイトハウス報道ほうどうかんジョシュ・アーニストは「授与じゅよされるしゃたちがこれに ふさわしいことに議論ぎろん余地よちはない」とくわえた。

デ・ニーロ映画えいがおおくがアメリカ映画えいがのクラシックとなり、2022ねん時点じてんで6作品さくひんがアメリカ国立こくりつフィルム登録とうろく簿登録とうろくされている。5作品さくひんがアメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)のアメリカ映画えいがベスト100にランクインしている。デ・ニーロとジェームズ・ステュアートはAFIリストにもっと頻繁ひんぱん登場とうじょうする俳優はいゆうである。業界ぎょうかい俳優はいゆうえらんだ『タイムアウト』のベスト100リストにはデ・ニーロの7さくほんえらばれている。2006ねん、デ・ニーロは台本だいほん衣装いしょう、プロップをふく映画えいが関連かんれんのコレクションをテキサス大学だいがくオースティンこうのハリー・ランサム・センターに寄付きふした。処理しょり目録もくろくづくりに2ねん以上いじょうかかったこのコレクションは2009ねん一般いっぱん公開こうかいされた。

演技えんぎのスタイル

出演しゅつえんまえ事前じぜん準備じゅんびおこたらない俳優はいゆうであり、すうおおくの逸話いつわのこっている。こうしたストイックなやくづくりから「デ・ニーロ・アプローチ」という言葉ことばまれた。

  • 『ゴッドファーザー PART II』では、シチリアとうんで、シチリアなまりのイタリアをマスターしたのちに、マーロン・ブランドのしゃがれごえ完璧かんぺき模倣もほうした。
  • 『タクシードライバー』では3週間しゅうかん、ニューヨークでタクシードライバーとしてはたらいたDougan, p. 75.。
  • 『ディア・ハンター』では、物語ものがたり舞台ぶたいとなったピッツバーグに撮影さつえいすうげつまえから偽名ぎめいらしていた。さらに鉄工てっこうしょはたらこうとしたが、現地げんちひと拒否きょひされたという。
  • 『レイジング・ブル』では実在じつざいしたミドルきゅうボクサージェイク・ラモッタきたかれた肉体にくたい披露ひろうし、その引退いんたい姿すがた表現ひょうげんするために体重たいじゅうを20キロもやした。このためイタリアにおもむいて、現地げんちのあらゆるレストランをあるいた。
  • 主人公しゅじんこうがユダヤじんの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』では、ユダヤじん家庭かていにホームステイした。
  • 『アンタッチャブル』では頭髪とうはつをそりげ、アル・カポネをえんじた。体重たいじゅう直後ちょくごべつ映画えいが出演しゅつえんまっていたのでふとるわけにいかず、ボディスーツを着用ちゃくようしたが、かおだけはふとらせて撮影さつえいのぞんだ。
  • 『ロバート・デ・ニーロ エグザイル』でホームレスやく出演しゅつえんするため、やくづくりのためにホームレス施設しせつ潜入せんにゅうした。

ファン・ソング

1984ねん、イングランドのガール・グループ、バナナラマのファン・ソング『あいしのロバート・デ・ニーロ』がぜんえいシングルチャートの3にランクインし、12週間しゅうかんチャートにまりつづけた。

栄誉えいよ

イタリア名誉めいよ市民しみんけん

2005ねんにイタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相しゅしょうかれを「著名ちょめいなイタリアけい移民いみん」として表彰ひょうしょうしようとしたが、一部いちぶ市民しみん団体だんたいがデ・ニーロは『ゴッドファーザー』などで「イタリア=マフィア」のマイナスイメージをけた人物じんぶつだとして抗議こうぎした。紆余曲折うよきょくせつすえ、2006ねんのローマ映画えいがさい最終さいしゅうのセレモニーのさい名誉めいよ市民しみんけん授与じゅよされた。

博士はかせごう

2012ねん5がつにはベイツ大学だいがくより博士はかせごう授与じゅよされた。

ビジネスへの関心かんしん

1989ねん、デ・ニーロとパートナー、ジェーン・ローゼンタールはトライベッカ映画えいがさい運営うんえいする映画えいが製作せいさく会社かいしゃトライベッカ・プロダクションズを共同きょうどう設立せつりつした。デ・ニーロはマンハッタン、トライベッカのグリーンウィッチどおり375(フランクリンどおり)にしんアメリカ料理りょうりレストラン、トライベッカ・グリルを(ブロードウェイ・プロデューサー、スチュワート・F・レーンと共同きょうどうで)所有しょゆうしている。1990ねんにオープンした。かれはトライベッカにあるグリーンウィッチ・ホテルのオーナーでもある。デ・ニーロはパートナー、メイヤ・テパーやシェフ松久まつきゅう信幸のぶゆきとNOBUレストランやホテルと共同きょうどう所有しょゆうしている。最初さいしょのノブホテルは2013ねんにラスベガスのシーザーズ・パレスないにオープンした。2ねん、2つめのノブホテルがフィリピン、マニラのシティ・オブ・ドリームズにオープンした。2015ねん、デ・ニーロはおくまん長者ちょうじゃジェームズ・パッカーとパートナーになり、パッカーは1おくドルでノブの権利けんり20%をれた。デ・ニーロはバーブーダとう豪華ごうかなリゾート建築けんちく計画けいかくする会社かいしゃパラダイス・ファウンド・ノブ・リゾートのステークホルダーである。このバーブーダとう豪華ごうかリゾート計画けいかくは、バーブーダ土地とち収用しゅうようほう抵触ていしょくするため、バーブーダとう住人じゅうにんやバーブーダ民衆みんしゅう運動うんどうによって非難ひなんされている。

活動かつどう

1998ねん、デ・ニーロはビル・クリントン大統領だいとうりょう弾劾だんがい反対はんたいするロビー活動かつどうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく議会ぎかいたいしてった 。

2012ねん、デ・ニーロははん水圧すいあつ破砕はさいほうキャンペーン、アーティスツ・アンチ・フラッキングに参加さんかした。

私生活しせいかつ

交際こうさい

デ・ニーロは1976ねん女優じょゆうダイアン・アボットと結婚けっこんした。2人ふたり息子むすこラファエル(ニューヨークの不動産ふどうさん業界ぎょうかいはたらもと俳優はいゆう)をもうけた。デ・ニーロはまた、アボットが以前いぜん交際こうさいでもうけたむすめドレナ・デ・ニーロを養子ようしにした。1988ねんにデ・ニーロとアボットは離婚りこんした。そのはモデル、タウキー・スミスと1988ねんから1996ねんまで交際こうさいした。デ・ニーロには1995ねん体外たいがい受精じゅせい代理だいりはは出産しゅっさんでもうけた双子ふたご息子むすこジュリアンとアーロンがいる。

1997ねん、デ・ニーロは女優じょゆうグレイス・ハイタワーと結婚けっこんした。息子むすこエリオットが1998ねんまれたが、2人ふたりは1999ねんわかれた。しかし離婚りこん成立せいりつしておらず、2004ねんには復縁ふくえんした。2011ねん12月、代理だいりはは出産しゅっさんによってむすめまれた2014ねん、デ・ニーロとハイタワーはセントラル・ウェスト15にある6,000平方へいほうフィート(557平方へいほうメートル)で5つの寝室しんしつがあるアパートメントにうつった。4ねん、20ねん結婚けっこん生活せいかつののち、デ・ニーロとハイタワーがわかれたことがほうじられたデ・ニーロには4にんまごがいる。1人ひとりむすめドレナの子供こどもで、3にん息子むすこラファエルの子供こどもである。2021ねん4がつ、リモートでおこなわれた離婚りこん審議しんぎさい、デ・ニーロの弁護士べんごしはマンハッタンの判事はんじに、デ・ニーロが「ハイタワーをサポートし、滞納たいのう税金ぜいきん精算せいさんするため」に「維持いじできないペースではたらいている」と主張しゅちょうした。ハイタワーの弁護士べんごしは、夫婦ふうふが2018ねん離婚りこん申請しんせいして以来いらい、デ・ニーロがめられたハイタワーへの支払しはらいを「不当ふとうらしている」と主張しゅちょうした。

家族かぞく

まごのレアンドロ・デ・ニーロ・ロドリゲスはアカデミーしょう作品さくひんしょうにノミネートされた映画えいが『アリー/ スター誕生たんじょう』(2018ねん)に出演しゅつえんするなど将来しょうらい期待きたいされる若手わかて俳優はいゆうだったが、19さいわかさでフェンタニルの過剰かじょう摂取せっしゅにより、2023ねん7がつ2にち死去しきょしている。同月どうげつ13にち、レアンドロにフェンタニルを販売はんばいした容疑ようぎで、薬物やくぶつ売人ばいにんおんな逮捕たいほされている死去しきょしたロバート・デ・ニーロまご麻薬まやくった20さいおんな逮捕たいほ 死因しいん薬物やくぶつ過剰かじょう摂取せっしゅ 日刊にっかんスポーツ 2023ねん7がつ15にち143ふん (2023ねん7がつ16にち閲覧えつらん)。

健康けんこう

2003ねん10がつ、デ・ニーロは前立腺ぜんりつせんがんであると診断しんだんされた。かれは2003ねん12月にスローアン=ケタリング記念きねんがんセンターで手術しゅじゅつけた。

住居じゅうきょ国籍こくせき

デ・ニーロは長期ちょうきのニューヨーク市民しみんであり、1989ねんからはトライベッカ地区ちく投資とうししている。かれはマンハッタンのひがし西にし財産ざいさんゆうしている。デ・ニーロはまた、の不動産ふどうさんおも居住きょじゅうであるニューヨーク、ガーディナーに所有しょゆうしている。

2006ねん、デ・ニーロはサンズ・オブ・イタリーの反対はんたいにもかかわらずイタリアの市民しみんけんた。サンズ・オブ・イタリーはデ・ニーロが犯罪はんざいしゃえんじることでイタリアじんのパブリック・イメージをきずつけたとかんがえていた。

ワクチンへのスタンス

2016ねん、デ・ニーロは当初とうしょ物議ぶつぎかもしたドキュメンタリー映画えいが『MMRワクチン告発こくはつ』を2016ねんトライベッカ映画えいがさい上映じょうえいすることを擁護ようごしていた。デ・ニーロはこの映画えいがたいする興味きょうみ自閉症じへいしょう息子むすこエリオットとの個人こじんてき経験けいけんによるものだと説明せつめいした。映画えいがさい主催しゅさいしゃたちと科学かがくコミュニティによる会議かいぎののち、この映画えいが出品しゅっぴんはスケジュールからげられた。この出品しゅっぴん作品さくひん問題もんだいはんワクチン」映画えいがべい映画えいがさいからげに デ・ニーロ発表はっぴょうについての書面しょめんなかでエリオットが自閉症じへいしょうだと発表はっぴょうロバート・デ・ニーロ、息子むすこ自閉症じへいしょう公表こうひょうし、エリオットの自閉症じへいしょう原因げんいんはワクチン接種せっしゅによる薬害やくがいであると主張しゅちょうしているロバート・デ・ニーロとグレイス・ハイタワーが離婚りこん デイリースポーツ 2018.11.22(2020ねん2がつ23にち閲覧えつらん)。2017ねん2がつ、デ・ニーロははんワクチン営利えいり団体だんたいチルドレンズ・ヘルス・ディフェンスの議長ぎちょうロバート・F・ケネディ・ジュニアとの共同きょうどうプレゼンテーションに出席しゅっせきし、ワクチンの安全あんぜんせいたいする懸念けねんについてはなった。デ・ニーロは自身じしんはんワクチンではないが、その効果こうか疑問ぎもんっているとはなした。

暗殺あんさつ未遂みすい

2018ねん10がつ、デ・ニーロは郵便ゆうびんばくだん事件じけん標的ひょうてきとなった。ばくだんはマンハッタンのかれ製作せいさく会社かいしゃはいっているトライベッカ・グリルで発見はっけんされた。FBIによれば、たようなばくだんがバラク・オバマ、ヒラリー・クリントン、ジョー・バイデン、エリック・ホルダーもと司法しほう長官ちょうかん、ジョン・ブレナンもとCIA長官ちょうかんといった有名ゆうめい政治せいじにもおくりつけられたという。

法的ほうてき問題もんだい

1998ねん2がつ、デ・ニーロは国際こくさい売春ばいしゅんグループとの関与かんよについて、フランス警察けいさつ拘留こうりゅうされた。デ・ニーロは一切いっさい関与かんよ否定ひていした。かれはのちに「調査ちょうさにおける秘密ひみつ侵害しんがい」であるとして治安ちあん判事はんじ不満ふまんべた。デ・ニーロはフランスへはもどらないとはなしたが2011ねんカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいなど、以降いこうなんおとずれている。

1999ねん、デ・ニーロはBCプライバシーほうだい3じょう(Section 3)に抵触ていしょくするとして、バンクーバーにある「デ・ニーロズ・スーパー・クラブ」をうったえるとおどした。このレストランは名前なまえを「Section (3)」へとえた。

2006ねん、デ・ニーロのガーディナーの不動産ふどうさん所有しょゆうする土地とち信託しんたくが、固定こてい資産しさんぜい査定さていがくらすためにまちうったえた。600まんドルは高額こうがくすぎるとして、ガーディナーが位置いちするアルスターぐんたような土地とちのみと比較ひかくされるべきであると主張しゅちょうした。ハドソンがわ沿いのダッチェスぐんやコネチカットしゅうリッチフィールドぐんたような不動産ふどうさん(このような土地とちには裕福ゆうふくなニューヨーク居住きょじゅうしゃひろ土地とち不動産ふどうさんゆうしている)と比較ひかくしていたまちしゅう最高さいこう裁判所さいばんしょ勝利しょうりした。2014ねん土地とち信託しんたく弁護士べんごし控訴こうそし、まち経済けいざいてき制約せいやくにより訴訟そしょうつづけるべきかどうかまよっていた(増額ぞうがくされた税金ぜいきん支払しはらいよりも法的ほうてき費用ひようのコストのほうがはるかにたかくため)。これにより当初とうしょはデ・ニーロに同情どうじょうしていたおおくの住人じゅうにんいかりをかんじ、なかにはまち訴訟そしょうつづけるために個人こじんてき募金ぼきんつのものもいた。この論争ろんそうは『ニューヨーク・タイムズ』で報道ほうどうされた。ガーディナーまち委員いいんウォーレン・ウィーガンドはネガティブな広報こうほうにより「それをんだかれ(デ・ニーロ)は激怒げきどした」とはなした。かれ訴訟そしょうこされていたことをらなかった。信託しんたく会計士かいけいし信認しんにん義務ぎむ引用いんようして責任せきにんった。それからまもなく、デ・ニーロは訴訟そしょうからき、まち合法ごうほうな129,000ドルの請求せいきゅうはらもどすように弁護士べんごしトム・ハーヴェイに指示しじした。ハーヴェイは「デ・ニーロはまちをめちゃくちゃにしたくはない」とウィーガンドにつたえた。

2019ねん8がつ、デ・ニーロの会社かいしゃカナル・プロダクションズはもと従業じゅうぎょういんグレアム・チェイス・ロビンソンにたいして、600まんドルの訴訟そしょうこした。ロビンソンが会社かいしゃ資金しきん不正ふせい使つかって信認しんにん義務ぎむやぶってニューヨークの不誠実ふせいじつ使用人しようにん法務ほうむ違反いはんし、勤務きんむ時間じかんちゅうなんあいだもNetflixをていたという。2019ねん10がつ、ロビンソンはハラスメントとせい差別さべつけたとして、デ・ニーロを相手取あいてどって訴訟そしょうこした。

フィルモグラフィ

映画えいが

公開こうかいねん邦題ほうだい原題げんだい役名やくめい備考びこう日本語にほんご吹替
1965ねん マンハッタンの哀愁あいしゅうTrois chambres à Manhattan ダイナーのきゃく
1968ねん ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN2・黄昏たそがれのニューヨークGreetings ジョン・ルービン
1969ねん ロバート・デ・ニーロのスワップSam's Song サム
婚礼こんれい ザ・ウェデング・パーティーThe Wedding Party セシル
1970ねん まみれギャングママBloody Mama ロイド・ベイカー 曽我部そがべ和恭かずゆき
ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN1・哀愁あいしゅう摩天楼まてんろうHi, Mom! ジョン・ルービン
1971ねん のこるヤツBorn to Win ダニー 富山とみやまたかし
The Gang That Couldn't Shoot Straight マリオ
1973ねん バング・ザ・ドラムBang the Drum Slowly ブルース・ピアーソン
ミーン・ストリートMean Streets ジョン・“ジョニー・ボーイ”・シベロ
1974ねん ゴッドファーザー PART IIThe Godfather: Part II 回想かいそう登場とうじょうするわかきドン・ヴィトー・コルレオーネ アカデミー助演じょえん男優だんゆうしょう 受賞じゅしょう英国えいこくアカデミーしょう新人しんじんしょう ノミネート 青野あおのたけし日本にほんテレビばん山野井やまのいひとし(DVDばん、Blu-rayばん
1976ねん タクシードライバーTaxi Driver アカデミー主演しゅえん男優だんゆうしょう ノミネートゴールデングローブしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ドラマ部門ぶもん) ノミネート英国えいこくアカデミーしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょう ノミネート 津嘉山つかざん正種まさたね(TBSばん宮内みやうち敦士あつし(ソフトばん青野あおのたけし機内きない上映じょうえいばん
1900ねん1900 アルフレード・ベルリンギエリ 松橋まつはしのぼる
ラスト・タイクーンThe Last Tycoon モンロー・スター
1977ねん ニューヨーク・ニューヨークNew York, New York ジミー・ドイル ゴールデングローブしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ミュージカル・コメディ部門ぶもん) ノミネート 野沢のざわ那智なち
1978ねん ディア・ハンターThe Deer Hunter マイケル・“マイク”・ヴロンスキー アカデミー主演しゅえん男優だんゆうしょう ノミネートゴールデングローブしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ドラマ部門ぶもん) ノミネート英国えいこくアカデミーしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょう ノミネート 山本やまもとけい
1980ねん レイジング・ブルRaging Bull ジェイク・ラモッタ アカデミー主演しゅえん男優だんゆうしょう 受賞じゅしょうゴールデングローブしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ドラマ部門ぶもん) 受賞じゅしょう英国えいこくアカデミーしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょう ノミネート
1981ねん 告白こくはくTrue Confessions デスモンド・“デス”・スペラシー神父しんぷ 谷口たにぐちたかし
1983ねん キング・オブ・コメディThe King of Comedy, mit Jerry Lewis ルパート・パプキン 英国えいこくアカデミーしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょう ノミネート 富山とみやまたかし
1984ねん ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカOnce Upon a Time in America 津嘉山つかざん正種まさたねテレビ朝日てれびあさひばんりゅう大介だいすけ(DVDばん麦人ばくじん(VHSばん
こいにおちてFalling in Love フランク・ラフティス 大和田おおわだ伸也しんや
1985ねん 未来みらい世紀せいきブラジルBrazil アーチボルド・ハリー・タトル 池田いけだまさる
1986ねん ミッションThe Mission ロドリゴ・メンドーザ 内海うつみ賢二けんじ
1987ねん エンゼル・ハートAngel Heart ルイス・サイファー 津嘉山つかざん正種まさたね(フジテレビばん瑳川哲朗てつろうテレビ朝日てれびあさひばん
アンタッチャブルThe Untouchable アル・カポネ 小林こばやし清志きよし(フジテレビばん池田いけだまさるテレビ朝日てれびあさひばん、ソフトばん小川おがわ真司しんじテレビ東京てれびとうきょうばん
1988ねん ミッドナイト・ランMidnight Run ジャック・ウォルシュ ゴールデングローブしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ミュージカル・コメディ部門ぶもん) ノミネート 池田いけだまさるテレビ朝日てれびあさひばん樋浦ひうらつとむ(VHSばん
1989ねん ジャックナイフJacknife ジョゼフ・“ジャックナイフ”・メグス
おれたちは天使てんしじゃないWe're No Angels ネッド けん製作せいさくそう指揮しき ほり勝之かつゆきゆう
1990ねん アイリスへの手紙てがみStanley & Iris スタンリー・エヴェレット・コックス 安原やすはら義人よしひと
グッドフェローズGoodfellas ジェームズ・“ジミー・ザ・ジェント”・コンウェイ 英国えいこくアカデミーしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょう ノミネート 野沢のざわ那智なち
レナードのあさAwakenings レナード・ロウ アカデミー主演しゅえん男優だんゆうしょう ノミネート 金内かなうち吉男よしお(ソフトばん野沢のざわ那智なち日本にほんテレビばんほり勝之かつゆきゆう機内きない上映じょうえいばん
1991ねん 真実しんじつ瞬間しゅんかんGuilty by Suspicion デヴィッド・メリル 池田いけだまさる
バックドラフトBackdraft ドナルド・“シャドウ”・リムゲイル放火ほうか犯罪はんざい捜査そうさかん 小林こばやし清志きよし(ソフトばん小川おがわ真司しんじテレビ朝日てれびあさひばん羽佐間はざま道夫みちお(フジテレビばん
ケープ・フィアーCape Fear アカデミー主演しゅえん男優だんゆうしょう ノミネートゴールデングローブしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ドラマ部門ぶもん) ノミネート 樋浦ひうらつとむ(ソフトばん磯部いそべつとむテレビ朝日てれびあさひばん
1992ねん ミストレスMistress エヴァン・M・ライト けん製作せいさく 羽佐間はざま道夫みちお
ナイト・アンド・ザ・シティNight and the City ハリー・フェビアン
1993ねん こいちたら…Mad Dog and Glory ウェイン・“マッド・ドッグ”・ドビー ほり勝之かつゆきゆう
ボーイズ・ライフThis Boy's Life ドワイト・ハンセン 石田いしだ太郎たろう
ブロンクス物語ものがたり/あいにつつまれたまちA Bronx Tale ロレンツォ・アネロ けん監督かんとく製作せいさく 佐古さこ正人まさと
1994ねん フランケンシュタインFrankenstein クリーチャー 津嘉山つかざん正種まさたね(ソフトばん玄田げんだ哲章てっしょうテレビ朝日てれびあさひばん
ひゃくいちLes Cent et une nuits de Simon Cinéma 中田なかた和宏かずひろ
1995ねん カジノCasino 津嘉山つかざん正種まさたね
ヒートHeat ニール・マッコーリー   津嘉山つかざん正種まさたね(ソフトばんテレビ朝日てれびあさひばん
1996ねん ザ・ファンThe Fan ギルバート“ギル”・レナード 津嘉山つかざん正種まさたね(ソフトばん磯部いそべつとむテレビ朝日てれびあさひばん
スリーパーズSleepers ボビー神父しんぷ 大塚おおつか明夫あきお(ソフトばん羽佐間はざま道夫みちお(フジテレビばん宮内みやうち敦士あつし(Netflixばん
マイ・ルームMarvin's Room ウォーリー医師いし けん製作せいさく 小川おがわ真司しんじ
1997ねん コップランドCop Land モー・ティルディン警部補けいぶほ 津嘉山つかざん正種まさたね(ソフトばん小川おがわ真司しんじ(フジテレビばん
ウワサの真相しんそう/ワグ・ザ・ドッグWag the Dog コンラッド・ブリーン けん製作せいさく 麦人ばくじん
ジャッキー・ブラウンJackie Brown ルイス・ガーラ 津嘉山つかざん正種まさたね
1998ねん おおいなる遺産いさんGreat Expectations 脱獄だつごくしゅう / アーサー・ラスティグ 佐々木ささき勝彦かつひこ
RONINRonin サム 佐々木ささき勝彦かつひこ(ソフトばん津嘉山つかざん正種まさたね(フジテレビばん石田いしだけいゆうテレビ朝日てれびあさひばん
1999ねん アナライズ・ミーAnalyze This ポール・ヴィッティ ゴールデングローブしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ミュージカル・コメディ部門ぶもん) ノミネート 津嘉山つかざん正種まさたね(ソフトばん小川おがわ真司しんじテレビ朝日てれびあさひばん有本ありもと欽隆機内きない上映じょうえいばん
フローレスFlawless ウォルター・クーンツ 玄田げんだ哲章てっしょう
2000ねん ロッキー&ブルウィンクルThe Adventures of Rocky and Bullwinkle フィアレスリーダー けん製作せいさく 小川おがわ真司しんじ
ザ・ダイバーMen of Honor レスリー・ウィリアム・“ビリー”・サンデー 津嘉山つかざん正種まさたね
ミート・ザ・ペアレンツMeet the Parents ジャック・ティベリウス・バーンズ けん製作せいさくゴールデングローブしょう 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ミュージカル・コメディ部門ぶもん) ノミネート 樋浦ひうらつとむ
2001ねん 15ミニッツ15 Minutes エディ・フレミング 池田いけだまさる(ソフトばん磯部いそべつとむ日本にほんテレビばん
スコアThe Score ニック・ウェルズ 野沢のざわ那智なち
2002ねん ショウタイムShowtime ミッチ・プレストン 磯部いそべつとむ(ソフトばん佐々木ささき勝彦かつひこテレビ朝日てれびあさひばん
容疑ようぎしゃCity By The Sea ビンセント・アンソニー・ラマーカ 佐々木ささき勝彦かつひこ
アナライズ・ユーAnalyze That ポール・ヴィッティ 菅生すごう隆之たかゆき
2004ねん アダム -かみ使つか悪魔あくま-Godsend リチャード・ウェルズ博士はかせ 佐々木ささき勝彦かつひこ
シャーク・テイルShark Tale ドン・リノ こえ出演しゅつえん 松方まつかた弘樹ひろき
ミート・ザ・ペアレンツ2Meet the Fockers ジャック・ティベリウス・バーンズ けん製作せいさく 樋浦ひうらつとむ
サン・ルイ・レイのはしThe Bridge of San Luis Rey リマの大司教だいしきょう 日本にっぽん劇場げきじょう公開こうかい 日本語にほんご吹替ばんなし)
2005ねん ハイド・アンド・シーク 暗闇くらやみのかくれんぼHide and Seek デヴィッド・キャラウェイ / チャーリー ほり勝之かつゆきゆう(ソフトばん小川おがわ真司しんじテレビ東京てれびとうきょうばん
2006ねん アーサーとミニモイの不思議ふしぎくにArthur et les Minimoys おう こえ出演しゅつえん 富田とみた耕生こうせい
グッド・シェパードThe Good Shepherd ビル・サリヴァン将軍しょうぐん けん監督かんとく 小川おがわ真司しんじ
2007ねん スターダストStardust キャプテン・シェイクスピア 樋浦ひうらつとむ
2008ねん トラブル・イン・ハリウッドWhat Just Happened ベン けん製作せいさく 後藤ごとう哲夫てつお
ボーダーRighteous Kill トーマス・“ターク”・コーワン ほり勝之かつゆきゆう
2009ねん みんな元気げんきEverybody's Fine フランク・グッド 日本にっぽん劇場げきじょう公開こうかい 樋浦ひうらつとむ
2010ねん マチェーテMachete ジョン・マクラフリン議員ぎいん 池田いけだまさる
ストーンStone ジャック・メイブリー 小川おがわ真司しんじ
ミート・ザ・ペアレンツ3Little Fockers ジャック・ティベリウス・バーンズ 日本にっぽん劇場げきじょう公開こうかい 樋浦ひうらつとむ
2011ねん 昼下ひるさがり、ローマのこいManuale d'am3re エイドリアン 日本語にほんご吹替ばんなし)
リミットレスLimitless カール・ヴァン・ルーン 佐々木ささき勝彦かつひこ
キラー・エリートKiller Elite ハンター 樋浦ひうらつとむ
ニューイヤーズ・イブNew Year's Eve スタン・ハリス
2012ねん レッド・ライトRed Lights サイモン・シルヴァー 小川おがわ真司しんじ
フリーランサー NY捜査そうさせんFreelancers ジョー・サルコーネ 樋浦ひうらつとむ
ロバート・デ・ニーロ エグザイルBeing Flynn ジョナサン・フリン 日本にっぽん劇場げきじょう公開こうかい
世界せかいにひとつのプレイブックSilver Linings Playbook パット・ソリターノ・シニア アカデミー助演じょえん男優だんゆうしょう ノミネート 羽佐間はざま道夫みちお
2013ねん グリフィンのウエディングノートThe Big Wedding ドン・グリフィン 樋浦ひうらつとむ
キリングゲームKilling Season ベンジャミン・フォード
マラヴィータThe Family / Malavita フレッド・ブレイク / ジョヴァンニ・マンゾーニ 小川おがわ真司しんじ
ラストベガスLast Vegas パトリック・“パディ”・コナーズ 羽佐間はざま道夫みちお
アメリカン・ハッスルAmerican Hustle ヴィクター・テレジオ ほり勝之かつゆきゆう
リベンジ・マッチGrudge Match ビリー・“ザ・キッド”・マクドネン 菅生すごう隆之たかゆき
2014ねん ザ・バッグマン やみはこおとこThe Bag Man ドラグナ 樋浦ひうらつとむ
2015ねん マイ・インターンThe Intern ベン・ウィテカー 野島のじま昭生あきお
エリスEllis 本人ほんにん ショートフィルム
タイム・トゥ・ランHeist ポープ 樋浦ひうらつとむ
ジョイJoy ルディ・マンガーノ 日本にっぽん劇場げきじょう公開こうかい 野島のじま昭生あきお
2016ねん ダーティ・グランパDirty Grandpa ディック・ケリー 日本にっぽん公開こうかいは2017ねん1がつ
ハンズ・オブ・ストーンHands of Stone レイ・アーセル 樋浦ひうらつとむ
The Comedian ジャッキー・バーク 日本にっぽん劇場げきじょう公開こうかい
2017ねん うそ天才てんさい史上しじょう最大さいだい金融きんゆう詐欺さぎThe Wizard of Lies バーナード・L・マドフ テレビ映画えいがけん製作せいさくそう指揮しき
2019ねん ジョーカーJoker マレー・フランクリン 野島のじま昭生あきお
アイリッシュマンThe Irishman フランク・“ジ・アイリッシュマン”・シーラン Netflix映画えいがけん製作せいさくアカデミー作品さくひんしょうノミネート英国えいこくアカデミーしょう 作品さくひんしょうノミネート 沢木さわき郁也いくや
2020ねん グランパ・ウォーズ おじいちゃんとぼく宣戦せんせん布告ふこくThe War with Grandpa エド・マリーノ 菅生すごう隆之たかゆき
カムバック・トゥ・ハリウッドThe Comeback Trail マックス・バーバー せき輝雄てるお
2022ねん アムステルダムAmsterdam ギル・ディレンベック 佐々木ささき勝彦かつひこ
ワイルド・リベンジSavage Salvation マイク・チャーチ保安ほあんかん 日本にっぽん劇場げきじょう公開こうかい 日本語にほんご吹替ばんなし)
2023ねん キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンKillers of the Flower Moon ウィリアム・ヘイル 樋浦ひうらつとむ
About My Father サルヴォ・マニスカルコ
Ezra スタン
2025ねん Alto Knights ヴィト・ジェノヴェーゼフランク・コステロ ポストプロダクション
TBA Tin Soldier アッシュバーン ポストプロダクション

テレビ

放映ほうえいねん邦題ほうだい原題げんだい役名やくめい備考びこう日本語にほんご吹替
2001ねん セサミストリートSesame Street 本人ほんにん Hurricane, Part 3
2002ねん - 2010ねん サタデー・ナイト・ライブSaturday Night Live 本人ほんにん(ホスト) けい3出演しゅつえん
2006ねん Extra 本人ほんにんやく だい2シーズンだい6Jonathan Ross
2006ねん - 2013ねん 30 ROCK/サーティー・ロック30 Rock 本人ほんにんやく だい5シーズンだい12Operation Righteous Cowboy Lightning
2023ねん NOTHING/ナッシングNada ヴィンセント けい5出演しゅつえん 日本語にほんご吹替ばんなし)
TBA Zero Day ジョージ・マレン Netflixオリジナルシリーズけん製作せいさくそう指揮しき

プロデュース作品さくひん

  • パンサー Panther (1995ねん)※クレジットなし
  • ウィズアウト・ユー Entropy(1999ねん
  • アバウト・ア・ボーイ About a Boy(2002ねん
  • レント Rent(2005ねん

監督かんとく作品さくひん

  • ブロンクス物語ものがたり/あいにつつまれたまち A Bronx Tale (1993ねん
  • グッド・シェパード The Good Shepherd (2006ねん

制作せいさく作品さくひん

  • サンダーハート Thunderheart (1992ねん
  • ボクらを When They See Us (2019ねん) リミテッドシリーズ

受賞じゅしょうれき

アカデミーしょう

受賞じゅしょう
1975ねん アカデミー助演じょえん男優だんゆうしょう:『ゴッドファーザー PART II』なお、この式典しきてんにデ・ニーロ本人ほんにん出席しゅっせきしておらず、代理人だいりにんとしてどう作品さくひん監督かんとくであるフランシス・フォード・コッポラ受賞じゅしょうしている。
1981ねん アカデミー主演しゅえん男優だんゆうしょう:『レイジング・ブル』
ノミネート
1977ねん アカデミー主演しゅえん男優だんゆうしょう:『タクシードライバー
1979ねん アカデミー主演しゅえん男優だんゆうしょう:『ディア・ハンター』
1991ねん アカデミー主演しゅえん男優だんゆうしょう:『レナードのあさ
1992ねん アカデミー主演しゅえん男優だんゆうしょう:『ケープ・フィアー』
2013ねん アカデミー助演じょえん男優だんゆうしょう:『世界せかいにひとつのプレイブック』
2020ねん アカデミー作品さくひんしょう:『アイリッシュマン』
2024ねん アカデミー助演じょえん男優だんゆうしょう: 『キラーズオブザフラワームーン』

英国えいこくアカデミーしょう

ノミネート
1976ねん 新人しんじんしょう:『ゴッドファーザー PART II』
1977ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう:『タクシードライバー
1980ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう:『ディア・ハンター』
1982ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう:『レイジング・ブル』
1984ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう:『キング・オブ・コメディ』
1991ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう:『グッドフェローズ』
2020ねん 作品さくひんしょう:『アイリッシュマン』

ゴールデングローブしょう

受賞じゅしょう
1981ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ドラマ部門ぶもん):『レイジング・ブル』
2011ねん セシル・B・デミルしょう
ノミネート
1977ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ドラマ部門ぶもん):『タクシードライバー
1978ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ミュージカル・コメディ部門ぶもん):『ニューヨーク・ニューヨーク』
1979ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ドラマ部門ぶもん):『ディア・ハンター』
1989ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ミュージカル・コメディ部門ぶもん):『ミッドナイト・ラン』
1992ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ドラマ部門ぶもん):『ケープ・フィアー』
2000ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ミュージカル・コメディ部門ぶもん):『アナライズ・ミー』
2001ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう (ミュージカル・コメディ部門ぶもん):『ミート・ザ・ペアレンツ』
2023ねん 助演じょえん男優だんゆうしょう:『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』

ニューヨーク映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう

受賞じゅしょう
1974ねん 助演じょえん男優だんゆうしょう:『ミーン・ストリート』
1977ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう:『タクシードライバー
1981ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう:『レイジング・ブル』
1991ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう:『グッドフェローズ』、『レナードのあさ
ノミネート
1974ねん 助演じょえん男優だんゆうしょう:『ゴッドファーザー PART II』
1978ねん 主演しゅえん男優だんゆうしょう:『ディア・ハンター』

受章じゅしょう

  • 大統領だいとうりょう自由じゆう勲章くんしょう(2016ねん

日本語にほんご

おも津嘉山つかざん正種まさたね小川おがわ真司しんじ樋浦ひうらつとむ佐々木ささき勝彦かつひこ羽佐間はざま道夫みちお池田いけだまさるなどがすうおおくの作品さくひんえをつとめ、やくとしていることでられているが、樋浦ひうら大塚おおつか明夫あきお作品さくひん担当たんとう)によると、作品さくひんごとに芝居しばい調子ちょうしちがい、カメレオン俳優はいゆうばれるデ・ニーロには業界ぎょうかいなかでフィックス(専属せんぞく)とされる声優せいゆうはおらず、役柄やくがらおうじて様々さまざま俳優はいゆうこえてているという。

このほかにも、ほり勝之かつゆきゆう野沢のざわ那智なち磯部いそべつとむ野島のじま昭生あきお菅生すごう隆之たかゆき小林こばやし清志きよし青野あおのたけし富山とみやまたかし麦人ばくじん玄田げんだ哲章てっしょう宮内みやうち敦士あつしなどがふくすうかいこえてている。

参考さんこう文献ぶんけん

  • Baxter, John (2002). De Niro: A Biography. HarperCollins. ISBN 978-0-00-257196-8.
  • Dougan, Andy (2003). Untouchable: a biography of Robert De Niro. Da Capo Press. ISBN 1-56025-469-6.

外部がいぶリンク

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