俳優・水谷豊(72)が主演した日本テレビドラマ『熱中時代・先生編』(1978年・全26話)がBS松竹東急(BS260ch・全国無料放送)で放送され、好評だ。8月3日午後6時から『熱中時代2・先生編』(80~81年、全38話)の放送が決定。水谷が大ヒットドラマの誕生秘話を明かす。刑事ドラマ『相棒』との共通点とは?(取材・文=平辻哲也)
『熱中時代・先生編』は、北海道出身の純朴な小学教師・北野広大が小学生を相手に真剣に向き合い、奮闘する姿を描く。第1期は1978年10月にスタートし、初回は視聴率12.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったが、回を追うごとに人気を獲得。日本中の涙を誘った最終回(40.0%)は今も語り継がれている。
『傷だらけの天使』での探偵役を始めとしたイメージを一新し、水谷の人気を決定づけた代表作だが、日本テレビ局内では、反対派が多数だったという。
「当時、ゴールデンタイムのドラマには、役員が出席する御前会議があって、ほとんどの役員が反対したんです。『水谷豊は不良じゃないか』って、『小学生を集めて1クラス分に集めて、半年のドラマをやるなんて無理だ』と。最初はスリリングだったんですよ」と明かす。
企画を立てたのは、その同じ78年7月期に、大竹しのぶとW主演した『オレの愛妻物語』を演出した田中知己さん(2015年死去)だった。
「『オレの愛妻物語』は夫婦であることを隠して、運送会社に住み込みで働くというコメディーでした。それまでは『傷だらけの天使』に代表される不良のような役が多かったんですが、田中さんが僕の明るいコメディ性を見つけてくれて、『次はそれを活かした作品を作りたい』と言ってくれた。僕は子ども好きだったので、大勢の子どもと共演する『熱中時代』になったんです」
御前会議では、役員の一人が「田中知己がそんなにやりたいなら、やらせればいいじゃないか」といい、GOサインが出た。脚本は『西遊記』(78~79年)を手掛けたヒットメーカー、布勢博一さん(2018年死去)がメインライターを務めた。
「田中さんとは個人的な深いお付き合いもあったし、布勢さんも素晴らしい脚本家で、僕のことを分かっていらっしゃる。だから、僕に合わせて、本を書いてくださった。これはとてもラッキーでした」
題名の由来はこうだ。
「僕は、しらけ世代(※学生紛争が沈静化した反動で、世の中を冷めた目で見る、政治などに無関心な世代)の代表選手みたいに思われていた。僕自身はそんなことはないんだけれど、製作者側があえて『熱中時代』とつけたんですよ」
撮影中の苦労はほとんどなかった。
「子どもたちは最初、緊張していたと思うんですけど、環境に慣れるのが早いんですね。授業シーンの準備中の時、女の子2人がスタジオに来て、『私たち先生に謝りたいことがあります。(最初は不満があったが)先生でよかったと思いました』って(笑)。別の時には『先生、別のスタジオに◯◯さんという有名人が来ているんですけど、一緒に行ってくれませんか』と言われました。僕があいまいな態度でいると、『先生は有名人を見たくないんですか』って(笑)。子どもたちは僕を本当の先生のように思っていたんですね」
視聴率は6話(21.7%)で20%を突破し、第13話(31.8%)では30%の大台に。
「最初は『熱中時代って、熱海中学の話ですか?』と言った人もくらいでしたから、(視聴率の)数字には驚きました。僕らはやるだけやったら、あとはどうぞという感覚ですが、たくさんの方に見ていただくことができました。『相棒』もそうなんですが、見てくださる方が自分の世界を作ってくれると、大ヒットするんだと思います」
いい仕事には、プロデューサー、脚本、監督、俳優の4つがそろうこと。
「いつもいい仕事、いい作品にしたくて、集まっているつもりけれども、そうはいかないんですよ。それぞれの感性ですからね。いいと思っても、結果は見た人が決めている。ただ、結果として、いい作品には4つがそろっているんです」