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立花もも 今月のおすすめ新刊小説 木地雅映子の10年ぶり新作長編や男性の育児がテーマの作品など厳選紹介 | エンタメウィーク
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立花たちばなもも 今月こんげつのおすすめ新刊しんかん小説しょうせつ 木地きじまさ映子えいこの10ねんぶり新作しんさく長編ちょうへん男性だんせい育児いくじがテーマの作品さくひんなど厳選げんせん紹介しょうかい

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 発売はつばいされたばかりの新刊しんかん小説しょうせつなかから、ライターの立花りっかももがおすすめの作品さくひん紹介しょうかいするほん企画きかく男性だんせい育児いくじをテーマにした作品さくひん木地きじまさ映子えいこの10ねんぶりの新作しんさく長編ちょうへん、クリスマスプレゼントにも最適さいてきなものなど、今月こんげつむべき注目ちゅうもく作品さくひんあつめました。(編集へんしゅう

白岩しらいわげん『プリテンド・ファーザー』

 「おれたちには(育児いくじは)無理むりなんだよ。おんなとはそだてられかたちがうんだ」という主人公しゅじんこう同僚どうりょうのセリフに、時代じだい錯誤さくごだとかんじながらも、どこか共感きょうかんしてしまうひと男女だんじょわずいるのではないだろうか。

  つま死別しべつし4さいむすめそだてる恭平きょうへい(36さい)と、海外かいがい赴任ふにんちゅうつまにかわり1さい息子むすこ日本にっぽんそだてる章吾しょうご高校こうこう同級生どうきゅうせいである二人ふたりは、偶然ぐうぜん再会さいかいをきっかけに、恭平きょうへいがシッターの章吾しょうごやとかたち同居どうきょはじめる。だが章吾しょうごくらべて、恭平きょうへいにはどこか子育こそだての当事とうじしゃ意識いしきりない。むすめのことはあいしているし、むすめのために部署ぶしょわったことも納得なっとくはしている。

  だがどこかで、家事かじ育児いくじになわなくてはならないことに「しかたなさ」がつきまとう。本来ほんらいならばそのにんつまのものだったはずで、かわりにやっているにぎない、というような意識いしきだ。だからつまいもうとむすめ養子ようしむかえたい、ともうたときも、正直しょうじきれてしまう。自分じぶんそだてるよりもそのほうがむすめしあわせなのではないか――と。だがそれはおとこであることをいいわけにしたあまえで、げにぎないのだと、章吾しょうごとの共同きょうどう生活せいかつつうじて、恭平きょうへい自覚じかくしていく。そんな恭平きょうへい変化へんかは、おとこ社会しゃかい息苦いきぐるしさをかんじていた章吾しょうごかかえていたものも、しだいにはなっていく。

広告こうこくのちにもつづきます

 プリテンドというのは「~ふりをする」という。どこか父親ちちおやのふりをしているがする、章吾しょうごたちとの家族かぞくごっこに違和感いわかんおぼえるという恭平きょうへいに、後輩こうはい女性じょせい井口いぐちは「そんなのべつにフリでいいじゃないですか」という。「最初さいしょから仕事しごとができる人間にんげんなんていない、みんなそれらしく社会しゃかいじんのフリをしているうちにすこしずつ仕事しごとができるようになるんだ」という恭平きょうへい言葉ことばいにして。最初さいしょから〝ちゃんと〟する必要ひつようなんてない。フリでもいいから理想りそう現実げんじつえようとすることが大事だいじなのだと、背中せなかされる。いきなり全部ぜんぶわらない。でもその、ほんのちょっとの勇気ゆうきいちが、必要ひつようなのだと。

木地きじまさ映子えいこ『ぼくらは、まだすこ期待きたいしている』

 自分じぶんのためだけじゃない。大事だいじひとまもるためには、ほんのちょっとの勇気ゆうきしみしてはいけないのだと、むたび背筋せすじをただされるような気持きもちになるのが、木地きじまさ映子えいこ小説しょうせつ。「マイナークラブハウスへようこそ」シリーズなど、普通ふつうわくにおさまることのできない少年しょうねん少女しょうじょたちのたたかいをえがいてきた彼女かのじょの、10ねんぶりの新作しんさく長編ちょうへん刊行かんこうされて小躍こおどりしてしまった。んでおもう。やっぱり木地きじまさ映子えいこはサイコーだ。

 高校こうこう3年生ねんせい輝明てるあきは、優等生ゆうとうせい同士どうしというだけでなにかとペアをまされることのおおかった同級生どうきゅうせい秦野はたのあさひにある相談そうだんけられる。だが、拒絶きょぜつ同義どうぎ態度たいどをとってしまったつぎ彼女かのじょ失踪しっそう。あさひの部活ぶかつ後輩こうはいであり、母親ははおやちがおとうとこうとともに、その行方ゆくえうことになるのだが、徐々じょじょかびがってくるのは彼女かのじょ過酷かこく家庭かてい環境かんきょうだった。

 木地きじまさ映子えいこ作品さくひんではしばしば大人おとな、というよりも〝おや〟がグロテスクなてきとしてえがかれる。どもたちが〝普通ふつう〟の場所ばしょにおさまることができないのは、たいていの場合ばあいどもたちの個性こせいではなく、それをまもるどころか身勝手みがって欲望よくぼうしつぶそうとする大人おとなたちの暴力ぼうりょくゆえだ(その暴力ぼうりょくにはもちろん、言葉ことばとか、搾取さくしゅとか、物理ぶつりてきなもの以外いがい多分たぶんにふくまれる)。

 輝明てるあきもまた、おやのせいでおもすぎる背負しょわされた少年しょうねんだった。あさひをきずつけたおやもまた、かつて重荷おもに背負しょわされたどもだったとらされた輝明てるあきは、おこる。〈人間にんげんは、過去かこことだって、やろうとおもえばできるものなんだから、できなかった人間にんげんもどきをあわれんでやる義理ぎりはありませんよね!?〉と。すべての事情じじょうたいしてものわかりのいいがおをするのは、いちばん大切たいせつひとを、さらなる孤独こどく絶望ぜつぼうおとしいれることだとっているから。

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