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クルマ好きの憧れを具現化した“ガルウイング”なモデルたち・・・1980〜90年代に輝いた車&カルチャー | クルマ情報サイトーGAZOO.com

クルマきのあこがれを具現ぐげんした“ガルウイング”なモデルたち・・・1980〜90年代ねんだいかがやいたくるま&カルチャー

  • トヨタ・セラ

    トヨタ・セラ

おおくの若者わかものがクルマにあこがれた1980〜90年代ねんだい。クルマはひと荷物にもつはこ道具どうぐとしての役割やくわりだけでなく、若者わかものたちのカルチャーを牽引けんいんする存在そんざいでした。そして、ドライブがデートの定番ていばんであり、クルマをっていることがステータスでした。だからこそ当時とうじのクルマは、っていたひとはもちろん、所有しょゆうしていなかったひと、まだ運転うんてん免許めんきょすらっていなかったひとにも実体験じつたいけんとして記憶きおくきざまれているのではないかとかんじます。

そんな1980〜90年代ねんだい記憶きおくのこるクルマたちを当時とうじのカルチャーをえながらかえっていきましょう。

好景気こうけいき背景はいけいにさまざまな挑戦ちょうせんおこなわれた80-90年代ねんだい

  • トヨタ・セルシオ

    トヨタ・セルシオ

日本にっぽん空前くうぜん好景気こうけいきいた1980年代ねんだい後半こうはんから90年代ねんだい前半ぜんはん。この時期じきはさまざまな業界ぎょうかい企業きぎょう潤沢じゅんたく製品せいひん開発かいはつ予算よさんがあったといます。そして、これまで日本にっぽんメーカーがつくってこなかったようなクルマがおくされました。

たとえばトヨタ セルシオや日産にっさん シーマ。日本にっぽんしゃえばくもわるくもてい価格かかくてい燃費ねんぴ大衆たいしゅうしゃという存在そんざいでした。そこに世界せかいのプレミアムブランドにかたならべられる高級こうきゅうしゃ登場とうじょうしたことで、世界せかいからの日本にっぽんメーカーのられかたおおきくわりました。

  • 全日本ツーリングカー選手権で伝説となったR32型スカイラインGT-R

    全日本ぜんにほんツーリングカー選手権せんしゅけん伝説でんせつとなったR32がたスカイラインGT-R

日産にっさんが「1990年代ねんだいまでに技術ぎじゅつ世界一せかいいちになる」と展開てんかいした901運動うんどう集大成しゅうたいせいとして登場とうじょうしたR32がたスカイラインGT-Rは全日本ぜんにほんツーリングカー選手権せんしゅけん(グループA)で29連勝れんしょう記録きろく。その存在そんざい伝説でんせつとなり、いまなお国内外こくないがい中古ちゅうこしゃ市場いちばにおいて高値たかね取引とりひきされています。

  • ホンダ・NSX

    ホンダ・NSX

1990ねん発売はつばいされたホンダ NSXはオールアルミモノコックボディとMRレイアウトという和製わせいスーパーカーとして登場とうじょう搭載とうさいされる3L V6 DOHC VTECはNAエンジンで280psを達成たっせいしました。

1989ねん登場とうじょうしたユーノス ロードスターは絶対ぜったいてきなスペックではなく、かぜかんじながらクルマの性能せいのうをフルに発揮はっきしてクルマをあやつたのしさをわたしたちにおしえてくれました。

そしてこの時期じきには、いまとなっては“異端いたん存在そんざい”となった挑戦ちょうせんてきなモデルもおお登場とうじょうしています。代表だいひょうてきなのが、“ガルウイングドア”を採用さいようしたモデルでしょう。

視線しせんあつめることを前提ぜんていにデザインされたトヨタ セラ

  • トヨタ・セラ

    トヨタ・セラ

1987ねん開催かいさいされただい27かい東京とうきょうモーターショーでトヨタブースに展示てんじされたコンセプトカー『AXV-Ⅱ』。開放かいほうかんのあるひろいガラスめん(グラストップ)とまるみをびた姿すがた印象いんしょうてきなこのコンセプトカーは、ガルウイングドアを採用さいようしていることが最大さいだい特徴とくちょうでした。

日本人にっぽんじんにとってガルウイングドアといえば、スーパーカーブームで衝撃しょうげきけたランボルギーニ カウンタックがおもかぶはず。AXV-Ⅱのドアは正確せいかくうと、ななじょうがるバタフライドア(ちょうばたいているような姿すがたからこのようにばれています)になります。

カウンタックやおなじランボルギーニのアヴェンタドールなどが採用さいようするほぼ真上まうえにドアががるタイプはシザーズドア(ハサミがじたりひらいたりする姿すがたからこのようにばれます)、映画えいが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で有名ゆうめいになったデロリアン DMC-12やメルセデス・ベンツ 300SLのようにドアが真上まうえ垂直すいちょくがるドアをガルウイングドア(カモメがはねひろげた姿すがたていることからこうばれます)といます。

しかし当時とうじ大半たいはん日本人にっぽんじんにとって、うえがるタイプのドアはすべて“ガルウイング”とおもっていました。だから「トヨタがモーターショーにガルウイングのクルマをしたぞ!」と大騒おおさわぎになりました。

そして1990ねん3がつにAXV-Ⅱの市販しはんモデルとしてセラがデビューしました。バタフライドアはもちろん、ドア上部じょうぶまでガラスになった「グラッシーキャビン」、トランク部分ぶぶんもガラスになるスタイルなどをAXV-Ⅱから継承けいしょう。「コンセプトカーがほぼそのままのスタイルで市販しはんされた」と話題わだいになりました。

あそごころあふれたセラは、当然とうぜんのようにわかひとたちからの注目ちゅうもくあつめます。めいわすれましたが、当時とうじのファッションでもセラが特集とくしゅうされました。しつのガラスハッチをけてそこから彼女かのじょ2人ふたりみずうみにロッドをげてりをたのしんでいたり、シートをたおして満点まんてん星空ほしぞらをロマンチックな雰囲気ふんいきながめる。そんなこれまでにないカーライフが提案ていあんされていたのを記憶きおくしています。

4だいスターレットをベースに開発かいはつされたセラですが、エンジンは1.3Lではなくターセル、コルサ、カローラII通称つうしょう「タコII」でも使用しようされた1.5Lエンジンを搭載とうさい4ATくわえて5MT設定せっていされ、意外いがいとスポーティなはしりをあじわえました。

  • トヨタ・セラのシート

ひろいガラスめんにより車内しゃないそとから丸見まるみえになります。そのためだったのか、ヘッドレストが一体化いったいかされた未来みらいかんちたシートや曲線きょくせんかしたインパネなど、られることを意識いしきしたインテリアデザインが印象いんしょうてきでした。夏場なつば直射ちょくしゃ日光にっこうによる車内しゃない温度おんど上昇じょうしょう懸念けねんされるため、エアコンは大型おおがたのものを搭載とうさいしていました。

バタフライドアはダンパーによっておもいドアをげますが、ダンパー内部ないぶのオイルはぶしによってねばたびわってしまうためドア開閉かいへい影響えいきょう可能かのうせいがあります。セラはドア内部ないぶ温度おんど補償ほしょうダンパーを設置せっちすることでこの問題もんだい解消かいしょうしました。

採算さいさん度外視どがいし開発かいはつされたけいスーパーカー、AZ-1

  • マツダ・AZ-1

    マツダ・AZ-1

ガルウイングドアの日本にっぽんしゃとして代表だいひょうてきなのは、1992ねんマツダがオートザムブランドから発売はつばいしたAZ-1です。セラがバタフライドアだったのにたいし、AZ-1は正真正銘しょうしんしょうめいのガルウイングドアを採用さいよう

1954ねん登場とうじょうしたメルセデス・ベンツ 300SLを彷彿ほうふつさせる、真上まうえにドアががるガルウイングドアが軽自動車けいじどうしゃ採用さいようされたことは衝撃しょうげきてきでした。当時とうじはAZ-1以外いがいにもホンダがミッドシップでフルオープンモノコックボディのビート、スズキがロングノーズショートデッキのFRレイアウトを採用さいようしたカプチーノを発売はつばいし、この3モデルは“けいABCトリオ”とばれました。

AZ-1は軽自動車けいじどうしゃ……というよりも日本にっぽんしゃ常識じょうしきやぶ設計せっけい数々かずかずまれたモデルでした。ガルウイングドアはそのひとつにぎません。

ミッドシップレイアウトの軽自動車けいじどうしゃはすでにビートで採用さいようされていましたが、それでもおどろきをってむかえられました。軽量けいりょうのためにボディがいいたはプラスチックで製作せいさく。ガルウイングドアという複雑ふくざつ機構きこうそなえながらも車両しゃりょう重量じゅうりょうは720kgにおさえられました。その状態じょうたい剛性ごうせい側面そくめん衝突しょうとつ安全あんぜんせい確保かくほするためにサイドシルはたか設計せっけいされています。

ステアリングのギアちょうクイックで、ロック・トゥ・ロックはたった2.2回転かいてんすこしハンドルをっただけでノーズがおもちゅうはいっていくため、ドライバーはれるのが大変たいへんだったといいます。

  • マツダ・AZ-1のサイド

AZ-1のおもしろいのは、マツダのモデルなのにスズキ アルトワークスから流用りゅうようされたターボエンジンを搭載とうさいしていること。そしてサスペンションやトランスミッションもスズキせいのものが使用しようされました。それもあってAZ-1はスズキにOEM供給きょうきゅうされ、キャラという名称めいしょう販売はんばいされています。

クルマきには注目ちゅうもくされたが一般いっぱんけはしなかった

当時とうじ時代じだい背景はいけいに、物入ものいりでおくされたバタフライドア&ガルウイングドア採用さいようの2モデル。しかしどちらも商業しょうぎょうてき成功せいこうしたとはえませんでした。スーパーカーブームではあこがれの存在そんざいだったのに、なぜれなかったのか。そこにはドアの特殊とくしゅ開閉かいへい方法ほうほうならではの実用じつようせい関連かんれんしていたのかもしれません。

この時代じだい若者わかものにとってクルマは重要じゅうよう自己じこ表現ひょうげんツールであり、デートにもかせないものでした。しかしこれらのドアはりがしづらく目立めだちすぎるため、ドライブデートにさそった女性じょせいからは不評ふひょうだったといます。しかもうっかりたか制限せいげんのある機械きかいしき駐車ちゅうしゃじょうめてしまうとドアがけられなくなこともあったようです。

ルーフにまでまわんだガラスエリアの関係かんけいまど開閉かいへい非常ひじょうせまく、とくにAZ-1はなんとかせる程度ていどしかまどひらきません。ETCなどなかった当時とうじ高速こうそく道路どうろ料金りょうきんしょ通行つうこうけんれない、料金りょうきん支払しはらえないなどの問題もんだい発生はっせいし、わざわざドアをけなければいけなくとても面倒めんどうでした。

残念ざんねんながらどちらも1だいかぎりで生産せいさん終了しゅうりょうしました。しかしりょうくるまはクルマにあこがれたひとたちのゆめ具現ぐげんしたチャレンジングなモデルとして、人々ひとびと記憶きおくのこるクルマになっています。

ぶん高橋たかはし みつる<BRIDGE MAN> 写真しゃしんトヨタ自動車とよたじどうしゃ、マツダ、本田技研工業ほんだぎけんこうぎょうつつみ晋一しんいち

1980~90年代ねんだいかがやいたくるま&カルチャー