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新風はバブルの訪れとともに 2代目ホンダ・プレリュード・・・懐かしの名車をプレイバック | クルマ情報サイトーGAZOO.com

新風しんぷうはバブルのおとずれとともに 2代目だいめホンダ・プレリュード・・・なつかしの名車めいしゃをプレイバック

  • 2代目プレリュード AB BA1

バブルへとかう1982ねん登場とうじょうした、リトラクタブルヘッドライトやひくいボンネットがく2代目だいめホンダプレリュード」は、洗練せんれんされたデザインとロー&ワイドのプロポーションで一世いっせい風靡ふうび(ふうび)。その人気にんきは、“デートカー”なる俗称ぞくしょうした。

きょうねつ前夜ぜんや日本にっぽん登場とうじょう

  • 2代目プレリュード AB BA1

1980ねん日本にっぽん自動車じどうしゃ生産せいさん台数だいすうでナンバーワンになった。このとし日本にっぽんカー・オブ・ザ・イヤーにかがやいたのは「マツダ・ファミリア」である。若者わかものから絶大ぜつだい支持しじけたハッチバックしゃは、「フォルクスワーゲン・ゴルフ」からおおくをまなんだ合理ごうりてきなクルマだった。その翌年よくねん今度こんどあそごころ前面ぜんめんしたクルマがあらわれる。“トールボーイ”こと「ホンダ・シティ」だ。マッドネスのムカデダンスを使つかったCMが新鮮しんせんで、やはりホンダは面白おもしろいことをやる会社かいしゃだと印象いんしょうづけた。

シティはいいクルマだったが、メインストリームではない。時代じだい象徴しょうちょうするモデルが登場とうじょうしたのは1982ねんである。2代目だいめホンダ・プレリュードが発売はつばいされたのだ。1980年代ねんだいは、人々ひとびとがバブルにおどったことで記憶きおくされている。きょうねつ前夜ぜんや日本にっぽんで、スタイリッシュではなやかな2ドアクーペはあたらしいなみおとずれをげる前兆ぜんちょうだとめられたのかもしれない。

テレビCMでは、ヨーロッパらしい風景ふうけいのなかをおそろしくひくいフォルムのクルマがゆっくりとはしけていく。うしろにながれるのはラヴェルの『ボレロ』だ。前年ぜんねん映画えいがあいかなしみのボレロ』が公開こうかいされてだいヒットし、『ボレロ』はオシャレ音楽おんがくとしてひろ認知にんちされていた。心憎こころにく演出えんしゅつで、だれもがこのクルマにきつけられた。

なんとなくイタリアン?

  • 2代目プレリュード AB BA1

2代目だいめプレリュードは、“元祖がんそデートカー”とばれている。クルマはモテのための必須ひっすアイテムだったころだ。女性じょせいたちは、オヤジくさいセダンよりカッコいいスポーツカーをこのんだ。40ねんにはたかいSUVが人気にんきになるなんて、だれ想像そうぞうすらしていない。

ただし、プレリュードがスポーツカーではないことはあきらかだ。それなりに先進せんしんてきなメカニズムを採用さいようしていて、CMでは「CV-DUAL CARB. 12VALVESE ENG.」「DOUBLE WISHBONE SUS.」「W.ANTI LOCK BRAKE」という文字もじほこらしげにしめされる。最後さいごにアナウンスされるキャッチコピーは「FFスーパーボルテージ」。ちょっと意味いみがわからない。

ようするにスペシャルティーカーなのだが、あたらしさをアピールしたかったのだろう。ロー&ワイドのボディーはボンネットが異様いようひくく、リトラクタブルしきのヘッドライトによって先端せんたん極限きょくげんまでうすくなった。空気くうきいてちょう高速こうそくはしりそうだが、エンジンは1.8リッターSOHC。最高さいこう出力しゅつりょくは125PSである。のちに2リッターDOHCエンジンが追加ついかされるが、それでも160PSだった。

ボディーカラーはあか人気にんきだった。プレリュードというくるまめい前奏ぜんそうきょく意味いみする英語えいごなのだが、なんとなくイタリアンなイメージがあったからだろう。はるかかなたにフェラーリの幻影げんえいていたのかもしれない。スーパーカーブームをおぼえているひとたちは、プレリュードにかつてのあこがれのクルマをかさねていた。

ライフスタイルの演出えんしゅつにもひとやく

  • 2代目プレリュード AB BA1

プレリュードにこいをした女性じょせいたちは、助手じょしゅせきあまんじなかった。自分じぶん愛車あいしゃとして購入こうにゅうしたのである。パステルカラーでかざった“女性じょせい仕様しよう”の軽自動車けいじどうしゃ花盛はなざかりだったが、「ファンシーなクルマなんてイヤ!」と反旗はんきひるがえしん世代せだい女性じょせいえてきていた。スポーティーで都会とかいてきなクルマにることで、洗練せんれんされたセンスを演出えんしゅつすることができたのだ。

ぼくちかくでも、プレリュードをった女性じょせいがいた。1983ねん出版しゅっぱんしゃはいり、女性じょせい編集へんしゅうしゃとしてはたらいていたので、仕事しごと仲間なかまには女性じょせいおおかったのだ。彼女かのじょはスタイリストだったのだとおもう。直接ちょくせつ仕事しごとたのんでいたわけではない。仲間なかまあそ仲間なかまということになる。毎晩まいばんのように六本木ろっぽんぎ西麻布にしあざぶかけると、だれかがかねっていた。交際こうさいという名目めいもくだったのか、なんらかの方法ほうほうであぶくぜにれたのかはわからない。だれにしていなかった。

しでさほどかせいでいたとはおもえない彼女かのじょだが、免許めんきょってすぐにプレリュードをった。やはりかねどころはよくわからない。とにかく新車しんしゃれたのである。1983ねん解禁かいきんされたばかりのドアミラー仕様しようだ。オートマチックトランスミッションで、ガングリップタイプのシフトセレクターがいていた。

披露目ひろめしたいというので、彼女かのじょ実家じっかがある大宮おおみやまで何人なんにんってりにいった。ガレージにはおとうさんのセダンとならんでなプレリュードがオシャレかんりまいている。ドアをけてシートをたおし、こうせきったらやたらにせまい。デートカーなんだから、2人ふたりでドライブするためのクルマなのである。いざ出発しゅっぱつ、となってもうごかない。サイドブレーキの解除かいじょわすれていた。メーターをると、走行そうこう距離きょりは200kmちょっと。運転うんてんれていないのだ。

バブルがはじけデートカーもえた

  • 2代目プレリュード AB BA1

なんとかとおりにたものの、青信号あおしんごうなのにブレーキをんだり、左折させつするのにみをおそれて大回おおまわりしたり、まともにはしれない。スピードは法定ほうてい速度そくどをはるかに下回したまわっていたから、安全あんぜんではあった。終始しゅうし低速ていそく走行そうこうだったおかげで、バンプをえたときにストロークのすくないサスがしたづきすることはなかったのはさいわいである。当時とうじ評論ひょうろんからはスタイル優先ゆうせんあしまわりが酷評こくひょうされていた。

運転うんてん自信じしんがなくても、カッコがってプレリュードをったひとおおかったのだろう。とくはしりがよかったわけでもなく、運転うんてんきに興味きょうみたれたクルマではない。1980年代ねんだいわりには日本にっぽんしゃ性能せいのうでも世界せかいのトップをうかがうようになり、バブルがわってデートカーの需要じゅようえうせた。

彼女かのじょは1ねんほどでプレリュードを手放てばなし、以降いこうはクルマをっていない。しばらくすると、写真しゃしん勉強べんきょうをするとってフランスに旅立たびだっていった。それから15ねんほどのち仕事しごとのためにパリにったとき、ひさしぶりに連絡れんらくしてビストロを案内あんないしてもらった。クルマにはっていないという。パリでは必要ひつようがないのだ。

ワインのいもあったのか、フランスじんかれがいるがいまはスペインじん男性だんせいさそわれてまよっている、といらないことをはなす。彼女かのじょのなかではまだバブルのかれ気分きぶんつづいているようにおもえ、ふる記憶きおくがよみがえった。

ぶん鈴木すずき真人まさと

プレリュードが愛車あいしゃのカーライフ