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《松浦寿輝×星野太》「多文化共生」は美辞麗句にすぎないのか? 「わたしたち」を問い直すパラサイトたちの肖像(松浦 寿輝,星野 太) | 群像 | 講談社(1/3)

松浦まつうら寿ことぶきあきら×星野ほしのふとし》「文化ぶんか共生きょうせい」は美辞麗句びじれいくにすぎないのか? 「わたしたち」をなおすパラサイトたちの肖像しょうぞう

変容へんようするパラサイトのテーマを追求ついきゅうした評論ひょうろんしゅう食客しょっきゃくろん星野ほしのふとしちょ)となまぐさい戦争せんそうのただなか友情ゆうじょうえがいた香港ほんこん陥落かんらく松浦まつうら寿ことぶきあきらちょ)。

刊行かんこう記念きねんしておにん対談たいだんしていただきました。

群像ぐんぞう4がつごう掲載けいさい対談たいだん一部いちぶさい編集へんしゅうしたうえまえへんへんにわけて公開こうかいします。

不穏ふおん不逞ふていほん


松浦まつうら 星野ほしのさんのご新著しんちょ食客しょっきゃくろん』をたのしくませていただきました。この優雅ゆうがほんは、一種いっしゅ人物じんぶつ列伝れつでんだけど、自由じゆう連想れんそうはたらきでがれていったからなのか、意外いがいわせの人名じんめいならんでいて、それをつらぬ中心ちゅうしんテーマが「食客しょっきゃく」なんですね。

崇高すうこう概念がいねんをめぐる大著たいちょ崇高すうこう修辞しゅうじがく』では、堅実けんじつ人文じんぶん科学かがく研究けんきゅうしゃとしてっておられた星野ほしのさんが、ここではかたちからいたゆるやかな心身しんしんのたたずまいをせていらっしゃる。こうした自由じゆうなエッセイでもめざましい才能さいのう発揮はっきされたことをうれしくおもいました。

星野ほしの ありがとうございます。

松浦まつうら 「食客しょっきゃく」というモチーフにはいろんな背景はいけいがあるとおもうので、あとでゆっくりおうかがいしたいとおもうんですけども、ぼく最初さいしょは、「食客しょっきゃく」というのは会食かいしょくしゃ(convive)のことかとおもったんです。

 convivialitéの概念がいねん、「とも食卓しょくたくかこむこと」をめぐる哲学てつがくてき考察こうさつなのかとおもったんだけれども、じつ意外いがいにも、もっとずっと不穏ふおん主題しゅだい─むしろ寄生きせいとかパラサイトという概念がいねんをめぐる論考ろんこうだった。

 このほん魅力みりょくは、ロラン・バルトの「いかにしてともきるか」という講義こうぎからはじめて、ひとからひとへ、主題しゅだいから主題しゅだいへとうつっていくながれのなかで、パラサイト(食客しょっきゃく)のイメージと概念がいねん徐々じょじょ変容へんようつづけるというのか、ゆるやかに振動しんどうつづけているところだとおもうんです。厳密げんみつな、一義的いちぎてき定義ていぎ最後さいごまであたえないわけですね。というか、それをこばんでいる。

 概念がいねん輪郭りんかく意図いとてき曖昧あいまいにしておくという、戦略せんりゃくというか一種いっしゅのたしなみをえらばれた。いろんなひとのいろんなテクストとの、そのつどしょうじるなか偶発ぐうはつてき化学かがく反応はんのうみたいなものを体感たいかんしつつ、「食客しょっきゃく」の主題しゅだい意味いみじょうれたりぶれたりするさまを、たのしんでおられるように見受みうけられました。そしてその変容へんよう現場げんば丁寧ていねい言葉ことばにされている。

 しかし、註をると非常ひじょう周到しゅうとうにレフェランスをさえていて、研究けんきゅう論文ろんぶんでは全然ぜんぜんないんだけれども、ここでは星野ほしのさんのアーカイブにたいするきわめて真剣しんけん献身けんしんてき姿勢しせいしめされている。ゆるやかに変容へんようし、かつ振動しんどうつづける「食客しょっきゃくろん流動的りゅうどうてき運動うんどうが、最終さいしゅうてきにはアーカイブの空間くうかん見事みごとにつなぎめられている、そういう趣向しゅこうほんなんだとおもいます。

 エッセイの形式けいしきとしてもあまりたことのないあたらしい姿すがたをつくりされたとおもったし、パラジットというテーマにかわれたモチーフのひとつとして、ここじゅうすう年来ねんらい、ずっともてはやされつづけている「共生きょうせい」という行政ぎょうせいてき流行りゅうこうたいする違和感いわかんというか、居心地いごこちわるさがそこながしているわけですね。

文化ぶんか共生きょうせい」だの「他者たしゃへの寛容かんよう」だのといったスローガンは結局けっきょく美辞麗句びじれいくというか抽象ちゅうしょうてき美談びだんでしかないのではないか、と。穏和おんわきぶりとは裏腹うらはらの、そういうかなり辛辣しんらつ批評ひひょうてき視線しせん全編ぜんぺんわたってもいる。文章ぶんしょう自体じたいはたいへん典雅てんが堅実けんじつ文体ぶんたいかれているけれど、じつはけっこう不穏ふおん不逞ふていほんなんじゃないかとおもいました。

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