ドイツの国防意識
11月初め、ドイツのボリス・ピストリウス国防相が、「ドイツ軍は再び戦争遂行能力のある軍隊にならなければならない」と言ったので、皆が腰を抜かしそうになった。「ドイツ軍」と「戦争」という言葉が完全にミスマッチになって以来、すでに30年が経とうとしているからだ。
ピストリウス氏が国防相の任に就いたのが今年の1月。氏が本気でドイツ軍の改革を望んでいるなら前途は多難だ。
ドイツ軍のポンコツぶりは有名で、すでに10年以上も前から、戦車が動かない、戦闘機が飛ばない、標準装備の自動小銃の照準が合わないなど、多くの欠陥が指摘されていたが、一番の問題は、誰もそれを問題だと思わなかったことだ。
それまでの国防相は、2013年以来、3人続けて女性。しかも、国防などとはあまりにも縁のなさそうな人物ばかりで、軍備の充実よりも、女子の兵隊募集のために託児所付きの職場をアピールしたり、兵士の右翼思想の一掃に力を注いだり。
さらに緑の党が政権に入ってからはそこに温暖化対策が加わって、酪農はメタンガスを排出するから気候に悪いという理由で、基地の食堂から肉料理が削られたりしていたという。野菜と豆腐をあてがわれ、有事の際にはしっかり戦えというのは酷な話だ。
つまり問題は、この“お花畑”的状況を「戦争遂行能力のある軍隊」にどうやって結びつけるか。戦争は悪であり、愛国心すらあまり良いものとは捉えられていないのが昨今のドイツの風潮だから、ピストリウス氏の掲げた「メンタリティの転換」は口でいうほど簡単ではないだろう。
ドイツ人と日本人の軍事に対する感情はよく似ている。兵隊は、災害救助に駆けつければ褒められるが、武器を取った途端に白い目で見られる。米軍に軍事費を上げるよういくらせっつかれても、政府がのらりくらりと交わし続けていたところもそっくりだ。
それどころかドイツでは、「戦争好きの輩」に対する感謝の念は、日本人が自衛隊に持っているほどもない。軍事費は少なければ少ないほど良く、だから、戦車が整備不良で機能しなくても気にする者はいない。そうするうちに当然ながら、国防は国民の興味から完全に外れていった。
しかし、ひょっとするとメルケル氏は、故意にこの状況を作ったのではないか。思えば難民の大量受け入れも、脱原発の前倒しも、国民を熱狂させながら魔法のように進めた氏だったが、そのどちらもが、今、国家にとって決定的なダメージとなっている。それと同じく、国防意識の低下もやはり間違いなくドイツの弱体化に繋がる。これは果たして偶然なのかというのが私の疑問だ。
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