言語学者として、
作家として
活躍する
川添愛さん。
音声学・
音韻学の
専門知識をいかしてジャンルを
超えた
活動を
続ける
川原繁人さん。
言語哲学の
知見をテーマとしたエッセイが
支持を
集める
三木那由他さん。それぞれの
立場から「ことば」をめぐって
第一線で
活動を
続けている3
人の
鼎談イベントが、
先日、ブックファースト
新宿店で
行われました。その
内容を
再編集して2
回にわたってお
届けします。
後編は、
研究者になったきっかけの
話から。(
【前編】ChatGPTの背後に人間はいるか?はこちらから)
この道に進んだ理由
川原 三木さんはなぜ哲学を学ぶようになったのですか?
三木 哲学に興味を持ったのは高校生のときです。私は、中学、高校とほぼ不登校で、たまに学校に行くと図書室で本を読んでいました。中学の頃は主に小説を読んでいたのですが、高校に入ってちょっと背伸びして小説以外も読んでみようかと手に取ったのが西田幾太郎とデカルトだったんです。
川原 高校生でデカルトを手にしたってすごいですね。
三木 でも『方法序説』は100ページぐらいの薄い本でそこまで難しくないんですよ。西田幾太郎は全然わからなくて、『方法序説』もそこまで惹きつけられなかったのですが、その流れでニーチェなども読むようになって、哲学という学問があるんだと思いました。文学部の哲学専攻に進んだのは、当時は社会に対する疎外感みたいなものがあって、できるだけ世の中の役にたないと思えるものを選んだからというとネガティブない方になってしまいますが、そういう面もありました。でも、大学2年のとき講義でトマス・アクィナスの話を聞いて、哲学がすごく面白くなったというのもあるんですよ。おふたりが言語学を学び始めたのは、どんなきっかけだったのですか?
川添 私は、大学で文学部に進んだものの、何を勉強するかは決めていなかったんですね。オリエンテーションで行った言語学の研究室で、先生に何でも質問していいよと言われて、「お天気が下り坂って言いますけど、上り坂って言わないのはなぜですか?」といったことを聞いたんです。そうしたら「そんなことが気になるのは言語学者に向いている」とほめられて嬉しくなって入ったという感じです。もともと目のつけどころには少し自信があって、中学、高校時代も、お笑い芸人のもの真似も人がやらない側面からやってすごくウケたりして、自分のそういうところをいかせることはないかな、と考えていたりしていたところがあって(笑)。それで言語学の世界に入ったのが運の尽きだったというか(笑)。
川原 私はもともと英語が勉強したくて、交換留学の制度が充実している国際基督教大学に入ったんですね。高校生のときには、周りに心配されるぐらい英語しか勉強していなかったのですが、あるとき「あれ⁉ 日本語も面白い!」と思うようになった。大学1年生の3学期目、日本語教育と言語学を両方、研究している先生の講義を受けていたんですが、そのレポートで「自分の会話を5分間録音しなさい。その中から面白いと思われる現象を分析しなさい」という課題を出されたんです。それで「が」や「に」のような助詞を全部抜き出して、それぞれの助詞のさまざまな使い方の分析をしたんですね。そうしたら、「日本語って何て複雑なんだ!」という驚きがあって。
川添 それは面白いですね。
川原 3年生になって交換留学でアメリカの大学に行きました。そこで言語学の中でも、口の中がどういう仕組みになっていて、それが言語のパターンにどう影響するのかなどを研究する音韻論という分野の面白さに出会ってしまいました。そこで、もともと理系少年だった自分と言語に興味を持っている自分が融合して、「これしかない!」って思った瞬間があったという感じです。じつは、父親は物理学者で、私は数学もそれなりにできていたし生物も好きだったので、理系に進学してほしかったようなのですね。父親に人生を決められたくなくて言語学という反対側に進んだところもあるのですが、悔しいことに親父の呪縛から逃れられませんでしたね(笑)
川添 ある意味運命というか(笑)、そういうジャンルに出会ったのは素晴らしいですね。
「どんな役に立つの?」と聞かれたら
川原 ところで、言語学や哲学ってどんな役に立つの?と聞かれたとき、どのように答えていますか?
三木 川添さんは『ふだん使いの言語学』の「まえがき」でもそのことについて触れていますよね。
川添 はい、書いていますけれども、難しい問いですよね。言語学を学ばなかったらいま文章を書く仕事をしていなかったと思うし、そういう個人の経験からの話はするのですが、最近はもっと踏み込んで語ってもいいかなと思うようになりました。皆さん、言語学に興味を持ってはくださるんですが、雑学としてとらえている人も多いと思うんです。言語学が役に立つとストレートに言えるのは、ひとつは教育ですよね。たとえば日本語教育では、日本語を外国語として学んでいる人に対して、日本語ではこうなっている、ということを、体系立てて理解していないと教えられない。そんなことを、もっと言っていってもいいかなと思っています。
川添 役に立つ、というい方とは少し違うかもしれないけれども、三木さんのエッセイは、言葉のコミュニケーションに悩んでモヤモヤを抱えた人の気持ちをすっきりさせてくれると思います。川原さんも、声優のボイストレーニングにどういう根拠があるのかといったことについて、専門家として書かれたりしていますよね。
三木 川原さんは、ALSの患者さんを対象にしたコミュニケーション支援のシステムのお手伝いもされているんですよね。
川原 ALSは神経性の難病で、病状が進行するとだんだん発声も難しくなっていくのですが、患者さんご自身の声を音素ベースでとりためておいて、それを使ってパソコンに入力した文章を自分自身の声で再生できるマイボイスというソフトウェアがあります。2013年からそのプロジェクトのお手伝いをしているんですね。テレビのドキュメンタリー番組で観たのがきっかけで、主宰されている作業療法士の先生に手紙を書いて、一緒にやらせていただくようになりました。もともと私は、言語学は何の役に立つのか、ということについてガチに悩んでしまうタイプだったので、このプロジェクトには非常に救われました。
三木 そういうことをきちんと考える研究者はいいなと思います。
川原 今思い返せば、「もっと自分のやっている学問に自信を持って堂々としろよ」って、過去の自分に対して思ったりもしますけどね。
本当に悩まなくなったのは、『絵本 うたうからだのふしぎ』を共著で出すことになったゴスペラーズの北山陽一さんと出会ってからです。3年前に初めてお会いしたときからずっと、「川原先生、歌を歌う人にとって音声の仕組みを知っておくことがいかに役に立つかわかってますか!?」って、すごい熱量で言い続けてくださっているんですね(笑)。彼のおかげで、「役にたない」という悩みはなくなったかもしれません。
川原 三木さんは「哲学はどんな役に立つのか」と聞かれることはありますか?
三木 そうですね。大学院時代には「哲学なんか役にたないだろう」と言われたりしましたが、最近はそういうことは以前より減りました。逆に「哲学って役に立ちますよね」と言われることがやけに増えているように感じて戸惑うことがあります。学生にも「哲学はやっぱり必要ですよね」とか「あらゆる科学の基礎になりますよね」と言われることがあります。
川原 その変化の原因をどう思われますか?
三木 私も理由はよくわからないんです。「哲学は役に立つんですよね?」とあまり強く言われると、むしろ「哲学」が他の学問に比べて特権的であるとか、学んだらよい人間になれるといったことはない、と話しています。ほかの分野にも敬意や関心を持ってほしいし、「哲学を学べばそれでよし」とも思ってほしくないので。
でも役に立つ、立たないよりもいちばんよく訊かれるのはなんといっても「哲学って何をするの?」ですね。それには、哲学とは、私たちが世界を認識するときに使う概念を研究する学問で、概念そのものを分析してその正体を見極めようとする人もいれば、その概念の成り立ちやその概念をめぐるこれまでの議論について歴史的に研究する人もいる、といった説明をします。そのうえで、そのような過程で哲学者たちは新しい理論や概念を作ってきた、だから哲学を学ぶことによって、世界を見るフレームワークのレパートリーを増やすことはできる、と話しています。疑問や悩みをバシッと解消してくれるわけではないけど、違う解像度と色合いで世界を見ることができるようになるのでは、と思うのですよね。
【前編】ChatGPTの背後に人間はいるのか? 川添愛×川原繁人×三木那由他