パリ五輪の前哨戦となる、バレーボール女子のネーションズリーグ(NL)の決勝大会は20日にタイ・バンコクで開幕する。3大会ぶりの五輪メダルの期待がかかる日本は17日、開催地へ向かった。古賀紗理那(28)=NEC=の母校・熊本信愛女学院高バレーボール部で、3年間指導した堤政博監督(40)が17日までにスポーツ報知の取材に応じ、主将として日本を6大会連続14度目の五輪に導いたまな弟子にエールを送った。
教え子の成長がうれしかった。堤監督は、NL1次リーグ(L)福岡大会で古賀が高校卒業後、試合を初観戦。客席から日本代表の主将として五輪切符獲得に貢献したまな弟子を見つめ「すごくたくましくなっていました。パリも決まって良かったですね」と頬を緩めた。
古賀は中2年時に同高の練習に参加。堤監督の第一印象に残ったのは多彩なスパイクだった。当時から長身だったが「小さい選手がするようなプレーをする」と細かな技術に目を見張った。ブロックアウトを狙ったり、強打だけでなくフェイントをまぜた攻撃を繰り出すセンスに驚かされた。
日本代表で主将3季目となった古賀の原点は、高校時代にある。堤監督は古賀をチームの主将に指名。古賀は自分に厳しいが仲間には「相手が嫌な思いをする」と優しい性格から厳しく言えず、最初は「キャプテン嫌です。無理です」と断ってきた。だが、「役職に就かないと分からないこともある。今後のため」と堤監督は将来を見据えて託した。
3年間記したバレーノートには前向きな言葉が並んだが、主将になると「どうしたらいいか分からない」と悩むことも。チームを引っ張る中で改善策が浮かんでも相手に気を使い、言葉にできない。U―19代表の海外遠征で離脱する日も多かった。過酷な遠征で内臓疲労を起こし、約2週間で約8キロ体重が落ちたり、左足甲を疲労骨折もし、3か月間休んだ時期もあった。
それでも、貪欲な主将は「練習をやらせてください」と何度も志願。堤監督が「休まんばいかん」と必死にセーブするほどだった。古賀の姿勢を見た仲間たちもその胸中を理解しようと努力。控え選手に「もっと紗理那の気持ちを言って」と言われ、チームは結束した。今大会で古賀が日本のチームメートにはっきり伝える雄姿を見て「そんな風に言えるようになったか」と恩師は目を細めた。
22年末、古賀は男子代表の西田有志(24)と結婚を発表。男女エース同士の結婚は大ニュースとなった。数日後、熊本信愛女学院高はNECと合宿を共にし、堤監督が「おめでと~」と伝えると「色々あって言えなかったんです。すみません」と正直に話した。堤監督は「(夫と)一緒にいることで、自然と考え方が前向きになるのか。弱さより強さが見えるようになった」と変化も感じたという。人生の伴侶を得て強くなった日本の主将は、花の都でもチームをけん引する。(宮下 京香)
◆主な夫婦で同時五輪出場
夏季は1964年東京大会で体操の小野喬・清子夫妻が出場。04年アテネ大会・女子柔道48キロ級で金の亮子、野球で銅の佳知の谷夫妻は同時にメダルを獲得。冬季は64年インスブルック大会スピードスケートの長久保文雄・初枝夫妻、02年ソルトレークシティー大会バイアスロンの菅恭司、弘美夫妻、22年北京大会でフィギュアスケート団体銅のアイスダンス・小松原美里、尊組らがいる。