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「戦闘指揮所」の版間の差分 - Wikipedia

戦闘せんとう指揮しきしょ」のはんあいだ差分さぶん

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25ぎょう:
[[だい世界せかい大戦たいせん]]のまえまでは、軍艦ぐんかんにおける戦闘せんとう指揮しきは、[[艦長かんちょう]]が[[艦橋かんきょう]]に位置いちし、そこから指揮しきっていた。これは、戦闘せんとう指揮しき必要ひつようなものが[[無線むせん通信つうしん]]をのぞき、[[肉眼にくがん]]でえることだけでんだためである。敵艦てきかん自艦じかんとの位置いち関係かんけい把握はあく視認しにん範囲はんいないすべてであった。
 
[[1930年代ねんだい]]後半こうはんから[[1942ねん]]にかけて、のちにCICコンセプトにつながる様々さまざまこころみがおこなわれた。[[イギリス空軍くうぐん]]は、[[レーダー]]技術ぎじゅつ発達はったつにともない、これを活用かつようするために[[:en:Filter Room|フィルター・ルーム]]・コンセプトを開発かいはつした。これはかく[[レーダーサイト]]が目標もくひょう情報じょうほう集中しゅうちゅう処理しょりして、[[要撃ようげき]]にたいする[[航空こうくう交通こうつう管制かんせい|管制かんせい]]に活用かつようするものであり、[[GCI|地上ちじょう要撃ようげき管制かんせい]]の原型げんけいであるとともに、洋上ようじょうにおけるCICコンセプトの原型げんけいでもあった。[[1940ねん]]の[[バトル・オブ・ブリテン]]において、このコンセプトはきわめておおきな効果こうかげた。[[バトル・オブ・ブリテン]]における[[RAF]]はイギリス沿岸えんがん点在てんざいする22箇所かしょのCHだか高度こうどレーダー監視かんししょ、29箇所かしょのCHL高度こうどレーダー補助ほじょ監視かんししょおよび31箇所かしょ内陸ないりく監視かんししょをロンドン近郊きんこうアクスブリッジの中央ちゅうおう防空ぼうくう指揮しきしょ統括とうかつし、かく防空ぼうくう管区かんくからの情報じょうほう専用せんよう電話でんわ回線かいせんとテレグラムで集計しゅうけい。リアルタイムでドイツぐん攻撃こうげきたい位置いち把握はあくして適当てきとうなう戦闘せんとう中隊ちゅうたい出動しゅつどう命令めいれいくだすという手法しゅほうられた。戦闘せんとう中隊ちゅうたい出撃しゅつげき逐次ちくじ無線むせん誘導ゆうどうけ、最短さいたん迎撃げいげきポイントにかうことが可能かのうだった。てき味方みかた部隊ぶたい盤上ばんじょうこまとしての把握はあくされ、識別しきべつのための[[IFF]]の搭載とうさいふくめてCICの基礎きそはここで確立かくりつされら。
このことから、[[大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん]]による[[真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき]]の直後ちょくごから、[[アメリカぐん]]もフィルター・ルーム・コンセプトの導入どうにゅう着手ちゃくしゅし、ウィリアム・テイラー海軍かいぐん少佐しょうさとバーキスト陸軍りくぐん中佐ちゅうさ中心ちゅうしんとした委員いいんかいが、[[:en:SCR-270 radar|SCR-270レーダー]]をセンサーとした地上ちじょうシステムを構築こうちくした。<ref>{{Cite web|author=www.vectorsite.net|date=2001ねん3がつ11にち|url=http://www.vectorsite.net/ttwiz_04.html|title=Microwave Radar At War (1)|language=英語えいご|accessdate=2011ねん9がつ2にち}}</ref>またこれに先駆さきがけて、[[1941ねん]][[8がつ]]には、[[アメリカ海軍かいぐん]]の空母くうぼ艦上かんじょうに、フィルター・ルームと同様どうよう防空ぼうくう戦闘せんとう指揮しきしょ設置せっちされ、これが艦上かんじょうにおけるCICコンセプトのはつ適用てきようとなった。これは、急速きゅうそく展開てんかいしていく航空こうくう戦闘せんとう様相ようそう対応たいおうし、また、レーダー探知たんちなど、視認しにん不能ふのうてき情報じょうほう適切てきせつ把握はあくするため、情報じょうほう統合とうごうてき集中しゅうちゅう処理しょりするものであった。<ref name="Nogi1">{{Cite journal|和書わしょ||author=[[野木のぎ恵一けいいち]]||year=2006||month=8||title=システムとしての艦隊かんたい防空ぼうくう||journal=[[世界せかい艦船かんせん]]||issue=だい662しゅう||pages=98-103ぺーじ||publisher=海人あましゃ}}</ref>
 
一方いっぽう海洋かいようせんにCICコンセプトを適用てきようするこころみは、これらとは別個べっこ着手ちゃくしゅされた。1942ねんの[[だいさんソロモン海戦かいせん]]および[[ルンガおき夜戦やせん]]において、新型しんがたの[[SG (レーダー)|SG]]たい水上すいじょうレーダー装備そうびの[[駆逐くちくかん]][[フレッチャー (DD-445)|「フレッチャー」]]の副長ふくちょうであった[[:en:J.C. Wylie|J・ワイリー]]少佐しょうさは、艦橋かんきょう隣接りんせつした海図かいずしつで、レーダーを直接ちょくせつ操作そうさして艦長かんちょう必要ひつようとするレーダー情報じょうほうつたえるとともに、[[内線ないせん電話でんわ]]によって砲術ほうじゅつちょう水雷すいらいちょう緊密きんみつ連絡れんらくり、艦長かんちょう戦闘せんとう指揮しききわめて効率こうりつてき補佐ほさした。これは事実じじつじょう、アメリカ海軍かいぐん史上しじょうはじめてCICコンセプトが創出そうしゅつされたれいであり、このこうによってワイリー少佐しょうさは[[シルバースター]]を授与じゅよされるとともに、[[1943ねん]]より、駆逐くちくかんにCICコンセプトを適用てきようするためのプロジェクト・チームに参加さんかすることとなった。このチームは、[[:en:Cal Laning|C・ラニング]]中佐ちゅうさ主導しゅどうに、ワイリー少佐しょうさのほか、[[ジョージ・フィリップ|G・フィリップ]]少佐しょうさ、R・ブックマン少佐しょうさ参加さんかしていた。このチームは2ヶ月かげつで、駆逐くちくかんにCICを導入どうにゅうするためのハンドブック([http://destroyerhistory.org/assets/pdf/430624CICHandbook.pdf ''C.I.C. Handbook for Destroyers Pacific Fleet''])を作成さくせいし、これはまもなくぜん海軍かいぐん配布はいふされることとなった<ref>{{Cite book|和書わしょ|author=[[大熊おおくま康之やすゆき]]|year=2011|title=戦略せんりゃく・ドクトリン統合とうごう防衛ぼうえい革命かくめい|publisher=[[かや書房しょぼう]]|isbn=978-4-906124-70-1}}</ref>。