尊師そんしマーチ(そんしマーチ)は、オウムソングの一ひとつ。元もととなった麻原あさはら彰晃しょうこうマーチについても記述きじゅつする。
覚おぼえやすく軽快けいかいなメロディーが特徴とくちょうである。オウム真理教おうむしんりきょうの作成さくせいした他ほかの楽曲がっきょくと同様どうよう、バックのオーケストラにはシンセサイザーを用もちいていると推測すいそくされる。
尊師そんしマーチの元もととなった彰晃しょうこうマーチは、1990年ねん(平成へいせい2年ねん)の第だい39回かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいん総そう選挙せんきょに出馬しゅつばした真理しんり党とうと麻原あさはら彰晃しょうこうのPRソングの一ひとつとして作曲さっきょくされ、出馬しゅつば前年ぜんねんの1989年ねん(平成へいせい元年がんねん)に麻原あさはらの自宅じたくマンションにてレコーディングされた後のち[1]、同年どうねん中ちゅうに完成かんせい・公表こうひょうされた。当時とうじ、教団きょうだんについて積極せっきょく的てきな情報じょうほう収集しゅうしゅうを行おこなっていた弁護士べんごし・坂本さかもと堤つつみは生前せいぜんに、知人ちじんの江川えがわ紹子(えがわしょうこ)の前まえで「しょうこーしょうこー」と歌うたってみせている[2]。
歌詞かしには麻原あさはらが立候補りっこうほした衆議院しゅうぎいん東京とうきょう第だい4選挙せんきょ区く(東京とうきょう都と渋谷しぶや区く・中野なかの区く・杉並すぎなみ区く)の地名ちめいや、「消費しょうひ税ぜい廃止はいし」「教育きょういく改革かいかく」など真理しんり党とうの政策せいさくを訴うったえる内容ないようが含ふくまれていた。名目めいもく上じょうの作詞さくし・作曲さっきょく者しゃは真理しんりの御ご魂たましい 最さい聖きよし 麻原あさはら彰晃しょうこう尊師そんしとなっているが、真理しんり党とうのビラのクレジットには作曲さっきょく者しゃは同どう教団きょうだんの音楽おんがく班はんトップで元もとミュージシャンの鎌田かまた紳しん一郎いちろう、作詞さくし者しゃは麻原あさはらとあった[3]。1995年ねん(平成へいせい7年ねん)10月がつ7日にち付づけの読売新聞よみうりしんぶん夕刊ゆうかんの記事きじでも、鎌田かまたが作曲さっきょく者しゃと記しるされている。振ふり付つけは富田とみた隆たかしによって考案こうあんされた[4]。
宗教しゅうきょう歌かとなる際さいに歌詞かしが改あらためられ「新しん・麻原あさはら彰晃しょうこうマーチ」が作成さくせいされた。しかし、信者しんじゃによる「我々われわれ信者しんじゃが尊師そんしを呼よび捨すてにするのは問題もんだいがある」との意見いけんから「彰晃しょうこう」の箇所かしょは「尊師そんし」に変更へんこうされ、曲名きょくめいも尊師そんしマーチに改あらためられた[注ちゅう 1][3]。また、別べつバージョンとして麻原あさはらのシヴァ大神だいじんへの帰依きえを歌うたったシヴァ大神だいじんマーチがある。
1995年ねん(平成へいせい7年ねん)の初頭しょとうに発生はっせいした地下鉄ちかてつサリン事件じけん以降いこう、同年どうねん中ちゅうはオウム関連かんれん報道ほうどうが過熱かねつした。特とくに前述ぜんじゅつの真理しんり党とうによる選挙せんきょ活動かつどうの記録きろく映像えいぞうも放映ほうえいされる機会きかいが増加ぞうかしたが、当時とうじの真理しんり党とうはこの曲きょくや「魔まを祓はらう尊師そんしの歌うた」といったオウムソングを流ながしながら演説えんぜつする宣伝せんでんスタイルであった。そのため、特徴とくちょう的てきなメロディに影響えいきょうを受うけた小学生しょうがくせいが教室きょうしつでリコーダーやピアニカ、ハーモニカを使つかって尊師そんしマーチを真似まねて演奏えんそうすることや、登とう下校げこうの際さいに口くちずさんでいることが報道ほうどうされ問題もんだいとなった。
野球やきゅう選手せんしゅの松井まつい秀喜ひできはこの曲きょくが頭あたまから離はなれなくなり、バッターサークルに立たっているとき常つねに歌うたってしまっていたという。また、原はら辰たつ徳とくはエンマの数かぞえ歌うたを覚おぼえてしまった[5]。このブームに対たいし、オウムはサティアンショップなどでカセットテープを販売はんばいしていた[6]。