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シオン賢者の議定書 - Wikipedia

シオン賢者けんじゃ議定ぎていしょ』(シオンけんじゃのぎていしょ、えい: The Protocols of the Elders of Zion: Протоколы сионских мудрецов)は、「秘密ひみつ権力けんりょく世界せかい征服せいふく計画けいかくしょ」というみでひろまった会話かいわ形式けいしき文書ぶんしょ1890年代ねんだいわりから1900年代ねんだいはじめにかけてロシアばん以降いこう、『シオンの議定ぎていしょ[1]シオン長老ちょうろう議定ぎていしょ[2]ともばれる。この記事きじでは「議定ぎていしょ」とも省略しょうりゃくする。

シオン賢者けんじゃ議定ぎていしょ
Протоколы сионских мудрецов
ロシア語版テキストの表紙。セルゲイ・ニルス著『卑小なるもののうちの偉大』(1920年)に収録されたロシア語版(1905年)の再版。
ロシアばんテキストの表紙ひょうし。セルゲイ・ニルスちょ卑小ひしょうなるもののうちの偉大いだい』(1920ねん)に収録しゅうろくされたロシアばん(1905ねん)の再版さいはん
発行はっこう 1903ねん
くに ロシア帝国の旗 ロシア帝国ていこく
言語げんご ロシアおよドイツ(ロシア以外いがい最初さいしょ
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内容ないようは、タルムード経典きょうてん記載きさい(バビロンばん-ゾハールの2-64のBふし)された、選民せんみんユダヤじんユダヤじん動物どうぶつ)を世界せかい支配しはいするという実現じつげんへの方針ほうしん道筋みちすじ陰謀いんぼうろんであり、ヘンリー・フォードヒトラーなど世界中せかいじゅうはんユダヤ主義しゅぎもの影響えいきょうあたえた[3]ドイツこく国会こっかい議員ぎいん国家こっか社会しゃかい主義しゅぎドイツ労働ろうどうしゃとう対外たいがい政策せいさく全国ぜんこく指導しどうしゃドイツばんけん東部とうぶ占領せんりょう地域ちいき大臣だいじんアルフレート・ローゼンベルクが1920ねんドイツ翻訳ほんやくし『シオン賢者けんじゃ議定ぎていしょ』として出版しゅっぱんされたことにより、「はんシオニスト運動うんどう」がこり結果けっかてき国民こくみん社会しゃかい主義しゅぎドイツ労働ろうどうしゃとう政権せいけんのドイツにおいてユダヤじん大量たいりょう虐殺ぎゃくさつホロコースト)をこしたともいえることから「史上しじょう最悪さいあく偽書ぎしょ[4]、「史上しじょう最低さいてい偽造ぎぞう文書ぶんしょ」ともとされる[5]

内容ないよう

編集へんしゅう

この文書ぶんしょ1897ねん8がつ29にちから31にちにかけてスイスバーゼルひらかれただいいちかいシオニスト会議かいぎ席上せきじょう発表はっぴょうされた「シオンじゅうよんにん長老ちょうろう」による決議けつぎぶんであるという体裁ていさいをとっている。文書ぶんしょでは、選民せんみん(かみみとめた唯一ゆいいつ人間にんげん)であるユダヤじんユダヤじん動物どうぶつ)を世界せかい支配しはいして、すべてのみんモーセ宗旨しゅうし、つまりユダヤきょうまえ平伏ひれふさせるというシオニズムとタルムード経典きょうてん実現じつげん内容ないよう[3]

シオンの賢者けんじゃは、シオン血統けっとう専制せんせい君主くんしゅのために、「自由じゆう博愛はくあい平等びょうどう」のスローガン考案こうあんし、フランス革命かくめいこして、シオンの専制せんせい君主くんしゅぜん世界せかい法王ほうおうとなることを画策かくさくした、とされる[3]。こうした陰謀いんぼうろんは、イエズスかいフリーメイソン悪役あくやくとする陰謀いんぼうろんでもみられた[3]。シオニストは、「はんキリスト」をスローガンとして、シオニストがキリストを十字架じゅうじかけたとき起源きげんとしてはじまったとされている。

また、タルムードを根源こんげんとしてサンヘドリンにより製作せいさくされたタルムードには、(バビロンばん)「ユダヤじんは、かみえらんだ唯一ゆいいつ人間にんげんであり、ユダヤじん(異邦いほうじん)は、しし動物どうぶつ)であり、人間にんげんかたちをした動物どうぶつ家畜かちく)であるので、人間にんげん(ユダヤじん)が動物どうぶつ家畜かちく)をれとして支配しはいしなければならない」との記載きさい(ゾハールの2-64のBふし)があると、ユダヤじん研究けんきゅう宇野うの正美まさみは、発言はつげんしていることより、『シオンの議定ぎていしょ』との内容ないよう一致いっちられる。

ロシアにおける文書ぶんしょ出現しゅつげんとその時代じだい背景はいけい

編集へんしゅう

1878ねんニコライ・メゼンツォフ皇帝こうてい官房かんぼうだいさん長官ちょうかん暗殺あんさつされた。皇帝こうてい官房かんぼうだいさんだいさん外国がいこくじん監視かんし国外こくがい情報じょうほう収集しゅうしゅう担当たんとうしていた[6]。さらに1880ねん2がつアレクサンドル2せい皇帝こうてい暗殺あんさつ未遂みすいされるふゆみや食堂しょくどう爆破ばくは事件じけんきた。そのため、ロリス=メリコフちょうとする最高さいこう指揮しき委員いいんかい設置せっちされ、8がつにはメリコフは内務ないむ大臣だいじん就任しゅうにんした。メリコフ大臣だいじん皇帝こうてい官房かんぼうだいさん廃止はいしした。しかし1881ねん3がつにアレクサンドル2せい皇帝こうてい暗殺あんさつされたため、メリコフの改革かいかくあん白紙はくしされた。1881ねんロシア帝国ていこく内務省ないむしょう警察けいさつ警備けいびきょく(オフラーナ)が設立せつりつされた[7]

1895ねん、ロシア警察けいさつに『ユダヤきょう秘密ひみつ』という文書ぶんしょ保管ほかんされており、そのなかでは、ユダヤじんはキリストを十字架じゅうじかにかけたときから壮大そうだい陰謀いんぼう仕組しくみ、キリストきょう世界せかい普及ふきゅうさせたのちキリスト教きりすときょうをあらゆる手段しゅだんもちいて破壊はかいすることを計画けいかくしたとかれていた[8]。しかし、この文書ぶんしょ皇帝こうてい提出ていしゅつはされなかった[8]

一説いっせつでは、ロシア帝国ていこく内務省ないむしょう警察けいさつ警備けいびきょくパリ部長ぶちょうのピョートル・ラチコフスキーが1897ねんから1899ねんのあいだに、現在げんざい身元みもと不明ふめい作者さくしゃ依頼いらいしてパリで作成さくせいしたものとされる[3]。または、1902ねんにロシアじんはんユダヤ主義しゅぎしゃにより捏造ねつぞうされたといわれる[9]

1902ねん4がつ7にち、ミカエル・メンシコフ[10]がユダヤ賢者けんじゃによる世界せかい支配しはいが3せん年間ねんかん計画けいかくされてきたとほうじた[11][12]。メンシコフはある女性じょせいから、ニースのユダヤじん倉庫そうこからぬすまれた文書ぶんしょであるとしてわたされたとった[11]。(この女性じょせいについては後述こうじゅつする。)

歴史れきしノーマン・コーンによると、議定ぎていしょ最初さいしょたのはサンクトペテルブルク新聞しんぶん軍旗ぐんきルースコエ・ズナーミャロシアばん、ロシア)』で1903ねん8がつ26にちから9月7にちユリウスれき)にかけて短縮たんしゅくばん連載れんさいされ、編集へんしゅうちょうはんユダヤ活動かつどうP.A.クルーシュヴァンロシアばんだった[13]

1903ねんには議定ぎていしょがロシアで一般いっぱん出版しゅっぱんされた。同年どうねんにはロシア政府せいふがシオニズムを禁止きんししている[14]

1905ねん1がつに14まんにん労働ろうどうしゃによるデモにたいして銃撃じゅうげきされる日曜日にちようび事件じけんき、2がつにはモスクワ総督そうとくロシア大公たいこうセルゲイ・アレクサンドロヴィチばくだん暗殺あんさつされた。

作者さくしゃ

編集へんしゅう

量販りょうはんされた議定ぎていしょ最初さいしょ刊行かんこうしゃはロシアの神秘しんぴ思想家しそうかセルゲイ・ニルスともされ、発行はっこうは「1902ねん-1903ねん」とあり、ロシアでかれたものとされる[15]。ニルスの書物しょもつ卑小ひしょうなるもののうちの偉大いだい——政治せいじてき緊急きんきゅう課題かだいとしてのはんキリスト』[16]は1905ねんあき出版しゅっぱんされ、ロシア皇帝こうていニコライ2せい献上けんじょうするために作成さくせいされたとされる[17]

ピョートル・ラチコフスキー

また、文書ぶんしょロシア帝国ていこく内務省ないむしょう警察けいさつ警備けいびきょく(オフラーナ)ざいパリ部長ぶちょうピョートル・ラチコフスキーロシアばんエリ・ド・シオンロシアばんなる人物じんぶつ別荘べっそう家宅かたく捜索そうさくしたさい文書ぶんしょ改竄かいざんしたものにニルスの序文じょぶんえたものであった[18]。ラチコフスキーが改竄かいざんおこなった目的もくてきは、「ロシア民衆みんしゅう不満ふまん皇帝こうていからユダヤじんけさせるためにこのほん作成さくせいした」ともされるが、ラチコフスキーの本当ほんとう目的もくてきは、エリ・ド・シオンのシオン(Cyon)とシオン賢者けんじゃのシオン(Zion)がロシアではおなつづりになるということを利用りようして間接かんせつてきに「議定ぎていしょ」の出所しゅっしょをエリ・ド・シオンになすりつけることにあったのではないかとわれる[19]

ストルイピン大臣だいじん憲兵けんぺいたい調査ちょうさめいじると、この文書ぶんしょ偽書ぎしょであることが判明はんめいしたため、皇帝こうていニコライ2せいはこの文書ぶんしょ廃棄はいきめいじ、ラチコフスキーの立身出世りっしんしゅっせにはやくにたなかった[20]。ラチコフスキーはそのはんユダヤ団体だんたいくろひゃく人組にんぐみのロシア民族みんぞく同盟どうめい結成けっせいかかわった[21]

1905ねん1がつ21にちにはロシアだいいち革命かくめいつながるゼネラル・ストライキ発生はっせいした。同年どうねん12がつ(ユリウスれき)にはすでに、議定ぎていしょ完全かんぜんばん収録しゅうろくした『諸悪しょあく根源こんげん——ヨーロッパ、とりわけロシアの社会しゃかい現在げんざい無秩序むちつじょ原因げんいんは奈辺にあるのか? フリーメーソン世界せかい連合れんごう新旧しんきゅう議定ぎていしょよりの抜粋ばっすい』という冊子さっし発行はっこうされていた。これは、革命かくめい社会しゃかい主義しゅぎしゃ暗殺あんさつとユダヤじん虐殺ぎゃくさつ目的もくてきとした極右きょくう団体だんたいくろひゃく人組にんぐみ創設そうせつメンバーであるG.V.ブトミが発行はっこうした[22]

カタジナ・ラジヴィウ公爵こうしゃく夫人ふじん1921ねんニューヨークでの講演こうえんで、議定ぎていしょは1904ねんから1905ねんにかけて、パリにおけるロシア秘密ひみつ諜報ちょうほう機関きかん責任せきにんしゃピョートル・ラチコフスキー指示しじにより、ジャーナリストのマトヴェイ・ゴロヴィンスキー(Matvei Golovinski)とマナセーヴィチ=マヌイロフ(Manasevich-Manuilov)が執筆しっぴつしたとべ、またゴロヴィンスキーはモーリス・ジョリー(Maurice Joly)の息子むすこシャルル・ジョリーとともに「フィガロ勤務きんむしていた、とべた[23]。1933ねんから1935ねんにかけてのスイスでのベルン裁判さいばん(Berne Trial)においてカタジナ発言はつげんについて以下いかのような疑義ぎぎされた。マトヴェイ・ゴロヴィンスキーが彼女かのじょ議定ぎていしょ草稿そうこうせた1905ねんは、すでに1903ねんに「ズナーミャ(Znamya)」議定ぎていしょ掲載けいさいしされていたことや、1902ねんにラチコフスキーは更迭こうてつされ、サンクトペテルブルクにもどっていることと矛盾むじゅんしており、「アメリカン・へブリュー(The American Hebrew)」および「ニューヨーク・タイムズ」での誤字ごじ可能かのうせい指摘してきされた[24]

ユスティニア・グリンカ

メンシコフが1902ねん4がつ7にち文書ぶんしょわたされた女性じょせいについて、筆名ひつめいL.Flyは、ロシア将軍しょうぐんむすめかみ智学ちがくのユスティニア・グリンカ(Iustin'ia Glinka、ユリアナ・グリンカ英語えいごばん)であり、彼女かのじょは1884ねんにパリでフランスのユダヤじんのJ.S.シャピロ(Joseph Schorst-Shapiro)から文書ぶんしょ購入こうにゅうにロシア翻訳ほんやくし、ロシア帝国ていこく憲兵けんぺいだん[25]長官ちょうかんPetr Vasl'evich Orzhevskiiにわたしたとした[11][26][27]

ベルン裁判さいばん社会しゃかい民主みんしゅ主義しゅぎしゃのボリス・ニコラエフスキー(Boris Ivanovich Nikolaevsky)は、議定ぎていしょはフランスのフリーメイソンのロッジの倉庫そうこから秘密ひみつ警察けいさつ情報じょうほういんのグリンカ夫人ふじん指示しじぬすまれたと証言しょうげんした[11]。ニコラエフスキーは、ジュリエット・アダム(Juliette Adam)とIl'ia Tsionの団体だんたいにも参与さんよしたグリンカ夫人ふじんは、議定ぎていしょのロシアでの頒布はんぷおおきな役割やくわりえんじたとかんがえた[11]。ただし、ノーマン・コーンはグリンカ夫人ふじん情報じょうほうには不明ふめい部分ぶぶんおおいとしている[11]

歴史れきしIurii Konstantinovich Begunovは、グリンカ(Iuliana)は、Zion Kahalからの抜粋ばっすいをフランスじんジャーナリストからり、Aleksei Mikhailovich Sukhotinへわたし、F.P.StepanovからSipiagin大臣だいじん[28]へ、そしてメンシコフからニルスへわたったとかんがえた[11]

文化ぶんか研究けんきゅうしゃのVadim Skuratovskiiは、グリンカ夫人ふじんは、有名ゆうめい外交がいこうかん思想家しそうかであった父親ちちおや書物しょもつもと陰謀いんぼうろんてきえたものであり、グリンカ夫人ふじん議定ぎていしょ共著きょうちょしゃ重要じゅうよう一人ひとりだったとする[11]

Lev Aronov,Henryk Baran,and Dmitri Zubarevは、グリンカ夫人ふじんの1883ねん1がつから4がつにかけてかれたアレクサンドル3せいへの書簡しょかん発見はっけんした[11]

グリンカ夫人ふじん(Iustin'ia Dmitrievna Glinka)は、ロシア外交がいこうかんDmitrii Grigor'evich Glinkaのむすめで、秘密ひみつ警察けいさつ情報じょうほういんであり、ロシアから亡命ぼうめいした革命かくめいたちにたいする政治せいじ活動かつどうをパリでおこなったさいには、警視総監けいしそうかんLouis Andrieux(1840-1931)や、Nouvelle Revue 編集へんしゅうちょうのジュリエット・アダム(Juliette Adam)と連携れんけいした[11]

文書ぶんしょ由来ゆらい

編集へんしゅう

議定ぎていしょ先行せんこうする評論ひょうろん小説しょうせつもとにしており、出典しゅってんおおくが有名ゆうめい大衆たいしゅう小説しょうせつにあった[29]

まず、この文書ぶんしょモーリス・ジョリーフランス語ふらんすごばんちょマキャベリとモンテスキューの地獄じごくでの対話たいわフランス語ふらんすごばん[30]仏語ふつご、1864ねん)との表現ひょうげんじょう類似るいじせい指摘してきされている。地獄じごく対話たいわマキャベリりてナポレオン3せい民主みんしゅてき政策せいさく世界せかい征服せいふくへの欲望よくぼうをあてこすったものである。シオン賢者けんじゃ議定ぎていしょ地獄じごく対話たいわ内容ないようのマキャベリ(ナポレオン3せい)の部分ぶぶんをユダヤじんえ、大量たいりょう加筆かひつおこなったものとされる。

また、議定ぎていしょのある一章いっしょうは、ドイツの小説しょうせつヘルマン・ゲートシュ(ゲドシェ)(Hermann Goedsche,1815 – 1878)が1868ねん出版しゅっぱんした幻想げんそう小説しょうせつ「ビアリッツ Biarritz」をもとにしている[31][32][33]。ゲートシュの小説しょうせつは、当時とうじはんユダヤ主義しゅぎ記事きじ掲載けいさいつづけていたプロテスタントの『十字架じゅうじか新聞しんぶん』に掲載けいさいされた[32]。この小説しょうせつは1872ねんにロシア翻訳ほんやくされた。現在げんざいだいえい博物館はくぶつかん最古さいこのものとしてロシアばんのものがのこっている。

また、1881ねん7がつにフランスのカトリックの機関きかんどう時代じだいじん』は、ユダヤじん太古たいこむかしより地上ちじょう支配しはいけんつことを目的もくてきにしているとほうじたが、その典拠てんきょはゲートシュのこの小説しょうせつであった[34]

文書ぶんしょ流布るふ

編集へんしゅう

だいいち世界せかい大戦たいせんなかロシア革命かくめいきると、国際こくさいてきはんユダヤ主義しゅぎつよまっていった[35]議定ぎていしょおおくのくに翻訳ほんやくされ、流布るふしていった。

ロシア内戦ないせん(1917-1922)ちゅうロシアしろぐんそう司令しれいかんコルチャーク1918ねん7がつロマノフ処刑しょけい直後ちょくご議定ぎていしょ没頭ぼっとうし、1919ねん2がつ15にちには「ロシアを破滅はめつんでいるユダヤのごろつきどもをてよ」と宣言せんげんし、ロシアの大地だいちはんユダヤ十字軍じゅうじぐん必要ひつようとしていると宣言せんげんした[36]

オカルト結社けっしゃ

編集へんしゅう

議定ぎていしょ普及ふきゅうには、近代きんだいかみ智学ちがく信奉しんぽうしゃなどオカルティストたちが積極せっきょくてきうごいた。『シオン賢者けんじゃ議定ぎていしょ』がつくられた当時とうじロシア宮廷きゅうていにはパピュスことジェラール・アンコースフランス語ふらんすごばんひとしのオカルティストがコネクションをゆうしていた[26]

議定ぎていしょ最初さいしょにフランスからロシアにんだとうたがわれるユスティニア・グリンカは、神智しんち学徒がくとで、近代きんだい神智しんちがく創始そうししゃヘレナ・P・ブラヴァツキーとも親交しんこうがあった[26][27]神智しんちがくルドルフ・シュタイナー人智じんちがくでは、しばしばやみ勢力せいりょく暗躍あんやくかたられており、そうした土壌どじょううえ議定ぎていしょ普及ふきゅうし、おおくのオカルト結社けっしゃやその周辺しゅうへんで、やみ勢力せいりょくとは「ユダヤ」であるとわれるようになり、ユダヤ陰謀いんぼうろんさかんになった[27]

 
1921ねん8がつ16にちから18にちにかけてえいタイムズ』は『シオン賢者けんじゃ議定ぎていしょ』が偽書ぎしょであると暴露ばくろした。

1920ねんイギリスでロシアばん英訳えいやく出版しゅっぱんしたヴィクター・マーズデン英語えいごばん(「モーニング・ポスト」ロシア担当たんとう記者きしゃ)が急死きゅうししたため、そのエピソードがこのほんたいする神秘しんぴせいくわえた。マーズデン記者きしゃはロシアでとらわれたさいにユダヤじん拷問ごうもんがかりであったし、ロシアの破壊はかいしゃはユダヤじんだと証言しょうげんし、『シオンの賢者けんじゃ議定ぎていしょ』という証拠しょうこもあるとべた[35]

1920ねん、モーニングポスト編集へんしゅうしゃハウエル・アーサー・グウィンが序文じょぶんいた『世界せかい不穏ふおん原因げんいん』でも「シオン賢者けんじゃ」と「ユダヤ」が主張しゅちょうされた[37][38]

1920ねん4がつロイド・ジョージ首相しゅしょうボルシェビキとの交渉こうしょう実現じつげんし、レオニード・クラシン非公式ひこうしきにロンドンに招待しょうたいされると、タイムズは「ユダヤ記事きじで『シオン賢者けんじゃ議定ぎていしょ』をうつして、ダビデの世界せかい帝国ていこく樹立じゅりつしようとしている陰謀いんぼうとの交渉こうしょうとして批判ひはんした[39][37]。タイムズ記事きじでは『シオン議定ぎていしょ』が偽書ぎしょであるならば、このおそろしいまでの予言よげんざいをいかに説明せつめいしたらいいのか、イギリスがパックス・ゲルマニカ(ゲルマンの平和へいわ)をふせいだのは、パックス・イウダーイカ(ユダヤの平和へいわ)のためだったのか、といた[37]

スペイクテイターは1920ねん5月15にち議定ぎていしょはん狂乱きょうらんのユダヤじん陰謀いんぼう作者さくしゃであるとして、ユダヤじん見境みさかいうしなった瞑想めいそうをするオリエントの民族みんぞくであり、のユダヤじん秘密裏ひみつり議定ぎていしょ見方みかたつことはありえると報道ほうどうした[37]。その同紙どうしは7がつ17にちしんのユダヤとはユダヤによる世界せかいいちきょく支配しはい陰謀いんぼうとは無関係むかんけいであり、普通ふつうのユダヤじん内閣ないかくくわわっていることが政府せいふ原則げんそく背馳はいちするといったり、10月9にちにはユダヤじん危険きけん因子いんし国際こくさい争乱そうらん源泉げんせんであるとし、10月16にちにはユダヤじんへの市民しみんけん授与じゅよには慎重しんちょうであるべきで「社会しゃかいのペスト」であるユダヤじん陰謀いんぼうみにく仮面かめんろうとびかけた[37]

議定ぎていしょについては1921ねん8がつ16にちから18にちにかけて英紙えいしタイムズ』がフィリップ・グレイヴス(Philip Graves)記者きしゃによる「議定ぎていしょ終焉しゅうえん記事きじ掲載けいさいした[37]報道ほうどうなかで、コンスタンチノープル記者きしゃグレーブスは表紙ひょうしにJOLIと印刷いんさつされた古本ふるほん議定ぎていしょもとネタだと暴露ばくろした。

『タイムズ』の編集へんしゅうだいえい博物館はくぶつかん保管ほかんされていた『マキャベリモンテスキュー地獄じごくでの対話たいわ』と本書ほんしょとを比較ひかくして、その正体しょうたいあきらかにした[40]

タイムズ以後いご、『シオン賢者けんじゃ議定ぎていしょ』を情報じょうほうげんとして使用しようしなくなった[37]

だいいち世界せかい大戦たいせんでイギリスがパレスチナ占領せんりょうすると、フランスのカトリック司祭しさいエルネスト・ジュアン(Ernest Jouin)は『秘密ひみつ結社けっしゃ国際こくさい評論ひょうろん(Revue internationale des sociétés secrètes)』で『シオン議定ぎていしょ』を紹介しょうかいし、パレスチナがフランスからイギリスのわたり、ユダヤじんわたろうとしていることは背信はいしん行為こういであるとべた[41]

1919ねん3月29にちに『ドキュメンタシオン・カトリック』はユダヤじん王国おうこく再建さいけんしようとしているとし、ユダヤきょう政治せいじてき支配しはい対抗たいこうしてキリスト教徒きょうとはイスラム教徒きょうと連帯れんたいするべきだと主張しゅちょうした[42][41]。また同紙どうし1920ねんは『シオン賢者けんじゃ議定ぎていしょ』の信憑しんぴょうせい保証ほしょうすると紹介しょうかいした[43][44]。 。

1920ねん5月には新聞しんぶん各紙かくしはんユダヤ主義しゅぎてき報道ほうどうかえした[45][46][41]。カトリック『コレスポンダン』は1920ねん5月25にちに『シオン議定ぎていしょ』を紹介しょうかいし、『ラントランジャン』5月27にちに「ツンダー文書ぶんしょ」を掲載けいさいした[41]7がつ2にちにはギュスタヴ・テリーが『ルーヴル』で『シオン議定ぎていしょ』を紹介しょうかいした[41]

他方たほう、ジャーナリストのアンドレ・シェラダムは、さんこく協商きょうしょう加盟かめいこくは、ユダヤ=ドイツ組合くみあい国際こくさい金融きんゆう活動かつどうと、国際こくさいボリシェビキ運動うんどうはさまれているが、ユダヤじんによる世界せかい征服せいふくという陰謀いんぼう誤謬ごびゅうであり、ユダヤじんひろしゲルマン主義しゅぎこうする組織そしき創出そうしゅつすべきだと提案ていあんした[41][47]。またベルギーのピエール・シャルル神父しんぷは1922ねん4がつに、『シオン議定ぎていしょ』は荒唐無稽こうとうむけい悪意あくいちた偽書ぎしょであるとろんじ、またアンリ・デ・パサージュ神父しんぷもユダヤ陰謀いんぼうろん批判ひはんし、1927ねんごろにはフランスのイエズスかいはんユダヤ陣営じんえいから撤退てったいした[48]

ロシア革命かくめいきると、イギリスとおなじようにアメリカでもはんボルシェビキ・反共はんきょう主義しゅぎ運動うんどうたかまった。1918ねん9月には『はんボルシェビスト(The Anti-Boshevist)』が発刊はっかんされ、アメリカを参戦さんせんてたのはユダヤじんであるとされた[49]

ペトログラードでエヴゲニー・セミョーノフがアメリカじん外交がいこうかんエドガー・シソンにわたした文書ぶんしょをもとに、1918ねん9月、アメリカ政府せいふは『ドイツボルシェビキの陰謀いんぼう』を刊行かんこうし、トロツキーはドイツのユダヤじん銀行ぎんこうマックス・ヴァールブルクとライン=ヴェストファーレン労働ろうどう組合くみあいから資金しきん提供ていきょうけ、ユダヤじんはドイツとオーストリア=ハンガリー帝国ていこくでユダヤ共和きょうわこくきずいたとされた[50][46]。この文書ぶんしょは1919ねん9がつ23にちにロストフで出版しゅっぱんされ、1920ねんにはパリの『ふるきフランス』やロンドンのザ・モーニング・ポストでもほうじられた[46]1918ねん11月30にちけの国務こくむ省内しょうない報告ほうこくしょ「ボリシェヴィズムとユダヤ」では、ユダヤじんがアメリカ、日本にっぽん中国ちゅうごく軍事ぐんじりょく利用りようしてゴイーム(ユダヤじん)の反抗はんこうおさえつけると結論けつろんされた[49]報告ほうこくしょはロシア亡命ぼうめいしゃボリス・ブラソルによって作成さくせいされ、ブラソルはラスプーチン暗殺あんさつしたロシア貴族きぞくフェリックス・ユスポフわたし、ユスポフからイギリス諜報ちょうほうきょくのバジル・トムソン[51] へ、そしてべい国務省こくむしょうロバート・ランシングへという経路けいろとおって手渡てわたされた[49]

上院じょういん特別とくべつ委員いいんかいでは、クエーカー教徒きょうとケディーはロシアしん体制たいせい平和へいわ主義しゅぎきキリストしゃであると証言しょうげんし、またジャーナリストのウィリアムズはロシアは人類じんるいあらたな兄弟きょうだいあい目指めざしていると証言しょうげんする一方いっぽうで、ウィリアム・ハンティントン領事りょうじや、ナショナル・シティーバンクロシア支店してんちょう、ロシア・メソディスト教会きょうかいのシモンズ牧師ぼくしらはロシア革命かくめいだい多数たすうはユダヤじんによってなされたと証言しょうげんした[49]。シモンズ牧師ぼくしは、自分じぶんはんユダヤ主義しゅぎしゃではないし、ポグロムを嫌悪けんおするが、トロツキーのすうひゃくにん部下ぶかはニューヨークのイーストサイド出身しゅっしんであり、ロシアしん体制たいせいはんキリスト教きりすときょうてきであり危険きけんであると証言しょうげんした[49]。シモンズ牧師ぼくしへの情報じょうほう提供ていきょうしゃ軍医ぐんいハリス・A・ホートン博士はかせは『議定ぎていしょ』の信奉しんぽうしゃだった[49]翌日よくじつ各紙かくしは、アメリカのユダヤじんがロシアで権力けんりょくにぎったというシモンズ牧師ぼくし証言しょうげん報道ほうどうした[49]。しかし、上院じょういん特別とくべつ委員いいんかいでは、リトアニアクディルコス・ナウミエスティス出身しゅっしんのユダヤじんジャーナリスト、ハーマン・バーンシュタインの陳述ちんじゅつとうによって「ニューヨークのユダヤじんによる陰謀いんぼう」という見方みかた採択さいたくされなかった[52]

アメリカでは自動車じどうしゃおうヘンリー・フォードが、所有しょゆうする『ディアボーン・インデペンデント英語えいごばん紙上しじょうはんユダヤ文書ぶんしょ連載れんさいはじめた。1920ねんには『国際こくさいユダヤじん英語えいごばん』という書籍しょせきとしてまとめられ出版しゅっぱんし、アメリカ国内こくないやく50まん[53]、さらに16ヵ国かこく翻訳ほんやくされ、ドイツではヒトラーらも愛読あいどくした。

これにたいして1920ねん12月1にちアメリカユダヤじん委員いいんかいは、ブナイ・ブリス、アメリカ・ユダヤ会議かいぎアメリカ・シオニスト会議かいぎ、アメリカ・ラビ中央ちゅうおう協議きょうぎかい連名れんめい冊子さっしThe "Protocols," Bolshevism and the Jews:An Address to Their Fellow-Citizens by American Jewish Organizations(「議定ぎていしょ:ボルシェヴィズムとユダヤじん」を発行はっこうした[54]

12月4にち、プロテスタント長老ちょうろう教会きょうかいはユダヤじん市民しみん精神せいしん信頼しんらいすると表明ひょうめいした[54]12月24にち、ユダヤきょう、カトリック、プロテスタントさん宗派しゅうは連合れんごう少数しょうすう民族みんぞくとユダヤじんへの迫害はくがい断罪だんざいするさん宗派しゅうは共同きょうどう声明せいめい発表はっぴょうした[54]1921ねん1がつ16にちのウィルソンら歴代れきだい大統領だいとうりょうほか著名ちょめいじん共同きょうどう声明せいめいは、はんユダヤ主義しゅぎはんアメリカてきはんキリスト教きりすときょうてきであると抗議こうぎした[54]。『アメリカ』はフォードに抗議こうぎするユダヤじんについて、ユダヤじん素早すばやさは称賛しょうさんすべきであると報道ほうどうした[54][55]

しかし、そのも「ディアボーン・インディペンデント」はんユダヤ主義しゅぎ報道ほうどうつづけて、『シオン賢者けんじゃ議定ぎていしょ』の紹介しょうかいはじめた[54]。1921ねん8がつには『シオン賢者けんじゃ議定ぎていしょ』のアメリカばん出版しゅっぱんされ、経済けいざいかい有力ゆうりょくしゃ国会こっかい議員ぎいんはいった[54]

1927ねん周囲しゅうい抗議こうぎ訴訟そしょうなどをてフォードは内容ないよう否定ひていし、ほん回収かいしゅう同意どういする[56]

1918–19ねん、ロシア革命かくめいでウクライナから逃亡とうぼうしてきたシャベルスキー・ボルク(Piotr Shabelsky-Bor)は議定ぎていしょを、ドイツのジャーナリスト出版しゅっぱん業者ぎょうしゃであったルートヴィヒ・ミュラー・フォン・ハウゼンドイツばん手渡てわたした[57]。ミュラーは「ユダヤじん支配しはいへの対抗たいこう協会きょうかい」(Verband gegen die Überhebung des Judentums,ユダヤの傲岸ごうがん不遜ふそんこうするかい、ユダヤ跋扈ばっこ反対はんたい同盟どうめい)の設立せつりつしゃであった。1920ねんにミュラーは仮名かめい[* 1]でドイツやく『シオン賢者けんじゃ秘密ひみつ』を出版しゅっぱんし12まんった[58][59][57][60]ホーエンツォレルンとドイツ皇帝こうていヴィルヘルム2せい出版しゅっぱん費用ひよう助成じょせいし、皇帝こうてい夕食ゆうしょくかいほん一部いちぶ朗読ろうどくした[61]フリーメイソンとユダヤじん結託けったくして陰謀いんぼうをめぐらしているという俗説ぞくせつひろまったため、ドイツのフリーメイソンリーはミュラーのほん出版しゅっぱんされるとユダヤじん加入かにゅうことわるようになった[62]。ミュラーはフランス革命かくめいはフリーメイソンとユダヤじん陰謀いんぼうで、大戦たいせん端緒たんしょのオーストリア皇太子こうたいし暗殺あんさつはユダヤじんとセルビアのフリーメイソンの陰謀いんぼうかんがえた[57]。ミュラーは、ユダヤ問題もんだい解決かいけつのためにはポグロムや国外こくがい追放ついほうではらず、ユダヤじんめるしかないと主張しゅちょうして、外国がいこくせきユダヤじんのドイツ入国にゅうこく禁止きんし、ドイツじん学校がっこうへの入学にゅうがく禁止きんし金融きんゆうぎょう国有こくゆう、ユダヤじん経営けいえいする商店しょうてんへのダビデのほし掲示けいじ義務ぎむ、ドイツめい名乗なのりの禁止きんし、ユダヤじん団体だんたい禁止きんしなどの、のちのナチスユダヤほうのようなユダヤじん条例じょうれい(Juden Ordnung)を提案ていあん[57]違反いはんしたユダヤじん死刑しけい主張しゅちょうした[63]ぜんドイツ連盟れんめいのハインリヒ・クラースはミュラーのユダヤじん条例じょうれいあん支持しじした[63]

ドイツぐんマックス・バウアー大佐たいさはミュラー・フォン・ハウゼンを参謀さんぼう次長じちょうエーリヒ・ルーデンドルフ紹介しょうかいしている[64]

タイムズかみが1920ねん5がつ好意こういてきにミュラーのほん紹介しょうかいすると、ベストセラーとなった。

1923ねんには国民こくみん社会しゃかい主義しゅぎドイツ労働ろうどうしゃとうアルフレート・ローゼンベルクが『シオン賢者けんじゃ議定ぎていしょ』を翻訳ほんやくした[65][61]

1925-1926ねん刊行かんこうされたアドルフ・ヒトラーの『闘争とうそう』では、「ぞくっとするほどユダヤ民族みんぞく本質ほんしつ活動かつどう暴露ばくろしている」[66]おおくのユダヤじん無意識むいしきっているかもしれないことが、このしょでは明確めいかくべられている」[66]と、このしょもとづいてユダヤじん批判ひはんした。ヒトラーは「この文書ぶんしょでの秘密ひみつ暴露ばくろがどのユダヤじんあたまからたものであるかはどうでもいい」[66]「それ(議定ぎていしょ)は偽書ぎしょである、と『フランクフルト新聞しんぶん』(ユダヤ資本しほんだった[67])はかえ世間せけん苦情くじょうつたえているが、それこそがこのしょ本物ほんものであるという証拠しょうこである」[66]としており、文書ぶんしょ出自しゅつじ自体じたい問題もんだいにしようとしなかった[68][69]

1933ねん以降いこうナチス・ドイツ政権せいけんはユダヤじんへの迫害はくがい政策せいさく継続けいぞくてきおこない、最終さいしゅうてきホロコースト実施じっしした。

日本にっぽん

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1918ねん日本にっぽんシベリア出兵しゅっぺいおこなうが、日本にっぽんへい接触せっしょくしたしろぐん兵士へいしには全員ぜんいんこのほん配布はいふされていた。グリゴリー・セミョーノフ司令しれいにはおおくのはんユダヤ主義しゅぎパンフレットとともに議定ぎていしょまれ、日本にっぽんぐん関係かんけいしゃ配付はいふされた[70]日本にっぽん陸海りくかいぐん警備けいび司令しれいにもわたり、赤化せっか対策たいさく資料しりょうとして内務省ないむしょうおくられた[70]

陸軍りくぐんのロシア教官きょうかんであった樋口ひぐちつやすけ翻訳ほんやくし、1919ねんはる秘密ひみつ出版しゅっぱんおこなった[70]大連たいれん特務とくむ機関きかんちょうになる安江やすえせんひろしはシベリア出兵しゅっぺい武勲ぶくんげ、日本にっぽんかえってくると友人ゆうじん酒井さかい勝軍かちいくさにこのほん紹介しょうかい訳本やくほん出版しゅっぱんさせたり、またみずからも1924ねんつつみ荒子あらこのペンネームで『世界せかい革命かくめい裏面りめん』というほんあらわし、そのなか全文ぜんぶん日本にっぽん紹介しょうかいした[71]。また海軍かいぐん犬塚いぬづかおもんみおも独自どくじ訳本やくほん出版しゅっぱんしている。また、1923ねんには『マッソン結社けっしゃ陰謀いんぼう』および『シオン議定ぎていしょ』とだいするパンフレットが全国ぜんこく中学校ちゅうがっこう校長こうちょう協会きょうかい名前なまえ教育きょういくかい配布はいふされている[72][73]

近年きんねんでも、晩年ばんねん左派さはから陰謀いんぼうろんしゃへと転向てんこうした太田おおたりゅうやくが2004ねん出版しゅっぱんされている[74]

イスラムけん

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イスラムけんにおいてははんユダヤ、はんイスラエル根拠こんきょとして支持しじするうごきもつよい。

トルコにおいてはトルコ革命かくめいのちには西洋せいよう思想しそうとともにはんユダヤ主義しゅぎ流入りゅうにゅうし、議定ぎていしょさかんにげられた。1961ねんにはサーリヒ・オズジャンが『シオニズムの目標もくひょう』というはんシオニズムの書籍しょせきなかで、議定ぎていしょのトルコやく掲載けいさいしている[75]

イランにおいては2005ねん議定ぎていしょ100周年しゅうねん記念きねんしておおくの新聞しんぶん特集とくしゅう記事きじ掲載けいさいされた[76]

日本語にほんごやく

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  • つつみ荒子あらこ世界せかい革命かくめい裏面りめん』(再版さいはん二酉にのとりしゃ二酉にのとり名著めいちょ だい6へん〉、1925ねんhttps://iss.ndl.go.jp/api/openurl?ndl_jpno=43048499 
  • 愛宕あたご北山きたやま ちょ「シオン議定ぎていしょ――解説かいせつ全訳ぜんやく」、辻村つじむらくすのきづくり へん『ユダヤ問題もんだい論集ろんしゅう 戦時せんじ対策たいさく根本こんぽん問題もんだい国際こくさい政経せいけい学会がっかい、1938ねん 
  • よんおうたかしのべこう附録ふろく だいさん シオンの議定ぎていしょ」『なおふとし思想しそう運動うんどう内外ないがい書房しょぼう、1941ねん 
  • 『シオン長老ちょうろう議定ぎていしょよんおうたかしのべこうはらやく太田おおたりゅうやく解説かいせつなりかぶと書房しょぼう、2004ねん9がつISBN 4-88086-168-5  - 原著げんちょはヴィクター・マーズデンの「シオン賢者けんじゃ議定ぎていしょ」より。
  • 定本ていほん シオンの議定ぎていしょよんおうたかしのべこうはらやく天童てんどう竺丸やく解説かいせつなりかぶと書房しょぼう、2012ねん3がつ10日とおかISBN 978-4-88086-287-3 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 大澤おおさわ武男たけお『ユダヤじん 最後さいご楽園らくえん講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ1937〉、2008ねん4がつ 
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  • Esther Webman, ed (2011). The Global Impact of the Protocols of the Elders of Zion: A Century-Old Myth. Routledge. ISBN 978-0415598927 
    • Lev Aronov,Henryk Baran,and Dmitri Zubarev (2011). Toward the prehistory of the Protocols,in Webman ed.,The Global Impact of the Protocols of the Elders of Zion. Routledge. ISBN 978-0415598927 

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 仮名かめいゴトフリート・ツール・べいちク(Gottfried Zur Beek)[57]

出典しゅってん

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  15. ^ Michelis, Cesare G. De (2004). The non-existent manuscript : a study of the Protocols of the sages of Zion. Lincoln: Univ. of Nebraska Press. p. 65. ISBN 0803217277 
  16. ^ Великое в малом и антихрист как близкая политическая возможность だい3はん
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  18. ^ エーコ文学ぶんがく講義こうぎ 254-257ぺーじ
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  23. ^ “Princess Radziwill Quizzed at Lecture – Stranger Questions Her Title After She Had Told of Forgery of "Jewish Protocols" – Creates Stir at Astor – Leaves Without Giving His Name – Mrs. Hurlburt Corroborates the Princess”. The New York Times: p. 13. (4 March 1921). https://www.nytimes.com/1921/03/04/archives/princess-radziwill-quizzed-at-lecture-stranger-questions-her-title.html October 19, 2017閲覧えつらん  cf. Full article
  24. ^ "Protocols Forged in Paris" Says Princess Radziwill In an Exclusive Interview With Isaac Landeman, published in The American Hebrew, February 25, 1921, Volume 108 Number 15, page 422.
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  27. ^ a b c 大田おおた 2013. 位置いちNo.977/2698
  28. ^ Aronov,et al.,2011にはSipiaginと記載きさいされているが、Alexander Sipiagin(1875-1941)のことか、ピョートル・ストルイピン(Pyotr Arkad'evich Stolypin)のことか、詳細しょうさい不明ふめい
  29. ^ エーコ文学ぶんがく講義こうぎ 256-257ぺーじ
  30. ^   Maurice Joly (フランス語ふらんすご), Dialogue aux enfers entre Machiavel et Montesquieu, ウィキソースより閲覧えつらん 
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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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