(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ピート・サンプラス - Wikipedia

ピーター・"ピート"・サンプラスPeter "Pete" Sampras, 1971ねん8がつ12にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくワシントンD.C.出身しゅっしんもと男子だんしプロテニス選手せんしゅ自己じこ最高さいこうランクは1でありテニス史上しじょうのこめい選手せんしゅである。

ピート・サンプラス
Pete Sampras
ピート・サンプラス
基本きほん情報じょうほう
フルネーム Peter Sampras
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
出身しゅっしん どう・ワシントンD.C.
生年月日せいねんがっぴ (1971-08-12) 1971ねん8がつ12にち(53さい
身長しんちょう 185cm
体重たいじゅう 77kg
きて みぎ
バックハンド かた手打てう
殿堂でんどう 2007ねん
ツアー経歴けいれき
デビューねん 1988ねん
引退いんたいねん 2003ねん
ツアー通算つうさん 66しょう
シングルス 64しょう
ダブルス 2しょう
生涯しょうがい通算つうさん成績せいせき 826しょう292はい
シングルス 762しょう222はい
ダブルス 64しょう70はい
生涯しょうがい獲得かくとく賞金しょうきん $43,280,489
4だい大会たいかい最高さいこう成績せいせき・シングルス
ちょんつよし 優勝ゆうしょう(1994・97)
ぜんふつ ベスト4(1996)
ちょんすぐる 優勝ゆうしょう(1993-95・1997-2000)
全米ぜんべい 優勝ゆうしょう(1990・93・95・96・
2002)
優勝ゆうしょう回数かいすう 14(ごう2・えい7・まい5)
通算つうさん14しょう男子だんし歴代れきだい4
4だい大会たいかい最高さいこう成績せいせき・ダブルス
ちょんつよし 2回戦かいせん(1989)
ぜんふつ 2回戦かいせん(1989)
ちょんすぐる 3回戦かいせん(1989)
全米ぜんべい 1回戦かいせん(1988-90)
くにべつ対抗たいこうせん最高さいこう成績せいせき
デビスはい 優勝ゆうしょう(1992・95)
キャリア自己じこ最高さいこうランキング
シングルス 1(1993ねん4がつ12にち
ダブルス 27(1990ねん2がつ12にち

4だい大会たいかい優勝ゆうしょうすう14かいロイ・エマーソン当時とうじ歴代れきだい1記録きろく(現在げんざい歴代れきだい4)。ウィンブルドン選手権せんしゅけん優勝ゆうしょう7かい歴代れきだい2タイ記録たいきろく全米ぜんべいオープン優勝ゆうしょう5かいはオープン以降いこう歴代れきだい1タイ記録たいきろく。1993ねんから1998ねんまで年間ねんかん最終さいしゅうランキング16ねん連続れんぞく歴代れきだい1記録きろく

略歴りゃくれき

編集へんしゅう

詳細しょうさい経歴けいれき

編集へんしゅう

プロになるまでのみちのり

編集へんしゅう

ギリシャ移民いみんとしてワシントンD.C.まれたサンプラスは、オーストラリア往年おうねんめい選手せんしゅであるロッド・レーバーあこがれ、7さいからテニスはじめた。14さいまではバックハンド・ストロークをりょう手打てうちしていたが、当時とうじのコーチであったピート・フィッシャーの指導しどうかた手打てうちに変更へんこうした。フィッシャーはサンプラスに「世界せかいトップのサーブ・アンド・ボレーヤーで、バックハンドを両手りょうて選手せんしゅはいない」と提案ていあんし、往年おうねんめい選手せんしゅドン・バッジのグリップを観察かんさつするため、かれ自宅じたくおとずれたという逸話いつわのこっている。

プロとしての選手せんしゅれき

編集へんしゅう

1988ねんに17さいでプロり。プロデビューせんは、同年どうねん2がつ全米ぜんべいプロインドアで、そこでは1回戦かいせんサミー・ジアマルバ敗退はいたいする。翌週よくしゅうインディアンウェルズ・マスターズ1回戦かいせんラメシュ・クリシュナンち、ツアー公式こうしきせんはつ勝利しょうりおさめた。4だい大会たいかいデビューは1988ねん全米ぜんべいオープンで、ここでは1回戦かいせんハイメ・イサガ敗退はいたいしている。

サンプラスがはじめて脚光きゃっこうびたのは、1989ねん全米ぜんべいオープンの2回戦かいせん大会たいかい前年ぜんねん優勝ゆうしょうしゃマッツ・ビランデルやぶった試合しあいである。ビランデルは1988ねんウィンブルドン選手権せんしゅけんのぞく4だい大会たいかい年間ねんかん3かん獲得かくとくして世界せかいランキング1のぼりつめたが、1989ねんはいるといちじるしいスランプにおちいり、全米ぜんべいオープン開幕かいまくには世界せかいランキング5だった。この大会たいかいでは、サンプラスはだい11シードのジェイ・バーガーとの4回戦かいせんまですすんだ。1990ねん2がつ、2ねんまえにプロデビューせんたたかった全米ぜんべいプロインドア決勝けっしょうアンドレス・ゴメスやぶり、ATPツアーはつ優勝ゆうしょうたす。1990ねん全米ぜんべいオープンでサンプラスはだい12シードからがり、決勝けっしょうせんでライバルのアンドレ・アガシを6-4, 6-3, 6-2のストレートでやぶり「19さい28にち」で4だい大会たいかいはつ優勝ゆうしょうかざった。こうしてサンプラスは、1890ねん全米ぜんべい選手権せんしゅけんに「19さい6ヶ月かげつ9にち」で優勝ゆうしょうしたオリバー・キャンベル大会たいかい最年少さいねんしょう優勝ゆうしょう記録きろくを「100ねんぶり」に更新こうしんする偉業いぎょうげた。

それから3ねん、サンプラスは1993ねん4がつジム・クーリエき、はじめて世界せかいランキング1になった。同年どうねんウィンブルドン選手権せんしゅけん決勝けっしょうでクーリエを7-6, 7-6, 3-6, 6-3でやぶってはつ優勝ゆうしょうたしたときから、王者おうじゃサンプラスの時代じだいはじまる。それから1993ねん全米ぜんべいオープン1994ねん全豪ぜんごうオープンでも優勝ゆうしょうして4だい大会たいかい「3連勝れんしょう」をたしたが、1994ねんぜんふつオープンでは準々じゅんじゅん決勝けっしょうセルジ・ブルゲラやぶれ、4連勝れんしょうのがす。苦手にがて赤土あかつちコートのぜんふつオープンは、そのもサンプラスにとって"鬼門きもん"の大会たいかいであった。この大会たいかいでは1996ねんのベスト4進出しんしゅつ自己じこ最高さいこう成績せいせきで、その準決勝じゅんけっしょうではエフゲニー・カフェルニコフに6-7, 0-6, 2-6のストレートで完敗かんぱいしている。

サンプラスは、自分じぶん世界せかいランキング1げてくれたコーチのティム・ガリクソン非常ひじょうしたっていた。そのガリクソンが1995ねん全豪ぜんごうオープン期間きかんちゅう脳腫瘍のうしゅようたおれたため、サンプラスは準々じゅんじゅん決勝けっしょうのクーリエせんで「コーチのために頑張がんばれ」という観客かんきゃくからの声援せいえんけ、したこともあった。クーリエはサンプラスの体調たいちょうわるいと勘違かんちがいし「明日あしたに(試合しあいを)してもいいんだよ」とこえをかけたという。この大会たいかいでは決勝けっしょうアガシやぶれてじゅん優勝ゆうしょうわったが、優勝ゆうしょうしたアガシもスピーチで「本当ほんとうつら状況じょうきょうなのにいいテニスをしたよ、メイト(=ぼく友達ともだち)」と賞賛しょうさんおくった。ガリクソンは1996ねん5月3にち死去しきょしたため、そのポール・アナコーン師事しじした。

男子だんし最多さいた優勝ゆうしょう記録きろくへのみち

編集へんしゅう

サンプラスは優勝ゆうしょう回数かいすうかさねるにつれて、過去かこめい選手せんしゅ記録きろく意識いしきしながら奮闘ふんとうするタイプの選手せんしゅになった。かれ最終さいしゅう目標もくひょうは4だい大会たいかい通算つうさん「12しょう」をげたロイ・エマーソン記録きろくやぶることであり、ながあいだわすれられていたエマーソンの名前なまえが"サンプラスの目標もくひょう"としてかたられるようになった。サンプラスは1999ねんウィンブルドン選手権せんしゅけんでエマーソンにならぶ4だい大会たいかい「12しょう」をげ、よく2000ねんウィンブルドン選手権せんしゅけんでの優勝ゆうしょうで4だい大会たいかい通算つうさん「13しょう」とし、エマーソンの記録きろくやぶった。

かれには貧血ひんけつ持病じびょうがあり、それにともなって30さいごろからは体力たいりょく急激きゅうげき低下ていかしていった。2000ねん全米ぜんべいオープン決勝けっしょうせんマラト・サフィンに4-6, 3-6, 3-6で完敗かんぱいして"サンプラスの決勝けっしょう不敗ふはい神話しんわ"がくずれた試合しあいや、2001ねんウィンブルドン選手権せんしゅけん4回戦かいせんロジャー・フェデラーに6-7, 7-5, 4-6, 7-6, 5-7でやぶれた試合しあいが、サンプラス時代じだい終焉しゅうえん印象いんしょうづけることになる (1993ねんから2000ねんまでの8年間ねんかんでサンプラスがウィンブルドン選手権せんしゅけん優勝ゆうしょうのがしたのは、リカルト・クライチェク準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたいした1996ねんだけであった)。さらに2001ねん全米ぜんべいオープン決勝けっしょうせんでもレイトン・ヒューイットに6–7, 1–6, 1–6で完敗かんぱいし、このとしは1992ねん以来いらいの4だい大会たいかい無冠むかんわる。アメリカの後輩こうはいとしてアンディ・ロディック台頭たいとうしていたが、たいするサンプラスは2ねん以上いじょうにわたりATPツアーのタイトルからとおざかっていた。しかし2002ねん全米ぜんべいオープンで、長年ながねんのライバルでありつづけたアガシ決勝けっしょうやぶり、31さいにして6ねんぶり5度目どめ全米ぜんべい優勝ゆうしょうたす。こうしてサンプラスは2000ねんウィンブルドン選手権せんしゅけん以来いらい優勝ゆうしょうかざり、かれの4だい大会たいかい優勝ゆうしょう回数かいすうは「14しょう」となった。4だい大会たいかい決勝けっしょうせん進出しんしゅつはキャリア通算つうさん男子だんし歴代れきだい3の「18」となり、「14しょう4はい」でわった。その試合しあいまった出場しゅつじょうせず、2003ねん全米ぜんべいオープン開催かいさいちゅう正式せいしき引退いんたい表明ひょうめいした。大会たいかい開幕かいまくの8がつ25にち、コートじょうでサンプラスの引退いんたいセレモニーがおこなわれた。

2007ねんから、サンプラスは30さい以上いじょう現役げんえき引退いんたい選手せんしゅ対象たいしょうにしたATPチャンピオンズツアー参戦さんせん開始かいしした。2009ねんウィンブルドン選手権せんしゅけんで、ロジャー・フェデラーが、2017ねんぜんふつオープンで、ラファエル・ナダルが、2019ねん全豪ぜんごうオープンノバク・ジョコビッチがそれぞれ通算つうさん15しょう記録きろくし、14しょうのサンプラスは男子だんし歴代れきだい4後退こうたいした。

プレースタイル

編集へんしゅう

ロジャー・フェデラーならび、史上しじょう最高さいこうのオールラウンドプレイヤーであると同時どうじ史上しじょう最高さいこうのサーブアンドボレーヤーでもある。

ビックサーブをじく攻撃こうげきてきなボレー・ストロークとう1990年代ねんだいのプレースタイルを象徴しょうちょうするプレイヤーである。[1][2][3]

サンプラスの最大さいだい武器ぶきはサーブである。 ライバルのグランドストローカーであるアガシとの対戦たいせんでは、サーブの調子ちょうし勝敗しょうはい左右さゆうされた。 ファーストサーブは、最速さいそく210~220キロの速度そくどくわえコースも非常ひじょうみにくく、重要じゅうよう場面ばめんでのサービスエースを量産りょうさんしていた。セカンドサーブでも200キロちか速度そくどし、のプレイヤーのファーストサーブなみ速度そくどであった。しかし、けっしてセカンドサーブの成功せいこうりつひくかったわけではない。

相手あいてコートにたたけたり、やわらかいタッチでネットぎわとしたり、状況じょうきょうおうじてけることができ、アクロバティックなプレーはしないが、ミスがすくなくチャンスボールを確実かくじつめる技術ぎじゅつっていた。とくにコートにたたきつけるダンクショットは、サンプラスの代名詞だいめいしであった[4]

ストロークとう

編集へんしゅう

「ピストル・ショット」とばれたかれのフラットけいストローク強力きょうりょくとくにストロークの名手めいしゅアガシとのいは壮絶そうぜつであり、2000年代ねんだい以降いこうのストローカ同士どうしいと比較ひかくしても迫力はくりょく上回うわまわるほどめい場面ばめんでもある。とくにフォアのクロスのかえしはかれ得意とくいのショットであった。

エピソードとう

編集へんしゅう

サンプラスは「男子だんしテニス史上しじょう屈指くっしのオールラウンダー」としょうされている。その理由りゆうは、すべての要素ようそたか能力のうりょくしめしていたことにある。

  • 通常つうじょうのオールラウンダーは、すべての要素ようそ一定いっていのレベルでこなせるものの、「なんらかの絶対ぜったいてきにポイントがれるショット」をたないことがおおい。そのために、プレー全体ぜんたいにストローク、ボレーを満遍まんべんなくれてポイントをってゆく。エフゲニー・カフェルニコフセドリック・ピオリーンなどがそうである。
  • 一方いっぽう、オールラウンダーではないタイプで活躍かつやくする選手せんしゅおおくは、対照たいしょうてきに「なんらかの絶対ぜったいてきにポイントがれるショット」を傾向けいこうにあり、それを中心ちゅうしんにゲームをてている。アガシがグラウンド・ストロークで、パトリック・ラフターがボレーで、ゴラン・イワニセビッチがビッグサーブで大半たいはんのポイントをてていたことなどがれいとしてげられる。プロ選手せんしゅであるからには、それ以外いがいのショットも一定いっていのレベルでこなす必要ひつようがあるが、かれらは武器ぶきとなるショットが際立きわだっていたため"オールラウンダー"とはしょうされなかったのである。

これらの選手せんしゅたいし、サンプラスは、すべての要素ようそたか能力のうりょくゆうしていたため、実質じっしつ上記じょうきの2タイプの選手せんしゅ融合ゆうごうした「ほとんどすべてのショットで絶対ぜったいてきにポイントがれる選手せんしゅであった。そのため、状況じょうきょうおうじてオールラウンドなちから発揮はっきし、多彩たさいなプレーでポイントをうばった。

かれのテニスは基本きほんてき攻撃こうげきがたであったため、たまあしはやしば・カーペット・ハードコートは相性あいしょうく、無類むるいちから発揮はっきした。しかしたまあしおそいクレーコートでは、するどいショットをっても相手あいてひろわれることがおおく、結果けっかてきねばりのプレーが要求ようきゅうされる。そのため、守備しゅびがたのテニスではないサンプラスはクレーコートを苦手にがてとしていた。4だい大会たいかいで14もの優勝ゆうしょうかざったサンプラスであったが、4だい大会たいかい唯一ゆいいつクレーコートでおこなわれるぜんふつオープンだけは1996ねんのベスト4が最高さいこう成績せいせきで、優勝ゆうしょうどころか決勝けっしょうにすら1進出しんしゅつできなかった。

真面目まじめなサンプラスのプレースタイル・マナーは、華麗かれいなライバルのアガシ比較ひかくされて"地味じみぎる"と非難ひなんされることもあった。あまりの完璧かんぺきなプレーに"退屈たいくつ王者おうじゃ"とひょうされたこともある。そんな評価ひょうか一転いってんさせたのが、1995ねん全豪ぜんごうオープンである。コーチのガリクソンのショッキングなニュースを試合しあいちゅうらされたサンプラスは、コートじょうした。観客かんきゃくにとって、はじめてサンプラスがコートじょう人間味にんげんみせた瞬間しゅんかんであった。これ以来いらい、サンプラスにたいするロボットてき認知にんち変化へんかし、いままで以上いじょう人気にんきがでた。テニスに必要ひつようしんわざからだをすべてえていたサンプラスは、ロジャー・フェデラーをはじめとしたおおくの選手せんしゅたちの理想りそう目標もくひょうであり、かれらにおおきな影響えいきょうりょくあたえた。親指おやゆびあせをぬぐう、ワンプレーごとにストリングととのえるなどの習癖しゅうへきはサンプラスのトレードマークだった。

各種かくしゅ記録きろく一覧いちらん

編集へんしゅう

※オープン以降いこう

年間ねんかん最終さいしゅうランキング1「6ねん連続れんぞく
1993ねん-98ねん
グランドスラム11ねん連続れんぞく決勝けっしょう進出しんしゅつ
1992-2002ねんイワン・レンドルならび1タイ記録たいきろく
グランドスラム決勝けっしょう連続れんぞく勝利しょうり「8連続れんぞく
1995–2000ねん
全米ぜんべいオープン男子だんしシングルス優勝ゆうしょう回数かいすう「5かい
ジミー・コナーズロジャー・フェデラーならび1タイ記録たいきろく
全米ぜんべいオープン男子だんしシングルス決勝けっしょう進出しんしゅつ回数かいすう「8かい
イワン・レンドルならび1タイ記録たいきろく
全米ぜんべいオープン最年少さいねんしょう優勝ゆうしょう「19さい28にち
1990ねん
10代・20だい・30だいそれぞれでグランドスラム優勝ゆうしょう
男子だんしシングルスではにはケン・ローズウォールラファエル・ナダルのみ。

主要しゅよう大会たいかい決勝けっしょう

編集へんしゅう

グランドスラム決勝けっしょう

編集へんしゅう

シングルス: 18 (14 タイトル, 4 じゅん優勝ゆうしょう)

編集へんしゅう
  • 全豪ぜんごうオープン:2しょう(1994ねん、1997ねん)〔じゅん優勝ゆうしょう1:1995ねん
  • ウィンブルドン:7しょう(1993ねん-1995ねん、1997ねん-2000ねん) [3連覇れんぱと4連覇れんぱ男子だんし歴代れきだい2タイ]
  • 全米ぜんべいオープン:5しょう(1990ねん、1993ねん、1995ねん&1996ねん、2002ねん) [大会たいかい歴代れきだい4タイ]〔じゅん優勝ゆうしょう3:1992ねん、2000ねん&2001ねん
結果けっか とし 大会たいかい 対戦たいせん相手あいて スコア
優勝ゆうしょう 1990ねん 全米ぜんべいオープン   アンドレ・アガシ 6-4, 6-3, 6-2
じゅん優勝ゆうしょう 1992ねん 全米ぜんべいオープン   ステファン・エドベリ 6–3, 4–6, 6–7(5–7), 2–6
優勝ゆうしょう 1993ねん ウィンブルドン   ジム・クーリエ 7-6, 7-6, 3-6, 6-3
優勝ゆうしょう 1993ねん 全米ぜんべいオープン   セドリック・ピオリーン 6-4, 6-4, 6-3
優勝ゆうしょう 1994ねん 全豪ぜんごうオープン   トッド・マーティン 7-6, 6-4, 6-4
優勝ゆうしょう 1994ねん ウィンブルドン   ゴラン・イワニセビッチ 7-6, 7-6, 6-0
じゅん優勝ゆうしょう 1995ねん 全豪ぜんごうオープン   アンドレ・アガシ 6–4, 1–6, 6–7(6–8), 4–6
優勝ゆうしょう 1995ねん ウィンブルドン   ボリス・ベッカー 6-7, 6-2, 6-4, 6-2
優勝ゆうしょう 1995ねん 全米ぜんべいオープン   アンドレ・アガシ 6-4, 6-3, 4-6, 7-5
優勝ゆうしょう 1996ねん 全米ぜんべいオープン   マイケル・チャン 6-1, 6-4, 7-6
優勝ゆうしょう 1997ねん 全豪ぜんごうオープン   カルロス・モヤ 6-1, 7-6, 6-3
優勝ゆうしょう 1997ねん ウィンブルドン   セドリック・ピオリーン 6-4, 6-2, 6-4
優勝ゆうしょう 1998ねん ウィンブルドン   ゴラン・イワニセビッチ 6-7, 7-6, 6-4, 3-6, 6-2
優勝ゆうしょう 1999ねん ウィンブルドン   アンドレ・アガシ 6-3, 6-4, 7-5
優勝ゆうしょう 2000ねん ウィンブルドン   パトリック・ラフター 6-7, 7-6, 6-4, 6-2
じゅん優勝ゆうしょう 2000ねん 全米ぜんべいオープン   マラト・サフィン 4–6, 3–6, 3–6
じゅん優勝ゆうしょう 2001ねん 全米ぜんべいオープン   レイトン・ヒューイット 6–7(4–7), 1–6, 1–6
優勝ゆうしょう 2002ねん 全米ぜんべいオープン   アンドレ・アガシ 6-3, 6-4, 5-7, 6-4

年間ねんかん最終さいしゅうせん決勝けっしょう

編集へんしゅう

シングルス:6 (5タイトル, 1じゅん優勝ゆうしょう)

編集へんしゅう
結果けっか とし 開催かいさい サーフェス 対戦たいせん相手あいて スコア
優勝ゆうしょう 1991 フランクフルト カーペット(室内しつない)   ジム・クーリエ 3–6, 7–6(7–5), 6–3, 6–4
じゅん優勝ゆうしょう 1993 フランクフルト カーペット(室内しつない)   ミヒャエル・シュティヒ 6–7(3–7), 6–2, 6–7(7–9), 2–6
優勝ゆうしょう 1994 フランクフルト カーペット(室内しつない)   ボリス・ベッカー 4–6, 6–3, 7–5, 6–4
優勝ゆうしょう 1996 ハノーバー カーペット(室内しつない)   ボリス・ベッカー 3–6, 7–6(7–5), 7–6(7–4), 6–7(11–13), 6–4
優勝ゆうしょう 1997 ハノーバー ハード(室内しつない)   エフゲニー・カフェルニコフ 6–3, 6–2, 6–2
優勝ゆうしょう 1999 ハノーバー ハード(室内しつない)   アンドレ・アガシ 6–1, 7–5, 6–4

マスターズシリーズ決勝けっしょう

編集へんしゅう

シングルス:19 (11 タイトル, 8 じゅん優勝ゆうしょう)

編集へんしゅう
結果けっか とし 大会たいかい サーフェス 相手あいて スコア
じゅん優勝ゆうしょう 1991 シンシナティ ハード   ギー・フォルジェ 6–2, 6–7(4–7), 4–6
じゅん優勝ゆうしょう 1991 パリ 室内しつないカーペット   ギー・フォルジェ 6–7(9–11), 6–4, 7–5, 4–6, 4–6
優勝ゆうしょう 1992 シンシナティ ハード   イワン・レンドル 6–3, 3–6, 6–3
優勝ゆうしょう 1993 マイアミ ハード   マラビーヤ・ワシントン 6–3, 6–2
優勝ゆうしょう 1994 インディアンウェルズ ハード   ペトル・コルダ 4–6, 6–3, 3–6, 6–3, 6–2
優勝ゆうしょう 1994 マイアミ ハード   アンドレ・アガシ 5–7, 6–3, 6–3
優勝ゆうしょう 1994 ローマ クレー   ボリス・ベッカー 6–1, 6–2, 6–2
優勝ゆうしょう 1995 インディアンウェルズ ハード   アンドレ・アガシ 7–5, 6–3, 7–5
じゅん優勝ゆうしょう 1995 マイアミ ハード   アンドレ・アガシ 6–3, 2–6, 6–7(6–8)
じゅん優勝ゆうしょう 1995 カナダ ハード   アンドレ・アガシ 6–3, 2–6, 3–6
優勝ゆうしょう 1995 パリ 室内しつないカーペット   ボリス・ベッカー 7–6(7–5), 6–4, 6–4
じゅん優勝ゆうしょう 1996 シュトゥットガルト 室内しつないカーペット   ボリス・ベッカー 6–3, 3–6, 6–3, 3–6, 4–6
優勝ゆうしょう 1997 シンシナティ) ハード   トーマス・ムスター 6–3, 6–4
優勝ゆうしょう 1997 パリ 室内しつないカーペット   ヨナス・ビョルクマン 6–3, 4–6, 6–3, 6–1
じゅん優勝ゆうしょう 1998 シンシナティ ハード   パトリック・ラフター 6–1, 6–7(2–7), 4–6
じゅん優勝ゆうしょう 1998 パリ 室内しつないカーペット   グレグ・ルーゼドスキー 4–6, 6–7(4–7), 3–6
優勝ゆうしょう 1999 シンシナティ ハード   パトリック・ラフター 7–6(9–7), 6–3
優勝ゆうしょう 2000 マイアミ ハード   グスタボ・クエルテン 6–1, 6–7(2–7), 7–6(7–5), 7–6(10–8)
じゅん優勝ゆうしょう 2001 インディアンウェルズ ハード   アンドレ・アガシ 6–7(5–7), 5–7, 1–6

ATPツアー決勝けっしょう進出しんしゅつ結果けっか

編集へんしゅう

シングルス: 88 (64タイトル, 24じゅん優勝ゆうしょう)

編集へんしゅう
優勝ゆうしょう (64)
大会たいかいグレード
グランドスラム (14–4)
年間ねんかん最終さいしゅうせん (5–1)
グランドスラムカップ(2–1)
ATPマスターズシリーズ (11–8)
ATPインターナショナルシリーズゴールド (12–1)
ATPツアー (20–9)
サーフェスべつタイトル
ハード (36–12)
クレー (3–2)
しば (10–3)
カーペット (15–7)
サーフェスべつタイトル
屋外おくがい (41–16)
室内しつない (23–8)

ダブルス: 4 (2タイトル, 2じゅん優勝ゆうしょう)

編集へんしゅう

チームせん: 4 (2タイトル, 2じゅん優勝ゆうしょう)

編集へんしゅう

シングルス成績せいせき

編集へんしゅう

4だい大会たいかい

編集へんしゅう
略語りゃくご説明せつめい
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝ゆうしょう, F=じゅん優勝ゆうしょう, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦かいせん敗退はいたい, RR=ラウンドロビン敗退はいたい, Q#=予選よせん#回戦かいせん敗退はいたい, LQ=予選よせん敗退はいたい, A=大会たいかい不参加ふさんか, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ちいきゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピックきんメダル, S=オリンピックぎんメダル, B=オリンピックどうメダル, NMS=マスターズシリーズから降格こうかく, P=開催かいさい延期えんき, NH=開催かいさいなし.

大会たいかい 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 通算つうさん成績せいせき 勝率しょうりつ
全豪ぜんごうオープン A 1R 4R A A SF W F 3R W QF A SF 4R 4R 45-9 83.33%
ぜんふつオープン A 2R A 2R QF QF QF 1R SF 3R 2R 2R 1R 2R 1R 24-13 64.86%
ウィンブルドン A 1R 1R 2R SF W W W QF W W W W 4R 2R 63-7 90%
全米ぜんべいオープン 1R 4R W QF F W 4R W W 4R SF A F F W 71-9 88.75%
Win–Loss 0–1 4–4 10–2 6–3 15–3 23–2 21–2 20–2 18–3 19–2 17–3 8–1 18–3 13–4 11–3 203–38 84.23%

年間ねんかん最終さいしゅうせん

編集へんしゅう
大会たいかい 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 -
テニス・マスターズ・カップ RR W SF F W SF W W SF W SF 35–14

世界せかいランキング

編集へんしゅう
大会たいかい 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002
最終さいしゅうランキング 97 81 5 6 3 1 1 1 1 1 1 3 3 10 13
大会たいかい 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 SR W–L Win %
ATPマスターズシリーズ
インディアンウェルズ 3R 3R 2R A 3R 3R W W QF 2R 3R 2R QF F SF 2 / 14 31–12 72%
キー・ビスケーン A 1R QF 2R QF W W F SF SF 3R QF W 3R 3R 3 / 14 42–10 81%
モンテカルロ A A A A 2R A A 2R A 2R 3R A A A A 0 / 4 1–4 20%
ローマ A 2R A 2R QF SF W 1R A 1R 3R 2R A 1R 1R 1 / 11 18–10 64%
ハンブルグ A A A 3R A A A SF A A A A 2R 1R 1R 0 / 5 5–5 50%
カナダ A A SF 2R A 3R A F A A QF A QF A 3R 0 / 7 15–7 68%
シンシナティ 1R 3R 3R F W SF A QF QF W F W 3R 2R 2R 3 / 14 38–11 78%
シュトゥットガルト1 A A SF QF SF 2R SF SF F 3R SF A A QF A 0 / 10 23–10 70%
パリ A A 3R F 2R QF QF W 2R W F 3R A A A 2 / 10 24–7 77%
オリンピック
シングルス Not Held 3R Not Held Not Held Not Held 0 / 1 2–1 67%
成績せいせき
1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 SR W–L Win %
大会たいかい 9 19 22 20 21 23 18 21 17 18 22 13 12 15 16 266
タイトル–じゅん優勝ゆうしょう 0–0 0–0 4–4 4–8 5–7 8–9 10–12 5–9 8–9 8–8 4–7 5–5 2–4 0–4 1–2 64 / 266 64–88 72.73%
ハードコート Win–Loss 8–7 13–10 27–8 25–7 25–5 43–6 37–3 37–6 46–4 35–5 30–10 23–5 28–7 26–10 20–8 36 / 427–104 80%
しば Win–Loss 0–0 2–2 6–2 5–3 7–2 7–1 11–1 12–0 4–1 8–1 8–1 12–0 11–1 6–2 2–3 10 / 101–20 83%
カーペット Win–Loss 2–2 1–4 18–6 19–6 18–4 21–5 17–6 16–5 10–3 10–2 14–3 1–0 1–1 0–0 0–0 15 / 144–44 77%
クレー Win–Loss 0–1 2–3 0–1 3–3 22–8 14–4 12–2 7–5 5–3 2–4 9–3 4–3 2–4 3–4 5–6 3 / 90–54 63%
全体ぜんたい Win–Loss 10–10 18–19 51–17 52–19 72–19 85–16 77–12 72–16 65–11 55–12 61–17 40–8 42–13 35–16 27–17 64 / 266 762–222 77%
Win % 50% 49% 75% 73% 79% 84% 87% 82% 86% 82% 78% 83% 76% 69% 61% 77.44%
$43,280,489

表彰ひょうしょう

編集へんしゅう

対戦たいせん成績せいせき

編集へんしゅう

世界せかいランク最高さいこう10以内いないで5かい以上いじょう対戦たいせんがある選手せんしゅ世界せかいランク1在位ざいいしゃ、グランドスラム決勝けっしょう対戦たいせんのある選手せんしゅ記載きさい

太字ふとじ世界せかいランキング1経験けいけんしゃ

アンドレ・アガシ

編集へんしゅう

アガシは、サンプラスの最強さいきょうのライバルであり、「最強さいきょうのオールラウンドプレイヤーとストローカーの対決たいけつ」、「1990年代ねんだい最高さいこうのライバル」とわれた関係かんけいである[5][6][7]

対戦たいせん成績せいせきはサンプラスの20しょう14はいであるが、両者りょうしゃ得意とくいのハードコートではサンプラスの11しょう9はいで、ほぼ互角ごかくである。 サンプラスは4だい大会たいかい優勝ゆうしょう14かい世界せかいランキング1286しゅうとうかがやかしい実績じっせきつが、アガシも4だい大会たいかい優勝ゆうしょう8かい世界せかいランキング1101しゅうくわえ、キャリアグランドスラム達成たっせい、オリンピックきんメダリストとうかがや実績じっせきっている[8][9]

両者りょうしゃジュニア時代じだいからのライバルであり、サンプラスが「最初さいしょの4だい大会たいかい優勝ゆうしょうした 1990ねん全米ぜんべいオープン 決勝けっしょう」「最後さいごの4だい大会たいかい優勝ゆうしょうであり引退いんたい試合しあいとなった 2002ねん全米ぜんべいオープン 決勝けっしょう」の相手あいては、いずれもアガシである。[10][11]

4だい大会たいかいでは、全米ぜんべい4かい(サンプラス4しょう0はい)、ウィンブルドン2かい(サンプラス2しょう0はい)、ぜんごう2かい(アガシ2しょう0はい)、ぜんほとけ1かい(アガシ1しょう0はい)とけい9かい対戦たいせんしている(けいサンプラス6しょう3はい)。おおくがめい勝負しょうぶとされることのおお両者りょうしゃ対戦たいせんであるが、代表だいひょうれいとしてつぎの2試合しあいげられる。1995ねん全豪ぜんごうオープン決勝けっしょうとう、1994ねん~1995ねん対戦たいせんめい勝負しょうぶとあげられることもある[12]

  • 1993ねんウィンブルドン選手権せんしゅけん準々じゅんじゅん決勝けっしょう サンプラス 6-2, 6-2, 3-6, 3-6, 6-4
    • 前年ぜんねんのウィンブルドンチャンピオンであるアガシ」と、1990年代ねんだいしば王者おうじゃとなったサンプラスのいちせん。「サーブ&ボレー」と「ストローク」の緊迫きんぱくした激戦げきせんであり、サンプラスがフルセットで辛勝しんしょう。こののちサンプラスは、準決勝じゅんけっしょうで「1980年代ねんだい後半こうはんしば王者おうじゃベッカー」、決勝けっしょうで「当時とうじ世界せかいランキングNo.1のクーリエ」を撃破げきはし、ウィンブルドンはつ優勝ゆうしょう。こののち全米ぜんべいオープン優勝ゆうしょう全豪ぜんごうオープン優勝ゆうしょうと4だい大会たいかいを3連勝れんしょうしサンプラス時代じだいはじまっている。この勝負しょうぶは、フルセットの激戦げきせんくわえ、歴史れきしてき位置付いちづけもくわえた総合そうごうてき観点かんてんでサンプラスとアガシのベストマッチとえる。
  • 2001ねん全米ぜんべいオープン準々じゅんじゅん決勝けっしょう サンプラス 6-7, 7-6 7-6, 7-6
    • りょう者共ものどもにキャリア晩年ばんねん対戦たいせんであるが、歴史れきしじょう最強さいきょうプレイヤー同士どうし非常ひじょうたかいレベルを維持いじし、両者りょうしゃすべてサービスキープしすべてタイブレークとなり、6-7, 7-6 7-6, 7-6でサンプラスが勝利しょうり歴史れきしてき位置付いちづけではかならずしもたかくないものの、テニス史上しじょう最高さいこう内容ないようの「サーブ&ボレー」と「ストローク」の対決たいけつとして、サンプラスとアガシのベストマッチである[13]

ボリス・ベッカー

編集へんしゅう

1980年代ねんだい後半こうはんしば王者おうじゃベッカーと、1990年代ねんだいしば王者おうじゃサンプラスは、サンプラスの12しょう7はいともにサーブ&ボレーを得意とくいとしつつストロークも強力きょうりょくなオールラウンダー同士どうし対決たいけつとなった。

両者りょうしゃは、高速こうそくハードコートにおいて、アガシ以上いじょうのライバル関係かんけいにあり、サンプラスの6しょう7はい1990年代ねんだい前半ぜんはん屈指くっしのカードである。とく1996ねん年間ねんかん最終さいしゅうせんは、5セットマッチのフルセットでサンプラスに軍配ぐんばいがったが、ベッカーの4連続れんぞくサービスエースでのがり、ごたえ満点まんてん壮絶そうぜつい、5セットちゅう3セットがタイブレークまでのもつれとう1990年代ねんだい最高さいこう試合しあいひとつである。 [14][15]

しかししばのコートでは、 1993ねん準決勝じゅんけっしょう1995ねん決勝けっしょう1997ねん準々じゅんじゅん決勝けっしょうと3かい対戦たいせんしたウインブルドンで、いずれもサンプラスが勝利しょうり1980年代ねんだい後半こうはんしば王者おうじゃであったベッカーは、キャリア晩年ばんねんになったとはいえ、1990年代ねんだいしば王者おうじゃである全盛期ぜんせいきサンプラスにいちしばつことができず、世代せだい交代こうたい明確めいかくしたカードでもある。

パトリック・ラフター

編集へんしゅう

パトリック・ラフターは16せんちゅうサンプラスの12しょうである。

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ 海外かいがいサンプラス評価ひょうか抜粋ばっすい https://www.ne.jp/asahi/pete/sampras/news/2013/N-Birthday130812J.html
  2. ^ スポーツ雑誌ざっしNumber抜粋ばっすい http://number.bunshun.jp/articles/-/238389/feedbacks?per_page=10
  3. ^ アメリカばんtennis サンプラス関連かんれん記事きじ抜粋ばっすい https://www.ne.jp/asahi/pete/sampras/archives/article_instruction.html
  4. ^ ベッカーのダイビングボレー、錦織にしきおりけいのエアケイと同様どうよう実際じっさい勝負しょうぶでの有効ゆうこうせいには議論ぎろんがあるが、観客かんきゃくをわかせプレイヤーの特徴とくちょうになったわざ
  5. ^ インターネットテニスメディアHOTSHOT記事きじ抜粋ばっすい http://hotshot.jp/enjoy/4917
  6. ^ スポーツ雑誌ざっしNumber記事きじ抜粋ばっすい http://number.bunshun.jp/articles/-/81774/feedbacks http://number.bunshun.jp/articles/-/81774/feedbacks?per_page=10
  7. ^ テニスblog サンプラスたいアガシ http://www.jouhoumou.net/~au-saga/lendl/column4_SAMPvsAGAS.html
  8. ^ ATPtennis/head2head抜粋ばっすい http://www.atpworldtour.com/en/players/pete-sampras/s402/overview
  9. ^ テニスblogサンプラスたいアガシ http://www.jouhoumou.net/~au-saga/lendl/column4_SAMPvsAGAS.html
  10. ^ ATPtennisサイト/head2head参照さんしょう http://www.atpworldtour.com/en/players/pete-sampras/s402/overview
  11. ^ 1990ねん全米ぜんべいオープン (テニス)2002ねん全米ぜんべいオープン男子だんしシングルス
  12. ^ インターネットテニスメディアHOTSHOT記事きじ抜粋ばっすい http://hotshot.jp/enjoy/4917
  13. ^ テニスblog抜粋ばっすい なつかしのめい勝負しょうぶとう ① http://www7a.biglobe.ne.jp/~PAPHIO-IN-OKINAWA/Tennisessay4.htm   ② http://tennis55.exblog.jp/17585233/ ③ http://www.jouhoumou.net/~au-saga/lendl/column4_SAMPvsAGAS.html
  14. ^ インターネットテニスメディアHOTSHOT記事きじ抜粋ばっすい http://hotshot.jp/enjoy/7779
  15. ^ 海外かいがいレポート 1996ねん最終さいしゅうせん https://www.ne.jp/asahi/pete/sampras/news/2010/N-Pete_Becker101117J.html

外部がいぶリンク

編集へんしゅう
テニス4だい大会たいかい男子だんしシングルス優勝ゆうしょう記録きろく
順位じゅんい 回数かいすう 選手せんしゅめい
1 24しょう   ノバク・ジョコビッチ *
2 22しょう   ラファエル・ナダル *
3 20しょう   ロジャー・フェデラー
4 14しょう   ピート・サンプラス
5 12しょう   ロイ・エマーソン
6タイ 11しょう   ロッド・レーバー |   ビョルン・ボルグ
8 10しょう   ビル・チルデン
9タイ 8しょう   マックス・デキュジス |   アンリ・コシェ |   フレッド・ペリー |   ケン・ローズウォール |   ジミー・コナーズ |   イワン・レンドル |   アンドレ・アガシ
*は現役げんえき選手せんしゅ
タイトル
先代せんだい
  ジム・クーリエ
  ジム・クーリエ
  アンドレ・アガシ
  トーマス・ムスター
  トーマス・ムスター
 マルセロ・リオス
  マルセロ・リオス
  カルロス・モヤ
  エフゲニー・カフェルニコフ
  パトリック・ラフター
  アンドレ・アガシ
世界せかいランキング1
1993ねん4がつ12にち – 1993ねん8がつ22にち
1993ねん9がつ13にち – 1995ねん4がつ9にち
1995ねん11月6にち – 1996ねん1がつ28にち
1996ねん2がつ19にち – 1996ねん3がつ10日とおか
1996ねん4がつ15にち – 1998ねん5がつ29にち
1998ねん4がつ27にち – 1998ねん8がつ9にち
1998ねん8がつ24にち – 1999ねん3がつ14にち
1999ねん3がつ29にち – 1999ねん5がつ2にち
1999ねん6がつ14にち – 1999ねん7がつ4にち
1999ねん8がつ2にち – 1999ねん9がつ12にち
2000ねん9がつ11にち – 2000ねん11月19にち
次代じだい
  ジム・クーリエ
  アンドレ・アガシ
  アンドレ・アガシ
  トーマス・ムスター
  マルセロ・リオス
 マルセロ・リオス
  カルロス・モヤ
  エフゲニー・カフェルニコフ
  アンドレ・アガシ
  アンドレ・アガシ
  マラト・サフィン
記録きろく
先代せんだい
  イワン・レンドル
ATP生涯しょうがい獲得かくとく賞金しょうきんおう
1996–2007
次代じだい
  ロジャー・フェデラー
先代せんだい
  ビヨン・ボルグ
グランドスラム最多さいたタイトル獲得かくとく(オープン以降いこう
1999ねん6がつ21にち – 2009ねん7がつ5にち
次代じだい
 ロジャー・フェデラー
先代せんだい
  ロイ・エマーソン
グランドスラム最多さいたタイトル獲得かくとく
2000ねん6がつ26にち – 2009ねん7がつ5にち
次代じだい
 ロジャー・フェデラー
先代せんだい
  イワン・レンドル
世界せかいランキング1最長さいちょう記録きろく
2000ねん9がつ11にち – 2012ねん7がつ16にち
次代じだい
  ロジャー・フェデラー