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フラメンコ - Wikipedia

フラメンコ

スペインの音楽おんがく舞踊ぶよう

フラメンコ(Flamenco)は、スペイン南部なんぶアンダルシア地方ちほう中心ちゅうしんに、ムルシアしゅうエストレマドゥーラしゅうにもつたわる芸能げいのう[1]うたおどり、ギターの伴奏ばんそう主体しゅたいとなっている。2010ねんにはユネスコによって、スペインの無形むけい文化ぶんか遺産いさん登録とうろくされた[1]

フラメンコ
フラメンコのバイラオーラ
様式ようしきてき起源きげん
文化ぶんかてき起源きげん スペインの旗 アンダルシア, スペイン
使用しよう楽器がっき
サブジャンル
ニュー・フラメンコ (flamenco nuevo)
融合ゆうごうジャンル
フラメンコ・チル (ダウンビート)
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フラメンコの歴史れきし発展はってんにはヒターノ(スペインにおけるロマ、いわゆるジプシー)が重要じゅうよう役割やくわりたしている。さらにさかのぼると、ムーアじんユダヤじん影響えいきょうもみられるとされる。

"flamenco"という単語たんごは、元来がんらいスペインにおいて「フランドルの〜」という意味いみ形容詞けいようしであり、てんじてフランドルじんのことをした。より直接的ちょくせつてきにはフラマンはなひとのことであったともかんがえられる。また鳥類ちょうるいフラミンゴ意味いみつ。

ただしこの芸術げいじゅつ古来こらいから"flamenco"とばれていたわけではなく、その呼称こしょうもちいられはじめたのは19世紀せいき中盤ちゅうばんとされる

なぜこの芸能げいのうが19世紀せいきに"flamenco"という言葉ことばばれるようになったかは諸説しょせつがあり、いずれも推測すいそくいきていない。以下いかおも諸説しょせつげる。

  • ヒターノがフランドル地方ちほうからやってきたとかんがえたため、まずヒターノのことをフラメンコとぶようになり、やがてかれらの芸能げいのうをもフラメンコとぶようになったというせつ
  • フランドル地方ちほう出身しゅっしんのスペインおうカルロス1せい一般いっぱんてきには神聖しんせいローマ皇帝こうていカール5せい)がフランドル出身しゅっしん派手はできでならずもの兵士へいしれてきたため。以降いこうフランドルじんにかぎらずそのような連中れんちゅうを"flamenco"とぶようになったというせつ
  • ほのお」を意味いみする"flama"または"flamente"(派手はでな)、"flamancia"(かおり)のような単語たんご語源ごげんとするせつ
  • アラビアの"fellah min ghyr ard"「土地とちたない(した)農民のうみん」を語源ごげんとするせつ
  • アラビアの"fellah mangu"「農民のうみんうた」を語源ごげんとするせつ
  • うたまたはおどしゅ姿すがたがフラミンゴのようであったからとするせつ
 
ジョン・シンガー・サージェントえがいたスペインのおど

フラメンコの歴史れきしには不明ふめいてんおおい。そのがた成立せいりつ18世紀せいきすえかんがえられているが、この時期じきにはまだフラメンコという名称めいしょうあたえられていなかった。

スペイン国内こくないにおいて、より独自どくじせいつよいアンダルシアのアイデンティティーをフラメンコにもとめて、極端きょくたんなものとしては紀元前きげんぜんのアンダルシアに居住きょじゅう侵入しんにゅうしたタルテッソスフェニキアじんマ帝国まていこく時代じだいガデス紀元きげん西にしゴート王国おうこくなどの歌舞かぶ音曲おんぎょくにフラメンコのルーツをもとめようとする意見いけんもあるが、それらのわずかな文献ぶんけん遺物いぶつとフラメンコを比較ひかくすることは不可能ふかのうといえる。

またそのアンダルシアをなが支配しはいしたイスラム教徒きょうと、また居住きょじゅうしていたユダヤじん音楽おんがくがフラメンコに影響えいきょうあたえたというせつは、アンダルシアの文化ぶんか全般ぜんぱんへのかれらの影響えいきょうおおきさをかんがみて妥当だとうとはされるものの、音楽おんがくとしてフラメンコとの明確めいかく関連かんれんせい類似るいじせい立証りっしょうされていない。またフラメンコの成立せいりつおおきな役割やくわりになったヒターノのルーツとされるインド音楽おんがくや、かれらが移動いどうしてきた経路けいろじょう各地かくち音楽おんがくにルーツをさぐろうとするものもある。

この芸能げいのう成立せいりつにはヒターノのほか、いわゆるモーロじんムーアじん)、すなわちイベリア半島はんとうんでいたイスラム教徒きょうと影響えいきょうおおきいともいわれる。その理由りゆうとして現在げんざいかんがえられているのは、イベリア半島はんとうにおけるモリスコ改宗かいしゅうイスラム教徒きょうと追放ついほうれいである。1492ねんグラナダ陥落かんらくナスルあさ滅亡めつぼうすると、スペイン政府せいふはモーロじん改宗かいしゅう国外こくがい退去たいきょせまった。そのイスラム教徒きょうと表向おもてむきはキリスト教徒きりすときょうと改宗かいしゅうしてイベリア半島はんとうとどまったが、徐々じょじょ禁令きんれいなどのめつけがきびしくなり、1609ねんにはスペイン全土ぜんどからのモリスコの追放ついほうれいされた。しかしモリスコのなかにはヒターノのコミュニティに潜伏せんぷくしてなおもイベリア半島はんとうまるものすくなくなかった[2]一方いっぽうのヒターノは1462ねんにはアンダルシアに到着とうちゃくし、17世紀せいきから18世紀せいきにかけてすうおおくの禁令きんれいまたは懐柔かいじゅうさく定住ていじゅう強要きょうようさせられつつ、それまでに国外こくがい退去たいきょした職人しょくにん農業のうぎょう従事じゅうじしゃとしてのムスリム・モリスコのけたあなめていった。この過程かていでモリスコの音楽おんがくとヒターノの音楽おんがく融合ゆうごうきたとかんがえられている[3]


成立せいりつ

編集へんしゅう

19世紀せいき前半ぜんはんにはすでにフラメンコはアンダルシアで上演じょうえんされるようになっていたが[4]、フラメンコ(フランドル地方ちほう音楽おんがくという意味いみ)というかたりが、今日きょうられる意味いみでのフラメンコにたいしてもちいられるようになった時期じきは、文献ぶんけんから判断はんだんするかぎり19世紀せいきなかばのことである。現在げんざい意味いみにおけるフラメンコというかたり初出しょしゅつ1853ねんマドリードおこなわれた夜会やかいについてのものであり、1860ねんごろからはこのかたりセビリアでももちいられるようになった[5]。いずれにせよ、フラメンコの起源きげんはアンダルシア地方ちほう、なかでもセビリアやカディス周辺しゅうへんのアンダルシア西部せいぶ本場ほんばとされている[6]

フラメンコが演奏えんそうされるは、当初とうしょ個人こじんいえなどプライベートな空間くうかん中心ちゅうしんであった。この時期じきにはギターが使用しようされることもすくなく、手拍子てびょうしごえ(ハレオ)による伴奏ばんそうおもであった[7]

こうした状況じょうきょうは、19世紀せいきなかばにカフェ・カンタンテとばれる定期ていきてきにフラメンコが上演じょうえんされる飲食いんしょくてん出現しゅつげんしたことでおおきく変容へんようする。最初さいしょのカフェ・カンタンテは1842ねんにセビリアにできたとされる。[8]当初とうしょはフラメンコでなくピアノやクラシックをかせるであったようであるが、19世紀せいき後半こうはんはいるとフラメンコを興行こうぎょうする。とくにシルベリオ・フランコネッティのカンテと意欲いよくてき行動こうどう原動力げんどうりょくとなって1870年代ねんだい以降いこうさかんとなり、かれ自身じしんひらいたカフェでは偉大いだいなアーティストが多数たすう活躍かつやくした[9]

さらにフラメンコの本場ほんばであるアンダルシア以外いがいにも、マドリードバルセロナなどスペイン国内こくない各地かくちにカフェ・カンタンテが出現しゅつげんし、フラメンコはアンダルシア地方ちほういち民族みんぞく音楽おんがくからおおきく飛躍ひやくすることとなった。またこの時期じきにはフラメンコの内容ないようおおきく変容へんようし、1870年代ねんだいにプロの舞踊ぶよう登場とうじょう[10]、ギターがフラメンコの主流しゅりゅう楽器がっきとなったほか、それまでのヒターノたちの影響えいきょうつよけたカンテ・ヒターノのほかに、もとからのアンダルシア民謡みんようがフラメンコの影響えいきょうけたカンテ・アンダルースとばれるもうひとつのあたらしいながれがまれた。そして各地かくちにカフェ・カンタンテが出現しゅつげんしたことから、芸能げいのうとして確立かくりつされたフラメンコにはすぐれた奏者そうしゃ次々つぎつぎあらわれ、フラメンコはよりゆたかで洗練せんれんされたものとなっていった[11]

カフェ・カンタンテは20世紀せいき初頭しょとうには姿すがたし、フラメンコも1920ねんから1950ねんごろまでは低迷ていめいむかえるが、20世紀せいき後半こうはんになると伝統でんとう復興ふっこう気運きうんき、上演じょうえん場所ばしょかんしても同様どうよう飲食いんしょくてんであるタブラオが出現しゅつげんし、現在げんざいまでフラメンコの上演じょうえんおおきな部分ぶぶんめている。この時期じきからは劇場げきじょう公演こうえんやフェスティバル、またペーニャ(Peña)とよばれる同好どうこうかいもフラメンコ上演じょうえん重要じゅうようとなっていった[12]


アーティスト

編集へんしゅう

18世紀せいき以前いぜんられるアーティスト、El MurcianoやTío Luis de la Julianaなどは伝説でんせついきず、その実在じつざいせいについては議論ぎろんがつきまとう。

いつたえではなく確実かくじつ存在そんざいした人物じんぶつとして、19世紀せいきにはエル・プラネータエル・フィージョシルベリオ・フランコネッティパコ・ラ・ルストマス・エル・ニトリエンリケ・エル・メジーソなどのうた記録きろくされ、そのうたくち現在げんざいまで伝承でんしょうされ尊重そんちょうされている場合ばあいおおい。

20世紀せいき前半ぜんはんまでにはアントニオ・チャコンマヌエル・トーレニーニャ・デ・ロス・ペイネスアントニオ・マイレーナマノロ・カラコールなど、現在げんざいにいたるフラメンコのしょ形式けいしきをほぼ形作かたちづくったともいえるうたたちがあらわれ、録音ろくおんおこなわれはじめた。ギタリストでは、クラシックギターの技術ぎじゅつをとりいれてフラメンコギターに革新かくしんをもたらしたラモン・モントージャ[13]圧倒的あっとうてき技術ぎじゅつゆたかな音楽おんがくせい君臨くんりんしたサビーカス偉大いだいうたたちから絶大ぜつだい信頼しんらいをうけた伴奏ばんそうしゃメルチョール・デ・マルチェーナなどが特筆とくひつされる。 1930〜40年代ねんだいにはフラメンコはカンテ・ボニートとばれる甘美かんび傾向けいこう顕著けんちょになり、「オペラ・フラメンカ」とよばれる舞台ぶたい主流しゅりゅうとなった。ペペ・マルチェーナファニート・バルデラーマなどに代表だいひょうされる、すうおおくの美声びせいうたたちが大衆たいしゅう人気にんきはくしたが[14]一方いっぽう純粋じゅんすいとされるフラメンコはかげかくれた様相ようそうとなった[15]。 しかし1954ねんにギタリストであるペリーコ・エル・デル・ルナールによって伝統でんとうてきなカンテのアンソロジーがまれたのを契機けいきに、伝統でんとうてきなカンテへのさい評価ひょうかがなされ[15]フアン・タレガラファエル・ロメーロペペ・エル・デ・ラ・マトローナなどかくれていた名人めいじん古老ころう録音ろくおんや、フェスティバルとうへの出演しゅつえん相次あいついだ。

この時代じだいには、フォスフォリートウトレーラ姉妹しまいなどの本格ほんかくてきうたたちもた。ギタリストでは、いわば「さい発見はっけん」されたディエゴ・デル・ガストール特筆とくひつされる。

20世紀せいき後半こうはんにはギター、カンテ、舞踊ぶようかく分野ぶんや技術ぎじゅつ革新かくしんおこな人物じんぶつ次々つぎつぎ登場とうじょうした。ギターの分野ぶんやでは1960年代ねんだい相次あいついで登場とうじょうしたマノロ・サンルーカルセラニートなかでもとりわけパコ・デ・ルシアもっと重要じゅうよう革新かくしんしゃとされる[16]。フラメンコの演奏えんそうとして出発しゅっぱつしたギタリストであるパコ・デ・ルシアがジャズやクラシック・ギターの要素ようそ大胆だいたんれ、ギターの奏法そうほうやフラメンコの音楽おんがくせい革命かくめいてき変化へんかをもたらした[17]。その奏法そうほうには賛否さんぴ両論りょうろんあるが、トマティートビセンテ・アミーゴなど、その系譜けいふ中堅ちゅうけん若手わかてのギタリストは現在げんざい非常ひじょうおお[18]

カンテの分野ぶんやではパコ・デ・ルシアやトマティートとともに活動かつどうした男性だんせい歌手かしゅカマロン・デ・ラ・イスラ名高なだか[19]ほか、エンリケ・モレンテレブリハーノなどが様々さまざまかたちでカンテに革新かくしんをもたらし、賛否さんぴ両論りょうろんびつつもおおくの追随ついずいしゃんだ。

こうしたフラメンコはさらにジャズブルースロックサルサひとしとの融合ゆうごうし、ドラムやベース、キーボードや管楽器かんがっきなど様々さまざま楽器がっきもちいるによって「ヌエボ・フラメンコ」(しんフラメンコ)とばれ、パタ・ネグラケタマのように、フラメンコのファン以外いがいにもひろられるようなグループがまれた。近年きんねんではフュージョンヒップホップ・ミュージックとフラメンコとの融合ゆうごうおこなわれている[20]

舞踊ぶよう分野ぶんやではアントニオ・ガデスファルーコカルメン・アマジャマリオ・マジャマヌエラ・カラスコホアキン・コルテスアントニオ・カナーレスエバ・ジェルバブエナなどのげられる。

そのフラメンコてき朗読ろうどくもフラメンコのげいひとつとされる。

現代げんだいにおいてはカホンやピアノ、フルートやバイオリンなどをもちいてフラメンコを表現ひょうげんするアーティストも多数たすう存在そんざいする。

アーティストの呼称こしょう

編集へんしゅう

同名どうめい同姓どうせいおおいスペインではおさなころから愛称あいしょうやあだばれることがおおく、それらが芸名げいめいとなって本名ほんみょう名乗なのらないこともおおい。また同名どうめい親子おやこ兄弟きょうだいなどを区別くべつするために縮小しゅくしょう(-ito/-ita)が付加ふかされることもおおい。

おもちち名前なまえ付加ふかしたもの
Paco de Lucía ("Paco"は本名ほんみょう"Francisco"にたいする愛称あいしょう。"Lucía"ははは) 。Niño Ricardo ("Ricardo"はちち。「リカルドの息子むすこ」)
出身しゅっしん地名ちめい付加ふかしたもの
Fernanda de Utrera、Diego de Morón ("Utrera"や"Morón"はまち)。Lebrijano ("Lebrija"はまち、「レブリーハおとこ」)
一族いちぞく共通きょうつうとおをもつもの
Pepe Habichuela ("Pepe"は本名ほんみょう"José"にたいする愛称あいしょう、"Habichuela"はインゲンまめ意味いみ一族いちぞく共通きょうつう)。Manuel Morao ("Morao"は"morado"でむらさき意味いみ)、そのおとうとはMoraíto(しょうモラオ)、おいはMoraíto chico (しょうしょうモラオ)
身体しんたいてき特徴とくちょうなど
Enrique el Cojo ("Cojo"は「びっこ」)。Gordo Agujeta ("Gordo"は「ふとっちょ」、"Agujeta"は一族いちぞく)。Chato de la Isla ("Chato"は「はなぺちゃ」、"Isla"は出身しゅっしんのIsla de San Fernando)。日本にっぽんでは差別さべつてき做されそうなものもある。
職業しょくぎょう
El Zapatero ("Zapata"「くつ職人しょくにん)。El Gasolina (ガソリンスタンド勤務きんむ)。本職ほんしょくをもちながら、フラメンコのアーティストである場合ばあいおおい。

フラメンコの形態けいたい

編集へんしゅう

フラメンコ独特どくとくのアクセントやニュアンスをふくめた、コンパス(compás)とよばれるリズム体系たいけいつ。一般いっぱんてきなの音楽おんがく概念がいねんからするとへん拍子ひょうしてきなものがおおい。とくに12拍子ひょうしとされるものが特徴とくちょうてきである。 使用しようされる音階おんかいは「ミの旋法せんぽう」ともばれる現代げんだいフリギア旋法せんぽうてきなものが中心ちゅうしんであり、長調ちょうちょう短調たんちょう使用しようからレパートリーにれられた比較的ひかくてきかるきょくにほぼかぎられる。

フラメンコはうた「カンテ」(Cante)が中心ちゅうしんであり、かならずしもおどりやギターをともなわない。カンテは、もちいられるコンパスや曲調きょくちょう、メロディのちがいによっておおくの形式けいしき「パロ」(Palo)に分類ぶんるいされる。楽曲がっきょくは、とく伝統でんとうてきなものでは形式けいしきばれることがほとんどであり、固有こゆう曲名きょくめいは、余程よほど特徴とくちょうつヒットきょく多少たしょう歌謡曲かようきょくりのものなどをのぞけば、さほど重視じゅうしされない。

カンテのほとんどは音節おんせつくだりすう脚韻きゃくいん仕方しかたさだまった定型ていけいもちいてうたわれ、形式けいしきによってもちいるスタイルがさだまっている場合ばあいもある。 歌詞かしは、非常ひじょうふるくからつたわるロマンセや、ぎゃく近年きんねん歌謡かようきょくてきなものをのぞいては、とくに物語ものがたりせいのないものがおおい。また隠喩いんゆダブル・ミーニングもちいて、一見いっけんしたところでは意味いみ不明ふめいである場合ばあいおおい。脚韻きゃくいん必須ひっすであり、たん音楽おんがくてきであること以上いじょうに、あるしゅ文学ぶんがくせいつよもとめられる。

定型ていけいもちいてうたわれるが、かえしや間投詞かんとうし挿入そうにゅう倒置とうちほう休止きゅうしなどによってちぢみがあり、即興そっきょうせいたかい。そのため基本きほんてき楽譜がくふもちいられない。また基本きほんてきつよ口語体こうごたいアンダルシア方言ほうげんうたわれるため、スペイン話者わしゃであってもききとれないほどのこともある。

種類しゅるい(パロ)

編集へんしゅう

フラメンコのカンテは、リズム(コンパス)や曲調きょくちょう発祥はっしょうによっておおくの種類しゅるい分類ぶんるいされ、おもなものでも70種類しゅるいほど、さらに地域ちいきなどで細分さいぶんするきもある。

ソレアけい

編集へんしゅう

12拍子ひょうしで1サイクルとする、フラメンコをもっと象徴しょうちょうするリズムである

ソレア (Soleá/複数ふくすうがたSoleares)
soledad (孤独こどく)が由来ゆらいとされる。「カンテのはは」とばれ、フラメンコにとってもっともエッセンシャルな形式けいしきといえる。名人めいじんたちによって創造そうぞうされ細分さいぶんされた多数たすうのスタイルがあり、たん伝統でんとうてきなのではなく個性こせい許容きょようされる寛容かんようさもつ。
ブレリア (Bulería)
burla(あざけり)が語源ごげんとも、Bolero語源ごげんともいわれる。ソレアから派生はせいした。もっともテンポがはやきょくしゅであり、はげしい曲調きょくちょうつものもある。うたげめによく使つかわれる。現代げんだいのフラメンコにおいてもっとも花形はながたてきなポジションをている
カーニャ (Caña)
フラメンコのきょくしゅなかでももっとふるいもののひとつとされるが、様式ようしきなか固定こていされソレアほどにさかんにはうたわれない。

カンティーニャスけい

編集へんしゅう

長調ちょうちょう。ソレアと同様どうようのリズム体系たいけいであるが、より軽快けいかいあかるい。

アレグリアス (Alegrías)
カディス発祥はっしょうであるがルーツはスペイン北部ほくぶホタにあるとされる。alegría(よろこび)という語源ごげんどおりのあかるく陽気ようききょくしゅ。ダイナミックで爽快そうかいなバイレが特徴とくちょう
カラコレス (Caracoles)
食用しょくようのカタツムリをさいごえがモチーフであるとされる。

シギリージャ・トナーけい

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シギリージャ (Siguiriya)
へん拍子ひょうしふう複雑ふくざつなリズムをつ。簡素かんそ厳格げんかく曲調きょくちょうであり、カンテはなげきを表現ひょうげんする奥深おくふかいものである。
マルティネーテ (Martinete)
ギターの伴奏ばんそうともなわないカンテのひとつ。ヒターノの生業せいぎょうである鍛冶屋かじや発祥はっしょうといわれ、ハンマーできむゆかをたたくおとのみで伴奏ばんそうされることがある。

タンゴけい

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タンゴ (Tango)
カディス発祥はっしょうのほか、トリアーナ(セビージャいち地区ちく)、グラナダマラガエストレマドゥーラひとしにみられる。2拍子ひょうしでノリのよいあかるいきょくしゅアルゼンチン・タンゴとは別種べっしゅうたげめによく演奏えんそうされる。
ティエントス (Tientos)
手探てさぐり」の。タンゴのつうねりをより強調きょうちょうした、ゆったりした曲調きょくちょうのものがタンゴから分化ぶんかしたもの。とくにカディスにかれる。
タンギージョ (Tanguillos)
ちいさなタンゴの。タンゴよりもはやく、とく近年きんねんのものはシンコペーションが多用たようされる。カディスのカルナバル謝肉祭しゃにくさい)のさいうたわれる風刺ふうしのきいた歌詞かしのものが有名ゆうめい。それをけたユーモラスで愛嬌あいきょうあふれるバイレも特徴とくちょうてき

アンダルシア民謡みんよう起源きげん

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セビジャーナス (Sevillanas)
セビージャ発祥はっしょう舞踊ぶようきょく起源きげん。4きょくで1セットで、明快めいかい曲調きょくちょう。フラメンコのきょくとしてはめずらしくうたけのながさが一定いっていであり、CDなどでおどることも可能かのう。バイレの入門にゅうもんきょく使つかわれる。

ファンダンゴけい

編集へんしゅう

スペイン各地かくち存在そんざいした舞踊ぶようきょく起源きげん

ファンダンゴ・デ・ウエルバ (Fandangos de Huelva)
アンダルシア西部せいぶウエルバけんのもの。県内けんないまち々によって非常ひじょう多様たようなスタイルがある。比較的ひかくてきリズムが鮮明せんめいたもたれているものがおお
ファンダンゴ・ナトゥラル (Fandango natural)
ファンダンゴのなかでも、うたげるために舞曲ぶきょくてきなリズムから解放かいほうされたもの。
マラゲーニャ (Malagueña)
マラガ由来ゆらいのカンテ。当地とうち舞曲ぶきょくてきなファンダンゴが自由じゆうリズムしたもの。
グラナイーナ (Granaína)
グラナダ由来ゆらい。Granadinaの"d"が発音はつおんされずにこのようにばれる。
タランタ (Tarantas)
アルメリア由来ゆらい。このおお鉱山こうざん労働ろうどうしゃが、その生活せいかつなげきをうたったものがおおかった。開放かいほうつる不協和音ふきょうわおん多用たようしたギターの伴奏ばんそう演奏えんそう独特どくとく
カルタヘネーラ (Cartagenera)
ムルシアしゅうカルタヘナ由来ゆらい

宗教しゅうきょうてき儀式ぎしきてきなもの

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サエタ (Saeta)
せい週間しゅうかん(Semana Santa)にキリストの受難じゅなんなどについてうたわれるもの。街路がいろとおるキリストの山車だしかってバルコニーからうたわれる。ギターなどによる伴奏ばんそうはない。山車だし隊列たいれつのブラスバンドをともなってうたわれることがある。
アルボレア (Alboreá)
ヒターノの結婚式けっこんしきさいうたわれるもの。

労働ろうどう生活せいかつむすびついたもの

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ナナ (Nana)
子守こもりうた
トリージャ (Trilla)
脱穀だっこくのことであり、かつてラバをもちいた脱穀だっこくさいうたわれたという

スペイン北部ほくぶ由来ゆらい

編集へんしゅう

アンダルシアのみなとはスペイン全土ぜんど中南米ちゅうなんべい結節けっせつてんであり、各地かくち民謡みんようがもたらされ、フラメンコにれられたとされる。

ファルーカ (Farruca)
短調たんちょう語源ごげんはガリシアおんなのことであり、ガリシア由来ゆらいとされる。
ガロティン (Garrotín)
長調ちょうちょうアストゥリアスしゅう発祥はっしょうとされる。おどさいには帽子ぼうしもちいる。

中南米ちゅうなんべい起源きげん

編集へんしゅう

スペインから植民しょくみんにもたらされたのち、ふたたびスペインにかえられ、フラメンコのレパートリーにくわえられたとされるきょくしゅ。"Cantes de Ida y Vuelta"「往復おうふくのカンテ」とばれる。

グアヒーラ (Guajira)
キューバにおいて「(白人はくじんけいの)田舎いなかしゃ」を意味いみする。かつての植民しょくみんキューバの民謡みんようがスペインにかえられ、フラメンコにれられたもの。キューバほか中南米ちゅうなんべいには同名どうめい民謡みんよう存在そんざいする
ルンバ (Rumba)
カタルーニャみなみフランスのヒターノも得意とくいとしており、ルンバ・カタランとしょうされるものもある。南仏なんふつ出身しゅっしんジプシー・キングス著名ちょめい現代げんだいのフラメンコにおいてはほぼポップしてしまっている。

フラメンコの地理ちり

編集へんしゅう

フラメンコはアンダルシア発祥はっしょうであり、元来がんらいスペインのほかの地方ちほうにはヒターノの移動いどうによるものやアンダルシアからの出稼でかせぎなどの場合ばあいのぞいてフラメンコはほとんど存在そんざいしなかった。現在げんざいマドリードバルセロナにはおおくのフラメンコアーティストが居住きょじゅうし、フラメンコのコミュニティも存在そんざいするが、ほとんどの場合ばあいそのルーツをアンダルシアやエストレマドゥーラしゅうつ。

アンダルシアしゅうないでもけんまちによって性質せいしつことにし、それぞれのカンテに固有こゆうのカラーがある。

とくにフラメンコがさかんで、その成立せいりつ過程かていおおきな役割やくわりになったセビージャとその周辺しゅうへんしょ都市としヘレス・デ・ラ・フロンテーラカディスにいたる一帯いったいである。

セビージャけん

編集へんしゅう

セビージャアルカラ・デ・グアダイーラウトレーラレブリーハモロン・デ・ラ・フロンテーラ

カディスけん

編集へんしゅう

カディスヘレス・デ・ラ・フロンテーラエル・プエルト・デ・サンタ・マリアアルヘシラス

フラメンコの鑑賞かんしょう

編集へんしゅう

スペインでフラメンコを鑑賞かんしょうするのに気軽きがるなものとして、タブラオとよばれるフラメンコのライブハウスけんレストランがある。飲食いんしょくをしながらおどりを中心ちゅうしんとしたフラメンコのショーをたのしむことができ、公演こうえん頻繁ひんぱんである。ただしあくまで一般いっぱん観光かんこうきゃくけである場合ばあいおお[21]

なつにはアンダルシアのまち々では自治体じちたい主催しゅさいのフラメンコのフェスティバルが開催かいさいされ、いち週間しゅうかんからだい規模きぼなものではいちヶ月かげつちかく、大小だいしょうさまざまなフラメンコのライブや講演こうえんかい展示てんじかい・クラスなどイベントがおこなわれる。これらはおも地元じもとのフラメンコのファンのために開催かいさいされるため、著名ちょめいなアーティストがおお参加さんかしてごたえのある内容ないようとなる[22]

また、より地元じもと密着みっちゃくしたスタイルとしてペーニャ(Peña)が各地かくち存在そんざいする。これは愛好あいこうかい同好どうこうかいのようなものであり[23]会員かいいん会費かいひによってアーティストを招聘しょうへいしてライブをおこなう。ペーニャが、バルを併設へいせつしたちいさなホールを所有しょゆうしていることがおおい。濃厚のうこうなフラメンコのファンがあつまることがおおく、よりローカルで濃密のうみつなライブを観覧かんらんできる可能かのうせいがある一方いっぽう会員かいいん歓迎かんげいしない場合ばあいもありうる。

フラメンコの鑑賞かんしょうなか最高さいこうのものは、ライブやショーよりも、フラメンコたち自身じしん私的してきなフィエスタであるとされる。

鑑賞かんしょう注意ちゅうい

編集へんしゅう

基本きほんてき観客かんきゃくせきからは手拍子てびょうし(パルマ)をたないほうがいとわれる。リズムがむずかしく、曲調きょくちょうによってリズムがさまざまに変化へんかするので、素人しろうと手拍子てびょうしつとかえって音楽おんがくさまたげになってしまうというのが、その理由りゆうである。ぎゃくごえ(ハレオ)は歓迎かんげいされる。

 
セビージャのタブラオ
 
カンテのうた
 
パコ・デ・ルシア

カンテ (Cante)

編集へんしゅう
うた本来ほんらいはフラメンコとえば、まずはカンテのことである。たましい奥底おくそこからひびふかこえ(カンテ・ホンド)こそ、フラメンコの真髄しんずいといえる。
カンタオール/カンタオーラ (cantaor/cantaora)
男性だんせいうた女性じょせいうた
カンテ・グランデ/カンテ・チーコ/カンテ・インテルメディオ (Cante grande/Cante chico/Cante intermedio)
カンテのしょ形式けいしきはその格式かくしきによって分類ぶんるいされる。グランデはおおきい・偉大いだいな、チーコはちいさい、インテルメディオは中間ちゅうかん。これらは部分ぶぶんてきおどりやギターにも適用てきようされることもある(Baile grande、Toque grande)
レトラ (Letra)
歌詞かしのこと

バイレ (Baile)

編集へんしゅう
おどりのこと。日本にっぽんでのフラメンコはおどりというイメージがつよい。つまさきやかかとでゆからしてリズムをとる(サパテアード)、またうごき(ブラッソ)はフラメンコのいのちである。
バイラオール/バイラオーラ (bailaor/bailaora)
男性だんせいおどしゅ女性じょせいおどしゅ
サパテアード
くつのつまさきやかかと、またはあし全体ぜんたいでの打撃だげき。フラメンコ専用せんようくつのつまさきとかかとには多数たすうくぎんであり、打楽器だがっき同様どうようである。
パリージョ (palillos)
おど両手りょうてカスタネット。ききてには高音こうおんるもの、逆手さかてには低音ていおんがでるものをつける。
ピト (pitos)
ゆびらしのこと。
ブラソ (brazo)
うで」のこと。
マノ (mano)
」のこと。
ギター演奏えんそう楽器がっきを「く」ことはTocar(Tocar la guitarra)、手拍子てびょうしをすることも"Tocar las palmas"とう。
フラメンコギター (Guitarra flamenca)
おもに、アコースティック・ギター一種いっしゅであるフラメンコギターもちいる。ギター表面ひょうめん保護ほごするため、セルロイドなどの「ゴルペばん」がられている。一見いっけんクラシック・ギターとほぼおなじであるが、ボディは若干じゃっかんうすめ、つるだかひくめであり、側板そくばん糸杉いとすぎ(シープレス)で軽量けいりょうであるなど、おと歯切はぎれ・がりのさを指向しこうしたセッティングとなっている。
ゴルペ
とく指先ゆびさきでギターをたたいてリズムをる、またはパーカッションてき効果こうかすゴルペ奏法そうほう。ゴルペ(名詞めいしgolpe,動詞どうしgolpear)とはスペインで「打撃だげき殴打おうだ」などの意味いみであり、おどりの用語ようごとしても使つかわれる。
ラスゲアード (Rasgueado)
すべてのゆびもちいたギターの「らし」のこと。ラスゲオ (rasgueo)、または方言ほうげんでラヘアオ (rasgeao)などども。
ピカード (picado)
いわゆる「はやき」のことである。名詞めいしpicado、動詞どうしpicarは「す・つつく・こまかくきざむ・みじんり」などの意味いみである。
アルサプーア (Alzapúa)
親指おやゆびをピックてきもちいて上下じょうげさせる連続れんぞくてきでリズミカルな奏法そうほう
アリーバ/メディオ (Arriba/Medio)
直訳ちょくやくすると「うえ」「なか」のことであるが、フラメンコギターにおいては、ゆびばんじょう位置いちのことをて、とく多用たようされる音程おんてい「E」のキーと「A」のキーのことをす。
ハレオ (Jaleo)
ごえ代表だいひょうてきな『オレ』(¡ole!/¡olé!、アラー由来ゆらいともいわれるごえ。「オーレ」よりは「オレー」にちかい。)、『ビエン!』(good、いいぞ、の)などのごえげる。コンパスにせたリズミカルで連続れんぞくてきなものもかれる。
パルマス (Palmas)
手拍子てびょうし甲高かんだかおとの『セコ (seco)』とひくくこもったおとの『バホ (bajo)』など2種類しゅるい以上いじょうおと使つかけながら、おどしゅやギタリスト、うた呼吸こきゅうわせながらたたいてく。フラメンコの音楽おんがく形成けいせいするじょう重要じゅうよう役割やくわりつ。ギターの伴奏ばんそうがなく、パルマスのみの伴奏ばんそうによってうたわれ、おどられるシーンもすくなくない。
カホン (Cajón)
はこがた打楽器だがっきたたいてハンド・パーカッションとして使用しようする。1970年代ねんだい以降いこうフラメンコに登場とうじょうし、急速きゅうそく普及ふきゅうした[24]

出典しゅってん

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  1. ^ a b https://ich.unesco.org/en/RL/flamenco-00363 「Flamenco」UNESCO 2020ねん7がつ25にち閲覧えつらん
  2. ^ 「フラメンコのすべて」p48-49 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  3. ^ 「フラメンコのすべて」p89 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  4. ^ 「フラメンコのすべて」p94-95 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  5. ^ こころざしふう p.289
  6. ^ 濱田はまだ p.56
  7. ^ 濱田はまだ p.55
  8. ^ 川成かわなりよう『スペイン文化ぶんか読本とくほん丸善まるぜん出版しゅっぱん、2016ねん、168ぺーじISBN 978-4-621-08995-8 
  9. ^ 「フラメンコのすべて」p100-105 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  10. ^ 「フラメンコのすべて」p137 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  11. ^ 濱田はまだ p.57-59
  12. ^ 「フラメンコのすべて」p119-122 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  13. ^ 「フラメンコのすべて」p204-205 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  14. ^ 「フラメンコのすべて」p112-115 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  15. ^ a b 「フラメンコのすべて」p116 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  16. ^ 「フラメンコのすべて」p71 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  17. ^ 「フラメンコのすべて」p208-209 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  18. ^ 「フラメンコのすべて」p209-210 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  19. ^ 「フラメンコのすべて」p67 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  20. ^ 世界せかい音楽おんがくだい図鑑ずかん」ロバート・ジーグラー、スミソニアン協会きょうかい監修かんしゅう 金澤かなざわただしつよし日本語にほんごばん監修かんしゅう p178 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 2014ねん10がつ30にち初版しょはん発行はっこう
  21. ^ 「フラメンコ読本とくほん」p184-185 イスパニカへん 晶文社しょうぶんしゃ 2007ねん8がつ10日とおか初版しょはん
  22. ^ 「フラメンコ読本とくほん」p195-197 イスパニカへん 晶文社しょうぶんしゃ 2007ねん8がつ10日とおか初版しょはん
  23. ^ 「フラメンコのすべて」p239 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう
  24. ^ 「フラメンコのすべて」p212-213 有本ありもと紀明のりあき 講談社こうだんしゃ 2009ねん8がつ3にちだい1さつ発行はっこう

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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