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会話 - Wikipedia

会話かいわ

たがいにはなしたりくこと、共通きょうつう話題わだいについてはなすこと

会話かいわ(かいわ、えい: conversation)とは、大辞林だいじりんだいさんはんによれば、『( めい )① にんまたはすうにんたがいにはなしたりいたりして、共通きょうつうはなしすすめること。また、そのはなし。 「 -をわす」』とされる[1]

女性じょせい2にん会話かいわ
文化ぶんかてきもよおしでの3にん会話かいわ
路肩ろかたでの男性だんせいたちの会話かいわ
ものっている男女だんじょ会話かいわ
電話でんわごしの会話かいわ

概要がいよう

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会話かいわは、たがいにはなしたりくことであり、共通きょうつう話題わだいについてはなすことである。

会話かいわはしばしば「言葉ことばキャッチボール」とたとえられる[2]

キャッチボールはかいった二人ふたりが、最初さいしょから相手あいてけとれるようにボールをげ、ったがわ同様どうよう相手あいてれるようにげる、ということをかえすことである。ボールを使つか行為こういはいくつもあるが、そのなかでもとくにキャッチボールにたとえられるのにはそれなりの理由りゆうがある。会話かいわ言葉ことばのサッカーではないのである[2]。サッカーはできるだけ相手あいてをよけて自分じぶんだけがボールをキープしてつづけ、一方いっぽうてきにゴールにもうとするが、会話かいわというのはそういう行為こういではなく、相手あいてをよけて自分じぶんだけしゃべりつづけるような行為こういではない[2]。また会話かいわ言葉ことばのドッジボールでもない[2]。ドッジボールは相手あいてに(わざわざきびしいボールを、ることができないように)げつけるが[2]会話かいわ相手あいてれないようなきびしい言葉ことばをぶつけてやろうとするような行為こういではない[2]

うえ説明せつめいしたことをべつのいいかた再度さいど説明せつめいすると、片方かたがただけが相手あいて存在そんざいをできるだけ無視むしして一方いっぽうてきしゃべりつづけようとすることは会話かいわではない。 また大辞林だいじりん定義ていぎぶんに「共通きょうつう話題わだい」とあるように共通きょうつう話題わだいについてはなすことも要件ようけんであり、二人ふたりひとがそれぞれ勝手かって別々べつべつ話題わだい自分じぶんだけの話題わだいしゃべっている状態じょうたいも「会話かいわ成立せいりつしていない」とわれる状態じょうたいであり、いわばラジオを2だい(あるいはそれ以上いじょうならべて別々べつべつ番組ばんぐみながしているのと大差たいさないような状態じょうたいであり会話かいわ範疇はんちゅうにはふくまれない。また会話かいわは、まるでドッジボールのシュートのようにわざわざ相手あいてげつけられたくないような乱暴らんぼう言葉ことば相手あいてげつける(いいはなつ)ようなことではない。そういう行為こうい会話かいわではなくくち喧嘩けんかう。

歴史れきし

20世紀せいきには電話でんわごしに会話かいわをおこなうこともさかんになった。近年きんねんでははなれた場所ばしょにいるひとどうしではスマートフォンのテレビ電話でんわアプリで会話かいわおこなうこともさかんである。

機能きのう

会話かいわ人間にんげん関係かんけい直結ちょっけつしている。人間にんげん関係かんけいというのは言葉ことば交換こうかんつうじて成立せいりつしており、「ことばをかける」ということは人間にんげん関係かんけい基本きほんてき条件じょうけんである[3]

言語げんご学習がくしゅう会話かいわ

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会話かいわ双方向そうほうこう行為こういであり、はなすこともくこともふくまれている[4]ウィスコンシンだいマジソンこうのElise W. M. HopmanとMaryellen C. MacDonaldの研究けんきゅうによると、ただいて理解りかいする課題かだいばかりをおこなはなすことをしていない言語げんご学習がくしゅうしゃよりも、はなすことも実践じっせんしている学習がくしゅうしゃのほうがはるかに成績せいせきくなった[4]。つまりはなすこともおこなうことで文法ぶんぽう・ボキャブラリーなどさまざまな言語げんごてき要素ようそ活性かっせいできるのである[4]。その研究けんきゅうはまた話者わしゃはなしているときにはワーキングメモリー作業さぎょう記憶きおく)を使つかっており、はなすことによって学習がくしゅうしゃにおいて文法ぶんぽう・ボキャブラリーなどの相互そうご結合けつごう強化きょうかされるということもあきらかにしている[4]一方いっぽういて理解りかいするだけの学習がくしゅうほうではその結合けつごう学習がくしゅうしゃきない[4]。というのもいて理解りかいするだけでは、すでに出来上できあがってしまった文章ぶんしょう学習がくしゅうしゃ提示ていじされてしまうからである[4]効果こうかてき言語げんご学習がくしゅうにはくこととはなすことの適切てきせつなバランスが必要ひつようである[4]言語げんごトレーニングは、会得えとくしたスキルと知識ちしき現実げんじつ世界せかい結合けつごうできるように設計せっけいされなければならない[4]

会話かいわ哲学てつがく

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古代こだいギリシアのソクラテス問答もんどうほう使つかい、問答もんどう形式けいしき思索しさくふかめた。

日本にっぽんでは仏教ぶっきょう禅問答ぜんもんどうけと答弁とうべんにより仏教ぶっきょう哲学てつがくふかめた。


会話かいわとストレス

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会話かいわおこなうことで、ストレスが低下ていかする傾向けいこうはしばしばられる。これはストレスの原因げんいんとなっていることを吐露とろすることで鬱憤うっぷん放出ほうしゅつされる一方いっぽう自分じぶん如何いかにストレスにさらされているかを説明せつめいするじょうで、自身じしん内在ないざいする整理せいり情報じょうほうすこしずつ整理せいりしながらはなすことも会話かいわちゅうおこなわれ、これによりストレスの原因げんいん客観きゃっかんてき理解りかいすることでその対処たいしょ方法ほうほうたいするこたえもとくやすくなる効果こうかげられよう。

また会話かいわすることで相手あいてなやみを他人たにん理解りかいするたすけにもなる。これはカウンセリングでもおこなわれる手法しゅほうである。カウンセラー会話かいわすることで、あるいはカウンセラーをまじえながらもおななやみをいだくもの同士どうし集団しゅうだん会話かいわをすることで、ストレス軽減けいげん問題もんだい抑制よくせい期待きたいされる療法りょうほうられる。

ただ会話かいわ苦手にがてひとや、のぞまない相手あいてとの会話かいわいられたひとにとっては、この会話かいわこそがストレスの原因げんいんともなりうる。うつびょう場合ばあいでは、過度かどはたらけがぎゃく症状しょうじょう悪化あっかさせる懸念けねんられるため、当人とうにん会話かいわのぞんでいるかどうかにも注意ちゅうい必要ひつようである。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 会話かいわ(カイワ)とは-コトバンク”.コトバンク.2020ねん8がつ13にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f 会話かいわ言葉ことばのキャッチボール。サッカーでもドッジボールでもありません。
  3. ^ 加藤かとう秀俊ひでとし人間にんげん関係かんけい 理解りかい誤解ごかい中公新書ちゅうこうしんしょ、1966ねん。p.76
  4. ^ a b c d e f g h Vanessa Paisley, "5 Reasons Why Conversation Practice Is Key to Learning a Languag"

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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