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大量生産 - Wikipedia

大量たいりょう生産せいさん(たいりょうせいさん、えい: mass production マスプロダクション[1])とは、かぎられた品種ひんしゅ製品せいひん大量たいりょう生産せいさんする生産せいさん形態けいたい[2]りゃくして量産りょうさん(りょうさん)やマスプロともいう。

概要がいよう

編集へんしゅう

大量たいりょう生産せいさんとは、かぎられた種類しゅるい製品せいひん大量たいりょう生産せいさんする生産せいさん形態けいたいである。ライン生産せいさん方式ほうしき大量たいりょう生産せいさんする。

大量たいりょう生産せいさんという生産せいさん方式ほうしきは、オートメーション活用かつようする高度こうど生産せいさん設備せつびにおいて、生産せいさん工程こうてい単純たんじゅん合理ごうりすることによって、コスト引下ひきさげ、生産せいさんぶつ品質ひんしつ改善かいぜんなどにおおきく寄与きよする[2]

大量たいりょう生産せいさん方式ほうしきはまず、大量たいりょう生産せいさん登場とうじょうするまえ時代じだいにもっぱらおこなわれていた個別こべつ受注じゅちゅう生産せいさん対比たいひされる。

歴史れきし

1801ねんにイギリスでマーク・イザムバード・ブルネルがイギリス海軍かいぐんよう滑車かっしゃ装置そうちつくるためにライン生産せいさん方式ほうしきもちいた。1859ねんにはオーストリアでトーネットしゃ椅子いす大量たいりょう生産せいさんおこなった。1901ねんにはオールズモビルしゃ組立くみたてラインで生産せいさんおこなった。→#歴史れきし

大量たいりょう生産せいさん発展はってんした市場いちば要因よういん社会しゃかいてき要因よういん

大量たいりょう生産せいさん方式ほうしき発展はってんしたのは、大衆たいしゅう所得しょとく水準すいじゅん向上こうじょうしたことにともなう大量たいりょう消費しょうひによって、なか市場いちば構造こうぞうが、受注じゅちゅう生産せいさんてき市場いちばから「市場いちば生産せいさんてき市場いちば」へと変化へんかしたことによる[2]生産せいさんざい生産せいさん中心ちゅうしんだった時代じだいには、プラント設備せつびじゅう電機でんき造船ぞうせんなど注文ちゅうもん生産せいさんてき市場いちば受注じゅちゅう生産せいさんてき市場いちば)の比重ひじゅうたかかったが、(大衆たいしゅう経済けいざいりょくし)大量たいりょう消費しょうひ時代じだい到来とうらいすると、消費しょうひざい中心ちゅうしん大量たいりょう生産せいさん方式ほうしき発達はったつしたのである。 たとえば、1910年代ねんだいのアメリカでフォード・モーターしゃおこなったTがたフォード大量たいりょう生産せいさんや、だい世界せかい大戦たいせん日本にっぽんはじまった家庭かてい電気でんき製品せいひん自動車じどうしゃなどの大量たいりょう生産せいさんが、こうしたしくみできたのである[2]

大量たいりょう生産せいさんねらいは、以下いかのことである。

これにより、商品しょうひんひとつあたりの生産せいさんにかかるコストをげることも実現じつげんする。しかしながら、大量たいりょう生産せいさん前提ぜんていとしたラインではだい規模きぼ投資とうしおこなって製造せいぞうライン構築こうちくするため、固定こてい資産しさんなどの固定こていおおくかかる。そのため、生産せいさんりょうすくない場合ばあいなど工場こうじょう稼働かどうりつひく場合ばあい製造せいぞう原価げんかがる。大量たいりょう生産せいさん効果こうかすためには一定いってい生産せいさんりょう以上いじょう確保かくほしないといけない。その一方いっぽうで、商品しょうひん大量たいりょう生産せいさんしても、のこ大量たいりょう在庫ざいこ発生はっせいするという状況じょうきょうがありて、これをどう解消かいしょうするか、という課題かだいしょうじる。

[ちゅう 1] 近年きんねんでは、モジュールによって部品ぶひん共通きょうつう進展しんてんしており、この分野ぶんやでも量産りょうさん効果こうかによるコスト削減さくげん依然いぜんとして有効ゆうこうである。

最終さいしゅうての工程こうていにおいては、カスタマイズや製品せいひん切替きりかえわせて屋台やたい方式ほうしきなどによりモジュールの接合せつごう一人ひとり作業さぎょういん貫徹かんてつするやりかた普及ふきゅうしつつある。

 
船舶せんぱくもちいる「ブロック」(=滑車かっしゃ)。帆船はんせんひとつでも多数たすう必要ひつようで、非常ひじょう多数たすう帆船はんせん運用うんようされていたので、大量たいりょう需要じゅようがあった。1808ねんまでに、ポーツマスでの年間ねんかん生産せいさんりょうは130,00たっしたという。

1801ねんイギリスマーク・イザムバード・ブルネルイギリス海軍かいぐんよう滑車かっしゃ装置そうち(en:Block and tackle)をつくるためにアセンブリー・ラインもちいたのが最初さいしょとされる。

1859ねんオーストリアトーネットしゃミヒャエル・トーネットが、ブナざいげてつく曲木まがき椅子いす世界せかい販売はんばいするためにアセンブリー・ラインもちいた大量たいりょう生産せいさん開始かいし一度いちどつくった製品せいひん分解ぶんかいし、1m3はこ椅子いす36きゃくぶんのパーツを世界中せかいじゅう出荷しゅっか。それを現地げんちさいてするノックダウン生産せいさん市場いちば席巻せっけんした。その代表だいひょう商品しょうひん「No.14」は、19世紀せいきやく5000まんきゃく生産せいさん販売はんばいされた。

アメリカではアルバート・ポープ英語えいごばんが1890年代ねんだいにアセンブリー・ライン(組立くみたてライン)による生産せいさん開始かいしした。ポープはイギリスで自転車じてんしゃ製造せいぞう見学けんがくしたのち、アメリカはつ自転車じてんしゃ製造せいぞう会社かいしゃ創業そうぎょうした。さらにアメリカ自転車じてんしゃ産業さんぎょうかい特許とっきょ闘争とうそう独占どくせんし「アメリカ自転車じてんしゃ帝王ていおう」とよばれた人物じんぶつである。

アメリカでの自動車じどうしゃ生産せいさんにおけるアセンブリーラインのだいいちごう1901ねんランサム・E・オールズによりオールズモビルでなされ、オールズは特許とっきょ取得しゅとくした。だいごうは、トマス・B・ジェフリー1902ねんにランブラーCがたでおこない、フォードしゃが1903ねん初期しょきAがたフォードでそのつづく。フォードしゃ改良かいりょうかさね、1908ねんから開始かいしされたTがた製造せいぞうにおいて適時てきじ改良かいりょうくわえつつ1914ねんハイランドパーク工場こうじょう英語えいごばんうちのシャーシのアセンブリー・ラインにベルトコンベア導入どうにゅうされ、この時点じてんが、後年こうねん、「てにかんする大量たいりょう生産せいさん方式ほうしき基本形きほんけい完成かんせいとし」とされている。フォードふく社長しゃちょうでこれに貢献こうけんしたチャールズ・ソレンセン英語えいごばんは、「事実じじつさきで、かんがかた原理げんりなどはからついてきた」とのちかたった。(これはトヨタかんばん方式ほうしき同様どうようである。)またフォードしき大量たいりょう生産せいさんヘンリー・フォード主導しゅどうしたものではなく、フォード社内しゃない幹部かんぶ技術ぎじゅつしゃ長年ながねんにわたる試行錯誤しこうさくごen:trial and error トライアル・アンド・エラー)の結果けっかであった。

大量たいりょう生産せいさんあゆみと問題もんだいてん

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大量たいりょう生産せいさんは、経済けいざい成長せいちょう密接みっせつかかわっている。だい航海こうかい時代じだい以降いこう商品しょうひん経済けいざい進展しんてん生産せいさん消費しょうひのサイクルが拡張かくちょうすると、利益りえきシェアつよ関連かんれんつようになった。よりすくない労力ろうりょくおおくの生産せいさんおこなう、生産せいさんせいたか産業さんぎょうが、成長せいちょう利益りえきげることができた。

18世紀せいき、インドさん綿織物めんおりもの席巻せっけんされつつあったイギリス衣料いりょう市場いちばにおいては、発明はつめいされたばかりの機械きかい資本しほん導入どうにゅうし、国内こくない生産せいさん輸入ゆにゅうひん代替だいたいするビジネスモデル確立かくりつした。

機械きかいは、大量たいりょう生産せいさん可能かのうにし、や均質きんしつ綿糸めんし綿布めんぷ綿織物めんおりものした。ていコストな生産せいさん方式ほうしきは、やがてインドの比較ひかく優位ゆういせい逆転ぎゃくてんさせ、イギリスを綿織物めんおりもの輸出ゆしゅつこくとして成長せいちょうさせることになった(産業さんぎょう革命かくめい)。

やがて、大量たいりょう生産せいさんはあらゆる商品しょうひん適用てきようされ、大量たいりょう生産せいさんぶつ消費しょうひされる社会しゃかい大衆たいしゅう消費しょうひ社会しゃかい)が到来とうらいした。アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにおいてとくにこの方式ほうしき発達はったつし、広大こうだい国土こくど発展はってんささえた。

問題もんだいてん

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生産せいさん増加ぞうかするということはそれ自体じたい国内こくないそう生産せいさん増大ぞうだい意味いみするが、やがてさまざまな問題もんだい噴出ふんしゅつする。

物的ぶってき側面そくめん
大量たいりょう生産せいさんは、大量たいりょう資源しげん消費しょうひ意味いみしており、様々さまざま資源しげん大量たいりょうえていくことになった。木材もくざい石炭せきたん現代げんだいにおいては石油せきゆ莫大ばくだいりょう消費しょうひされている。
また、大量たいりょう生産せいさん過程かていでは大量たいりょう汚染おせん発生はっせいする。動力どうりょくようとして使用しようする燃料ねんりょう酸化さんかぶつ製品せいひん洗浄せんじょうしたりする過程かてい発生はっせいする化学かがく物質ぶっしつ汚水おすいなどである。
さらに、大量たいりょう生産せいさんされた商品しょうひん大量たいりょう消費しょうひされることになる。商品しょうひん大量たいりょう購入こうにゅう可能かのうになった文化ぶんかでは「使つかて」や頻繁ひんぱんな「え」が容易よういになり、莫大ばくだいなゴミが廃棄はいきされることになる。
経済けいざいてき側面そくめん
大量たいりょう生産せいさんにより、経済けいざい需要じゅよう必要ひつようせまられた。大量たいりょうであっても価値かち消費しょうひされるのであれば生産せいさん水準すいじゅん問題もんだい発生はっせいすることはなかった。しかし、大量たいりょう生産せいさん自体じたいがその消費しょうひかげとした。
大量たいりょう生産せいさん一般いっぱんてき初期しょき投資とうし必要ひつようである。この初期しょき投資とうしは、乗数じょうすう効果こうかによりおおきな需要じゅようすため、大量たいりょう生産せいさんざら大量たいりょう生産せいさん自身じしんがもたらすことになる。しかし、生産せいさん拡張かくちょう一巡いちじゅんすると投資とうし終焉しゅうえんし、減価げんか償却しょうきゃくがはじまる。減価げんか償却しょうきゃくは、市中しちゅうからの信用しんよう貨幣かへい消失しょうしつ意味いみし、ぎゃく乗数じょうすう効果こうかをもたらす。かくして、大量たいりょう生産せいさん構造こうぞうてき需要じゅよう欠乏けつぼうおちいる。
利用りようしゃてき側面そくめん
大量たいりょう生産せいさんは、同一どういつ仕様しよう製品せいひん大量たいりょう生産せいさんされることを意味いみしている。このてんで、一品いっぴん生産せいさん受注じゅちゅう生産せいさんことなり、消費しょうひしゃ製品せいひん購入こうにゅうした以後いご利用りようしゃとなる)の個別こべつせいへの対応たいおうむずかしくなり[ちゅう 2]平均へいきんてき仕様しようにもとづいた製品せいひん大量たいりょうつくられることになる。その結果けっかニッチ市場いちばへの配慮はいりょうしなわれることとなった。高齢こうれいしゃ障害しょうがいしゃなどの使用しよう前提ぜんていとしたユニバーサルデザインうごきは、この反省はんせいにもとづいている。またニッチなそうけてのカスタマイズをおこな業者ぎょうしゃ存在そんざいする。しかしかつて存在そんざいした自分じぶんきなオプションを自由じゆうえらべる商品しょうひん(マツダ・ロードスター「web tune factory」や三菱みつびし・コルト「カスタマーフリーチョイス」など)がほどなくして姿すがたしてしまっているという実例じつれいもある。

フォード生産せいさん方式ほうしき

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フォード生産せいさん方式ほうしきには以下いかの3てん特徴とくちょうがあげられる。

  • 製品せいひん標準ひょうじゅん - フォード・モデルTいち車種しゃしゅのみとし、そのバリエーションを長期ちょうきにわたり生産せいさん
  • 部品ぶひん規格きかく - ヘンリー・リーランド主導しゅどうしデトロイトに普及ふきゅうさせていたもの
  • 製造せいぞう工程こうてい細分さいぶんなが作業さぎょう)、ベルトコンベア方式ほうしき採用さいよう - 熟練工じゅくれんこう必要ひつようなくなった

これらはフォードしゃがすべてを最初さいしょにおこなったわけではなく、またすべて同時どうじかたちづくられたものでもない。フォードがおこなった主要しゅようてんとしては、フォード・モデルTといういち車種しゃしゅしぼったことと、ベルトコンベア方式ほうしき採用さいようなが作業さぎょうをさらに効率こうりつしたことがとくにユニークなところであり、それ以外いがいてん個別こべつにはすでに他社たしゃでおこなわれていたものだった。しかし、それら個々ここ生産せいさん技術ぎじゅつをさらにきわめ、いち車種しゃしゅ集中しゅうちゅうしておこなったことにより、従来じゅうらいくらべて格段かくだん生産せいさん能率のうりつがり、製品せいひん安価あんか提供ていきょうできるようになったのであった。1906ねんにはほぼ形作かたちづくられていたが、1908ねんからのTがた生産せいさんと、その販売はんばい好調こうちょうによる1914ねんしん工場こうじょう建設けんせつさいしベルトコンベアが導入どうにゅうされたことで、フォード生産せいさん方式ほうしき完成かんせいした。このころ、フォードしゃ良質りょうしつてつ入手にゅうしゅするために製鉄せいてつしょさえも自社じしゃ所有しょゆうするまでになっていた。

(これはフォードしゃいちしゃだけの生産せいさん効率こうりつ向上こうじょうであったが、これによってフォードは一時期いちじき市場いちば寡占かせんしたため、産業さんぎょうかいではこれに対抗たいこうしたいという意欲いよくまれ、業界ぎょうかいとしての効率こうりつをねらう「業界ぎょうかい標準ひょうじゅん」をむことにつながった。フォードしゃ部品ぶひん会社かいしゃふく自動車じどうしゃ産業さんぎょうほか会社かいしゃとはほとんどかかわりをもたなかったため、米国べいこく自動車じどうしゃ産業さんぎょうかいは、フォードしゃのぞいて、またはフォードしゃ対立たいりつしながら、ひろ標準ひょうじゅん規格きかく推進すいしんしていった。具体ぐたいてきには、自動車じどうしゃ特許とっきょでフォードと対立たいりつしていたALAMでの試行しこうにはじまり、その、フォードの独占どくせん不況ふきょうによる部品ぶひんメーカー倒産とうさんにより危機ききてき状況じょうきょうにおかれたハドソン自動車じどうしゃなど中小ちゅうしょう自動車じどうしゃメーカーが主導しゅどうSAE International (「部品ぶひん標準ひょうじゅん:フォード主義しゅぎへの対抗たいこう」のふし)実現じつげんした。)

製造せいぞう工程こうてい極端きょくたん単純たんじゅんされたため、労働ろうどうしゃ人間にんげんてき労働ろうどういられた。この人間にんげん疎外そがい状況じょうきょう風刺ふうししたものとして、チャップリンの『モダン・タイムス』がげられる。ただし、ヘンリー・フォード自身じしんは(身内みうち反対はんたいり)フォードしゃでの作業さぎょう従事じゅうじしゃたいして日当にっとう5ドルという当時とうじでは破格はかく給与きゅうよ保証ほしょうし、良質りょうしつ労働ろうどうしゃ確保かくほすると同時どうじ労働ろうどうしゃへの利益りえき還元かんげん積極せっきょくてきにおこなっていた。

1940年代ねんだいにはこうした大量たいりょう生産せいさん技術ぎじゅつはアメリカの工業こうぎょうかい全体ぜんたいにおいてたかいレベルにたっしており、だい世界せかい大戦たいせん後期こうきにおいてはそれらの生産せいさんインフラの急速きゅうそく軍需ぐんじゅへの転換てんかんにより、機械きかいてき信頼しんらいせいたか兵器へいき大量たいりょう生産せいさん(フォードしゃ自身じしんM4ちゅう戦車せんしゃジープB-24爆撃ばくげきなどの生産せいさんかかわっている)、アメリカぐん連合れんごうこく諸国しょこく供給きょうきゅうして戦争せんそう勝利しょうりおおきく貢献こうけんすることとなった。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ただ均質きんしつせいたか商品しょうひん場合ばあい大量たいりょう生産せいさんわる生産せいさん方式ほうしきはない。そのような商品しょうひんとしては素材そざい燃料ねんりょうなどがげられる[よう出典しゅってん]
  2. ^ 特殊とくしゅ仕様しようへの対応たいおうことわられたれいひとつに73しき小型こがたトラックカーエアコンかんする顛末てんまつがある。元々もともとはエアコンレスで計画けいかくされていたが、ほん車両しゃりょう生産せいさんにあたりメーカーがわから「エアコンレスよう製造せいぞうラインをつく必要ひつようがあるが困難こんなん、かえってたかくなるのでエアコンをけてくれ」とわれ装備そうびした。なお、ほん車両しゃりょう工場こうじょうではベースとなった民生みんせいひん生産せいさんしている。

出典しゅってん

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  1. ^ 大辞泉だいじせん「マスプロダクション」
  2. ^ a b c d ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん

関連かんれん項目こうもく

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