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東京地下鉄道1000形電車 - Wikipedia

東京とうきょう地下鉄ちかてつどう1000かたち電車でんしゃ

東京とうきょう地下鉄ちかてつきゅう帝都ていと高速度こうそくど交通こうつう営団えいだん)の車両しゃりょう

東京とうきょう地下鉄ちかてつどう1000かたち電車でんしゃ(とうきょうちかてつどう1000がたでんしゃ)は、現在げんざい東京とうきょう地下鉄ちかてつきゅう帝都ていと高速度こうそくど交通こうつう営団えいだん銀座ぎんざせん前身ぜんしんである東京とうきょう地下鉄ちかてつどうが、1927ねん昭和しょうわ2ねん)の上野うえの - 浅草あさくさあいだ開業かいぎょうわせて製造せいぞうした通勤つうきんがた電車でんしゃ地下鉄ちかてつ地下ちか軌道きどうようとして日本にっぽんはじめて設計せっけいされた車両しゃりょうである。

東京とうきょう地下鉄ちかてつどう1000かたち電車でんしゃ
東京とうきょう地下鉄ちかてつどう1000かたち1016号車ごうしゃ
(1941ねん撮影さつえい
基本きほん情報じょうほう
運用うんようしゃ 東京とうきょう地下鉄ちかてつどう
帝都ていと高速度こうそくど交通こうつう営団えいだん
製造せいぞうしょ 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう
汽車きしゃ製造せいぞう
製造せいぞうねん 1927ねん - 1929ねん
製造せいぞうすう 21りょう
運用うんよう開始かいし 1927ねん12月30にち
運用うんよう終了しゅうりょう 1968ねん
廃車はいしゃ 1975ねん6月28にち
投入とうにゅうさき 銀座ぎんざせん
主要しゅようしょもと
編成へんせい単車たんしゃ
軌間きかん 1,435 mm(標準軌ひょうじゅんき
電気でんき方式ほうしき 直流ちょくりゅう600V
だいさん軌条きじょう方式ほうしき
最高さいこう運転うんてん速度そくど 55 km/h
設計せっけい最高さいこう速度そくど 65 km/h
起動きどう加速度かそくど 2.0 km/h/s(200にん乗車じょうしゃ
やく2.6 km/h/s(40 - 50にん乗車じょうしゃ
減速げんそく 2.5 km/h/s(200にん乗車じょうしゃ
車両しゃりょう定員ていいん 120にん座席ざせき44にんたてせき76にん
自重じちょう 35.5 t
全長ぜんちょう 16,000 mm
全幅ぜんぷく 2,550 mm (基準きじゅんはば
ぜんこう 3,495 mm
ゆかめんだか 1,090 mm
車体しゃたい 普通ふつうこう
台車だいしゃ じくばこもり方式ほうしき(つりはりしき
NSK-D18がた(1001 - 1010)
KSK-3Hかたち(1011 - 1021)
しゅ電動でんどう 直流ちょくりゅうちょくまき電動でんどう GE-259-Cかたち
アメリカ・ゼネラル・エレクトリック (GE) せい
しゅ電動でんどう出力しゅつりょく 90 kW×2
駆動くどう方式ほうしき 駆動くどう方式ほうしき
歯車はぐるま 16:61 ≒ 3.81
ていかく速度そくど 31 km/h
制御せいぎょ方式ほうしき 電磁でんじ空気くうきカムしき抵抗ていこう制御せいぎょ
制御せいぎょ装置そうち GEせい PC-12かたち
制動せいどう装置そうち 自動じどう空気くうきブレーキ(AMMがた
保安ほあん装置そうち しきATS
備考びこう 出典しゅってん[1]
車両しゃりょう定員ていいんは1965ねん昭和しょうわ40ねん)の改訂かいてい 102にん座席ざせき48にんたてせき54にん[2]
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路線ろせん開業かいぎょうそなえて1927ねん11月に1001 - 1010の10りょう日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう製造せいぞうされ、1929ねん翌年よくねん万世橋まんせいばしかりえき延伸えんしんそなえて1011 - 1021の11りょう汽車きしゃ製造せいぞう東京とうきょう支店してんにおいて製造せいぞうされ、けい21りょう出揃でそろった。

地下鉄ちかてつ博物館はくぶつかん所蔵しょぞうの1001号車ごうしゃが、2017ねん3がつ10日とおかけで文化ぶんか審議しんぎかいから文部もんぶ科学かがく大臣だいじん答申とうしんされたことをけ、鉄道てつどうよう電気でんき車両しゃりょうとしてははじめてくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされた[3][4][5]後述こうじゅつ)。

ほんこうでは、ほぼどういち構造こうぞうぞう備車である東京とうきょう地下鉄ちかてつどう1100かたち電車でんしゃについても記述きじゅつする。

車体しゃたい構造こうぞう内装ないそう

編集へんしゅう
 
1000かたち車内しゃない
地下鉄ちかてつ博物館はくぶつかん復元ふくげん保存ほぞんしゃ
 
非常ひじょうとう車掌しゃしょうスイッチ(同上どうじょう

現在げんざいでは、地下鉄ちかてつかぎらず鉄道てつどうにおいて重大じゅうだい危険きけんとなる火災かさい事故じこ対策たいさくとしてきびしいなんもえ基準きじゅん制定せいていされているが、1000かたちはそれ以前いぜん日本にっぽん国内こくないでの実例じつれいがなかった地下鉄ちかてつ車両しゃりょうだけに、とくにこの部分ぶぶん留意りゅういして当時とうじとしてはもっとすすんだ不燃ふねん対策たいさくほどこされている[6]。この当時とうじ鉄道てつどう車両しゃりょうはまだたいわくのみ鋼鉄こうてつせいはすべて木造もくぞうとした木造もくぞう車体しゃたい一般いっぱんてきであり、そとばん骨組ほねぐみを鋼鉄こうてつせいとしたはんはがねせい車体しゃたい移行いこうしつつある時期じきであった。しかしほん形式けいしきはんはがねせいをもとおし、屋根やねばん内張うちばりまで鋼鉄こうてつせいとしたぜんはがねせい車体しゃたい採用さいようされた[6]リベット縦横じゅうおうんだ物々ものものしい外観がいかんくが、これは溶接ようせつ技術ぎじゅつ発達はったつだった時代じだいゆえのことである。

もっとも、その代償だいしょうとして自重じちょうおおきく増大ぞうだいしており、車体しゃたいちょう15,500mm、車体しゃたいはば2,558mmの比較的ひかくてき小柄こがら車体しゃたいで、しかもしゅ電動でんどうが2搭載とうさいであったにもかかわらず、34.8t[7]しゅ電動でんどうを4搭載とうさいする17mきゅうはんこうせい電動でんどうしゃみの自重じじゅうとなっていた。

車体しゃたい外部がいぶ塗装とそう黄色おうしょく基調きちょう屋根やねまわりえんじしょくのツートンであり、とく開業かいぎょう当時とうじいろ銀座ぎんざせん車両しゃりょうのオレンジしょくとはことなる、あかるい黄色きいろであった[6][注釈ちゅうしゃく 1]。この塗装とそう当時とうじベルリンUバーンのそれにはんをとったとつたえられており[8]くら地下ちかせんないあかるくかんじさせるために採用さいようされたものであった[6]

内装ないそう鋼板こうはん木目もくめ印刷いんさつほどこし、木造もくぞうしゃれた当時とうじ乗客じょうきゃく違和感いわかんおぼえさせない配慮はいりょがなされている。ぜんはがねせい車体しゃたい内装ないそう木目もくめ印刷いんさつ先例せんれいとしては、1926ねん登場とうじょうした阪神はんしん急行きゅうこう電鉄でんてつげん: 阪急電鉄はんきゅうでんてつ)の600かたちがあるが、東京とうきょう地区ちくでは最初さいしょこころみであった。また、ゆかざい不燃材ふねんざいりょうとしてリノリウム採用さいようしたのも画期的かっきてきであった。

つねやみにある地下ちかにおいては照明しょうめい重要じゅうようである。1000がたでは日本にっぽん鉄道てつどう車両しゃりょうとしてほとんど最初さいしょ間接かんせつ照明しょうめい採用さいようし、車内しゃないとうひかり直接ちょくせつ乗客じょうきゃくたらないようにする配慮はいりょがなされていた。

きゃくようとびらには当時とうじではめずらしかった自動じどうとびら採用さいようされた。乗務じょうむいんとびらはんしつ運転うんてんだいがわにしかく、反対はんたいがわ座席ざせきとなっていたことからスイッチは客室きゃくしつないにあり、車掌しゃしょうが「此の」(スイッチ直近ちょっきん位置いちにあるとびら)をひらいて安全あんぜん確認かくにん、「」(それ以外いがいのすべてのとびら)と表記ひょうきされたスイッチを操作そうさしてとびら開閉かいへいしていた[注釈ちゅうしゃく 2]

つまめんには安全あんぜんたたみかきばれる連結れんけつ運転うんてん車両しゃりょうあいだ転落てんらくふせぐためのたた構造こうぞうそなえた伸縮しんしゅく自在じざいしがらみそなけていた。

つりかわには「リコしき[注釈ちゅうしゃく 3]」とばれる方式ほうしきのものがもちいられた。これは通常つうじょうバネちから外側そとがわがって固定こていされ、乗客じょうきゃくがつかまるさい手前てまえ自分じぶん)のほう構造こうぞうで、おも鋳造ちゅうぞう部品ぶひんてたものであった(部分ぶぶんホーロー加工かこう)。その樹脂じゅしせい軽量けいりょうされたものがながらく営団えいだん地下鉄ちかてつ電車でんしゃ特徴とくちょうとして東西線とうざいせん5000けい登場とうじょうまで採用さいようされつづけたが、はなすとバネのちからもどさい乗客じょうきゃくあたまたり負傷ふしょう眼鏡めがね破損はそんとうのトラブルになることがあったため、同系どうけい1967ねんせい以降いこうからは通常つうじょうタイプに変更へんこうされた。


保安ほあん機能きのう

編集へんしゅう
 
地下鉄ちかてつ博物館はくぶつかん保存ほぞんされているしきATS

東京とうきょう地下鉄ちかてつどう開業かいぎょうより最先端さいせんたん信号しんごう保安ほあん技術ぎじゅつれた。しきATSしょうされる自動じどう列車れっしゃ停止ていし装置そうちである。

停止ていし信号しんごうげんしめせさい進行しんこう方向ほうこう左側ひだりがわ線路せんろわきにトレインストッパー()ががり、まんいち列車れっしゃ停止ていし信号しんごうおかせすすむした場合ばあい列車れっしゃくるまじょうにあるトリップコックが地上ちじょうがわのトレインストッパーにたり、制動せいどうかん圧力あつりょく開放かいほうして非常ひじょうブレーキをけるという仕組しく[注釈ちゅうしゃく 4]である。原理げんりいたって原始げんしてきだが作動さどう確実かくじつであった。

このATSと連動れんどうするブレーキシステムは、アメリカのウェスティングハウス・エアブレーキしゃ (WABCO) せいM-2-Aさんどうべん使用しようするAMM自動じどう空気くうきブレーキ採用さいようされていた[9][10]。これはどう時期じきしん京阪けいはん鉄道てつどうげん阪急電鉄はんきゅうでんてつ京都きょうとせん)がしんせい投入とうにゅうしたP-6かたちや、その大阪おおさか電気でんききょく大阪おおさか交通こうつうきょくげん大阪おおさか高速こうそく電気でんき軌道きどう)が高速こうそく電気でんき軌道きどう1号線ごうせんようとして製造せいぞうした100かたちなどに採用さいようした、おなじWABCOせいのU-5自在じざいべん使用しようするAMUブレーキ[注釈ちゅうしゃく 5]比較ひかくすれば見劣みおとりしたが、比較的ひかくてきたん編成へんせい、かつひくひょうてい速度そくど運行うんこうされる地下鉄ちかてつ電車でんしゃようとしては適切てきせつ選択せんたくであり、建設けんせつとぼしい民営みんえい地下鉄ちかてつゆえに、最新さいしんかつ最適さいてき機器きき選択せんたくするが無駄むだ贅沢ぜいたく機器きき採用さいようしない、とする基本きほん設計せっけい方針ほうしん徹底てっていしていたことをうかがわせている。ぞう備車の汽車きしゃ製造せいぞうせいでは国産こくさん日本にっぽんエヤーブレーキせい変更へんこうされた[11]

もっとも、いいかえればこの時点じてんでは5りょう編成へんせい以上いじょう長大ちょうだい編成へんせい前提ぜんていがい[注釈ちゅうしゃく 6]であったということであり、えき施設しせつなどをふくめこれが前提ぜんていとなっていたことは後年こうねん乗客じょうきゃくすう激増げきぞうへの対応たいおう困難こんなんとし、将来しょうらい禍根かこんのこ結果けっかとなった。

機器きき性能せいのう

編集へんしゅう

しゅ電動でんどう駆動くどうしきのアメリカ・ゼネラル・エレクトリック (GE) しゃせいGE-259-Cかたち[注釈ちゅうしゃく 7]を2搭載とうさいする[11](1100かたちまで同様どうよう[11])。

台車だいしゃ日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞうせいがNSK-D18かたちぞう備車の汽車きしゃ製造せいぞうせいがKSK-3Hかたちで、いずれもアメリカ・ボールドウィンしゃせいBaldwin-Aかたち台車だいしゃはんをとったかたちこうてによるはり式台しきだいしゃである[11][12]基礎きそブレーキ装置そうち当初とうしょのNSK-D18がたではかたしき踏面ブレーキであったが、ブレーキ頻度ひんどたか地下鉄ちかてつではせい摩耗まもうはげしく、ブレーキりょく不足ふそくした[12]。このため、ぞう備車のKSK-3Hかたちではりょういだしき踏面ブレーキに変更へんこうした[12]1935ねん昭和しょうわ10ねん)、NSK-D18かたちりょういだしき踏面ブレーキへの改造かいぞう制動せいどうとう(ブレーキシリンダー)を14インチから16インチのおおきなものへ交換こうかんした[12]

制御せいぎょはGEしゃせいPC-12-Eかたちでんそらカムじくしきしゅ制御せいぎょ直列ちょくれつ5だん並列へいれつ4だんよわかい磁1だん[13]であり、ブレーキは上述じょうじゅつとおりM自動じどう空気くうきブレーキである。このしゅ制御せいぎょは1100かたちまで使用しようされている[11][13]1932ねん昭和しょうわ7ねん)、1002号車ごうしゃにおいて国産こくさん芝浦製作所しばうらせいさくしょげん東芝とうしばせいしゅ制御せいぎょ電動でんどう試験しけん採用さいようされた[13]

電動でんどう片側かたがわ台車だいしゃに2搭載とうさいし、もう片方かたがた台車だいしゃ付随ふずい台車だいしゃとした。ただし、1928ねん昭和しょうわ3ねん)に台車だいしゃ重量じゅうりょうおなじにすることでブレーキりょく均一きんいつにするため、1だいしゃ1電動でんどう方式ほうしき改造かいぞうした[12]歯車はぐるまは3.81とおおきくっている。1りょうたり電動でんどうは2搭載とうさいのため、起動きどう加速度かそくどは2.0km/h/s。以降いこう基本きほんてきに1800かたちまでわらない。

連結れんけつは1001 - 1010までは柴田しばたしきなみがた自動じどう連結れんけつであったが[9]、2だい連結れんけつ運転うんてんわたせんなどちいさい曲線きょくせん通過つうかができないことから、衝動しょうどう抑止よくし電気でんき空気くうき連結れんけつもできるトムリンソンしき密着みっちゃく連結れんけつ変更へんこうされた[9]。1011 - 1021については当初とうしょからトムリンソンしき密着みっちゃく連結れんけつ変更へんこうされ、以後いご銀座ぎんざせんではこれが標準ひょうじゅんとなった。

運用うんよう

編集へんしゅう
 
東京とうきょう地下鉄ちかてつどう上野うえの - 浅草あさくさあいだ開業かいぎょうのポスター(杉浦すぎうら非水ひすいさく)にえがかれた1000かたち電車でんしゃ
 
1927ねん12月29にち東京とうきょう地下鉄ちかてつどう開通かいつう披露ひろうしき挙行きょこうまえに1000かたち電車でんしゃ試乗しじょうする朝香あさかみやばと彦王ひだり座席ざせき3にんなか)と竹田たけだみやつね徳王とくおうひだり座席ざせき3にんまえ

だい世界せかい大戦たいせん1960年代ねんだいまで、ながらく銀座ぎんざせん主力しゅりょくしゃとして運用うんようされた。

目立めだった変化へんかとしては、まず1939ねんごろ安全あんぜんたたみかき撤去てっきょされた。さらに台車だいしゃうち、NSK-D18かたち1948ねん昭和しょうわ23ねん)に1100かたち共通きょうつうじくばね式台しきだいしゃである汽車きしゃ製造せいぞう3LHがた(HA-18かたち)へ、KSK-3Hかたちについては1951ねん昭和しょうわ26ねん以降いこう一体いったい鋳鋼ちゅうこう ウイングばね式台しきだいしゃである汽車きしゃHW-18がたへそれぞれ交換こうかんされた[12](いずれもじくばこ支持しじじくばこもり方式ほうしき[12])。このさい余剰よじょうとなったきゅう台車だいしゃ京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ山陽電気鉄道さんようでんきてつどう日立製作所ひたちせいさくしょなどへ譲渡ゆずりわたされている。

また、1955ねんの6れん実施じっしさいしてはブレーキの応答おうとう性能せいのう改善かいぜんのため制動せいどうけいへの電磁でんじきゅうはいべん運転うんてんだいのブレーキべんへの接点せってん追加ついか制御せいぎょ線引せんひどおしが実施じっしされ、ME(AMME)電磁でんじ自動じどう空気くうきブレーキ搭載とうさいとなった。

1968ねん1500Nかたち竣工しゅんこうともない1100かたち100かたち共々ともども廃車はいしゃ決定けっていし、同年どうねん4がつ19にちに1000かたち2りょうで1500Nかたち1ユニットをはさんだ (1001+1501+1502+1002) ラストラン実施じっしされ、営業えいぎょう運転うんてんから退しりぞいた。

1969ねん2がつ20日はつかから3月15にちまで、運輸省うんゆしょうげん国土こくど交通省こうつうしょう船舶せんぱく技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ自治省じちしょうげん総務そうむしょう消防しょうぼう研究所けんきゅうじょ協力きょうりょくのもと、中野なかの工場こうじょうにおいて1002と1004を使用しようした燃焼ねんしょう実験じっけん実施じっしされた。

また廃車はいしゃ当時とうじ銀座ぎんざせん車両しゃりょう冷房れいぼう導入どうにゅう検討けんとうされており、1014と1018を使用しようして冷房れいぼう試験しけん実施じっしされた。この2りょう試験しけん終了しゅうりょう小石川こいしかわ検車けんしゃにゅうかわくるまとして使用しようされたが、1975ねん6月28にちづけ廃車はいしゃされ、形式けいしき消滅しょうめつとなった。

保存ほぞんしゃ

編集へんしゅう
 
地下鉄ちかてつ博物館はくぶつかん復元ふくげん保存ほぞんされている1000かたち1編成へんせい

現在げんざい東京とうきょう地下鉄ちかてつ電車でんしゃ総合そうごうてき基礎きそはこの1000かたちにあるとえる。

1000かたち戦後せんごになって台車だいしゃかわそう実施じっしされ、一部いちぶきゅう台車だいしゃ高松たかまつ琴平ことひら電気でんき鉄道てつどう山陽電気鉄道さんようでんきてつどうなどの標準軌ひょうじゅんきあいだ私鉄してつ各社かくしゃはらげられた。また日立製作所ひたちせいさくしょられ、狭軌きょうき整備せいびのうえ、伊予いよ鉄道てつどう十和田とわだ観光かんこう電鉄でんてつ備南電気でんき鉄道てつどう売却ばいきゃくされた。

記念きねんすべきだい1号車ごうしゃである1001は廃車はいしゃ1970ねん昭和しょうわ45ねん)に千代田ちよだ神田須田かんだすだまちにあった交通こうつう博物館はくぶつかん(2006ねん閉館へいかん)へ寄贈きぞうされた。同館どうかんでは開業かいぎょう姿すがたへの復元ふくげんすすめられたが、とく台車だいしゃについては調査ちょうさ結果けっかきゅう台車だいしゃはらさきである山陽さんよう電鉄でんてつ250かたち最終さいしゅう編成へんせい (256 - 257) に日本にっぽん車輌しゃりょうせいD-18がBW-3として使用しようされていること[注釈ちゅうしゃく 8]判明はんめいし、1980ねんどう編成へんせい廃車はいしゃどう編成へんせい装着そうちゃくしていた台車だいしゃ1両分りょうぶん寄贈きぞうけてかわそう実施じっししている。

その1986ねん地下鉄ちかてつ開通かいつう60周年しゅうねん記念きねん事業じぎょう一環いっかんで、東西線とうざいせん葛西かさいえき高架こうか開館かいかんした地下鉄ちかてつ博物館はくぶつかん移転いてんされて屋内おくない保存ほぞんされており、開業かいぎょう当時とうじ上野うえのえきをモチーフにして展示てんじされている。そして2003ねん6月の同館どうかんリニューアルにより、1001のとなりには丸ノ内線まるのうちせん300かたち301も保存ほぞんされるようになり、同時どうじ従来じゅうらい原則げんそく非公開ひこうかいだった車内しゃない一般いっぱん公開こうかいされるようになった。なお、地下鉄ちかてつ博物館はくぶつかんへの移転いてん貸与たいよかたちおこなわれたため、その車両しゃりょう所有しょゆうけん国鉄こくてつ東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん)がゆうしていたが、地下鉄ちかてつ博物館はくぶつかん開館かいかん30周年しゅうねん2016ねん12月5にちけで同館どうかん運営うんえいする公益こうえき財団ざいだん法人ほうじんメトロ文化ぶんか財団ざいだん無償むしょう譲渡じょうとされた。2017ねん重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい保護ほご観点かんてんからふたた車内しゃない非公開ひこうかいとなったが、イベントには公開こうかいされることもある。

1997ねん10月から12がつにかけて、「地下鉄ちかてつはしって70ねん記念きねんイベントの一環いっかんとして、01けいだい22編成へんせい先頭せんとうしゃに1001の車体しゃたいせたラッピングほどこした記念きねん列車れっしゃ運転うんてんされた。また、2007ねん12月から2008ねん1がつにも80周年しゅうねん記念きねんして01けいだい17編成へんせいに1000がたのラッピングがされた記念きねん電車でんしゃ運転うんてんされたが、こちらは6りょうすべてにラッピングがされていた。

2012ねん4がつ11にちより銀座ぎんざせん営業えいぎょう運転うんてん開始かいしした1000けいは、ほん形式けいしきをモチーフにしたレトロ調ちょうのデザインを採用さいようしており、車体しゃたいしょくについては地下鉄ちかてつ博物館はくぶつかん保存ほぞんされている1001を参考さんこうにしている。また、1000けい最終さいしゅうぞう備車であるだい39・40編成へんせいについては、内装ないそうふくめよりほん形式けいしきちかいデザインをれた特別とくべつ仕様しようとなっている。

1100かたち

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東京とうきょう地下鉄ちかてつどうが1931ねんから1932ねんにかけて万世橋まんせいばしげん: 廃止はいし) - 京橋きょうばしあいだ延伸えんしんしたさいに1000がたぞう備車として9りょう車両しゃりょう番号ばんごう:1122 - 1130)が製造せいぞうされた。すべて汽車きしゃ製造せいぞう東京とうきょう支店してんせいである。機器ききもGEしゃけいのものを踏襲とうしゅう採用さいようしている。1000かたちとの相違そういてん台車だいしゃ鋳鋼ちゅうこうせい部品ぶひんわせたじくばね台車だいしゃである汽車きしゃ製造せいぞう3LHがた(HA-18かたち)に変更へんこうされたことと、溶接ようせつ組立くみたて導入どうにゅうによるリベットのかず減少げんしょう程度ていどである[6]。ブレーキ装置そうち国産こくさん三菱重工業みつびしじゅうこうぎょうせい装置そうち使用しようされた[11][10]

1000かたち同様どうよう経緯けいい営団えいだん地下鉄ちかてつがれた。

1968ねん7がつまでに全車ぜんしゃ廃車はいしゃされた。その、1122ごう教材きょうざいようとしてながらく丸ノ内線まるのうちせん中野なかの工場こうじょう上屋うわやつくって保管ほかんされていたが、1985ねん昭和しょうわ60ねん)に解体かいたいされた。

1977ねん12月に日本にっぽん地下鉄ちかてつ開通かいつう50周年しゅうねん記念きねんして郵政省ゆうせいしょう発行はっこうした記念きねん切手きってには、とう形式けいしき神戸こうべ交通こうつうきょく1000かたち採用さいようされた。これは、とう形式けいしき日本にっぽんはつ地下鉄ちかてつ車両しゃりょうであり、神戸こうべ交通こうつうきょく1000かたち当時とうじ日本にっぽんさい新鋭しんえい地下鉄ちかてつ車両しゃりょうであったためである。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 当初とうしょいろ廃車はいしゃまで維持いじされていたわけではなく、引退いんたい時点じてんでは2000かたちなどと同様どうようのオレンジしょくとなっていた。
  2. ^ これと同様どうようのドア開閉かいへいスイッチは現在げんざい名古屋鉄道なごやてつどう西日本鉄道にしにっぽんてつどう車両しゃりょう使用しようされている。
  3. ^ 吉川よしかわ (1994) によると、「リコ」は、このタイプのつりかわ製造せいぞうしていた「Railway Improvement Co.」が商標しょうひょうとして使用しようしていた「RICO」から。ニューヨーク地下鉄ちかてつなどで採用さいようされていた。
  4. ^ これはニューヨーク市営しえい地下鉄ちかてつのシステムをそのまま模倣もほうしたものであった。
  5. ^ 最大さいだい12りょう編成へんせい電車でんしゃ編成へんせいのブレーキを空気圧くうきあつ指令しれいのみで指令しれい可能かのうとした、当時とうじ最新さいしん自動じどう空気くうきブレーキシステム。階段かいだんゆるめを可能かのうとするなど高度こうど機能きのう搭載とうさいし、応答おうとう速度そくどたかかったが、機構きこう複雑ふくざつかつこう精度せいど要求ようきゅうされ、日本にっぽんでの採用さいようれい高速こうそく運転うんてん実施じっししていたしん京阪けいはん鉄道てつどう阪和はんわ電気でんき鉄道てつどう大阪おおさか電気でんき軌道きどう参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつ関西かんさい私鉄してつ4しゃ大阪おおさか電気でんききょく高速こうそく電気でんき軌道きどう合計ごうけい5しゃきょくかぎられた。
  6. ^ AMMブレーキではべん機構きこうじょう制約せいやくから6りょう編成へんせい以上いじょう使用しようすると緊急きんきゅう緩解かんかい不良ふりょう発生はっせいするおそれがあり、保安ほあんじょう5りょう編成へんせい上限じょうげんとされた。なお、銀座ぎんざせんでは5りょう編成へんせいでさえ増結ぞうけつされた1両分りょうぶんについてきゃくようとびらあつかいを一部いちぶえき実施じっしする必要ひつようしょうじており、1960ねんの6りょう運転うんてん実施じっしにあたっては、車両しゃりょうがわのブレーキ改修かいしゅうくわえ、各駅かくえきホームの延伸えんしんなど様々さまざま施設しせつ改修かいしゅう工事こうじいられている。
  7. ^ 端子たんし電圧でんあつ600Vていかく出力しゅつりょく90kW/658rpm。
  8. ^ 当時とうじ高松たかまつ琴平ことひら電鉄でんてつはらげられたぶん10000かたち装着そうちゃくされてすくなくとも2両分りょうぶん現存げんそんしていたが、こちらは汽車きしゃ製造せいぞうせい3Hで1001の装着そうちゃくしていたきゅう台車だいしゃとはことなっていた。

出典しゅってん

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  1. ^ 東京とうきょう地下鉄ちかてつどう. ひつじさる東京とうきょう地下鉄ちかてつどう](国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。
  2. ^ 帝都ていと高速度こうそくど交通こうつう営団えいだん地下鉄ちかてつ運輸うんゆ50ねん』pp.330 - 331。
  3. ^ 2017ねんニュースリリース|東京とうきょうメトロ「日本にっぽんはつ地下鉄ちかてつ車両しゃりょう1001号車ごうしゃ」がくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい”. 東京とうきょう地下鉄ちかてつ (2017ねん3がつ10日とおか). 2017ねん7がつ3にち閲覧えつらん
  4. ^ 日本にっぽんはつ地下鉄ちかてつ車両しゃりょう1001号車ごうしゃ」がくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していべつ添ファイル” (PDF). 東京とうきょう地下鉄ちかてつ. 2017ねん7がつ3にち閲覧えつらん
  5. ^ 日本にっぽんはつ地下鉄ちかてつ車両しゃりょう1001号車ごうしゃ くに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい - 日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう
  6. ^ a b c d e 帝都ていと高速度こうそくど交通こうつう営団えいだん『60ねんのあゆみ - 営団えいだん地下鉄ちかてつ車両しゃりょう2000りょう突破とっぱ記念きねん - 』pp.72 - 74。
  7. ^ 日本にっぽん車輛しゃりょう製品せいひん案内あんない 昭和しょうわ3ねん記載きさい数値すうちによる。
  8. ^ 新型しんがた車両しゃりょう1000けい銀座ぎんざせん1000けいスペシャルサイト|東京とうきょうメトロ
  9. ^ a b c 東京とうきょう地下鉄ちかてつどう. ひつじさる東京とうきょう地下鉄ちかてつどう]。p.348 - 351。
  10. ^ a b 帝都ていと高速度こうそくど交通こうつう営団えいだん『60ねんのあゆみ - 営団えいだん地下鉄ちかてつ車両しゃりょう2000りょう突破とっぱ記念きねん - 』p.112 。
  11. ^ a b c d e f 東京とうきょう地下鉄ちかてつどう. ひつじさる東京とうきょう地下鉄ちかてつどう]。p.326。
  12. ^ a b c d e f g 帝都ていと高速度こうそくど交通こうつう営団えいだん『60ねんのあゆみ - 営団えいだん地下鉄ちかてつ車両しゃりょう2000りょう突破とっぱ記念きねん - 』pp.98 - 99。
  13. ^ a b c 帝都ていと高速度こうそくど交通こうつう営団えいだん『60ねんのあゆみ - 営団えいだん地下鉄ちかてつ車両しゃりょう2000りょう突破とっぱ記念きねん - 』p.104 。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 吉川よしかわ文夫ふみお (1994)「広告こうこく鉄道てつどう (1)」、『鉄道てつどう史料しりょう』 No.75、1994ねん8がつ鉄道てつどう資料しりょう保存ほぞんかい

外部がいぶリンク

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