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松竹新喜劇 - Wikipedia

松竹しょうちくしん喜劇きげき(しょうちくしんきげき)は、松竹しょうちく傘下さんか喜劇きげき劇団げきだんおな上方かみがた本拠地ほんきょちとする吉本よしもとしん喜劇きげきコント主体しゅたい軽演劇けいえんげきことなり、ときになみださそ物語ものがたりせいのある人情にんじょう喜劇きげきりにしている。

概要がいよう

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1948ねん12月、結成けっせい当時とうじ松竹しょうちくしん喜劇きげきのメンバー 前列ぜんれつひだりから4にん代目だいめ渋谷しぶや天外てんがい、5にん曾我廼家そがのやじゅうわれ、6にん浪花なにわ千栄子ちえこ、7にん曽我そが廼家づるちょう ちゅうれつひだりから4にん天外てんがいうしろ)曾我廼家そがのや五郎ごろうはち 後列こうれつひだりから5にん藤山ふじやま寛美ひろみ後列こうれつみぎから4にん曽我そが廼家あかりちょう

旗揚はたあげは1948ねん12月中座ちゅうざおこなった。参加さんかメンバーは渋谷しぶや天外てんがい(2代目だいめ曾我廼家そがのやじゅうわれ浪花なにわ千栄子ちえこ藤山ふじやま寛美ひろみ曾我廼家そがのや大磯おおいそ曾我廼家そがのやあきらちょう曾我廼家そがのや五郎八ごろうはちなど男性だんせい17にん女性じょせい5にん[1]。 その結成けっせいのきっかけは、1946ねん曾我廼家そがのや五郎ごろう他界たかいしたことであった。

終戦しゅうせん直後ちょくご大阪おおさか喜劇きげきかいは、天外てんがいじゅうわれによって1928ねん結成けっせいされた「松竹しょうちく家庭かていげき」と「曾我廼家そがのや五郎ごろう一座いちざ」におおきく二分にぶんされていた。さらに、松竹しょうちく家庭かていげき戦後せんごまもなく脱退だったいし、1947ねんに「すいーとほーむ」という新劇しんげきだん結成けっせい翌年よくねんからは「しん家庭かてい」と改称かいしょうして地方ちほうまわっていた天外てんがい浪花なにわ千栄子ちえこ寛美ひろみらの劇団げきだんもあった。

松竹しょうちくはかねてより喜劇きげきだんさい編成へんせいをもくろんでいだが、五郎ごろう契機けいきに、じゅうわれらの「松竹しょうちく家庭かていげき」に「しん家庭かてい」をくわえ、「五郎ごろう一座いちざ」の残党ざんとう合流ごうりゅうさせて結成けっせいしたのがこの「松竹しょうちくしん喜劇きげき」であった。

以後いご1949ねん大磯おおいそらの五郎ごろうげきけい女形おんながた退団たいだんしたので、結果けっかとして女形おんながたから女優じょゆうへというひとつの近代きんだいげた。さらに1951ねんには、天外てんがい女性じょせい問題もんだいから浪花なにわ天外てんがい離婚りこん松竹しょうちくしん喜劇きげき退団たいだんするという事件じけんがあったものの、酒井さかい光子みつこ若手わかて女優じょゆう成長せいちょうという副産物ふくさんぶつんだ。

1956ねんには天外てんがい路線ろせん反対はんたいしてじゅうわれ退団たいだんし、危機ききむかえたが、やがて藤山ふじやま寛美ひろみがテレビをかいしてひろ人気にんき天外てんがい寛美ひろみのコンビで不動ふどう人気にんきるにいたった。1965ねん天外てんがいやまいたおれてからは寛美ひろみ劇団げきだんいちまい看板かんばんとなり、圧倒的あっとうてき人気にんきた。

しかし、1965ねん多額たがく借金しゃっきんかかえて破産はさんした寛美ひろみをクビにして、当時とうじ人気にんき漫才まんざいコンビ「ミヤコ蝶々ちょうちょう南都なんと雄二ゆうじ」をむかえたが、客足きゃくあしちてしまい、1967ねん寛美ひろみ借金しゃっきん肩代かたがわりして復帰ふっきさせた。それ以来いらい寛美ひろみやく20年間ねんかん連続れんぞく舞台ぶたいつづけ、松竹しょうちくしん喜劇きげきささつづける。

1987ねんには、244ヶ月かげつ連続れんぞく無休むきゅう公演こうえんという記録きろくてた。これは本拠ほんきょ大阪おおさか中座ちゅうざをはじめ、京都きょうと南座みなみざ名古屋なごや御園座みそのざ東京とうきょう新橋しんばし演舞えんぶじょうでの公演こうえん地方ちほう巡業じゅんぎょうふくめたもの。1ヶ月かげつのうち25日間にちかんひる3ほんよる3ほんもの公演こうえんをこなした(のこりの5にち稽古けいこにあてられた)。だが、この強行きょうこう日程にっていには、劇団げきだんいんから「寛美ひろみ独断どくだん専行せんこう」といった批判ひはんこえがり、劇団げきだん運営うんえい待遇たいぐうへの不満ふまんもあっておおくの離反りはんしゃまねくことになる。なかでも、寛美ひろみ後継こうけいされていた小島こじま秀哉ひでや退団たいだん1977ねん)はおおきな痛手いたでで、かれわる後継こうけいしゃそだつことなく「松竹しょうちくしん喜劇きげき藤山ふじやま寛美ひろみ」のまま、劇団げきだん低空ていくう飛行ひこうつづけることになる。

その寛美ひろみ1990ねん死去しきょし、松竹しょうちくしん喜劇きげき最大さいだいのピンチをむかえるが、1991ねん前年ぜんねん復帰ふっき[2]した渋谷しぶやたかしわらい初代しょだい3代目だいめ渋谷しぶや天外てんがい)を代表だいひょうに「新生しんせい松竹しょうちくしん喜劇きげき」と改称かいしょう

現在げんざいでは、寛美ひろみむすめ藤山ふじやま直美なおみ2代目だいめ水谷みずたに八重子やえこきょう唄子うたこ久本ひさもと雅美まさみなどの著名ちょめい俳優はいゆう客演きゃくえんむかえての全国ぜんこく公演こうえんおこなっている。

その新生しんせい」をはらい、「松竹しょうちくしん喜劇きげき」のもど活動かつどう。2009ねん8がつには、ながらくライバルだった吉本よしもとしん喜劇きげきなんばグランド花月ぐらんどかげつ舞台ぶたいそろって挨拶あいさつした。

現在げんざい主要しゅようメンバー

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きゅう座員ざいん

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ほか

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 世相せそう風俗ふうぞく観察かんさつかい増補ぞうほ新版しんぱん 現代げんだい世相せそう風俗ふうぞく年表ねんぴょう 昭和しょうわ20ねん(1945)-平成へいせい20ねん(2008)』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2003ねん11月7にち、28ぺーじISBN 9784309225043 
  2. ^ 初代しょだいてんわらいは1984ねんきゅうだん俳優はいゆうとしてテレビドラマに出演しゅつえんしていた。

外部がいぶリンク

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