生田目 修
1924 | |
1999 | |
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1945 - 1945( 1951 - 1952( 1952 - 1954( 1954 - 1983( | |
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略歴
1955
年譜
- 1942
年 (昭和 17年 ) -茨城 県立 太田 中学校 (現在 の茨城 県立 太田 第一高等学校 )卒業 (中 38回 卒 ) - 1945
年 (昭和 20年 ) - 1951
年 (昭和 26年 ) - 1952
年 (昭和 27年 )7月 - 1等 警察 士 - 1954
年 (昭和 29年 )9月 -航空 自衛隊 に転 官 - 1968
年 (昭和 43年 )1月 1日 - 1等 空佐 昇任 - 1969
年 (昭和 44年 )7月 16日 -航空 総 隊 司令 部 防衛 部 防衛 班長 - 1971
年 (昭和 46年 )7月 16日 -中部 航空 警戒 管制 団 第 44警戒 群 司令 兼 峯岡 山分 とん基地 司令 - 1972
年 (昭和 47年 )7月 17日 -航空 幕僚監部 人事 教育 部 付 - 1973
年 (昭和 48年 )7月 16日 -航空 総 隊 司令 部 防衛 部 勤務 - 1974
年 (昭和 49年 )7月 1日 -空 将 補 昇任 - 1975
年 (昭和 50年 )4月 1日 -航空 幕僚監部 防衛 部長 - 1977
年 (昭和 52年 )7月 1日 -空 将 昇任 、航空 総 隊 司令 部 幕僚 長 - 1978
年 (昭和 53年 )7月 1日 -第 14代 西部 航空 方面 隊 司令 官 - 1979
年 (昭和 54年 )3月 16日 -第 18代 航空 幕僚 副長 - 1981
年 (昭和 56年 )2月 16日 -第 16代 航空 幕僚 長 - 1983
年 (昭和 58年 )4月 26日 -退官 。退官 後 は伊藤忠 エレクトロニクス顧問 を務 める。 - 1994
年 (平成 6年 )11月3日 -勲 二 等 瑞宝章 受章 [5][6] - 1999
年 (平成 11年 )6月 20日 -敗血症 のため茨城 県 日立 市 の病院 で死去 (享年 74)[1]、叙 ・正 四 位 [7]
栄典
- レジオン・オブ・メリット・コマンダー - 1981
年 (昭和 56年 )11月17日 -
勲 二 等 瑞宝章 - 1994年 (平成 6年 )11月3日
脚注
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