(Translated by https://www.hiragana.jp/)
美人画 - Wikipedia

美人びじん

女性じょせいをモチーフにした絵画かいが

美人びじん(びじんが)は、一般いっぱん女性じょせい容姿ようし内面ないめんうつくしさ、いわゆる女性じょせいをモチーフにした絵画かいがのことをす。このような人物じんぶつ古今ここん東西とうざいにあるが、美人びじんという用語ようご日本にっぽん発祥はっしょうかたで、おも東洋とうようす。おおくは江戸えど時代じだい浮世絵うきよえながれをんでいるが、洋画ようがであってもおな主題しゅだいのものであれば美人びじんぶ。

千代田ちよだ大奥おおおく 花菖蒲はなあやめ 3まいぞくそろい 」【1896ねん明治めいじ29ねん楊洲周延しゅうえん 浮世絵うきよえより】

概要がいよう

編集へんしゅう

美人びじんとはたんうつくしい女性じょせいをモチーフにした絵画かいがだという概念がいねんとらわれがちだが、『広辞苑こうじえん』では「女性じょせいうつくしさを強調きょうちょうし」という抽象ちゅうしょうてき表現ひょうげん規定きていされており、『新潮しんちょう世界せかい美術びじゅつ辞典じてん』(新潮社しんちょうしゃ、1985ねんISBN 4107302067)では「女性じょせい容姿ようしうつくしさ」と、『現代げんだい日本にっぽん美人びじん全集ぜんしゅう 名作めいさくせんI』(せき千代ちよ ちょ集英社しゅうえいしゃ、1979ねん)では「女性じょせいなかにある」を探究たんきゅうしモチーフとしたものとさだめてあり、かならずしも美人びじんえがいたものという定義ていぎだけでその本質ほんしつ表現ひょうげんできるものではない。実際じっさい浮世絵うきよえ美人びじん様式ようしきされたもので[注釈ちゅうしゃく 1]うつくしい女性じょせいをリアルにえがいたものではない。

美人びじんという用語ようごは、1940年代ねんだいから1950年代ねんだいころ文部省もんぶしょう美術びじゅつ展覧てんらんかい醸成じょうせいされ形作かたちづくられた言葉ことばである。それ以前いぜんは、女性じょせいをモチーフとしたたとえば浮世絵うきよえられるしょ作品さくひんは「美人びじん(びじんえ)」や「おんな(おんなえ)」として分類ぶんるいされていたが、とく後者こうしゃ呼称こしょうでは源氏物語げんじものがたり絵巻えまきにあるような引目鉤鼻ひきめかぎはな記号きごうてき女性じょせいをもふくんでいた。明治めいじ末期まっきごろは、あたらしい女性じょせいぞう提案ていあんする画家がか上村うえむら松園しょうえん鏑木かぶらき清方きよかた池田いけだ蕉園北野きたの恒富つねとみなど)の台頭たいとうや、過去かこ封建ほうけんてき女性じょせいたいする社会しゃかいてき認知にんち変化へんかはじめたことが美人びじんというあたらしい分類ぶんるいまれたいち要因よういんとみなされる。

この美人びじん分類ぶんるいは、明治めいじ以前いぜん絵画かいがまでさかのぼって対象たいしょうとされた。その代表だいひょうてきなものとして日本にっぽん浮世絵うきよえ中国ちゅうごくの「つかまつおんなおんな‐しじょず)」などがさい発見はっけんされた。しかしながら、うつくしい女性じょせいえがいた洋画ようが数多かずおおいが、そのテーマはほとんどの場合ばあい神話しんわ伝説でんせつ歴史れきし宗教しゅうきょうなどを主題しゅだいえており(19世紀せいき以降いこう洋画ようがはそうではないものもおおいが)、日本にっぽん美人びじんとはかならずしも同一どういつしがたい。

その一方いっぽうで、美人びじんえがかれる対象たいしょうかならずしも女性じょせいかぎらないとのかんがえもある。衆道しゅどうにおける若衆わかしゅや、歌舞伎かぶき女形おんながたえがいた浮世絵うきよえ[注釈ちゅうしゃく 2]美人びじんのうちにふくめる場合ばあいがある。

日本にっぽん美人びじん

編集へんしゅう

浮世絵うきよえ美人びじん

編集へんしゅう

女性じょせいをモチーフとした絵画かいがは、さまざまな文化ぶんかられる。れいではせいくらいんの「とりたておんな屏風びょうぶ」をげることが出来できる。時代じだい室町むろまち末期まっきまれた近世きんせい初期しょき風俗ふうぞくでは、多様たようなモチーフのなか女性じょせい姿すがた見受みうけられるが、時代じだいくだ主題しゅだい整理せいりすすなか女性じょせいそのものをテーマにした「寛文ひろふみ美人びじん」のような作品さくひんあらわれる。これが浮世絵うきよえにもながみ、ごく初期しょきでは菱川ひしかわ師宣もろのぶ肉筆にくひつ美人びじん見返みかえ美人びじん」がある。その錦絵にしきえ確立かくりつとともに、華奢きゃしゃ少女しょうじょのようなあどけなさを女性じょせいおおえがいた鈴木すずき春信はるのぶ美人びじん流行りゅうこうした。天明てんめいには鳥居とりいきよしちょう八頭身はっとうしん手足てあしながえがかれた美人びじん好評こうひょうはくす。寛政かんせい年間ねんかんには喜多川きたがわ歌麿うたまろが、より肉感的にっかんてき美人びじんえがき、だいくびなどで一世いっせい風靡ふうびした。文化ぶんか文政ぶんせい以降いこうになるとけいときえいいずみ歌川うたがわ国貞くにさだなどがえがくような嗜虐しぎゃく趣味しゅみ屈折くっせつした情念じょうねんあらわすような退廃たいはいてき美人びじんひろまる。これらは江戸えどでのうごきだが、京都きょうとでもみなもと山口やまぐちあや円山まるやま中心ちゅうしんに、京阪けいはん富裕ふゆう商人しょうにんそうけてさかんに美人びじんえがかれた。19世紀せいき初期しょきには祇園ぎおんとくさんばたけじょうりゅうのように独特どくとくなアクのつよ表現ひょうげん絵師えしあらわれる。

浮世絵うきよえ女性じょせいえがかたには独特どくとく傾向けいこうがある。時代じだい絵師えしによってもかわってくるが、ちいさい、あるいはながほそ細面ほそおもて下膨しもぶくれしたかおといった女性じょせいぞう特色とくしょくである。このような女性じょせいかおは、ふるくから日本人にっぽんじん理想りそうとされていた。ポルトガル出身しゅっしん宣教師せんきょうしルイス・フロイスも『日本にっぽん覚書おぼえがき』に「ヨーロッパじんは、おおきいうつくしいとみなす。日本人にっぽんじんは、それをぞっとするようなものとみなし、なみだ部分ぶぶんざされているのをうつくしいとする」としるしている。ロングセラーをほこ江戸えど時代じだい化粧けしょう指南しなんしょ、『風俗ふうぞく化粧けしょうでん』においても「だいなるをほそくするつて」というこう存在そんざいする。

浮世絵うきよえ美人びじんでは、モデルとなった人物じんぶつ顔立かおだちにているかどうかは重要じゅうようされなかった[1]おな版画はんがのモデルめい部分ぶぶんだけをえてられることも平然へいぜんおこなわれていたし、見分みわけのかない女性じょせいおな画面がめん複数ふくすう登場とうじょうしても問題もんだいとはされなかった。美人びじん人々ひとびとにとっては表情ひょうじょう機微きび個々ここ差違さいよりも、モデルとなった美女びじょがどの浮世絵うきよえの「かた」であらわされるかということほう重要じゅうようだったためである[1]評判ひょうばんったかた浮世絵うきよえにそっくり模倣もほうされ、歌麿うたまろ美人びじん国貞くにさだ美人びじん春信はるのぶ美人びじんといった時代じだい代表だいひょうする理想りそう容姿ようしあらわかたつくられていった。

このように浮世絵うきよえ美人びじんは、吉原よしはら遊女ゆうじょまち看板娘かんばんむすめなど当世とうせい美人びじん理想りそうされているが、江戸えどから明治めいじ浮世絵うきよえ美人びじん発展はってん経緯けいい俯瞰ふかんすると、時代じだいすすむのにおうじてすり精度せいどいろざいあざやかさがたかまっていく、浮世絵うきよえ版画はんが全般ぜんぱん共通きょうつうする「技術ぎじゅつてき進化しんか」が顕著けんちょ反映はんえいされていること、さらにそれぞれの時期じき美人びじん代表だいひょうする絵師えしたちが、その時代じだいきる実在じつざい美人びじん姿すがた最大限さいだいげんえがそうとして、個々ここ表現ひょうげん工夫くふう独創どくそうらしていく「リアリティの追求ついきゅう」による表現ひょうげん様式ようしき進化しんか辿たどっている側面そくめんがあると指摘してきされている[2]

明治めいじ大正たいしょう美人びじん

編集へんしゅう

明治めいじ時代じだいになっても、浮世絵うきよえでは幕末ばくまつからの様式ようしき美人びじんがしばらくられていた。大正たいしょう時代じだいは、竹久たけひさゆめが「ゆめしき美人びじん」とばれる浮世絵うきよえふう様式ようしき大正たいしょう浪漫ろうまん融合ゆうごうさせた美人びじんぞう人気にんきはくし、ゆめ美人びじんぞう現代げんだいいたっても非常ひじょう人気にんきがある。

日本にっぽんなか美人びじん

編集へんしゅう

東京とうきょう鏑木かぶらき清方きよかた京都きょうと上村うえむら松園しょうえんがこの分野ぶんやでの地位ちい確立かくりつし、「西にし松園まつぞのひがし清方きよかた」としょうされた。また伊東いとう深水しんすいも、この分野ぶんやした。

美人びじん広告こうこく

編集へんしゅう

明治めいじ後期こうきから大正たいしょうにかけて、美人びじん企業きぎょう広告こうこくポスターとして印刷いんさつされ出回でまわるようになる。百貨店ひゃっかてん客船きゃくせん鉄道てつどう石鹸せっけんビールなど、当時とうじ世相せそう風俗ふうぞくいまつたえる媒体ばいたいとしても興味深きょうみぶかい。

現代げんだい美人びじん

編集へんしゅう

現代げんだいではかつてないくらい美女びじょ美少女びしょうじょ)をえがいた様式ようしきされた氾濫はんらんしているが、おおくは浮世絵うきよえ日本にっぽん美人びじん様式ようしきとは隔絶かくぜつしている。そのなかでも浮世絵うきよえ以来いらい美人びじん様式ようしきいでいる人気にんきイラストレーターとして、はやし静一せいいち中村なかむら佑介ゆうすけらがあげられる。 鏑木かぶらき清方きよかた上村うえむら松園しょうえん伊東いとう深水しんすい北野きたの恒富つねとみ没後ぼつご日本にっぽんにおける美人びじん人気にんき急速きゅうそくおとろえたが、平成へいせい末期まっき池永いけながかんあきら登場とうじょうにより現代げんだい美人びじんブームが再燃さいねんした。

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ たとえば、当時とうじ既婚きこん女性じょせいまゆる(引眉ひきまゆ習慣しゅうかんがあったが、美人びじんでは既婚きこん女性じょせいであってもまゆえがくというまりごとがあった。
  2. ^ 役者やくしゃ」を創始そうしした浮世絵うきよえ画家がか鳥居とりいきよしばい美人びじんのひとつ[1]は、これらを「嬋娟せんけん(せんけんが)」と呼称こしょうした。

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ a b 小林こばやしただし江戸えど浮世絵うきよえむ』 筑摩書房ちくましょぼう <ちくま新書しんしょ> 2002ねん ISBN 4480059431 pp.187-193.
  2. ^ はたこう麻里まり錦絵にしきえ美人びじん発展はってん春信はるのぶ歌麿うたまろから芳年ほうねん周延しゅうえんまでをじくとして―」(『美人びじん名品めいひんせん春信はるのぶ歌麿うたまろから芳年ほうねん周延しゅうえんまで―』てん図録ずろく所収しょしゅう足立あだち区立くりつ郷土きょうど博物館はくぶつかん、2017ねん。)pp.2-5

出典しゅってん

編集へんしゅう
  • 吉田よしだ俊英としひで郷土きょうどの・美人びじんこう」(『郷土きょうど美人びじんこうてん図録ずろく所収しょしゅう名古屋なごや美術館びじゅつかん、1997ねんどうちょ尾張おわり絵画かいが研究けんきゅう』にさいろく 清文せいぶんどう、2008ねん ISBN 978-4-7924-0663-9
  • 特別とくべつてん 美人びじん誕生たんじょうてん図録ずろくやましゅ美術館びじゅつかん、1997ねん
  • はたこう麻里まり錦絵にしきえ美人びじん発展はってん春信はるのぶ歌麿うたまろから芳年ほうねん周延しゅうえんまでをじくとして―」(『美人びじん名品めいひんせん春信はるのぶ歌麿うたまろから芳年ほうねん周延しゅうえんまで―』てん図録ずろく所収しょしゅう足立あだち区立くりつ郷土きょうど博物館はくぶつかん、2017ねん。)
  • 中野なかのまこと美人びじん画室がしつ再考さいこう美人びじん画家がか評価ひょうか表現ひょうげん」『近代きんだいせつ』27、2018ねん

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう