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蕭一傑 - Wikipedia

しょう いちすぐる(シャオ・イージェ、しょう いっけつ 1986ねん1がつ2にち - )は、 台湾たいわんへいひがしけんへいひがし出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅ)、通訳つうやくみぎとうみぎ

しょう いちすぐる
Hsiao I-Chieh
あじぜんドラゴンズ ぐん投手とうしゅコーチ #89
2014ねん7がつ6にち
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 中華民国の旗 中華民国ちゅうかみんこく
出身しゅっしん へいひがしけんへいひがし
生年月日せいねんがっぴ (1986-01-02) 1986ねん1がつ2にち(38さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
180 cm
87 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 投手とうしゅ
プロ 2008ねん ドラフト1
はつ出場しゅつじょう NPB / 2011ねん8がつ11にち
CPBL / 2014ねん3がつ22にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう NPB / 2011ねん8がつ18にち
CPBL / 2017ねん7がつ28にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
選手せんしゅれき
指導しどうれき
しょういちすぐる
各種かくしゅ表記ひょうき
繁体字はんたいじ しょういちすぐる
簡体字かんたいじ 萧一杰
拼音 Xiāo Yī Jié
和名わみょう表記ひょうき しょう いっけつ
発音はつおん転記てんき シャオ・イージェ
英語えいごめい Hsiao I-Chieh
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中華民国ちゅうかみんこく台湾たいわん)の国籍こくせきゆうするが、日本にっぽん国内こくない高校こうこう大学だいがく通算つうさん5ねん以上いじょう在学ざいがくしていたため、NPB選手せんしゅ時代じだいには外国がいこくじんわく例外れいがい規定きてい日本人にっぽんじん選手せんしゅおなあつかいをけていた。また、登録とうろくめい本人ほんにん希望きぼうもあり日本語にほんごみの「しょう いっけつ」にしており[1]ネームは日本語にほんごみの表記ひょうきである「SHOH」だった。

経歴けいれき

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プロまえ

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台湾たいわんだい聯盟れんめいこうへい雷公らいこうなどでコーチをつとめたしょう良吉りょうきち伯父おじつなど、祖父そふから3だいつづ野球やきゅう一家いっかそだった。みずからも小学しょうがく3ねん野球やきゅうはじめて捕手ほしゅ内野ないやしゅつとめた。当時とうじ郭泰源かくたいげんあこがれ、西武せいぶライオンズのファンだった。

日本にっぽん高校こうこう野球やきゅうでのプレーを希望きぼうし、2002ねん台湾たいわんから宮崎みやざきけん日南学園にちなんがくえん高等こうとう学校がっこう留学りゅうがくして投手とうしゅ転向てんこう。2ねんなつだい85かい全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかい、3ねんはるだい76かい選抜せんばつ高等こうとう学校がっこう野球やきゅう大会たいかい出場しゅつじょうしたが、選抜せんばつでは登板とうばん機会きかいがなかった。留学りゅうがくまえ台湾たいわん高校こうこうこうえんこうしょう中国語ちゅうごくごばん)に半年はんとしあいだ在学ざいがくしていたため、規定きていにより3ねんなつ公式こうしきせんへの出場しゅつじょう資格しかくがなかった[2]

近畿きんき学生がくせい野球やきゅう連盟れんめい所属しょぞく奈良産業大学ならさんぎょうだいがく進学しんがくは1ねん先輩せんぱい桑原くわばら謙太けんたろうがいたこともありぬしリリーフ起用きようされ、4ねんからはおも先発せんぱつ投手とうしゅとして登板とうばんした。2008ねん春季しゅんきリーグではMVPとベストナインを受賞じゅしょう大学だいがく通算つうさん16しょう1はい防御ぼうぎょりつ0.63[3]だい57かい全日本ぜんにほん大学だいがく野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかいでは1回戦かいせん延長えんちょう13かいげて完封かんぷう勝利しょうりげ、翌日よくじつの2回戦かいせんでは延長えんちょう11かいサヨナラけをきっしたが、自身じしんは24あいだたず2試合しあいで331きゅう特別とくべつしょう受賞じゅしょうした。

2008ねんドラフト会議かいぎ松本まつもと啓二けいじろう藤原ふじわらひろしどおりらの交渉こうしょうけんのがした阪神はんしんから1指名しめいけ、NPBのドラフトで指名しめいされたはつ台湾たいわん出身しゅっしん投手とうしゅとなった。ドラフトまえ西武せいぶ横浜よこはまベイスターズへの入団にゅうだん希望きぼうしていた[4]が、12月8にち契約けいやくきん9,000まんえん出来高できだか4,000まんえん年俸ねんぽう1,300まんえん金額きんがく推定すいてい)で阪神はんしんかり契約けいやく背番号せばんごう19決定けっていした。

阪神はんしん時代じだい

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阪神はんしん時代じだい(2009ねん7がつ2にち阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょう

2009 ワールド・ベースボール・クラシックチャイニーズタイペイ代表だいひょう候補こうほにも選出せんしゅつされたが、オーストラリア代表だいひょうとの練習れんしゅう試合しあい打球だきゅう右腕うわんけ、全治ぜんち2週間しゅうかんみぎさんとうすじ挫傷ざしょう診断しんだんされ、代表だいひょうりを辞退じたいした[5]

2009ねん後半こうはんせん一軍いちぐん昇格しょうかくしたが、投球とうきゅう練習れんしゅうでコーチじんから評価ひょうかられず登板とうばんはなかった。ぐんではフレッシュオールスターゲーム出場しゅつじょうし、同期どうき入団にゅうだん西村にしむらけんらととも優秀ゆうしゅう選手せんしゅしょう受賞じゅしょう[6]。また、ウエスタン・リーグでは7しょうげて最多さいた勝利しょうりのタイトルを獲得かくとくした[7]

2010ねん一軍いちぐん沖縄おきなわキャンプに帯同たいどうぐんではエースとして活躍かつやくし、9月7にちつる直人なおとえでプロはつ一軍いちぐん昇格しょうかくたした[8]当初とうしょは9月11にちのヤクルトせん登板とうばん予定よていであったが、チーム事情じじょうにより9がつ15にち出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろく抹消まっしょうとなり、一軍いちぐん公式こうしきせんでの登板とうばんはなかった[9]。11月、広州こうしゅうアジア大会たいかいチャイニーズタイペイ代表だいひょうとして出場しゅつじょうし、ぎんメダルを獲得かくとくした。

2011ねん充実じゅうじつした先発せんぱつローテーションめずぐんスタートとなったが、8がつ11にち中日ちゅうにちドラゴンズせんでプロはつ登板とうばんはつ先発せんぱつたし、5かい1失点しってん好投こうとう味方みかた打線だせんが0てんおさえられたため敗戦はいせん投手とうしゅとなる。

2012ねんいち一軍いちぐん登板とうばんがなく、10月2にち戦力せんりょくがい通告つうこくけた[10]。11月27にち福岡ふくおかソフトバンクホークス育成いくせい選手せんしゅとして獲得かくとくすることを発表はっぴょうした。背番号せばんごう138

ソフトバンク時代じだい

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2013ねん10月26にち戦力せんりょくがい通告つうこくけた[11]10月31にち自由じゆう契約けいやく公示こうじされた[12]

台湾たいわん時代じだい

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2014ねん、11月28にち台湾たいわん中華ちゅうか職業しょくぎょうぼうだまだい聯盟れんめい(CPBL)よしだいライノズ(現在げんざいとみくにガーディアンズ)からドラフト3じゅん指名しめいされ、1がつ10日とおか入団にゅうだん会見かいけんおこなった[13]背番号せばんごう41

2018ねん11月30にち戦力せんりょくがい通告つうこくけた。

現役げんえき引退いんたい

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2019ねんには、NPBの北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ職員しょくいんとして勤務きんむ台湾たいわん出身しゅっしんおうかしわとおるがCPBLのLamigoモンキーズ(現在げんざい楽天らくてんモンキーズ)から移籍いせきしたことにともな採用さいようで、採用さいようにはおう通訳つうやく担当たんとうした[14]

あじぜんドラゴンズがCPBLにふたた加盟かめいした2020ねんからは、どう球団きゅうだん投手とうしゅコーチをつとめる。

プレースタイル

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速球そっきゅう最速さいそく148km/hを記録きろくし、制球せいきゅうりょくもある[15]

詳細しょうさい情報じょうほう

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年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき

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とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
2011 阪神はんしん 2 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 34 8.1 7 1 4 1 0 7 0 0 4 2 2.16 1.32
2014 だい
とみくに
33 9 0 0 0 5 7 0 2 .417 370 85.2 95 8 28 2 4 54 4 0 47 44 4.62 1.44
2015 10 1 0 0 0 0 2 0 0 .000 77 17.1 18 5 7 0 1 15 3 0 14 10 5.19 1.44
2016 21 0 0 0 0 1 0 0 1 1.000 146 31.2 37 4 14 0 1 25 2 0 24 20 5.68 1.61
2017 18 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 89 21.0 19 2 9 0 1 8 0 0 12 9 3.86 1.33
NPB:1ねん 2 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 34 8.1 7 1 4 1 0 7 0 0 4 2 2.16 1.32
CPBL:4ねん 82 10 0 0 0 6 9 3 5 .400 682 155.2 169 19 58 2 7 102 9 0 97 83 4.80 1.46
はつ記録きろく

背番号せばんごう

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  • 19(2009ねん - 2012ねん
  • 138(2013ねん
  • 41(2014ねん - 2018ねん
  • 89(2020ねん - )

登場とうじょうきょく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 阪神はんしんタイガース公式こうしきサイト・選手せんしゅプロフィール
  2. ^ オンリーワン・センバツ かがや郷土きょうど選手せんしゅ西にしスポ)
  3. ^ 台湾たいわん出身しゅっしん本格ほんかく右腕うわんとら指名しめい(UNN関西かんさい学生がくせい報道ほうどう連盟れんめい
  4. ^ にちしょくがつそこせんしゅう 8球團きゅうだんくさりていしょういちすぐる自由時報じゆうじほう
  5. ^ 合宿がっしゅくちゅう負傷ふしょうしょういちすぐるがWBC台湾たいわん代表だいひょう辞退じたい」『スポーツニッポン』2009ねん2がつ11にち。2009ねん2がつ24にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。
  6. ^ 日本にっぽん野球やきゅう機構きこうオフィシャルサイト プロ野球やきゅうフレッシュオールスターゲーム2009 表彰ひょうしょう選手せんしゅ 2010ねん2がつ25にち閲覧えつらん
  7. ^ 日本にっぽん野球やきゅう機構きこうオフィシャルサイト ウエスタン・リーグ リーダーズ(投手とうしゅ部門ぶもん 2010ねん2がつ25にち閲覧えつらん
  8. ^ 阪神はんしんしょういちすぐるがうれしいはつの1ぐん昇格しょうかく. デイリースポーツ. (2010ねん9がつ7にち). http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/09/07/0003408390.shtm 2010ねん10がつ30にち閲覧えつらん 
  9. ^ しょういちすぐる登板とうばん機会きかいなく出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろく抹消まっしょう「いい経験けいけん」”. スポーツニッポン. (2010ねん9がつ16にち). http://www.sponichi.co.jp/osaka/base/201009/16/base222635.html 2010ねん10がつ30にち閲覧えつらん 
  10. ^ 来季らいき選手せんしゅ契約けいやくについて”. 阪神はんしんタイガース公式こうしきサイト (2012ねん10がつ2にち). 2012ねん10がつ2にち閲覧えつらん
  11. ^ 来季らいき契約けいやくについてソフトバンク球団きゅうだん公式こうしきサイト2013ねん10がつ26にち配信はいしん
  12. ^ 2013年度ねんど 自由じゆう契約けいやく選手せんしゅ育成いくせい選手せんしゅ 日本にっぽん野球やきゅう機構きこうオフィシャルサイト 2013ねん11月1にち閲覧えつらん
  13. ^ 勝雄かつお400まん加盟かめい はやし羿豪、しょう一傑複數年合約よしだいライノズ公式こうしきサイト2013ねん1がつ1にち配信はいしん
  14. ^ 氏原うじはら英明ひであき (2020ねん12月7にち). 戦力せんりょくがい通告つうこくのウラがわあに電話でんわしてきました」 ドラ1、ハンカチ世代せだい…3にんのプロ野球やきゅう選手せんしゅかたる“クビの瞬間しゅんかん””. Number Web: p. 3. https://number.bunshun.jp/articles/-/846112?page=3 2022ねん7がつ5にち閲覧えつらん 
  15. ^ 【ドラフトのほし】(外国がいこくせき候補こうほ) しょういちすぐる白倉しらくらキッサダー、さるなり 読売新聞よみうりしんぶん、2008ねん10がつ6にち

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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