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角田義隆 - Wikipedia

角田つのだ 義隆よしたか(つのだ よしたか、1919ねん大正たいしょう8ねん)12月15にち - 1988ねん昭和しょうわ63ねん3月19にち)は、日本にっぽん海軍かいぐん軍人ぐんじん航空こうくう自衛じえいかんだい12だい航空こうくう幕僚ばくりょうちょう海軍かいぐん機関きかん学校がっこう出身しゅっしんしゃ大将たいしょう相当そうとうする地位ちいまで昇進しょうしんしたのは、帝国ていこく海軍かいぐん自衛隊じえいたいつうじて角田つのだ唯一ゆいいつ事例じれいとなった。

角田つのだ 義隆よしたか
生誕せいたん 1919ねん12月15にち
日本の旗 日本にっぽん 熊本くまもとけん
死没しぼつ (1988-03-19) 1988ねん3月19にち(68さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん 埼玉さいたまけん 所沢ところざわ
所属しょぞく組織そしき 大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
警察けいさつ予備よびたい
保安ほあんたい
航空こうくう自衛隊じえいたい
ぐんれき 1940 - 1945(帝国ていこく海軍かいぐん
1951 - 1952(予備よびたい
1952 - 1954(保安ほあんたい
1954 - 1976(空自くうじ
最終さいしゅう階級かいきゅう 海軍かいぐん大尉たいい帝国ていこく海軍かいぐん
航空こうくう幕僚ばくりょうちょうたるそらしょう空自くうじ
除隊じょたい 石川島播磨重工業いしかわじまはりまじゅうこうぎょう航空こうくう事業じぎょう本部ほんぶ顧問こもん
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略歴りゃくれき

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熊本くまもとけん出身しゅっしん鹿本かもと中学ちゅうがくよんねん陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう受験じゅけんするが、身体しんたい検査けんさ合格ごうかくとなり[1]海軍かいぐん機関きかん学校がっこうすすむ。卒業そつぎょう練習れんしゅう艦隊かんたい旗艦きかん香取かとり」に乗組のりく遠洋えんよう航海こうかい参加さんかするが、欧州おうしゅう戦局せんきょくにより遠洋えんよう航海こうかい前半ぜんはん近海きんかい航海こうかいのみで中止ちゅうしとなる。そのまま「香取かとり乗組のりくみとなるが、だい東亜とうあ戦争せんそう開戦かいせん直前ちょくぜん海軍かいぐん練習れんしゅう航空こうくうたい整備せいび学生がくせいめいぜられ退ずさかんする[1]

整備せいび学生がくせい卒業そつぎょうは、航空こうくう整備せいび将校しょうこうとしてフィリピンソロモン諸島しょとうなど南方なんぽう諸島しょとう前線ぜんせん基地きち転戦てんせんした。1943ねん昭和しょうわ18ねん)4がつ操縦そうじゅうへの転換てんかんめいぜられ、海軍かいぐん練習れんしゅう航空こうくうたい特修とくしゅう科学かがくせいとなるが、教育きょういくちゅうからだをこわし、ふたた地上ちじょう勤務きんむとなる[1]。それからは内地ないち勤務きんむばかりで木更津きさらづだいさん航空こうくう艦隊かんたい終戦しゅうせんむかえた[1]

戦後せんご公職こうしょく追放ついほうのため実家じっか農業のうぎょうをするが、1951ねん昭和しょうわ26ねん)12月、警察けいさつ予備よびたい入隊にゅうたい1954ねん昭和しょうわ29ねん)7がつ航空こうくう自衛隊じえいたい発足ほっそく同時どうじてんかん航空こうくう自衛隊じえいたいでも航空こうくう整備せいびたずさわり、同年どうねん8がつから米国べいこくだい1ごうとして留学りゅうがくし、航空機こうくうき整備せいび将校しょうこう課程かていまなんだ。帰国きこく浜松はままつ整備せいび学校がっこう整備せいび幹部かんぶ課程かていをつくる[1]。しかし、わずか1ねん1956ねん昭和しょうわ31ねん)3がつだい1整備せいび幹部かんぶ学生がくせい卒業そつぎょうさせたのちに空幕くうばく人事じんじ勤務きんむめいぜられた[1]。その空幕くうばく人事じんじはたけでの勤務きんむかさねるが人事じんじ課長かちょう時代じだい大病たいびょうわずら職務しょくむからはなれる[1]

1969ねん昭和しょうわ44ねん)8がつだい8航空こうくうだん司令しれいとして復帰ふっきした。戦時せんじちゅうから整備せいびという地味じみえんした力持ちからもてき仕事しごとかかわってきたが「飛行ひこう部隊ぶたい指揮しきかんぐらいはやってみたいとおもっていた[1]」という角田つのだにとって、8そらだん司令しれい拝命はいめいしたときは「感激かんげきした(むかし希望きぼうかなえてくれたようながして)」とかたっている[1]。その空幕くうばく人事じんじ教育きょういく部長ぶちょう中部ちゅうぶ航空こうくう方面ほうめんたい司令しれいかんだい12だい航空こうくう幕僚ばくりょうちょう就任しゅうにん空幕くうばくちょう在任ざいにんちゅう婦人ふじん自衛じえいかん(WAF)制度せいど発足ほっそくさせた[2]。また、1976ねん昭和しょうわ51ねん)9がつ発生はっせいしたミグ25事件じけんでは事件じけん発生はっせい当初とうしょ人間にんげんドックで入院にゅういんちゅうだったが[3]復帰ふっき機体きたい調査ちょうさ指示しじやそのための移送いそうについて在日ざいにちまい空軍くうぐん司令しれいかん交渉こうしょうするなど対応たいおうにあたった[3]最後さいごは「次期じき主力しゅりょく戦闘せんとうは、F-15」と最終さいしゅう決心けっしん[4]して退官たいかんした。

栄典えいてん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i 軍事ぐんじ研究けんきゅう昭和しょうわ49ねん10がつごう)「空幕くうばくちょう海軍かいぐん機関きかん大尉たいい」,p122~131
  2. ^ 歴代れきだい空幕くうばくちょう功罪こうざいう / 小名しょうみょう孝雄たかお軍事ぐんじ研究けんきゅう」 1985ねん7がつ P88~101 ジャパンミリタリー・レビュー
  3. ^ a b ミグ25事件じけん : ドキュメント かいとり航跡こうせきぜん走査そうさする (つばさbooks), 航空こうくう新聞しんぶんしゃ 1978ねん4がつ
  4. ^ 髙橋 ポスト4ぼうにおける航空こうくう自衛隊じえいたい防衛ぼうえいりょく整備せいび構想こうそう近代きんだい
  5. ^ 海兵かいへい68相当そうとう
  6. ^ 昭和しょうわ15ねん8がつ10日とおか 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい514ごう (防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072078700 
  7. ^ 昭和しょうわ16ねん4がつ1にち 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい607ごう (防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072080600 
  8. ^ 昭和しょうわ16ねん10がつ1にち 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい721ごう (防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072082600 
  9. ^ 昭和しょうわ17ねん3がつ16にち 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい827ごう (防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072084400 
  10. ^ 昭和しょうわ17ねん8がつ10日とおか 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい916ごう (防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072086500 
  11. ^ 昭和しょうわ17ねん11月1にち 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい976ごう (防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072087800 
  12. ^ 昭和しょうわ18ねん3がつ25にち 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい1079ごう (防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072090100 
  13. ^ 昭和しょうわ18ねん11月1にち 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい1249ごう (防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072094100 
  14. ^ 昭和しょうわ19ねん7がつ18にち 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう かぶと だい1538ごう (防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072100000 
  15. ^ 昭和しょうわ19ねん11月27にち 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう かぶと だい1653ごう (防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072102000 
  16. ^ 昭和しょうわ20ねん3がつ16にち 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう かぶと だい1747ごう (防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072103800 
  17. ^ 官報かんぽう本紙ほんしだい7485ごう昭和しょうわ26ねん12月19にち
  18. ^ 官報かんぽう本紙ほんしだい18345ごう昭和しょうわ63ねん4がつ16にち
先代せんだい
白川しらかわ元春もとはる
航空こうくう幕僚ばくりょうちょう
だい12だい:1974ねん - 1976ねん
次代じだい
平野ひらのあきら