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Sボート - Wikipedia

Sボート

だい世界せかい大戦たいせんちゅうにドイツ海軍かいぐん使用しようした高速こうそく戦闘せんとうてい

Sボートドイツでは「Schnellboot(シュネルボート)」とばれるこの高速艇こうそくていは、だい世界せかい大戦たいせんなかドイツ海軍かいぐん使用しようした高速こうそく戦闘せんとうていである。イギリスではこのていしてEボート呼称こしょうしたが、これは「Enemy」にちなんだものである[1][2]が、"Eilboot"(アイルボート、急速きゅうそくてい意味いみするドイツ)の可能かのうせいもあるとされる。

Sボート (シュネルボート)
Sボート S-204(1945年)
Sボート S-204(1945ねん
基本きほん情報じょうほう
種別しゅべつ 高速こうそく戦闘せんとうてい
建造けんぞうしょ リュールセンしゃ
運用うんようしゃ スペイン内戦ないせん:
 スペイン海軍かいぐん
だい世界せかい大戦たいせん:
 ナチス・ドイツ海軍かいぐん
 ユーゴスラビア海軍かいぐん
 イタリア王立おうりつ海軍かいぐん
 中華民国ちゅうかみんこく海軍かいぐん
戦後せんご
 デンマーク海軍かいぐん
 ノルウェー海軍かいぐん
 中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほうぐん海軍かいぐん
 イギリス海軍かいぐん
 西にしドイツ海軍かいぐん
 スペイン海軍かいぐん
建造けんぞうすう保存ほぞん1せき
要目ようもく
排水はいすいりょう 100 t (最大さいだい)
78.9 t (標準ひょうじゅん)
なが 32.76 m
はば 5.06 m
吃水きっすい 1.47 m
推進すいしん ダイムラーベンツ20気筒きとうディーゼルエンジンMB 501、3。3,960 hp
速力そくりょく 43.8ノット
航続こうぞく距離きょり 30ノットに800うみさと
乗員じょういん 24–30めい
へいそう 53.3cm魚雷ぎょらい発射はっしゃかん2(予備よび魚雷ぎょらい2ほん)
連装れんそう2cm Flak C/30、1たんそう2cm Flak、1
3.7cm Flak 42、1
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Sボートはきわめて高速こうそく艦艇かんていであり、40ノット以上いじょう巡航じゅんこうでき、またそのせい船体せんたい磁気じき機雷きらいはら無傷むきず横断おうだん可能かのうであることを意味いみした。このてい外洋がいようによく適合てきごうし、またやく700うみさとと、アメリカ海軍かいぐんPTボート(Patrol Torpedo boat)やイギリス海軍かいぐん高速こうそく魚雷ぎょらいてい(Motor Torpedo Boat)よりも相当そうとう長距離ちょうきょり航続こうぞく能力のうりょくそなえていた。その結果けっか、イギリス海軍かいぐんフェアマイルD船体せんたい設計せっけいもちいてEボートにちか性能せいのう高速こうそく魚雷ぎょらいてい開発かいはつのうえ対抗たいこうした。シュネルボートは通商つうしょう破壊はかいなどをおこなっており、Uボート戦果せんかげたとわれている。

現代げんだいのドイツにおいては、魚雷ぎょらいていミサイルていふくめた高速こうそく戦闘せんとうてい全体ぜんたいをSchnellbootとぶ。魚雷ぎょらいていとミサイルてい区別くべつする必要ひつようがある場合ばあいは、前者ぜんしゃTorpedoschnellboot魚雷ぎょらい高速艇こうそくてい)、後者こうしゃFlugkörperschnellboot(ミサイル高速艇こうそくてい)と表記ひょうきする。
また、建造けんぞう当初とうしょアルバトロスきゅうミサイルていのようにかんたいかんミサイル発射はっしゃたいかん攻撃こうげきようの533 mm魚雷ぎょらい発射はっしゃかん混載こんさいする高速こうそく戦闘せんとうていについてはTorpedo-Flugkörperschnellboot魚雷ぎょらい-ミサイル高速艇こうそくてい)と表記ひょうきされることがある。

開発かいはつ

編集へんしゅう

ヴェルサイユ条約じょうやく結果けっか、ドイツの軍備ぐんび計画けいかく非常ひじょう制限せいげんされた。しかしながら、小型こがた警備けいびていはどのような拘束こうそく対象たいしょうにもされていなかった。Sボート出自しゅつじ辿たどれば私的してきなモーターヨットく。排水はいすいりょう22 t、速力そくりょく34ノット、てい名称めいしょうは「オヘカ II」(英語えいごばん)であり、これは1927ねん裕福ゆうふく投資とうし芸術げいじゅつパトロンでもあるオットー・カーン(ドイツばん英語えいごばん)のためにドイツの造船ぞうせん会社かいしゃリュールセン(ドイツばん英語えいごばんしゃ建造けんぞうしたものだった。

この設計せっけい選択せんたくされた理由りゆうは、こうしたボートが北海ほっかい英仏海峡えいふつかいきょうウェスタンアプローチ作戦さくせん海域かいいきにすることが予期よきされたことによる。時化しけうみでも良好りょうこう性能せいのう要望ようぼうされることから、小型こがた高速艇こうそくてい通常つうじょうもちいられる平底ひらぞこ船底ふなそこもちいた船体せんたいわりに、まるそこ船底ふなそこ船体せんたいもちいることが指示しじされた。リュールセンしゃはこうした船体せんたい不利ふりおおくを克服こくふくし、オヘカ IIを高速こうそくかつ強靱きょうじんこうようせいのあるていとして生産せいさんした。これはドイツ海軍かいぐん関心かんしんき、1929ねんには2ほん魚雷ぎょらい発射はっしゃかん装備そうびした類似るいじてい発注はっちゅうされた。このていはS-1がたとなり、以後いごすべてのSボートの基礎きそとなった。

S-1てい試験しけん、ドイツぐん設計せっけいじょうのいくつかの改善かいぜんおこなった。しゅかじ両側りょうがわ追加ついかされたちいさなかじは30までてい外部がいぶ方向ほうこう角度かくどることができ、高速こうそくにリュールセン効果こうかとしてられる状態じょうたいつくした[3]。これは3じくのプロペラのわずかな後方こうほうにエアーポケットをみ、これら推進すいしん効率こうりつ増強ぞうきょうし、かん減少げんしょうさせ、またてい水平すいへいちか体勢たいせい維持いじつづけることができた[4]かん水平すいへい姿勢しせい幾分いくぶんうわきがちになったため、これは重要じゅうよう技術ぎじゅつ革新かくしんだった。より高速こうそくすことが容認ようにんされ、またかん減少げんしょうはSボートの視認しにん困難こんなんとした。とく夜間やかんにはむずかしいものとなった。

ドイツ海軍かいぐんでの運用うんよう

編集へんしゅう
 
30ノットこうはしするSボート。イギリスぐん投降とうこうしたてい画像がぞう

Sボートはしばしばバルト海ばるとかい哨戒しょうかいや、イギリスの南部なんぶ東部とうぶ港湾こうわんへの海上かいじょう輸送ゆそう攻撃こうげきする命令めいれいにより、英仏海峡えいふつかいきょう哨戒しょうかいもちいられた。そうした経緯けいいからSボート部隊ぶたいは、イギリス海軍かいぐんやイギリス連邦れんぽうとくノルマンディー上陸じょうりく作戦さくせんそなえた王立おうりつカナダ海軍かいぐん兵力へいりょく)のモーターガンボート高速こうそく魚雷ぎょらいていモーターランチキャプテンきゅうフリゲート駆逐くちくかん対峙たいじした。ノルマンディー上陸じょうりく作戦さくせん直前ちょくぜんには、それにそなえてイギリス南部なんぶおこなわれたタイガー演習えんしゅう (1944ねん)襲撃しゅうげきし、アメリカ海軍かいぐん戦車せんしゃ揚陸ようりくかん撃破げきはにも成功せいこうしている(「タイガー演習えんしゅう (1944ねん)#Sボートの来襲らいしゅう―ライムわん海戦かいせん参照さんしょう)。

またSボートは少数しょうすう地中海ちちゅうかい移送いそうされた。どくせん戦場せんじょうとなった黒海こっかいにも陸路りくろ河川かせんもちいてはこばれた。いくつかの小型こがたのSボートが補助ほじょ巡洋艦じゅんようかん艦載かんさいていとして建造けんぞうされた。

Sボートの勤務きんむいん勤務きんむによって高速こうそく魚雷ぎょらいてい戦闘せんとうあきらることができた。勤務きんむ内容ないようしめすこの記章きしょうには、Sボートが柏葉かしわばたまき通過つうかする様子ようすえがかれていた。評価ひょうか基準きじゅん善行ぜんこう作戦さくせん行動こうどうちゅう功績こうせき、そしてすくなくとも12かいてきとの戦闘せんとう参加さんかすることだった。この記章きしょうはまた、成功せいこうした作戦さくせんへの参加さんか、リーダーシップの発露はつろ作戦さくせん行動こうどうちゅう戦死せんしにも授与じゅよされた。またべつ勲章くんしょう適当てきとうであるとされるような特別とくべつ状況じょうきょうにも、この記章きしょう授与じゅよ可能かのうだった。

Sボートだい9戦隊せんたいは、オーバーロード作戦さくせん(ノルマンディー上陸じょうりく作戦さくせん)の侵攻しんこう艦隊かんたい対抗たいこうした最初さいしょ海軍かいぐん部隊ぶたいだった[5]。この部隊ぶたいは1944ねん6がつ6にち午前ごぜん5シェルブールみなとはなれた[5]自身じしん侵攻しんこう艦隊かんたいぜん兵力へいりょく直面ちょくめんしていることを察知さっちし、かれらは最大さいだい射程しゃてい魚雷ぎょらい発射はっしゃし、シェルブールに帰投きとうした[5]

だい世界せかい大戦たいせんちゅう、Sボートは101せき商船しょうせん撃沈げきちんし、その総計そうけいは214,728トンにたっする[6]くわえて、これらのていは12せき駆逐くちくかん、11せき機雷きらい掃海そうかいてい、8せき揚陸ようりくかん、6せきのMTB、魚雷ぎょらいてい1せき機雷きらい敷設ふせつかん1せき潜水せんすいかん1せきすうせき商業しょうぎょうよう舟艇しゅうてい撃沈げきちんした。Sボートはまた、2せき巡洋艦じゅんようかん、5せき駆逐くちくかん、3せき揚陸ようりくかん、1せき工作こうさくかん、1せき海軍かいぐんタグボート、そして非常ひじょう多数たすう商船しょうせん損傷そんしょうさせた。Sボートによる機雷きらい敷設ふせつは37せき商船しょうせん喪失そうしつをもたらし、総計そうけいは148,535トンにたっする。また駆逐くちくかん1せき機雷きらい掃海そうかいかん2せき、4せき揚陸ようりくかん沈没ちんぼつした[6]

かれらの任務にんむ表彰ひょうしょうし、Sボートの勤務きんむいんのうち23めい騎士きしてつじゅうあきらを、112めいドイツ十字じゅうじあきらきむあきら授与じゅよされている[6]

イタリア海軍かいぐんのMSボート

編集へんしゅう
 
イタリア海軍かいぐんのMSボート MS25ほか

MASボートこうようせい不足ふそくから、イタリア海軍かいぐんはSボートの自軍じぐんバージョンを建造けんぞうした。これはたんにMS(Motoscafo Silurante)とばれた。試作しさくていは、1941ねんユーゴスラビア海軍かいぐんから鹵獲ろかくした6せきのドイツせいSボートの様式ようしきもと設計せっけいされた。MSのうちの2せきは、イギリスぐん巡洋艦じゅんようかんマンチェスター」を撃沈げきちんした[7]。これは、このたね艦艇かんていによるだい大戦たいせんちゅう撃沈げきちん戦果せんかのうち、軍艦ぐんかんたいするものとしては最大さいだいきゅうのものである。1942ねん9がつ3にちエジプト進出しんしゅつした連合れんごう国軍こくぐん前線ぜんせん後方こうほうに、14にんからなるイタリア海兵かいへい隊員たいいん一団いちだん潜入せんにゅうさせるため、2せきのMSボートが使用しようされた。とらえられるまでに海兵かいへい隊員たいいん鉄道てつどう水道すいどう爆破ばくはした[8]。1943ねんまでにこれらのていは36せき完成かんせいした[9]

イタリア海軍かいぐんでは、MSを基本きほん速力そくりょくを20ノット程度ていどおさえて航続こうぞく距離きょり延伸えんしんし、装備そうび変更へんこうした派生はせいがたとして、駆潜艇くせんていVASイタリアばん(Vedette Anti Sommergibiliのりゃく魚雷ぎょらいへいそうを45cm魚雷ぎょらい落射2変更へんこうし、たいせん爆雷ばくらい搭載とうさい)や機動きどう掃海そうかいていRDV(魚雷ぎょらいへいそうはいし、掃海そうかい搭載とうさい)が建造けんぞう配備はいびされている[10]

スペイン海軍かいぐんでの運用うんよう

編集へんしゅう

スペイン内戦ないせんなか、ドイツ海軍かいぐんスペイン海軍かいぐんに6せきのSボートを供給きょうきゅうしており、だい世界せかい大戦たいせんちゅうにはさらに6せき供給きょうきゅうした。さらにリュールセンしゃのいくばくかの補助ほじょによってもう6せきがスペインで建造けんぞうされた。これらのうち「Falange」もしくは「Requeté」は機雷きらい2敷設ふせつしたが、これは1937ねん5がつ13にちアルメリアおきでイギリスぐん駆逐くちくかん「HMSハンター」を無力むりょくした。ドイツで建造けんぞうされたボートは1960年代ねんだい廃棄はいきされ、少数しょうすうのスペインせい魚雷ぎょらいていのうち1せきが1970年代ねんだい初期しょきまで就役しゅうえきしていた[11]

中国ちゅうごく大陸たいりくのSボート

編集へんしゅう

中国ちゅうごく国民党こくみんとう海軍かいぐんにちちゅう戦争せんそうなかに3せきのS-7 Sボートを保有ほゆうした。1せき日本にっぽんぐん航空機こうくうき破壊はかいされ、1せき喪失そうしつ最後さいごの1せき国共こっきょう内戦ないせんちゅう中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほうぐん捕獲ほかくされた。中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほうぐん海軍かいぐんはこのてい警備けいびていとして1963ねんまで使用しようした。中国ちゅうごく国民党こくみんとう政府せいふはまた、8せきのS-30 Sボートと魚雷ぎょらいてい輸送ゆそうせん発注はっちゅうしていたものの、1939ねんに、これらのふねはドイツ海軍かいぐん編入へんにゅうされた。

だい世界せかい大戦たいせん運用うんよう

編集へんしゅう

イギリス海軍かいぐん

編集へんしゅう

戦争せんそう終結しゅうけつ、34せきほどのSボートがイギリスに投降とうこうした。「S-130」「S-208」「S-212」の3せき試験しけんのためにのこされ、それぞれ「P5230」「P5208」「P5212」と改名かいめいされた。1949ねんから1956ねんにかけてジャングル作戦さくせんおこなわれた。これはMI6CIAおよびゲーレン機関きかん計画けいかくした連合れんごう作戦さくせんであり、海路かいろによってソビエト連邦れんぽう支配しはいバルトさんこくおよびポーランドへと工作こうさくいん潜入せんにゅうさせるものだった。イギリス海軍かいぐん司令しれいかんアンソニー・コートニーはきゅうドイツ海軍かいぐんSボートの船体せんたい潜在せんざいてき能力のうりょく感銘かんめいけており、また海軍かいぐん情報じょうほう(NID)のジョン・ハーベイ=ジョーンズは計画けいかく担当たんとう任命にんめいされていた。かれは「P5230」と「P5208」の2せきのSボートがいまだにイギリス海軍かいぐん保管ほかんされていることをさぐし、これらのていをポーツマスに回航かいこうした。そこで2せきうちの1せきである「P5230」(S-130てい)は重量じゅうりょう軽減けいげん改修かいしゅうおこなわれ、さらに出力しゅつりょく3,000馬力ばりきネイピア デルティックエンジンが2けられて出力しゅつりょく増強ぞうきょうされた。

法的ほうてき否認ひにんけん問題もんだいから、以前いぜんSボートのていちょうつとめていたハンス=ヘルムート・クローゼドイツばんおよびドイツじん搭乗とうじょういんがSボートの乗員じょういんとして採用さいようされた。かれらは英国えいこく管理かんり委員いいんかいもうけた、水産すいさんぎょう保護ほごサービス一環いっかん偽装ぎそうして活動かつどうした。これはソ連それん海軍かいぐん艦艇かんていがドイツの漁船ぎょせん干渉かんしょうするのをふせ役割やくわりたし、また漂流ひょうりゅうした機雷きらい処理しょりする役目やくめっていた[12]かれらは母港ぼこうキールホワイト・エンサイン(イギリス軍艦ぐんかんはた)をかかげて出港しゅっこうし、途中とちゅうはたスウェーデンの国旗こっき交換こうかんし、その具体ぐたいてき指示しじけることになっていた。作戦さくせんは1949ねん5がつから1955ねん4がつまで実施じっしされ、最後さいごの2年間ねんかんには西にしドイツ新造しんぞうされた高速艇こうそくていもちいられた。

デンマーク王立おうりつ海軍かいぐん

編集へんしゅう

1947ねんデンマーク海軍かいぐん以前いぜんドイツ海軍かいぐん在籍ざいせきしていた魚雷ぎょらいていを12せき購入こうにゅうした。1951ねんノルウェー海軍かいぐんから6せき購入こうにゅうしたことで、これらのていはさらに増強ぞうきょうされた。最後さいごのP568 Vibenていは1965ねん退役たいえきした[13]

ノルウェー王立おうりつ海軍かいぐん

編集へんしゅう

だい世界せかい大戦たいせん、ノルウェー海軍かいぐんはドイツ海軍かいぐん魚雷ぎょらいていすうせき受領じゅりょうした。1951ねん、6せき魚雷ぎょらいていがデンマークに売却ばいきゃくされた。

運用うんようこく

編集へんしゅう

残存ざんそんてい

編集へんしゅう

唯一ゆいいつ残存ざんそんしたSボートは「S-130」であることが確認かくにんされている。2003ねん1がつ、ブリティッシュ・ミリタリー・パワーボート・トラストの後援こうえんしたで「S-130」てい購入こうにゅうされ、ドイツのヴィルヘルムスハーフェンからイングランドのサウサンプトンにあるマーチウッドのみなと曳航えいこうされた。2004ねん、S-130はハイズの造船ぞうせんだいえられ、ここでBMPTの管理かんりによりてい準備じゅんびととのえられた。それからこのていはイングランドのプリマスにあるマッシュフォードの作業場さぎょうばまで牽引けんいんされ、レストア資金しきんけることとなった。2008ねん、ケビン・フィートクロフトに購入こうにゅうされた「S-130」ていはタマルがわえてはこばれ、コーンウォールにあるサウスダウンの陸上りくじょうえられた。これはロービング・コミッションズしゃ関係かんけいするレストア作業さぎょうけるためだった。2012ねん6がつ段階だんかいでもこの作業さぎょうつづけられており、関係かんけいしゃにはS130メンバーズクラブが参加さんかしている[14]

船体せんたいNo.1030の「S-130」は、トラフェミュンデのシュリヒティングづくりていじょう建造けんぞうされたもので、1943ねん8がつ21にち命令めいれいけ、実戦じっせん投入とうにゅうされた。参加さんか作戦さくせん前述ぜんじゅつ連合れんごう国軍こくぐんのタイガー演習えんしゅうへの攻撃こうげき、およびノルマンディー上陸じょうりく作戦さくせんどき侵攻しんこう艦隊かんたいたいする攻撃こうげきである。

オランダ軍事ぐんじ史家しかであるモーリス・ラールマンによれば、

In 1945, S-130 was taken as a British war prize ( FPB 5030) and put to use in covert operations. Under the guise of the "British Baltic Fishery Protection Service", the British Secret Intelligence Service MI 6 ferried spies and agents into Eastern Europe. Beginning in May 1949, MI 6 used S-208, (Kommandant Hans-Helmut Klose) to insert agents into Lithuania, Latvia, Estonia, and Poland. The operations were very successful and continued under a more permanent organisation based in Hamburg. In 1952, S-130 joined the operation and the mission was enlarged to include signal intelligence (SIGINT) equipment. In 1954/55, S-130 and S-208 were replaced by a new generation of German S-boote.

「1945ねん、S-130は英国えいこく戦利せんりひんとなり(FPB 5030)、秘密ひみつ作戦さくせん任務にんむ転用てんようされた。「英国えいこくバルト海水かいすい産業さんぎょう保護ほごサービス」の外見がいけんもとで、英国えいこく秘密ひみつ情報じょうほう機関きかんであるMI6は諜報ちょうほういん工作こうさくいん東欧とうおう輸送ゆそうした。1949ねん5がつはじめ、MI6はS-208てい使用しようし(司令しれいかんハンス・ヘルムート・クローゼ)、工作こうさくいんリトアニアラトビアエストニア、そしてポーランドへ潜入せんにゅうさせた。この作戦さくせん非常ひじょう成功せいこうおさめ、またハンブルク拠点きょてんく、もっと常設じょうせつてき機関きかんしたかえされた。1952ねん、S-130てい作戦さくせん参加さんかした。この任務にんむシグナル・インテリジェンス(SIGINT)装備そうびふくんで規模きぼ拡大かくだいされていた。1954/1955ねん、S-130ていおよびS-208ていあたらしい世代せだいのドイツ高速艇こうそくてい代替だいたいされた。」

1957ねん3がつ、S-130ていあたらしく創設そうせつされたドイツ連邦れんぽう海軍かいぐん復帰ふっきし、ナンバーUW10として運用うんようされた。当初とうしょは「ウンターヴァッサーヴァッフェンシューレ」(水中すいちゅう兵器へいき学校がっこう)の軍務ぐんむ従事じゅうじし、機雷きらい魚雷ぎょらいなど、水中すいちゅう兵器へいき水兵すいへい教育きょういくする機材きざいとしてもちいられた。このていのちに、呼称こしょうEF3として試験しけんてい転用てんようされた[15]

S-130ていはドイツのヴィルヘルムスハーフェン展示てんじされており、以前いぜんはハウスボートとしてもちいられていた。今日きょう「S-130」はイングランドのフィートクロフト・コレクションによって購入こうにゅうされ、コーンウォールのサウスダウンにてレストア作業さぎょうけている[16]

かくかた

編集へんしゅう

「シュネルボート」のとき系列けいれつ沿った設計せっけい進化しんか最初さいしょていまえ甲板かんぱん魚雷ぎょらい発射はっしゃかん2そなえた。

 
1930年代ねんだいのSボート
 
魚雷ぎょらい搭載とうさい作業さぎょうちゅうのS-38てい
 
Sボートの前面ぜんめんしのげなみせいからぜん甲板かんぱん一段いちだんたかめられ、魚雷ぎょらい発射はっしゃかん被覆ひふくされた
 
ていくび武装ぶそう。2cm Flak C/30または2cm Flak C38を装備そうび
 
連合れんごうぐん投降とうこうしたS-38bがたSボート。装甲そうこう操舵そうだしつそなえる(1945ねん
 
UボートにせっふなばたしたS-100がたのSボート。装甲そうこうされた操舵そうだしつ周辺しゅうへん様子ようすうつされている
S-1がた
リュールセンしゃ制作せいさくされた試作しさくてい。オヘカIIの設計せっけい基礎きそとしており量産りょうさんはされていない。
排水はいすいりょう満載まんさい51.6t、基準きじゅん39.8t。
全長ぜんちょう、26.85m
全幅ぜんぷく、4.37m
吃水きっすい、1.40m
機関きかん、3じく ダイムラーベンツBF2ガソリンエンジン、2,700馬力ばりき速力そくりょく34.2ノット、航続こうぞく距離きょりは30ノットで350海里かいり
へいそう、53.3cm魚雷ぎょらい発射はっしゃかん×2ほんと、艦載かんさいほうとして2cm Flak C/30を1搭載とうさい
乗員じょういん、12めい[17]
S-2がた
S-1を基礎きそとした最初さいしょ量産りょうさんがたのSボート。1931がたSボート(Schnellboot 1931)とも呼称こしょうされる。ぜん甲板かんぱんこう甲板かんぱんたかさにく、ぜん甲板かんぱんじょうに2の533mm魚雷ぎょらい発射はっしゃかん搭載とうさいしているが、予備よび魚雷ぎょらい搭載とうさい不能ふのう対空たいくうへいそうこう甲板かんぱんに20mm機関きかんほうを1もん搭載とうさいするのみ。Sボートようディーゼルエンジンの供給きょうきゅうわなかったため、引火いんか危険きけんせいたかいガソリンエンジンを搭載とうさいしている。4せき建造けんぞうされてSボート部隊ぶたい戦術せんじゅつ訓練くんれんもちいられ、だい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつまえの1936ねんにスペインへ売却ばいきゃくされた[18]
排水はいすいりょう満載まんさい58t、基準きじゅん46.5t
全長ぜんちょう、27.94m
全幅ぜんぷく、4.46m
吃水きっすい、1.45m
機関きかん、3じく ダイムラーベンツBF2ガソリンエンジン、3,000馬力ばりき速力そくりょく33.8ノット、航続こうぞく距離きょりは22ノットで582海里かいり
へいそう、53.3cm魚雷ぎょらい発射はっしゃかん×2ほんと、2cm Flak C/30を1搭載とうさい
乗員じょういん、12[17]
同型どうけいかん、S-2~S-5
S-6がた
ドイツ海軍かいぐんはつ本格ほんかく量産りょうさんがたSボート。1933がたSボート(Schnellboot 1933)とも呼称こしょうされる。操舵そうだしつ直後ちょくごたかいマストをそなえているのが特徴とくちょうであるほか、エンジンはMANせいディーゼルを搭載とうさい。8せき建造けんぞう[19]。これらのていは1933ねん最初さいしょ建造けんぞうされ、うち3せき中華民国ちゅうかみんこく売却ばいきゃくされた。
排水はいすいりょう満載まんさい86t、基準きじゅん75.8t
全長ぜんちょう、32.36m
全幅ぜんぷく、5.06m
吃水きっすい、1.36m
機関きかん、3じく MAN L7 19/30、3,960馬力ばりき速力そくりょく36.5ノット、航続こうぞく距離きょりは30ノットで600海里かいり
へいそう、53.3cm魚雷ぎょらい発射はっしゃかん×2ほんと、2cm Flak C/30を1搭載とうさい
乗員じょういん、18[17]
同型どうけいかん、S-6~S-13
S-14がた
S-7がた改良かいりょうがた。1934がたSボート(Schnellboot 1934)とも呼称こしょうされる。やや船体せんたい大型おおがたしている。4せき建造けんぞうされた[20]
排水はいすいりょう満載まんさい105.4t、基準きじゅん92.5t
全長ぜんちょう、34.62m
全幅ぜんぷく、5.26m
吃水きっすい、1.67m
機関きかん、3じく MAN L11ディーゼルエンジン、6,150馬力ばりき速力そくりょく37.7ノット、航続こうぞく距離きょりは32ノットで500海里かいり
へいそう、53.3cm魚雷ぎょらい発射はっしゃかん×2ほん魚雷ぎょらい4ほん)と、2cm Flak C/30を1搭載とうさい
乗員じょういん、18[17]
同型どうけいかん、S-14~S-S-17
S-18がた
S-7がたおよびS-14がた改良かいりょうがた。1937がたSボート(Schnellboot 1937)とも呼称こしょうされる。ディーゼルエンジンをMANせいからより高性能こうせいのうなダイムラーベンツせい変更へんこうしている。8せき建造けんぞう[21]
機関きかん、3じく ダイムラーベンツMB501ディーゼルエンジン、6,000馬力ばりき速力そくりょく39.8ノット、航続こうぞくは35ノットで700海里かいり
はS14と同値どうち[17]
同型どうけいかん、S-18~S-25

以下いか戦時せんじがたである。

S-30がた
設計せっけい手直てなおしされた後期こうきがた。1939がたSボート(Schnellboot 1939)とも呼称こしょうされる。従来じゅうらいのSボートが高速こうそく航行こうこうぜん甲板かんぱん操舵そうだしつなみをかぶりやすかったため、操舵そうだしつよりまえぜん甲板かんぱんこう甲板かんぱんより一段いちだんたかくしているのが、外見がいけんじょう最大さいだい特徴とくちょう。これにともな魚雷ぎょらい発射はっしゃかん船体せんたい内蔵ないぞうしきとなり、船体せんたい内部ないぶには2はつ予備よび魚雷ぎょらい搭載とうさい可能かのうとなった。16せき建造けんぞう[22]
排水はいすいりょう満載まんさい100t、基準きじゅん78.9t
全長ぜんちょう、32.76m
全幅ぜんぷく、5.06m
吃水きっすい、1.47m
機関きかん、3じく ダイムラーベンツMB502ディーゼルエンジン、3,960馬力ばりき速力そくりょく36ノット、航続こうぞく距離きょりは30ノットで800海里かいり
へいそう、53.3cm魚雷ぎょらい発射はっしゃかん×2ほん魚雷ぎょらい4ほん)と、2cm Flak C/30を1搭載とうさい
乗員じょういん、24[17]
同型どうけいかん、S-30~S-45
S-26がた
S-30がた改良かいりょうがた。1939/1940がたSボート(Schnellboot 1939/1940)とも呼称こしょうされる。1940ねん就役しゅうえきした。
船体せんたい全長ぜんちょうをS-30がたの32.76mから、2mちか延長えんちょうして34.94mとしたかた。これにともな対空たいくうへいそう大幅おおはば強化きょうか可能かのうとなった。
実質じっしつてきなSボートの主力しゅりょくであり、これ以降いこう登場とうじょうするS-38がたやS-38bがた操舵そうだしつ装甲そうこう)、S-100がたぜん甲板かんぱんに20mm機関きかんほう追加ついか)は基本きほんてきにS-26がた派生はせいがたである[23]
排水はいすいりょう満載まんさい112t、基準きじゅん92.5t
全長ぜんちょう、34.94m
全幅ぜんぷく、5.28m
吃水きっすい、1.67m
機関きかん、3じく ダイムラーベンツMB501ディーゼルエンジン、6,000馬力ばりき速力そくりょく39.0ノット、航続こうぞく距離きょりは35ノットで700海里かいり
へいそう、53.3cm魚雷ぎょらい発射はっしゃかん×2ほん魚雷ぎょらい4ほん)と、2cm Flak C/30を1またはFlak C/38を2搭載とうさい
乗員じょういん、24[17]
同型どうけいかん、S-26~S-29
S-38がた
同上どうじょう[17]
同型どうけいかん、S-38~S-53
S-38bがた
S-38がた改良かいりょうがたである。操舵そうだしつ装甲そうこうされた。ていボフォース 40mm機関きかんほう、2cm Flakなどをふく様々さまざまへいそうそなえる。てい中央ちゅうおうにはMG34連装れんそうじゅうそなえた。同型どうけいかんはS-54~S-61。

同型どうけいかんはS-62~S-100まで。

S-100がた
1943ねんから。2cm Flak1ていくびそなえ、てい中央ちゅうおう連装れんそう2cm Flakをそなえる。ていには3.7cmほうそなえる。同型どうけいかんはS-101~S-133。
S-151がた

同型どうけいかん:S-134~S-138

タイプ700
戦争せんそう後期こうき提案ていあんされた設計せっけいてい魚雷ぎょらい発射はっしゃかんそなえ、前方ぜんぽうに3cmじゅうとう装備そうびした。8せき製造せいぞう着手ちゃくしゅしたが、S-100の設計せっけい要目ようもく完成かんせいした。同型どうけいかんはS-139~S-146。
その建造けんぞうされたSボート
S-147~S-150 
S-187~S-194 
S-219~S-228 
S-301~S-500 
S-701~S-800
未成みせいのSボート
S-307~S-321

出典しゅってん

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  1. ^ Wilson, Steve. “Enemy Boats”. Military.com. 2013ねん5がつ閲覧えつらん
  2. ^ E-Boats”. British Military Powerboat Trust. 2013ねん5がつ閲覧えつらん
  3. ^ Saunders, Harold E. (1957). Hydrodynamics in ship design, Volume 1. Society of Naval Architects and Marine Engineers. p. 586. ISBN 99914-0-571-2 
  4. ^ Schnellboot! An Illustrated Technical History - Design, Manufacture and Detail”. Dec 16, 2009閲覧えつらん
  5. ^ a b c Tarrant, V.E (1994). The Last Year of the Kriegsnarine. Arms and Armour Press. pp. 56--57. ISBN 1-85409-176-X 
  6. ^ a b c Connelly&Krakow, 2003. p.54
  7. ^ MAS, VAS and MS
  8. ^ Mediterranean Fleet, July to September 1942
  9. ^ Sadkovich, James (1994). The Italian Navy in World War II. Greenwood Press, Westport, p. 39. ISBN 0-313-28797-X
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  11. ^ Coello, J.L. (1995). Buques de la Armada espan~ola an~os de la postguerra. S.L. AGUALARGA EDITORES, ISBN 978-84-88959-15-7
  12. ^ Peebles, Curtis (2005). Twilight Warriors. Naval Institute Press. pp. 38--39. ISBN 1-59114-660-7 
  13. ^ GLENTEN Class (1947-1965), Motortorpedoboats
  14. ^ http://www.s130.co.uk/index.php/s130-history/
  15. ^ Schnellboot E-boat S-130
  16. ^ http://www.s130.co.uk/index.php/restoration/
  17. ^ a b c d e f g h M. J. Whitley, German Coastal Forces on World War Two, Arms and Armour Press, 1992, ISBN 1-85409-085-2, p.178
  18. ^ [1]
  19. ^ German-navy.de Schnellboot 1933
  20. ^ German-navy.de Schnellboot 1934
  21. ^ German-navy.de Schnellboot 1937
  22. ^ German-navy.de Schnellboot 1939
  23. ^ German-navy.de Schnellboot 1939/1940

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Dallies-Labourdette, Jean Philippe (June 2003). German S-boote at War, 1939-1945. Histoire and Collections. ISBN 2-913903-49-5 
  • Krakow, David; Connelly, Garth (January 2003). Schnellboot in Action (Warships). Squadron/Signal Publications, Inc.. ISBN 0-89747-457-0 
  • Williamson, Gordon; Palmer, Ian (September 18, 2002). German E-boats 1939-45. Osprey Publishing. ISBN 1-84176-445-0 
  • Macpherson, Ken. Ships Of Canada's Naval Forces (Warships). Collins Publications, Inc. ISBN 0-00-216856-1 
  • Williamson, Gordon (2011). E-boat vs MTB : the English Channel 1941-45. Oxford ; Long Island City: Osprey. ISBN 978-1-84908-407-9 
  • 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい20しゅう だい大戦たいせんのイタリア軍艦ぐんかん」(海人あましゃ

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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