(Translated by https://www.hiragana.jp/)
「クローダ・ダ・ラーゴ」の版間の差分 - Wikipedia コンテンツにスキップ

「クローダ・ダ・ラーゴ」のはんあいだ差分さぶん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除さくじょされた内容ないよう 追加ついかされた内容ないよう
編集へんしゅう要約ようやくなし
Cewbot (会話かいわ | 投稿とうこう記録きろく)
 
(5にん利用りようしゃによる、あいだの19はん表示ひょうじ)
3ぎょう: 3ぎょう:
|名称めいしょう = クローダ・ダ・ラーゴ
|名称めいしょう = クローダ・ダ・ラーゴ
|画像がぞう = [[File:Croda da Lago nord.jpg|300px]]
|画像がぞう = [[File:Croda da Lago nord.jpg|300px]]
|画像がぞうキャプション = クローダ・ダ・ラーゴ(北西ほくせいから)
|画像がぞうキャプション = クローダ・ダ・ラーゴ北西ほくせいから
|所在地しょざいち = {{ITA}}[[ベッルーノけん]]
|所在地しょざいち = {{ITA}}[[ベッルーノけん]]
|座標ざひょう = {{coord|46.486138|N|12.099088|E|type:mountain_scale:100000|format=dms|display=inline,title}}
|座標ざひょう = {{coord|46.486138|N|12.099088|E|type:mountain_scale:100000|format=dms|display=inline,title}}
10ぎょう: 10ぎょう:
}}
}}


'''クローダ・ダ・ラーゴ'''(Croda da Lago)は[[ドロミーティ]]連峰れんぽうである。[[コルティーナ・ダンペッツォ]](Cortina d'Ampezzo)南南西なんなんせい、サン・ヴィート・ディ・カドーレ(San Vito di Cadore)西北西せいほくせい位置いちする。西にしにはジアウとうげ(Passo Giau)がある。もっとたかいピークであるシーマ・アンブリッツォーラ(Cima Ambrizzola)標高ひょうこうは2715 m<ref>Carta Panoramica e Stradale 1:160.000 VDOL3 - Südtirol Alto Adige - Dolomiti, 2013.</ref>。はつ登頂とうちょうは1884ねんにエトヴェシュ(Baron Eötvös)とインナーケフラー(Michael Innerkofler)によりなされた<ref>
'''クローダ・ダ・ラーゴ'''(Croda da Lago)、[[イタリア]]にある[[やま]]。[[ひがしアルプス山脈あるぷすさんみゃく]]の一部いちぶである[[ドロミーティ]]にある連峰れんぽうである。[[コルティーナ・ダンペッツォ]](Cortina d'Ampezzo)南南西なんなんせい[[サン・ヴィート・ディ・カドーレ]](San Vito di Cadore)西北西せいほくせい位置いちする。西にしにはジアウとうげ(Passo Giau)がある。もっとたかいピークであるシーマ・アンブリッツォーラ(Cima Ambrizzola)標高ひょうこうは2715 m<ref>Carta Panoramica e Stradale 1:160.000 VDOL3 - Südtirol Alto Adige - Dolomiti, 2013.</ref>である

クローダ(croda)はイタリアけいチロルで草木くさきえていない岩山いわやま稜線りょうせん言葉ことばである。ふるくはピッツ・フォルミン(Piz Formin)やクローダ・ディ・フォルミン(Croda di Formin)ともばれていた<ref name="Davies1896" />。

== おもなピーク ==
# シーマ・アンブリッツォーラ(Cima Ambrizzola) 2715 m
# クローダ・ダ・ラーゴ(Croda da Lago) 2701 m
# シーマ・デ・ラストイ(Cima de Lastoi) 2657 m
# モンテ・セルネラ(Monte Cernera) 2657 m
# ベッコ・ディ・メッツォーディ(Becco di Mezzodì) 2603 m

== 歴史れきし ==
はつ登頂とうちょうは1884ねんに[[エトヴェシュ・ロラーンド]](Vásárosnaményi báró Eötvös Loránd)男爵だんしゃくと{{かりリンク|インナーコフラー|it|Michael Innerkofler}}(Michael Innerkofler)によりなされた<ref name="Davies1896">
{{Cite book
{{Cite book
|author = "Joseph Sanger Davies"
|author = Joseph Sanger Davies
|year = 1896
|year = 1896
|title = Dolomite strongholds: the last untrodden Alpine peaks
|title = Dolomite strongholds: the last untrodden Alpine peaks
|publisher = George Bell and sons
|publisher = George Bell and sons
|location = London
|location = London
| pages = 7
| pages = 3-29
|ref = harv}}
|ref = harv}}
</ref>
</ref>
<ref name="Sinigaglia1896">
{{Cite book
|author = Leone Sinigaglia (Mary Alice Viallsやく
|year = 1896
|title = Climbing Reminiscences of the Dolomites
|publisher = T.Fisher Unwin
|location = London
| pages = 42-54
|ref = harv}}
</ref>。エトヴェシュは、ハンガリーの物理ぶつり学者がくしゃであると同時どうじに、みなみチロルでは登山とざんとしてられ、本人ほんにん科学かがくてき発見はっけんよりも登山とざん実績じっせきほこりにおもうと度々たびたびっていた。ドロミーティの[[ミズリーナ]]のひがしかれちなんだ山頂さんちょう、シーマ・エトヴェシュ(Cima Eotvos, 2825 m)がある<ref>{{Cite web
| title = Loránd Eötvös Virtual Museum
| url = http://www.mfgi.hu/museum/kivolt_.htm
| accessdate = 2018-3-17 }}</ref>。


イタリアじん作家さっか[[ディーノ・ブッツァーティ]](Dino Buzzati)ののこはいはクローダ・ダ・ラーゴにまかれた<ref name="Padovese2010">{{Cite web
== おもなピーク ==
| author = Antonino Padovese
# シーマ・アンブリッツォーラ(Cima Ambrizzola) 2715 m
| title = Disperdere le ceneri ora si può Buzzati tornerà sulle Dolomiti (ブッツァーティ、ドロミーティにかえる)
# クローダ・ダ・ラーゴ(Croda da Lago) 2701 m
| date = 2010-2-10
# シーマ・デ・ラストイ(Cima de Lastoi) 2657 m
| url = http://corrieredelveneto.corriere.it/veneto/notizie/cronaca/2010/10-febbraio-2010/disperdere-ceneri-ora-si-puo-buzzati-tornera-dolomiti-1602436177910.shtml?refresh_ce-cp
# モンテ・セルネラ(Monte Cernera) 2657 m
| format =
# ベッコ・ディ・メッツォーディ(Becco di Mezzodì) 2603 m
| doi =
| accessdate = 2018-3-17 }}</ref>。ブッツァーティはドロミーティの{{かりリンク|ペール・ディ・サン・マルティーノ|it|Pale di San Martino}}(Pale di San Martino, 3192 m)とクローダ・ダ・ラーゴをとりわけこのんでいた。


== 参考さんこう文献ぶんけん ==
== ギャラリー ==
<gallery widths="240" heights="180">
{{reflist}}
File:CinqueTorri Ambrizzola Fanton 20170724.jpg|ラガツォイからのながめ。のこじょうやまがクローダ・ダ・ラーゴ、中央ちゅうおう手前てまえは[[チンクェトッリ]](Cinque Torri)、ひだりおくはアンテラオ(Antelao)。
File:Corda-da-Lago 2815b.jpg|北西ほくせいからのながめ。おくはモンテ・ペルモ(Monte Pelmo)
File:Croda da Lago 20170723 130922.jpg|みなみからのながめ。みぎやまもととなった{{かりリンク|フェデーラ|it|Lago Federa}}(Lago Federa)がえる。
File:Croda da Lago 20170725 0559.jpg|[[コルティーナ・ダンペッツォ]]からのながめ。
</gallery>


== 関連かんれん項目こうもく ==
== 脚注きゃくちゅう ==
{{脚注きゃくちゅうヘルプ}}
* [[ドロミーティ]]
{{reflist}}


{{DEFAULTSORT:くろーだだーご}}
{{DEFAULTSORT:くろおたたあこ}}
[[Category:アルプス山脈あるぷすさんみゃくやま]]
[[Category:アルプス山脈あるぷすさんみゃくやま]]
[[Category:ヴェネトしゅう地形ちけい]]
[[Category:ヴェネトしゅう地形ちけい]]
[[Category:ベッルーノけん]]
[[Category:山岳さんがく名目めいもくろく]]
[[Category:イタリアのやま]]
[[Category:イタリアのやま]]

2022ねん11月23にち (水)すい 13:15時点じてんにおける最新さいしんばん

クローダ・ダ・ラーゴ
クローダ・ダ・ラーゴ(北西ほくせいから)
標高ひょうこう 2715 m
所在地しょざいち イタリアの旗 イタリアベッルーノけん
位置いち 北緯ほくい4629ふん10びょう 東経とうけい1205ふん57びょう / 北緯ほくい46.486138 東経とうけい12.099088 / 46.486138; 12.099088座標ざひょう: 北緯ほくい4629ふん10びょう 東経とうけい1205ふん57びょう / 北緯ほくい46.486138 東経とうけい12.099088 / 46.486138; 12.099088
クローダ・ダ・ラーゴの位置(アルプス山脈内)
クローダ・ダ・ラーゴ
クローダ・ダ・ラーゴの位置(ヴェネト州内)
クローダ・ダ・ラーゴ
プロジェクト やま
テンプレートを表示ひょうじ

クローダ・ダ・ラーゴ(Croda da Lago)は、イタリアにあるやまひがしアルプス山脈あるぷすさんみゃく一部いちぶであるドロミーティにある連峰れんぽうである。コルティーナ・ダンペッツォ(Cortina d'Ampezzo)の南南西なんなんせいサン・ヴィート・ディ・カドーレ(San Vito di Cadore)の西北西せいほくせい位置いちする。西にしにはジアウとうげ(Passo Giau)がある。もっとたかいピークであるシーマ・アンブリッツォーラ(Cima Ambrizzola)の標高ひょうこうは2715 m[1]である。

クローダ(croda)はイタリアけいチロルで草木くさきえていない岩山いわやま稜線りょうせん言葉ことばである。ふるくはピッツ・フォルミン(Piz Formin)やクローダ・ディ・フォルミン(Croda di Formin)ともばれていた[2]

おもなピーク

[編集へんしゅう]
  1. シーマ・アンブリッツォーラ(Cima Ambrizzola) 2715 m
  2. クローダ・ダ・ラーゴ(Croda da Lago) 2701 m
  3. シーマ・デ・ラストイ(Cima de Lastoi) 2657 m
  4. モンテ・セルネラ(Monte Cernera) 2657 m
  5. ベッコ・ディ・メッツォーディ(Becco di Mezzodì) 2603 m

歴史れきし

[編集へんしゅう]

はつ登頂とうちょうは1884ねんエトヴェシュ・ロラーンド(Vásárosnaményi báró Eötvös Loránd)男爵だんしゃくインナーコフラーイタリアばん(Michael Innerkofler)によりなされた[2] [3]。エトヴェシュは、ハンガリーの物理ぶつり学者がくしゃであると同時どうじに、みなみチロルでは登山とざんとしてられ、本人ほんにん科学かがくてき発見はっけんよりも登山とざん実績じっせきほこりにおもうと度々たびたびっていた。ドロミーティのミズリーナひがしかれちなんだ山頂さんちょう、シーマ・エトヴェシュ(Cima Eotvos, 2825 m)がある[4]

イタリアじん作家さっかディーノ・ブッツァーティ(Dino Buzzati)ののこはいはクローダ・ダ・ラーゴにまかれた[5]。ブッツァーティはドロミーティのペール・ディ・サン・マルティーノイタリアばん(Pale di San Martino, 3192 m)とクローダ・ダ・ラーゴをとりわけこのんでいた。

ギャラリー

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ Carta Panoramica e Stradale 1:160.000 VDOL3 - Südtirol Alto Adige - Dolomiti, 2013.
  2. ^ a b Joseph Sanger Davies (1896). Dolomite strongholds: the last untrodden Alpine peaks. London: George Bell and sons. pp. 3-29 
  3. ^ Leone Sinigaglia (Mary Alice Viallsやく) (1896). Climbing Reminiscences of the Dolomites. London: T.Fisher Unwin. pp. 42-54 
  4. ^ Loránd Eötvös Virtual Museum”. 2018ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  5. ^ Antonino Padovese (2010ねん2がつ10日とおか). “Disperdere le ceneri ora si può Buzzati tornerà sulle Dolomiti (ブッツァーティ、ドロミーティにかえる)”. 2018ねん3がつ17にち閲覧えつらん