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くりはま (試験しけんかん)

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くりはま
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ 佐世保重工業させぼじゅうこうぎょう
運用うんようしゃ  海上かいじょう自衛隊じえいたい
かんしゅ 試験しけんかん
きゅうめい くりはまがた試験しけんかん
まえきゅう なし
つぎきゅう あすかがた試験しけんかん
かんれき
計画けいかく 昭和しょうわ53ねん計画けいかく
発注はっちゅう 1978ねん
起工きこう 1979ねん3月23にち
進水しんすい 1979ねん9がつ20日はつか
就役しゅうえき 1980ねん4がつ8にち
除籍じょせき 2012ねん4がつ6にち
要目ようもく
基準きじゅん排水はいすいりょう 950トン
満載まんさい排水はいすいりょう 1,100トン
全長ぜんちょう 68.0m
最大さいだいはば 11.6m
ふか 5.0m
吃水きっすい 3.3m
機関きかん
出力しゅつりょく 2,600馬力ばりき
推進すいしん スクリュープロペラ×2じく
速力そくりょく 最大さいだい15ノット
乗員じょういん
  • 40めい
  • 技術ぎじゅつしゃ12めい
へいそう なし
レーダー OPS-9B 水上すいじょう
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くりはまマ字まじJS Kurihama, ASE-6101)は海上かいじょう自衛隊じえいたい運用うんようしていた試験しけんかん[1][2]かんめい試験しけんかん命名めいめい基準きじゅんである「名所めいしょ旧跡きゅうせきのうち、文明ぶんめい文化ぶんかかんする地名ちめい」というてんから、ペリーひきいるいちぎょう黒船くろふね来航らいこう)が親書しんしょをしたためて日本にっぽんはじめて上陸じょうりくした、「久里浜くりはま」(神奈川かながわけん横須賀よこすか)にちなんで命名めいめいされた[3]

従来じゅうらい艦船かんせん搭載とうさい装備そうび実験じっけん開発かいはつには自衛じえいかんきょうされてきたが、部隊ぶたい行動こうどうによる制約せいやくきびしく、開発かいはつスケジュールの調整ちょうせい手間てまがかかった[4]。また当時とうじ魚雷ぎょらいをはじめとする装備そうび研究けんきゅう開発かいはつ増加ぞうか傾向けいこうにあり、個々ここ装備そうびたいする要求ようきゅう性能せいのう向上こうじょうしていたことから、試験しけん計画けいかく評価ひょうか環境かんきょう改善かいぜんもとめられていた。このことから、海上かいじょう自衛隊じえいたいはつ試験しけんかんとして昭和しょうわ53ねん計画けいかく建造けんぞうされたのがほんかんである。なお、建造けんぞう技術ぎじゅつ研究けんきゅう本部ほんぶ予算よさんによって、運用うんよう海上かいじょう自衛隊じえいたいによっておこなわれた[1]

設計せっけい

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横須賀よこすかこうにおける「くりはま」と巡視じゅんしせん「たかとり」

上記じょうき経緯けいいから、とくに魚雷ぎょらい試験しけんのための配慮はいりょがなされている。船型せんけい長船おさふねくびろうがたとされ、こう甲板かんぱんが1だんひくくなっていることから、試製しせい魚雷ぎょらいなどのあげくだおこないやすくなっている。

後部こうぶ作業さぎょう甲板かんぱん右舷うげんがわには、試験しけん機器きき搭載とうさい運用うんようのため、力量りきりょう5トンのデッキ・クレーンが設置せっちされている。またこう甲板かんぱん隣接りんせつ区画くかくには計測けいそくしつ設置せっちされており、計測けいそく機材きざいのモニターなどをおこないやすいよう配慮はいりょされていた。このほか、ちょう音波おんぱはかてき装置そうち左舷さげんがわには魚雷ぎょらい発射はっしゃ装置そうちなども搭載とうさいされており、また試験しけん内容ないようおうじて計測けいそく機材きざいとうろしできた。ただし、後継こうけいの「あすか」(04ASE)とことなり、試験しけん関係かんけいしゃ居住きょじゅう施設しせつじゅうすうにんかぎられたことから、日帰ひがえりの試験しけんおおくなっていた[1]搭載とうさいていとしては、左舷さげんがわに11メートル作業さぎょうていを、右舷うげんがわに7メートル作業さぎょうてい搭載とうさいされた[4]

しゅ機関きかんとしては富士ふじディーゼルせいの6S30Bがた4サイクル直列ちょくれつ6気筒きとうディーゼルエンジン(1,300 hp (970 kW))を2搭載とうさいする。また静粛せいしゅく低速ていそく運転うんてんには、ガスタービンぬし発電はつでん電源でんげんとした補助ほじょ電動でんどう(400 hp (300 kW))によるターボ・エレクトリック方式ほうしきえられる[5]

かんれき

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「くりはま」は、中期ちゅうき業務ぎょうむ見積みつもりにもとづく昭和しょうわ53年度ねんど計画けいかくかん6101ごうかんとして、防衛ぼうえいしょう技術ぎじゅつ研究けんきゅう本部ほんぶ予算よさんにより佐世保重工業させぼじゅうこうぎょうで1979ねん3がつ23にち起工きこうされ、1979ねん9がつ20日はつか進水しんすい、1980ねん4がつ8にち就役しゅうえきし、開発かいはつ指導しどうたいぐん編入へんにゅうされ横須賀よこすか配備はいびされた。

1997ねん8がつじつかん標的ひょうてきとして撃沈げきちんされたきゅう護衛ごえいかんながつき」を使用しようしてデータを収集しゅうしゅうした。

2002ねん3月22にち開発かいはつ指導しどうたいぐん開発かいはつたいぐん改編かいへん

2011ねん3月11にち発生はっせいした東北とうほく地方ちほう太平洋たいへいようおき地震じしんによる東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいたいし、地震じしん発生はっせいの46ふん災害さいがい派遣はけんのため緊急きんきゅう出港しゅっこうする。

2012ねん4がつ6にち横須賀よこすか基地きちにて自衛じえいかんはた返納へんのうしきおこなわれ退役たいえきした[6]やく32年間ねんかんかんれきにおいて、そうこうほど地球ちきゅうやく14.1しゅうぶんの305,186マイル(565,204.5キロ)、そう航海こうかい時間じかんすう39,850あいだおよんだ。

あすか」となみはしなかの「くりはま」

参考さんこう文献ぶんけん

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  1. ^ a b c 海上かいじょう自衛隊じえいたいぜん艦艇かんてい」『世界せかい艦船かんせんだい630ごう海人あましゃ、2004ねん8がつ、153ぺーじNAID 40006330308 
  2. ^ 自衛隊じえいたい装備そうび年鑑ねんかん 2006-2007』あさくも新聞しんぶんしゃ、2006ねん、267ぺーじISBN 4-7509-1027-9 
  3. ^ 試験しけんかんくりはまパンフレット
  4. ^ a b もりひさしえい「14. 試験しけんかん, 特務とくむ艦艇かんてい支援しえんせん」『ぞく 艦船かんせんメカニズム図鑑ずかん』グランプリ出版しゅっぱん、1991ねん、330-335ぺーじISBN 978-4876871131 
  5. ^ 阿部あべ安雄やすお「2.機関きかん (自衛じえいかん技術ぎじゅつてき特徴とくちょう)」『世界せかい艦船かんせんだい630ごう海人あましゃ、2004ねん8がつ、238-245ぺーじNAID 40006330308 
  6. ^ “さらば、試験しけんかん「くりはま」 横須賀よこすか自衛じえいかんはた返納へんのう. 東京とうきょう新聞しんぶん. (2012ねん4がつ7にち). オリジナルの2012ねん4がつ9にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120409052018/http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20120407/CK2012040702000101.html 

外部がいぶリンク

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