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はは初恋はつこい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ほくろの手紙てがみから転送てんそう
はは初恋はつこい
作者さくしゃ 川端かわばた康成やすなり
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 短編たんぺん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ婦人ふじん公論こうろん1940ねん1がつごう
刊本かんぽん情報じょうほう
収録しゅうろく正月しょうがつ三ヶ日さんがにち
出版しゅっぱんもと しんこえかく
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1940ねん12がつ20日はつか
装幀そうてい 芹沢せりざわ銈介
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
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はは初恋はつこい』(ははのはつこい)は、川端かわばた康成やすなり短編たんぺん小説しょうせつぜん5しょうからる。はは初恋はつこいひとられたむすめが、ひそかにかれしたいながらも、べつおとこのもとへとついでゆく悲恋ひれん物語ものがたりははこい神秘しんぴちからむすめせいをくぐってつたわってゆくという主題しゅだいで、妻子持さいしもちのおとこわかむすめみのらないこいいさぎよえがかれている[1]。ヒロインである「純潔じゅんけつ少女しょうじょ」は、川端かわばたぜん作品さくひんをつらぬく主題しゅだい象徴しょうちょうともなっている[1]川端かわばた自身じしんだい4しょうははあきら)に愛着あいちゃくち、「そこのところの少女しょうじょ可愛かわいく、すこなみだをこぼしながらいた」としている[2]

1940ねん昭和しょうわ15ねん)、雑誌ざっし婦人ふじん公論こうろん』1がつごう掲載けいさいされた[3]翻案ほんあん作品さくひんおおく、1954ねん昭和しょうわ29ねん)9がつ17にち久松ひさまつしず監督かんとくにより映画えいがされ、テレビドラマも7おこなわれた。

発表はっぴょう経過けいか

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川端かわばた康成やすなりは1937ねん昭和しょうわ12ねん)から1938ねん昭和しょうわ13ねん)にかけて、雑誌ざっし婦人ふじん公論こうろん』に長編ちょうへん牧歌ぼっか』を執筆しっぴつはじめたが、この作品さくひんは〈じょくちまでしかけなかつた〉と川端かわばた自身じしんがいうように長編ちょうへん小説しょうせつとはならなかったが[4]、それから1ねんはんほど1940ねん昭和しょうわ15ねん)に川端かわばたふたたび、雑誌ざっし婦人ふじん公論こうろん』に連載れんさいふでった。しかしそれは『牧歌ぼっか』の続編ぞくへんでなく、それぞれ独立どくりつした短編たんぺんであった[5]休載きゅうさいつきもあったが、こうした経過けいかで9へん短編たんぺん出来上できあがった[5]

そのうちの最初さいしょ短編たんぺんが『はは初恋はつこい』で、1940ねん昭和しょうわ15ねん)、雑誌ざっし婦人ふじん公論こうろん』1がつごう掲載けいさいされた[3]単行本たんこうぼん同年どうねん12がつしんこえかくより刊行かんこうの『正月しょうがつ三ヶ日さんがにち』に収録しゅうろくされ、翌年よくねん1941ねん昭和しょうわ16ねん)12月8にち新潮社しんちょうしゃより刊行かんこうの『あいする人達ひとたち』にも収録しゅうろくされた[3]文庫ぶんこばん新潮しんちょう文庫ぶんこあいする人達ひとたち』に収録しゅうろくされている。

作品さくひん背景はいけい

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はは初恋はつこい』が執筆しっぴつされる8ねんまえの1932ねん昭和しょうわ7ねん)3がつはじごろ下谷しもたに上野桜木うえのさくらぎまち36番地ばんちげん台東たいとう上野桜木うえのさくらぎ)の川端かわばたたく伊藤いとう初代はつよおとずれた[6][7]川端かわばた顧問こもんをしているレビュー劇場げきじょうカジノ・フォーリー楽屋がくや川端かわばた住所じゅうしょたずねてやって伊藤いとう初代はつよ当時とうじかぞどし27さい)は、その10ねんまえ川端かわばたまえから姿すがたしたもと婚約こんやくしゃで、川端かわばた失恋しつれん相手あいてであった[6]川端かわばた書斎しょさい対面たいめんちゅう、ずうずうしいおんなだとおおもいになるでしょうと初代しょだいなんかえして、川端かわばたなつかしがった[6]初代しょだいは、再婚さいこん相手あいて桜井さくらい五郎ごろう失業しつぎょうから生活せいかつくるしく、前夫ぜんふ中林なかばやし忠蔵ちゅうぞう(カフェ・アメリカのもと支配人しはいにん)とのあいだ長女ちょうじょ珠江たまえ当時とうじ8さい)を養女ようじょもらってほしいとたのんだ[7]

この初代しょだいとの10ねんぶりの再会さいかいが、『はは初恋はつこい創作そうさく着想ちゃくそうになっていることが一部いちぶ論者ろんしゃ指摘してきされていたが[8][9]初代しょだいむすめ養女ようじょにしてほしいとたのんだことも、川端かわばた夫人ふじん秀子ひでこ著書ちょしょ事実じじつだと確認かくにんされたことで、さらに川端かわばた実体験じつたいけん作品さくひん緊密きんみつたかまり、事実じじつ認識にんしきしたうえでのフィクション検証けんしょう研究けんきゅう精緻せいちきが課題かだいとなった[10]初代しょだい訪問ほうもん題材だいざいにした作品さくひんは、ほかに『あね和解わかい』がある[8][10]

あらすじ

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母親ははおや死後しご、16さいときはは初恋はつこいひと佐山さやま養女ようじょとなった19さい雪子ゆきこは、佐山さやまとそのつま時枝ときえだめた縁談えんだんしたがい、婚約こんやくしゃ若杉わかすぎとの婚礼こんれいをひかえていた。料理りょうりきの雪子ゆきこは、時枝ときえだまったわらぬあじつけが出来できるようになっていた。佐山さやまは、そんな雪子ゆきこ新婚しんこん旅行りょこう宿屋やどやさがしがてらに熱海あたみき、むかしのことや雪子ゆきこった経緯けいい回想かいそうする。

6ねんまえ佐山さやまむかし恋人こいびと民子たみこと12、3ねんぶりで再会さいかいしたとき民子たみこは32、3さいだったが、としよりもけ、つかてた姿すがただった。映画えいがシナリオ作家さっかとなっていた佐山さやま民子たみこなつかしがっていた。佐山さやまは、躊躇ちゅうちょしながら訪問ほうもんしてきた民子たみこ書斎しょさいとおし、事情じじょういた。民子たみこ最初さいしょ結婚けっこんしたおとこ結核けっかく死亡しぼうし、むすめいまおっと根岸ねぎし再婚さいこんし5ねんになるが、離婚りこんしたいということだった。民子たみこは13さいむすめ一緒いっしょ喫茶店きっさてんをやるためのおかねしてほしいとしたが、佐山さやまにはそれほどのかね余裕よゆうはなく、2人ふたりあいだにはからだ関係かんけいもなかったから尚更なおさら無心むしん成立せいりつしなかった。民子たみこ自分じぶん幸福こうふくのがしたのは、佐山さやまそむいたばったったのだとった。その佐山さやま留守るすちゅう民子たみこむすめれて再訪さいほうしたきりかおせなかったが、その半年はんとし佐山さやま銀座ぎんざ偶然ぐうぜん民子たみこくわした。ぜひむすめ雪子ゆきこてほしいと民子たみこしたがい、母子ぼし2にんらしの麻布まふじゅうばん裏町うらまち新居しんきょ佐山さやまった。水兵すいへいふく雪子ゆきこ粗末そまつつくえ勉強べんきょうしていた。民子たみこは、初恋はつこいひと佐山さやまのことをむすめ全部ぜんぶかせているのだとい、病気びょうき自分じぶんまんいちのことがあったら、むすめてやってほしいとたのんだ。

佐山さやま学生がくせい時代じだいげき研究けんきゅうかいつくっていて、民子たみこ女優じょゆうかわりの手伝てつだいにむすめだった。大学だいがく卒業そつぎょう同時どうじ撮影さつえいしょ就職しゅうしょくした佐山さやまは、婚約こんやくしゃ民子たみこ女優じょゆうとして開花かいかさせてから、結婚けっこんしようとたまのように大事だいじにしていたが、はたから、くずのような映画えいが新聞しんぶん記者きしゃ民子たみこからだうばわれてしまい、彼女かのじょ肉体にくたい盲目もうもくながれを見送みおくるしかなかった。のちに佐山さやまは、民子たみこがそのおとこ結婚けっこんしてしまったのは、自分じぶん民子たみこからだうばわなかったからだという原因げんいんきあたった。おとこ下宿げしゅく民子たみこさがたずねたときにも、暴力ぼうりょくれてかえればよかったのだと、佐山さやまはのちにおんなってからやまれたものだった。

しかし結果けっかてきにはもうなにきずもない佐山さやま一方いっぽうで、民子たみこ佐山さやま始終しじゅうおもし、しんびて、むすめにまでかれのことをはなしていたのだった。たしてあい裏切うらぎったのは、どちらであろうかと佐山さやまかんがえた。民子たみこ打算ださんがあるにしても、いまとなっては、あいつらぬいたのは民子たみこほうであって、佐山さやまわかおさなあいほろびていなかったことを不思議ふしぎおもい、民子たみこ一生いっしょうくるわせ不幸ふこうてたはじめの原因げんいん自分じぶんにあるのだと佐山さやまおもうのだった。その翌年よくねんの4がつ佐山さやま民子たみこんだという電報でんぽうゆきからった。かなしみのなかでも無意識むいしききゃくよりも自分じぶん甲斐甲斐かいがいしくはたらゆきに、佐山さやまはいじらしさをかんじた。葬儀そうぎからしばらくして雪子ゆきこして行方ゆくえ不明ふめいとなってしまったが、ある佐山さやまつま時枝ときえだが、百貨店ひゃっかてん食堂しょくどう給仕きゅうじをしている雪子ゆきこった。以前いぜんから民子たみこ雪子ゆきこ同情どうじょうしていた時枝ときえだすすめもあり、佐山さやま不憫ふびんゆきり、養女ようじょにすることにした。

雪子ゆきことつあさ、「どうしてもつらいことがあったら、かえってらっしゃいね」と時枝ときえだうと、雪子ゆきこなみだにむせんで部屋へやはししてしまった。時枝ときえだは、披露宴ひろうえんかえりの車中しゃちゅうおっとに、「あなた、ゆきちゃんがきだったんでしょう?」とたずねると、佐山さやまは「きだった」としずかにこたえた。時枝ときえだ雪子ゆきこがいないさびしさもおもい、嫁入よめいりをいそがせたことを反省はんせいした。新婚しんこん旅行りょこうからかえった雪子ゆきこ若杉わかすぎ新居しんきょたずねた佐山さやまは、そこに雪子ゆきこ継父けいふ根岸ねぎし父親ちちおやぶって、自分じぶん無断むだんとついだ雪子ゆきこ怒鳴どなっているのをた。一行いっこうが、とあるビルの地下ちかしつはなし決着けっちゃくをつけている途中とちゅう雪子ゆきこはなれたまま行方ゆくえ不明ふめいになった。心配しんぱいした佐山さやま雪子ゆきこ親友しんゆう電話でんわをかけると、結婚けっこん直前ちょくぜん雪子ゆきこ彼女かのじょした手紙てがみ内容ないようおしえられた。雪子ゆきこにはきなひとがいて、手紙てがみには、「初恋はつこい結婚けっこんによっても、なにによってもほろびないことを、おかあさんがおしえてくれたから、わたしわれるままにおよめりする」ということがいてあった。

つぎ佐山さやま撮影さつえいしょくと、雪子ゆきこあさはやくから佐山さやまっていた。佐山さやまおくくるまなかで、婚礼こんれいあさに、「つらいことがあったらかえっておいで」と時枝ときえだった言葉ことばれると、雪子ゆきこは、「あのときわたしおくさんは幸福こうふくほうだとおもいましたわ」とった。それはただいち雪子ゆきこあい告白こくはくであり、佐山さやまへのただいち抗議こうぎだった。佐山さやまは、若杉わかすぎのところへゆきおくとどけようとくるまはしらせているのかどうか、自身じしんにもわからなかった。佐山さやましんには、民子たみこからゆきへとつらぬいてた「あい稲妻いなづま」がきらめくだけだった。

登場とうじょう人物じんぶつ

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佐山さやま
41、2さい映画えいがシナリオ作家さっか元来がんらい戯曲ぎきょく作家さっかで、舞台ぶたい台本だいほんきへの転身てんしんかんがえている。つま子供こども2人ふたりおんなおとこ)いる。真面目まじめ性格せいかく田舎いなか出身しゅっしんとついだあねが2にんいる。むかし恋人こいびとむすめ雪子ゆきこを3ねんまえった。
時枝ときえだ
30さいくらい。佐山さやまつま佐山さやまより11さいわかいが、家庭かていなかにでんとしりえていている。ひとがよく人情にんじょうもろい。一切いっさいのぞみを子供こどもたちうえいて、自分じぶんわかさを大方おおかたわすれている。
雪子ゆきこ
19さい色白いろじろんだ母親ははおやよりも美人びじん。はにかみがちな内気うちきむすめ。14さいときはは死亡しぼうし、女学校じょがっこうめ、しばらく百貨店ひゃっかてん寄宿舎きしゅくしゃみで食堂しょくどう給仕きゅうじ仕事しごとをしていた。16さい佐山さやまられた。女学校じょがっこう去年きょねん卒業そつぎょう料理りょうりきで女学校じょがっこう3ねんときから養母ようぼ時枝ときえだ家事かじ手伝てつだいをする。婚礼こんれいときれだといけないから水仕事みずしごとはしなくていいとわれても、婚礼こんれい朝食ちょうしょく支度したく佐山さやま子供こどもたちの弁当べんとうつくる。佐山さやまを「おじさん」とぶ。佐山さやまても、らずらずにみぞえんあるかなしいくせがある。
民子たみこ
雪子ゆきこはは佐山さやまもと恋人こいびと。33、4さい病死びょうし佐山さやま結婚けっこんもうまれ婚約こんやくしていたが、肉体にくたい関係かんけいはなかった。17、8さい最初さいしょ結婚けっこんしたおとこ映画えいが新聞しんぶん記者きしゃ)は結核けっかくとなり、おとこ田舎いなか看病かんびょうしたが死亡しぼうし、一人娘ひとりむすめゆきれて根岸ねぎし再婚さいこんするが貧乏びんぼう苦労くろうかさなり、心臓しんぞう腎臓じんぞうわずらう。雪子ゆきこが13さいとき根岸ねぎし離婚りこんし、麻布まふじゅうばん裏町うらまち母子ぼし2にんらしていたが、翌年よくねん死亡しぼうまえむすめに、「佐山さやまさんによろしく」とう。
根岸ねぎし
民子たみこ再婚さいこんしたおとこ雪子ゆきこ継父けいふ朝鮮ちょうせん浮浪ふろうして鉱山こうざん技師ぎし内地ないちかえっても山気やまきけず、うんよく鉱山こうざんつとめても、すぐ自分じぶん野心やしんしてはわれ、居所きょしょからないときおおかった。民子たみこ方々かたがたやまおっとっかけあるき、東京とうきょういたとおもいきや、酒場さかばなどではたらかされ、そのかねまると、おっとはまたしてくという有様ありさまだった。雪子ゆきこきらわれている。
若杉わかすぎ
大学だいがくを3ねんほどまえ銀行ぎんこういん係累けいるいすくない。佐山さやまはたらいている撮影さつえいしょ出入でいりしている洋服ようふく縁談えんだん仲立なかだちの内職ないしょくをしていて、そのおとこゆきて、若杉わかすぎ縁談えんだんってた。
雪子ゆきこ親友しんゆう
雪子ゆきこ女学校じょがっこう時代じだい友達ともだち佐山さやまゆき新婚しんこん旅行りょこう宿屋やどやさがしに熱海あたみ旅立たびだときに、バス停ばすていまで見送みおくった雪子ゆきこが、そばのポストにためらいがちに投函とうかんした手紙てがみおくぬし

あいする人達ひとたち

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あいする人達ひとたち
著者ちょしゃ 川端かわばた康成やすなり
イラスト 装幀そうてい芹沢せりざわ銈介
発行はっこう 1941ねん12月8にち
発行はっこうもと 新潮社しんちょうしゃ
ジャンル 短編たんぺん小説しょうせつしゅう
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
形態けいたい うえ製本せいほん
公式こうしきサイト [1]
コード NCID BN07369558
ウィキポータル 文学ぶんがく
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はは初恋はつこい』とどう時期じきに、雑誌ざっし婦人ふじん公論こうろん』に連載れんさいされた短編たんぺんに8へんあるが、これらは〈あいする人達ひとたち〉という題名だいめい単行たんこうほんとなった。いずれも円熟えんじゅく川端かわばたへんとされ、「愛情あいじょう」をえがいているてんでそのしょ作品さくひん一貫いっかんしたものをちながら、取材しゅざい想念そうねん手法しゅほううえにも様々さまざま変化へんかせている[5][11]

はは初恋はつこい以外いがい作品さくひんは、以下いかのようなあらすじである。なお、〈あいする人達ひとたち〉という名称めいしょう作品さくひんはないが、『ほくろの手紙てがみ』の作品さくひんないに、〈わたくしはあいする人達ひとたちおもふために…〉という文章ぶんしょうてくる。

おんなゆめ

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ずっと独身どくしんだった36さい歯科しか大学だいがく助手じょしゅ久原くはら健一けんいちが、ある美貌びぼう令嬢れいじょう治子はるこ見合みあ結婚けっこんして幸福こうふくになるが、27さい治子はるこもずっと適齢てきれいぎても独身どくしんだった。久原くはら彼女かのじょ何故なぜ結婚けっこんしなかったのかを承知しょうちうえ結婚けっこんした。それは治子はるこ片想かたおもいし失恋しつれんして自殺じさつした従兄じゅうけいがいたからだった。久原くはらはそんな相手あいておもみの平凡へいぼん筋書すじがきのような出来事できごとにならなかった。しかしそのことよりも治子はるこは、従兄じゅうけいけんこわれた縁談えんだん相手あいて片桐かたぎりあいしていたために結婚けっこんしなかったのであった。でも治子はるこはそれを久原くはらにははなさないでおいた。久原くはら結婚けっこんばんよろこびをった治子はるこんだ従兄じゅうけいゆめて、つみ意識いしきおぼえた。久原くはら友人ゆうじん医師いし伝手つてで、従兄じゅうけい元々もともと神経しんけい衰弱すいじゃくだったことを調しらべ、治子はるこ安心あんしんさせる。しかし、治子はるこのうちのうつくしいおも天恵てんけいぶくうしなわれてゆくようだった。

ほくろの手紙てがみ

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小夜子さよこには、右肩みぎかたくび黒豆くろまめのようなほくろのあり、子供こどもころからそれをいじるくせがあった。結婚けっこんしてからも小夜子さよこは、おっとに、「みじめにえる」とたしなまれてもそのくせめられなかった。しかし、おっとにぶたれられてもなおらなかったくせが、おっと関心かんしんになりなにわなくなるとなおった。さとかえった小夜子さよこは、自分じぶんがほくろをいじっていたのは、おさなころおもあね可愛かわいがられて、いじられていたことにおもたり、そのくせあいする人達ひとたちおもうためだったとかんがえた。そしておさなころおもそうと、ほくろをひさしぶりにさわってみるが、おもすのはあなた(おっと)のことばかりだった。ほくろをいじるくせは、おっと愛情あいじょうもとめてのくせでもあった。小夜子さよこはそのことをおっとつづった。

よるのさいころ

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たび興行こうぎょう踊子おどりこたちをひきいている水田すいでんは、よる踊子おどりこたちがねむとなり部屋へやで、いつも一人ひとり寝床ねどこで、いつつのサイコロっているわか踊子おどりこ・みちのことがになっていた。みち母親ははおや芸者げいしゃでサイコロの名人めいじんだったらしく、そのくせ子供こどものみちにまでうつっていたらしかった。水田すいでんはみちにサイコロをてさせた。無口むくちなみちをよくちかくでると、おもったよりもいいむすめだった。水田すいでんは、ひと化粧けしょうひん使つかっているみちに、化粧けしょうひんってやるついでにあたらしいサイコロをふたってやった。「いちたら、みち恋愛れんあいしようか」と水田すいでんうと、17さいのみちじらいながらもふたつとも“いち”にした。けれども水田すいでんは「もう一度いちどやってごらん」と茶化ちゃかす。
みちのサイコロはまたいつつになり、まえのように練習れんしゅうしていた。ひとひと順番じゅんばん全部ぜんぶいち”はせるが、いちどきにみんな“いち”にするのはむずかしかった。もう一人ひとり、みち注目ちゅうもくしてあいしていた男優だんゆう花岡はなおか水田すいでんからんできて、みちなぞは、子供こどもとき性的せいてきいたずらをされたんじゃないかとみ、水田すいでん不快ふかいになった。花岡はなおかはみちにいいやくけて、ぱあっとさせてほしいと水田すいでんった。しかし寝床ねどこで、みんなのているまえで、サイコロの全部ぜんぶいっぺんに“いち”にしたみち無邪気むじゃき膝小僧ひざこぞう水田すいでんは、花岡はなおか観察かんさつなどうそだとかった。水田すいでんは、全部ぜんぶいち”のそろったサイコロをうつくしい花火はなびのようにおもい、一座いちざ見切みきりをつけて、「ぱあっと」みち2人ふたりていこうとおもった。

つばめ童女どうじょ

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新婚しんこん旅行りょこうかえりの展望てんぼうしゃつばめ」のなか牧田まきた日光にっこうにさらされているつま章子あきこくび産毛うぶげた。その産毛うぶげは、牧田まきたのするがままにおとなしくしたがっていた章子あきこからだに、かくれているものをかんじさせた。章子あきこかみもまた、すこ赤茶あかちゃけてえた。牧田まきたじると、しびれるようなあまつかれがからだしんにあって、きの船旅ふなたび無数むすう海月くらげあたまかんだ。そのとき章子あきこ両親りょうしんとのわかれになみだぐんでハンカチをっていた。
東京とうきょうもどかえりの汽車きしゃまえせきには、赤茶あかちゃけたかみあいのらしい7さいくらいのおさなおんなすわっていた。おんな一人ひとり絵本えほんたり、紙風船かみふうせんふくらませたり、がみったりしてあそんでいた。すこはなれたところにいる母親ははおやほんんでいたが、おんな一人ひとりでも平気へいきそうだった。牧田まきた夫婦ふうふはその可愛かわいらしいおんな観察かんさつしていた。章子あきこはふとおっとに、「わたしたち一生いっしょうこののことをおもすでしょうね。もう二度にどうことはないでしょうけれど」とった。牧田まきたは、世界中せかいじゅう人種じんしゅ雑婚ざっこん平和へいわ時代じだいは、とお未来みらいるであろうかと、ぼんやりかんがえた。

おっと唱婦

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27さい延子のぶこおっと牧山まきやま帰宅きたくすると、ネクタイをほどき、靴下くつしたがせ足袋たびをはかせてやる貞淑ていしゅくつまだった。かけにも、おっと靴下くつしたをはかせ、ワイシャツチョッキせた。そういった習慣しゅうかんは、延子のぶこ母親ははおや父親ちちおやにしていたことだった。牧山まきやま養子ようしだったが、東京とうきょう教師きょうしのため、延子のぶこ田舎いなか実家じっかにはははいちにんになったが、一人娘ひとりむすめ延子のぶこ東京とうきょうってしまうと、わらわ桂子けいこっていた。延子のぶこ牧山まきやま夫婦ふうふなかく、牧山まきやま老後ろうごになったら、いまわか自分じぶんたちのことを、延子のぶこ昔話むかしばなしとしていろいろかせてもらうことをたのしみとしていた。
延子のぶこ母親ははおやに、牧山まきやま反対はんたいしたが、桂子けいこ東京とうきょういえることになった。延子のぶこより3さい年下としした桂子けいこばかりたかく、骨張ほねばったかんじでおんならしさがなく、家事かじもぞんざいで、延子のぶこ牧山まきやま足袋たびをはかせているのを冷笑れいしょうしていた。だが、そんな桂子けいこ恋愛れんあいをしているおんなのようにわってきた。桂子けいこ牧山まきやま助手じょしゅ佐川さがわ結婚けっこん約束やくそくをし、妊娠にんしんしていることを延子のぶこけた。
しかし佐川さがわはなしくと、佐川さがわ桂子けいこ結婚けっこんするつもりはないとった。佐川さがわ松山まつやま夫婦ふうふまえで、自分じぶん日記にっき延子のぶこてもらいたいとった。佐川さがわ日記にっきには、延子のぶこあいしていることがつづられ、それを桂子けいこ見破みやぶられて、関係かんけいせまられたことがかれてあった。松山まつやま延子のぶこ桂子けいこ判断はんだんまかせたために、その日記にっきず、真実しんじつらないままだった。延子のぶこ佐山さやま自分じぶんあいしていたなどとはゆめにもおもわなかった。自分じぶんおぼえている人生じんせいおっとおぼえている人生じんせいが、ちがってたことを自覚じかくした延子のぶこは、老後ろうごおもはなしなかにそのことをおっとえるだろうか、えるようにならなければならないとかんがえた。

子供こどもいちにん

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このはる女学校じょがっこうたばかりの芳子よしこ病院びょういんで、はげしいつわりくるしみ、さんができるかどうかもあやぶまれていた。そんな未熟みじゅくようつま母体ぼたい危機ききおっと元田もとだはいたわり見守みまもっていた。田舎町いなかまちつく酒屋ざかやむすめ芳子よしこ卒業そつぎょう間近まぢかおや縁談えんだんいやがり、たたみ息子むすこで、苦学くがく去年きょねん大学だいがくはたらいていた元田もとだのアパートへげてったのだった。芳子よしこ妊娠にんしんし、2人ふたり結婚けっこんゆるされたため、芳子よしこんでもむといいはり、自分じぶんんだのちおっと日常にちじょうのことにこまらないようにきつけた「遺言ゆいごんじょう」までつくっていた。
やがて不安ふあんうすれ、芳子よしこ食欲しょくよくし、どんどんふとってきた。しかし芳子よしこ平気へいき煙草たばこい、ひとわったように下品げひんになり、おっと反抗はんこうてき態度たいどるようになってきた。芳子よしこ病的びょうてき嫉妬しっとなやまされて女中じょちゅうめさせ、おっと母体ぼたい心配しんぱいして医者いしゃ中絶ちゅうぜつたのんだことさえも逆恨さかうらみし、被害ひがい妄想もうそうおちいった。精神せいしん異常いじょうをきたした芳子よしこ自分じぶんでも自覚じかくして宗教しゅうきょうしょなどをんだりしたが、被害ひがい妄想もうそうおさまらず、おっと虐待ぎゃくたいされているから離婚りこんするとさと手紙てがみしたりした。めていった女中じょちゅう芳子よしこ実家じっか様子ようすつたえていたため、むかえにきた芳子よしこあねは、元田もとだめなかった。芳子よしこもどるつもりらしく「遺言ゆいごんじょう」がつくえのこしてあった。不可解ふかかい女心おんなごころ元田もとだむねにしみた。
やがて無事ぶじ出産しゅっさんしたという電報でんぽうて、元田もとだ芳子よしこ産室さんしつくと、にっこりわらってふたた可憐かれん少女しょうじょのような芳子よしこもどり、あかぼうちちふくませていた。元田もとだしんじられないようなかいおもいで、芳子よしこいくつもの人間にんげんえて、魔術まじゅつのように翻弄ほんろうしたともおもえる、あどけないさるのようなあたらしいものははちちつよちからっているのをつめていた。

ゆくひと

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15、6さい佐紀さきゆうは、「やったあ」と歓声かんせいをあげて、浅間山あさまやま噴火ふんかるために月夜つきよヴェランダした。佐紀さきゆうちいさいころから、軽井沢かるいざわ別荘べっそう滞在たいざいちゅう浅間あさま噴火ふんかするたびにヴェランダにすので、両親りょうしんわらわれていた。爆発ばくはつ直後ちょくごは、けむりとはおもえないおそろしいちから凝結ぎょうけつした固形こけいたいえる。いわば大地だいちほうこうからたばかりのこのようにおおきいちからかたちにしてることの出来できるのは、にありそうもないと佐紀さきゆうおもっていた。けむりがったり、よこにたなびいてひろがってしまってからは噴火ふんかがしないのである。
そんな紀雄としおのところへ弘子ひろこい、かたれて、「なかへはいりましょう」とはなしかけてた。弘子ひろこ体臭たいしゅうや、むすめらしいあまさが佐紀さきゆうむねにしみ、不意ふいかなしくなった。火山かざんすなのようにってても、なかはいろうとしない紀雄としおかお突然とつぜんながれているなみだ弘子ひろこた。それはおもいがけないもので、少年しょうねん純粋じゅんすいなものがつたわってるだけだった。
かえってゆく弘子ひろこを、佐紀さきゆう蝙蝠傘こうもりがさほんってってき、かさはいらないと弘子ひろこひとつのかさになりまちまでおくっていった。弘子ひろこはなしているうちに、また佐紀さきゆうかたいていた。佐紀さきゆうは、どうしてよくらないひとのところへおよめってしまうのか、弘子ひろこさんをきなひと沢山たくさんいるのに、と早口はやくち弘子ひろこいた。弘子ひろこは、「そういうものよ」とこたえたが、佐紀さきゆうおこるようにかたをすぼめて弘子ひろこをはずした。結婚けっこんするというひとが、なにげなく自分じぶんかたいてくれることは、佐紀さきゆうゆるせないようにおもえた。

としくれ

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げき作家さっか加島かしまいずみふとしは、「ともつまいづこならんねんくれ」という俳句はいくをつぶやき、むすめ泰子やすこ意見いけんもとめたが、本当ほんとうはそんなことはどうでもよかった。ただむすめこえきたかっただけだった。泰子やすこは8、9かげつまえよめりしたのだが、おっとわかれるつもりでさとかえってていた。それでもいずみふとしむすめこえひさしぶりにいて、自分じぶんなかうずもれていたものが、ぱっとはなひらいたかのようであった。むすめこえつま綱子つなごこえにそっくりで、むすめいえにいる時分じぶんはあまりにもかけなかったが、よめりしたのち電話でんわむすめこえは、わかころつまおもさせたりした。まちむすめおな年頃としごろむすめると、このようなわかむすめ恋愛れんあい相手あいて自分じぶんだってなれないことはないのだという年甲斐としがいもない、さもしい根性こんじょうあたまをもたげた。
ともつま」というのは、いずみふとし愛読あいどくしゃやく10年間ねんかんいずみふとし色紙いろがみつづけてくれていた女性じょせい木曾きそ千代子ちよこであった。女学生じょがくせいだった千代子ちよこは、いずみふとしへずっと手紙てがみこしていて、3ねんなついずみふとしいえ訪問ほうもんしてた。まだ可憐かれん小娘こむすめである千代子ちよこに、いずみふとし陰鬱いんうつ自分じぶん作品さくひんなどんでもらいたくなく、「あなたの存在そんざいほうが、どれだけいいかしれやしない」とおもわず口走くちばしるところだった。いずみふとし作品さくひんは、殺人さつじんなどをえがき、極彩色ごくさいしょくじみた絢爛けんらん作風さくふうであった。
いずみふとしむすめ泰子やすこ小学校しょうがっこうがり、自分じぶん作品さくひんむのもいやであった。おとうと明男あきおまれてから、ははでなく自分じぶんをするようになった泰子やすこおかっぱいききながら、いずみふとし自分じぶんみちうつろにかんじるのだった。自分じぶんいた悲劇ひげきなどは、案山子かかし舞台ぶたい肩肘かたひじって、やぶころもそでりながらおどっているにぎず、案山子かかし作者さくしゃ姿すがたであり、きゃくがいるとおもった見物けんぶつせきには、蕭々しょうしょう野分のわけいているだけなのだ。自分じぶんがこのんだ2人ふたり子供こどもだけで、戯曲ぎきょくなどは死物しぶつだといずみふとしおもった。
千代子ちよこは、5ねん色紙いろがみってあいだもなくして、結婚けっこんした。そういたとき自分じぶんのさびしさがいずみふとしには意外いがいであった。いずみふとし千代子ちよこ精一杯せいいっぱいあいさなかったことを後悔こうかいした。それは、あさ千代子ちよこあいすることが出来できたならば、そのゆうんでもいいという覚悟かくごで、千代子ちよこってなかった悔恨かいこんだった。あいするというとおだやかではないが、それはしんのことで、いずみふとし千代子ちよこといい加減かげんって年月としつき自分じぶん十分じゅうぶんきていなかったといた。千代子ちよこはその色紙いろがみつづけてくれたが、8ねんおっと戦死せんししてから、消息しょうそく途絶とだえた。そんなことをかんがえながら、としくれ茫々ぼうぼうとして人生じんせいおもいが、いずみふとしむねながれた。

作品さくひん評価ひょうか研究けんきゅう

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はは初恋はつこい』や、どう時期じきかれた『よるのさいころ』『ゆくひと』『としくれ』などの短編たんぺんぐんは、本格ほんかくてき論究ろんきゅうをされることはほとんどないが、いずれも川端かわばた自身じしんふかあいしている幸福こうふく作品さくひんとされ、それらに登場とうじょうするヒロインたちは、みな「純潔じゅんけつ少女しょうじょ」という共通きょうつうてんがある[1]

三島みしま由紀夫ゆきおは『はは初恋はつこい』について、川端かわばた自身じしんだい4しょうははあきら)に愛着あいちゃくがあるとべていることを[2]、そのしょうで「少女しょうじょ可憐かれんさ」がよく表現ひょうげんされている一節いっせつの、〈雪子ゆきこはまたみぞえんあるくのである。「真中まんなかあるけよ。」と、佐山さやまげんふと、雪子ゆきこはびつくりして、ぴつたりり添つてた〉を「大事だいじすうぎょう」としてげ、それを「中世ちゅうせい象徴しょうちょうめいた神秘しんぴ構図こうず」とんで以下いかのように解説かいせつしている[1]

雪子ゆきこはびつくりして……」。さうだ。彼女かのじょなにらずなに意識いしきしてゐないのである。みぞえんあるくといふ、彼女かのじょちと運命うんめいとがそこからのこらずみとられてしまふやうなかなしいくせも、「われしらず」してゐることであれば、一方いっぽう吃驚びっくりして佐山さやまにぴつたりり添つてることも「われしらず」なのである。みぞえん佐山さやまとのふたつの運命うんめいのあひだにぽつねんとこの可憐かれん少女しょうじょかれてをり、その彼方かなたにはほしのやうにせるははよるおくからむすめ運命うんめいをみつめてゐるのである。かうしてこの作品さくひん象徴しょうちょうかぎ簡素かんそ構図こうずによつてしめされる。 — 三島みしま由紀夫ゆきお「『よるのさいころ』などについて」[1]

また、「ははおもひが神秘しんぴちからむすめせい(いのち)をくぐつてでんはつてゆく」という『はは初恋はつこい』の主題しゅだいは、『よるのさいころ』にもかかわりがあり、そこでは「純粋じゅんすい無為むいかたちにまでたかめられ」て、「さいころおもふがままにしてみせたはは手業てわざは、やがてむすめいつつのさいころがいちばかりる〈うつくしい花火はなび〉のやうな奇蹟きせき成就じょうじゅさせるよすがとなる」と三島みしま説明せつめい[1]、その前段ぜんだん川端かわばたが〈みち全身ぜんしんには、なにかかみきよしなよろこびがあふれてゐた〉といていることをかんがみながら、この「奇蹟きせき」のかたられかたの「簡素かんそ正確せいかくさ」は、ふる宗教しゅうきょうてき説話せつわつような迫力はくりょくともないつつ、「受胎じゅたい告知こくちしずけさにちかづいてゐる」と解説かいせつしている[1]

『ゆくひと』について三島みしまは、「きはめてささやかな、ちいさな水晶すいしょう耳飾みみかざのやうな小品しょうひん」だとし、「浅間あさま噴火ふんかが、無機質むきしつ生命せいめい(といいはうか)のないいかりをたえずげかけて、よわいやうやく思春期ししゅんきにゅうつた少年しょうねんくるしみとび交はしてゐる」とひょうしている[1]。そして、この小説しょうせつんで、「自分じぶんかたに、だれしもこの少年しょうねん年頃としごろゆめみたであらう一人ひとり年上としうえむすめてのひらやわらかさとあたたかさをかんじ、さらにをののく自分じぶん少年しょうねんかたのかよわさをありありとおもこさないひと」は、川端かわばた文学ぶんがく十分じゅうぶん読者どくしゃとはえず、ましてや最後さいごくだりの「純潔じゅんけついかり」はからないだろうと解説かいせつしている[1]。また、『としくれ』については、川端かわばた芸術げいじゅつろんられるエッセイふう小説しょうせつで、その「かたられる方法ほうほう」にもみみます必要ひつようがあるとし[1]、それは川端かわばたの「こころ」が、「言葉ことば字面じめんからよりも、言葉ことばててゐるいとりや、そのいとかれててるおとからひびいて場合ばあいがままあるからである」と説明せつめいしている[1]

そして、『はは初恋はつこい』のゆきをはじめ、『よるのさいころ』のみちや『ゆくひと』の弘子ひろこらが、「純潔じゅんけつ少女しょうじょ」であることを三島みしま指摘してきしつつ、その少女しょうじょ川端かわばたの「ぜん作品さくひんをつらぬく主題しゅだい象徴しょうちょう」であり、川端かわばた作品さくひん大事だいじ主題しゅだいの「かつ内面ないめんが窺ひられたことのないなまあるげんはれ」であり、それは川端かわばた軽々けいけいに「心理しんりぬま」へあしれることのない「ひとつの純潔じゅんけつ決心けっしん象徴しょうちょうのやうなもの」でもあると解説かいせつしている[1]。そして川端かわばたが『文学ぶんがくてき自叙伝じじょでん』のなかで、〈好奇こうき触覚しょっかく繊弱せんじゃく物見ものみしゃせて人生じんせい文学ぶんがく素通すどおりしてた。素通すどおりのありがたさ〉とかたっている部分ぶぶんに「かおたかみさお」のひそかな決心けっしん三島みしま看取かんしゅして、以下いかのようにかたっている[1]

ひと内面ないめんはいるとき、いかにおおくのものをしつつたかにづかない。そのうしなはれたものを、川端かわばたさんはしばしば「こころ」といふやさしい言葉ことばでとらへててをられる。それをとらへるちからは、啻(ただ)に感覚かんかくといふやうなものではない。日頃ひごろんでゐるやうにえるわれわれのいはば絶対ぜったいてきせいが、少女しょうじょはな小鳥ことりのやうな「なまそれ自身じしん」――いはば絶対ぜったいてきせい――にあいふときに、おぼえずにはゐられない瞬間しゅんかんのまぶしさ、これにつづく何事なにごとをもねがいはない清冽せいれつなためらひ、さういふものからうまてくるちからかとおもはれる。ときとしてわたしたちはさういふ絶対ぜったいてきせいをも、相対そうたいてきなま物差ものさしることを理性りせいかんがへ、自分じぶんゆるぐまいとする努力どりょくのすべてをうしなふ。しかし川端かわばたさんの文学ぶんがく態度たいどは、たえずへんなものをうけれる仕度したくをしてゐる。いはばむなしさのうらにあふれたつことの充溢じゅういつであり、虚空こくうにふりそそぐさけもうけてさしされたさかずきであり、かみ饗宴きょうえんにそなへた純白じゅんぱくたくぬののやうでもある。それはまたいまのやうな雑然ざつぜんたる時代じだいとの対照たいしょうおいて、リルケうまある庭園ていえんたあのふしぎなアネモネはなおもはせるものがある。 — 三島みしま由紀夫ゆきお「『よるのさいころ』などについて」[1]

高見たかみじゅんは、『はは初恋はつこい』に感動かんどうし、雪子ゆきこみぞえんある姿すがたが「ながしんのこったものだ」と[5]、『よるのさいころ』もしんにしみ、「さいころを踊子おどりこわすれられないものにりそうだ」としながら、そこには、『伊豆いず踊子おどりこ』とはちがったニュアンスがあり、川端かわばた浅草あさくさ踊子おどりこぶつなかで、とくったもののひとつとなったとひょうしている[5]。また『としくれ』については、気持きもちをらくにした仕事しごととはちがう「にがい」「からい」小説しょうせつだとひょうし、主人公しゅじんこういずみふとしむすめこえき、〈ああ〉とおもい、そのおもいを〈説明せつめいしにくかつた〉と個所かしょが、川端かわばた小説しょうせつんで「ああ」とかんじ、そのおもいを解説かいせつしにくいことと共通きょうつうし、また、いずみふとしむすめこえひさしぶりにき、〈ぱつとはなひらいたかのやうに〉かんじておどろ個所かしょは、川端かわばた小説しょうせつからあたえられる「よろこばしいおどろき」とおなじような感覚かんかくだと解説かいせつしながら[5]いずみふとしなかには、川端かわばたの「一種いっしゅ自己じこ批評ひひょうのようなもの」あり、小説しょうせつ自体じたいなか解説かいせつふくまれているともえると高見こうけん指摘してきしている[5]

森本もりもとは、伊藤いとう初代はつよとの再会さいかいという川端かわばた実体験じつたいけん作品さくひん成立せいりつ経緯けいいとなっているてんからかんがみて、初代しょだい突然とつぜん婚約こんやく破棄はきで、「不可解ふかかいなままにあいうしなった」川端かわばただったが、「その真剣しんけん思慕しぼは、ちゃんと初代しょだいつうじていた」とし[12]、「康成やすなりあい初代しょだいによっておもされ、次第しだい大切たいせつおもとなって、苦境くきょうにある初代しょだいしんささえとなった」と考察こうさつしながら[12]初々ういういしさやうつくしさがうしなわれた初代しょだいとの再会さいかいに「美神びしん」のぞう崩壊ほうかいし、川端かわばた内部ないぶから「伊藤いとう初代はつよ」はってしまったが、そのむすめからあいされたいという願望がんぼうが、『はは初恋はつこい』をんだとして、以下いかのように解説かいせつしている[12]

康成やすなりのなかに回復かいふくした伊藤いとう初代はつよという〈美神びしん〉は、いったん崩壊ほうかいしても、そのままではわらなかったのである。康成やすなり内部ないぶに、痛切つうせつ希求ききゅうとしてきつづけ、ひそかに成長せいちょうしつづけた。それがははあいむすめのなかにきつづけるという発想はっそうにつながったのである。わかれたのちもおもいつづけてくれた初代しょだいあいは、むすめがれるというおもいがけないかたちで、ふたたびよみがえったのだ。〈美神びしん〉の誕生たんじょう――「はは初恋はつこい」は、そのような康成やすなり悲痛ひつうなまでのねがいが成就じょうじゅされた作品さくひんなのである。 — 森本もりもと魔界まかい住人じゅうにん 川端かわばた康成やすなり だいさんしょう こい墓標ぼひょうと〈美神びしん〉の蘇生そせい――自己じこ確立かくりつへ」[12]

そして森本もりもとは、川端かわばたが『はは初恋はつこい』を具体ぐたいしていた時期じきは、従兄じゅうけい黒田くろだ秀孝ひでたかさんじょ政子まさこ養女ようじょとしてることをかんがえていた時期じきで、それが作品さくひん影響えいきょうしているとして、「政子まさこ養女ようじょとしてることによって、康成やすなりは、かつての伊藤いとう初代はつよわる、あたらしい〈美神びしん〉を獲得かくとくしたのではないか」とし[13]川端かわばた先験的せんけんてき愛情あいじょうかたむける少女しょうじょ共通きょうつうする要素ようそとして、「いずれも市民しみん社会しゃかいでの定着ていちゃくした生活せいかつてき基盤きばんっていなかったこと」、「すくないうえであったこと」をげている田中たなか保隆やすたかろん敷衍ふえんしながら[14]政子まさこをモデルにした『えん』の少女しょうじょ民子たみこ(5さいちちわかれ、母子ぼし家庭かていそだった病弱びょうじゃく少女しょうじょ)が、「(川端かわばたと)血縁けつえん少女しょうじょだが、伊藤いとう初代はつよ踊子おどりこ共通きょうつうする〈すくないうえ〉の少女しょうじょ」であり、川端かわばたが『伊豆いず踊子おどりこ』のかおるからせられた無償むしょうあい無心むしん好意こうい共通きょうつうせいが、『えん』の「民子たみこ」にもあることを指摘してきし、その名前なまえてんからも、「『はは初恋はつこい』は、まるで『えん』の少女しょうじょとの邂逅かいこう予期よきしたかのような作品さくひん」だと論考ろんこうしている[13]

映画えいが

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はは初恋はつこい
監督かんとく 久松ひさまつしず
脚本きゃくほん 八田はった尚之なおゆき
原作げんさく 川端かわばた康成やすなりはは初恋はつこい
製作せいさく 滝村たきむら和男かずお三輪みわ礼二れいじ
出演しゅつえんしゃ 上原うえはらけんきし惠子けいこ
音楽おんがく まゆずみ敏郎としお
撮影さつえい 三浦みうら光雄みつお
製作せいさく会社かいしゃ 東京とうきょう映画えいが
配給はいきゅう 東宝とうほう
公開こうかい 日本の旗1954ねん9月17にち
上映じょうえい時間じかん 102ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
テンプレートを表示ひょうじ

はは初恋はつこい』(東宝とうほう1954ねん昭和しょうわ29ねん)9がつ17にち封切ふうきり

スタッフ

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キャスト

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テレビドラマ

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フジテレビけい シャープ月曜げつよう劇場げきじょう
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
(なし)
はは初恋はつこい
(1963年版ねんばん
フジテレビけい 早川はやかわ電機でんき工業こうぎょういちしゃ提供ていきょうわく
はは初恋はつこい
(1963年版ねんばん
れいこちゃんごめんネ
関西かんさいテレビ制作せいさく・フジテレビ系列けいれつ はくゆき劇場げきじょう
川端かわばた康成やすなり名作めいさくシリーズ
うつくしさとかなしみと
【ここまで連続れんぞくドラマ】
はは初恋はつこい
(1973年版ねんばん
ほんさくより単発たんぱつ作品さくひん

短編たんぺんのテレビドラマ

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おもな収録しゅうろく刊行かんこうほん

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  • 正月しょうがつ三ヶ日さんがにち』(しんこえかく、1940ねん12月20にち限定げんてい150
    • 装幀そうてい芹沢せりざわ銈介。あとがき:川端かわばた康成やすなり菊判きくばんはこいれ
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「正月しょうがつ三ヶ日さんがにち」「つばめ童女どうじょ」「日雀ひがら」「はは初恋はつこい
  • あいする人達ひとたち』(新潮社しんちょうしゃ、1941ねん12月17にち改装かいそうばん1945ねん10がつ15にち。1946ねん11月10にち
    • 装幀そうてい芹沢せりざわ銈介
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「はは初恋はつこい」「おんなゆめ」「ほくろの手紙てがみ」「よるのさいころ」「つばめ童女どうじょ」「おっと唱婦」「子供こどもいちにん」「ゆくひと」「としくれ
  • 日雀ひがら』(しん紀元きげんしゃ、1946ねん4がつ15にち
  • よるのさいころ』(浪漫ろうまん新書しんしょトッパン、1949ねん1がつ5にち
  • 新潮しんちょう青春せいしゅん文学ぶんがく叢書そうしょ伊豆いず踊子おどりこ』(新潮社しんちょうしゃ、1955ねん1がつ31にち
  • つばめ童女どうじょ』(筑摩書房ちくましょぼう、1955ねん9がつ25にち
    • カバー稗田ひえた一穂いちほ
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「はは初恋はつこい」「ほくろの手紙てがみ」「つばめ童女どうじょ」「おっと唱婦」「としくれ」「再婚さいこんしゃ
  • 文庫ぶんこばんあいする人達ひとたち』(新潮しんちょう文庫ぶんこ、1951ねん10がつ15にち改版かいはん2006ねん3がつ25にち
    • カバー装幀そうてい小林こばやしただし解説かいせつ高見たかみじゅん
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「はは初恋はつこい」「おんなゆめ」「ほくろの手紙てがみ」「よるのさいころ」「つばめ童女どうじょ」「おっと唱婦」「子供こどもいちにん」「ゆくひと」「としくれ

全集ぜんしゅう収録しゅうろく

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  • 川端かわばた康成やすなり全集ぜんしゅうだい5かん 雪国ゆきぐに』(新潮社しんちょうしゃ、1969ねん4がつ15にち
    • カバー題字だいじ松井まつい如流菊判きくばん変形へんけいはこいれ口絵くちえ写真しゃしん2よう著者ちょしゃしょうかげ日蓮にちれん上人しょうにん手紙てがみ
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「はは初恋はつこい」「おんなゆめ」「ほくろの手紙てがみ」「よるのさいころ」「つばめ童女どうじょ」「おっと唱婦」「日雀ひがら」「子供こどもいちにん」「ゆくひと」「としくれ」「寒風かんぷう」「あさくも」「ふゆきょく」「雪国ゆきぐに
  • 川端かわばた康成やすなり全集ぜんしゅうだい7かん 小説しょうせつ7』(新潮社しんちょうしゃ、1981ねん1がつ20日はつか
    • カバー題字だいじ東山ひがしやまいさおえびすよんろくばんはこいれ
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「はは初恋はつこい」「おんなゆめ」「ほくろの手紙てがみ」「よるのさいころ」「つばめ童女どうじょ」「おっと唱婦」「子供こどもいちにん」「ゆくひと」「としくれ」「日雀ひがら」「あさくも」「寒風かんぷう」「ちち」「ふゆきょく」「おんな」「再会さいかい」「生命せいめい」「ゆめ」「反橋そりはし」「しぐれ」「きてゐるほうに」「住吉すみよし」「あめ」「地獄じごく」「きたうみから」「首輪くびわ」「たまゆら」「あやめのうた」「さんにん」「さとがへり」「お正月しょうがつ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 三島みしま由紀夫ゆきお解説かいせつ」(『よるのさいころ』浪漫ろうまん新書しんしょトッパン、1949ねん1がつ)。「『よるのさいころ』などについて」(『かり獲物えものよう書房しょぼう、1951ねん6がつ)。三島みしま27かん 2003, pp. 129–133に所収しょしゅう
  2. ^ a b 「あとがき」(『正月しょうがつ三ヶ日さんがにちしんこえかく、1940ねん12がつ)。評論ひょうろん5 1982, p. 595に所収しょしゅう
  3. ^ a b c 解題かいだい」(小説しょうせつ7 1981, pp. 591-)
  4. ^ 「あとがき」(『川端かわばた康成やすなり選集せんしゅうだい9かん 高原こうげん』(改造かいぞうしゃ、1939ねん12がつ)。評論ひょうろん5 1982, pp. 567–662
  5. ^ a b c d e f g 高見たかみじゅん解説かいせつ」(あいする 2006, pp. 223–230)
  6. ^ a b c 後姿うしろすがた」(「父母ちちははへの手紙てがみだいしん)(文藝ぶんげい時代じだい 1932ねん4がつごう)。小説しょうせつ5 1980, pp. 181–232、作家さっか自伝じでん & 1994-09所収しょしゅう
  7. ^ a b だいさんしょう 千客万来せんきゃくばんらい日々ひび――満州まんしゅうゆき」(秀子ひでこ 1983, pp. 75–156)
  8. ^ a b 川嶋かわしまいたる「『伊豆いず踊子おどりこ』をいろど女性じょせい」(うえした)(北海道大学ほっかいどうだいがく国文こくぶん学会がっかい 国語こくご国文こくぶん だい18・19ごう、20ごう、1961ねん3がつ、12月)。「だいさんしょう 精神せいしんきずあと―『みちもの』と『伊豆いず踊子おどりこ』―」(川嶋かわしま 1969, pp. 65–111)
  9. ^ 川嶋かわしまいたる「『はは初恋はつこいろんのための序章じょしょう」(苫小牧とまこまい駒澤こまざわ短期大学たんきだいがく研究けんきゅう紀要きよう だい2ごう、1966ねん11月)。「『はは初恋はつこい』をめぐるひとつの推論すいろん」(北海道大学ほっかいどうだいがく国文こくぶん学会がっかい 国語こくご国文こくぶん研究けんきゅう だい36ごう、1967ねん2がつ)。「だいしょう ひとつの断層だんそう―みちぞう変貌へんぼうと『禽獣きんじゅう』の周辺しゅうへん―」(川嶋かわしま 1969, pp. 158–199。森本もりもとうえ 2014, pp. 399–340
  10. ^ a b 福田ふくだ淳子じゅんこはは初恋はつこい」(事典じてん 1998, pp. 297–298)
  11. ^ 「カバー解説かいせつ」(あいする 2006
  12. ^ a b c d だいさんしょう こい墓標ぼひょうと〈美神びしん〉の蘇生そせい――自己じこ確立かくりつへ だいせつ美神びしん〉の蘇生そせいはは初恋はつこい』」(森本もりもとうえ 2014, pp. 398–414)
  13. ^ a b だいさんしょう こい墓標ぼひょうと〈美神びしん〉の蘇生そせい――自己じこ確立かくりつへ だいななせつ あたらしい〈美神びしん〉『えん』と『天授てんじゅ』」(森本もりもとうえ 2014, pp. 450–472)
  14. ^ 田中たなか保隆やすたかえん」(作品さくひん研究けんきゅう 1969, pp. 189–204)

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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