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アカシヤの大連たいれん

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当時とうじ大連たいれんだい広場ひろば現在げんざい大連たいれん中山ちゅうざん広場ひろば
当時とうじ大連たいれんえき

アカシヤの大連たいれん』(アカシヤのだいれん)は、詩人しじん作家さっか清岡きよおかたくぎょう最初さいしょ小説しょうせつ作品さくひん

20世紀せいき前半ぜんはん日本にっぽん租借そしゃくであった中国ちゅうごく大連たいれんにて、青年せいねんごした生活せいかつ私小説ししょうせつふういたもの。それまで評論ひょうろんいていた作者さくしゃが、はじめていた散文さんぶんで、雑誌ざっし群像ぐんぞう1969ねん12月ごう発表はっぴょうし、だい62かい芥川賞あくたがわしょう1970ねん)を受賞じゅしょう [1]

内容ないよう

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大連たいれんまれそだち、東京とうきょうのある大学だいがくいち年生ねんせいだった「かれ」は、だい世界せかい大戦たいせんわる5かげつまえ(1945ねん3がつ)に大連たいれん里帰さとがえりする。軍人ぐんじんになったあににんとついでたくましくきるあねにんして文学ぶんがく青年せいねんであったかれは、戦争せんそう生活せいかつ矛盾むじゅんかんじ、きるのぞみもあまりなく、自殺じさつまでかんがえる。戦争せんそうおわり、ロシア統治とうち大連たいれんおおきな問題もんだいはなく、かれ帰還きかんせんあいだに、いの化学かがく技術ぎじゅつしゃむすめさんがデパートではたらくのを手伝てつだうことになり、...

大連たいれん作品さくひんしゅう

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  • 「アカシヤの大連たいれん」 講談社こうだんしゃ初版しょはん1970ねん
    あさかなしみ』、『アカシヤの大連たいれん』、以後いご小説しょうせつ散文さんぶんで、大連たいれんものをおお執筆しっぴつ
  • 大連たいれんしょうけいしゅう」 講談社こうだんしゃ、1983ねん
    初冬しょとう大連たいれん』、『中山なかやま広場ひろば』、『サハロフ幻想げんそう』、『大連たいれん海辺うみべで』
  • 以上いじょう6さく新編しんぺんで、『アカシヤの大連たいれん』(講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ初版しょはん1988ねん)に収録しゅうろく
  • 清岡きよおかたくゆき大連たいれん小説しょうせつ全集ぜんしゅう』 日本文芸社にほんぶんげいしゃうえした)、1992ねん
    上記じょうき6さくと、『フルートとオーボエ』、『萌黄もえぎ時間じかん』、『くじらもいるあきそら』、『うみひとみ』、『ある濁音だくおん
     『ゆめまたはゆめのような現実げんじつ』、『えびす幻想げんそう』、『大連たいれんこうで』、附録ふろくで『大連たいれんにかかわる随想ずいそうしゅう』を収録しゅうろく

日本にっぽん統治とうち大連たいれん描写びょうしゃ

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21世紀せいきになった現在げんざい中国ちゅうごく大連たいれんには日本にっぽん企業きぎょう沢山たくさんあり、日本人にっぽんじん大勢おおぜいんでいて、また大連たいれんまれそだった日本人にっぽんじん老人ろうじん大勢おおぜい旅行りょこうおとずれる。このほんには日本にっぽん統治とうち大連たいれん描写びょうしゃおおく、こうしたひとたちがこのんでほんになっている。

日本にっぽん統治とうち大連たいれんいたほんにはこのほか鮎川あいかわ哲也てつやの『ペトロフ事件じけん』があり、こちらは探偵たんてい小説しょうせつ性格せいかくじょう、また戦後せんごすぐかれたので、戦後せんご20ねんかれた『アカシヤの大連たいれん』にくらべておおくのてんでより正確せいかくであるといわれる。ただし、抒情じょじょうてき大連たいれんをなつかしむ人々ひとびとには、清岡きよおかたくぎょうほう絶大ぜつだい人気にんきがある。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 清岡きよおかたくぎょう公式こうしきサイト

関連かんれん項目こうもく

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