(Translated by https://www.hiragana.jp/)
アビヤム - Wikipedia コンテンツにスキップ

アビヤム

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アビヤム
אביה
ユダおう
在位ざいい 紀元前きげんぜん913ねん - 紀元前きげんぜん910ねん

死去しきょ 紀元前きげんぜん910ねん
子女しじょ アサ
王朝おうちょう ダビデあさ
父親ちちおや レハブアム
母親ははおや マアカ(ミカヤ)
テンプレートを表示ひょうじ

アビヤムは、ユダ王国おうこくだい2だいおう。アビヤムは『れつおう』でのかたで、『歴代れきだい』ではアビヤばれている。

生涯しょうがい

[編集へんしゅう]

レハブアムである。ははについては聖書せいしょ記載きさい混乱こんらんられ、れつおううえ15:1ではアビシャロムのむすめのマアカとし、歴代れきだいした13:2ではウリエルのむすめミカヤとする。紀元前きげんぜん913ねん即位そくいし、紀元前きげんぜん910ねんまで[1]エルサレム統治とうちした。

上記じょうき出自しゅつじきたイスラエルのおうヤロブアム紛争ふんそうえなかったというてんのぞき、れつおう歴代れきだいおおきく評価ひょうかことなるおうである[2]

れつおう上巻じょうかん15しょう)では、アビヤムはちちおかしたすべてのつみなかあゆみ、ちち[3]ダビデのしんちがおも忠実ちゅうじつではなかったが、そのダビデめんじてくにほろばされることだけはなく、そのかれはダビデのまちほうむられ、息子むすこアサ王位おういいだとされている。

一方いっぽう歴代れきだい下巻げかん13しょう)では、むしろおも忠実ちゅうじつ人間にんげんとされ、エフライム山中さんちゅうにおいて戦闘せんとう直前ちょくぜんにヤロブアムの「離反りはんかねうし製造せいぞう・レヴィじん追放ついほう」を批難ひなんし、ユダぐん40まんにんきたイスラエルぐん80まんにんという状況じょうきょうで、なおかつきたイスラエルぐん伏兵ふくへい背後はいごまわられるという危機ききなかかみ味方みかたいてヤロブアムときたイスラエルの人々ひとびとをアビヤとユダのまえった[4]。そのままきたイスラエルぐん敗走はいそうし、いきおいにったユダぐんはベテル・エシャナ・エフロンの3つの大都市だいとしとその近隣きんりん制圧せいあつし、ヤロブアムは最後さいごまで勢力せいりょく回復かいふくできないままおもたれてんだ[5]のにたいし、かれには14にんつまができ、22にん息子むすこと16にんむすめまれるなどさかえたとされている。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 原文げんぶんでは「ヤロブアムの在位ざいい18ねんにユダのおう即位そくい」「3年間ねんかんこくおさめた」とある
  2. ^ ユダおうではマナセれつおう歴代れきだい評価ひょうかおおきくことなる。
  3. ^ 前述ぜんじゅつの「ちち」とちがい、こちらは「先祖せんぞ」の意味いみ。 ヘブライでは尊属そんぞく全般ぜんぱん父親ちちおや母親ははおやおな呼称こしょうぶことがある。
  4. ^ 具体ぐたいてきにどういったことがきたのかはかれていない。
  5. ^ 急死きゅうし意味いみする表現ひょうげんれつおうではヤロブアムのについてとくにこの表現ひょうげんはされていない。

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]