アントニオ・カルロス・ブラジレイロ・ヂ・アウメイダ・ジョビン (葡 : Antônio Carlos Brasileiro de Almeida Jobim [ɐ̃ˈtɔniu ˈkaʁlus ʒoˈbĩ] 、1927年 ねん 1月 がつ 25日 にち - 1994年 ねん 12月8日 にち )は、ブラジル の作曲 さっきょく 家 か 、ミュージシャン である。トム・ジョビン (Tom Jobim [ˈtõ ʒoˈbĩ] )とも呼 よ ばれる。
歌 うた の国際 こくさい フェスティバル(FIC)でのジョビン(1968年 ねん )
イパネマ のビーチに建 た つ、ジョビンの銅像 どうぞう
20世紀 せいき のブラジル音楽 おんがく を代表 だいひょう する作曲 さっきょく 家 か である。1950年代 ねんだい 後半 こうはん 、ジョアン・ジルベルト 、ヴィニシウス・ヂ・モライス などとともに、白人 はくじん 中流 ちゅうりゅう 階級 かいきゅう 以上 いじょう の若者 わかもの が創造 そうぞう したボサノヴァ のオリジネイターとされている。多 おお くのボサノヴァ歌手 かしゅ がジョビンの作品 さくひん を演奏 えんそう し、音楽 おんがく 的 てき ジャンルを超 こ えて広 ひろ く影響 えいきょう を及 およ ぼした。父親 ちちおや は作家 さっか 、外交 がいこう 官 かん 、教授 きょうじゅ 、ジャーナリストでありジョビンは白人 はくじん 中流 ちゅうりゅう 階級 かいきゅう の出身 しゅっしん だった。また、親戚 しんせき には上院 じょういん 議員 ぎいん ・枢密院 すうみついん 顧問 こもん 官 かん ・医師 いし の男性 だんせい もいた。ジョビンには裕福 ゆうふく な家庭 かてい の出身 しゅっしん だったが、学歴 がくれき は充分 じゅうぶん には得 え られなかった。
1930年代 ねんだい から活動 かつどう していたブラジル近代 きんだい 音楽 おんがく の父 ちち と称 しょう されるピシンギーニャ や作曲 さっきょく 家 か のエイトル・ヴィラ=ロボス (共 とも にショーロ の音楽家 おんがくか )の影響 えいきょう を強 つよ く受 う けており、ドビュッシー [ 1] やモーリス・ラヴェル[ 2] などクラシックの音楽家 おんがくか からの影響 えいきょう も大 おお きい。ギタリスト のパウロ・ジョビンは息子 むすこ 、ピアニスト のダニエル・ジョビンは孫 まご で、「ジョビン・ファミリー」として演奏 えんそう 活動 かつどう を続 つづ けており、来日 らいにち 回数 かいすう も多 おお い。
リオデジャネイロ のチジュッカ地区 ちく 生 う まれ。14歳 さい の頃 ころ からピアノを始 はじ め、また作曲 さっきょく を学 まな びはじめる。音楽家 おんがくか として生 い きていきたいと願 ねが っていたが、家族 かぞく を養 やしな うことを考 かんが えて建築 けんちく 学校 がっこう に入学 にゅうがく する。しかし、音楽 おんがく への夢 ゆめ を捨 す てきれず、ラジオやナイトクラブでのピアノ 奏者 そうしゃ として働 はたら いていたが、ハダメス・ジナタリ に見 み いだされ、コンチネンタル・レコードに入社 にゅうしゃ し、曲 きょく の譜面 ふめん 起 お こしや編曲 へんきょく などの仕事 しごと をこなす。1953年 ねん にはブラジルのオデオン・レコード(EMI ・ブラジル)のアーティスト兼 けん レコーディング・ディレクターとして採用 さいよう される。また、この頃 ころ は特 とく に、幼 おさな なじみでもあったニュウトン・メンドンサ と共 とも に作曲 さっきょく 活動 かつどう を行 おこな っていた。
ジョビンが脚光 きゃっこう を浴 あ びるようになったのは、作詞 さくし 家 か で詩人 しじん の(外交 がいこう 官 かん であり、ジャーナリスト でもある)ヴィニシウス・ヂ・モライス が制作 せいさく した舞台 ぶたい 『オルフェウ・ダ・コンセイサォン』(1956年 ねん )のために制作 せいさく した音楽 おんがく によってであった。この頃 ころ からヂ・モライスと共 とも に曲 きょく 作 づく りを行 おこな うようになる。彼 かれ らの共 とも 作 さく の中 なか には、後年 こうねん も歌 うた い継 つ がれる曲 きょく が多 おお くある。ジョビンとルイス・ボンファによる映画 えいが 『黒 くろ いオルフェ 』のサントラ盤 ばん (1959)は、世界 せかい 的 てき に有名 ゆうめい になった[ 3] [ 4] [ 5] [ 6] 。
1959年 ねん には、最初 さいしょ のボサノヴァ・ソングとされる「想 おも いあふれて (Chega de Saudade)」をジョアン・ジルベルト がリリースする。この曲 きょく は、サンバ・カンサォンの女王 じょおう とも呼 よ ばれる歌手 かしゅ エリゼッチ・カルドーゾ (Elizeth Cardoso)のためにつくられた曲 きょく であった。ジョアンの画期的 かっきてき なギター奏法 そうほう (ギターだけでサンバのリズム<バチーダ>を刻 きざ む)と、ささやくような歌 うた い方 かた の斬新 ざんしん さに惚 ほ れ込 こ んだジョビンが、以前 いぜん にヂ・モライスと共 とも 作 さく した「想 おも いあふれて」をジョアンに提供 ていきょう し、苦労 くろう の末 すえ レコードのリリースまでこぎ着 つ けた作品 さくひん であった。次第 しだい にこの新 あたら しいサウンドは、従来 じゅうらい のサンバ・カンサォンの重苦 おもくる しさに否定 ひてい 的 てき になっていたブラジルの若者 わかもの たちの心 しん をとらえ、ボサノヴァ・ムーブメントを形成 けいせい していった。
「想 おも いあふれて」の登場 とうじょう 以来 いらい 、ジョアン・ジルベルトをはじめ、多 おお くのボサノヴァ ・アーティストが彼 かれ の曲 きょく をとりあげている。ヂ・モライスと共 きょう 作 さく し、ジョアン・ジルベルトとスタン・ゲッツ の共 とも 作 さく アルバム『ゲッツ/ジルベルト 』から人気 にんき となった代表 だいひょう 曲 きょく 「イパネマの娘 むすめ 」はカヴァー するアーティストも多 おお いといわれている。この曲 きょく によりアストラッド・ジルベルト[ 7] も有名 ゆうめい になった。ニュウトン・メンドンサ との共 とも 作 さく 、「ヂザフィナード 」 や 「サンバ・ヂ・ウマ・ノタ・ソ (ワン・ノート・サンバ)」も、ボサノヴァ・アーティストたちはもちろん、ジャズ ・アーティストたちのカヴァー例 れい も多 おお い、ボサノヴァを代表 だいひょう する作品 さくひん である。
1965年 ねん には自身 じしん がボーカルをとる作品 さくひん を初 はじ めて発表 はっぴょう したが、その後 ご 1967年 ねん にはフランク・シナトラ との共 とも 作 さく を発表 はっぴょう した。アメリカ においても彼 かれ の作品 さくひん は人気 にんき を博 はく した。同 おな じく1967年 ねん には、名 めい プロデューサー、クリード・テイラー のレーベル、CTIレコード から自身 じしん のインストゥルメンタル・アルバム『波 なみ 』を発表 はっぴょう した。このアルバムは、クラウス・オガーマン がアレンジを担当 たんとう したものである。さらに『波 なみ 』に続 つづ いて、今度 こんど はブラジル出身 しゅっしん の名 めい アレンジャー、エウミール・デオダート のアレンジのもと、『潮流 ちょうりゅう 』(1970)、『ストーン・フラワー 』などインストゥルメンタル・アルバムの名作 めいさく を次々 つぎつぎ とアメリカでレコーディングした。これらのCTIでの作品 さくひん は、ボサノヴァを基調 きちょう としたクロスオーバー・アルバムだった。
1970年代 ねんだい に入 はい ると、ジョビンの創作 そうさく のスピードは落 お ちるものの、好 す きな音楽 おんがく を自由 じゆう に楽 たの しむというスタイルをおしすすめた。ミウシャ やエリス・レジーナ との共 とも 作 さく で自身 じしん の歌 うた も披露 ひろう している。特 とく に、エリス・レジーナとともにデュエットした「三 さん 月 がつ の水 みず (Águas de Março) 」は、人気 にんき 作 さく となった。その一方 いっぽう 、元々 もともと ブラジル音楽 おんがく をこよなく愛 あい し、なおかつクラシック音楽 おんがく の知識 ちしき に豊富 ほうふ なジョビンらしく、ボサノヴァの枠 わく にとらわれない壮大 そうだい で技巧 ぎこう 的 てき な作品 さくひん を残 のこ している。この頃 ころ のアルバムとしては、『ジョビン 』や『ウルブ 』などがある。1970年代 ねんだい 後半 こうはん には、アナ・ベアトリス・ロントラと出会 であ い、結婚 けっこん 。1980年 ねん には、再 ふたた び自身 じしん のボサノヴァの曲 きょく を、英語 えいご やポルトガル語 ご を交 まじ えて歌 うた ったアルバム『テラ・ブラジリス 』を、クラウス・オガーマンのプロデュースにて制作 せいさく ・発表 はっぴょう した。
ヂ・モライスとの共 とも 作 さく は「イパネマの娘 むすめ 」が最後 さいご であったが、ヂ・モライスの死 し まで友情 ゆうじょう は続 つづ いた。1980年 ねん のヂ・モライスの死後 しご には、家族 かぞく を中心 ちゅうしん としたバンド「バンダ・ノヴァ(Banda Nova)」を結成 けっせい して共 とも に楽曲 がっきょく の製作 せいさく やライブを行 おこな う。「バンダ・ノヴァ」のメンバーは、息子 むすこ であるパウロ・ジョビン、娘 むすめ のエリサベッチ・ジョビン、シモーニ・カイミ、ダニーロ・カイミ、マウーシャ・アヂネ、パウラ・モレンバウムとジャキス・モレンバウムの夫妻 ふさい 、セバスチアォン・ネット、パウロ・ブラーガ、そしてジョビンの再婚 さいこん 後 ご の妻 つま アナであった。このバンダ・ノヴァを通 とお して、『パッサリン 』、『イネーヂト 』、そして遺作 いさく となった『アントニオ・ブラジレイロ 』といったアルバムがレコーディングされ、また1986年 ねん 8月 がつ には来日 らいにち も果 は たしている。
また、環境 かんきょう 問題 もんだい に対 たい する関心 かんしん は強 つよ く、アマゾン熱帯 ねったい 雨林 うりん を保護 ほご するための活動 かつどう を行 おこな い、同 おな じく熱帯 ねったい 雨林 うりん 保護 ほご の活動 かつどう を行 おこな っていたスティング [ 8] などとの交友 こうゆう もあった。その考 かんが え方 かた は作品 さくひん にも強 つよ い影響 えいきょう を及 およ ぼしており、『ウルブ』や『ジョビン』などのアルバムでは自然 しぜん をテーマにした曲 きょく も見受 みう けられる。スティングはジョビンの遺作 いさく 『アントニオ・ブラジレイロ』に収録 しゅうろく された「ハウ・インセンシティブ (How Insensitive)」で、ジョビンと共演 きょうえん 、ボーカルをとっている。
1994年 ねん にニューヨーク のマウントサイナイ病院 びょういん で心臓 しんぞう 発作 ほっさ のため死去 しきょ 、リオ・デ・ジャネイロのサン・ジョアン・バチスタ墓地 ぼち に埋葬 まいそう された。ブラジルでは彼 かれ の死 し に際 さい して大統領 だいとうりょう 令 れい が発 はっ され、国民 こくみん は3日間 にちかん の喪 も に服 ふく したという。
作曲 さっきょく 家 か としての彼 かれ の代表 だいひょう 曲 きょく [ 編集 へんしゅう ]
(日本語 にほんご 、ポルトガル語 ご 、英語 えいご の順 じゅん )
ヴィニシウス・ジ・モライスとの共 とも 作 さく
「イパネマの娘 むすめ 」 (A Garota de Ipanema / The Girl From Ipanema )
「おいしい水 みず 」 (Água de Beber / Water to Drink )
「想 おも いあふれて」 (Chega de Saudade / No More Blues )
「ア・フェリシダーヂ」 (A Felicidade)
ニュウトン・メンドンサ との共 とも 作 さく
「メディテーション」 (Meditação / Meditation )
「ヂザフィナード 」 (Desafinado / Off-Key )
「サンバ・ヂ・ウマ・ノタ・ソ / ワン・ノート・サンバ」 (Samba de Uma Nota Só / One Note Samba )
シコ・ブアルキ との共 とも 作 さく
「白 しろ と黒 くろ のポートレイト」(Retrato em Branco e Preto / Picture in Black and White )
「サビア」 (Sabiá)
アロイージオ・ヂ・オリヴェイラ との共 とも 作 さく
「無意味 むいみ な風景 ふうけい 」(Inútil Paisagem / Useless Landscape )
「ヂンヂ」 (Dindi)
自 じ 作詞 さくし 曲 きょく
「静 しず かな夜 よる 」 (Corcovado / Quiet Nights of Quiet Stars )
「ジェット機 じぇっとき のサンバ」 (Samba do Avião / Song of the Jet )
「波 なみ 」 (Vou Te Contar / Wave )
「三 さん 月 がつ の水 みず 」 (Águas de Março / Waters of March )
主 おも にピアノ 演奏 えんそう を行 おこな っているが、ギター を弾 ひ いたりボーカル をとる作品 さくひん もある。
『イパネマの娘 むすめ 』 - The Composer of Desafinado, Plays (1963年 ねん 、Verve )
「ヂザフィナード」や「イパネマの娘 むすめ 」など、世界 せかい 的 てき にヒットした曲 きょく をインストゥルメンタルで構成 こうせい 。
『ワンダフル・ワールド』 - The Wonderful World of Antonio Carlos Jobim (1965年 ねん 、Warner )
「彼女 かのじょ はカリオカ」や「ジェット機 じぇっとき のサンバ」などほとんどの曲 きょく でジョビンが歌 うた うアルバム。
『ラヴ・ストリングス・アンド・ジョビン』 - Love Strings And Jobim (1966年 ねん 、Warner)
『ア・サーティン・ミスター・ジョビン』 - A certain Mr.Jobim (1967年 ねん 、Warner)
『波 なみ 』 - Wave (1967年 ねん 、A&M )
『潮流 ちょうりゅう 』 - Tide (1970年 ねん 、A&M)
『波 なみ 』の続編 ぞくへん とされるアルバム。
『ストーン・フラワー』 - Stone Flower (1970年 ねん 、CTI )
『潮流 ちょうりゅう 』と同時 どうじ 録音 ろくおん された作品 さくひん 。『潮流 ちょうりゅう 』がそれまでのイージーリスニング的 てき サウンドを継承 けいしょう しているのに対 たい し、『ストーン・フラワー』は土着 どちゃく 的 てき リズムの採用 さいよう など、ジョビンの進 すす む方向 ほうこう の変化 へんか を示 しめ す。
『ジョビン』 - Jobim (1973年 ねん 、MCA) ※『Matita Perê』のタイトルで再発 さいはつ あり
『ウルブ』 - Urubu (1976年 ねん 、Warner)
『テラ・ブラジリス』 - Terra Brasilis (1980年 ねん 、Warner)
『パッサリン』 - Passarim (1987年 ねん 、Verve)
『アントニオ・ブラジレイロ 』 - Antonio Brasileiro (1994年 ねん 、Sony Music )
実質 じっしつ 的 てき に遺作 いさく となった作品 さくひん 。
『イネーヂト』 - Inédito (1995年 ねん 、Biscoito Fino)
『ジョビン、ヴィニシウスを歌 うた う』 - Tom Canta Vinicius (2000年 ねん 、Universal )
Em Minas Ao Vivo Piano e Voz (2004年 ねん 、Biscoito Fino) ※1981年 ねん のライブ音源 おんげん
Um encontro no Au bon gourmet (2015年 ねん 、Doxy) ※1962年 ねん のライブ音源 おんげん
フランク・シナトラ とともに
『シナトラ - ジョビン』 - Francis Albert Sinatra & Antonio Carlos Jobim (1967年 ねん )
ドリヴァル・カイミ とともに
『カイミ・ヴィジタ・トム』 - Caymmi Visita Tom (1964年 ねん )
エリス・レジーナ とともに
ミウシャ とともに
『ミウシャ&アントニオ・カルロス・ジョビン』 - Miucha & Antonio Carlos Jobim (1977年 ねん )
『愛 あい の語 かた らい』 - Miucha & Tom Jobim (1979年 ねん )
エドゥ・ロボ とともに
『エドゥ&トム、トム&エドゥ』 - Edu & Tom Tom & Edu (1981年 ねん )
サリナ・ジョーンズとともに
『ボサノバ・ナイト』 - Salena Sings Jobim With The Jobims (1994年 ねん )
アントニオ・カルロス・ジョビン国際 こくさい 空港 くうこう [ 編集 へんしゅう ]
ジョビンは生前 せいぜん 、リオ・デ・ジャネイロの国際 こくさい 空港 くうこう であるガレオン空港 くうこう にしばしば通 かよ い、発着 はっちゃく する飛行機 ひこうき を眺 なが めることを好 この んでいた。ガレオンに着陸 ちゃくりく しようとする旅客機 りょかくき から見下 みお ろされるリオの美 うつく しい風景 ふうけい を称 とな えた歌詞 かし の「ジェット機 じぇっとき のサンバ」は、飛行機 ひこうき 好 す きのジョビンがヴァリグ・ブラジル航空 こうくう のCM ソングとして作詞 さくし ・作曲 さっきょく したナンバーである。
ジョビン死後 しご の1999年 ねん 、彼 かれ の功績 こうせき を称 たた えるために、ガレオン空港 くうこう は「アントニオ・カルロス・ジョビン国際 こくさい 空港 くうこう 」(Aeroporto Internacional do Rio de Janeiro/Galeão - Antônio Carlos Jobim)と改名 かいめい された。同 どう 空港 くうこう の一隅 いちぐう には「ジェット機 じぇっとき のサンバ」の歌詞 かし を刻 きざ んだプレートが飾 かざ られている。
ちなみに若 わか い頃 ころ のジョビンは、飛行機 ひこうき を見 み るのは好 す きでも搭乗 とうじょう することは大嫌 だいきら いであったが、有名 ゆうめい になるにつれ海外 かいがい 公演 こうえん などで嫌 いや でも搭乗 とうじょう せざるを得 え なくなり、後年 こうねん には飛行機 ひこうき 嫌 ぎら いを克服 こくふく した。
リオデジャネイロパラリンピック の大会 たいかい マスコット 『トム 』は、彼 かれ の愛称 あいしょう に由来 ゆらい している[ 9] 。
「アントニオ・カルロス・ジョビン ボサノヴァを創 つく った男 おとこ 」エレーナ・ジョビン著 ちょ ・国安 くにやす 真奈 まな 訳 やく (青土 おうづち 社 しゃ 1998年 ねん )
「三 さん 月 がつ の水 みず アントニオ・カルロス・ジョビン・ブック」岩切 いわきり 直樹 なおき 著 ちょ (彩 いろどり 流 りゅう 社 しゃ 2003年 ねん )
「愛 あい と微笑 ほほえ みと花 はな アントニオ・カルロス・ジョビン・ブック2」岩切 いわきり 直樹 なおき 著 ちょ (彩 いろどり 流 りゅう 社 しゃ 2004年 ねん )
「ボサノヴァの歴史 れきし 」ルイ・カストロ著 ちょ ・国安 くにやす 真奈 まな 訳 やく (音楽之友社 おんがくのともしゃ 2001年 ねん )
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