(Translated by https://www.hiragana.jp/)
オーダー (建築) - Wikipedia コンテンツにスキップ

オーダー (建築けんちく)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
百科全書ひゃっかぜんしょだい18かん掲載けいさいされた柱頭ちゅうとう形状けいじょう説明せつめいちゅううえからの名称めいしょうつぎとお
トスカナしき ドリスしき
イオニアしき イオニアモダンしき
コリントしき コンポジットしき

オーダーえい: order)は、古典こてん主義しゅぎ建築けんちく基本きほん単位たんいとなる円柱えんちゅうはり構成こうせいほうで、独立どくりつ円柱えんちゅういしずえばんはしら柱頭ちゅうとう)と水平すいへいはりエンタブラチュア)からる。一般いっぱんてきトスカナしき英語えいごばんドリスしきイオニアしきコリントしきコンポジットしき英語えいごばんの5種類しゅるいす。

Order(秩序ちつじょ順序じゅんじょ配列はいれつ)というのとおり、はしらはりなど部材ぶざい相互そうご秩序ちつじょあるわせのこと。

概説がいせつ

[編集へんしゅう]

オーダーは、ギリシア建築けんちく ・エトルリア建築けんちくローマ建築けんちくさかのぼる、定型ていけいされたはしら装飾そうしょく方法ほうほうである。古代こだいギリシアでは伝統でんとうむすびついた重要じゅうよう手法しゅほうであったが、マ帝国まていこく末期まっきには重要じゅうようせいうしない、ひがしマ帝国まていこくビザンティン建築けんちく)でははや段階だんかい消失しょうしつした。

西欧せいおう諸国しょこくでは、はしら装飾そうしょくとして粗野そやなコリントしき装飾そうしょく使つかわれつづけたが、ルネサンス時代じだい古典こてん建築けんちくが「さい発見はっけん」されると、オーダーはふたた注目ちゅうもくされるようになった。

ルネサンス後期こうきになると、オーダーは建築けんちく究極きゅうきょく姿すがたとして権威けんいされ、古典こてん主義しゅぎ建築けんちくたちのあいだで、オーダーのいかなる比例ひれい関係かんけいしんであるかということが真剣しんけん論議ろんぎされるようになった。17世紀せいきになってオーダー=しんというかんがかた疑問ぎもんていされるが、18世紀せいきまつ古典こてん主義しゅぎ建築けんちくたんなる記号きごうとして相対そうたいされるまで、オーダーは建築けんちくにおいて絶対ぜったいてき地位ちいたもつづけた。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

オーダーの起原きげんは、ドリスしき、コリントしきギリシア建築けんちくであるが、イオニアしきしょうアジア由来ゆらいし、どこまでさかのぼれるかはさだかでないものの、東方とうほう起原きげんであることは間違まちがいない。この3種類しゅるいのオーダーはローマ建築けんちく継承けいしょうされ、ドリスしき、イオニアしき、コリントしき、そして簡素かんそにではあるがトスカナしきについては、古代こだいローマ建築けんちくウィトルウィウスの著作ちょさく建築けんちくについて』記述きじゅつされている。ウィトルウィウスは、かくオーダーの簡素かんそ比例ひれい関係かんけいと、いかなる神殿しんでんにふさわしいかということについての説明せつめいおこなっているが、けっしてこれら建築けんちく必須ひっす用途ようとであるとは規定きていしなかった。

オーダーを5種類しゅるい規定きていし、かつ建築けんちく絶対ぜったいとしたのはルネサンスの建築けんちくたちである。

初期しょきルネサンスの建築けんちくレオン・バッティスタ・アルベルティは、ウィトルウィウスの著作ちょさくとローマ遺跡いせきのオーダーを観察かんさつし、その建築けんちく理論りろんを『建築けんちくろん(De re aedificatoria)』にまとめたが、そのときかれはトスカナしきオーダーには言及げんきゅうせず、わりにコンポジットしきオーダー(かれ自身じしんはこれをイタリアしきべているが)をくわえた。アルベルティは、建築けんちくにおいて主要しゅよう装飾そうしょくうたがいなく円柱えんちゅうであるとしながらも、たんにこれらのオーダーを考察こうさつ結果けっかとして記載きさいし、構成こうせいしただけであった。かれはコンポジットしきオーダーをくわえはしたが、それについてほとんどなにかたっていないし、コリントしきオーダーをとく重用じゅうようしている。なにより、さくでは、かれ自身じしんみずからのオーダーの比例ひれい理論りろん忠実ちゅうじつではなかった。

アルベルティの著作ちょさくには図版ずはん記載きさいされておらず、その刊行かんこうされたアントニオ・フィラレーテフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ建築けんちくろんではオーダーにかんする明確めいかく理論りろんかたられていない。15世紀せいき建築けんちくたちは包括ほうかつてきなオーダーシステムをっておらず、ほとんどの場合ばあい、ロマネスク時代じだいからもちいられていたコリントしきかコンポジットしき採用さいようした。

16世紀せいき初頭しょとうになると、古代こだいローマの遺跡いせきたいする包括ほうかつてき研究けんきゅうとウィトウィウスの理解りかいによって、オーダーは体系たいけいてきあつかわれるようになり、とくドナト・ブラマンテによって様々さまざま展開てんかいをみることになる。ブラマンテは、トスカナしきとドリスしき積極せっきょくてき応用おうようしたはじめての建築けんちくで、聖人せいじん崇拝すうはいする施設しせつにはどのようなオーダーがふさわしいか、という定義ていぎしめした。

こうした2世紀せいきわたるオーダーの展開てんかいは、16世紀せいき後期こうき建築けんちくセバスティアーノ・セルリオの『建築けんちくしょ(L’Architettura)』によって集約しゅうやくされた。セルリオの功績こうせきは、5つのオーダーをはじめて全般ぜんぱんてき記述きじゅつし、これを同等どうとうのものとしてあつかい、図版ずはん使つかって説明せつめいすることによってだれもがそれをあつかえるように定式ていしき、コードしたことである。まさにこの書籍しょせきによって、オーダーは建築けんちく象徴しょうちょうとなった。かれのオーダーは、厳格げんかくさという意味いみにおいては疑問ぎもんであるし、その比例ひれい理論りろんはウィトルウィウスのものから逸脱いつだつしているが、このしょはすぐにドイツフランス語ふらんすご翻訳ほんやくされ、はんかさねた。さらにジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラが『建築けんちくの5つのオーダー(La Regola delli Cinque Ordini d’Architettura)』で、細部さいぶ詳細しょうさい比例ひれい関係かんけい構築こうちくしたことにより、建築けんちくだれもがオーダーをあつかえることになった。

セルリオ以後いご、オーダーは建築けんちく究極きゅうきょく姿すがたであるという概念がいねん建築けんちくたちにれられ、建築けんちく理論りろんはいかなる比例ひれい関係かんけいがオーダーの真実しんじつ姿すがたなのかという論点ろんてん展開てんかいされるようになる。

17世紀せいきになると、クロード・ペローが、古代こだいからルネサンスにいたるオーダーの比例ひれいまった統一とういつせいがないことを指摘してきし、オーダーの比例ひれい内在ないざいする絶対ぜったいてきというものにたいして疑問ぎもんていしたが、建築けんちくアカデミー主事しゅじであったフランソワ・ブロンデルはルネサンスてき比例ひれい理論りろん至高しこう存在そんざいとしてこれを堅持けんじした。ブロンデルのような保守ほしゅも、古代こだいローマの建築けんちくには一定いってい比例ひれい関係かんけいまったいだされないことをってはいたが、このような差異さい視覚しかく補正ほせいかた適正てきせいにするための修正しゅうせい)によるものとされ、比例ひれい関係かんけいたいする議論ぎろん18世紀せいき中葉ちゅうようまでつづけられた。

このような議論ぎろんしん古典こてん主義しゅぎにも継承けいしょうされたが、18世紀せいき後期こうきに、「よし」の本質ほんしつ主観しゅかん客観きゃっかん相互そうご関連かんれんする恣意しいてき要素ようそふくまれていることが認識にんしきされ、さらに、植民しょくみんからしょ外国がいこく建築けんちくについての情報じょうほうがもたらされるにおよんで、オーダーの比例ひれい内在ないざいするとおもわれたじつ経験けいけんてきなものにぎないとかんがえられるようになった。このため、オーダーは建築けんちくにとって絶対ぜったいてきなものとはみなされなくなり、19世紀せいき歴史れきし主義しゅぎ折衷せっちゅう主義しゅぎでは、古典こてん主義しゅぎ建築けんちくあらわすだけのたんなる記号きごうとしてあつかわれることになった。

様式ようしき

[編集へんしゅう]

トスカナしきオーダー(トスカーナ様式ようしき

[編集へんしゅう]

ドーリスじんがトスカーナ地方ちほう神殿しんでん建築けんちくもちいたオーダーのこと。柱頭ちゅうとうおよびじきけた装飾そうしょくくシンプルなかたち特色とくしょくとする。タスカン様式ようしきということもある。[1]

トスカナしき特徴とくちょうとして円柱えんちゅうのプロモーションはそれぞれのオーダーでことなっているがひとによってトスカナしきとドリスしきおなじとかんがえるひともいる。円柱えんちゅうかたち相違そうい見比みくらべるてんとして上部じょうぶ荷重かじゅう直接的ちょくせつてきささえる柱頭ちゅうとう部分ぶぶんはそれぞれのはしら工夫くふうがされているとかんがえられる。

しかし柱頭ちゅうとう部分ぶぶん特徴とくちょうすくないのがトスカナしきとドリスしきであるため区別くべつがつきにくい。トスカナしきはフルーティング(みぞり)がないのにたいしてドリスしきはフルーティングがあるものとないものもあるドリスしきにはフリーズにトリグリフをつという特徴とくちょうがあるがこれをたないドリスしき存在そんざいする。ドリスしきほかにも複雑ふくざつ装飾そうしょくてき細部さいぶがあるがそれらが簡略かんりゃくされたはしら簡略かんりゃくされたドリスしき(トスカナしき)とされているため区別くべつむずかしい。こまかなちがいをあげるとすれば柱頭ちゅうとう部分ぶぶんのエキナスの下部かぶフィレットがドリスしきでは2〜3ほんあるがトスカナしきは1ほんしかないてんやエキナスとそのしたのゴルジュの部分ぶぶんにトスカナしきでは装飾そうしょくがないこと、トスカナしきはしらいしずえはトールスとプリンスだけであることアーキトレーヴにファシアがいなどというちがいの特徴とくちょうがある。[2][3]

トスカナしきオーダーは、ウィトルウィウスの『建築けんちくについて』だい四書ししょだいななしょうにおいて、3つの内陣ないじんった幅広はばひろのきふか神殿しんでん使つかわれるものと説明せつめいされている。この特徴とくちょうエトルリア神殿しんでん建築けんちくられ、したがってこれはエトルリアに起原きげんもっと単純たんじゅん形式けいしきのオーダーである。単体たんたい存在そんざいする場合ばあい、ドリスしきとははしら直径ちょっけいたかさの比例ひれいことなる以外いがい区別くべつがつかない。ブラマンテの設計せっけいしたテンピエットも、比例ひれい関係かんけいからドリスしきではなくトスカナしきとされる場合ばあいがある。

オーダーの比例ひれい関係かんけいは、ウィトルウィウスによれば、はしら直径ちょっけいいしずえばん柱頭ちゅうとう=1:1/2:1/2である。ルネサンス時代じだいにヴィニョーラによって作成さくせいされた『建築けんちくの5つのオーダー』でもこれは踏襲とうしゅうされているが、はしら身上しんじょう縮小しゅくしょうはしら直径ちょっけいの0.85という関係かんけいはしらだい寸法すんぽうはしら直径ちょっけいの1/3などのこまかい比例ひれい追加ついかされている。セルリオは著作ちょさくなかで、トスカナしき要塞ようさい監獄かんごくにもちいるのがいとかんがえた。

ドリスしきオーダー

[編集へんしゅう]
パルテノン神殿しんでんのドリスしきオーダー

オーダーのなかではもっともその起原きげんふるいとかんがえられ、ペロポネソス半島はんとう最古さいこのギリシア建築けんちくもちいられている。パルテノン神殿しんでんなど、ギリシアでられるいしずえばんたないはしらをギリシア・ドリスしきいしずえばんつものをローマ・ドリスしきとして区別くべつする。のオーダーとはちがい、通常つうじょうコーニス部分ぶぶんのき垂木たるき小口おぐちをモティーフにしたとおもわれるトライグリフとメトープがもちいられる。

ウィトルウィウスはこのオーダーを男性だんせいになぞらえ、武神ぶしん神殿しんでんもちいるべきだとかんがえた。ブラマンテが、ペトロ殉教じゅんきょうであるサン・ピエトロ・イン・モントリオ聖堂せいどうテンピエットにこのオーダーをもちいたように、セルリオもこのオーダーにきわめて武人ぶじんてき性格せいかくつよ聖人せいじんめた。ウィトルウィウスの『建築けんちくについて』だい四書ししょだいさんしょうに、その比例ひれい関係かんけいべられている。はしら下部かぶ直径ちょっけいを1とした場合ばあいいしずえばん柱頭ちゅうとうはしらだか:コーニス:フリーズ:アーキトレーヴ=1/2:1/2:7:1/2:3/4:1/2となる。

イオニアしきオーダー

[編集へんしゅう]

渦巻うずまき模様もよう特徴とくちょうてきなオーダー。紀元前きげんぜん6世紀せいきごろにしょうアジア作成さくせいされたもので、柱頭ちゅうとうはアイオリスしき柱頭ちゅうとうから発展はってんしたことはほぼ確実かくじつである。紀元前きげんぜん5世紀せいきころには、アッティカ半島はんとうひろ使用しようされるようになり、ヘレニズム時代じだいには、ドリスしきわってほとんすべての神殿しんでん建築けんちくれられた。

ウィトルウィウスの『建築けんちくについて』だいさんしょだいしょうでは、はしら下部かぶ直径ちょっけいたいし、柱頭ちゅうとういしずえばん(アッティカふうとイオニアふうがあるが)=1:1/2、はしら直径ちょっけいはしらたかさ=1:9と1/2である。ウィトルウィウスはせんほそいイオニアしき女性じょせいてきしなやかさととらえ、女神めがみ神殿しんでんもちいるべきだとかんがえた。これをけて、セルリオは、女性じょせい聖人せいじん学者がくしゃてき聖人せいじんけんじどうする聖堂せいどうにイオニアしきもちいるべきとしている。

コリントしきオーダー

[編集へんしゅう]

紀元前きげんぜん5世紀せいきころに、アテナイ発明はつめいされたオーダー。柱頭ちゅうとう部分ぶぶんは、コリントスにおいて、墓地ぼちささげられたかごアカンサスおおわれたものを彫刻ちょうこくしてつくったとつたえられている。このはなし真偽しんぎさだかでないが、アカンサスのしているのは事実じじつであるとかんがえられる。通常つうじょうは、柱頭ちゅうとう上下じょうげ8まいずつ、たがちがいにアカンサスまれるが、装飾そうしょくゆたかさと自由じゆうさによってヴァリエーションもおおく、はしら装飾そうしょくとしてこのまれた。

ウィトルウィウスは『建築けんちくについて』のだい四書ししょだいいちしょうにおいてコリントしきオーダーについてれ、その比例ひれい関係かんけいはイオニアしき同様どうようであるとしている。ただし、柱頭ちゅうとうのみははしら直径ちょっけいおなであるとしている。このため、コリントしきはイオニアしきよりもほっそりとした印象いんしょうあたえ、繊細せんさい肢体したい少女しょうじょなぞらえられる。セルリオは、このオーダーを処女しょじょマリアにささげられるものとかんがえた。

コンポジットしきオーダー

[編集へんしゅう]

混合こんごうしき」を意味いみする。柱頭ちゅうとう上下じょうげことなったオーダーの要素ようそわせたもので、通常つうじょうはとコリントしき上部じょうぶにイオニアしき渦巻うずまき模様もようせた柱頭ちゅうとうつ。しかし、渦巻うずまきのかわりにひと動物どうぶつあたまをあしらったものもられ、ヴァリエーションがおおい。アルベルティによって「発見はっけん」された。

構成こうせい

[編集へんしゅう]

エンタブレチュア

[編集へんしゅう]

エンタブレチュア(Entablature)は、オーダーさい上部じょうぶ水平すいへいはりで、コーニス(Cornice)、フリーズ(Frieze)、アーキトレーヴ(Architrave)からる。

イオニアしき場合ばあいであれば、コーニスは、上部じょうぶからじゅんせいシーマ(Cyma recta)・はんシーマ(Cyma reversa)・帯状おびじょうめん(Fascia)・けんおくり(Modillions)・オヴォロ(Ovolo)・がたかざり(Dentils)・はんシーマ(Cyma reversa)・たまえん(Astragal)から構成こうせいされ、アーキトレーヴははんシーマ・帯状おびじょうめんはんシーマ・帯状おびじょうめんたまえん帯状おびじょうめんからる。ドリスしきのコーニスにはトライグリフがけられるが、ウィトルウィウスによれば、これは木造もくぞう神殿しんでん屋根やね垂木たるき小口こぐちあらわしたものであるとされる。

ジャイアントオーダーが並ぶサン・ピエトロ大聖堂のファサード
ジャイアントオーダーがならサン・ピエトロだい聖堂せいどうのファサード

ジャイアントオーダー

[編集へんしゅう]

柱頭ちゅうとうはしら装飾そうしょく規定きていされる様式ようしきとはべつに、複数ふくすうかいにまたがってもうけられたとおばしらのオーダーをジャイアントオーダー[4]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 戸谷とたに英世ひでよ竹山たけやま清明きよあき建築けんちくぶつ様式ようしきビジュアルハンドブック』株式会社かぶしきがいしゃエクスナレッジ、2009ねん、152ぺーじ 
  2. ^ オーダーのなぞ魅惑みわく. 株式会社かぶしきがいしゃあきらこくしゃ. (1994-05-10) 
  3. ^ ビジュアルばん西洋せいよう建築けんちく. 丸善まるぜん株式会社かぶしきがいしゃ. (1996-03-30) 
  4. ^ 中島なかじま智章ともあき (2007ねん11月15にち). “西洋せいよう建築けんちくだい9かい バロック1−はん宗教しゅうきょう改革かいかく建築けんちく” (PDF). 工学院大学こうがくいんだいがく. 2024ねん8がつ2にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • ウィトルウィウスちょ 森田もりた慶一けいいち訳注やくちゅう『ウィトルーウィウス 建築けんちくしょ』(東海とうかい選書せんしょISBN 978-4-486-00502-5
  • ニコラス・ペヴスナーちょ 鈴木すずき博之ひろゆき監訳かんやく世界せかい建築けんちく辞典じてん』(鹿島かしま出版しゅっぱんかいISBN 978-4-306-04161-5