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クイズ100にんきました

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
クイズ100にんきました
ジャンル クイズ番組ばんぐみ
構成こうせい 日野ひのげんよう福岡ふくおか秀広ひでひろ
植竹うえたけ公和きんかず高橋たかはし秀樹ひでき
れい弘幸ひろゆき大倉おおくら利晴としはる
池田いけだひろしいく村田むらた松葉まつば 
ディレクター もりいさお加藤かとう嘉一きいち
佐野さの英樹ひでき小玉こだま滋彦しげひこ
熊谷くまがい信也しんやよしはし隆雄たかお 
司会しかいしゃ 関口せきぐちひろし
ナレーター 橋本はしもとテツヤ
屋根裏やねうらのアナウンサー)
音楽おんがく 服部はっとり克久かつひさ安川やすかわちゅうこころざし
製作せいさく
製作せいさくそう指揮しき 古賀こが一郎いちろう制作せいさく
プロデューサー もりいさお三角みすみ英一ひでかず
岩原いわはら貞雄さだお
製作せいさく TBS製作せいさく著作ちょさく
放送ほうそう
放送ほうそうこく地域ちいき日本の旗 日本にっぽん
1979ねん4がつから1984ねん9がつまで
放送ほうそう期間きかん1979ねん4がつ2にち - 1984ねん9月24にち
放送ほうそう時間じかん月曜日げつようび 19:00 - 19:30
放送ほうそうぶん30ふん
1984ねん10がつから1987ねん9がつまで
放送ほうそう期間きかん1984ねん10月1にち - 1987ねん9月28にち
放送ほうそう時間じかん月曜日げつようび 19:20 - 20:00
放送ほうそうぶん40ふん
1987ねん10がつから1992ねん9がつまで
放送ほうそう期間きかん1987ねん10月5にち - 1992ねん9月28にち
放送ほうそう時間じかん月曜日げつようび 19:00 - 19:30
放送ほうそうぶん30ふん
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クイズ 100にんきました』(クイズ ひゃくにんにききました)は、1979ねん4がつ2にちから1992ねん9月28にちまでTBS系列けいれつ毎週まいしゅう月曜日げつようびの19:00 - 19:30(JST[ちゅう 1])に放送ほうそうされていたクイズ番組ばんぐみである。司会しかい関口せきぐちひろし2003ねん2がつ3にちから2009ねん1がつ26にちまでCS放送ほうそうTBSチャンネルにてさい放送ほうそうされていた。

概要がいよう

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一般人いっぱんじん100にんたいしてったアンケート設問せつもんとし、その結果けっか推測すいそくして回答かいとうするという独自どくじ形式けいしきのクイズ番組ばんぐみである[1][2]。これはアメリカABCのクイズ番組ばんぐみファミリー・フュード』(フリーマントルメディア制作せいさく1976ねん開始かいし2021ねん現在げんざい放送ほうそうちゅう)がベースとなっている。

当初とうしょ1978ねん4がつ2にちから1979ねん3月25にちまで『家族かぞく対抗たいこうクイズ合戦かっせん』(毎週まいしゅう日曜にちよう14:30 - 15:00、一部いちぶ地域ちいきのみ)として放送ほうそう、これが好評こうひょうだったため、ゴールデンタイム移動いどう・ネットきょく拡大かくだい番組ばんぐみタイトルを改題かいだいして1979ねん4がつ2にち本番ほんばんぐみ(『クイズ 100にんきました』)の放送ほうそう開始かいしされた。番組ばんぐみめいこそわったが、司会しかいしゃ番組ばんぐみ内容ないようまったおなじである。

放映ほうえいデータ

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通常つうじょう放送ほうそう

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なお当時とうじ関口せきぐち同局どうきょくで『わくわく動物どうぶつランド』の司会しかい担当たんとうしており、TBSで1987ねん - 1991ねんはるあき(1991ねんはるのみ)に放送ほうそうされた『クイズまるごとだい集合しゅうごう』では関口せきぐちほかビートたけし大橋おおはし巨泉きょせん司会しかいおこなっていた(6もんあり、1人ひとりあたり2もんずつ担当たんとう)。それより以前いぜんにも1983ねん1984ねんには「スター対抗たいこうクイズ番組ばんぐみだい集合しゅうごう」においてタモリ司会しかいをしたこともある。

司会しかいスタイル

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  • これまでのクイズ番組ばんぐみ司会しかいしゃ司会しかいしゃせきすわっての方式ほうしきおおかったが、関口せきぐち司会しかいしゃせきにはすわらずタイピンマイクをけてスタジオをまわったりする方式ほうしき司会しかいをしていた(そののクイズ番組ばんぐみやバラエティー番組ばんぐみにも影響えいきょうあたえる)。一時期いちじき関口せきぐち出題しゅつだいちゅうおこなうひじを姿勢しせい視聴しちょうしゃからクレームをびたが、ぎゃくにある視聴しちょうしゃからは司会しかいしゃにも気楽きらく姿勢しせいでやっている、べつにひじをいてもわるくないというこえもあったことから、その定番ていばんとしてすっかりお馴染なじみになった。この姿勢しせいは、番組ばんぐみのヒントになったアメリカのクイズ番組ばんぐみ後述こうじゅつ)での司会しかいしゃならってのものとされる。
  • 出題しゅつだい関口せきぐち自身じしんげるが、関口せきぐち問題もんだいげるためのカード(前期ぜんきおおきめだったが、後期こうきちいさめになった。従来じゅうらいのクイズ番組ばんぐみ原稿げんこう用紙ようしがほとんどだったため、そののクイズ番組ばんぐみにも影響えいきょうあたえる)をっているために問題もんだい自体じたいらされているが、たとえこたえをっていても本当ほんとう正解せいかい正解せいかい順番じゅんばんなん番目ばんめにあるのかは一切いっさいわからない。すなわち、問題もんだいカードには正解せいかい一切いっさいかれておらず、パネルをひらいたさい本当ほんとう正解せいかいがわかる。もちろん、先攻せんこうこうおさむめるためのはや問題もんだいはやしボタンがされたさい問題もんだいげがまり、問題もんだいカードがうしろにかくされる)以外いがい順番じゅんばん解答かいとうするとき)は解答かいとうしゃのぞくことはできる。そのため、こたえの展開てんかいによっては関口せきぐち意外いがい表情ひょうじょうられることがあった。また、オープニングのトークは「関口せきぐちメモ」とかれたりのかみており、「トラベルチャンス」のとき関口せきぐち正解せいかい確認かくにんするさいはフロアディレクターがつカンニングペーパーをている。

声援せいえん

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回答かいとうのアタックおん最中さいちゅうに、観客かんきゃくの「ある!ある!ある!」の声援せいえんがあり、これが番組ばんぐみ定番ていばんフレーズとなる。また、正解せいかいになりそうもない回答かいとうをしたときは、観客かんきゃく一瞬いっしゅんあいだのち「ある!ある!ある!」のほかに「ない!ない!ない!」もはいじった声援せいえんおくっていた。なお、この声援せいえん番組ばんぐみ開始かいし当時とうじはなく、アタックおんのみであった。スタッフから観客かんきゃくへの指示しじではない。

進行しんこうやくとナレーターの役割やくわり分担ぶんたん

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番組ばんぐみ特色とくしょくとして、橋本はしもとテツヤのナレーションによる番組ばんぐみ進行しんこうりであった。番組ばんぐみのタイトルコール、出場しゅつじょうチームの紹介しょうかい進行しんこうやく紹介しょうかい冒頭ぼうとう提供ていきょう[ちゅう 3]宿題しゅくだいクイズの応募おうぼのおらせ、トラベルチャンスの説明せつめい番組ばんぐみのエンディングの挨拶あいさつ視聴しちょうしゃプレゼントのおらせもナレーションの橋本はしもと一括いっかつして担当たんとうしていた。

これは番組ばんぐみ構成こうせいじょう番組ばんぐみ進行しんこう収録しゅうろく円滑えんかつおこない、司会しかい関口せきぐち進行しんこうやく橋本はしもと屋根裏やねうらのアナウンサーという体裁ていさいをとっていたことやマンネリ化まんねりか打破だはさらには関口せきぐちへの負担ふたん軽減けいげんするためであった。したがって橋本はしもと実質じっしつてき総合そうごう司会しかいてき役割やくわりち、関口せきぐち番組ばんぐみのタイトルコール、出場しゅつじょうチームの紹介しょうかい進行しんこうやく紹介しょうかい番組ばんぐみのエンディングでのめの挨拶あいさつ一切いっさいしていない。過去かこに1かいだけ、司会しかい関口せきぐち進行しんこうやく屋根裏やねうらのアナウンサーのやくつとめたかいもあるが、これは橋本はしもと都合つごうにより収録しゅうろくやすんだためである。オープニングの関口せきぐち登場とうじょうには、橋本はしもとが「「クイズ100にんきました」進行しんこうやくは、○○な(内容ないよう毎回まいかいわる)せきぐちーひろし」と紹介しょうかいしていた(初期しょきせい語尾ごびをあまりばさなかった)。『クイズまるごとだい集合しゅうごう』では「おおはしーきょせん」や「ビートーたけし」もあった。

ナレーション担当たんとうによる番組ばんぐみ進行しんこうは、アメリカのクイズ番組ばんぐみ(ゲームショー)やスタジオトークショーでは一般いっぱんてき形式けいしきで、この番組ばんぐみはその形式けいしきもまるごとれている。同様どうようにアメリカの番組ばんぐみザ・プライス・イズ・ライト』を翻案ほんあんしたTBSの『ザ・チャンス!』や、『マッチ・ゲーム英語えいごばん』を翻案ほんあんしたフジテレビの『アイ・アイゲーム』も、同様どうよう形式けいしきになっていた。

最終さいしゅうかい

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出場しゅつじょうしゃ応募おうぼ減少げんしょうとTBSの番組ばんぐみ編成へんせい見直みなおしにより、1992ねん9月28にち放送ほうそうされた1あいだスペシャルをもって終了しゅうりょうし13ねんはん歴史れきしまくろした。この最終さいしゅうかい1あいだ特番とくばん公開こうかい生放送なまほうそうによる「感謝かんしゃだいたなぞろえスペシャル」としておこなわれ、芸能人げいのうじん多数たすう出場しゅつじょうした。

最終さいしゅうかいおも出場しゅつじょうしゃ
一般いっぱん聴者ちょうしゃから3くみ家族かぞくも「参加さんか」として出場しゅつじょうした
最終さいしゅうかい特徴とくちょう
  • 生放送なまほうそう時間じかんゆるかぎり、できるだけおおくのチームに回答かいとうして、ハワイ旅行りょこうってもらうため一発いっぱつ勝負しょうぶいちもんかぎり)とし、そこでったチームがトラベルチャンス(通常つうじょうおながたで、ハワイ旅行りょこう決定けってい天井てんじょうから紙吹雪かみふぶきったが、紙吹雪かみふぶき風船ふうせん通常つうじょうよりすくなかった。また通常つうじょう使用しようしたトラベルチャンスようのパネルは使つかわず、マルチビジョンを使つかって回答かいとうおこなった。また、何人なんにんくかの表示ひょうじ百太郎ももたろうのマークではなく、さい上部じょうぶのデジタル表示ひょうじ使つかった)をおこなうというかたちだった。
  • だいいちもん上段じょうだん下段げだん水色みずいろ中段ちゅうだん黄色おうしょくこたえのかず緑色みどりいろ百太郎ももたろう黄色おうしょく
  • トラベルチャンスのこたえのかず水色みずいろ百太郎ももたろう緑色みどりいろ

通常つうじょう放送ほうそう終了しゅうりょうのリバイバル

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趣旨しゅし

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問題もんだいレベル

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  • 解答かいとうパネラーは一般いっぱん視聴しちょうしゃ5にんでチームをみ、2チームで得点とくてんあらそう(通常つうじょう家族かぞく親類しんるい同士どうしかいによっては芸能人げいのうじんなど。大学だいがくクイズサークル同士どうしまれにあり)。そのため大概たいがい出場しゅつじょうもうみの告知こくちテロップが番組ばんぐみない表示ひょうじされた場合ばあい、5にん全員ぜんいん名前なまえとそれぞれの続柄つづきがられいとして代表だいひょうしゃは「ちちつづいて「はは」、以下いか長女ちょうじょ」もしくは「いとこ」など)を記入きにゅうするむね表示ひょうじされていた。
  • 問題もんだいは「都内とない勤務きんむするOL100にんきました、こたえは7つ。昼休ひるやすみにオススメの休憩きゅうけいスポットといえばどこ?」のように出題しゅつだいされる。
  • よりおおくのひとこたえた回答かいとうから1・2・3…とならんでいる。
  • こたえとなりうるのは基本きほんてき2人ふたり以上いじょうこたえたものであるが、こたえのかず表示ひょうじパネルの都合つごうじょう最大さいだい9つであるため、回答かいとう人数にんずう同数どうすうになったこたえが複数ふくすうある場合ばあい2人ふたり以上いじょうこたえていても少数しょうすう意見いけんになる場合ばあいもある(この「少数しょうすう意見いけん」すなわちボツとなった意見いけんについては途中とちゅうのCMまえ紹介しょうかいされる場合ばあいがある。なかにはちんこたえおおく、スタジオないだい爆笑ばくしょうになる)。このため、大概たいがい全部ぜんぶけても有効ゆうこう回答かいとう合計ごうけい人数にんずうは100にんにはならなかったが、まれに合計ごうけい100にんになる場合ばあいもあった。また、こたえのかず最大さいだいでも9つであるが、ほとんどの問題もんだいこたえは5 - 8つになっている。ごくまれに4つの場合ばあいもあり、番組ばんぐみ史上しじょうもっとすくなかったのは3つである。こたえが8つまでの場合ばあいあまったパネルには百太郎ももたろうマーク[ちゅう 5]表示ひょうじされるが、こたえが9つある場合ばあいはパネルがすべまっているため百太郎ももたろうマークは表示ひょうじされない。

オープニング

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  • 画面がめんかって左側ひだりがわあかチーム、右側みぎがわあおチームにかれており、タイトル表示ひょうじ橋本はしもと紹介しょうかいあかチーム、あおチームのじゅん出場しゅつじょうしゃ登場とうじょう音楽おんがく変更へんこうされた初期しょきは、りょうチーム同時どうじ登場とうじょうした)。そしてあおチームの登場とうじょうこうから関口せきぐち登場とうじょう初期しょきは、手前てまえから画面がめんにフレームインするかたち登場とうじょうした)、かくチームの出場しゅつじょうしゃをタッチする。その関口せきぐちわらいをまじえたオープニングトークにクイズ開始かいしとなる。
    • スペシャルではぜんチームがあかチーム、あおチームそれぞれの登場とうじょうこうから交互こうご登場とうじょうし、スタジオ中央ちゅうおう紹介しょうかいけてうしろにがっていた。関口せきぐち登場とうじょうしてオープニングトークわせ抽選ちゅうせんをしていた。
    • なお、2000ねん大晦日おおみそか放送ほうそうのSAMBA・TVのオープニングトークは、銀座ぎんざの30・40だい男女だんじょ100にんいた「『クイズ100にんきました』といて、まずなにおもすか」の結果けっか発表はっぴょうされ、1は「関口せきぐちひろし」で80にん、2は「ある!ある!ある!」で11にん、3は「司会しかいしゃがひじをつく」で3にん、4は「トラベルチャンス」で2人ふたり、5は「キツネのマーク」で2にんであった。これらの人数にんずう合計ごうけいすると98にんとなり、のこりの2人ふたり少数しょうすう意見いけんとして発表はっぴょうされ、1人ひとりは「『見送みおくり』のはた」、もう1人ひとりは「友人ゆうじん出場しゅつじょうしてハワイへった」であった。
  • なおオープニングは、初期しょきから後期こうき正面しょうめんの9分割ぶんかつスクリーンでタイトル表示ひょうじをしていた(上段じょうだん下段げだんにアンケートにこたえてくれた一般いっぱんひと中段ちゅうだん「ク」「イ」「ズ」表示ひょうじされ、スクリーンのえで上段じょうだん「10」「0にん」「に」中段ちゅうだん「聞」「き」「ま」下段げだん「し」「た」「百太郎ももたろうマーク」表示ひょうじされるが、スペシャル番組ばんぐみとき百太郎ももたろうマークが「スペシャル」クイズまるごとだい集合しゅうごうとき「クイズまるごとだい集合しゅうごう表示ひょうじされ、ウルトラマンVS仮面かめんライダーのかいでは、ウルトラマンと仮面かめんライダーのミニキャラクターが表示ひょうじされた。なお、家族かぞく対抗たいこうクイズ合戦かっせんときは、9めん百太郎ももたろうマークがされ、スクリーンのえで上段じょうだんいえ」「ぞく」「対抗たいこう中段ちゅうだん「ク」「イ」「ズ」下段げだんごう」「せん」「百太郎ももたろうマーク」表示ひょうじされていた)。音楽おんがくわった末期まっきはスタジオ全体ぜんたいうつされ、9分割ぶんかつのスクリーン全部ぜんぶにアンケートにこたえてくれた一般いっぱんひと、タイトル表示ひょうじがテロップ表示ひょうじ変更へんこうされる。
    • 最終さいしゅうかいSPではスクリーン全体ぜんたいに「100にんきました 最終さいしゅうかい 感謝かんしゃ大棚おおたなざらえ スペシャル」のタイトルがうつされ、それをななじょうからうつしておなじタイトルテロップを表示ひょうじさせた。

通常つうじょう問題もんだい

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  • 問題もんだいぜん5もん(40ふん時代じだいぜん6もん、1990ねん10がつから1992ねん4がつごろまでは4もん)で、40ふん時代じだいは5もんと6もん、30ふん時代じだい最終さいしゅう問題もんだい獲得かくとく得点とくてん2ばい逆転ぎゃくてんチャンス問題もんだいとなる。
  1. 問題もんだいごと先攻せんこうこうおさむめるため、かくチームから解答かいとうしゃが1にんずつパネルのまえ設置せっちされている解答かいとうだいる。2もん以降いこうじゅん後方こうほううつる。6もん代表だいひょうせん任意にんいのメンバーがる。そのさいたがいに握手あくしゅわすこととなっており、わさなかった場合ばあいでも関口せきぐち握手あくしゅうながす(まれ握手あくしゅをしなかったにもかかわらずうながさないでスルーしたことがある)。これはだい1かい放送ほうそうで、最初さいしょ解答かいとうしゃ解答かいとうだいてきたとき関口せきぐちが「おたがいに握手あくしゅでもしましょうか」とうながしたのがきっかけである。
  2. 関口せきぐち問題もんだいげ、はやしで解答かいとうけんて、順位じゅんいたか回答かいとうてる(相談そうだん不可ふか)。はやした解答かいとうしゃ解答かいとうして1てると、無条件むじょうけんにそのチームが先攻せんこうとなるが、1てられなければ相手あいてチームに解答かいとうけんうつり、まえ回答かいとうよりたか順位じゅんい回答かいとうてれば先攻せんこうとなる。回答かいとう人数にんずうおな回答かいとうこたえた場合ばあいはパネルの番号ばんごう関係かんけいなく、はやしボタンをはやしたチームが先攻せんこうとなる(たとえばしをはやしたがわが6ばんのちこたえたがわが5ばん回答かいとうけたとしても、5ばんと6ばん回答かいとう人数にんずうおなじなら、はやしボタンをはやしたがわのチームが先攻せんこうとなる)。ただ両者りょうしゃ正解せいかいない場合ばあいは、1つでも正解せいかいるまでつづく。
  3. 先攻せんこうチームは1にんずつ順番じゅんばん解答かいとうする(相談そうだん)。なお、こたえの範囲はんいひろすぎる(れいとして「ごちそうとえばなに?」の問題もんだいに「にく」とこたえる)、2つ以上いじょうこたえがふくまれるなど、こたえた回答かいとう曖昧あいまい正誤せいご判定はんていがしつら場合ばあいは、アタックおん途中とちゅうでピンポンおんすうかいらされ、より具体ぐたいてき回答かいとうをいいなおす。アタックには観客かんきゃくが「あるあるあるある!」と連呼れんこしたあと、カメラがスクリーンにかってズームする(こたえがのこり1つのときにはその1まいのパネルにズームする)。正解せいかいするとピンポンおんともにパネルがひらき、こたえた人数にんずう得点とくてんとしてパネル上部じょうぶしろい7セグの得点とくてんばんにプールされ、すべてのパネルがひらく(そのときのピンポンおんながい)と先攻せんこうチームがその合計ごうけいてん獲得かくとくできる。
  4. 正解せいかい場合ばあい(パネルにない回答かいとう、1回答かいとうう)や制限せいげん時間じかんない制限せいげん時間じかんいっぱいで、警告けいこくとしてブザーをみじかすうかいらされる)にこたえられないなどの場合ばあいは、ブザーをらされお手付てつきとなり(画面がめんには□のなかに×マーク(ジャギー赤色あかいろ)がる)、四角よつかど白地しろじあか縁取へりとりされたあかいバツマークのプラカードをたされる。3かいのおつきで先攻せんこうチームは一旦いったん失格しっかく解答かいとうけんくなり、こうおさむチームに解答かいとうけんうつる(先攻せんこうチームが解答かいとうちゅうあいだに、こうおさむチームは相談そうだんをしてこたえをまとめる)。こうおさむチームは解答かいとうけんは1かい関口せきぐちの「せーの」のごえのち全員ぜんいんこたえ、正解せいかい正解せいかいぶん得点とくてん先攻せんこうチームがプールした得点とくてん合計ごうけいてん獲得かくとく先攻せんこうチームは正式せいしき失格しっかくとなる。正解せいかい場合ばあいこうおさむチームが失格しっかくとなり、プールされている得点とくてん先攻せんこうチームが獲得かくとくする。
  5. 最終さいしゅうてき得点とくてんおおいチームが勝利しょうり(そのさい、「勝利しょうり ○○チーム」のテロップがる)。「トラベルチャンス」の挑戦ちょうせんけんる。
特別とくべつ企画きかくでのルール
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1あいだ拡大かくだいして放送ほうそうされる特番とくばん大学だいがく対抗たいこうゲスト大会たいかい)などではつぎのルールが適用てきようされた。

  • クイズまえに、かくチーム代表だいひょう所持しょじしているボールを抽選ちゅうせんボックスにれ、関口せきぐち抽選ちゅうせんえらばれたくみ同士どうし対戦たいせんする。勝利しょうりチームは決勝けっしょう進出しんしゅつやぶれたくみは、ペケ決定けっていせん最下位さいかい決定けっていせん)へまわる。
  • ペケ決定けっていせんは、宿題しゅくだいクイズの要領ようりょうで、あらかじめ上位じょうい回答かいとうをいくつかけ、中位ちゅうい回答かいとう(?のマークが順位じゅんい回答かいとう)がなにだったかをてる。筆記ひっきしきで、1人ひとり正解せいかいにつき1てん(5にん全員ぜんいん正解せいかいなら5てん)。勝利しょうりしたチームは最下位さいかいのチームの賞金しょうきん全額ぜんがくうばることができる。これでも決着けっちゃくかない場合ばあいはサドンデスとしてかくチームの代表だいひょうしゃ1めい一発いっぱつ勝負しょうぶ通常つうじょう問題もんだい挑戦ちょうせんし、点数てんすうたか回答かいとうてたチームが勝利しょうり
  • 決勝けっしょうせんは3もんおこない、勝利しょうりしたチームがトラベルチャンスの挑戦ちょうせんけんる。

宿題しゅくだいクイズ

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40ふん放送ほうそう設定せっていされたコーナーで4もん終了しゅうりょうおこなわれ、100にんから調査ちょうさした結果けっかうち1つを視聴しちょうしゃてるコーナーで大抵たいていは1だが1圧倒的あっとうてき多数たすう場合ばあい2または3てるコーナーである。それ以外いがいこたえはあらかじめひらかれ、ヒントとしている。問題もんだいこたえを応募おうぼして正解せいかいしゃから抽選ちゅうせん百太郎ももたろうのぬいぐるみがプレゼントされる。宿題しゅくだいクイズの解答かいとう次週じしゅうに「おさらいクイズ」として宿題しゅくだいクイズののち前回ぜんかい宿題しゅくだいクイズの解答かいとう発表はっぴょうされる。こたえのかず通常つうじょう問題もんだいくらすくないケースがおおかった(こたえ4 - 6つがほとんど、まれに3つということもあった)。30ふんもどったのち直前ちょくぜん問題もんだい宿題しゅくだいクイズとしていた。まれにだい1もん出題しゅつだいまえおこなときもあった。クイズのヒントとして司会しかいしゃから「宛先あてさき、その屋根裏やねうらの○○がご案内あんないします」と○○の部分ぶぶんには正解せいかいのヒントになることをっていた(TBSチャンネルでのさい放送ほうそうでは一部いちぶかいをのぞき、CMまえはいっていたためその部分ぶぶんはカットされている)。

作戦さくせん

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家族かぞく対抗たいこうのクイズ番組ばんぐみということもあり、作戦さくせんてきなものはほとんど存在そんざいせず、純粋じゅんすいこたえをってきそうことが基本きほんだが、まれに「勝敗しょうはいにこだわった」作戦さくせん実行じっこうするチームも存在そんざいした。それは、最終さいしゅう問題もんだいでリードしているチームが最初さいしょ解答かいとうけんるが、そのなに回答かいとうしなかったり故意こい間違まちがえて、お手付てつき3つでけているのちおさむチームにそのまま解答かいとうけんうつすことがすうかいあった。これでのちおさむチームが正解せいかいして点数てんすうが2ばいになっても相手あいてチームの点数てんすうかず、けてしまう可能かのうせいがある。点数てんすうが100てん以上いじょうときこりやすく、こうおさむチームの回答かいとうけんが1かいであることが要因よういんであるが、こうおさむチームがそれにづいたとしても対抗たいこうさくがなく、どうすることもできない。

トラベルチャンス

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  • 勝利しょうりチームが挑戦ちょうせんし、解答かいとうしゃ5にんが1にんずつ順番じゅんばんに1もん1とう問題もんだい回答かいとう解答かいとうしゃこたえをおしえてもかまわない。また、当初とうしょは1もんごとにアンケート対象たいしょうことなる問題もんだい出題しゅつだいされたが、のちにテーマを発表はっぴょうして5もんすべてアンケート対象たいしょう同一どういつである問題もんだい出題しゅつだいする方式ほうしきわった)。最終さいしゅうてきに5にん合計ごうけい獲得かくとく点数てんすうによって、LOOK JTB当初とうしょは「日本交通公社にほんこうつうこうしゃ」でのちにJTBに社名しゃめい変更へんこう)によるハワイ旅行りょこうける人数にんずう決定けっていする。
  • 「トラベルチャンス」では、9分割ぶんかつスクリーンではなく、専用せんようソラリーしき(フラップしき表示ひょうじ装置そうちきのパネルでおこなわれる。前期ぜんきはキャスターしきで、後期こうき天井てんじょうからげられる方式ほうしきとなっていた。
  • パネルは、うえから1だんに「トラベルチャンス」のタイトル(前期ぜんきのキャスターしきパネルにはなかった)、2だんは5つの百太郎ももたろうランプで、旅行りょこう獲得かくとく人数にんずうおうじてひだりから順番じゅんばんにランプがき、3だんみぎ部分ぶぶんは3けたのフラップばんの「TOTAL」表示ひょうじで、1もんごと合計ごうけい点数てんすう表示ひょうじされ、4だん以降いこう問題もんだい回答かいとうのメインのフラップばん回答かいとう人数にんずうの2けたのフラップばんが、それぞれ5つずつある。なお、2チーム対戦たいせん形式けいしきのトラベルチャンスと最終さいしゅう回生かいせい放送ほうそうスペシャルでは通常つうじょう問題もんだいおなじく9分割ぶんかつのマルチスクリーンが使つかわれた。また、2004ねん3がつの『ぴったんこカン・カンはる祭典さいてん』では得点とくてん部分ぶぶんあかいデジタル表示ひょうじとなった。スタート当初とうしょはタイトル表示ひょうじく、合計ごうけい点数てんすう表示ひょうじされていなかった。
  • コーナー開始かいしまえには、関口せきぐちの「○○(勝利しょうりチームのチームめい)チーム、○○まん○○○○えん獲得かくとく賞金しょうきん獲得かくとくして、トラベルチャンス!」とコールしたのちにアタックおんながれて、9分割ぶんかつスクリーンにタイトルが表示ひょうじされる。パネルがキャスターしきだった前期ぜんきはCMけにパネルがセットのなかかれていたが、しきとなった後期こうきはアタックおんわせて天井てんじょうからパネルがりてきて、終了しゅうりょう即座そくざ天井てんじょうもどされた。
  • 解答かいとうしゃ回答かいとうったのち関口せきぐちが「○○(回答かいとうふく唱)、トラベルチャンス!」とコールするとドラムロールがってメインのフラップばんうごき、最初さいしょはすぐ回答かいとうないように、9つの飛行機ひこうきのマークがパラパラ漫画まんがようひだりからみぎうごいたのち(ウルトラマンVS仮面かめんライダーのかいでは、すうもんぶウルトラマン、偶数ぐうすうといはバイクではし仮面かめんライダーがうごく)、解答かいとうしたこたえがある場合ばあいはチャイムがりながら[ちゅう 6] メインのフラップばん順位じゅんい回答かいとう右側みぎがわの2けたのフラップばん回答かいとう人数にんずう表示ひょうじ正解せいかい場合ばあいはブザーがらされ、メインのフラップばんあか縁取へりとりされた四角よつかどなかあかいバツマーク(画面がめんにも□のなかに×マーク(ジャギー、赤色あかいろ)がる)、右側みぎがわのフラップばんに「0」が表示ひょうじされる。その関口せきぐちおも回答かいとう発表はっぴょうちゅう[ちゅう 7]画面がめんテロップで回答かいとう上位じょうい3つと人数にんずうされる。
  • 最終さいしゅうてきに60てん以上いじょう獲得かくとくするとファンファーレり、天井てんじょうから大量たいりょう紙吹雪かみふぶき風船ふうせんあかチームはあかだいだいももしろかく2ずつ、あおチームはあおみどりしろかく2ずつのけい8)がり、さらには客席きゃくせきからかみテープんだ。なお、ってきた風船ふうせん出場しゅつじょうしゃあるいは観客かんきゃく子供こどもたちがもらうことができた(初期しょき風船ふうせんがなかった)。
  • 得点とくてん旅行りょこうける人数にんずう以下いかとおり(番組ばんぐみでのルール説明せつめいでは、☆ではなく百太郎ももたろうマークが表示ひょうじされる)。
    • 120てん以上いじょう…☆☆☆☆☆
    • 100てん 〃 …☆☆☆☆
    • 80てん 〃 …☆☆☆
    • 70てん 〃 …☆☆
    • 60てん 〃 …☆
    • 59てん以下いか…0
  • クイズちゅうにハワイ旅行りょこう獲得かくとく1人ひとり決定けっていするごとに、関口せきぐちがチームカラーの百太郎ももたろうマークがはいった帽子ぼうし初期しょきはピンクと水色みずいろ帽子ぼうしだった)を解答かいとうしゃかぶせ、最終さいしゅうてき人数にんずう決定けっていすると関口せきぐちからハワイ旅行りょこう獲得かくとくした解答かいとうしゃにLOOK JTBの旅行りょこうカバンをわたされ、獲得かくとく出来できなかった解答かいとうしゃけチームの解答かいとうしゃはチームカラーにしろで「見送みおくり」とかれたペナントかたちをしたはたつ(初期しょきはピンクに赤字あかじ水色みずいろあおだった)。またテレビ画面がめんには「おめでとう!! ハワイのたびめいさま招待しょうたい」の字幕じまくスーパーが表示ひょうじされる(1991ねん3がつまでは勝利しょうりしたチームのいろ文字もじ[ちゅう 8]1991ねん4がつからは金色きんいろ文字もじ表示ひょうじされた[ちゅう 9])。また、59てん以下いか場合ばあいあいだけたBGM[ちゅう 10]ながれ、紙吹雪かみふぶき風船ふうせんらず旅行りょこう獲得かくとくしゃなし・全員ぜんいん見送みおくりで失格しっかく画面がめんじょうでは「残念ざんねん!」表示ひょうじ)となり、客席きゃくせきからのかみテープもばなかった。こう得点とくてんかせぎつつ、問題もんだい途中とちゅうで120てん以上いじょうたっした場合ばあい先述せんじゅつ規定きていならいつつ、その時点じてん問題もんだいのこっていてもそのままって全員ぜんいんハワイ旅行りょこう獲得かくとく決定けっていとなる。
  • 前身ぜんしんの「家族かぞく対抗たいこう…」時代じだい前期ぜんき解答かいとうしゃせきではなく、「トラベルチャンス」のパネルのまえ紙吹雪かみふぶきった。
  • 海外かいがい旅行りょこう当初とうしょシンガポールバンコク香港ほんこんの3カ所かしょのちグアムサイパンの2カ所かしょだったが、最終さいしゅうてきにハワイにいた。前身ぜんしんの『家族かぞく対抗たいこうクイズ合戦かっせん』もおなじパターンだった。
  • かいによっては、特別とくべつ企画きかくとして5つのメインフラップばん問題もんだいのテーマがされ、そのなかからきな問題もんだいえらんで解答かいとうする「えらべるトラベル」や、日本人にっぽんじん外国がいこくじんなど、種類しゅるいのアンケート対象たいしょうしゃおなじ・類似るいじ[ちゅう 11] したアンケートを回答かいとう一方いっぽうのアンケート対象たいしょう結果けっか参考さんこうにして、もう一方いっぽうのアンケート対象たいしょうしゃ回答かいとうてる「くらべるトラベル」とうもあった。また、くらべるトラベルでは、めくりフリップを使つかって一方いっぽうのアンケート対象たいしょうしゃ回答かいとう発表はっぴょう問題もんだいし、解答かいとうにもう一方いっぽうのアンケート対象たいしょうしゃ解答かいとう発表はっぴょうした。
  • ハプニングとして、スタッフのミス失格しっかくになったのに紙吹雪かみふぶき風船ふうせんらせてしまったかいもあったり、だれもいない敗者はいしゃチームの解答かいとうせき紙吹雪かみふぶき風船ふうせんらせてしまったかいもあった。また「トラベルチャンス」の最中さいちゅういたっていた風船ふうせんちてきたり(関口せきぐちが「もう5にん獲得かくとくになったの?」と発言はつげんした)、なにかの拍子ひょうし風船ふうせんれてしまうハプニングもあった。
  • 全員ぜんいん見送みおくり・失格しっかくとなるBGMは3だいのパターンがあって、初代しょだい前半ぜんはんのクイズで3もん×がついたときと逆転ぎゃくてんチャンスで失敗しっぱいしたときおなじもの(最後さいごに「コケ」とはい音調おんちょうのもの)、2代目だいめは「ヒューードン」の音調おんちょうのもの、3代目だいめはしおれた雰囲気ふんいきのものとなる(なお、3代目だいめのBGMは出身しゅっしん大学だいがくべつ芸能人げいのうじんチーム対戦たいせん最下位さいかいになったチームでもながれていた)。
  • 正解せいかいをしたり下位かいこたえをげて5にん全員ぜんいん獲得かくとく困難こんなんになると、こたえた解答かいとうしゃにあらかじめ見送みおくりのはたたせることもられた。ぎゃく上位じょういこたえをげて5にん全員ぜんいん獲得かくとく貢献こうけんした解答かいとうしゃには60てん到達とうたつしない段階だんかいから帽子ぼうしをかぶせることもあった。
  • ほとんどのかい最低さいてい1にんハワイ獲得かくとくしゃ出来できたが、ハワイ旅行りょこう全員ぜんいん見送みおくり、失格しっかくとなったかい毎年まいとしすうかいかならずあった(4にんまで正解せいかいで0てん、またはてい得点とくてんしか獲得かくとく出来できず、アンカーでようやく1点数てんすう獲得かくとくしても1人ひとり獲得かくとく条件じょうけんの60てんにならず、失格しっかくするケースもあった。また、5にん全員ぜんいん獲得かくとくすると宣言せんげんしながら、結局けっきょく失格しっかくとなる不運ふうん結果けっかになったかいや2しゅう連続れんぞく失格しっかくとなったことも過去かこにあった)。なかにはハワイ旅行りょこう1人ひとり獲得かくとくできず、あまりのくやしさに号泣ごうきゅうしたひともいた。
  • 1989ねん5月1にち放送ほうそうだい515かいでは10周年しゅうねんスペシャルトラベルチャンスのとき史上しじょうはつのチーム対戦たいせん実施じっし回答かいとう表示ひょうじ従来じゅうらいのフラップボードではなく通常つうじょう問題もんだいの9分割ぶんかつスクリーンを使つかい、センターのはやだいでの1たい1の対決たいけつで、関口せきぐち問題もんだいはやし、はやした先攻せんこう解答かいとうしゃこたえて回答かいとうした人数にんずう点数てんすうとして加算かさんつぎせなかったのちおさむ解答かいとうしゃこたえてごたえた人数にんずう点数てんすうとして加算かさんされ、合計ごうけい得点とくてんかくチームのスコアボード、獲得かくとく人数にんずうかくチームのスコアボード上部じょうぶされた百太郎ももたろうランプに表示ひょうじされる。これを順番じゅんばんに5かいおこない、獲得かくとくした点数てんすうおおいチームが優勝ゆうしょうとなり、点数てんすうおうじた人数にんずうぶん旅行りょこう獲得かくとく獲得かくとく人数にんずう点数てんすう条件じょうけん通常つうじょうおなじ)、点数てんすうすくなかったチームは点数てんすうにかかわらず全員ぜんいん見送みおくり」となる。なので先攻せんこう解答かいとうしゃは1ねらう、こうおさむ解答かいとうしゃはは先攻せんこうが1なら2ねらう、先攻せんこうが2以下いかなら1ねら必要ひつようがあり、無条件むじょうけんで1こう得点とくてんねらえる先攻せんこう有利ゆうり、1こう得点とくてんてられないよううんてんまかせるしかないのちおさむは、やや不利ふりである。このとき海外かいがい旅行りょこうはハワイではなく、オーストラリアだった。この対戦たいせん形式けいしきのトラベルチャンスはそれ以降いこうもスペシャルばん1992ねん8がつ10日とおか17にち24にち放送ほうそうだい678かい - だい680かい夏休なつやす高校生こうこうせい大会たいかい)でもおこなわれた。パネルのいろは、トラベルチャンスのこたえのかず赤色あかいろ百太郎ももたろう黄色おうしょくとなっていた。
  • 過去かこ放送ほうそうなかには4にんまでに得点とくてんが120てん以上いじょう獲得かくとく全員ぜんいん獲得かくとく確定かくていして、アンカーをおこなわずに終了しゅうりょうしたかいがあるが、放送ほうそうされなかった問題もんだい宿題しゅくだいクイズとしてあつかわれた。
  • 1989ねん12月18にち同年どうねん12月25にち1990ねん1がつ8にち放送ほうそうだい547かい - だい549かい)では、3かい連続れんぞくでトラベルチャンスで全員ぜんいん獲得かくとくし、ハワイ旅行りょこうくことができたこともあった。
  • ハワイ旅行りょこう獲得かくとく人数にんずうが4にん以下いか場合ばあい司会しかい関口せきぐち女性じょせい解答かいとうしゃ優先ゆうせんてき帽子ぼうしをかぶせ、男性だんせい解答かいとうしゃ見送みおくりのはたたせることがおおかった。そのために、「関口せきぐち女性じょせいたいする態度たいどあまい」、「帽子ぼうしこう得点とくてんったじゅんからかぶせるべき」などという批判ひはん投書とうしょ番組ばんぐみおおせられていた。ときには子供こども優先ゆうせん帽子ぼうしをかぶせるケースもあったが、こちらはあまり批判ひはん投書とうしょかった。
  • 2004ねん3月30にちの『ぴったんこカン・カンはる祭典さいてん』での「トラベルチャンス」は解答かいとうしゃが1・2回戦かいせんが3にん、3回戦かいせんが6にんで、1・2回戦かいせんでは70てん以上いじょう全員ぜんいん獲得かくとく、60てんだいで4にん、50てんだいで3にん、40てんだい2人ふたり、30てんだい1人ひとり、30てん未満みまんだと失格しっかく、3回戦かいせんのみ75てん以上いじょう全員ぜんいん獲得かくとく、65てんから74てんまでだと5にん、55てんから64てんだと4にん、45てんから54てんだと3にん、35てんから44てんだと2人ふたり、25てんから34てんだと1人ひとりで、24てん以下いかだと失格しっかくとなった。また、「素晴すばらしい!全員ぜんいんハワイ獲得かくとく!」(久本ひさもと担当たんとうして全員ぜんいん獲得かくとく)、「うん、ちょっとまよっているか?」(最後さいご問題もんだい)→(その問題もんだいが0にん正解せいかいとなってしまい)「残念ざんねん!ハワイ旅行りょこうはおぽうのみ!」(安住あんじゅう担当たんとうして2にんしか獲得かくとく出来できず)などと実況じっきょうまでしていた。
  • 関口せきぐちがハワイ旅行りょこう獲得かくとくしゃ確定かくていにコメントすることはなく、エンディングの歓声かんせい拍手はくしゅ渦巻うずまなか橋本はしもとがハワイ旅行りょこう獲得かくとく人数にんずう獲得かくとく賞金しょうきん早口はやくち紹介しょうかいした。
  • アメリカをはじめ世界せかい各国かっこく放送ほうそうされている「ファミリー・フュード」では、最後さいご賞金しょうきん獲得かくとくクイズとして、2人ふたり代表だいひょうしゃにクイズを出題しゅつだいし、200てん目指めざす「ファスト・マネー」が採用さいようされている。回答かいとうしゃこたえを即座そくざ電光でんこう掲示板けいじばん表示ひょうじする演出えんしゅつがあるが、当時とうじ日本にっぽん技術ぎじゅつでは仮名かめいじりぶん表示ひょうじ困難こんなんであったため、日本にっぽんオリジナルの「トラベルチャンス」がつくられた。

賞金しょうきん

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  • 賞金しょうきんは1てんにつき500えんのち1987ねん10月から700えん変更へんこう1991ねん4がつから4もん時代じだい末期まっき・SAMBA TVは1,000えん)。このほかに1987ねん10月5にち放送ほうそうだい438かいでは19:00に引越ひっこし(正確せいかくには3ねんぶりにどう時刻じこく復帰ふっき)した記念きねんとして7(7:00)にちなんでりょうチームに700えんが、1991ねん1がつ28にち放送ほうそうだい600かいでは記念きねんりょうチームに600えん特別とくべつ賞金しょうきん加算かさんされたり、300かい、400かい、500かい、600かいごとにおいとしてスタジオの観客かんきゃく記念きねんひんとして放送ほうそう回数かいすう焼印やきいんされた紅白こうはく饅頭まんじゅうがプレゼントされた。
  • 最終さいしゅうかいかんしては1てんにつき700えんだった。

団体だんたいせんルール

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1992ねん8がつ10日とおか17にち24にち放送ほうそうの「夏休なつやす高校生こうこうせい大会たいかい」(だい2予選よせん)や「クイズまるごとだい集合しゅうごう」などでは団体だんたいせんおこなわれることもあった(なお、『クイズまるごとだい集合しゅうごう』では1990ねんあきかい1990ねん10月2にち放送ほうそう)から)。ルールは以下いかとおり。

  • 関口せきぐち問題もんだいげたのちはやしではやしたチームから順番じゅんばんに、最大さいだいはやし4番目ばんめのチームまで解答かいとうけんる。それ以降いこうのチームには解答かいとうけんい。
  • はやし1番目ばんめチームから解答かいとう正解せいかいこたえた人数にんずうがチームの得点とくてんとしてプールされ、回答かいとう全部ぜんぶけると得点とくてんすべり。正解せいかいはやし2番目ばんめチームに解答かいとうけんうつる。
  • はやし2番目ばんめチームは、1番目ばんめチームと同様どうようのルールで解答かいとう回答かいとう全部ぜんぶけると1番目ばんめチームがプールした得点とくてん横取よこどりとなって得点とくてんすべり。正解せいかいで3番目ばんめチームに解答かいとうけんうつり、やはり同様どうようのルールで解答かいとう正解せいかいはやし4番目ばんめチームに解答かいとうけんうつる。
  • はやし4番目ばんめチームは解答かいとうけんは1かい正解せいかい正解せいかい得点とくてんくわえ、1番目ばんめから3番目ばんめチームがプールした得点とくてんそうり、正解せいかいで1番目ばんめから3番目ばんめのチームがそれぞれプールした得点とくてん獲得かくとく

スタッフ

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変動へんどう

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期間きかん 音楽おんがく セット概要がいよう スクリーンしょく概要がいよう
1979.4 1984.9 服部はっとり克久かつひさ1・2 セット中央ちゅうおうのフェード表示ひょうじしきスクリーンの背景はいけいばんあおかった。
トラベルチャンスのパネルは、空港くうこう出発しゅっぱつ案内あんないばんしたソラリーしき(フラップしき表示ひょうじ装置そうち使つかわれ、CMちゅうにキャスターしきのパネルをスタジオ中央ちゅうおう移動いどうする作業さぎょう方式ほうしきだった。
だい1もんからだい4もんまでの上段じょうだん下段げだん水色みずいろ
だい1もんからだい4もんまで中段ちゅうだん黄色おうしょく茶色ちゃいろちかい)。
だい5もん上段じょうだん下段げだん赤色あかいろ
5もん中段ちゅうだん緑色みどりいろ
だい1もんからだい4もんまでこたえのかず水色みずいろ
だい1もんからだい5もんまで百太郎ももたろう緑色みどりいろ
だい5もんこたえのかず赤色あかいろ
トラベルチャンス奇数きすう水色みずいろ偶数ぐうすう黄色おうしょく3
1984.10 1987.10 セット中央ちゅうおうのフェード表示ひょうじしきスクリーンの背景はいけいばん茶色ちゃいろまる凸凹おうとつがた出場しゅつじょうチームの背景はいけいばんまるがたにそれぞれ変更へんこう
トラベルチャンスのパネルはまるがたにCMまえのアタックおんとき天井てんじょうからパネルがりていく仕組しくみで、終了しゅうりょう天井てんじょうもどるものとなった。4
だい1もんからだい4もんまでの上段じょうだん下段げだん水色みずいろ
だい1もんからだい4もんだい6もんまでの中段ちゅうだん黄色おうしょく
だい5もんからだい6もんまでの上段じょうだん下段げだん赤色あかいろ
だい5もん中段ちゅうだん緑色みどりいろ
だい1もんからだい4もんまでこたえのかず緑色みどりいろ
だい1もんからだい4もんまで百太郎ももたろう水色みずいろ
だい5もんからだい6もんまでこたえのかず赤色あかいろ
だい5もん百太郎ももたろう緑色みどりいろ
だい6もん百太郎ももたろう黄色おうしょく
宿題しゅくだいクイズはトラベルチャンスのものを使用しよう
1987.10 1989.3 いろえと、ゆか段差だんさ部分ぶぶんに「WE ASKED 100 PEOPLE」の英文えいぶん表記ひょうき文字もじかれている。 だい1もんからだい4もんまでの上段じょうだん下段げだん赤色あかいろ(オレンジにちかい)、中段ちゅうだん黄色おうしょく
だい5もん上段じょうだん下段げだん緑色みどりいろ中段ちゅうだん赤色あかいろ(オレンジにちかい)。
だい1もんからだい4もんまでこたえのかず水色みずいろ
百太郎ももたろう黄色おうしょく
だい5もんこたえのかず赤色あかいろ
百太郎ももたろう緑色みどりいろ
トラベルチャンス奇数きすう赤色あかいろ(オレンジにちかい)、偶数ぐうすう黄色おうしょく
1989.4 1989.12 出場しゅつじょうチームの背景はいけいばん半径はんけいがた変更へんこう5 だい1もんからだい4もんまでの上段じょうだん下段げだん緑色みどりいろ
だい1もんからだい5もんまで中段ちゅうだん黄色おうしょく
だい5もん上段じょうだん下段げだん水色みずいろ
だい1もんからだい4もんまでこたえのかず水色みずいろ
百太郎ももたろう緑色みどりいろ
だい5もんこたえのかず緑色みどりいろ
百太郎ももたろう黄色おうしょく
トラベルチャンスは前回ぜんかいのものを使用しよう6
1990.1 1991.3 安川やすかわちゅうこころざし7
1991.4 1992.9 セット中央ちゅうおうのフェード表示ひょうじしきスクリーンの背景はいけいばんまるがた背景はいけいばん変更へんこう

  • 1 1984ねん10月きょくのアレンジ変更へんこう
  • 2 復活ふっかつ特番とくばんもこの音楽おんがく使用しようされた。
  • 3 復活ふっかつ特番とくばんもこのスクリーンしょく使用しようただだい5もん上段じょうだん下段げだん赤色あかいろ中段ちゅうだん緑色みどりいろだった。
  • 4 復活ふっかつ特番とくばんもこのセットで再現さいげんされた。
  • 5 1989ねん10月9にち放送ほうそうぶんだい537かい)から出場しゅつじょうチームの文字もじ形式けいしき変更へんこう
  • 6 1990ねん1がつにトラベルチャンスが「百太郎ももたろうマーク」から「サーフィンをする百太郎ももたろう」に変更へんこう
  • 7 1991ねん4がつきょくのアレンジ変更へんこう
  • セット中央ちゅうおうに9まいのフェード表示ひょうじしきスクリーンが設置せっちされる(番組ばんぐみはじめるときはタイトルロゴを表示ひょうじした状態じょうたい)。スクリーンのひだりあかチームの赤色あかいろみぎあおチームの青色あおいろのデジタルのスコアボード、上部じょうぶ得点とくてんがプールされる白色はくしょくのデジタルのスコアボードが設置せっちされている。得点とくてん加算かさんさいは、加算かさんされるチームがわのスクリーンまわりのでんかざり点滅てんめつする。番組ばんぐみ後期こうきでは、オープニングで3つのスコアボードに「100」と表示ひょうじされていた。かくチームの解答かいとうせきまえに、獲得かくとく賞金しょうきん表示ひょうじするフラップしき金額きんがく表示ひょうじばんがある。
  • 団体だんたいせん 解答かいとうせき上部じょうぶにプールされた得点とくてん下部かぶ獲得かくとく得点とくてんがフラップしきのスコアボードに表示ひょうじされる。クイズダービーの予想よそうせき類似るいじしている。

ネットきょく

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系列けいれつはネット終了しゅうりょう時点じてんはネット)のもの。
放送ほうそう対象たいしょう地域ちいき 放送ほうそうきょく 系列けいれつ ネット形態けいたい 備考びこう
関東かんとう広域こういきけん 東京放送とうきょうほうそう TBS系列けいれつ 制作せいさくきょく げん:TBSテレビ
北海道ほっかいどう 北海道放送ほっかいどうほうそう 同時どうじネット
青森あおもりけん 青森あおもりテレビ
岩手いわてけん 岩手いわて放送ほうそう げん:IBC岩手いわて放送ほうそう
宮城みやぎけん 東北放送とうほくほうそう
秋田あきたけん 秋田放送あきたほうそう 日本にほんテレビ系列けいれつ おくれネット 1980ねん3がつ
山形やまがたけん 山形放送やまがたほうそう 日本にほんテレビ系列けいれつ
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ
1982ねん3がつ
テレビユてれびゆ山形やまがた TBS系列けいれつ 同時どうじネット 1989ねん10がつ開局かいきょくから
福島ふくしまけん 福島ふくしまテレビ フジテレビ系列けいれつ 1983ねん9がつ[3]
1983ねん3がつまではTBS系列けいれつとのクロスネットきょく[ちゅう 12]
テレビユてれびゆ福島ふくしま TBS系列けいれつ 1983ねん11月28にちのサービス放送ほうそうから[4]
山梨やまなしけん テレビ山梨てれびやまなし
新潟にいがたけん 新潟放送にいがたほうそう
長野ながのけん 信越放送しんえつほうそう
静岡しずおかけん 静岡放送しずおかほうそう
富山とやまけん 北日本放送きたにほんほうそう 日本にほんテレビ系列けいれつ 1984ねん9がつ24にち[5][ちゅう 13]
テレビユー富山とやま TBS系列けいれつ げん:チューリップテレビ
1990ねん10がつ開局かいきょくから[ちゅう 14]
石川いしかわけん 北陸放送ほくりくほうそう
福井ふくいけん 福井放送ふくいほうそう 日本にほんテレビ系列けいれつ おくれネット 1979ねん9がつ[ちゅう 15]
中京ちゅうきょう広域こういきけん 中部日本放送ちゅうぶにっぽんほうそう TBS系列けいれつ 同時どうじネット げん:CBCテレビ
近畿きんき広域こういきけん 毎日放送まいにちほうそう
岡山おかやまけん
岡山おかやまけん
香川かがわけん
山陽放送さんようほうそう げん:RSK山陽放送さんようほうそう
1983ねん3がつまでの放送ほうそうエリアは岡山おかやまけんのみ
1983ねん4がつより相互そうごともな香川かがわけんでも放送ほうそう[ちゅう 16]
鳥取とっとりけん
島根しまねけん
山陰放送さんいんほうそう
広島ひろしまけん 中国放送ちゅうごくほうそう
山口やまぐちけん テレビ山口てれびやまぐち
愛媛えひめけん 南海放送なんかいほうそう 日本にほんテレビ系列けいれつ おくれネット 1982ねん3がつ[ちゅう 17]
高知こうちけん テレビ高知てれびこうち TBS系列けいれつ 同時どうじネット
福岡ふくおかけん RKB毎日放送まいにちほうそう
長崎ながさきけん 長崎放送ながさきほうそう
熊本くまもとけん 熊本放送くまもとほうそう
大分おおいたけん 大分放送おおいたほうそう
宮崎みやざきけん 宮崎放送みやざきほうそう
鹿児島かごしまけん 南日本放送みなみにほんほうそう
沖縄おきなわけん 琉球放送りゅうきゅうほうそう

補足ほそく

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  • 番組ばんぐみ開始かいし当初とうしょから1982ねん3がつまでは、YKKいちしゃ提供ていきょう[ちゅう 18] で、「YKKファミリーアワー」というオープニングキャッチがあった(ナレーションは伊武いぶ雅刀まさとうで「YKKがおおくりします」とコメント)。エンディングの提供ていきょうみは「この番組ばんぐみはファスナーとアルミ建材けんざいのYKK 吉田工業よしだこうぎょう吉田よしだ商事しょうじ提供ていきょうでおおくりしました」だった。ヒッチハイクとしてヤクルト本社ほんしゃライオンのCMがながされており、そのうちライオンは1982ねん4がつからはYKKとのしゃ提供ていきょうとしてほん提供ていきょう参加さんか。さらに1984ねん10がつから4、5しゃ提供ていきょう移行いこうもYKKとライオンは筆頭ひっとうスポンサーにつらねたが、1991ねん9がつをもってYKKは撤退てったい。1991ねん10がつ以降いこうはライオンを筆頭ひっとうに、カプコン日本にほんタッパーウェア日本にほんハムなど複数ふくすうしゃとなった(複数ふくすうしゃ提供ていきょう移行いこうのオープニング提供ていきょうみはナレーションの橋本はしもとテツヤが担当たんとう)。[ちゅう 19]
  • この番組ばんぐみは、門戸もんこせま視聴しちょうしゃ参加さんかのクイズ番組ばんぐみひとつにげられていた。実際じっさい1980年代ねんだい前半ぜんはんには競争きょうそうりつ1000ばい1983ねん8がつ24にちスポーツニッポンうち記事きじより)にもなったといわれている。
  • センターのはやだいはやしボタンは、赤色あかいろのマーカーランプが使用しようされているが、このランプの透明とうめいプラスチックカバーのなか電球でんきゅうはいっており、はやすと電球でんきゅう仕組しくみになっている。過去かこ放送ほうそうなかには本番ほんばんちゅうはやしボタンをさいいきおいをつけぎて、ボタンが根元ねもとからはずれるハプニングがあった。1かい最終さいしゅう問題もんだいだったためことなきをたものの、もう1かい最初さいしょ問題もんだい発生はっせいしたので、スタッフが修理しゅうりしてその再開さいかいした。またボタンがおおきかったため、SAMBA・TVで矢口やぐち真里まりはやしボタンをさい、ボタンのよこたたいてランプがかず、対戦たいせん相手あいて中尾なかお美樹みきされてしまうハプニングがあった。
  • セットの9分割ぶんかつスクリーン(リアプロジェクションしき9画面がめんマルチスクリーン)のつくかた操作そうさ方法ほうほうは(1975ねんまでTBS系列けいれつ放送ほうそうしていた)ABC製作せいさくのクイズ番組ばんぐみ霊感れいかんヤマカン第六感だいろっかん』のスタッフにつくかたいてつくられたものであった。「家族かぞく対抗たいこうクイズ合戦かっせん時代じだい初期しょき画面がめんわりが一旦いったん消灯しょうとうしてさい表示ひょうじするしくみだったが、のちにフェード表示ひょうじわるしくみに変更へんこうされた。消灯しょうとうした時点じてん正解せいかい正解せいかいかがわかってしまい面白おもしろみがることをふせぐためとおもわれる。東海とうかいテレビ家族かぞく対抗たいこうチャンスクイズ」でも使用しようされた(こちらは、「霊感れいかん…」同様どうよう一旦いったん消灯しょうとうしてさい表示ひょうじするものだった)。
  • マスコットとして「百太郎ももたろう(ひゃくたろう)」が番組ばんぐみ開始かいし当初とうしょから設定せっていされていた。当初とうしょはイラストばかりだったがのちぐるみがつくられ、スタジオやロケなどに登場とうじょうするなど活躍かつやくしていた。百太郎ももたろうホッキョクギツネであるが、「これはなん動物どうぶつだとおもうか」という問題もんだい出題しゅつだいされたことがある(おおくのひとおもったこたえをてる)。
  • 1かいだけトラベルチャンスちゅうにニュースが番組ばんぐみ中断ちゅうだんして挿入そうにゅうされてしまい、番組ばんぐみわいわいスポーツじゅく以降いこう番組ばんぐみが10ふんがってしまったことがあった。系列けいれつ同時どうじネット番組ばんぐみいJNN系列けいれつならではのエピソードである。
  • 番組ばんぐみではこたえが1つになる問題もんだいさがしたり、毎年まいとしプロ野球やきゅうのペケチーム予想よそう今年ことし優勝ゆうしょうしそうもないチームの予想よそう)をおこなっていた。死者ししゃむちつとこまるためトップのチームは公表こうひょうしなかったが、のこりのチームがすべているほか、関口せきぐちがペケチームの親会社おやがいしゃっかけたオチをう(れい・ロッテオリオンズ(当時とうじ)の場合ばあい「ロッテのガムでもんで頑張がんばっていただきたい。」1990ねん4がつ2にち放送ほうそうぶん)ため、結局けっきょくかってしまう。
  • みみおおきな動物どうぶつといえば?」という問題もんだい全部ぜんぶ回答かいとうひらいて合計ごうけいが99だったということがあった。「じゃあ、のこり1つはなんだったんでしょう?」と回答かいとうがいこたえ紹介しょうかいされたことがあった。のこり1つは「江川えがわたく」だった。
  • 1979ねん4がつ2にち放送ほうそうだい1かいは、当時とうじプロボクシング世界せかいチャンピオンで8度目どめ防衛ぼうえいせんを1週間しゅうかんひかえていた具志堅ぐしけんようだか家族かぞく(テロップでは「協栄きょうえいジム 具志堅ぐしけんチーム」)と一般人いっぱんじん家族かぞく対戦たいせんだった。「トラベルチャンス」は具志堅ぐしけんチームが挑戦ちょうせんしたが、だい1かい早々そうそう海外かいがい旅行りょこう獲得かくとくはならず、失格しっかくとなった。このときの橋本はしもと関口せきぐち紹介しょうかいのコメントは「進行しんこうは、100にんいた結果けっかえらばれた関口せきぐちひろし(このときは「せきぐちー」とはばさなかった)」で、その関口せきぐち第一声だいいっせいは「いよいよはじまりました。このはる最大さいだい話題わだいんだ『クイズ100にんきました』でございます。」であった。このかい出題しゅつだいされた「しりとりでたまごったらつぎなに?」という問題もんだいは12ねんの600かい記念きねんでも出題しゅつだいされた。また、具志堅ぐしけん最終さいしゅうかいにも「ボクシングチャンピオンチーム」として出場しゅつじょうした。
  • 1981ねんごろ、山田やまだ邦子くにこ芸能げいのうかいデビューまえ家族かぞく挑戦ちょうせんしたが予選よせん敗退はいたいした。またこのころ芸能げいのうかいデビューまえ山口やまぐち美江みえ出題しゅつだいよう街頭がいとうアンケートにこたえている。山田やまだのち芸能げいのうかいはいまえちちから芸能げいのうかいはいることを反対はんたいされて、山田やまだ芸能げいのうかいはいさい関口せきぐち懸命けんめい山田やまだちち説得せっとく最終さいしゅうてきみとめられたという逸話いつわがある。現在げんざい山田やまだって関口せきぐち恩人おんじんである。
  • 1984ねんごろ、島田しまだ奈央子なおこ島田しまだ奈美なみ)もアイドルとしてデビューするまえ一家いっか番組ばんぐみ出場しゅつじょうした。[ちゅう 20]
  • 1986ねん12月29にち放送ほうそうで、当時とうじ自民党じみんとう所属しょぞく現在げんざい立憲りっけん民主党みんしゅとう所属しょぞく)の小沢おざわ一郎いちろう衆議院しゅうぎいん議員ぎいん(『学校がっこうべつ大学だいがくOB大会たいかい』で、慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出身しゅっしんとして出演しゅつえん)も解答かいとうしゃとして出場しゅつじょうしたことがある。
  • 1987ねん12月28にち放送ほうそうだい450かいではほん放送ほうそう期間きかんちゅう唯一ゆいいつ同点どうてん決勝けっしょうがあった。最終さいしゅう問題もんだいわった時点じてん同点どうてんとなったため。まんいち同点どうてん場合ばあいそなえての決勝けっしょう問題もんだい通常つうじょう問題もんだいとはべつ用意よういされていた。最終さいしゅうかいではこのときの決勝けっしょう問題もんだいをそのまま流用りゅうようして通常つうじょう対戦たいせんおこなった。
  • 1988ねんころ通称つうしょう屋根裏やねうらのアナウンサー」こと、ナレーターの橋本はしもとテツヤのこえが「こわい」という投書とうしょ全国ぜんこく各地かくちから番組ばんぐみあてせられたことを番組ばんぐみ冒頭ぼうとう紹介しょうかい司会しかい関口せきぐち秋田あきたけん山形やまがたけんからだけはそういった投書とうしょいちつうなかったむねはなし、「スタッフが調しらべました。秋田あきた山形やまがたでは番組ばんぐみをやっていなかったんですねー。」とはなしたことがある。
  • フジテレビのバラエティ番組ばんぐみウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』で、本家ほんけがOAちゅうにもかかわらず番組ばんぐみのパロディがOAされた(タイトルは「クイズ5,6にんいちゃいました」)。司会しかいやく関口せきぐちふんした内村うちむら光良てるよし(そのとき役名やくめいは"せきせきろ(カタカナの「ロ」)ひろし")であったがなんとゲリラで関口せきぐち本人ほんにん登場とうじょうし、司会しかいつとめる。南原なんばらふんする加山かやまくわやま雄三ゆうぞう関口せきぐちたいして「ぼくはあれをてみたいんだね」とれいひじ仕草しぐさ催促さいそくしたところ、一見いっけんおなじようにえるセットが本物ほんものくらべてたかさがすこたかかったらしく、「たかいんだよ」と指摘してきしたり、内村うちむらふんするせきロにたいして司会しかいぶりや進行しんこうりのダメしをおこなった。
  • 1992ねん7がつ20日はつか放送ほうそうだい675かいでは対戦たいせんチームの苗字みょうじがいずれも「鈴木すずき」だった(TBSチャンネルでは2006ねん1がつ916にちさい放送ほうそう)。
  • 1992ねん8がつ3にち放送ほうそうだい677かいではウルトラマンチームたい仮面かめんライダーチーム対決たいけつ(TBSチャンネルでは放送ほうそうなし)。
なお小林こばやしはウルトラシリーズにも出演しゅつえん(ムラマツ隊長たいちょう……ウルトラマンに登場とうじょう)しているため、ウルトラチームから「裏切うらぎもの!」とばれ、場内じょうないわらいをさそった。
  • レギュラー放送ほうそうでの番組ばんぐみ対抗たいこうせんは、すでに『家族かぞく対抗たいこうクイズ合戦かっせん』1978ねん8がつ27にち放送ほうそうぶん[7] に1かいだけおこなわれていた。出場しゅつじょう番組ばんぐみは、『スポーツケンちゃん』と『コメットさん(しん』だった。どちらも国際こくさい放映ほうえい作品さくひんであり、さらに家族かぞくがテーマの番組ばんぐみだった。
  • 1992ねん9月28にち最終さいしゅうかいだい684かい)では1あいだ生放送なまほうそうスペシャルで、ハワイ旅行りょこうだい放出ほうしゅつかいであった。人気にんき番組ばんぐみ出演しゅつえんしゃ、タレント、TBSアナウンサー、一般いっぱん家族かぞくけい10チームが出場しゅつじょう対戦たいせん相手あいてはくじきで決定けってい、1もんだけの勝負しょうぶで、ったチームがそのでトラベルチャンスに挑戦ちょうせん。そのためりょうチームのテーブルにはあらかじ帽子ぼうしと「見送みおくり」はたいてあった。ぜんチーム対戦たいせんのこ時間じかんがあれば1勝負しょうぶやぶれたチーム同士どうしでの敗者はいしゃ復活ふっかつもあり、1かいだけおこなわれた。最後さいご出演しゅつえんしゃ全員ぜんいん、ナレーターの橋本はしもと番組ばんぐみスタッフがあつまってエンディングとなり、9分割ぶんかつスクリーンには「14」「とし」「あいだ」「あ」「り」「が」「と」「う」「百太郎ももたろうマーク」された。また生放送なまほうそう時間じかんがなかったため、きで進行しんこうするいそがしさのあまり関口せきぐちが3もんつきで3つの「×」のプラカードをわたすつもりが「見送みおくり」のはたわたす、トラベルチャンスではフラップばんではなく9分割ぶんかつスクリーンを使つかため解答かいとうしゃこたえたランキングが常時じょうじ表示ひょうじされず、ハワイ確定かくてい帽子ぼうしかぶせるさいだれが1からずに(1こたえた解答かいとうしゃ優先ゆうせんさせるため)解答かいとうしゃ自己じこ申告しんこく女性じょせい優先ゆうせん帽子ぼうしかぶせる、「見送みおくり」はたではなく「×」のプラカードをたせる場面ばめんられた。また、合計ごうけい得点とくてん勝利しょうりチームのスコアボード、獲得かくとく人数にんずうはスクリーン上部じょうぶしろいスコアボードに表示ひょうじされた(TBSチャンネルでは放送ほうそうなし)。
  • 1988ねん3月29にち放送ほうそうの『クイズまるごとだい集合しゅうごう1988ねんはる』で『100にんきました』の問題もんだいなか南極なんきょく越冬えっとう隊員たいいん37にんいた問題もんだい出題しゅつだいされた(質問しつもんは「仕事しごとがないときなにをしてごす?」だった。出場しゅつじょうチームの解答かいとうしゃなかには「人形にんぎょうあそぶ」というちん解答かいとうもあった)。このときの『クイズまるごとだい集合しゅうごう』のだい1予選よせんの『100にんきました』では1もん勝負しょうぶったチームには無条件むじょうけんで100てんかいによっては1000てん、1500てん)が加算かさんされる設定せっていとなっていた。またべつかいでは、プロゴルファー岡本おかもと綾子あやこ1人ひとりき、回答かいとう優先ゆうせん順位じゅんいけた「ゴルフをするとき、これがいとこまもの」という問題もんだい出題しゅつだい勝者しょうしゃチームに500てん加算かさんされるルールであったためほん放送ほうそうにはまったくない100にんたない人数にんずういた問題もんだい存在そんざいしていた。
  • また、1991ねんはるの『クイズまるごとだい集合しゅうごう』では競馬けいばにまつわる問題もんだいべつ回答かいとうから「調教ちょうきょう」がひらいてしまい、スタジオでひかえていた大橋おおはし巨泉きょせんからクレームがあった。そのため得点とくてんこそみとめるが正解せいかいあつかいで解答かいとうけんうしなうと異例いれい措置そちられた。
  • 解答かいとうはカメラがパネルにかってズームするが、最後さいごの1まいさいはそのパネルにかってズームする。
  • 解答かいとうしゃこたえた回答かいとう正解せいかい回答かいとう微妙びみょう場合ばあい、スタッフが判定はんていするため、アタックおんのちすうびょうあいだことがある。それで正解せいかい場合ばあいおおきなヒントとなる。
  • 解答かいとうしゃ上手うま説明せつめい出来できず、まとめられない解答かいとうがあると、関口せきぐちすこしのあいだのち「それ!」とって判定はんていゆだねることがあった。大抵たいてい正解せいかい場合ばあいおおい。
  • 曖昧あいまいこたえのいいなおしをうながすチャイムおんを、司会しかい関口せきぐちは「チンポン」と表現ひょうげんしていた。視聴しちょうしゃから言葉ことばひびきに「違和感いわかん」があるとう投書とうしょせられたりしたものの、関口せきぐちは「べつにおかしくないとおもいますが」として、いいかえることはかった
  • 1990ねんころ出身しゅっしん大学だいがく対抗たいこう芸能人げいのうじん大会たいかいがあり、日本にっぽん大学だいがくをはじめ、同窓生どうそうせい同士どうし男女だんじょ混成こんせいの5にんしゅがクイズにいどんでいた。またどう時期じき正月しょうがつ特番とくばん芸能人げいのうじん出身しゅっしんけんべつ対抗たいこう大会たいかいがあった。男女だんじょ3人組にんぐみで1もん先取せんしゅきトーナメント方式ほうしきだった。山梨やまなしけん代表だいひょうではプロレスラージャンボ鶴田つるた出演しゅつえんしていた。
  • 番組ばんぐみ終了しゅうりょうから3カ月かげつ1993ねん1がつ正月しょうがつ特番とくばんさい登場とうじょうした(チームは大学生だいがくせいチーム、解答かいとうしゃみのもんた渡辺わたなべ正行まさゆき)。
  • 得点とくてん表示ひょうじ一般いっぱんてきデジタル数字すうじ7セグメントディスプレイ表示ひょうじであるが、唯一ゆいいつ「4」だけ通常つうじょうのデジタル表示ひょうじ使つかわれるデザインではなく、よこぼう右側みぎがわ部分ぶぶんけていた。
  • 1990ねん1がつ8にち放送ほうそうだい549かい)で、使用しようされている音楽おんがく(テーマソングや、あるあるあるーのときや、3にん×の音楽おんがく)がリニューアルされた。その今回こんかいのリニューアルがかったかくなかったか葉書はがきによるアンケートがおこなわれた。かったといたひとには抽選ちゅうせん賞品しょうひん(リニューアルした音楽おんがく収録しゅうろくしたカセットテープ)がたるというアンケートだったにもかかわらず、くなかったという葉書はがきとどいていた(番組ばんぐみないでは「だい失敗しっぱい」とかれた葉書はがき紹介しょうかいしていた)。やはり違和感いわかんがあったためか1991ねん4がつにあるあるあるーのBGMはもときょくをアレンジしたものにえられた(テーマソングはアレンジされ、3にん×の音楽おんがくはそのまま使つかわれた)。
  • 番組ばんぐみ後期こうきあたりから、スタッフクレジットに感謝かんしゃ意味いみをこめてアンケートにこたえてくれた100にんも(「○○(サラリーマン、高校生こうこうせいなど)100にんのみなさん」ののちに「ありがとうございました」と)クレジットされた。さらに、1991ねん10がつにTBSのロゴが「ミクロコスモスTBS」にわると制作せいさく著作ちょさくのクレジットがCGアニメーションへと変更へんこうされた(アニメーションは当時とうじきょくめい告知こくちおなじ、現在げんざい制作せいさく著作ちょさくクレジットをCGアニメにする演出えんしゅつテレビ朝日てれびあさひなま番組ばんぐみれている)。
  • 1980ねんから1984ねんまでTBS系列けいれつ放送ほうそうされた正月しょうがつ特番とくばんちょう豪華ごうか!番組ばんぐみ対抗たいこうかくしげい』では、1980から1982ねんまでかくげいかくげい合間あいまのワンコーナーとして、かくげい参加さんか番組ばんぐみ出演しゅつえんしゃがクイズをおこなっており、関口せきぐち橋本はしもともコーナー担当たんとうとして参加さんかしていた。その1983ねんには『クイズ天国てんごく地獄じごく』、1984ねんには『ザ・チャンス!』にコーナーを変更へんこうしたが、関口せきぐちは1984ねんに、それまで愛川あいかわ欽也きんや担当たんとうした総合そうごう司会しかいつとめた。

書籍しょせき

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  • クイズ100にんきました(1979ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05015-5
  • クイズ100にんきました〈だい2しゅう〉(1979ねん朝日あさひソノラマ)
  • クイズ100にんきました〈だい3しゅう〉(1980ねん朝日あさひソノラマ)
  • クイズ100にんきました〈だい4しゅう〉(1980ねん朝日あさひソノラマ)
  • クイズ100にんきました〈だい5しゅう〉(1981ねん朝日あさひソノラマ)
  • クイズ100にんきました〈だい6しゅう〉(1981ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05024-7
  • クイズ100にんきました〈だい7しゅう〉(1982ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05032-2
  • クイズ100にんきました〈だい8しゅう〉(1983ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05034-6
  • クイズ100にんきました〈だい9しゅう〉(1983ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05036-0
  • クイズ100にんきました〈だい10しゅう〉(1983ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05040-7
  • クイズ100にんきました〈'85年版ねんばん〉(1984ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05047-6
  • クイズ100にんきました〈'86年版ねんばん〉(1985ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05055-1
  • クイズ100にんきました〈'87年版ねんばん〉(1986ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05068-1
  • クイズ100にんきました〈'88年版ねんばん〉(1987ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05070-4
  • クイズ100にんきました〈'89年版ねんばん〉(1988ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05072-8
  • クイズ100にんきました〈'90年版ねんばん〉(1989ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05074-2
  • クイズ100にんきました〈'91年版ねんばん〉(1990ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05075-9
  • クイズ100にんきました〈'92年版ねんばん〉(1991ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05078-0
  • クイズ100にんきました〈'93年版ねんばん〉(1992ねん朝日あさひソノラマ、ISBN 978-4-257-05081-0

パロディ

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  • オレたちひょうきんぞくフジテレビ)のコーナードラマ「タケちゃんマンだい97「タケちゃんマンのクイズ必勝ひっしょうほうまき」(1983ねん11月26にち放送ほうそう)にて、ビートたけしふんするたけづくりらが様々さまざまなクイズ番組ばんぐみ挑戦ちょうせんするストーリーのなか登場とうじょう
    • 本家ほんけとの相違そういてん
      • 番組ばんぐみタイトルは、「クイズなんにんかにきました」
      • パネル表示ひょうじ画面がめんわりが手動しゅどうしきしたにパネルががる方式ほうしきとなっていた。
      • マスコットマークも西武せいぶライオンズのレオマークが使つかわれていた(球団きゅうだんからの使用しよう許諾きょだくりたため使用しよう出来できたとおもわれる)。
      • トラベルチャンスがく、優勝ゆうしょうチームはハワイ獲得かくとくとなった(あくまでもパロディで、実際じっさいにはハワイ獲得かくとくしていない)。
  • ビートたけしの全日本ぜんにほんわら研究所けんきゅうじょ日本にほんテレビ)でも1988ねん6がつ15にち放送ほうそうの「北野きたのさん一家いっかのクイズ日記にっき」のコーナーで「クイズ100にんいてしまいました」があった。司会しかい大平おおひらサブローふんする関口せきぐちぴろし。
    • 本家ほんけとの相違そういてん
      • 解答かいとうパネラーは1チームで3にんだった。
      • こたえのかずが4である。
      • 点数てんすう表示ひょうじがデジタルしきではなく、電球でんきゅう方式ほうしきであった。
      • パネル表示ひょうじ画面がめんわりが手動しゅどうしきで、パネルがよこ回転かいてん出来でき方式ほうしきとなっていた。
      • 先攻せんこうチームが1つでも「×」マークがくと、解答かいとうけんこうおさむチームにうつっていた。
      • マスコットマークも番組ばんぐみオリジナルのウサギをイメージしたイラストが使つかわれていた。
      • トラベルチャンスがり、優勝ゆうしょうチームはハワイ獲得かくとくとなった(あくまでもパロディで、実際じっさいにはハワイ獲得かくとくしていない)。
  • カッび!はなマルじゅくテレビ朝日てれびあさひ)では「芸能人げいのうじん100にんいてしまいました!!」のコーナーがあった。司会しかい山城やましろ新伍しんご。パネルをけるBGMはオリジナル。
  • くにちゃんのやまだかつてないテレビ(フジテレビ)でも「クイズ役人やくにんきました」のコーナーがあった。司会しかい関根せきねつとむ本家ほんけ関口せきぐちものまねで司会しかい
    • 本家ほんけとの相違そういてん
      • パネル表示ひょうじ画面がめんわりが手動しゅどうしきしたにパネルががる方式ほうしきとなっていた(ひょうきんぞくでのパロディぶん流用りゅうようしたかたちになっている)。
      • マスコットマークも番組ばんぐみオリジナルのスイカをイメージしたイラストが使つかわれていた。
      • 出場しゅつじょうチームも山田やまださんチームと、渡辺わたなべさんチームと固定こていしていた。
      • トラベルチャンスがなく、賞金しょうきん賞品しょうひんもなかった。
  • ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!!(フジテレビ)でも「クイズ5,6にんきました」のコーナーがあった。司会しかい内村うちむら光良てるよしふんするせきひろし(せきろひろし、「せきロ」の「ロ」は片仮名かたかなの「ロ(ろ)」)。
    • 本家ほんけとの相違そういてん
      • こたえのかずが4・5である。
      • 出場しゅつじょうチームも南原なんばら清隆きよたかふんする加山かやま(くわやま)ゆうさんチームがレギュラーとなっていた。
      • 屋根裏やねうらのアナウンサーをさかい鶴丸つるまるアナウンサーが担当たんとうし、めくくりのナレーションもなかった。
      • マスコットマークも番組ばんぐみオリジナルのウッチャンナンチャンのイラストが使つかわれていた。
      • 解答かいとうせきのチームカラーがかってひだりあおみぎあかぎゃくになっていた。
      • 解答かいとうせきたかさがひくく、賞金しょうきん表示ひょうじソラリー表示ひょうじもなかった(とく本家ほんけ関口せきぐちひろし出演しゅつえんしたとき解答かいとうせきたかさが本家ほんけよりもすこたかいことをダメしゅっしした)。
      • トラベルチャンスがなく、賞品しょうひんは「世界せかい銘酒めいしゅ5,6はいぶん」などチープなものだった。
  • それゆけ!マーシーMBS制作せいさく・TBSけい)でも「芸能人げいのうじんとデート」のコーナーがあり、クイズ100にんきましたとおな手法しゅほうだった。
    • 本家ほんけとの相違そういてん
      • こたえが芸能人げいのうじんにまつわるエピソードで9あった。
      • 出場しゅつじょうチームが女性じょせいチーム3にん1くみで2チームだった。
      • パネルのまえ設置せっちされている解答かいとうだいがなく問題もんだいはやしも解答かいとうせきからかたちでシンキングタイムの音楽おんがくながれていた。
      • 解答かいとうせき賞金しょうきん表示ひょうじのソラリー表示ひょうじかった。
      • あやまこたえのテロップが「×」マークではなく田代たしろまさし似顔絵にがおえながれていた(なみだながすアレンジがほどこされていた)。
      • トラベルチャンスがなく、賞品しょうひん勝者しょうしゃ代表だいひょうしゃ芸能人げいのうじんとのデートタイムと収録しゅうろくしたテープのプレゼントだった。
  • スーパークイズスペシャル島田しまだ紳助しんすけがオールスターの皆様みなさま芸能げいのうかいきびしさおしえますスペシャル!日本にほんテレビ系列けいれつ後者こうしゃ読売よみうりテレビ制作せいさく)では、「クイズ100にんいたら1人ひとりしかこたえませんでした」といったコーナーがあった。なおとう番組ばんぐみ不定期ふていき特番とくばんであったが放送ほうそう初期しょきかいには関口せきぐち司会しかいとして出演しゅつえんしている。
    • 本家ほんけとのあい相違そういてん
      • ある事柄ことがらたいして、100にんにアンケートをした結果けっか、「1人ひとり」しかこたえなかったものをてるクイズ。「2人ふたり以上いじょうこたえたものが回答かいとうした場合ばあいそく失格しっかくとなる。
  • ビートたけしのフランスは本当ほんとう勲章くんしょうをくれたのかTVTBSテレビ)では、「クイズ足立あだちやく100にんきました」のコーナーがあった。司会しかいはビートたけしふんする関口せきぐち少年しょうねん
    • 本家ほんけとの相違そういてん
      • マスコットマークはビートたけしの似顔絵にがおえもちいられた。
      • 一部いちぶ問題もんだい大人おとな事情じじょうでおだいされず、ヒントとして正答せいとうひとつかふた開示かいじしそこからおだい予想よそう解答かいとうするかたちとなり、正解せいかい回答かいとうても音声おんせいせられスクリーンにも「大人おとな事情じじょう」のみしか表示ひょうじされないものもあった。
      • トラベルチャンスがく、優勝ゆうしょうチームはザンビア旅行りょこう獲得かくとくとなった(あくまでもパロディで、このときたけしは「ザンビアへって少年しょうねんへいたたかっていただきます」とコメントしていた。また実際じっさいにはザンビア旅行りょこう獲得かくとくしていない)。

クイズ100にんきました形式けいしきのクイズをおこなっていた番組ばんぐみ

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  • とんねるずのせいでダラダラいかせて!!日本にほんテレビ):「クイズ100にんぐらいにきました」- このときは4にん×で相手あいて解答かいとうけんうつるというルールだった。
  • トちゃんケンちゃんスペシャルテレビ朝日てれびあさひ):「芸能人げいのうじん100にんきました」- 正解せいかいとき解答かいとうけんうつるというルールだった。
  • タモリのボキャブラ天国てんごく(フジテレビ):「クイズ100にんがボキャブりました」
  • EXテレビ読売よみうりテレビの担当たんとう):「クイズ100にんいませんでした」→「クイズ1にんしかいませんでした」
この形式けいしきは『スーパークイズスペシャル』と『島田しまだ紳助しんすけがオールスターの皆様みなさま芸能げいのうかいきびしさおしえますスペシャル!』でもおこなわれた
はやしの解答かいとうスタイルをそのまま採用さいようした。
2022ねん10がつ16にち(2022ねん10がつ17にち深夜しんや)にて放送ほうそう日向ひなたざか46メンバーの出身しゅっしんけた東日本ひがしにっぽんチームと西日本にしにほんチームが対戦たいせんした。きつねのキャラクターがてくるなど、ほぼとう番組ばんぐみちか形式けいしき放送ほうそうされた。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 1984ねん10月から1987ねん9月までは、19:20 - 20:00
  2. ^ こう番組ばんぐみ関口せきぐちひろし東京とうきょうフレンドパーク』も続投ぞくとう
  3. ^ オープニングの提供ていきょうクレジットはVTRにまれた。また、エンディングの提供ていきょうみは当時とうじのTBSのアナウンサーが担当たんとう後述こうじゅつのYKKの単独たんどく提供ていきょう藤田ふじた恒美つねみだったが、そのはやし美雄よしお宮内みやうち鎮雄しずおなど男性だんせいアナの担当たんとう変更へんこうした)。クレジットはブルーバックになっていた。
  4. ^ CoCoは瀬能せのうあづさ脱退だったいのため4にんっており、乙女おとめじゅくでの同僚どうりょう所属しょぞく事務所じむしょべつ)だった中嶋なかじまんだ。
  5. ^ ウルトラマンVS仮面かめんライダーのかいでは、ウルトラマンと仮面かめんライダーのミニキャラクター
  6. ^ 4以下いかではチャイムのおとみじかる。
  7. ^ 最終さいしゅう問題もんだいでは発表はっぴょうせず、最終さいしゅう問題もんだいでなくても1てた場合ばあいはしないこともある。
  8. ^ 画面がめんなん点滅てんめつする表示ひょうじだった。
  9. ^ 文字もじ画面がめん中央ちゅうおうから拡大かくだいしてきて、ファンファーレがわると同時どうじにそのまままえ表示ひょうじだった。
  10. ^ 通常つうじょう問題もんだいの3かいつきのBGMとおなじ。
  11. ^ 日本人にっぽんじんに「外国がいこくじんべさせたい日本にっぽん料理りょうりは?」、外国がいこくじんに「きな日本にっぽん料理りょうりは?」など。
  12. ^ 福島ふくしまテレビは1983ねん4がつにTBS系列けいれつ・フジテレビ系列けいれつとのクロスネットきょくからフジテレビけいフルネットきょくネットチェンジしたが、視聴しちょうしゃ保護ほごのために1983ねん4がつ~9がつまではばんあつかいで放送ほうそうしていた。放送ほうそう期間きかんちゅう東京放送とうきょうほうそう東北放送とうほくほうそう新潟放送にいがたほうそう視聴しちょう可能かのうだった。
  13. ^ 富山とやまけん工場こうじょうつスポンサーのYKKの意向いこうにより同時どうじネットをおこなっていたが、1984ねんあきに『JNNニュースコープ』の放送ほうそう時間じかん拡大かくだいともなって、同年どうねん9月下旬げじゅんでネットをめ、アニメ『キャッツ・アイ』(日本にほんテレビ系列けいれつ)にえた。ただし、1984ねん10月 - 1990ねん9月あいだも、新潟放送にいがたほうそうまたは北陸放送ほくりくほうそう、さらには現在げんざい岐阜ぎふけん飛騨ひだとな中部日本放送ちゅうぶにっぽんほうそう受信じゅしん可能かのう地域ちいきでは視聴しちょう可能かのうであった。
  14. ^ 厳密げんみつにはサービス放送ほうそう初日しょにち同年どうねん9月24にちから開始かいししている[6]
  15. ^ 北陸放送ほくりくほうそう中部日本放送ちゅうぶにっぽんほうそう毎日放送まいにちほうそうでも直接ちょくせつ受信じゅしん一部いちぶ地域ちいきのみ)か1989ねん以降いこう順次じゅんじ開局かいきょくしたCATVきょくでの経由けいゆ視聴しちょう可能かのうであった。
  16. ^ ただし、香川かがわけんでは相互そうご以前いぜんから山陽放送さんようほうそう毎日放送まいにちほうそうつうじて視聴しちょう可能かのうであった。
  17. ^ 愛媛えひめけんのTBS系列けいれつしんきょくであるあいテレビ1992ねん9月21にちづけ開局かいきょくぜんサービス放送ほうそう開始かいししているが、開始かいし当日とうじつは『わいわいスポーツじゅく最終さいしゅうかいスペシャルの放送ほうそうたっており、とう番組ばんぐみ同年どうねん9月28にち最終さいしゅうかいスペシャルだけが放送ほうそうされた。
  18. ^ YKKアワー キックボクシング中継ちゅうけい』からの続投ぞくとう
  19. ^ 企業きぎょう広告こうこくより
  20. ^ 島田しまだがパーソナリティをつとめていたラジオ番組ばんぐみRADIO-izm』(FM-FUJI)でもはなしたことがあるほか、『ザ・ベストテン』でもVTRが放送ほうそうされた。1989ねん5月1にち放送ほうそうの「10周年しゅうねん記念きねんチャンピオン大会たいかい」(だい515かい)でも紹介しょうかいがあった。

出典しゅってん

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  1. ^ 「〈み〉週間しゅうかん番組ばんぐみひょう番組ばんぐみガイド」『財界ざいかいふくしま』だい12かんだい11ごう行政ぎょうせい問題もんだい研究所けんきゅうじょ、1983ねん11がつ10日とおか、89ぺーじNDLJP:2832618/47 
  2. ^ 「テレ・ばらえてい」『婦人ふじん生活せいかつだい39かんだい4ごう婦人生活社ふじんせいかつしゃ、1985ねん4がつ1にち、72 - 73ぺーじNDLJP:2324848/72 
  3. ^ 福島ふくしまみんほう』1983ねん9がつ26にちづけ朝刊ちょうかんテレビらん
  4. ^ 福島ふくしまみんほう』1983ねん11月28にちづけ朝刊ちょうかんテレビらん
  5. ^ 北國きたぐに新聞しんぶん』1984ねん9がつ24にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん
  6. ^ 北日本きたにっぽん新聞しんぶん』1990ねん9がつ24にちづけ朝刊ちょうかん12めんテレビらん
  7. ^ 朝日新聞あさひしんぶん 縮刷しゅくさつばん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1978ねん8がつ27にちテレビらん 
  8. ^ テレビ東京てれびとうきょう・BSテレひがし日向ひなたざかいましょう【クイズ!おひさま100にんぐらいにきました】(テレビ東京てれびとうきょう、2022/10/16 25:35 OA)の番組ばんぐみ情報じょうほうページ | テレビ東京てれびとうきょう・BSテレひがし 7ch(公式こうしき)https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_tvtokyo/program/detail/202210/24925_202210162535.html2022ねん10がつ17にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]
TBS系列けいれつ 日曜にちよう14だい後半こうはんわく(1978ねん4がつ - 1979ねん3がつ
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
オーケストラがやってきた
どう11:00にわく移行いこう
家族かぞく対抗たいこうクイズ合戦かっせん
TBS系列けいれつ 月曜げつよう19:00 - 19:20わく
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
YKKアワー キックボクシング中継ちゅうけい
金曜きんよう23:30に移動いどうして継続けいぞく
JNNニュースコープ
(20ふん縮小しゅくしょう
クイズ100にんきました
(1979ねん4がつ - 1984ねん9がつ
(1987ねん10がつ - 1992ねん9がつ
TBS系列けいれつ 月曜げつよう19:20 - 19:30わく
YKKアワー キックボクシング中継ちゅうけい
金曜きんよう23:30に移動いどうして継続けいぞく
クイズ100にんきました
ムーブ「関口せきぐちひろし東京とうきょうフレンドパーク」
※19:00 - 19:54
TBS系列けいれつ 月曜げつよう19:30 - 19:58
クイズ100にんきました
(1984ねん10がつ - 1987ねん9がつ