クイズ100人 に聞 きました
クイズ100 | |
---|---|
ジャンル |
クイズ |
| |
ディレクター |
|
| |
ナレーター |
( |
| |
| |
プロデューサー |
|
TBS( | |
| |
1979 | |
1979 | |
30 | |
1984 | |
1984 | |
40 | |
1987 | |
1987 | |
30 |
『クイズ 100
概要
[放映 データ
[通常 放送
[放映 期間 :1979年 4月 2日 - 1992年 9月28日 放映 日 :毎週 月曜日 19:00 - 19:30(1979年 4月 - 1984年 9月、1987年 10月 - 1992年 9月)、19:20 - 20:00(1984年 10月 - 1987年 9月)。全 て日本 時間 。
※1984年 10月 - 1987年 9月は『JNNニュースコープ』の延長 の関係 で19:20 - 20:00になっていた)司会 ・進行 役 :関口 宏 [注 2](放送 期間 中 は無 遅刻 無 欠勤 ですべての回 に登場 。『家族 対抗 クイズ合戦 』時代 から通算 して14年 半 。関口 はこの番組 を機 に俳優 から本格 的 な司会 業 となる)。- ナレーター:
橋本 テツヤ(通称 「屋根裏 のアナウンサー」。関口 はこれを「屋根裏 の中 年男 」などと揶揄 することもあった)。 最高 視聴 率 :30.7%(1979年 10月22日 放送 分 )
- なお
当時 、関口 は同局 で『わくわく動物 ランド』の司会 も担当 しており、TBSで1987年 - 1991年 の春 ・秋 (1991年 は春 のみ)に放送 された『クイズまるごと大 集合 』では関口 の他 、ビートたけしや大橋 巨泉 も司会 を行 っていた(6問 あり、1人 あたり2問 ずつ担当 )。それより以前 にも1983年 と1984年 には「スター対抗 クイズ番組 大 集合 」においてタモリが司会 をしたこともある。
司会 スタイル
[- これまでのクイズ
番組 の司会 者 は司会 者 席 に座 っての方式 が多 かったが、関口 は司会 者 席 には座 らずタイピンマイクを付 けてスタジオを回 ったりする方式 の司会 をしていた(その後 のクイズ番組 やバラエティー番組 にも影響 を与 える)。一時期 、関口 が出題 中 に行 うひじを付 く姿勢 が視聴 者 からクレームを浴 びたが、逆 にある視聴 者 からは司会 者 にも気楽 な姿勢 でやっている、別 にひじを付 いても悪 くないという声 もあったことから、その後 定番 としてすっかりお馴染 みになった。この姿勢 は、番組 のヒントになったアメリカのクイズ番組 (後述 )での司会 者 に倣 ってのものとされる。 出題 は関口 自身 が読 み上 げるが、関口 は問題 を読 み上 げるためのカード(前期 は大 きめだったが、後期 は小 さめになった。従来 のクイズ番組 は原稿 用紙 がほとんどだったため、その後 のクイズ番組 にも影響 を与 える)を持 っているために問題 自体 は知 らされているが、たとえ答 えを知 っていても本当 の正解 や正解 の順番 は何 番目 にあるのかは一切 わからない。すなわち、問題 カードには正解 は一切 書 かれておらず、パネルを開 いた際 に本当 の正解 がわかる。もちろん、先攻 ・後 攻 を決 めるための早 押 し問題 (早 押 しボタンが押 された際 に問題 読 み上 げが止 まり、問題 カードが後 ろに隠 される)以外 (順番 に解答 する時 )は解答 者 も覗 くことはできる。そのため、答 えの展開 によっては関口 の意外 な表情 も見 られることがあった。また、オープニングのトークは「関口 メモ」と書 かれた二 つ折 りの紙 を見 ており、「トラベルチャンス」の時 に関口 が正解 を確認 する際 はフロアディレクターが持 つカンニングペーパーを見 ている。
声援
[進行 役 とナレーターの役割 分担
[これは
ナレーション
最終 回
[最終 回 の主 な出場 者
- C.C.ガールズ(
初代 ) - CoCo・
中嶋 美智代 合同 チーム[注 4] 外国 人 タレントチーム(ケント・ギルバート、ケント・デリカット、チャック・ウィルソンら)- ボクシングチャンピオンチーム(
第 1回 出場 メンバーだった具志堅 用 高 ら) - TBSテレビアナウンサーチーム
- サンデーモーニングレポーター
- ムーブのレギュラーメンバーなど
他 に一般 視 聴者 から3組 の家族 も「駆 け込 み参加 」として出場 した
最終 回 の特徴
生放送 で時間 の許 す限 り、できるだけ多 くのチームに回答 して、ハワイ旅行 に行 ってもらうため一発 勝負 (一 問 限 り)とし、そこで勝 ったチームがトラベルチャンス(通常 と同 じ形 で、ハワイ旅行 決定 時 は天井 から紙吹雪 が降 ったが、紙吹雪 と風船 は通常 より少 なかった。また通常 使用 したトラベルチャンス用 のパネルは使 わず、マルチビジョンを使 って回答 を行 った。また、何人 行 くかの表示 は百太郎 のマークではなく、最 上部 のデジタル表示 を使 った)を行 うという形 だった。第 一 問 目 は上段 と下段 は水色 。中段 は黄色 。答 えの数 は黄 緑色 。百太郎 は黄色 。- トラベルチャンスの
答 えの数 は水色 。百太郎 は黄 緑色 。
通常 放送 終了 後 のリバイバル
[- TBSのバラエティ
番組 などで何 度 か番組 のセットが使用 されたことがあったが(放送 期間 中 でもドラマ番組 『うちの子 にかぎって』で本番 組 のセットが使 われていた)、番組 終了 約 3ヶ月 後 の1993年 1月 に正月 特番 で復活 したのが最初 のリバイバル版 である。 - 2
回 目 は2000年 12月30日 に放送 された長時間 特別 番組 『SAMBA・TV』の1コーナー(司会 :福留 功男 、薬丸 裕英 )で復活 。関口 の司会 で「SANBA・TV」チーム(薬丸 ・爆笑 問題 ・中澤 裕子 (当時 モーニング娘 。)・矢口 真里 (同 ))と「シドニー五輪 女子 競泳 メダリスト」チーム(田中 雅美 ・中村 真衣 ・大西 順子 ・源 純 夏 ・中尾 美樹 )が対戦 した。 - 3
回 目 は2004年 3月30日 に放送 された『ぴったんこカン・カン春 の祭典 スペシャル』で復活 。「ぴったんこカン・カン」vs「渡 る世間 は鬼 ばかり」、当時 の新 ドラマ「オレンジデイズ」vs「新 しい風 」、長寿 番組 「水戸黄門 第 33部 」vs「はなまるマーケット」の対戦 カードが組 まれた。ただし、過去 2回 担当 した関口 ではなく、久本 雅美 (「ぴったんこvs渡 鬼 」、「水戸黄門 vsはなまる」)とTBSアナウンサー・安住 紳 一郎 (「オレンジデイズvs新 しい風 」。また、ぴったんこチームの解答 者 としても出演 )司会 での再 復活 となった。なお、マスコットマークは百太郎 ではなく同 番組 のキャラクター「ぴったんこガエル」が使 われた。さらに新 ドラマ対決 ではチャンス問題 (先行 チームがあらかじめ決 まっている問題 。それ以外 は通常 のルール)が出題 されたり、長寿 番組 対決 では放送 上 途中 で打 ち切 られて勝利 を確定 されたり、「トラベルチャンス」での出題 が3人 になるなど、レギュラー番組 時 や最初 のリバイバル時 、『SAMBA TV』放送 時 とは違 う番組 進行 となった。また、チームの獲得 賞金 の金額 表示 やトラベルチャンスの得点 表示 が反転 式 からデジタル表示 に変 わっていた。
趣旨
[問題 レベル
[解答 パネラーは一般 の視聴 者 5人 でチームを組 み、2チームで得点 を争 う(通常 は家族 ・親類 同士 。回 によっては芸能人 など。大学 クイズサークル同士 も稀 にあり)。そのため大概 、出場 申 し込 みの告知 テロップが番組 内 で表示 された場合 、5人 全員 の名前 とそれぞれの続柄 (例 として代表 者 は「父 」続 いて「母 」、以下 「長女 」もしくは「いとこ」など)を記入 する旨 が表示 されていた。問題 は「都内 に勤務 するOL100人 に聞 きました、答 えは7つ。昼休 みにオススメの休憩 スポットといえばどこ?」のように出題 される。- より
多 くの人 が答 えた回答 から1・2・3…と並 んでいる。 答 えとなりうるのは基本 的 に2人 以上 が答 えたものであるが、答 えの数 は表示 パネルの都合 上 最大 9つであるため、回答 人数 が同数 になった答 えが複数 ある場合 は2人 以上 答 えていても少数 意見 になる場合 もある(この「少数 意見 」すなわちボツとなった意見 については途中 のCM前 に紹介 される場合 がある。中 には珍 答 も多 く、スタジオ内 が大 爆笑 になる)。このため、大概 は全部 開 けても有効 回答 の合計 人数 は100人 にはならなかったが、まれに合計 100人 になる場合 もあった。また、答 えの数 は最大 でも9つであるが、ほとんどの問題 で答 えは5 - 8つになっている。ごくまれに4つの場合 もあり、番組 史上 最 も少 なかったのは3つである。答 えが8つまでの場合 、余 ったパネルには百太郎 マーク[注 5] が表示 されるが、答 えが9つある場合 はパネルが全 て埋 まっているため百太郎 マークは表示 されない。
オープニング
[画面 向 かって左側 が赤 チーム、右側 が青 チームに分 かれており、タイトル表示 後 に橋本 の紹介 で赤 チーム、青 チームの順 に出場 者 が登場 (音楽 が変更 された初期 は、両 チーム同時 に登場 した)。そして青 チームの登場 口 から関口 が登場 (初期 は、手前 から画面 にフレームインする形 で登場 した)、各 チームの出場 者 と手 をタッチする。その後 、関口 の笑 いを交 えたオープニングトーク後 にクイズ開始 となる。- スペシャルでは
全 チームが赤 チーム、青 チームそれぞれの登場 口 から交互 に登場 し、スタジオ中央 で紹介 を受 けて後 ろに下 がっていた。関口 が登場 してオープニングトーク後 に組 み合 わせ抽選 をしていた。 - なお、2000
年 大晦日 放送 のSAMBA・TVのオープニングトークは、銀座 の30・40代 の男女 100人 に聞 いた「『クイズ100人 に聞 きました』と聞 いて、まず何 を思 い出 すか」の結果 が発表 され、1位 は「関口 宏 」で80人 、2位 は「ある!ある!ある!」で11人 、3位 は「司会 者 がひじをつく」で3人 、4位 は「トラベルチャンス」で2人 、5位 は「キツネのマーク」で2人 であった。これらの人数 を合計 すると98人 となり、残 りの2人 が少数 意見 として発表 され、1人 は「『見送 り』の旗 」、もう1人 は「友人 が出場 してハワイへ行 った」であった。
- スペシャルでは
- なおオープニングは、
初期 から後期 は正面 の9分割 スクリーンでタイトル表示 をしていた(上段 ・下段 にアンケートに答 えてくれた一般 の人 、中段 に「ク」「イ」「ズ」と表示 され、スクリーンの切 り替 えで上段 に「10」「0人 」「に」、中段 に「聞」「き」「ま」、下段 に「し」「た」「百太郎 マーク」と表示 されるが、スペシャル番組 の時 は百太郎 マークが「スペシャル」、クイズまるごと大 集合 の時 は「クイズまるごと大 集合 」と表示 され、ウルトラマンVS仮面 ライダーの回 では、ウルトラマンと仮面 ライダーのミニキャラクターが表示 された。なお、家族 対抗 クイズ合戦 の時 は、9面 に百太郎 マークが出 され、スクリーンの切 り替 えで上段 に「家 」「族 」「対抗 」、中段 に「ク」「イ」「ズ」、下段 に「合 」「戦 」「百太郎 マーク」と表示 されていた)。音楽 が変 わった末期 はスタジオ全体 が映 され、9分割 のスクリーン全部 にアンケートに答 えてくれた一般 の人 、タイトル表示 がテロップ表示 に変更 される。最終 回 SPではスクリーン全体 に「100人 に聞 きました最終 回 感謝 大棚 ざらえ スペシャル」のタイトルが映 し出 され、それを斜 め上 から映 して同 じタイトルテロップを表示 させた。
ルール
[通常 問題
[問題 は全 5問 (40分 時代 は全 6問 、1990年 10月 から1992年 4月 頃 までは4問 )で、40分 時代 は5問 目 と6問 目 、30分 時代 は最終 問題 で獲得 得点 2倍 の逆転 チャンス問題 となる。
問題 毎 に先攻 ・後 攻 を決 めるため、各 チームから解答 者 が1人 ずつパネルの前 に設置 されている解答 台 に出 る。2問 目 以降 は順 に後方 へ移 る。6問 目 は代表 戦 で任意 のメンバーが出 る。その際 、互 いに握手 を交 わすこととなっており、交 わさなかった場合 でも関口 が握手 を促 す(稀 に握手 をしなかったにもかかわらず促 さないでスルーしたことがある)。これは第 1回 目 の放送 で、最初 の解答 者 が解答 台 に出 てきた時 に関口 が「お互 いに握手 でもしましょうか」と促 したのがきっかけである。関口 が問題 を読 み上 げ、早 押 しで解答 権 を得 て、順位 の高 い回答 を当 てる(相談 は不可 )。早 く押 した解答 者 が解答 して1位 を当 てると、無条件 にそのチームが先攻 となるが、1位 を当 てられなければ相手 チームに解答 権 が移 り、前 の回答 より高 い順位 の回答 を当 てれば先攻 となる。回答 人数 が同 じ回答 を答 えた場合 はパネルの番号 に関係 なく、早 押 しボタンを早 く押 したチームが先攻 となる(例 えば早 押 しを早 く押 した側 が6番 、後 に答 えた側 が5番 の回答 を開 けたとしても、5番 と6番 の回答 人数 が同 じなら、早 押 しボタンを早 く押 した側 のチームが先攻 となる)。但 し両者 正解 が出 ない場合 は、1つでも正解 が出 るまで続 く。先攻 チームは1人 ずつ順番 に解答 する(相談 可 )。なお、答 えの範囲 が広 すぎる(例 として「ごちそうと言 えば何 ?」の問題 に「肉 」と答 える)、2つ以上 の答 えが含 まれるなど、答 えた回答 が曖昧 で正誤 判定 がし辛 い場合 は、アタック音 の途中 でピンポン音 が数 回 鳴 らされ、より具体 的 な回答 をい直 す。アタック時 には観客 が「あるあるあるある!」と連呼 したあと、カメラがスクリーンに向 かってズームする(答 えが残 り1つの時 にはその1枚 のパネルにズームする)。正解 するとピンポン音 ともにパネルが開 き、答 えた人数 が得点 としてパネル上部 の白 い7セグの得点 盤 にプールされ、全 てのパネルが開 く(その時 のピンポン音 は長 い)と先攻 チームがその合計 点 を獲得 できる。不 正解 の場合 (パネルにない回答 、1度 出 た回答 を言 う)や制限 時間 内 (制限 時間 いっぱいで、警告 としてブザーを短 く数 回 鳴 らされる)に答 えられないなどの場合 は、ブザーを鳴 らされお手付 きとなり(画面 には□の中 に×マーク(ジャギー、赤色 )が出 る)、四角 の白地 に赤 く縁取 りされた赤 いバツマークのプラカードを持 たされる。3回 のお手 つきで先攻 チームは一旦 失格 。解答 権 が無 くなり、後 攻 チームに解答 権 が移 る(先攻 チームが解答 中 の間 に、後 攻 チームは相談 をして答 えをまとめる)。後 攻 チームは解答 権 は1回 、関口 の「せーの」の掛 け声 の後 に全員 で答 え、正解 で正解 分 の得点 と先攻 チームがプールした得点 の合計 点 を獲得 、先攻 チームは正式 に失格 となる。不 正解 の場合 は後 攻 チームが失格 となり、プールされている得点 を先攻 チームが獲得 する。最終 的 に得点 の多 いチームが勝利 (その際 、「勝利 ○○チーム」のテロップが出 る)。「トラベルチャンス」の挑戦 権 を得 る。
特別 企画 でのルール
[1
- クイズ
前 に、各 チーム代表 が所持 しているボールを抽選 ボックスに入 れ、関口 の抽選 で選 ばれた組 同士 で対戦 する。勝利 チームは決勝 進出 。敗 れた組 は、ペケ決定 戦 (最下位 決定 戦 )へ回 る。 - ペケ
決定 戦 は、宿題 クイズの要領 で、あらかじめ上位 の回答 をいくつか開 け、中位 の回答 (?のマークが出 た順位 の回答 )が何 だったかを当 てる。筆記 式 で、1人 正解 につき1点 (5人 全員 正解 なら5点 )。勝利 したチームは最下位 のチームの賞金 を全額 奪 い取 ることができる。これでも決着 が付 かない場合 はサドンデスとして各 チームの代表 者 1名 が一発 勝負 の通常 問題 に挑戦 し、点数 の高 い回答 を当 てたチームが勝利 。 決勝 戦 は3問 行 い、勝利 したチームがトラベルチャンスの挑戦 権 を得 る。
宿題 クイズ
[40
作戦
[トラベルチャンス
[勝利 チームが挑戦 し、解答 者 5人 が1人 ずつ順番 に1問 1答 の問題 を回答 (他 の解答 者 が答 えを教 えても構 わない。また、当初 は1問 毎 にアンケート対象 が異 なる問題 が出題 されたが、後 にテーマを発表 して5問 全 てアンケート対象 が同一 である問題 を出題 する方式 に変 わった)。最終 的 に5人 の合計 獲得 点数 によって、LOOK JTB(当初 は「日本交通公社 」で後 にJTBに社名 変更 )によるハワイ旅行 へ行 ける人数 が決定 する。- 「トラベルチャンス」では、9
分割 スクリーンではなく、専用 のソラリー式 (フラップ式 )表示 装置 付 きのパネルで行 われる。前期 はキャスター式 で、後期 は天井 から吊 り下 げられる方式 となっていた。 - パネルは、
上 から1段 目 に「トラベルチャンス」のタイトル(前期 のキャスター式 パネルにはなかった)、2段 目 は5つの百太郎 ランプで、旅行 の獲得 人数 に応 じて左 から順番 にランプが点 き、3段 目 の右 部分 は3桁 のフラップ板 の「TOTAL」表示 で、1問 毎 の合計 点数 が表示 され、4段 目 以降 は問題 の回答 のメインのフラップ板 と回答 人数 の2桁 のフラップ板 が、それぞれ5つずつある。なお、2チーム対戦 形式 のトラベルチャンスと最終 回生 放送 スペシャルでは通常 問題 と同 じく9分割 のマルチスクリーンが使 われた。また、2004年 3月 の『ぴったんこカン・カン春 の祭典 』では得点 部分 が赤 いデジタル表示 となった。スタート当初 はタイトル表示 は無 く、合計 点数 も表示 されていなかった。 - コーナー
開始 前 には、関口 の「○○(勝利 チームのチーム名 )チーム、○○万 ○○○○円 (獲得 賞金 )獲得 して、トラベルチャンス!」とコールした後 にアタック音 が流 れて、9分割 スクリーンにタイトルが表示 される。パネルがキャスター式 だった前期 はCM明 けにパネルがセットの真 ん中 に置 かれていたが、吊 り下 げ式 となった後期 はアタック音 に合 わせて天井 からパネルが降 りてきて、終了 後 は即座 に天井 へ戻 された。 解答 者 が回答 を言 った後 、関口 が「○○(回答 を複 唱)、トラベルチャンス!」とコールするとドラムロールが鳴 ってメインのフラップ板 が動 き、最初 はすぐ回答 が出 ない様 に、9つの飛行機 のマークがパラパラ漫画 の様 に左 から右 へ動 いた後 (ウルトラマンVS仮面 ライダーの回 では、奇 数 問 目 は飛 ぶウルトラマン、偶数 問 目 はバイクで走 る仮面 ライダーが動 く)、解答 した答 えがある場合 はチャイムが鳴 りながら[注 6] メインのフラップ板 に順位 と回答 、右側 の2桁 のフラップ板 に回答 人数 を表示 。不 正解 の場合 はブザーが鳴 らされ、メインのフラップ板 に赤 く縁取 りされた四角 の中 に赤 いバツマーク(画面 にも□の中 に×マーク(ジャギー、赤色 )が出 る)、右側 のフラップ板 に「0」が表示 される。その後 、関口 が主 な回答 を発表 中 [注 7]、画面 下 テロップで回答 の上位 3つと人数 が出 される。最終 的 に60点 以上 を獲得 するとファンファーレが鳴 り、天井 から大量 の紙吹雪 と風船 (赤 チームは赤 ・橙 ・桃 ・白 が各 2個 ずつ、青 チームは青 ・緑 ・黄 ・白 が各 2個 ずつの計 8個 )が降 り、さらには客席 から紙 テープが飛 んだ。なお、降 ってきた風船 は出場 者 あるいは観客 の子供 たちがもらうことができた(初期 は風船 がなかった)。得点 と旅行 に行 ける人数 は以下 の通 り(番組 でのルール説明 では、☆ではなく百太郎 マークが表示 される)。- 120
点 以上 …☆☆☆☆☆ - 100
点 〃 …☆☆☆☆ - 80
点 〃 …☆☆☆ - 70
点 〃 …☆☆ - 60
点 〃 …☆ - 59
点 以下 …0
- 120
- クイズ
中 にハワイ旅行 獲得 が1人 決定 する毎 に、関口 がチームカラーの百太郎 マークが入 った帽子 (初期 はピンクと水色 の帽子 だった)を解答 者 に被 せ、最終 的 な人数 が決定 すると関口 からハワイ旅行 を獲得 した解答 者 にLOOK JTBの旅行 カバンを渡 され、獲得 出来 なかった解答 者 と負 けチームの解答 者 はチームカラーに白 字 で「見送 り」と書 かれたペナントの形 をした旗 を持 つ(初期 はピンクに赤字 、水色 に青 字 だった)。またテレビ画面 には「おめでとう!! ハワイの旅 ○名 様 ご招待 」の字幕 スーパーが表示 される(1991年 3月 までは勝利 したチームの色 の文字 で[注 8]。1991年 4月 からは金色 の文字 で表示 された[注 9])。また、59点 以下 の場合 は間 が抜 けたBGM[注 10] が流 れ、紙吹雪 と風船 は降 らず旅行 獲得 者 なし・全員 見送 りで失格 (画面 上 では「残念 !」表示 )となり、客席 からの紙 テープも飛 ばなかった。高 得点 を稼 ぎつつ、問題 途中 で120点 以上 に達 した場合 は先述 の規定 に倣 いつつ、その時点 で問題 が残 っていてもそのまま打 ち切 って全員 ハワイ旅行 獲得 決定 となる。 前身 の「家族 対抗 …」時代 の前期 は解答 者 席 ではなく、「トラベルチャンス」のパネルの前 で紙吹雪 が降 った。海外 旅行 は当初 、シンガポール・バンコク・香港 の3カ所 で後 にグアム・サイパンの2カ所 だったが、最終 的 にハワイに落 ち着 いた。前身 の『家族 対抗 クイズ合戦 』も同 じパターンだった。回 によっては、特別 企画 として5つのメインフラップ板 に問題 のテーマが出 され、その中 から好 きな問題 を選 んで解答 する「えらべるトラベル」や、日本人 と外国 人 など、二 種類 のアンケート対象 者 に同 じ・類似 [注 11] したアンケートを回答 、一方 のアンケート対象 の結果 を参考 にして、もう一方 のアンケート対象 者 の回答 を当 てる「くらべるトラベル」等 もあった。また、くらべるトラベルでは、めくりフリップを使 って一方 のアンケート対象 者 の回答 を発表 後 に問題 を出 し、解答 後 にもう一方 のアンケート対象 者 の解答 を発表 した。- ハプニングとして、スタッフのミスで
失格 になったのに紙吹雪 と風船 を降 らせてしまった回 もあったり、誰 もいない敗者 チームの解答 席 に紙吹雪 と風船 を降 らせてしまった回 もあった。また「トラベルチャンス」の最中 に板 に載 っていた風船 が落 ちてきたり(関口 が「もう5人 獲得 になったの?」と発言 した)、何 かの拍子 で風船 が割 れてしまうハプニングもあった。 全員 見送 り・失格 となるBGMは3代 のパターンがあって、初代 は前半 のクイズで3問 ×がついたときと逆転 チャンスで失敗 した時 と同 じもの(最後 に「コケ」と入 る音調 のもの)、2代目 は「ヒューードン」の音調 のもの、3代目 はしおれた雰囲気 のものとなる(なお、3代目 のBGMは出身 大学 別 の芸能人 チーム対戦 で最下位 になったチームでも流 れていた)。不 正解 をしたり下位 の答 えを挙 げて5人 全員 獲得 が困難 になると、答 えた解答 者 にあらかじめ見送 りの旗 を持 たせることも見 られた。逆 に上位 の答 えを挙 げて5人 全員 獲得 に貢献 した解答 者 には60点 に到達 しない段階 から帽子 をかぶせることもあった。- ほとんどの
回 で最低 1人 ハワイ獲得 者 が出来 たが、ハワイ旅行 全員 見送 り、失格 となった回 も毎年 数 回 は必 ずあった(4人 目 まで不 正解 で0点 、または低 得点 しか獲得 出来 ず、アンカーでようやく1位 の点数 を獲得 しても1人 獲得 条件 の60点 にならず、失格 するケースもあった。また、5人 全員 獲得 すると宣言 しながら、結局 失格 となる不運 な結果 になった回 や2週 連続 で失格 となったことも過去 にあった)。中 にはハワイ旅行 が1人 も獲得 できず、あまりの悔 しさに号泣 した人 もいた。 - 1989
年 5月1日 放送 の第 515回 では10周年 スペシャルトラベルチャンスの時 は史上 初 のチーム対戦 を実施 。回答 表示 は従来 のフラップボードではなく通常 問題 の9分割 スクリーンを使 い、センターの早 押 し台 での1対 1の対決 で、関口 の問題 を読 み上 げ後 に早 押 し、早 く押 した先攻 の解答 者 が答 えて回答 した人数 が点数 として加算 、次 に押 せなかった後 攻 の解答 者 が答 えて答 えた人数 が点数 として加算 され、合計 得点 は各 チームのスコアボード、獲得 人数 は各 チームのスコアボード上部 に出 された百太郎 ランプに表示 される。これを順番 に5回 行 い、獲得 した点数 の多 いチームが優勝 となり、点数 に応 じた人数 分 の旅行 獲得 (獲得 人数 の点数 の条件 は通常 と同 じ)、点数 の少 なかったチームは点数 にかかわらず全員 「見送 り」となる。なので先攻 の解答 者 は1位 を狙 う、後 攻 の解答 者 はは先攻 が1位 なら2位 を狙 う、先攻 が2位 以下 なら1位 を狙 う必要 があり、無条件 で1位 ・高 得点 を狙 える先攻 が有利 、1位 ・高 得点 を当 てられない様 に運 を天 に任 せるしかない後 攻 は、やや不利 である。この時 の海外 旅行 はハワイではなく、オーストラリアだった。この対戦 形式 のトラベルチャンスはそれ以降 もスペシャル版 や1992年 8月 10日 、17日 、24日 放送 (第 678回 -第 680回 、夏休 み高校生 大会 )でも行 われた。パネルの色 は、トラベルチャンスの答 えの数 は赤色 、百太郎 は黄色 となっていた。 過去 の放送 の中 には4人 目 までに得点 が120点 以上 を獲得 ・全員 獲得 が確定 して、アンカーを行 わずに終了 した回 があるが、放送 されなかった問題 は宿題 クイズとして扱 われた。- 1989
年 12月18日 と同年 12月25日 と1990年 1月 8日 の放送 (第 547回 -第 549回 )では、3回 連続 でトラベルチャンスで全員 が獲得 し、ハワイ旅行 に行 くことができた事 もあった。 - ハワイ
旅行 獲得 人数 が4人 以下 の場合 、司会 の関口 は女性 解答 者 を優先 的 に帽子 をかぶせ、男性 解答 者 に見送 りの旗 を持 たせることが多 かった。そのために、「関口 は女性 に対 する態度 が甘 い」、「帽子 は高 得点 を取 った順 からかぶせるべき」などという批判 の投書 が番組 に多 く寄 せられていた。時 には子供 を優先 に帽子 をかぶせるケースもあったが、こちらはあまり批判 の投書 は無 かった。 - 2004
年 3月30日 の『ぴったんこカン・カン春 の祭典 』での「トラベルチャンス」は解答 者 が1・2回戦 が3人 、3回戦 が6人 で、1・2回戦 では70点 以上 で全員 獲得 、60点 台 で4人 、50点 台 で3人 、40点 台 で2人 、30点 台 で1人 、30点 未満 だと失格 、3回戦 のみ75点 以上 で全員 獲得 、65点 から74点 までだと5人 、55点 から64点 だと4人 、45点 から54点 だと3人 、35点 から44点 だと2人 、25点 から34点 だと1人 で、24点 以下 だと失格 となった。また、「素晴 らしい!全員 ハワイ獲得 !」(久本 が担当 して全員 獲得 )、「うん、ちょっと迷 っているか?」(最後 の問題 )→(その問題 が0人 で不 正解 となってしまい)「残念 !ハワイ旅行 はお二 方 のみ!」(安住 が担当 して2人 しか獲得 出来 ず)などと実況 までしていた。 関口 がハワイ旅行 獲得 者 確定 後 にコメントすることはなく、エンディングの歓声 と拍手 が渦巻 く中 、橋本 がハワイ旅行 獲得 人数 と獲得 賞金 を早口 で紹介 した。- アメリカをはじめ
世界 各国 で放送 されている「ファミリー・フュード」では、最後 の賞金 獲得 クイズとして、2人 の代表 者 にクイズを出題 し、200点 を目指 す「ファスト・マネー」が採用 されている。回答 者 の答 えを即座 に電光 掲示板 に表示 する演出 があるが、当時 の日本 の技術 では仮名 交 じり文 の表示 は困難 であったため、日本 オリジナルの「トラベルチャンス」が作 られた。
賞金
[賞金 は1点 につき500円 (後 に1987年 10月から700円 に変更 、1991年 4月 から4問 時代 と末期 ・SAMBA TVは1,000円 )。このほかに1987年 10月5日 放送 の第 438回 では19:00に引越 し(正確 には3年 ぶりに同 時刻 に復帰 )した記念 として7時 (7:00)にちなんで両 チームに700円 が、1991年 1月 28日 放送 の第 600回 では記念 に両 チームに600円 が特別 に賞金 に加算 されたり、300回 、400回 、500回 、600回 ごとにおいとしてスタジオの観客 に記念 品 として放送 回数 が焼印 された紅白 饅頭 がプレゼントされた。最終 回 に関 しては1点 につき700円 だった。
団体 戦 ルール
[1992
関口 が問題 を読 み上 げた後 、早 押 しで早 く押 したチームから順番 に、最大 で早 押 し4番目 のチームまで解答 権 を得 る。それ以降 のチームには解答 権 は無 い。早 押 し1番目 チームから解答 。正解 で答 えた人数 がチームの得点 としてプールされ、回答 を全部 開 けると得点 を総 取 り。不 正解 で早 押 し2番目 チームに解答 権 が移 る。早 押 し2番目 チームは、1番目 チームと同様 のルールで解答 、回答 を全部 開 けると1番目 チームがプールした得点 も横取 りとなって得点 を総 取 り。不 正解 で3番目 チームに解答 権 が移 り、やはり同様 のルールで解答 、不 正解 で早 押 し4番目 チームに解答 権 が移 る。早 押 し4番目 チームは解答 権 は1回 。正解 で正解 の得点 に加 え、1番目 から3番目 チームがプールした得点 を総 取 り、不 正解 で1番目 から3番目 のチームがそれぞれプールした得点 を獲得 。
スタッフ
[構成 :日 野原 幼 紀 、福岡 秀広 、大倉 利晴 、植竹 公和 、高橋 秀樹 、零 弘幸 、池田 裕 幾 、村田 松葉 他 音楽 :服部 克久 、安川 宙 志 制作 :古賀 一郎 - プロデューサー:
森 勲 、三角 英一 、岩原 貞雄 (プロデューサーのほとんどが居 作 昌 果 の元 で育 った部下 たちである) - ディレクター:
森 勲 、加藤 嘉一 (当 番組 司会 の関口 が司会 を担当 していた「クイズまるごと大 集合 」の後 番組 「オールスター感謝 祭 」立 ち上 げ初代 プロデューサー、元 ・TBSラジオ会長 )、伊 佐野 英樹 、小玉 滋彦 、熊谷 信也 、吉 橋 隆雄 他 美術 デザイン:加藤 昌男 美術 制作 :田島 末吉 、金野 寿雄 、和田 一郎 作画 :阿部 明 調査 協力 :輿論 科学 協会 、サン・ルミネ・コーポレーション旅行 協力 :日本交通公社 → LOOK JTB製作 著作 :TBS
変動
[セット |
スクリーン | |||
---|---|---|---|---|
1979.4 | 1984.9 | セット トラベルチャンスのパネルは、 |
5 トラベルチャンス | |
1984.10 | 1987.10 | セット トラベルチャンスのパネルは |
||
1987.10 | 1989.3 | トラベルチャンス | ||
1989.4 | 1989.12 | トラベルチャンスは | ||
1990.1 | 1991.3 | |||
1991.4 | 1992.9 | セット | ||
|
- セット
中央 に9枚 のフェード表示 式 スクリーンが設置 される(番組 を始 める時 はタイトルロゴを表示 した状態 )。スクリーンの左 に赤 チームの赤色 ・右 に青 チームの青色 のデジタルのスコアボード、上部 に得点 がプールされる白色 のデジタルのスコアボードが設置 されている。得点 の加算 の際 は、加算 されるチーム側 のスクリーン周 りの電 飾 が点滅 する。番組 後期 では、オープニングで3つのスコアボードに「100」と表示 されていた。各 チームの解答 席 の前 に、獲得 賞金 を表示 するフラップ式 の金額 表示 板 がある。 団体 戦 解答 席 の上部 にプールされた得点 、下部 に獲得 得点 がフラップ式 のスコアボードに表示 される。クイズダービーの予想 席 と類似 している。
ネット局
[系列 はネット終了 時点 (打 ち切 り時 はネット打 ち切 り時 )のもの。
ネット |
||||
---|---|---|---|---|
TBS |
||||
1980 | ||||
1982 | ||||
TBS |
1989 | |||
フジテレビ |
1983 1983 | |||
TBS |
1983 | |||
1984 | ||||
テレビユー |
TBS |
1990 | ||
1979 | ||||
TBS |
||||
→ |
1983 1983 | |||
1982 | ||||
TBS |
||||
RKB |
||||
補足
[この |
番組 開始 当初 から1982年 3月 までは、YKKの一 社 提供 [注 18] で、「YKKファミリーアワー」というオープニングキャッチがあった(ナレーションは伊武 雅刀 で「YKKがお送 りします」とコメント)。エンディングの提供 読 みは「この番組 はファスナーとアルミ建材 のYKK吉田工業 ・吉田 商事 の提供 でお送 りしました」だった。ヒッチハイクとしてヤクルト本社 とライオンのCMが流 されており、そのうちライオンは1982年 4月 からはYKKとの二 社 提供 として本 提供 に参加 。さらに1984年 10月 から4、5社 提供 に移行 後 もYKKとライオンは筆頭 スポンサーに連 ねたが、1991年 9月 をもってYKKは撤退 。1991年 10月 以降 はライオンを筆頭 に、カプコン、日本 タッパーウェア、日本 ハムなど複数 社 となった(複数 社 提供 移行 後 のオープニング提供 読 みはナレーションの橋本 テツヤが担当 )。[注 19]- この
番組 は、門戸 が狭 い視聴 者 参加 のクイズ番組 の一 つに挙 げられていた。実際 1980年代 前半 には競争 率 1000倍 (1983年 8月 24日 のスポーツニッポン内 の記事 より)にもなったといわれている。 - センターの
早 押 し台 の早 押 しボタンは、赤色 のマーカーランプが使用 されているが、このランプの透明 プラスチックカバーの中 に電球 が入 っており、早 く押 すと電球 が点 く仕組 みになっている。過去 の放送 の中 には本番 中 に早 押 しボタンを押 す際 に勢 いをつけ過 ぎて、ボタンが根元 から外 れるハプニングがあった。1回 は最終 問題 だったため事 なきを得 たものの、もう1回 は最初 の問題 で発生 したので、スタッフが修理 してその後 再開 した。またボタンが大 きかったため、SAMBA・TVで矢口 真里 が早 押 しボタンを押 す際 、ボタンの横 を叩 いてランプが点 かず、対戦 相手 の中尾 美樹 に押 されてしまうハプニングがあった。 - セットの9
分割 スクリーン(リアプロジェクション式 9画面 マルチスクリーン)の作 り方 、操作 方法 は(1975年 までTBS系列 で放送 していた)ABC製作 のクイズ番組 『霊感 ヤマカン第六感 』のスタッフに作 り方 を聞 いて作 られたものであった。「家族 対抗 クイズ合戦 」時代 の初期 は画面 の切 り替 わりが一旦 消灯 して再 表示 するしくみだったが、後 にフェード表示 で切 り替 わるしくみに変更 された。消灯 した時点 で正解 か不 正解 かがわかってしまい面白 みが減 ることを防 ぐためと思 われる。東海 テレビ「家族 対抗 チャンスクイズ」でも使用 された(こちらは、「霊感 …」同様 に一旦 消灯 して再 表示 するものだった)。 - マスコットとして「
百太郎 (ひゃくたろう)」が番組 開始 当初 から設定 されていた。当初 はイラストばかりだったが後 に着 ぐるみが作 られ、スタジオやロケなどに登場 するなど活躍 していた。百太郎 はホッキョクギツネであるが、「これは何 の動物 だと思 うか」という問題 が出題 されたことがある(多 くの人 が思 った答 えを当 てる)。 - 1
回 だけトラベルチャンス中 にニュースが番組 を中断 して挿入 されてしまい、次 番組 『わいわいスポーツ塾 』以降 の番組 が10分 繰 り下 がってしまったことがあった。他 系列 の同時 ネット番組 が無 いJNN系列 ならではのエピソードである。 番組 では答 えが1つになる問題 を探 したり、毎年 プロ野球 のペケチーム予想 (今年 優勝 しそうもないチームの予想 )を行 っていた。死者 に鞭 を打 つと困 るためトップのチームは公表 しなかったが、残 りのチームが全 て出 ているほか、関口 がペケチームの親会社 に引 っかけたオチを言 う(例 ・ロッテオリオンズ(当時 )の場合 「ロッテのガムでも噛 んで頑張 っていただきたい。」1990年 4月 2日 放送 分 )ため、結局 は分 かってしまう。- 「
耳 の大 きな動物 といえば?」という問題 で全部 の回答 が開 いて合計 が99だったということがあった。「じゃあ、残 り1つはなんだったんでしょう?」と回答 外 の答 が紹介 されたことがあった。残 り1つは「江川 卓 」だった。 - 1979
年 4月 2日 放送 の第 1回 は、当時 プロボクシング世界 チャンピオンで8度目 の防衛 戦 を1週間 後 に控 えていた具志堅 用 高 の家族 (テロップでは「協栄 ジム具志堅 チーム」)と一般人 家族 の対戦 だった。「トラベルチャンス」は具志堅 チームが挑戦 したが、第 1回 早々 海外 旅行 獲得 はならず、失格 となった。このときの橋本 の関口 紹介 のコメントは「進行 は、100人 に聞 いた結果 選 ばれた関口 宏 (この時 は「せきぐちー」とは伸 ばさなかった)」で、その後 の関口 の第一声 は「いよいよ始 まりました。この春 最大 の話題 を呼 んだ『クイズ100人 に聞 きました』でございます。」であった。この回 で出題 された「しりとりで卵 と言 ったら次 は何 ?」という問題 は12年 後 の600回 記念 でも出題 された。また、具志堅 は最終 回 にも「ボクシングチャンピオンチーム」として出場 した。 - 1981
年 ごろ、山田 邦子 も芸能 界 デビュー前 に家族 で挑戦 したが予選 で敗退 した。またこの頃 、芸能 界 デビュー前 の山口 美江 が出題 用 の街頭 アンケートに答 えている。山田 は後 に芸能 界 に入 る前 、父 から芸能 界 に入 ることを反対 されて、山田 が芸能 界 に入 る際 に関口 が懸命 に山田 の父 を説得 し最終 的 に認 められたという逸話 がある。現在 も山田 に取 って関口 は恩人 である。 - 1984
年 ごろ、島田 奈央子 (島田 奈美 )もアイドルとしてデビューする前 に一家 で番組 に出場 した。[注 20] - 1986
年 12月29日 放送 で、当時 自民党 所属 (現在 は立憲 民主党 所属 )の小沢 一郎 衆議院 議員 (『学校 別 大学 OB大会 』で、慶應義塾大学 の出身 として出演 )も解答 者 として出場 したことがある。 - 1987
年 12月28日 放送 の第 450回 では本 放送 期間 中 で唯一 の同点 決勝 があった。最終 問題 が終 わった時点 で同点 となったため。万 が一 同点 の場合 に備 えての決勝 問題 が通常 問題 とは別 に用意 されていた。最終 回 ではこのときの決勝 問題 をそのまま流用 して通常 対戦 を行 った。 - 1988
年 頃 、通称 「屋根裏 のアナウンサー」こと、ナレーターの橋本 テツヤの声 が「怖 い」という投書 が全国 各地 から番組 宛 に寄 せられたことを番組 冒頭 で紹介 。司会 の関口 は秋田 県 と山形 県 からだけはそういった投書 が一 通 も来 なかった旨 を話 し、「スタッフが調 べました。秋田 と山形 では番組 をやっていなかったんですねー。」と話 したことがある。 - フジテレビのバラエティ
番組 『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』で、本家 がOA中 にもかかわらず番組 のパロディがOAされた(タイトルは「クイズ5,6人 に聞 いちゃいました」)。司会 役 は関口 に扮 した内村 光良 (その時 の役名 は" (カタカナの「ロ」)関 ロ宏 ")であったがなんとゲリラで関口 本人 が登場 し、司会 を務 める。南原 扮 する加山 雄三 が関口 に対 して「僕 はあれを見 てみたいんだね」と例 の肘 を付 く仕草 を催促 したところ、一見 同 じように見 えるセットが本物 に比 べて高 さが少 し高 かったらしく、「高 いんだよ」と指摘 したり、内村 扮 する関 ロに対 して司会 ぶりや進行 振 りのダメ出 しを行 った。- その
後 、1992年 2月 17日 放送 の第 654回 で『やるならやらねば』のレギュラー出演 者 (内村 光良 、南原 清隆 、ちはる、名古屋 章 、神田 利則 )が出場 し、『サンデーモーニング』チーム(新堀 俊明 、三屋 裕子 、ケント・ギルバート、高木 希世子 、ペマ・ギャルポ)と対決 した(TBSチャンネルでは再 放送 なし)。『やるやら』で乱入 したことからウッチャンナンチャンとの因縁 が始 まり、その後 『関口 宏 の東京 フレンドパーク』に変 わってからは、『ムーブ』時代 に「パーフェクトを達成 して関口 の(当時 白 くなりだしていた)前髪 を染 めてやる!」とウンナンが何 度 も来 園 したあたりまで続 いた。ちなみに2度 挑戦 して、ともに最後 のアトラクション(ハイパーホッケー)で失敗 したため関口 の前髪 を染 めさせることは阻止 され、逆 にウンナンがスタジオ内 の清掃 係 をさせられたが『関口 宏 の東京 フレンドパークII』の2002年 6月 10日 放送 で内村 がウルトラキャッツのメンバーとして出演 、グランドスラムを達成 し内村 にとっては2度 の雪辱 を果 たす形 となった。
- その
- 1992
年 7月 20日 放送 の第 675回 では対戦 チームの苗字 がいずれも「鈴木 」だった(TBSチャンネルでは2006年 1月 9・16日 に再 放送 )。 - 1992
年 8月 3日 放送 の第 677回 ではウルトラマンチーム対 仮面 ライダーチームが対決 (TBSチャンネルでは放送 なし)。
- なお
小林 はウルトラシリーズにも出演 (ムラマツ隊長 ……ウルトラマンに登場 )しているため、ウルトラチームから「裏切 り者 !」と呼 ばれ、場内 の笑 いを誘 った。
- レギュラー
放送 での番組 対抗 戦 は、既 に『家族 対抗 クイズ合戦 』1978年 8月 27日 放送 分 [7] に1回 だけ行 われていた。出場 番組 は、『スポーツケンちゃん』と『コメットさん(新 )』だった。どちらも国際 放映 の作品 であり、さらに家族 がテーマの番組 だった。 - 1992
年 9月28日 の最終 回 (第 684回 )では1時 間 の生放送 スペシャルで、ハワイ旅行 大 放出 の回 であった。人気 番組 出演 者 、タレント、TBSアナウンサー、一般 家族 の計 10チームが出場 。対戦 相手 はくじ引 きで決定 、1問 だけの勝負 で、勝 ったチームがその場 でトラベルチャンスに挑戦 。そのため両 チームのテーブルには予 め帽子 と「見送 り」旗 が置 いてあった。全 チーム対戦 後 、残 り時間 があれば1度 勝負 に敗 れたチーム同士 での敗者 復活 もあり、1回 だけ行 われた。最後 は出演 者 全員 、ナレーターの橋本 、番組 スタッフが集 まってエンディングとなり、9分割 スクリーンには「14」「年 」「間 」「あ」「り」「が」「と」「う」「百太郎 マーク」と出 された。また生放送 で時間 がなかったため、巻 きで進行 する忙 しさのあまり関口 が3問 お手 つきで3つ目 の「×」のプラカードを渡 すつもりが「見送 り」の旗 を渡 す、トラベルチャンスではフラップ板 ではなく9分割 スクリーンを使 う為 、解答 者 が答 えたランキングが常時 表示 されず、ハワイ行 き確定 の帽子 を被 せる際 に誰 が1位 か分 からずに(1位 を答 えた解答 者 を優先 させるため)解答 者 の自己 申告 や女性 優先 で帽子 を被 せる、「見送 り」旗 ではなく「×」のプラカードを持 たせる場面 も見 られた。また、合計 得点 は勝利 チームのスコアボード、獲得 人数 はスクリーン上部 の白 いスコアボードに表示 された(TBSチャンネルでは放送 なし)。 - 1988
年 3月29日 放送 の『クイズまるごと大 集合 1988年 春 』で『100人 に聞 きました』の問題 の中 に南極 越冬 隊員 37人 に聞 いた問題 も出題 された(質問 は「仕事 がない時 は何 をして過 ごす?」だった。出場 チームの解答 者 の中 には「人形 と遊 ぶ」という珍 解答 もあった)。この時 の『クイズまるごと大 集合 』の第 1次 予選 の『100人 に聞 きました』では1問 勝負 で勝 ったチームには無条件 で100点 (回 によっては1000点 、1500点 )が加算 される設定 となっていた。また別 の回 では、プロゴルファーの岡本 綾子 1人 に聞 き、回答 に優先 順位 を付 けた「ゴルフをする時 、これが無 いと困 る物 」という問題 が出題 、勝者 チームに500点 加算 されるルールであった為 、本 放送 にはまったくない100人 に満 たない人数 で聞 いた問題 も存在 していた。 - また、1991
年 春 の『クイズまるごと大 集合 』では競馬 にまつわる問題 で別 の回答 から「調教 師 」が開 いてしまい、スタジオで控 えていた大橋 巨泉 からクレームがあった。そのため得点 こそ認 めるが不 正解 扱 いで解答 権 は失 うと言 う異例 の措置 が取 られた。 解答 後 はカメラがパネルに向 かってズームするが、最後 の1枚 の際 はそのパネルに向 かってズームする。解答 者 が答 えた回答 が正解 の回答 と微妙 な場合 、スタッフが判定 する為 、アタック音 の後 に数 秒 の間 が空 く事 がある。それで不 正解 の場合 は大 きなヒントとなる。解答 者 が上手 く説明 出来 ず、まとめられない解答 があると、関口 は少 しの間 の後 「それ!」と言 って判定 を委 ねる事 があった。大抵 は不 正解 の場合 が多 い。曖昧 な答 のい直 しを促 すチャイム音 を、司会 の関口 は「チンポン」と表現 していた。視聴 者 から言葉 の響 きに「違和感 」がある等 の投書 が寄 せられたりしたものの、関口 は「別 におかしくないと思 いますが」として、い替 えることは無 かった- 1990
年 頃 、出身 大学 対抗 の芸能人 大会 があり、日本 大学 をはじめ、同窓生 同士 の男女 混成 の5人 衆 がクイズに挑 んでいた。また同 時期 の正月 特番 で芸能人 の出身 県 別 対抗 大会 があった。男女 3人組 で1問 先取 勝 ち抜 きトーナメント方式 だった。山梨 県 代表 ではプロレスラーのジャンボ鶴田 も出演 していた。 番組 終了 から3カ月 後 の1993年 1月 、正月 特番 で再 登場 した(チームは大学生 チーム、解答 者 はみのもんた・渡辺 正行 )。得点 表示 は一般 的 なデジタル数字 (7セグメントディスプレイ)表示 であるが、唯一 「4」だけ通常 のデジタル表示 で使 われるデザインではなく、横 棒 の右側 部分 が突 き抜 けていた。- 1990
年 1月 8日 の放送 (第 549回 )で、使用 されている音楽 (テーマソングや、あるあるあるーの時 や、3人 ×の音楽 )がリニューアルされた。その後 今回 のリニューアルが良 かったか良 くなかったか葉書 によるアンケートが行 われた。良 かったと書 いた人 には抽選 で賞品 (リニューアルした音楽 を収録 したカセットテープ)が当 たるというアンケートだったにもかかわらず、良 くなかったという葉書 が届 いていた(番組 内 では「大 失敗 」と書 かれた葉書 を紹介 していた)。やはり違和感 があったためか1991年 4月 にあるあるあるーのBGMは元 の曲 をアレンジしたものに変 えられた(テーマソングはアレンジされ、3人 ×の音楽 はそのまま使 われた)。 番組 後期 辺 りから、スタッフクレジットに感謝 の意味 をこめてアンケートに答 えてくれた100人 も(「○○(サラリーマン、高校生 など)100人 のみなさん」の後 に「ありがとうございました」と)クレジットされた。さらに、1991年 10月 にTBSのロゴが「ミクロコスモスTBS」に変 わると制作 著作 のクレジットがCGアニメーションへと変更 された(アニメーションは当時 の局 名 告知 と同 じ、現在 制作 著作 クレジットをCGアニメにする演出 はテレビ朝日 が生 番組 で取 り入 れている)。- 1980
年 から1984年 までTBS系列 で放送 された正月 特番 『超 豪華 !番組 対抗 かくし芸 』では、1980から1982年 まで隠 し芸 と隠 し芸 の合間 のワンコーナーとして、隠 し芸 参加 番組 出演 者 がクイズを行 っており、関口 と橋本 もコーナー担当 として参加 していた。その後 1983年 には『クイズ天国 と地獄 』、1984年 には『ザ・チャンス!』にコーナーを変更 したが、関口 は1984年 に、それまで愛川 欽也 が担当 した総合 司会 を務 めた。
書籍
[- クイズ100
人 に聞 きました(1979年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05015-5) - クイズ100
人 に聞 きました〈第 2集 〉(1979年 、朝日 ソノラマ) - クイズ100
人 に聞 きました〈第 3集 〉(1980年 、朝日 ソノラマ) - クイズ100
人 に聞 きました〈第 4集 〉(1980年 、朝日 ソノラマ) - クイズ100
人 に聞 きました〈第 5集 〉(1981年 、朝日 ソノラマ) - クイズ100
人 に聞 きました〈第 6集 〉(1981年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05024-7) - クイズ100
人 に聞 きました〈第 7集 〉(1982年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05032-2) - クイズ100
人 に聞 きました〈第 8集 〉(1983年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05034-6) - クイズ100
人 に聞 きました〈第 9集 〉(1983年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05036-0) - クイズ100
人 に聞 きました〈第 10集 〉(1983年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05040-7) - クイズ100
人 に聞 きました〈'85年版 〉(1984年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05047-6) - クイズ100
人 に聞 きました〈'86年版 〉(1985年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05055-1) - クイズ100
人 に聞 きました〈'87年版 〉(1986年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05068-1) - クイズ100
人 に聞 きました〈'88年版 〉(1987年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05070-4) - クイズ100
人 に聞 きました〈'89年版 〉(1988年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05072-8) - クイズ100
人 に聞 きました〈'90年版 〉(1989年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05074-2) - クイズ100
人 に聞 きました〈'91年版 〉(1990年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05075-9) - クイズ100
人 に聞 きました〈'92年版 〉(1991年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05078-0) - クイズ100
人 に聞 きました〈'93年版 〉(1992年 、朝日 ソノラマ、ISBN 978-4-257-05081-0)
パロディ
[- オレたちひょうきん
族 (フジテレビ)のコーナードラマ「タケちゃんマン」第 97話 「タケちゃんマンのクイズ必勝 法 の巻 」(1983年 11月26日 放送 )にて、ビートたけし扮 する竹 造 らが様々 なクイズ番組 に挑戦 するストーリーの中 で登場 。本家 との相違 点 番組 タイトルは、「クイズ何 人 かに聞 きました」- パネル
表示 の画面 の切 り替 わりが手動 式 で下 にパネルが下 がる方式 となっていた。 - マスコットマークも
西武 ライオンズのレオマークが使 われていた(球団 からの使用 許諾 が降 りた為 、使用 出来 たと思 われる)。 - トラベルチャンスが
無 く、優勝 チームはハワイ獲得 となった(あくまでもパロディで、実際 にはハワイ獲得 していない)。
- ビートたけしの
全日本 お笑 い研究所 (日本 テレビ)でも1988年 6月 15日 放送 の「北野 さん一家 のクイズ日記 」のコーナーで「クイズ100人 に聞 いてしまいました」があった。司会 は大平 サブロー扮 する関口 ぴろし。本家 との相違 点 解答 パネラーは1チームで3人 だった。答 えの数 が4個 である。点数 表示 がデジタル式 ではなく、電球 方式 であった。- パネル
表示 の画面 の切 り替 わりが手動 式 で、パネルが横 回転 出来 る方式 となっていた。 先攻 チームが1つでも「×」マークが付 くと、解答 権 は後 攻 チームに移 っていた。- マスコットマークも
番組 オリジナルのウサギをイメージしたイラストが使 われていた。 - トラベルチャンスが
有 り、優勝 チームはハワイ獲得 となった(あくまでもパロディで、実際 にはハワイ獲得 していない)。
- カッ
飛 び!花 マル塾 (テレビ朝日 )では「芸能人 100人 に聞 いてしまいました!!」のコーナーがあった。司会 は山城 新伍 。パネルを空 けるBGMはオリジナル。 邦 ちゃんのやまだかつてないテレビ(フジテレビ)でも「クイズ役人 に聞 きました」のコーナーがあった。司会 は関根 勤 が本家 の関口 の物 まねで司会 。- ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!!(フジテレビ)でも「クイズ5,6
人 に聞 きました」のコーナーがあった。司会 は内村 光良 扮 する関 ロ宏 (せきろひろし、「関 ロ」の「ロ」は片仮名 の「ロ(ろ)」)。 - それゆけ!マーシー(MBS
制作 ・TBS系 )でも「芸能人 とデート」のコーナーがあり、クイズ100人 に聞 きましたと同 じ手法 だった。本家 との相違 点 答 えが芸能人 にまつわるエピソードで9個 あった。出場 チームが女性 チーム3人 1組 で2チームだった。- パネルの
前 に設置 されている解答 台 がなく問題 の早 押 しも解答 席 から押 す形 でシンキングタイムの音楽 も流 れていた。 解答 席 の賞金 表示 のソラリー表示 が無 かった。誤 答 時 のテロップが「×」マークではなく田代 まさしの似顔絵 が流 れていた(涙 を流 すアレンジが施 されていた)。- トラベルチャンスがなく、
賞品 は勝者 の代表 者 に芸能人 とのデートタイムと収録 したテープのプレゼントだった。
- スーパークイズスペシャル、
島田 紳助 がオールスターの皆様 に芸能 界 の厳 しさ教 えますスペシャル!(日本 テレビ系列 、後者 は読売 テレビ制作 )では、「クイズ100人 に聞 いたら1人 しか答 えませんでした」といったコーナーがあった。なお当 番組 は不定期 特番 であったが放送 初期 回 には関口 も司会 として出演 している。本家 との相 相違 点 - ある
事柄 に対 して、100人 にアンケートをした結果 、「1人 」しか答 えなかったものを当 てるクイズ。「2人 」以上 答 えたものが回答 した場合 、即 失格 となる。
- ある
- ビートたけしのフランスは
本当 に勲章 をくれたのかTV(TBSテレビ)では、「クイズ足立 区 約 100人 に聞 きました」のコーナーがあった。司会 はビートたけし扮 する関口 少年 。本家 との相違 点 - マスコットマークはビートたけしの
似顔絵 が用 いられた。 一部 問題 は大人 の事情 でお題 が出 されず、ヒントとして正答 を一 つか二 つ開示 しそこからお題 を予想 し解答 する形 となり、正解 回答 が出 ても音声 が伏 せられスクリーンにも「大人 の事情 」のみしか表示 されないものもあった。- トラベルチャンスが
無 く、優勝 チームはザンビア旅行 獲得 となった(あくまでもパロディで、この時 たけしは「ザンビアへ行 って少年 兵 と戦 っていただきます」とコメントしていた。また実際 にはザンビア旅行 を獲得 していない)。
- マスコットマークはビートたけしの
クイズ100人 に聞 きました形式 のクイズを行 っていた番組
[- とんねるずの
生 でダラダラいかせて!!(日本 テレビ):「クイズ100人 ぐらいに聞 きました」- この時 は4人 ×で相手 に解答 権 が移 るというルールだった。 加 トちゃんケンちゃんスペシャル(テレビ朝日 ):「芸能人 100人 に聞 きました」-不 正解 の時 に解答 権 が移 るというルールだった。- タモリのボキャブラ
天国 (フジテレビ):「クイズ100人 がボキャブりました」 - EXテレビ(
読売 テレビの担当 日 ):「クイズ100人 が言 いませんでした」→「クイズ1人 しか言 いませんでした」
- この
形式 は『スーパークイズスペシャル』と『島田 紳助 がオールスターの皆様 に芸能 界 の厳 しさ教 えますスペシャル!』でも行 われた
第 4回 FNS1億 2,000万 人 のクイズ王 決定 戦 !(フジテレビ):「第 3ラウンド★ステップ1・対戦 早 押 しクイズ」
早 押 しの解答 スタイルをそのまま採用 した。
日向 坂 で会 いましょう(テレビ東京 ):「クイズ!おひさま100人 ぐらいに聞 きました」[8]
- 2022
年 10月 16日 (2022年 10月 17日 深夜 )にて放送 。日向 坂 46メンバーの出身 地 で分 けた東日本 チームと西日本 チームが対戦 した。きつねのキャラクターが出 てくるなど、ほぼ当 番組 に近 い形式 で放送 された。
脚注
[注釈
[- ^ 1984
年 10月から1987年 9月までは、19:20 - 20:00 - ^
後 番組 『関口 宏 の東京 フレンドパーク』も続投 。 - ^ オープニングの
提供 クレジットはVTRに組 まれた。また、エンディングの提供 読 みは当時 のTBSのアナウンサーが担当 (後述 のYKKの単独 提供 時 は藤田 恒美 だったが、その後 林 美雄 、宮内 鎮雄 など男性 アナの担当 に変更 した)。クレジットはブルーバックになっていた。 - ^ CoCoは
瀬能 あづさ脱退 後 のため4人 に減 っており、乙女 塾 での同僚 (所属 事務所 は別 )だった中嶋 と組 んだ。 - ^ ウルトラマンVS
仮面 ライダーの回 では、ウルトラマンと仮面 ライダーのミニキャラクター - ^ 4
位 以下 ではチャイムの音 は短 く鳴 る。 - ^
最終 問題 では発表 せず、最終 問題 でなくても1位 を当 てた場合 はしない事 もある。 - ^
画面 に何 度 も点滅 する表示 だった。 - ^
文字 が画面 中央 から拡大 してきて、ファンファーレが終 わると同時 にそのまま前 に行 く表示 だった。 - ^
通常 問題 の3回 お手 つきのBGMと同 じ。 - ^
日本人 に「外国 人 に食 べさせたい日本 料理 は?」、外国 人 に「好 きな日本 料理 は?」など。 - ^
福島 テレビは1983年 4月 にTBS系列 ・フジテレビ系列 とのクロスネット局 からフジテレビ系 フルネット局 にネットチェンジしたが、視聴 者 保護 のために1983年 4月 ~9月 までは番 販扱 いで放送 していた。未 放送 期間 中 は東京放送 ・東北放送 ・新潟放送 で視聴 可能 だった。 - ^
富山 県 に工場 を持 つスポンサーのYKKの意向 により同時 ネットを行 っていたが、1984年 秋 に『JNNニュースコープ』の放送 時間 拡大 に伴 って、同年 9月下旬 でネットを取 り止 め、アニメ『キャッツ・アイ』(日本 テレビ系列 )に切 り替 えた。ただし、1984年 10月 - 1990年 9月の間 も、新潟放送 または北陸放送 、さらには現在 の岐阜 県 飛騨 市 と隣 り合 う中部日本放送 の受信 が可能 な地域 では視聴 可能 であった。 - ^
厳密 にはサービス放送 初日 の同年 9月24日 から開始 している[6]。 - ^
北陸放送 や中部日本放送 、毎日放送 でも直接 受信 (一部 地域 のみ)か1989年 以降 順次 開局 したCATV局 での経由 で視聴 可能 であった。 - ^ ただし、
香川 県 では相互 乗 り入 れ以前 から山陽放送 や毎日放送 を通 じて視聴 可能 であった。 - ^
愛媛 県 のTBS系列 新 局 であるあいテレビは1992年 9月21日 付 で開局 前 サービス放送 を開始 しているが、開始 当日 は『わいわいスポーツ塾 』最終 回 スペシャルの放送 日 に当 たっており、当 番組 は同年 9月28日 の最終 回 スペシャルだけが放送 された。 - ^ 『YKKアワー キックボクシング
中継 』からの続投 - ^
企業 と広告 より - ^
島田 がパーソナリティを務 めていたラジオ番組 『RADIO-izm』(FM-FUJI)でも話 したことがある他 、『ザ・ベストテン』でもVTRが放送 された。1989年 5月1日 放送 の「10周年 記念 チャンピオン大会 」(第 515回 )でも紹介 があった。
出典
[- ^ 「〈
折 り込 み〉週間 番組 表 と番組 ガイド」『財界 ふくしま』第 12巻 第 11号 、行政 問題 研究所 、1983年 11月 10日 、89頁 、NDLJP:2832618/47。 - ^ 「テレ・ばらえてい」『
婦人 生活 』第 39巻 第 4号 、婦人生活社 、1985年 4月 1日 、72 - 73頁 、NDLJP:2324848/72。 - ^ 『
福島 民 報 』1983年 9月 26日 付 朝刊 テレビ欄 。 - ^ 『
福島 民 報 』1983年 11月28日 付 朝刊 テレビ欄 。 - ^ 『
北國 新聞 』1984年 9月 24日 付 朝刊 、テレビ欄 。 - ^ 『
北日本 新聞 』1990年 9月 24日 付 朝刊 12面 テレビ欄 。 - ^ 『
朝日新聞 縮刷 版 』朝日新聞社 、1978年 8月 27日 テレビ欄 。 - ^
テレビ東京 ・BSテレ東 『日向 坂 で会 いましょう【クイズ!おひさま100人 ぐらいに聞 きました】(テレビ東京 、2022/10/16 25:35 OA)の番組 情報 ページ |テレビ東京 ・BSテレ東 7ch(公式 )』 。2022年 10月 17日 閲覧 。
関連 項目
[- ムーブ
- クイズダービー
関口 宏 の東京 フレンドパークII- ザ・チャンス!
- わくわく
動物 ランド 霊感 ヤマカン第六感 家族 対抗 チャンスクイズ超 豪華 !番組 対抗 かくし芸 世界 で初 のクイズ!AとBとショー -当 番組 と同 じ関口 が司会 、橋本 がナレーターをそれぞれ務 めた。- クイズ
番組 - TBSテレビ
制作 番組 一覧
TBS |
||
---|---|---|
TBS |
||
---|---|---|
クイズ100
(1979 (1987 |
||
TBS |
||
YKKアワー キックボクシング
【 |
クイズ100
|
ムーブ「
※19:00 - 19:54 |
TBS |
||
クイズ100
(1984 |