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クラウス・ヨハニス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラウス・ヴェルナー・ヨハニス
ルーマニア: Klaus Werner Iohannis
ドイツ: Klaus Werner Johannis

クラウス・ヨハニス(2024ねん

任期にんき 2014ねん12月21にち

出生しゅっしょう (1959-06-13) 1959ねん6月13にち(65さい
ルーマニアの旗 ルーマニアシビウ
配偶はいぐうしゃ カルメン・ヨハニスドイツばん
署名しょめい

クラウス・ヴェルナー・ヨハニスルーマニア: Klaus Werner Iohannis, ドイツ: Klaus Werner Johannis[1][2], 1959ねん6月13にち シビウ - )は、ルーマニア政治せいじ同国どうこく大統領だいとうりょうである[3]

ヨハニスは、民族みんぞく集団しゅうだんとしてはルーマニア・ドイツじんドイツばんぞくし、2000ねんからシビウ市長しちょうつとめた。2014ねん6がつ28にち国民こくみん自由党じゆうとう(PNL)の議長ぎちょうとなり、2014ねん大統領だいとうりょう選挙せんきょ候補こうほ擁立ようりつされた[4][5]。その選挙せんきょ勝利しょうり[6]、2014ねん12月21にち大統領だいとうりょう就任しゅうにんした[7]

半生はんせい家族かぞく

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ヨハニスはトランシルヴァニア・ザクセンじん家族かぞくのもと「中産ちゅうさん階級かいきゅう環境かんきょう[8]」にそだった。ちちグスタフ・ハインツは技師ぎしははズザンネは看護かんごであった[8]。ヨハニスがかたるには、チスナディエドイツばんには1500ねんごろ記録きろくがあり、これによると祖先そせんは850ねんまえトランシルヴァニアシビウ周辺しゅうへん移住いじゅうし、以来いらいこのらしてきた、ということである[9]

1979ねんから1983ねんクルジュ=ナポカバベシュ=ボーヤイ大学だいがく物理ぶつりがくまなんだ。卒業そつぎょう、1983ねんから1989ねんにかけてシビウの様々さまざま学校がっこう教鞭きょうべんをとった。1989ねんから1997ねんには、地元じもとブルケンタール=リツェーウム英語えいごばん教職きょうしょくいた。1989ねんのルーマニア革命かくめいのち、1990ねん前年ぜんねん設立せつりつされたドイツ話者わしゃ少数しょうすう)を政治せいじてき代表だいひょうすることを目的もくてきとする団体だんたいルーマニア・ドイツじん民主みんしゅフォーラムドイツばん(DFDR)のメンバーとなった。

1997ねんにはシビウけんふく視学しがくかんちょう、1999ねんには視学しがくかんちょう昇進しょうしんした。2000ねん政界せいかい進出しんしゅつすると、このしょくした[10]

1989ねん以来いらいカルメン・ヨハニスドイツばん結婚けっこんしている。彼女かのじょ国立こくりつゲオルゲ・ラザル高等こうとう学校がっこう英語えいごばん英語えいご教師きょうしである。夫妻ふさいには子供こどもがいない[11]。1989ねんのルーマニア革命かくめいのちかれ両親りょうしんいもうとのクリスタ(Krista)は、ドイツ移住いじゅうし、ヴュルツブルク地域ちいきんでいる[8]

政治せいじ経歴けいれき

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シビウ市長しちょう(2000ねん

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市長しちょう時代じだい(2005ねん)

2000ねんにDFDRは、シビウ市長しちょう選挙せんきょ独自どくじ候補こうほ擁立ようりつすることをめ、クラウス・ヨハニスを指名しめいした。シビウのドイツけい人口じんこうは2%未満みまん少数しょうすうであるが、ヨハニスは69%のひょう当選とうせんし、ルーマニアの大都市だいとしはつのドイツけい市長しちょうとなった。だい1議会ぎかい運営うんえいでは社会しゃかい民主党みんしゅとう(PSD)と協力きょうりょくし、多数たすう形成けいせいした。

2004ねんにヨハニスは88.7%を得票とくひょうし、再選さいせんされた。ヨハニスは国外こくがいドイツけん投資とうしEU当局とうきょく良好りょうこう関係かんけいきずき、シビウを2007ねん欧州おうしゅう文化ぶんか首都しゅとルクセンブルク共同きょうどう)にすることに成功せいこうした。在任ざいにんちゅう実施じっししただい規模きぼなプロジェクトには、きゅう市街しがい修復しゅうふくぜん都市としインフラ更新こうしん道路どうろ電気でんき上下水道じょうげすいどう)、西欧せいおう水準すいじゅんでのシビウ空港くうこうドイツばん拡張かくちょう(2007ねん完成かんせい)がげられる。2008ねんには80%、2012ねんにはやく78%の得票とくひょうでシビウ市長しちょう再選さいせんされた。

ルーマニア首相しゅしょう候補こうほ(2009ねん

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2009ねん10がつ13にちにルーマニア首相しゅしょうエミール・ボック不信任ふしんにん投票とうひょうによって解任かいにんされると、ヨハニスは複数ふくすう政党せいとう国民こくみん自由党じゆうとうルーマニア・ハンガリーじん民主みんしゅ同盟どうめい国内こくない少数しょうすう政党せいとう)から後継こうけい推薦すいせんされた[12]。2009ねん10がつ14にち、ヨハニスは正式せいしき立候補りっこうほ表明ひょうめいした。10月15にちトラヤン・バセスク大統領だいとうりょうしん首相しゅしょう経済けいざい専門せんもんルチアン・クロイトル英語えいごばん指名しめいした[13]議会ぎかい過半数かはんすうはヨハニスを支持しじした。国民こくみん自由党じゆうとう党首とうしゅであり、2009ねんルーマニア大統領だいとうりょう候補こうほであるクリン・アントネスクドイツばんは、選挙せんきょ勝利しょうりしたあかつきには、ヨハニスを首相しゅしょう任命にんめいするつもりだ、と声明せいめいした[14]。しかし選挙せんきょ勝利しょうりしたのはバセスクであり、かれエミール・ボック組閣そかくめいじた。こうしてだいボックないかく成立せいりつした。

市民しみん野党やとうのリーダー(2014ねん

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2013ねん2がつ23にちにヨハニスは国民こくみん自由党じゆうとうだいいちふく議長ぎちょう選出せんしゅつされた。当時とうじどうとう社会しゃかい民主党みんしゅとう(PNL)と連立れんりつし、政権せいけん与党よとうであった。2014ねん2がつはじめ、PNLはヨハニスに内務ないむ大臣だいじんふく首相しゅしょうのポストを打診だしんしたが、ヴィクトル・ポンタ首相しゅしょうは2014ねん2がつ7にちにこれを拒否きょひした。連立れんりつ与党よとうない紛糾ふんきゅうし、その2週間しゅうかん、2014ねん2がつ25にちには国民こくみん自由党じゆうとう大臣だいじん辞任じにんして連立れんりつ政権せいけん崩壊ほうかいした[15]

2014ねん欧州おうしゅう選挙せんきょのち当初とうしょヨハニスは暫定ざんていてきにPNLをひき[16]、2014ねん6がつ28にち臨時りんじとう大会たいかい正式せいしき議長ぎちょう選出せんしゅつされた[17]

ヴァシレ・ブラガドイツばん民主みんしゅ自由党じゆうとう(PDL)議長ぎちょうとヨハニスは会合かいごうち、とう迅速じんそく合併がっぺいすることとりょうとう議員ぎいん欧州おうしゅう議会ぎかいうちキリスト教きりすときょう民主みんしゅ主義しゅぎ会派かいはである欧州おうしゅう人民じんみんとうグループ参加さんかすることをめた。

大統領だいとうりょう選挙せんきょ(2014ねん

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ヨハニスは2014ねん8がつ11にちに、PNLとPDLの選挙せんきょ同盟どうめいであるキリスト教きりすときょう自由じゆう同盟どうめい(ACL)から2014ねんルーマニア大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいされた[18]立候補者りっこうほしゃ合計ごうけい14めいであった[19]

選挙せんきょ運動うんどうでの公約こうやくは、ルーマニアの汚職おしょくドイツばん撲滅ぼくめつ司法しほう独立どくりつせい改善かいぜんであり[20]、こうしてルーマニアの法治ほうち国家こっかせい強化きょうかし、治安ちあん状況じょうきょう安定あんてい目指めざすものであった[21]くわえて、経済けいざい保健ほけん教育きょういく改革かいかくうったえた[22]。これにたいして、対立たいりつ候補こうほヴィクトル・ポンタのPSDと関係かんけいふか複数ふくすう大手おおてテレビ局てれびきょくは、ヨハニスに子供こどもがないことを非難ひなんし、ルーマニアじん田舎いなか政治せいじにすぎない、とした[19]。しかし後者こうしゃめんからヨハニスに有利ゆうりはたらいた。ドイツけいはルーマニアで「有能ゆうのう管理人かんりにん」となされたのである[19]つづ非難ひなんには、こんなものがあった。子供こどもたちを臓器ぞうき目当めあてにばした、不動産ふどうさんだまった、公金こうきん横領おうりょうした、さらには「外国がいこく手先てさき」で、「国家こっか分裂ぶんれつ」をたくらむ「分離ぶんり主義しゅぎしゃ」といった具合ぐあいである[23]。また、ヨハニスがルーマニア福音ふくいんルター教会きょうかいドイツばんぞくすることも問題もんだいとなった。ルーマニア正教会せいきょうかい一部いちぶ選挙せんきょせん期間きかんちゅう有権者ゆうけんしゃたいし、「正教会せいきょうかいルーマニアじん」に投票とうひょうするようもとめた[24]

ヨハニスは2014ねん11月16にちだいかい投票とうひょう勝利しょうりした。得票とくひょうりつは54.5%たい45.5%であった。なお、だいいちかい投票とうひょうでは30%たい40%と現職げんしょく首相しゅしょうヴィクトル・ポンタの後塵こうじんはいしていた[25]就任しゅうにんしきは2014ねん12月21にちおこなわれた。

就任しゅうにん前日ぜんじつの12月30にちには「ミハイ1せい共産きょうさん主義しゅぎしゃとその仲間なかま武器ぶき脅迫きょうはくされて退位たいい強制きょうせいされた。陛下へいか人々ひとびとからおおくの尊敬そんけい称賛しょうさんけており…」との声明せいめい発表はっぴょうした[26]当選とうせんまえ国民こくみん自由党じゆうとう党首とうしゅ時代じだい同様どうように、かつての国王こくおうたいして「陛下へいか」(Majestatea Sa)の敬称けいしょう使用しようするなど、位置いちおう党派とうはちかいとされている。

大統領だいとうりょう選挙せんきょ(2019ねん

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2019ねん11がつ10日とおか投開票とうかいひょうルーマニア大統領だいとうりょう選挙せんきょ英語えいごばん出馬しゅつばし、だい1かい投票とうひょうで1となったが過半数かはんすうにはとどかず、2となったヴィオリカ・ダンチラぜん首相しゅしょうともに11月24にち決選けっせん投票とうひょうすすんだ[27]。11月24にち決選けっせん投票とうひょうではダンチラに圧勝あっしょう再選さいせんされた[28]

論争ろんそう

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2014ねん12月、ヨハニスはルーマニアもと政治せいじはん協会きょうかいルーマニアばん議長ぎちょうオクタヴ・ブジョザ(Octav Bjoza, * 1938)にルーマニアぼし勲章くんしょうドイツばん授与じゅよしたことについて批判ひはんにさらされた。ブジョザは再三さいさんにわたり、ファシストてつまもるだんや1930年代ねんだい、1940年代ねんだいのレジオン運動うんどう共感きょうかん表明ひょうめいしていたためである[29]。ブジョザは、はんセム主義しゅぎ監視かんし撲滅ぼくめつセンタールーマニアばん略称りゃくしょう:MCA România)がおこなった批判ひはんたいしこう発言はつげんした。

とんでもない! わたしは、過去かこいま未来みらいはんセム主義しゅぎものではありません。刑務所けいむしょわたし理解りかいしました。人間にんげん民族みんぞく宗教しゅうきょう政治せいじてき信条しんじょうてはならないのです。わたしはそこでは一介いっかい反共はんきょう闘士とうしでした。レジオナーレか、農民のうみんとうドイツばん支持しじしゃか、クザ英語えいごばん支持しじしゃか、そもそも政治せいじてきであるのか、といって区別くべつしたりしませんでした[30][31]

外遊がいゆう

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2019ねん10月21にち迎賓館げいひんかん赤坂あかさか離宮りきゅう安倍晋三あべしんぞう内閣ないかく総理そうり大臣だいじん会談かいだんおこない、よく22にち即位そくいれい正殿せいでん参列さんれつした[32]

表彰ひょうしょう受賞じゅしょう

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出版しゅっぱんぶつ

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  • Pas cu pas(『一歩一歩いっぽいっぽ』)Curtea Veche, Bukarest 2014, ISBN 978-606-588-756-5.

出典しゅってん

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  1. ^ Schlagabtausch in vollem Gange. In: Hermannstädter Zeitung vom 28. August 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  2. ^ Norbert Mappes-Niediek: Ein Deutscher will Präsident Rumäniens werden. In: Berliner Zeitung vom 12. August 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  3. ^ Johannis gewinnt Präsidentschaftswahl. In: Die Zeit vom 17. November 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  4. ^ Rumänien vor der Wahl (PDF; 592 KB). In: Projektbericht der Hanns-Seidel-Stiftung vom 21. September 2014, abgerufen am 22. Oktober 2014.
  5. ^ Frieder Schuller: Er lügt nicht, er stiehlt nicht, er ist seriös! In: Frankfurter Allgemeine Zeitung vom 29. Oktober 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  6. ^ Stichwahl um Rumäniens Präsidentenamt - Ponta oder Iohannis In: Frankfurter Rundschau (ohne Publikationsdatum), abgerufen am 27. November.
  7. ^ Karl-Peter Schwarz: Johannis vereidigt. Hohe Erwartungen an eine Wende in Rumänien. In: Frankfurter Allgemeine Zeitung vom 21. Dezember 2014, abgerufen am 23. Dezember 2014.
  8. ^ a b c Thomas Schmid: Der Herausforderer. In: Frankfurter Rundschau vom 30. Oktober 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  9. ^ Mădălina Mihalache: Rădăcinile străine ale candidaţilor la Preşedinţie. In: Adevărul vom 6. August 2014, in rumänischer Sprache, abgerufen am 27. November 2014.
  10. ^ Horia Plugaru, Marina Bădulescu: Klaus Iohannis (biografie). In: Agerpres vom 7. Februar 2014, in rumänischer Sprache, abgerufen am 27. November 2014.
  11. ^ Despre Klaus Iohannis, In: Ziare (ohne Publikationsdatum), in rumänischer Sprache, abgerufen am 27. November 2014.
  12. ^ Klaus Johannis soll Übergangspremier werden. In: Der Standard vom 13. Oktober 2009, abgerufen am 27. November 2014.
  13. ^ Băsescu vrea un premier economist care să-și formeze majoritatea. In: EVZ vom 14. Oktober 2009, in rumänischer Sprache, abgerufen am 27. November 2014.
  14. ^ Johannis ready to head national union gov’t. In: Financiarul vom 15. Oktober 2009, in englischer Sprache, abgerufen am 27. November 2014.
  15. ^ Rumäniens Koalition zerbrochen. In: Tagesschau.de, Sendung vom 25. Februar 2014, abgerufen 12. Juni 2014.
  16. ^ Johannis zum Interimschef bis zum PNL-Konvent ernannt. In: Allgemeine Deutsche Zeitung für Rumänien vom 4. Juni 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  17. ^ Neuer Chef der rumänischen Liberalen. In: Tiroler Tageszeitung vom 28. Juni 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  18. ^ Klaus Johannis kandidiert als Präsident Rumäniens. In: Siebenbürgische Zeitung vom 14. August 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  19. ^ a b c Thomas Roser: Johannis in der Schlangengrube. In: Die Zeit vom 31. Oktober 2014, abgerufen am 31. Oktober 2014.
  20. ^ Sieger Johannis will "neues Rumänien". In: Deutschlandfunk vom 17. November 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  21. ^ Sieg für Johannis bei Präsidentenwahl in Rumänien. In: Publikation des Bayerischen Staatsministeriums des Innern, für Bau und Verkehr vom 17. November 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  22. ^ Klaus Johannis gewinnt Wahl. In: Handelsblatt vom 17. November 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  23. ^ Keno Verseck: Präsidentschaftswahl in Rumänien: Der "Deutsche" lehrt die alten Kader das Fürchten. In: Der Spiegel vom 15. November 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  24. ^ Enver Robelli, Oliver Jens Schmitt: „Unter Ponta wird sich Rumänien autoritären Staaten annähern.“ In: Tages-Anzeiger vom 14. November 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  25. ^ Karl-Peter Schwarz: Rumänien: Präsident Johannis. In: Frankfurter Allgemeine Zeitung vom 17. November 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  26. ^ http://www.presidency.ro/?_RID=det&tb=date&id=15399&_PRID=lazi
  27. ^ “ルーマニア大統領だいとうりょうせん現職げんしょくのヨハニスぜん首相しゅしょう決選けっせん投票とうひょうへ”. bloomberg.co.jp. ブルームバーグ. (2019ねん11月11にち). https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-11-11/Q0S0D8DWLU6B01 2019ねん11月12にち閲覧えつらん 
  28. ^ “ルーマニア大統領だいとうりょうせん 決選けっせん投票とうひょうでヨハニス大統領だいとうりょう再選さいせん確実かくじつ. NHK NEWSWEB. NHK. (2019ねん11月25にち). https://web.archive.org/web/20191127232316/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191125/k10012189941000.html 2019ねん11月27にち閲覧えつらん 
  29. ^ Rumänien: Präsident Johannis wegen umstrittener Ehrung in der Kritik, derstandard.at, 27. Dezember 2014
  30. ^ Klaus Iohannis, criticat pentru decorarea lui Octav Bjoza. In: Cotidianul vom 26. Dezember 2014, in rumänischer Sprache
  31. ^ Klaus Iohannis, criticat pentru decorarea lui Octav Bjoza. MCA România: „A semnat un dezamăgitor act de populism“. In: Adevarul vom 26. Dezember 2014, in rumänischer Sprache
  32. ^ れい元年がんねん10がつ21にち 即位そくいれい正殿せいでん参列さんれつしゃとのこくあいだ会談かいだんとう(2) | れい元年がんねん | 総理そうりいちにち | ニュース | 首相しゅしょう官邸かんていホームページ
  33. ^ Aufstellung aller durch den Bundespräsidenten verliehenen Ehrenzeichen für Verdienste um die Republik Österreich ab 1952 (PDF; 6,9 MB), Anfragebeantwortung des österreichischen Bundeskanzlers vom 23. April 2012, abgerufen am 27. November 2014.
  34. ^ Bundesverdienstkreuz erster Klasse für Klaus Johannis. In: Allgemeine Deutsche Zeitung für Rumänien vom 18. Juli 2014, abgerufen am 27. November 2014.
  35. ^ Christian Schoger: Preisverleihungen 2014 in Dinkelsbuehl. In Siebenbürgische Zeitung vom 17. Juni 2014, abgerufen am 27. November 2014.

外部がいぶリンク

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公職こうしょく
先代せんだい
トラヤン・バセスク
ルーマニアの旗 ルーマニア共和きょうわこく大統領だいとうりょう
だい5だい:2014ねん -
次代じだい
現職げんしょく