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ケアラケクアわん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケアラケクアわん南側みなみがわから

ケアラケクアわん英語えいご: Kealakekua Bay)はアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくハワイしゅうハワイとうサウス・コナ地区ちくにあるわんで、ここにキャプテン・クック寄港きこうし、ころされたところとしてられている。1973ねんにケアラケクアわん歴史れきし地区ちく(Kealakekua Bay Historical District)に指定していされている。海中かいちゅう生物せいぶつ保護ほごされていて、カヤックスクーバダイビングシュノーケリングによる自然しぜん観察かんさつおこなわれている。

ふたつのヘイアウ

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ケアラケクアわんにはふるくからひとんだ気配けはいがあり、陸地りくちひがし)からがけうみせまっており、季節風きせつふうける格好かっこう場所ばしょになっている。

わんみなみにはヒキアウ・ヘイアウ(Hikiau Heiau)があり、これはルアキニで、ハワイとう王族おうぞく葬式そうしき関係かんけいしていて、ヘイアウの石垣いしがき以前いぜんたかさ4.9 m、ながさ76 m、はば30 mもあった。ちかくのがけは「カオウア・ヌイのがけ」とばれて、ケオウア(Keōua王族おうぞく埋葬まいそうされるのに使つかわれてきた。

わん北側きたがわにもカアワロア(Kaʻawaloa)むらがあり、そこにもプヒナ・オ・ロノ・ヘイアウ(Puhina O Lono Heiau)や王族おうぞくようのいくつかの建物たてものがあった。むら名前なまえは「とおカヴァ」のむら意味いみであった。

ケアラケクアの名称めいしょうはケ・アラ・ケ・クア(ke ala ke kua)からており、それは「かみとおみち」の意味いみで、この地域ちいき豊穣ほうじょうかみ新年しんねんかみロノ」 のまつりが「マカヒキ」(ハワイの新年しんねん)に大々的だいだいてきおこなわれている場所ばしょであった。

クック船長せんちょう来航らいこう

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ジェームズ・クック船長せんちょう指揮しきするレゾリューションごうとディスカヴァリーごうは1779ねん1がつ17にちにケアラケクアわん来航らいこうする。1月28にちには航海こうかいちゅうくなった船員せんいんキリスト教きりすときょう葬式そうしきおこなった記録きろくがある。初回しょかい寄港きこうマカヒキ時期じきたり、現地げんちじんから厚遇こうぐうけて、すう週間しゅうかんはなれる。

しかし、しばらくしてあらしい、ふねこわれて、2がつ14にちふたたびケアラケクアわん寄港きこうする。今回こんかい寄港きこうはスムーズにかなかった。現地げんちじん小舟こぶねぬすんだといううたがいで、カラニオプウおうKalaniʻōpuʻu)を人質ひとじちにしたあと、たたかいがはじまり、クック船長せんちょうはじめて上陸じょうりくした地点ちてんちかくでころされた。

その

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キャプテン・クック記念きねん(1874ねん

カラニオプウおうは1874ねんくなり、かれ息子むすこキワラオおうKīwalaʻō)がぐが、カメハメハまれており、ハワイは統一とういつかってく。

1874ねん、ケアラケクアわん北側きたがわ巨大きょだいなキャプテン・クック記念きねんてられた。

交通こうつう

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ケアラケクアわん南側みなみがわへは、キャプテン・クック(Captain Cook)のハワイしゅうどう11号線ごうせんからしゅうどう160号線ごうせん(ナポオポオ・ロード)をくだるとある。北側きたがわは、やはりナポオポオ・ロードにはいってすぐみぎのトレイルを徒歩とほで1あいだくだるとたっするが、過酷かこくみちなのでわん南側みなみがわからカヤックでひともいる。 [1]

参照さんしょう項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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外部がいぶリンク

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座標ざひょう: 北緯ほくい1928ふん17びょう 西経せいけい15554ふん29びょう / 北緯ほくい19.47139 西経せいけい155.90806 / 19.47139; -155.90806