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サッカーボスニア・ヘルツェゴビナ代表だいひょう

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サッカーボスニア・ヘルツェゴビナ代表だいひょう
くにまたは地域ちいき ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ
協会きょうかい ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー連盟れんめい
愛称あいしょう Zmajevi (ドラゴンズ)
Zlatni ljiljani (かねのユリ)
監督かんとく ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ファルク・ハジベギッチ
最多さいた出場しゅつじょう選手せんしゅ エディン・ジェコ(127試合しあい
最多さいた得点とくてん選手せんしゅ エディン・ジェコ(64得点とくてん
ホームカラー
アウェイカラー
はつ国際こくさい試合しあい 1993ねん6月6にちたいイラン
3-1
最大さいだい勝利しょうり試合しあい 2008ねん9がつ10日とおかたいエストニア
7-0
2012ねん9月7にちたいリヒテンシュタイン
8-1
最大さいだい敗戦はいせん試合しあい 1998ねん5月14にちたいアルゼンチン
0-5
FIFAワールドカップ
出場しゅつじょう回数かいすう 1かいはつ出場しゅつじょう2014
最高さいこう成績せいせき グループリーグ敗退はいたい (2014)
UEFA欧州おうしゅう選手権せんしゅけん
出場しゅつじょう回数かいすう 0かい
最高さいこう成績せいせき -

サッカーボスニア・ヘルツェゴビナ代表だいひょう(サッカーボスニア・ヘルツェゴビナだいひょう、BiH nogometna reprezentacija)は、ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー連盟れんめい(FSBiH, NSBiH)によって構成こうせいされる、ボスニア・ヘルツェゴビナサッカーナショナルチームである。

愛称あいしょうはズマイェヴィ(Zmajevi)、または1998ねんまでのくにしょうえがかれたフルール・ド・リスからズラトニ・リリャニ(Zlatni Ljiljani)[1][2]

歴史れきし

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1990年代ねんだい - 2000年代ねんだい

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ボスニア・ヘルツェゴビナは1992ねんユーゴスラビアからの独立どくりつ宣言せんげんしたが、1995ねんまでつづいたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ふんそう影響えいきょうにより、きゅうユーゴスラビア構成こうせいしょ国家こっかなかで、もっと国際こくさい舞台ぶたいへの復帰ふっきおくれた。ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会きょうかい1996ねんに、国際こくさいサッカー連盟れんめい欧州おうしゅうサッカー連盟れんめい加盟かめい。ワールドカップへの参加さんか1998ねんフランス大会たいかい予選よせんから、UEFA EURO(欧州おうしゅう選手権せんしゅけん)への参加さんか2000ねんのベルギー・オランダ大会たいかい予選よせんからとなった。

当初とうしょ、ボスニア・ヘルツェゴビナ協会きょうかいボシュニャクじんのみで構成こうせいされていたが、1998ねんクロアチアじんが、2001ねんにはセルビアじん合流ごうりゅうし、3民族みんぞくによるナショナルチームとなった。ただし、クロアチアじんスルプスカ共和きょうわこくのセルビアじんにはクロアチアセルビアたいしての帰属きぞく意識いしき根深ねぶかく、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身しゅっしんながらクロアチア代表だいひょうセルビア代表だいひょうくわわる選手せんしゅ大勢おおぜいいる。この3民族みんぞくのそれぞれの代表だいひょうしゃ連盟れんめい会長かいちょうしょくいていた[3] ことを国際こくさいサッカー連盟れんめい(FIFA)と欧州おうしゅうサッカー連盟れんめい(UEFA)が問題もんだいし、2011ねん3月31にちまでに解決かいけつしない場合ばあい資格しかく停止ていし処分しょぶんすと警告けいこくしていた[4]結局けっきょく3月29にち協会きょうかい総会そうかいでは解決かいけつしなかったため、FIFAとUEFAは4がつ1にちをもって資格しかく停止ていし処分しょぶんした[5]。その、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身しゅっしんユーゴスラビア代表だいひょうおよび日本にっぽん代表だいひょうもと監督かんとくイビチャ・オシム正常せいじょう委員いいんかい座長ざちょうえた協会きょうかいがわ会長かいちょうしょく1人ひとりとした制度せいど改革かいかく発表はっぴょうしたため制裁せいさい5月30にち解除かいじょされた[6]

2010年代ねんだい - 2020年代ねんだい

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2013ねん10がつ15にちヨーロッパ予選よせん突破とっぱし、はつワールドカップほん大会たいかい出場しゅつじょうめた。2014ねん6がつほん大会たいかいではだい1せんアルゼンチンたたかえつづだい2せんナイジェリアせんともにやぶれ1試合しあいのこしグループリーグ敗退はいたい決定けっていした。それでも、だい3せんイランせんでワールドカップはつ勝利しょうりげた。

2016ねん6がつ7にちキリンカップサッカー2016決勝けっしょう日本にっぽん代表だいひょうを2-1でやぶり、どうカップではつ優勝ゆうしょうした[7]FIFAワールドカップ2018ねんロシア大会たいかいは、欧州おうしゅう予選よせん敗退はいたいとなった。UEFA欧州おうしゅう選手権せんしゅけんには、2021ねん大会たいかいまでほん大会たいかい出場しゅつじょう経験けいけんはない。

スタジアム

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スタジアムはおもサラエヴォアシム・フェルハトヴィッチ・ハセ競技きょうぎじょうゼニツァビリノ・ポリェ使用しようされる。サラエヴォオリンピック開会かいかいしき会場かいじょうとしても使用しようされたスタディオン・アシム・フェルハトヴィッチ・ハセは、1967ねん引退いんたいしたFKサラエヴォ選手せんしゅ1964ねんユーゴスラビア1リーグ得点とくてんおうにもなったアシム・フェルハトヴィッチの功績こうせきとなかれかんしている。収容しゅうよう人数にんずうは37,500にん[2]旧称きゅうしょうであるコシェヴォ(Koševo)の通称つうしょうとして使用しようされる。

成績せいせき

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FIFAワールドカップ

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開催かいさいこく / とし 成績せいせき ためし かち ぶん まけ とく しつ
アメリカ合衆国の旗 1994 不参加ふさんか
フランスの旗 1998 予選よせん敗退はいたい
日本の旗大韓民国の旗 2002
ドイツの旗 2006
南アフリカ共和国の旗 2010
ブラジルの旗 2014 グループリーグ敗退はいたい 3 1 0 2 4 4
ロシアの旗 2018 予選よせん敗退はいたい
カタールの旗 2022
合計ごうけい 出場しゅつじょう1かい 3 1 0 2 4 4

UEFA欧州おうしゅう選手権せんしゅけん

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  • 1992 - 不参加ふさんか
  • 1996 - 不参加ふさんか
  • 2000 - 予選よせん敗退はいたい
  • 2004 - 予選よせん敗退はいたい
  • 2008 - 予選よせん敗退はいたい
  • 2012 - 予選よせん敗退はいたい
  • 2016 - 予選よせん敗退はいたい
  • 2020 - 予選よせん敗退はいたい

歴代れきだい監督かんとく

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氏名しめい 期間きかん 備考びこう
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ミルサド・ファズラギッチ 1992-1993
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 フアド・ムズロヴィッチ 1993-1998 1998 FIFAワールドカップ予選よせん
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ファルク・ハジベギッチ 1999-1999
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ミショ・スマイロヴィッチ 1999-2002 UEFA EURO 2000予選よせん
2002 FIFAワールドカップ予選よせん
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ブラジュ・スリシュコヴィッチ 2002-2006 UEFA EURO 2004予選よせん
2006 FIFAワールドカップ予選よせん
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 フアド・ムズロヴィッチ 2006-2007 UEFA EURO 2008予選よせん
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 メホ・コドロ 2008-2008
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ミロスラヴ・ブラジェヴィッチ 2008-2009 2010 FIFAワールドカップ予選よせん
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 サフェト・スシッチ 2009-2014 UEFA EURO 2012予選よせん
2014 FIFAワールドカップ予選よせん
2014 FIFAワールドカップ
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 メフメド・バジダレヴィッチ 2014-2017 UEFA EURO 2016予選よせん
クロアチアの旗 ロベルト・プロシネチキ 2018-2019
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ドゥシャン・バイェヴィッチ 2019-2020
ブルガリアの旗 イヴァイロ・ペテフ英語えいごばん 2021-2022
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ファルク・ハジベギッチ 2023- UEFA EURO 2024予選よせん

歴代れきだい選手せんしゅ

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歴代れきだい記録きろく

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出場しゅつじょうすうランキング

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最多さいた出場しゅつじょう記録きろくエディン・ジェコ

2023ねん3月26にち時点じてん

  水色みずいろ現役げんえき代表だいひょう選手せんしゅ
順位じゅんい 選手せんしゅ 期間きかん 出場しゅつじょう 得点とくてん
1 エディン・ジェコ 2007- 127 64
2 ミラレム・ピャニッチ 2008- 108 17
3 エミル・スパヒッチ 2003-2018 94 6
4 ズヴェズダン・ミシモヴィッチ 2004-2014 85 25
5 ヴェダド・イビシェヴィッチ 2007-2018 83 28
6 アスミル・ベゴヴィッチ 2009-2020 63 0
7 ハリス・メジュニャニン 2009-2018 60 9
8 セナド・ルリッチ 2008-2017 57 4
9 エディン・ヴィシュチャ 2010-2020 55 10
10 エルヴィル・ボリッチ 1996-2006 51 22

得点とくてんすうランキング

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最多さいた得点とくてん記録きろくエディン・ジェコ

2023ねん3月26にち時点じてん

順位じゅんい 選手せんしゅ 期間きかん 得点とくてん 出場しゅつじょう
1 エディン・ジェコ 2007- 64 127
2 ヴェダド・イビシェヴィッチ 2007-2018 28 83
3 ズヴェズダン・ミシモヴィッチ 2004-2014 25 85
4 エルヴィル・ボリッチ 1996-2006 22 51
5 セルゲイ・バルバレス 1998-2006 17 48
5 ミラレム・ピャニッチ 2008- 17 103
7 エルヴィル・バリッチ 1996-2005 14 38
8 ズラタン・ムスリモヴィッチ 2006-2011 12 30
9 エディン・ヴィシュチャ 2010-2020 10 55
10 ハリス・メジュニャニン 2009-2018 9 60

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 斉藤さいとう 健仁けんじ図解ずかい世界せかいのサッカー愛称あいしょうのひみつ』光文社こうぶんしゃ、2010ねんISBN 978-4-334-03564-8 
  2. ^ a b Golden Lilies blossoming”. FIFA.com (2009ねん9がつ9にち). 2010ねん7がつ16にち閲覧えつらん
  3. ^ ボスニアが資格しかく停止ていしへ…オシム連盟れんめい決定けってい批判ひはん - スポーツ報知ほうち、2011ねん3がつ31にち
  4. ^ UEFA理事りじかい決定けってい事項じこう発表はっぴょう - UEFA.com、2011ねん3がつ21にち
  5. ^ ボスニア・ヘルツェゴビナ・サッカー協会きょうかい処分しょぶん - UEFA.com、2011ねん4がつ1にち
  6. ^ ボスニア・ヘルツェゴビナの資格しかく停止ていし解除かいじょ - UEFA.com、2011ねん5がつ30にち
  7. ^ SAMURAI BLUE、ボスニアに逆転ぎゃくてんけでじゅん優勝ゆうしょう ~キリンカップ決勝けっしょう”. JFA.jp (2016ねん6がつ8にち). 2022ねん6がつ18にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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