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サマリアのおんな

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
キリストとサマリアのおんな
ヨーゼフ・フォン・ヘンペル(19世紀せいき

サマリアのおんな(サマリアのおんな、英語えいご: Samaritan woman at the well)は新約しんやく聖書せいしょヨハネによる福音ふくいんしょ(4:1-42)に登場とうじょうするサマリアじんおんなサマリヤのおんなとも表記ひょうきされる。彼女かのじょは、サマリアにあるヤコブの井戸いどのほとりでイエス会話かいわをし、このひとるべきメシアかもしれないとおもった。正教会せいきょうかい東方とうほうしょ教会きょうかい東方とうほう典礼てんれいカトリック教会きょうかい伝統でんとうでは、彼女かのじょは「ひかかがやもの」を意味いみするフォティニ(Φωτεινή)という名前なまえ聖人せいじんとして崇敬すうけいされている。

概要がいよう

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イエスと弟子でしたちは、ユダヤからガリラヤかう途中とちゅうサマリア地方ちほうシカル(スカル)というまちのはずれにていた。弟子でしたちは食料しょくりょういにていき、たびつかれたイエスがひとりで井戸いどのそばにすわっていた[注釈ちゅうしゃく 1]ときひるの12ごろだった。

一人ひとりサマリアのおんなみずをくみにたので、くむものをたないイエスは彼女かのじょに「みずませてください」とった。宗教しゅうきょうてき理由りゆうからユダヤじんサマリアじん交際こうさいしていなかったのでおんな不思議ふしぎおもい「ユダヤじんのあなたがサマリアのおんなわたしに、どうしてみずませてほしいとたのむのですか」とたずねた。イエスは彼女かのじょった。「あなたがかみ賜物たまもののことをっていて、また、みずませてほしいとったものが、だれであるかっていたならば、あなたのほうからねがただろうし、また、そのひとはあなたにけるみずあたえたことであろう。」この会話かいわをきっかけにイエスはおんなかみ賜物たまものである「けるみず」についてかたり、自分じぶんあたえる「けるみず」は永遠えいえんいのちいずみになること、かみれいであるから、れい真理しんりにおいて礼拝れいはいするべきことをおしえた。また、イエスはおんなには過去かこにんおっとがいたこといま結婚けっこんしていないがろくにんおとこがいることをいいあてた。

そして、おんなった。「わたしは、キリストとばれるメシアきたられることはっています。そのほうきたられるときに、わたしたちに一切いっさいのことをらせてくださいます。」イエスはわれた。「あなたとはなしをしているこのわたしが、それである。」

この言葉ことばいたおんなは、みずがめをいたまままち人々ひとびとった。「てください。わたしのことをすべていいあてたひとがいます。このひとがメシアかもしれません。」おんな証言しょうげんした言葉ことばによって、イエスをしんじた人々ひとびとがやってて、自分じぶんたちのところに滞在たいざいするようにたのんだ。そしてイエスは日間にちかんそこに滞在たいざいした。そして、さらにおおくの人々ひとびとが、イエスの言葉ことばいてしんじた。

こうして「サマリアのおんな」とイエスの会話かいわがきっかけとなってシカル(スカル)のまちのサマリアじん人々ひとびとはイエスがメシアであることをしんじた。これがかみ福音ふくいんがユダヤじん世界せかいから異邦いほうじん世界せかいひろがる最初さいしょのできごととなった。

解説かいせつ

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イエスとサマリアのおんな
グエルチーノ(17世紀せいき
<4:1>イエスが、ヨハネよりもおお弟子でしをつくり、またバプテスマをさづけておられるということを、パリサイじんたちがき、それをおもられたとき、

<4:2>(しかし、イエスみずからが、バプテスマをおさづけになったのではなく、その弟子でしたちであった) <4:3>ユダヤをって、またガリラヤへかれた。 <4:4>しかし、イエスはサマリヤを通過つうかしなければならなかった。 <4:5>そこで、イエスはサマリヤのスカルというまちにおいでになった。このまちは、ヤコブがそのヨセフにあたえた土地とちちかくにあったが、

<4:6>そこにヤコブの井戸いどがあった。イエスはたびつかれをおぼえて、そのまま、この井戸いどのそばにすわっておられた。ときひるじゅうごろであった。 — ヨハネによる福音ふくいんしょ4しょう1-6せつ口語こうごやく

1-6せつではイエスがサマリアをおとずれた理由りゆう説明せつめいしている。ファリサイはもともと敵意てきいっており、バプテスマのヨハネ以上いじょう弟子でしをつくっていることをいてより嫉妬しっとしんつよめたことをイエスがったためファリサイから距離きょりくためガリラヤにかった。2せつバプテスマをイエスではなく弟子でしたちがさづけていたとあるが、ともかん福音ふくいんしょでもイエスがバプテスマをさづけたかどうかにかんしては沈黙ちんもくしており、事実じじつとしてイエスはバプテスマをさづけていなかったとかんがえられる。ユダヤからガリラヤにくにはサマリア地方ちほうとおけることがもっと近道ちかみちではあるが、それでもサマリア地方ちほう宿泊しゅくはくし、なんらかのかたちサマリアじん世話せわになることになる。(エルサレムとガリラヤのカナは直線ちょくせん距離きょりやく120kmほどである)地中海ちちゅうかい海岸かいがん沿いの街道かいどうとおみちやヨルダン対岸たいがん高地こうちとおみちもあった。サマリアを通過つうかしなければならなかったとあるが、この記述きじゅつはイエスがサマリヤ伝道でんどうおこなった必然ひつぜんせい表現ひょうげんしているとおもわれる。4-6せつでスカルにはヤコブの井戸いどがあったとしているが、創世そうせい38:18,48:21-22,ヨシュア24:32がヤコブの井戸いど関連かんれんした箇所かしょであるとかんがえられる。6せつではひるじゅうごろとあるが、旧約きゅうやく聖書せいしょエジプト2しょう15-21せつにモーセが井戸いどのかたわらにすわり、そこにやってきたむすめたちをひつじいたちからすくい、ひつじれにみずませたエピソードがある。いでエジプトでは時間じかんいていないが、ヨセフス『ユダヤ古代こだい』では真昼まひるであるとしている。[2][3][4]

<2:15> パロはこのこといて、モーセをころそうとした。しかしモーセはパロのまえをのがれて、ミデヤンのき、井戸いどのかたわらにしていた。

<2:16> さて、ミデヤンの祭司さいしななにんむすめがあった。彼女かのじょたちはきてみずをくみ、水槽すいそうにみたしてちちひつじれにませようとしたが、 <2:17> ひつじ飼たちがきて彼女かのじょらをはらったので、モーセはがって彼女かのじょたちをたすけ、そのひつじれにみずませた。 <2:18> 彼女かのじょたちがちちリウエルのところにかえったときちちった、「きょうは、どうして、こんなにはやかえってきたのか」。 <2:19> 彼女かのじょたちはった、「ひとりのエジプトびとが、わたしたちをひつじ飼たちのからたすし、そのうえ、みずをたくさんくんで、ひつじれにませてくれたのです」。 <2:20> かれむすめたちにった、「そのかたはどこにおられるか。なぜ、そのかたをおいてきたのか。んできて、食事しょくじをさしあげなさい」。

<2:21> モーセがこのひとともにおることをこのんだので、かれむすめのチッポラをつまとしてモーセにあたえた。 — エジプト2:15-21(口語こうごやく

イエスはサマリアのおんなに「みずませてください」とった。サマリアのおんなおどろいて、「あなたはユダヤじんでありながら、どうしてサマリアのおんなのわたしに、ませてくれとおっしゃるのですか」とった。おんなはイエスが自分じぶんはなしかけただけではなく、自分じぶんうつわからみずむということにおどろいたのであった。それは当時とうじせい差別さべつ人種じんしゅ差別さべつ階級かいきゅう制度せいどによる常識じょうしきでは、普通ふつうにはかんがえられないことだったのである。[5]サマリアじんとはれつおう17:5-6にあるようにサルゴンおうひきいるアッシリアぐんほろぼされたさいきたイスラエル王国おうこく指導しどうてき立場たちば人々ひとびと国外こくがい追放ついほうし、アッシリアが場所ばしょかられてきたほか人々ひとびと入植にゅうしょくさせたイスラエル集団しゅうだんである。異教いきょう偶像ぐうぞう崇拝すうはいしゃとしてユダヤじんからきらわれた。ほかにもエズラ4しょう、ネヘミヤ2:9-19,3:33-4:1,6:1-14でサマリアじんによるエルサレム再建さいけん積極せっきょくてき妨害ぼうがいえがかれている。歴史れきしてきにどちらもがユダヤきょう正統せいとうてき立場たちばであるとして分裂ぶんれつしたが、この分裂ぶんれつ不明瞭ふめいりょうながら政治せいじてき理由りゆうでペルシャ時代じだいのちというせつがある。このような背景はいけいにより新約しんやく聖書せいしょでも宗教しゅうきょうてき政治せいじてき民族みんぞくてき問題もんだいがあったのである。[6]

田川たがわやカルヴァンは9せつ交際こうさいしないというのはヨハネによる解説かいせつではなくサマリアじんおんな言葉ことばかんがえる。また、わないσυγχρῶνται(sugchraomai)はユダヤ教学きょうがくしゃのDaubeなど交際こうさいしないという意味いみではなくみず容器ようきのようなものを共用きょうようしないとやくせつものおおい。田川たがわはこれをchraomai(もちいる、使つかう)にsyn(ともに)の接頭せっとうをつけたものであり、用例ようれいとしてはありるとしながらも共用きょうようするという意味いみであれば対格たいかく目的もくてき文中ぶんちゅうになければならないとし、この箇所かしょでは容器ようきのような目的もくてきはなく、サマリアじんという名詞めいし与格よかくもちいられている。また、ユダヤじんはサマリヤじん交際こうさいしないと内容ないようをヨハネによる解説かいせつとらえず、サマリヤのおんな言葉ことばであるととらえ「それでかれにサマリアおんなう、『あなたはユダヤじんであるのに、どうしてサマリアおんなであるわたしませてくれなどとたのむのですか。ユダヤじんはサマリアじんとはつきあわないじゃないですか。』」とやくしている。(与格よかくはここでは~とのかかわりにおいてひとしやくされる利害りがい関連かんれん与格よかくであり、~をひとしやくされる対格たいかくあらわされる容器ようきのような目的もくてきがあるわけではない。)[2][3][7]

イエスはおんな質問しつもんにはこたえずにった。「もしあなたがかみ賜物たまもののことをり、また、『みずませてくれ』とったものが、だれであるかっていたならば、あなたのほうからねがて、そのひとからけるみずをもらったことであろう。」おんなはイエスが驚嘆きょうたんすべき主張しゅちょうをしていることをすぐに理解りかいした。おんなった。「おも[注釈ちゅうしゃく 2]、あなたは、くむものをおちにならず、そのうえ井戸いどふかいのです。そのけるみずを、どこかられるのですか。あなたは、この井戸いどくださったわたしたちのちちヤコブよりも、えらいかたなのですか。ヤコブ自身じしんみ、そのらも、その家畜かちくも、この井戸いどからんだのですが。」イエスはこたえてわれた。「 このみずものはだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしがあたえるみずものは、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしがあたえるみずは、そのひとのうちでいずみとなり、永遠えいえんいのちいたみずが、わきあがるであろう。」 おんなはこのとき、あるいはそのまえ段階だんかいでイエスのかたる「けるみず」が宗教しゅうきょうてき意味合いみあいを比喩ひゆ隠喩いんゆ、メタファー)であることにづいたとおもわれる。「おもよ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、そのみずをわたしにください。」おんなもまたおなじように隠喩いんゆてきないいかたこたえているのでわかりにくいが、おんなはイエスが宗教しゅうきょうてき意味合いみあいのおどろくべき主張しゅちょうをしていることを理解りかいしているとおもわれるのである。[9]

<4:16>イエスはおんなわれた、「あなたのおっとびにって、ここにれてきなさい」。

<4:17>おんなこたえてった、「わたしにはおっとはありません」。イエスはおんなわれた、「おっとがないとったのは、もっともだ。

<4:18>あなたにはにんおっとがあったが、いまのはあなたのおっとではない。あなたの言葉ことばのとおりである」。

<4:19>おんなはイエスにった、「おもよ、わたしはあなたを預言よげんしゃます。

<4:20>わたしたちの先祖せんぞは、このやま礼拝れいはいをしたのですが、あなたがたは礼拝れいはいすべき場所ばしょは、エルサレムにあるとっています」。

<4:21>イエスはおんなわれた、「おんなよ、わたしのうことをしんじなさい。あなたがたが、このやまでも、またエルサレムでもないところで、ちち礼拝れいはいするときる。

<4:22>あなたがたは自分じぶんらないものをおがんでいるが、わたしたちはっているかたを礼拝れいはいしている。すくいはユダヤじんからるからである。

<4:23>しかし、まことの礼拝れいはいをするものたちが、れいとまこととをもってちち礼拝れいはいするときる。そうだ、こんきている。ちちは、このような礼拝れいはいをするものたちをもとめておられるからである。

<4:24>かみれいであるから、礼拝れいはいをするものも、れいとまこととをもって礼拝れいはいすべきである」。

<4:25>おんなはイエスにった、「わたしは、キリストとばれるメシヤがこられることをっています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことをらせてくださるでしょう」。

<4:26>イエスはおんなわれた、「あなたとはなしをしているこのわたしが、それである」。 — ヨハネによる福音ふくいんしょ4しょう16せつから26せつ口語こうごやく
キリストとサマリアのおんな
ロレンツォ・リッピ(17世紀せいき

イエスは「そのみずをわたしにください」というおんなねがいを無視むしするかのように、話題わだいえ、「あなたのおっとれてきなさい」とった。そしておんなられたくないとおもったであろう過去かこ、すなわち、なん離婚りこんかえし、過去かこにんおっとがあったこと、いま結婚けっこんしていないがろくにんおとこ一緒いっしょ生活せいかつしていることをいいあてる。これは、イエスにはかくごとができないことをらせ、おんな真実しんじつかたるようにうながすと同時どうじに、自分じぶんのほんとうの姿すがた自覚じかくさせるためであった。イエスは彼女かのじょ霊的れいてきかわきをおぼえていること、それが異性いせい遍歴へんれきにつながっていることをり、おんなにその自覚じかくうながすことを意図いとしているとおもわれる[10]

そしておんなは、それまでイエスをあるしゅラビ霊的れいてき指導しどうしゃのようにおもっていたが、このひと預言よげんしゃかもしれないとおもった。そしてゲリジムさん礼拝れいはいをする彼女かのじょたちサマリアじんエルサレム礼拝れいはいをするユダヤじんのどちらがただしいのかをイエスにたずねる。彼女かのじょにとってこたえをしたい問題もんだいだったのである。それにたいしイエスは、かみれいであるから、礼拝れいはいをするものも、れいとまこととをもって礼拝れいはいすべきであり、ゲリジムさんでもエルサレムでもなく、このような礼拝れいはいをするものたちをかみもとめておられることを彼女かのじょげた。イエスはこれまでかみくに奥義おうぎをたとえはなしもちいてかたってきた。高慢こうまんさでしんがにぶくなっているひとにはその奥義おうぎかくしてきたのだった。イエスは彼女かのじょ、サマリアのおんなかみくに福音ふくいんかたるにふさわしいひとであるとみとめたのである[11]

そのとき彼女かのじょから25せつのこのおどろくような言葉ことばてきた。「わたしは、キリストとばれるメシアがこられることをっています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことをらせてくださるでしょう。」過去かこ複雑ふくざつ異性いせい関係かんけいっており、周囲しゅういから不道徳ふどうとくであるとめられたであろうサマリアのこのおんなは、聖書せいしょのなかの敬虔けいけん女性じょせいたちとおなじようにすくぬしへの希望きぼういていたのであった。そしてこの言葉ことばはっしたとき、彼女かのじょしんなかには、「もしかするとまえにいるこのほうがキリスト、メシアなのではないだろうか」というおもいがれるのである[12]。それにたいしイエスはこたえた。「あなたとはなしをしているこのわたしが、それである。」[注釈ちゅうしゃく 3]これは、イエスが自分じぶんすくぬしであると断言だんげんした唯一ゆいいつ明白めいはく主張しゅちょうであった。これ以前いぜん聖書せいしょ記録きろくなかにはこれほど明白めいはく自分じぶんすくぬしであると主張しゅちょうしたことはかれていないのである[14]ペトロが「あなたはメシア、けるかみです」[注釈ちゅうしゃく 4]信仰しんこう告白こくはくをしたとき、「あなたにこのことをあらわしたのは、てんにいますわたしのちちである」とイエスはみとめている。しかし同時どうじに、自分じぶんがメシアであることをだれにもはなさないように、と弟子でしたちにめいじている。このときも「わたしが、それである」というはっきりとした言葉ことば使つかわれていない。この「わたしが、それである」という言葉ことば使つかわれたのは、イエスが裏切うらぎられたよるだった。十字架じゅうじかけい数時間すうじかんまえ早朝そうちょうだい祭司さいしカヤパ(カイアファ)のまえ裁判さいばんけたとき[注釈ちゅうしゃく 5]である。聖書せいしょなかでほとんどかたられたことのない、「あなたとはなしをしているこのわたしが、それである」という言葉ことばがサマリアのおんなかたられたのである。

このときおんなおどろきとしん動揺どうようはどんなものであっただろうか。彼女かのじょしん重荷おもにかるくなり、自分じぶんつみゆるされたのをかんじたであろうし、しんなかはじがまったくえてしまったとおもわれる[15]おんなはこの重大じゅうだいなできごとを自分じぶんひとりのしんのうちにとどめることはできなかった。みずがめを井戸いどいたまままちき、おおくのサマリアじんれてきて、「このひとは、わたしのしたことをなにもかもいあてました」と証言しょうげんし、かれらはイエスがメシアであることをしんじた。

こうして彼女かのじょ、サマリアのおんなけるみず、いのちのみず発見はっけんしたのだった。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 「イエスはたびつかれをおぼえて、そのまま、この井戸いどのそばにすわっておられた」<4:6>。ヨハネ福音ふくいんしょがイエスの神性しんせい強調きょうちょうする福音ふくいんしょであることはよくられている。しかし、ヨハネ福音ふくいんしょ時折ときおりこのように、イエスの人間にんげんせい特別とくべつ言及げんきゅうすることもおおい。イエスはたびつかれるばかりでなく、なみだながし<11:35>、あつしんうごかす<11:33>、<12:27>、<13:21>。[1]
  2. ^ この「あるじ」はかみあらわ意味いみおもではなく、男性だんせいたいする尊敬そんけいあらわびかけの敬称けいしょうである。この時点じてんで、おんなはイエスをかみてき存在そんざいであるとおもってはいない。[8]
  3. ^ 「わたしが、それである」は、直訳ちょくやくではたんに「わたしはある(る)」。ギリシャでは「エゴー・エイミ」であるが、ヨハネ福音ふくいんしょ固有こゆう表現ひょうげんで、エジプト<3:14>の「わたしはるものである」という旧約きゅうやく聖書せいしょてきヘブライ表現ひょうげんもとづくものであり、イエスの神性しんせいあらわしている。ヨハネ福音ふくいんしょ<8:24、28、58>の「わたしがそういうものであること」、「わたしは、いる」<13:19>の「わたしがそれであること」の表現ひょうげん同様どうようである。[13]
  4. ^ マタイによる福音ふくいんしょ(口語こうごやく) <16:16>参照さんしょう
  5. ^ マルコによる福音ふくいんしょ(口語こうごやく) <14:61>参照さんしょう

出典しゅってん

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  1. ^ フランシスコかい聖書せいしょ研究所けんきゅうじょ訳注やくちゅう新約しんやく聖書せいしょ』p.305ちゅう(2)
  2. ^ a b John Calvin. John Calvin Commentary on John 1-11. https://calvin.edu/centers-institutes/meeter-center/files/john-calvins-works-in-english/Commentary%20034%20-%20Gospel%20according%20to%20John%20Vol.%201.pdf 
  3. ^ a b 田川たがわ建三けんぞう新約しんやく聖書せいしょ やくと註 だいかん ヨハネ福音ふくいんしょ作品社さくひんしゃ、2013ねん、14-18,208-261ぺーじISBN 978-4-86182-139-4 
  4. ^ 『ヨハネの福音ふくいんしょ日本にっぽんキリスト教団きょうだん出版しゅっぱんきょく、2005ねん、153-178ぺーじISBN 978-4818405400 
  5. ^ ジョン・F・マッカーサー(2017)p.222
  6. ^ 旧約きゅうやく聖書せいしょ神学しんがく用語ようご辞典じてん ひび信仰しんこう日本にっぽんキリスト教団きょうだん出版しゅっぱんきょく、2015ねん、210-212ぺーじISBN 978-4-8184-0916-3 
  7. ^ 織田おだあきら新約しんやく聖書せいしょのギリシア文法ぶんぽう だい分冊ぶんさつきょうともしゃ、2003ねん、274-277ぺーじISBN 9784902211009 
  8. ^ フランシスコかい聖書せいしょ研究所けんきゅうじょ訳注やくちゅう新約しんやく聖書せいしょ』p.305ちゅう(5)
  9. ^ ジョン・F・マッカーサー(2017)pp.222-223
  10. ^ 加藤かとうつねあきら(2000)pp.185-191。
  11. ^ ジョン・F・マッカーサー(2017)p.229
  12. ^ ジョン・F・マッカーサー(2017)p.227
  13. ^ フランシスコかい聖書せいしょ研究所けんきゅうじょ訳注やくちゅう新約しんやく聖書せいしょ』p.307ちゅう(10)、p.333ちゅう(8)
  14. ^ ジョン・F・マッカーサー(2017)p.228
  15. ^ ジョン・F・マッカーサー(2017)p.230

参考さんこう文献ぶんけん

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  • しん共同きょうどうやく新約しんやく聖書せいしょ 日本にっぽん聖書せいしょ協会きょうかい
  • 口語こうごやく新約しんやく聖書せいしょ 日本にっぽん聖書せいしょ協会きょうかい
  • 新約しんやく聖書せいしょ』フランシスコかい聖書せいしょ研究所けんきゅうじょ訳注やくちゅう中央ちゅうおう出版しゅっぱんしゃ改訂かいてい初版しょはん1984ねんISBN 4-8056-4001-4
  • ジョン・F・マッカーサーしる山口やまぐち衣子きぬこやく聖書せいしょ登場とうじょうする12にん非凡ひぼん女性じょせいたち』ヨベル、2017ねん9がつ1にちISBN 978-4-907486-53-2
  • 加藤かとうつねあきら加藤かとうつねあきら信仰しんこう講話こうわ<4> しゅイエスに出会であったひとびと』きょうぶんかん、2000ねん7がつ25にちISBN 4-7642-6358-0

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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