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シャルル・ロベール・リシェ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Charles Robert Richet
シャルル・ロベール・リシェ
生誕せいたん (1850-08-25) 1850ねん8がつ25にち
フランスの旗 フランス共和きょうわこく パリ
死没しぼつ 1935ねん12月4にち(1935-12-04)(85さいぼつ
フランスの旗 フランス共和きょうわこく パリ
国籍こくせき フランスの旗 フランス共和きょうわこく
研究けんきゅう機関きかん パリ大学だいがく
出身しゅっしんこう パリ大学だいがく
おも受賞じゅしょうれき ノーベル生理学せいりがく医学いがくしょう (1913)
プロジェクト:人物じんぶつでん
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ノーベルしょう受賞じゅしょうしゃノーベル賞
受賞じゅしょうねん1913ねん
受賞じゅしょう部門ぶもんノーベル生理学せいりがく医学いがくしょう
受賞じゅしょう理由りゆうアナフィラキシー・ショックにかんする研究けんきゅう

シャルル・ロベール・リシェ(Charles Robert Richet、1850ねん8がつ26にち-1935ねん12月4にち)はフランス生理学せいりがくしゃ1913ねんノーベル生理学せいりがく医学いがくしょう受賞じゅしょうした。アレルギー研究けんきゅうちちでもある。

来歴らいれき

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フランスのパリまれる。パリ大学だいがく教授きょうじゅ外科医げかいでもあったちち影響えいきょうけ、はやくから医学いがく興味きょうみった。パリ大学だいがく入学にゅうがく医学いがくまな外科医げかい目指めざすが、生理学せいりがくこころざすようになる。1869ねん医学いがく博士はかせごう取得しゅとく1878ねんには理学りがく博士はかせごう取得しゅとく1879ねんにパリ大学だいがく医学部いがくぶ生理学せいりがく講師こうし着任ちゃくにん1887ねんには生理学せいりがく教授きょうじゅとなる。1913ねんアナフィラキシー・ショック研究けんきゅうによりノーベル生理学せいりがく医学いがくしょう受賞じゅしょうした。体温たいおん調整ちょうせい機能きのう研究けんきゅう業績ぎょうせきひとつである。1927ねん大学だいがく引退いんたいは、平和へいわろん推進すいしん航空こうくう科学かがく研究けんきゅう精神せいしん感応かんおうじゅつ研究けんきゅうすすめた。

研究けんきゅう発見はっけん

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リシェの生理学せいりがく研究けんきゅう血清けっせいはじまる。1888ねん細菌さいきん感染かんせんした動物どうぶつ血液けつえきが、おな細菌さいきん致命ちめいてき影響えいきょうあたえることを証明しょうめいした。結核けっかく治療ちりょう血清けっせい利用りようできるのではないかとかんがえ、1890ねんから結核けっかく患者かんじゃ使つかった血清けっせい療法りょうほう研究けんきゅうはじめた。結果けっかてきには結核けっかく治療ちりょうには血清けっせいはむいておらず、のちにベーリングがリシェの方法ほうほうをジフテリアに応用おうようし、成功せいこうしている。

つぎに、1900ねんごろ、熱帯ねったいクラゲどく研究けんきゅうはじめる。どく成分せいぶんからなかったが、実験じっけんかえすうち、致死ちしりょういたらないどく注射ちゅうしゃしたいぬに、1カ月かげつ再度さいどおなりょう注射ちゅうしゃすると急激きゅうげき生理せいり反応はんのうこり、いたることを発見はっけんした。この反応はんのう偶然ぐうぜんではなく、なんかえしても再現さいげんできた。1902ねんには「無防備むぼうび」という意味いみギリシャにちなむ「アナフィラキシー」(anaphylaxis) という造語ぞうごつくる。アナフィラキシー・ショックは現代げんだいにおいても、ハチにふくすうかいされた場合ばあいなどにられる危険きけん反応はんのうである。

1903ねんにはN.M.アルテュスの研究けんきゅうによりクラゲどく以外いがいでもアナフィラキシー・ショックがこることがかった。1905ねんにはR.オットーがどく種類しゅるいしぼむ。リシュの結論けつろんどく注射ちゅうしゃしたことではなく、タンパク質たんぱくしつ注射ちゅうしゃすることがアナフィラキシー・ショックをむというものである。

リシェの結論けつろん重大じゅうだいである。あるタンパク質たんぱくしつ一度いちど血液けつえきちゅうまれたかどうかをあらかじめ調しらべておかないと、血清けっせい使つかえないことになるからだ。1906ねんにはショックをこさない生体せいたい反応はんのうをオーストリアのC.ピルケがアレルギーと命名めいめいしている。

1907ねんにはアナフィラキシー・ショックをまさにこしているいぬ血清けっせい自体じたいにアナフィラキシー・ショックをこす能力のうりょくがあることを発表はっぴょうした。

心霊しんれい現象げんしょう研究けんきゅうでもられ、1905ねんには心霊しんれい現象げんしょう研究けんきゅう協会きょうかい(SPR)の会長かいちょうもつとめている。1893ねんには話題わだいになっていたイタリアじん霊媒れいばいエウサビア・パラディーノを調査ちょうさする過程かていで、エーテルたい物質ぶっしつまたは視覚しかくするはん物質ぶっしつ発見はっけんし、ギリシアのecto(そとの)とplasm(物質ぶっしつ)をわせて「エクトプラズム」という新語しんごをつくりだしたことでもられている。[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ デボラ・ブラム、鈴木すずきめぐみやく、『幽霊ゆうれいつかまえようとした科学かがくしゃたち』、文芸春秋ぶんげいしゅんじゅうしゃ、2007、p262

出典しゅってん

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