10代の頃に友人と共にレスリングのショーに出場していた。ガーデン・シティカレッジ高校卒業後にアメリカのミネソタ州の大学へ通っている。大学卒業後はカナダ陸軍に入隊、1997年にアルバータ州カルガリーへ配属された際にブレット・ハートと出会ったことでレスラーになることを決意した。8月にハート・ダンジョンでスチュ・ハートの息子であるブルース・ハートの元でトレーニングを開始し、10月にデビューしている。デビュー後はカナダ西部のインディー団体を中心に活動するようになり、1999年4月にはハート・ファミリーが運営し、復活したスタンピード・レスリングに参戦している。2001年に短い間だけウェスタン・カナディアン・エクストリーム・レスリング(Western Canadian Extreme Wrestling)に参戦している。その後はECWやWWFのダークマッチに登場している。右肩を深刻に負傷している時期は自分の団体、ヤング・ライオンズ・レスリングを運営している。
2005年3月にテネシー州ミシシッピのミシシッピ・レスリング(Memphis Wrestling)でエリック・ヤングと共にミッド・サウザン・タッグチーム王座を賭けた試合中に内側側副靱帯と前十字靭帯を切断したため、手術を行うために一時的にリングから遠ざかっている。怪我をしている最中はスコット・ダモールのキャン・アム・レスリング・スクール(Can Am Wrestling School)でトレーナーとして働いたり、様々なインディー団体でアナウンサーとして活動したりしていた。
11月に元チーム・カナダのピーティー・ウィリアムズと対戦してダブルアーム・パイルドライバーで勝利している。また、この試合の際に入場曲とコスチュームを変え、生意気な態度をとるようになった。翌2008年1月末にはジェイ・リーザルの持つTNA Xディヴィジョン王座を賭けて試合を行ない、ブラザー・レイの介入をはさみ試合に勝利して王座を獲得している。しかし2月のAgainst All OddsでXディヴィジョン王座を賭け、チーム3Dと組みモーター・シティ・マシンガンズ、リサールと対戦するものの敗北し、タイトルを手放している。10月のBound for Gloryでワン・コンテンダーズ・スティール・アサイラムに参加し、翌日にTNAからリリースされている。