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スナイドルじゅう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
スナイドルじゅう
スナイドル銃
スナイドルじゅう
種類しゅるい 歩兵ほへいじゅう
製造せいぞうこく
設計せっけい製造せいぞう エンフィールド造兵ぞうへいしょう、ダムダム工廠こうしょうえいりょうインド
仕様しよう
種別しゅべつ こうそうしき小銃しょうじゅう
口径こうけい .577口径こうけい (14.66 mm)
銃身じゅうしんちょう 990mm
ライフリング 5じょう
使用しよう弾薬だんやく .577 Snider(ボクサーパトロン)
装弾そうだんすう 単発たんぱつ
作動さどう方式ほうしき 蝶番ちょうつがいしき閉鎖へいさ機構きこう
全長ぜんちょう 1,250 mm
重量じゅうりょう 3,800 g(装填そうてん
発射はっしゃ速度そくど 1はつ/6びょう
銃口じゅうこう初速しょそく 267 m/s
最大さいだい射程しゃてい 1,150 m[1]
有効ゆうこう射程しゃてい 900 m
歴史れきし 
設計せっけいねん 1860ねん
製造せいぞう期間きかん 1863 - 1875ねん
配備はいび期間きかん 1868 - 1901ねん
配備はいびさき イギリス陸軍りくぐんえいしるしぐんえい連邦れんぽう
関連かんれん戦争せんそう紛争ふんそう ズールー戦争せんそうボーア戦争せんそう戊辰戦争ぼしんせんそう台湾たいわん出兵しゅっぺい西南せいなん戦争せんそう江華島こうかとう事件じけんにちしん戦争せんそう
バリエーション さんツバンド、ツバンド、MKI、MKII、MKIII、スナイドル騎兵きへいじゅう
製造せいぞうすう 250,000-500,000
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スナイドルじゅう(スナイドルじゅう、Snider-Enfield スナイダーエンフィールド)とは、イギリスエンフィールド造兵ぞうへいしょう (RSAF) がぜんそうしきライフルじゅうであるエンフィールドじゅう改造かいぞうしたこうそうしき小銃しょうじゅうである。日本にっぽんではらんみで「スナイドル」とばれるが、英語えいごみでは「スナイダー」で、これは機関きかん考案こうあんしたジェイコブ・スナイダー英語えいご: Jacob Snider由来ゆらいする。

今日きょうひろ使用しようされているセンターファイアしき実包じっぽう使用しようされる、ボクサーがた雷管らいかん原型げんけいとなった口径こうけい14.7 mmのボクサーパトロン (.577 Snider) を使用しようした。

1866ねんイギリス陸軍りくぐん制式せいしき採用さいようした。日本にっぽんにも明治維新めいじいしん前後ぜんごから輸入ゆにゅうされるようになり、明治めいじ7ねん(1874ねん)にはきゅう日本にっぽん陸軍りくぐん制式せいしき歩兵ほへい小銃しょうじゅうとして採用さいようされた[2]

構造こうぞう特色とくしょく

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スナイドルじゅう装備そうびしたグルカへい1898ねん

スナイドルじゅうエンフィールドじゅう銃身じゅうしん後部こうぶ切断せつだんされ、米国べいこくじんジェイコブ・スナイダー考案こうあんしたみぎびらきの蝶番ちょうつがいしきじゅう装置そうちけられており、ぜんそうじゅうそうじゅう中間ちゅうかん位置いちする過渡かとてき構造こうぞうである。このみぎびらきの構造こうぞう煙管きせるもちいられるきざタバコれるたばこいれたばこいれ類似るいじしていたことから、日本語にほんごではこれを意味いみするたばこ嚢式ろくのうしきともばれた[3][出典しゅってん無効むこう]。より正確せいかくにはじゅう開閉かいへいがたたばこ嚢式とばれ、スナイドルじゅう同様どうよう構造こうぞうながらもぜん方向ほうこう開閉かいへいする、こうそうしき改造かいぞうエンフィールドじゅう改造かいぞうエンピールじゅう)やアルビニーじゅう英語えいご: Albini-Braendlin_rifleかつ罨式かつあんしきとして明確めいかく区別くべつされた。

エンフィールドじゅうをスナイドルじゅう改造かいぞうする費用ひようは、1878ねん明治めいじ11ねん)の日本にっぽんでの見積みつもり価格かかくで1ちょうあたり3えん30ぜにだったと記録きろくされている[4][5][出典しゅってん無効むこう]

メカニズム

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スナイドルじゅう構造こうぞうは、改造かいぞう母体ぼたいとなったエンフィールドじゅうをそのまま流用りゅうようしているため、雷管らいかんしきぜんそうじゅうのサイドハンマーしきげきはつ機構きこう使用しようしている。

改造かいぞうされた部分ぶぶんはエンフィールドじゅう銃身じゅうしん後方こうほうのみであり、ここを切断せつだんして蝶番ちょうつがいしきじゅう装置そうちがネジで固定こていされており、弾薬だんやく装填そうてんはいさいかち蝶番ちょうつがい銃身じゅうしんとつながれたブリーチけておこなう。

この時期じき各国かっこく様々さまざま方式ほうしきぜんそうじゅうのちそうしきへの改造かいぞうおこなわれているが、そのなかでもスナイダーの考案こうあんした蝶番ちょうつがいしきじゅう装置そうちもっともシンプルな構造こうぞうで、腔圧によってブリーチが心配しんぱいすくないものだった。

一体いったいがた薬莢やっきょうもちいるのちそうしきでは、ぜんそうしきくらべて不発ふはつ対処たいしょ格段かくだん容易よういとなった[注釈ちゅうしゃく 1]が、発射はっしゃに腔圧で膨張ぼうちょうした薬莢やっきょうが、くすりしつ内側うちがわくというあたらしい現象げんしょう発生はっせいしたため、薬莢やっきょう強制きょうせいてきはいさいかち機構きこう必要ひつようとなった。

このため、スナイダーのじゅう装置そうちでは、開放かいほう状態じょうたいにした蝶番ちょうつがいしきブリーチを後方こうほうくと、銃身じゅうしんはしおさまっているエキストラクター(抽弾)が同時どうじ後退こうたいし、薬莢やっきょうはしのリムとばれるえんじょう突起とっきけて、薬莢やっきょう仕組しくみになっている。薬莢やっきょうくすりしつからすことに成功せいこうしたら、そのじゅうかたむけるか薬莢やっきょうゆびでつまむことで、薬莢やっきょう簡単かんたんることができる。

弾薬だんやく

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スナイドルじゅう使用しようするボクサーパトロン(.577スナイドルだん.577 Snider)は黒色こくしょく火薬かやくめられた金属きんぞくせい薬莢やっきょう基部きぶボクサー雷管らいかん挿入そうにゅうされており、これを後方こうほうからげきはり打撃だげきすると着火ちゃっかする。火薬かやく燃焼ねんしょう薬莢やっきょう内部ないぶだけで完結かんけつする仕組しくみであり、どう時代じだいドライゼじゅうシャスポーじゅうもちいられたかみせい薬莢やっきょうのようにげきはり薬莢やっきょう底部ていぶやぶ必要ひつようがないうえ発射はっしゃガスによる腔圧で膨張ぼうちょうした薬莢やっきょうがわとうくすりしつ内壁ないへきいて密封みっぷうされるため、かみせい薬莢やっきょうしき銃器じゅうきなやまされた銃身じゅうしんはしくすりしつ)からのガスれはこらないようになっていた。

当初とうしょのボクサーパトロンは薬莢やっきょう基部きぶだけが真鍮しんちゅうせいで、がわとうかみつくられていたが、水圧すいあつプレスのふかしぼ成型せいけい技術ぎじゅつ進歩しんぽすると全体ぜんたい金属きんぞくつくられるようになった。そしてセンターファイアしき金属きんぞく薬莢やっきょう完成かんせいがたとしてひろ普及ふきゅうし、今日きょういたっている。

日本にっぽん陸軍りくぐんではもちいられなかったようであるが、.577スナイドルだんにはライフル弾頭だんとう以外いがい散弾さんだんじゅう大物おおものじゅうりでもちいられるバックショット用意よういされ、えいしるしぐん英国えいこく刑務所けいむしょにおける暴徒ぼうと鎮圧ちんあつためもちいられた[6]。1902ねんから1908ねんけてイギリスりょうインドノースウエストフロンティアしゅう (1901-1955ねん)英語えいごばん勤務きんむしたフランク・リチャーズは自著じちょ『Old Soldier Sahib』において、同地どうちえいしるしぐん施設しせつ警備けいびさいに、制式せいしき小銃しょうじゅうリー・エンフィールドとはべつにスナイドルじゅうをバックショット実包じっぽうともそなえつけていたことしるしている。リチャーズによると、えいしるしぐん宿営しゅくえいにはしばしば現地げんち部族ぶぞく銃器じゅうきぬすためしのことがあり、歩哨ほしょう兵士へいしはこのようなうごきをかけるとスナイドルじゅうのバックショットで盗人ぬすっと射撃しゃげきした。バックショットはリー・エンフィールドの.303ブリティッシュだん比較ひかくすれば威力いりょくひくく、ながだまとなったさい自軍じぐん兵士へいしたち被害ひがいおよぼす可能かのうせいひく利点りてんがあった。

しかし、スナイドルじゅうのバックショットは相当そうとう以上いじょう強力きょうりょくなもので、英国えいこく詩人しじんラドヤード・キップリングは『The Grave of the Hundred Head (ひゃくにんあたまはか)』というでスナイドルじゅうのバックショットによる射撃しゃげきつぎのように生々なまなましく描写びょうしゃした[7]

スナイドルはジャングルではげしくおそった。
だれかがわらいながらした、
かれ最初さいしょ獲物えものサバルタン死者ししゃひろった。
かれがくにあるあおおおきなしるし
そしてかれうしろからあたまばされてんだ。

.577スナイドルだん今日きょう散弾さんだんじゅうでいうところの24ゲージ(24ばん)英語えいごばんとほぼおな寸法すんぽうであり、村田むらたじゅうなどの11×60mmRだん(30ゲージ相当そうとう)よりもだい口径こうけいため、バックショットを射撃しゃげきするにはてきしていた。現在げんざい、.577スナイドルだんをリローディングする場合ばあいは、使用しよう薬莢やっきょうさい利用りようするか、1930年代ねんだいごろまでに製造せいぞうられた新品しんぴん薬莢やっきょう入手にゅうしゅして利用りようする以外いがいに、24ゲージの真鍮しんちゅう薬莢やっきょうをリサイズしてもちいる方法ほうほう選択せんたくされている。

問題もんだいてん

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スナイドルじゅう最初さいしょのちそうじゅうだったため、銃身じゅうしんないライフリング弾丸だんがん関係かんけいせいについて技術ぎじゅつてき未完成みかんせいなまま製品せいひんされており、改造かいぞう母体ぼたいとなったぜんそうしきのエンフィールドじゅうよりも命中めいちゅう精度せいどわるく、下記かきのような問題もんだいてんがあった。

  • エンフィールドじゅうでは蜜蝋みつろうったかみつつまれた状態じょうたい銃身じゅうしんない装填そうてんされていた弾丸だんがんが、スナイドルじゅうでは直接ちょくせつライフリングと摩擦まさつする構造こうぞう変更へんこうされたため、摩擦まさつねつけたなまりがライフリングに付着ふちゃくして蓄積ちくせきし、銃身じゅうしん寿命じゅみょうみじかくするという問題もんだいきた。そのため発射はっしゃすみやかにブラシを使つかって銃身じゅうしんない清掃せいそうする必要ひつようがあった。
  • スナイドルじゅう薬莢やっきょうない発射はっしゃやく密封みっぷうされてりょう簡単かんたん調整ちょうせいできない弾薬だんやく使つかうため、射程しゃてい威力いりょくすために発射はっしゃやくりょうやす、あるいは反動はんどうおさえるためにくすりりょうらすというぜんそうしきなが使つかわれてきた手法しゅほう使つかえず、熟練じゅくれんした射手しゃしゅほど使つかがたいとかんじた。
  • スナイダーのじゅう装置そうちはエンフィールドじゅうから簡単かんたん改造かいぞうすること優先ゆうせんしたデザインだったため、げきはつ機構きこうかんしきから流用りゅうようされたサイドハンマーしきをそのまま流用りゅうようしていた。サイドハンマーしきでは射撃しゃげきさいに、銃身じゅうしんじくせんからおおきくずれた角度かくどから衝撃しょうげきくわわるため動揺どうようきやすく、命中めいちゅう精度せいど向上こうじょう期待きたいできなかった[注釈ちゅうしゃく 2]
  • スナイダーのじゅう装置そうちでブリーチ蝶番ちょうつがいじょう結合けつごうさせているピンの強度きょうどひくく、はいさいかちにブリーチ後退こうたいさせるさいなどに余分よぶんちからくわわって変形へんけいやすいデザインだったこともあり、ブリーチがひらがたくなる問題もんだいがあった。
  • ブリーチがわかたからしたげきはり後部こうぶは、げきてつたたかれつづけているうちにつぶれてふと変形へんけいしていく。そのまま使用しようつづけるとげきはりあななかまってしまい、ブリーチ先端せんたんからしたままもどらなくなりはじめ、最終さいしゅうてきにブリーチをけなくなってしまう。このためげきはり定期ていきてき交換こうかんする必要ひつようがあった。

バリエーション

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スナイドルじゅう改造かいぞう母体ぼたいとなったエンフィールドじゅうには、銃身じゅうしんちょうちがいによってさんツバンド、ツバンド、騎兵きへいじゅうの3種類しゅるい存在そんざいしたため、これを改造かいぞうしたスナイドルじゅうもこれを継承けいしょうしている。

また、製造せいぞうされた状況じょうきょうからの区分くぶん存在そんざいし、エンフィールドじゅうから改造かいぞうされたMK I、最初さいしょからスナイドルじゅうとして製造せいぞうされたMK II、蝶番ちょうつがいしきブリーチにラッチしきロックが追加ついかされ、銃身じゅうしん素材そざい従来じゅうらい鋳鋼ちゅうこうから圧延あつえん炭素たんそこうとなったMK IIIの3種類しゅるい存在そんざいする[注釈ちゅうしゃく 3]

顧客こきゃくべつのバージョンも存在そんざいし、イギリスぐん以外いがい顧客こきゃくけに製造せいぞうされたモデルも存在そんざいし、民間みんかん市場いちばけに製造せいぞうされた、富裕ふゆう狩猟しゅりょう愛好あいこうけの高級こうきゅう仕上しあげタイプや、武器ぶき商人しょうにん交戦こうせんけに輸出ゆしゅつするための、メーカ刻印こくいんはぶいて原産げんさんこく特定とくていできないようにしたタイプなどが製造せいぞうされた[注釈ちゅうしゃく 4]

スナイドルじゅう製造せいぞうは、イギリス本国ほんごく以外いがいでもおこなわれ、えいりょうインドのダムダム工廠こうしょうなどで現地げんち生産せいさんされた[注釈ちゅうしゃく 5]。また、どう時期じきにイギリスの援助えんじょけていた1870年代ねんだいネパール王国おうこくでも、スナイドルじゅう模造もぞうひん生産せいさんおこなわれた[注釈ちゅうしゃく 6]

派生はせいひん

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また、正規せいきひん模倣もほうひんのバリエーション以外いがいに、各国かっこく下記かきのような派生はせいひん製造せいぞうされている。

  • フランス[8]・デンマーク[9]・オランダ[10] では、すべり腔式ゲベールじゅうにライフリングをほどこしたミニエー改造かいぞうじゅうを、さらにスナイダーのじゅう装置そうち模倣もほうしょう改良かいりょうした装置そうちのちそうしき改造かいぞうした製品せいひん製造せいぞうされた。
  • ボヘミアげんチェコりょう)でスナイドルしきレミントンしきわせたKrnkaしきじゅう装置そうち開発かいはつされ、これをもちいるKrnkaじゅうがロシアで製造せいぞうされた[11][注釈ちゅうしゃく 7]

配備はいびじょうきょう

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スナイドルじゅう射撃しゃげき姿勢しせい: 1867ねん発行はっこう操典そうてんより

スナイドルじゅうケープ植民しょくみんえいりょうインドオーストラリアニュージーランドカナダといったイギリス植民しょくみんえい連邦れんぽう王国おうこく使つかわれた。

えいしるしぐん現地げんちじん部隊ぶたいでは、スナイドルじゅう1890ねんだいなかばまで使つかわれたが、その理由りゆうえいしるしぐん反乱はんらんおここと警戒けいかいしたイギリスぐんが、インドだい反乱はんらんから1905ねんまでのあいだ、その使用しようじゅうイギリスぐんより1世代せだいまえものしかあたえなかったため、とされている[注釈ちゅうしゃく 8][注釈ちゅうしゃく 9]

現在げんざい

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カイバルとうげ複製ふくせいされたマルティニ・ヘンリー(ひだり)とスナイドル・エンフィールドの騎兵きへいじゅう(みぎ)。カイバルとうげ複製ふくせいじゅうなかには真正しんせいひんそのものの刻印こくいん荒唐無稽こうとうむけい配列はいれつこくされていたり、後方こうほうに2ていならんだ「スナイドル・エンフィールドのソードオフ・ピストル」のように、実用じつようひんではありない形態けいたいじゅう当時とうじぶつそっくりに密造みつぞうされていることから、観光かんこうきゃく国際こくさい治安ちあん支援しえん部隊ぶたい外国がいこくじん駐留ちゅうりゅうへい(おもアメリカへい)のあいだ土産物みやげものとして母国ぼこくかえられるれいすくなくないとされる。

スナイドル-エンフィールドじゅうは、ネパールで相当そうとうすう生産せいさん配備はいびされていたこともあり、2010年代ねんだい現在げんざい骨董こっとう銃器じゅうき市場いちばでも比較的ひかくてき豊富ほうふ出回でまわっている古式こしきじゅうである。2004ねんネパール陸軍りくぐん英語えいごばんが、1839ねん以来いらい保管ほかんされていた50000てい以上いじょうにものぼる古式こしきじゅうぐんはらい下品げひん英語えいごばんとして一挙いっきょ市場いちば放出ほうしゅつしたこともあり、インターナショナル・ミリタリー・アンティークス英語えいごばんなどの古式こしきじゅうオークションなどでも入手にゅうしゅしやすいじゅうとなっている[12]

薬莢やっきょう前述ぜんじゅつとおり24ゲージの真鍮しんちゅうせい散弾さんだん薬莢やっきょう英語えいごばんをリサイズすることひろおこなわれている。弾頭だんとうなまり鋳造ちゅうぞうするため鋳型いがた販売はんばいされており、黒色こくしょく火薬かやくホジドン・パウダー・カンパニー英語えいごばんなどで製造せいぞうされる黒色こくしょく火薬かやく代替だいたいひん英語えいごばんひとしもちいてハンドロードすること実包じっぽう入手にゅうしゅできる。カナダ国定こくてい史跡しせきであるシタデル・ヒル (フォート・ジョージ)英語えいごばんでは所蔵しょぞうする60ていあまりのスナイドルじゅうもちいて、毎日まいにち観光かんこうきゃくけのじつしゃともなうデモンストレーションをおこなっており、フォート・ヘンリー国定こくてい史跡しせき英語えいごばんでも歴史れきし再現さいげんげき英語えいごばんため複数ふくすう種類しゅるいのスナイドルじゅう運用うんようおこなっている[13]

これらの真正しんせい古式こしきじゅうとはべつに、2010年代ねんだいいても地球ちきゅうじょう唯一ゆいいつスナイドルじゅうの「製造せいぞう」を継続けいぞくしているのが、パキスタン北西ほくせい辺境へんきょうしゅう銃器じゅうき製作せいさくしゃたちである。カイバルとうげ拠点きょてんとするダッラ・アダム・ケール英語えいごばん在住ざいじゅうアフリディぞく英語えいごばんいたるは、マルティニ・ヘンリーじゅうエンフィールドじゅうなどの英国えいこくぐん制式せいしき小銃しょうじゅう同様どうように、スナイドルじゅう真正しんせいひんそっくりに、あるいは真正しんせいひんではないような形態けいたい密造みつぞうしており、欧米おうべい銃器じゅうきコレクターのあいだではとうげせいじゅう英語えいごばんばれている[14][15]

日本にっぽんにおけるスナイドルじゅう

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スナイドルじゅう戊辰戦争ぼしんせんそうにイギリスをつうじて薩摩さつまはん導入どうにゅうされ、先進せんしんてき軍備ぐんび整備せいび目指めざした長岡ながおかはんや、仙台せんだいはんがく兵隊へいたいなど幕府ばくふもろぐんによっても使用しようされた。また、後発こうはつ洋式ようしき軍制ぐんせい導入どうにゅうしたしょうはん初期しょき導入どうにゅうしているケースもあった(上山うえやまはん郡上ぐじょうはんなど[16])。

大倉おおくらぐみによると幕末ばくまつ輸入ゆにゅうされたほんじゅうは、当時とうじ価格かかくいちてい9ドル30セントであった[17]

戊辰戦争ぼしんせんそう当時とうじ日本にっぽんはいっていたスナイドルじゅうかずすくなかった[18]が、こうそうしき連射れんしゃせいすぐれていたため、会津あいづ戦争せんそうでの口原くちのはらたたかいではわずか10ていのスナイドルじゅうが、旧式きゅうしきのゲベールじゅう装備そうびした会津あいづはん白虎隊びゃっこたいやぶるなどの活躍かつやくせた[19]

幕府ばくふでは慶応けいおう2ねん(1866ねん)12月にナポレオン3せいから2連隊れんたいぶんのシャスポーじゅう提供ていきょうされ、追加ついかで10000ちょうほど注文ちゅうもんしている。じゅう自体じたい命中めいちゅう精度せいどすぐれていたが、フランス語ふらんすごかれた教範きょうはん翻訳ほんやくわないことや、湿度しつど影響えいきょうけやすいかみせい薬莢やっきょう問題もんだいもあり、あまり活用かつようされなかった。

湿度しつど影響えいきょうけない金属きんぞく薬莢やっきょうであるため、日本にっぽん気候きこうでも不発ふはつすくないという利点りてんはあったが、ぜんそうじゅうまったことなる使用しようほうへい戸惑とまどう、といった問題もんだいてんあきらかになった。

プロイセンせいドライゼじゅう
フランスせいシャスポーじゅう

倒幕とうばくしょはん導入どうにゅうしていたぜんそうしきエンフィールドじゅう簡単かんたん改造かいぞうほどこすだけでのちそうじゅう製造せいぞうできたため、しょはん改造かいぞうおこなわれた[注釈ちゅうしゃく 10][注釈ちゅうしゃく 11]。ただし、当時とうじ日本にっぽんでの改造かいぞうじゅうおおくはベルギーせいのアルビニーじゅう[20]おなじ、くすりしつ前方ぜんぽう開閉かいへいするかつ罨式かつあんしきばれる方式ほうしきだった。これはスナイドルの側面そくめん開放かいほうしきよりもアルビニーの前方ぜんぽう開閉かいへいしきほう改造かいぞう容易よういだったためである。よって厳密げんみつにはこれらは改造かいぞうエンピールじゅうふくまれ、スナイドルじゅうとは明確めいかく区別くべつされる。だが、くすりしつ方式ほうしきちがいはあれど、ボクサーがた実包じっぽう共用きょうよう可能かのうであったので、スナイドルじゅう混用こんようしての運用うんようには不都合ふつごうい。

新生しんせい日本にっぽん陸軍りくぐん誕生たんじょうとともに、信頼しんらいせいたか金属きんぞく薬莢やっきょう使用しようするスナイドルじゅう主力しゅりょく装備そうびとされ、陸軍りくぐん歩兵ほへい工兵こうへいならびに海軍かいぐんのちマルティニ・ヘンリーじゅう採用さいよう)が装備そうびし、大量たいりょう調達ちょうたつされていた記録きろく[21][22][23][24]や、集成しゅうせいかん事業じぎょうでの蓄積ちくせき近代きんだい工業こうぎょう基盤きばん存在そんざいした鹿児島かごしまきゅう薩摩さつまはん)が弾薬だんやく国産こくさんして、ほぼ独占どくせんてき供給きょうきゅうしていたとの記録きろく[25][26][21][27]のこされている[28][29][30][31][32][33]

スナイドルじゅう西南せいなん戦争せんそう政府せいふぐん主力しゅりょく装備そうびとしてもちいられ[34]農民のうみんそうからの徴兵ちょうへい主体しゅたいとする政府せいふぐん銃撃じゅうげきせん士族しぞく中心ちゅうしんの薩軍と対峙たいじしたため、陸軍りくぐんしょうしょ外国がいこく商会しょうかいつうじて大量たいりょう弾薬だんやく調達ちょうたつ奔走ほんそうし、清国きよくにから弾薬だんやく借用しゃくようする交渉こうしょうまですすめられていた記録きろくのこされている[35][36][37]鹿児島かごしまにあったしゅ装備そうび大阪おおさかられ、草牟田そうむたいそ火薬かやくきょく造船ぞうせんしょから強奪ごうだつした旧式きゅうしきエンフィールドじゅうしか装備そうびできなかった薩軍は、緒戦しょせんからスナイドルじゅう連射れんしゃ能力のうりょくまえ多大ただい出血しゅっけついられ圧倒あっとうされた[38][39][40]

西南せいなん戦争せんそう大量たいりょう準備じゅんびされたスナイドル弾薬だんやくは、西郷さいごうぐん鎮圧ちんあつ終了しゅうりょうしたこと余剰よじょうとなって大量たいりょうにストックされていたため、1879ねん明治めいじ11ねん)に各地かくち工廠こうしょう退蔵たいぞうされていたエンフィールドじゅうだい部分ぶぶんをスナイドルしき改造かいぞうする作業さぎょう開始かいしされている[4]

1880ねん明治めいじ13ねん)、シャスポーじゅう金属きんぞく薬莢やっきょうよう改造かいぞうしたグラースじゅう参考さんこうにしたボルトアクションしき村田むらたじゅう開発かいはつされると、陸海りくかいぐんともに装備そうび更新こうしん開始かいしされるが、さい重要じゅうよう部品ぶひんである銃身じゅうしん輸入ゆにゅうたよるなど発達はったつ工業こうぎょう基盤きばんした製造せいぞうされた13ねんしき村田むらたじゅう調達ちょうたつペースはおそく、大量たいりょう弾薬だんやく備蓄びちくゆうしたスナイドルじゅうにちしん戦争せんそうまでせん装備そうびとして配備はいびされつづけた[41][42]

30ねんちかくにわたって酷使こくしされたスナイドルじゅうなかには、蝶番ちょうつがい構造こうぞうをつなぐピンが変形へんけいしてひらがたくなっていたものもあり、戦地せんちでは兵士へいしには小型こがたづち一緒いっしょ配備はいびされたたいて蝶番ちょうつがいひらいていたとつたえられている。

にちしん戦争せんそう有坂ありさか成章しげあき開発かいはつした無煙むえん火薬かやくもちいるさんじゅうねんしき歩兵ほへいじゅう採用さいようされると、完全かんぜん旧式きゅうしき火器かきとなったスナイドルじゅう引退いんたいし、学校がっこう教練きょうれんようはらげられたり、村田むらたじゅうなどとともに清国きよくに[よう検証けんしょう]朝鮮ちょうせんなどに供与きょうよされたが、太平洋戦争たいへいようせんそう末期まっき本土ほんど決戦けっせんよう国民こくみん義勇ぎゆうたいさい配備はいびされ、兵器へいきとしてさい登場とうじょうしたことでもられている。

先代せんだい
日本にっぽん陸軍りくぐんけんぐん
日本にっぽんぐん制式せいしき小銃しょうじゅう
1871-1880
次代じだい
村田むらたじゅう

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ぜんそうじゅうでは銃身じゅうしんはずしてせんはずし、サクつえ(カルカ)を使つかって火薬かやく弾丸だんがんさなければならず、戦闘せんとうちゅう不発ふはつ発生はっせいした場合ばあいには再度さいど発火はっかこころみるか、後方こうほうかえ以外いがい対処たいしょ方法ほうほうがなかった。
  2. ^ ぜんそうじゅうのちそうしき改造かいぞうには様々さまざま方式ほうしき提案ていあんされたが、そのなかにはボルトアクション提案ていあんしたタイプも存在そんざいした。
    そのいちれいドライゼじゅうかみせい薬莢やっきょう使用しようする Karl August Luckの試作しさくじゅう である。
  3. ^ MK IとMK IIのブリーチには明確めいかくなロックが存在そんざいせず、さかさまにしたときにブリーチがひらかないようにちいさなノッチがかっているだけである。 実際じっさいにはロックが存在そんざいしなくても、ブリーチをひら方向ほうこう発射はっしゃ圧力あつりょくかる方向ほうこうには90°の角度かくどがあり、げきはつげきてつがブリーチをさえつけ、発射はっしゃ圧力あつりょくでブリーチも後方こうほうけられるため、ブリーチが勝手かってひらいてしまう危険きけんせいはほとんどい。
  4. ^ 戊辰戦争ぼしんせんそう日本にっぽんや、南北戦争なんぼくせんそう米国べいこく輸出ゆしゅつされたエンフィールドじゅうやスナイドルじゅうにはこの刻印こくいんタイプがおおい。
  5. ^ 日本にっぽん輸出ゆしゅつされたスナイドルじゅうなかにも、インドせいもの(デザイン・材質ざいしつ加工かこう精度せいど英国えいこくせいものおなじ)が存在そんざいしている。
  6. ^ ネパール内戦ないせんのち国連こくれん主導しゅどうおこなわれた武装ぶそう解除かいじょ作業さぎょうでは、僧院そういんなどに保存ほぞんされていた多数たすうのネパールせいスナイドルじゅう発見はっけんされ、これが欧米おうべい転売てんばいされたため現在げんざいでも骨董こっとうひん市場いちばおお出回でまわっている。
    参照さんしょう:ネパールせいとイギリスせいスナイドルじゅう比較ひかく
    ネパールせいスナイドルじゅうには、品質ひんしつ加工かこう精度せいどおと製品せいひん存在そんざいし、これらはイギリスじん監督かんとくした工廠こうしょう以外いがい製造せいぞうされたものとかんがえられている。
    参照さんしょうてい品質ひんしつなネパールせいスナイドルじゅう
  7. ^ スナイドルしきにはサイドハンマーの打撃だげきしょうじた干渉かんしょうによる命中めいちゅう精度せいど限界げんかいという問題もんだいがあり、レミントンしき命中めいちゅう精度せいど問題もんだい最小さいしょうされていたものの、ブリーチが貧弱ひんじゃくという問題もんだいがあった。
    Krnkaしきはスナイドルしき同様どうよう頑丈がんじょうなブリーチをっていたが、げきてつ打撃だげき通常つうじょう銃器じゅうきよりひく位置いちかれ、レミントンしきおなじくげきはり銃身じゅうしんじくせん延長えんちょうじょうにあるげきはりあな挿入そうにゅうされていた。このため、げきてつ回転かいてん運動うんどうげきはりはげしいちからくわえられてげきはり前後ぜんごどうしても、銃身じゅうしんじくせん安定あんていには干渉かんしょうしないすぐれた構造こうぞうとなっていた。
  8. ^ イギリス陸軍りくぐん1874ねんマルティニ・ヘンリーじゅう新規しんき採用さいようした。
    どうじゅう日本にっぽん海軍かいぐんにも採用さいようされたが、最初さいしょから金属きんぞく薬莢やっきょうよう設計せっけいされており、フランスのグラースじゅう同様どうようにボトルネック薬莢やっきょうによるしょう口径こうけい弾道だんどう特性とくせい向上こうじょうはかられていた。
    スナイドルじゅうくらべてあらゆるてんすぐれたじゅうだったが、用心ようじんきんうしろに位置いちするレバーを上下じょうげさせるとブリーチが開閉かいへいする構造こうぞうだったため、伏射ふくしゃ射撃しゃげき姿勢しせい維持いじできないという、歩兵ほへいじゅうとしては致命ちめいてき欠点けってんがあり、どうじゅう配備はいびされていた時期じきのイギリスぐん各地かくち手痛ていた損害そんがいこうむいち要因よういんとなったとされている。
  9. ^ 1888ねんになってようやく、イギリス陸軍りくぐん欧州おうしゅう諸国しょこくならってボルトアクションしきリー・メトフォード小銃しょうじゅう採用さいようし、どうじゅう採用さいようされた.303ブリティッシュだんだい大戦たいせんまで使用しようされる傑作けっさく弾薬だんやくとなり、日本にっぽん陸軍りくぐんもこれを改良かいりょうしたきゅうきゅうしき普通ふつう実包じっぽう採用さいようしている。
  10. ^ エンフィールドじゅう改造かいぞうについて陸軍りくぐんしょうのこ最古さいこ記録きろく明治めいじ8ねん9がつのものである。
    陸軍りくぐん軍政ぐんせい年報ねんぽう明治めいじはちねんこうより)
    だい 砲兵ほうへい事務じむ明治めいじはちねんきゅうがつヨリ官員かんいん派出はしゅつ長門ながとこくはぎおきげんニ於テ「エンピール」みつるヲ「アルミー」じゅう改造かいぞうはじめ
  11. ^ 先進せんしん技術ぎじゅつ摂取せっしゅ積極せっきょくてきだった日本にっぽん各地かくち鉄砲てっぽう鍛冶たんや工房こうぼうにおいても、ぜんそうじゅうこうそうしき改造かいぞうする信頼しんらいせいたか方法ほうほうとしてスナイドルじゅう構造こうぞうおお参考さんこうとされ、様々さまざまなスナイドルしき改造かいぞうじゅう製造せいぞうされた。
    なかには種子島たねがしまがた火縄銃ひなわじゅうをスナイドルしき蝶番ちょうつがい構造こうぞう真似まねこうそうしたものや、村田むらたじゅうのボルトをけた種子島たねがしままで存在そんざいする。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
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    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ11ねん12月
    まいりだいせんはちひゃくきゅうじゅうきゅうごう スナイドルじゅういちまんてい改造かいぞうづけ伺 スナイドルじゅう いちまんてい 此入概算がいさんきんさんまんさんせんえん みぎ先般せんぱんどうじゅういち萬挺改造御達相成直ニ着手ちゃくしゅ現今げんこんづくりかた大砲たいほう成功せいこう相成あいなこうしょ該銃備来タ充分じゅうぶん且工しょう内平うちひら閑之場所ばしょ出来できこうづけとう前書ぜんしょつう改造かいぞうしょうなりたちあん添此だんしょう伺候しこうきょくきゅうひゃくきゅうじゅうろくごう だいさん局長きょくちょう代理だいり 明治めいじじゅういちねん十二月じゅうにがつじゅうろくにち 陸軍りくぐん大佐たいさ原田はらだ一道いちどう 陸軍りくぐんきょう山縣やまがた有朋ありとも殿どの つい而該入費にゅうひしゃ小銃しょうじゅうなみ弾薬だんやく製造せいぞうじゅうはちまんえんあまりうちヨリ払出はらいだし相成あいなたび此段さる添候也 砲兵ほうへいほんしょうたちあん スナイドルじゅう いちまんてい みぎ在来ざいらいエンヒールじゅうヲ以改造かいぞうけい此旨いたる
  5. ^ 参考さんこう[リンク]1878ねん明治めいじ11ねん当時とうじ物価ぶっかから換算かんさんすると、3えん30ぜに現在げんざい価値かちで25,000えん程度ていどかんがえられる。
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  8. ^ 参照さんしょう:M1853/67 French Dragoon Tabatière Rifle
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  10. ^ 参照さんしょう1参照さんしょう2:M1867 Dutch Snider
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  13. ^ Holt Bodinson (March 2006), “Britain's big .577 Snider”, Guns Magazine, http://www.thefreelibrary.com/Britain's+big+.577+Snider.-a0141344134 
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  18. ^ 武器ぶき防具ぼうぐ 幕末ばくまつへん』26ぺーじ
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  20. ^ 日本にっぽんではアルミーじゅうともばれている。
  21. ^ a b 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ10ねんだい日記にっき 省内しょうない各局かくきょく参謀さんぼう近衛このえ病院びょういん 教師きょうし軍馬ぐんばきょく 1がつすい 陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ10ねん1がつ
    きょくさんよんごう 砲兵ほうへいささえしょうニ於テスナイトル弾薬だんやく製作せいさくよしづけ伺 スナイトルだん是迄これまで砲兵ほうへいささえしょうニ於テ製造せいぞう致処だい方面ほうめんない工兵こうへいいんさんぶんどうじゅう携帯けいたい居候いそうろうづけ当今とうこん鹿児島かごしまぞくしょう制作せいさくどうたまヲ以支しょう送付そうふ致シしかさい各地かくちこうはい致有こうみぎへだたこれじょうしょ運搬うんぱん致候えき緩急かんきゅうさい不都合ふつごうしょうこうづけひだりまで決定けってい指令しれいしょうなりたちあんしょう添此だんしょう伺候しこうだいさん局長きょくちょう代理だいり 十年一月八日陸軍大佐福原実二 陸軍りくぐんきょう山縣やまがた有朋ありとも殿どの伺之どおり いちがつじゅうにちただしにゅうどうしょう がく金内かねうちてんほう 多少たしょう どおりたち相成あいなたびこうしょう砲兵ほうへいささえしょうたちあん 鹿児島かごしまぞくしょう設置せっちスナイトルだんぎょう器械きかい其廠備づけ
    ちゅう: 鹿児島かごしまぞくしょう設置せっちスナイトルだんぎょう器械きかい其廠備は、明治めいじ10ねん1がつ29にち秘密裏ひみつりにスナイドルじゅうふくおおくのしゅ装備そうび弾薬だんやくとともにあかりゅうまる大阪おおさか移送いそうされた。これにおこった鹿児島かごしまわたし学校がっこう勢力せいりょく暴発ぼうはつ西南せいなん戦争せんそう勃発ぼっぱつのきっかけとなった。
  22. ^ 蕃地ばんち事務じむきょく 明治めいじ7ねん8がつ19にち
    大隈おおくま長官ちょうかんヨリりん大佐たいさがいいちめいスナイドルハトロンのうひん買取かいとり云々うんぬん往信おうしん はちがつじゅうきゅうにち スナイドル ノ タマ ろくマン ヨキシナ ニテ ネダン ソヲトヲ ナラバ だい至急しきゅう カイトル ベシ 至急しきゅう 御返事おへんじしたこう 大隈おおくま事務じむきょく長官ちょうかん 長崎ながさき支局しきょく りん大佐たいさ殿どの 横山よこやま權助ごんすけ殿どの
  23. ^ 蕃地ばんち事務じむきょく 陸軍りくぐんきょう 山縣やまがた有朋ありとも 明治めいじ7ねん8がつ19にち
    山縣やまがた陸軍りくぐん@ヨリ大隈おおくま長官ちょうかん長崎ながさきひょうニテスナイドルじゅうかいいれうんらいはちがつじゅう九日ここのか さくじゅうろくにち福原ふくはら陸軍りくぐん大佐たいさヲ以テだんためこう長崎ながさきひょうゆうこうスナイトル弾薬だんやくろくまんはつぶんかい入方いりがたとうしょうヨリ熊本くまもと鎮@出張しゅっちょう平田ひらた大尉たいい多田おおた中尉ちゅういそうたちおけこうゆうエンヒールじゅうざい多分たぶんづけかいいれ@致候じょうつくり承知しょうちマラ此@申入もうしいれこう蕃地ばんち事務じむ局長きょくちょう大隈おおくま重信しげのぶ殿どの
  24. ^ 海軍かいぐんしょう 明治めいじ9ねん公文こうぶん備考びこう徃出まき141いたり170
    海軍かいぐん大輔だいすけ 川村かわむらじゅん 明治めいじ9ねん10がつ13にち
    海軍かいぐんしょう 東海とうかい鎮守ちんじゅ 軍務ぐんむきょく
    明治めいじ9ねん公文こうぶん備考びこう往出まき141いたり170 海軍かいぐん使用しよう小銃しょうじゅう従来じゅうらい々ニこうしょ当分とうぶんスナイトルじゅうしょうていこうじょう此旨しょうたちこう明治めいじきゅうねんじゅうがつじゅうさんにち 海軍かいぐん大輔だいすけ 川村かわむらじゅんよし 東海とうかい鎮守ちんじゅ司令しれい長官ちょうかん海軍かいぐん少将しょうしょう 伊東いとうゆう麿まろ殿どの 軍務ぐんむ局長きょくちょう海軍かいぐん大佐たいさ はやし清康きよやす殿どの 兵学へいがく校長こうちょう海軍かいぐん大佐たいさ 松村まつむらあつしくら殿どの 兵器へいききょく副長ふくちょう海軍かいぐん少佐しょうさ 末川すえかわひさたかし殿どの 往出だいろくじゅうごう 原因げんいんハ往入だいじゅうごうニアリ」
  25. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっきだい日記にっき みずのえさる 7がつ 府県ふけんかのえ
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ5ねん7がつ
    こうあいだ至急しきゅう返却へんきゃくゆうこれなお及御掛合かけあいこうみずのえさるなながつじゅうさんにち 大蔵省おおくらしょう 陸軍りくぐんしょう御中おんちゅう だいななひゃくじゅうさんごう スナイトルじゅう空包くうほう ろくまんよんひゃくはちひろえはつ いればこしきじついち ただしいちばこせんはちひゃくはちじゅうあて みぎ陸軍りくぐんしょう御用ごようづけ差出さしでむね於此けん西郷さいごうしょう輔殿ヨリ致承知しょうち今般こんぱん有功ゆうこうかんせきいれまわりこうあいだ着船ちゃくせんうえ請取うけとり相成あいなたび荷作にづくり其他ほんかんまで運送うんそう入費にゅうひとうしょ会計かいけいかけヨリ明細めいさいしょ差出さしでこうあいだ急便きゅうびんおくこうした此段伺申じょうこうみずのえさるろくがつ廿にじゅうろくにち 鹿児島かごしまけん 大砲たいほう製造せいぞうしょ 陸軍りくぐんしょう秘史ひしきょく御中おんちゅう だいななひゃくじゅうよんごう しろ伺之づけさる上書うわがき りくしょう官員かんいん出張しゅっちょうヲ以御取調とりしらべゆうこう福島ふくしまじょうしょうべつつうとう四月中相伺置候」
    ちゅう: 鹿児島かごしまにおけるスナイドル弾薬だんやく国産こくさん成功せいこう明治めいじろくねん政変せいへん薩摩さつまばつ大久保おおくぼけい中央ちゅうおう政府せいふ)と西郷さいごう桐野きりのけいわたし学校がっこう)に分裂ぶんれつした。
  26. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ10ねんだい日記にっき 砲兵ほうへいほんささえしょう工兵こうへいかく方面ほうめん 1がつ 陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ10ねん1がつ8にち
    ほうだいごう 砲兵ほうへいささえしょう鹿児島かごしまぞくしょう設置せっちスナイトル弾薬だんやく器械きかい其廠ヘ備附其廠ニ於テ製作せいさく致此むねしょうたちこうごとただし入費にゅうひハ其廠がく金之かねゆきないヲ以取けい おい不足ふそくふし申出もうしでごと じゅうねんいちがつはちにち 陸軍りくぐんきょう山県やまがた有朋ありとも
  27. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ10ねんだい日記にっき 省内しょうない各局かくきょく参謀さんぼう近衛このえ病院びょういん 教師きょうし軍馬ぐんばきょく 2がつすい 陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ10ねん2がつ13にち
    まいりだいひゃくろくじゅうごうふく だいさんひつじさるてんしきじゅういちごう 至急しきゅうきょくひゃくじゅうさんごう スナイトルだん製造せいぞう器械きかい砲兵ほうへいささえしょうこう備附いちスナイトルだん製造せいぞう器械きかいいち ただしいちにちろくせんはつせいぶん みぎ砲兵ほうへいほんしょうニ備附ぶん砲兵ほうへいささえしょうこう送達そうたつどうしょうニ於テみぎだん製作せいさく致候さま仕度したくたちあんしょう添此だんしょう伺候しこうじゅうねんがつじゅうさんにち だい三局長代理陸軍大佐福原實 陸軍りくぐんきょう代理だいり 陸軍りくぐんしょう大山おおやまいわお殿どの 伺之どおりしょうたちこうごと がつじゅうさんにち 砲兵ほうへいほんしょうこうたちあん いちスナイトルだん製造せいぞう器械きかいいち みぎ砲兵ほうへいささえしょうこう備附みぎだん製作せいさくため致ニづけ其廠在来ざいらい器械きかい至急しきゅうどうしょうこう送達そうたつけい此旨しょうたちこうごと 砲兵ほうへいささえしょうこうたちあん いちスナイトルだん製造せいぞう
  28. ^ なおおなじくこうそうしきでありながら湿気しっけなど環境かんきょう変化へんかよわかみせい薬莢やっきょう使用しようするため、スナイドルじゅうより信頼しんらいせいおとるとされたドライゼじゅうが、西南せいなん戦争せんそう終結しゅうけつまでスナイドルじゅう併用へいようされていたことしめ記録きろくのこされている。
    陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ7ねんだい日記にっき 官省かんしょう使及本しょう布令ふれい 11がつぬの 陸軍りくぐんだい1きょく
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ7ねん11月
    だいよんひゃくごう 今般こんぱん台湾たいわん蕃地ばんち処分しょぶん事件じけんしょうずみこうづけざいしげる兵隊へいたい凱旋がいせんおおせこうじょうため心得こころえ此旨しょうたちこうごと 明治めいじななねんじゅういちがつじゅうよんにち 陸軍りくぐんきょう山県やまがた有朋ありとも 陸軍りくぐん一般いっぱんだいよんひゃくさんごう 近衛このえ鎮台ちんだい歩兵ほへい現今げんこん携帯けいたいスナイトル・ツンナールじゅうヲ以テいちめいづけ四発宛射的演習差許候此旨相達候事 ただし弾薬だんやく各所かくしょ武庫むこ主管しゅかんヨリ受取うけとりこうごと東京とうきょう鎮台ちんだい
  29. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっきだい日記にっき 省内しょうない各局かくきょく参謀さんぼう近衛このえ病院びょういん 教師きょうし軍馬ぐんばきょく 3がつすい 陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ10ねん3がつ31にち
    きょくだいさんひゃくななじゅうよんごう ツンナールじゅう及弾やくども砲兵ほうへいささえしょうこう送附そうふづけいちツンナールじゅう せんさんひゃくさんじゅうてい ただし弾薬だんやく帯革おびかわけんども いちどう弾薬だんやく ひゃくきゅうじゅうまんななせんはつ みぎしゃ砲兵ほうへいほんしょう貯蔵ちょぞうぶん砲兵ほうへいささえしょうこう送附そうふため致候さま仕度したくたちあんしょう添此だんしょう伺候しこうだいさん局長きょくちょう代理だいり 明治めいじじゅうねんさんがつさんじゅういちにち 陸軍りくぐん大佐たいさ原田はらだ一道いちどう 陸軍りくぐんきょう代理だいり 陸軍りくぐん中将ちゅうじょう西郷さいごう従道つぐみち殿どの 砲兵ほうへいほんしょうたちあん いちツンナールじゅう せんさんひゃくさんじゅうてい いちどう弾薬だんやく ひゃくきゅうじゅうまんななせんはつ みぎしゃ其廠貯蔵ちょぞうぶんまえぎょうつう砲兵ほうへいささえしょうこう送附そうふ致此むねしょうたちこうごと 砲兵ほうへいささえしょうたちあん いちツンナールじゅう せんさんひゃくさんじゅうてい いちどう弾薬だんやく ひゃくきゅうじゅうまんななせんはつ
  30. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ10ねんだい日記にっき 送達そうたつ 5がつぶん おくごう 大阪おおさか征討せいとう陸軍りくぐん事務所じむしょ
    明治めいじ10ねん5がつ 陸軍りくぐんしょう
    大阪おおさか鎮台ちんだいごう 別紙べっしそくだいいちごう だいよんひゃくじゅうはちごう 歩兵ほへいだい五大隊出征候申付之付来ルじゅう四日神戸出帆熊本此段候ニづけ該隊こうしょうツンナール弾薬だんやくじゅう至急しきゅう神戸こうべこうマテ輸送ゆそううえ引渡さる此鶏しょうたちこうごと 明治めいじじゅうねんがつじゅういちにち 陸軍りくぐん西郷さいごう従道つぐみち 砲兵ほうへい〜」
  31. ^ 日本にっぽん陸軍りくぐん保有ほゆうしたのちそうじゅうのうち、もっと先進せんしんてき機構きこうゆうしていたのはシャスポーじゅうであり、1874ねん明治めいじ7ねん)に原産げんさんこくのフランスが金属きんぞく薬莢やっきょうしきグラースじゅうへの改造かいぞう成功せいこうしたことけて、一旦いったん将来しょうらい国産こくさん候補こうほとして位置付いちづけられていた記録きろくのこされている。
    公文こうぶんべつろく陸軍りくぐんしょうしゅぶんまわしふちかん抜粋ばっすい明治めいじ元年がんねん明治めいじはちねんだいじゅういちかん明治めいじよんねん明治めいじはちねん
    明治めいじ7ねん5がつ15にち 太政官だじょうかん 陸軍りくぐんしょう
    東京とうきょう鎮台ちんだい工兵こうへい携帯けいたいじゅうシャスポー製作せいさくせいヲ以テしゅうとクスナイトルじゅうヲ以テ備付そなえつけためたち東京とうきょう鎮台ちんだい 其台こうへい携帯けいたいじゅうシャスポートしょうていこうづけテハはる@於造へい修理しゅうりみせこう@@@いたりため製作せいさくしな分有ぶんゆうヨリみぎじゅうしょうはん出来できいたりけんづけのべニ及ヒ不都合ふつごうづけ当分とうぶん「スナイトル」じゅうノ以テ備付そなえつけこうじょう此旨しょうたちこうごと ただし「スナイトル」じゅう@@ぞくひん不足ふそくゆう一時いちじ悉旨@づけなん相成あいなやや取揃とりそろえ相渡あいどいちはずこうごとしゅぶんまわしかん
  32. ^ この当時とうじ日本にっぽん陸軍りくぐんだいふつぐん軍事ぐんじ顧問こもんだんふつ軍人ぐんじんたちによる指導しどうけ、フランス陸軍りくぐんつよ影響えいきょうにあり、シャスポー/グラースじゅう制式せいしき国産こくさん自然しぜんながれだった。
  33. ^ 西南せいなん戦争せんそう勃発ぼっぱつすると、村田むらた経芳つねよし少佐しょうさのちにシャスポー/グラースじゅう母体ぼたい村田むらたじゅう開発かいはつ)がドイツの企業きぎょう依頼いらいしてシャスポーじゅう金属きんぞく薬莢やっきょうしきへの改造かいぞう計画けいかくしていたこと記録きろくされている。
    陸軍りくぐんしょうだい日記にっきだい日記にっき 省内しょうない各局かくきょく参謀さんぼう近衛このえ病院びょういん 教師きょうし軍馬ぐんばきょく 3がつすい 陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ10ねん3がつ7にち
    まいりだいよんひゃくじゅうごう だいさんしんてんよんじゅうはちごう 至急しきゅう きょくだいひゃくななじゅうごう 改造かいぞうじゅう代価だいかつもといあいづけ村田むらた少佐しょうさためし改造かいぞうシヤスポーじゅう独逸どいつこく代価だいかつもといあいさるづけアーレンスしゃより談判だんぱんため就而しゃみぎじゅう同人どうじんよりわたり相成あいなたび此段しょう伺候しこうじゅうねんさんがつななにち だい三局長代理陸軍大佐原田一道 陸軍りくぐんきょう代理だいり陸軍りくぐん中将ちゅうじょう西郷さいごう従道つぐみち殿どの 伺之どおり さんがつななにち
  34. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ10ねんだい日記にっき砲兵ほうへいほんささえしょう工兵こうへい方面ほうめん6がつ陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐん少将しょうしょう 井田いだゆずる 明治めいじ10ねん6がつ5にち 陸軍りくぐんしょう
    ほうさんひゃくよんごう いち洋銀ようぎんはちまんよんせんどる ハ ニづけ@リ ただしスナイドルじゅうろくせんてい買上かいあげ みぎ上方かみがたハーブルブラントヘ至急しきゅう注文ちゅうもん致尤 @つとむこれだいさんきょく@@此旨 しょうたちこうごと 陸軍りくぐんきょう代理だいり じゅうねんろくがつにち陸軍りくぐん少将しょうしょう井田いだゆずる 砲兵ほうへいほんしょう
  35. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ10ねんだい日記にっき しょしょう来書らいしょ 7がつ がつ 陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ10ねん6がつ3にち
    つきひゃく〇九号壱第千八十九号 長崎ながさき居留きょりゅうえいしょうギリブルかたこうさんひゃくまんはつスナイドルはやあいヶ月かげつない到着とうちゃくはず於我政府せいふ約定やくじょう相成あいなこうおもむき別紙べっしうつしつうざい上海しゃんはい品川しながわ領事りょうじヨリさるえつこうしょみぎは於貴しょうやくじょう相成あいなこうひんこう哉貴しょうニおゐて約定やくじょうこうハハヶ月かげつない何月なんがついくにちよりこれごとこう哉為心得こころえ承知しょうち致度此段及御といあいこう至急しきゅうまわりこたえゆうこれこうじゅうねんろくがつさんにち 大隈おおくま大蔵たいぞうきょう 井田いだ陸軍りくぐん少将しょうしょう殿どの べつ 清国きよくにぐんさましょより借入かりいれスナイトル弾薬だんやくじゅうまんはつ かえしべんかたづけ而ハほんがつじゅうよんにちを以再おう上申じょうしんこうづけ最早もはや委曲いきょく承知しょうちことそんこうしかしょ今般こんぱんわが政府せいふより長崎ながさき居留きょりゅうえいしょうギリブルかたこう三百みつお
  36. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ10ねんだい日記にっき しょしょう来書らいしょ 8がつ がつ 陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ10ねん8がつ
    明治めいじじゅうねんはちがつじゅうにち 内務ないむきょう大久保おおくぼ利通としみち 陸軍りくぐんきょう代理だいり 陸軍りくぐん少将しょうしょう井田いだゆずる殿どの がつろくひゃくはちじゅうさんごう いちだいせんひゃくさんじゅうさんごう 英国えいこく倫敦ろんどん注文ちゅうもんこう「スナイドル」弾薬だんやくさんひゃくまんはつさくじゅうさんにち横浜よこはまこう着船ちゃくせん致シこうみぎ揮発きはつぶつづけ〜」
  37. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ10ねんだい日記にっき いんしょう来書らいしょ 10がつ がつ 陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ10ねん10がつ
    宇野うの新吉しんきちろうがいめいたいため致ニづけむべけい相成あいなたび此段及御かかごうこう明治めいじじゅうねんきゅうがつ廿にじゅうにち警視けいしきょく 陸軍りくぐん少佐しょうさ児島こじまえきけん殿どのがつだいはちひゃくごうざい上海しゃんはい品川しながわ領事りょうじより別紙べっしつうスナイドル彈薬だんやく廉価れんかしなゆうこれむね報知ほうちゆうこうづけ心得こころえまでニ及御通知つうちこうまんいち入用いりようこう別紙べっしおいしょおもむきさるこしゆうこれ此段及御通牒つうちょうこう明治めいじじゅうねん九月廿八日大蔵大書記官陸軍大佐御中別紙本港居留英商レンカラホート社中しゃちゅうニスナイドル彈丸だんがんひゃくまんはつ所有しょゆうシ其品過日かじつ警視けいしきょくヨリ長崎ながさき居留きょりゅうえいしょうグリーブル社中しゃちゅう注文ちゅうもんひゃくろくひろえろくまんはつ本港ほんこう於而手数てかずいたし搬運けいこうぶん同一どういつおもむきしかルニみぎひゃくまんはつ〜」
  38. ^ かく鎮台ちんだいから九州きゅうしゅう派遣はけんされたへいのうち、スナイドルじゅう以外いがい支給しきゅうされていたへいは、弾薬だんやく補給ほきゅう統一とういつのためスナイドルじゅうあらたに支給しきゅうされてから九州きゅうしゅう派遣はけんされていたが、途中とちゅうからスナイドルじゅうのストックがなくなり、そのまま派遣はけんされるへいもいたこと記録きろくされている。
    陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ10ねんだい日記にっき砲兵ほうへい工兵こうへい12がつ陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ10ねん12月
    ほうろくひゃくごう 大阪おおさか鎮台ちんだい歩兵ほへいだい十連隊一大隊第一中隊従前携帯シスナイトル@出征しゅっせいさいツンナール@@交換こうかん其兵@別紙べっしこれどおりかず返納へんのう伺出@此旨しょうたちこうごと じゅうねん十二月じゅうにがつじゅうにち 陸軍りくぐんきょう山県やまがた有朋ありとも 砲兵ほうへいささえしょう 別紙べっしハ〜」
  39. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ11ねんだい日記にっき鎮台ちんだい 2がついぬい 陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ11ねん2がつ12にち
    ひがしよんじゅうはちごう 其@歩兵ほへいだい二連隊第二大隊之内三中隊昨年@大阪おおさか鎮台ちんだい携帯けいたいスナイトル致ツンナールじゅうあずか交換こうかん出征しゅっせい戦地せんちヨリ@ニ本営ほんえいへ引揚@づけ@引渡かた@五第三千十七号大阪鎮台伺出@これどおり及指れいこうじょう心得こころえ此旨しょうたちこうごと 明治めいじじゅういちねんがつじゅうにち 陸軍りくぐんきょう山県やまがた有朋ありとも 東京とうきょう鎮台ちんだい べつだいきゅうじゅうよんごう
  40. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ11ねんだい日記にっき6かん鎮臺ちんだい 4がつまついぬい 陸軍りくぐんしょうだい1きょく
    陸軍りくぐんしょう 明治めいじ11ねん4がつ
    せんろくひゃくさんじゅういちごう だいさんしんほうじゅうきゅうごう かぶとだいさんじゅうごう だいひゃくじゅうきゅうごう もとゆうげき歩兵ほへいだい五大隊出征用兵器彈薬返納之義ニづけじゅうねん和歌山わかやまけん臨時りんじ召募しょうぼもとゆうげき歩兵ほへいだい五大隊昨十二月解隊返納兵器彈薬@別紙べっし甲乙こうおつ二表之通有之御召表中持帰ノぶん返納へんのうこれ此段しょう伺候しこう明治めいじじゅういちねんよんがつじゅうにち 大阪おおさか鎮台ちんだい司令しれい長官ちょうかん 陸軍りくぐん少将しょうしょうさんこう重臣じゅうしん代理だいり 陸軍りくぐん少佐しょうさ高島たかしましんしげる 陸軍りくぐんきょう山県やまがた有朋ありとも 伺之どおり よんがつさんじゅうにち もとゆうげき歩兵ほへいだい大隊だいたい出征しゅっせい兵器へいき弾薬だんやくうち凱旋がいせん返納へんのう員数いんずう ちょうツンナールじゅう どうけん どう屓革 どう弾薬だんやくあい どう帯革おびかわ どうけん どうどう金物かなもの どうまたきん どうせっだっきん どう鍼」
  41. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ27ねん9がつ 戦役せんえき日記にっき
    だい六師団長黒木為禎 明治めいじ27ねん8がつ28にち
    だいはちごう 受領じゅりょう番号ばんごう あさみつだいよんななごう ちょうめい だいろく師団しだん 件名けんめい スナイドル銃弾じゅうだんやく試射ししゃけん 提出ていしゅつ じゅうななねんきゅうがつにち 指令しれい申請しんせいおもむきなん認可にんか きゅうがつにち あさみつだいよんななごう はちいち みつはつだいななななごう 「スナイトル」弾薬だんやく試射ししゃよしづけ申請しんせい とう方面ほうめんせき支署ししょ貯蔵ちょぞうノ「スナイトルじゅう弾薬だんやく并ニ携帯けいたい弾薬だんやく臨時りんじせき守備しゅびたい司令しれいかんヨリ別表べっぴょう年度ねんどおう歩兵ほへいかく中隊ちゅうたいニ十発乃至四十発宛乃チ歩兵ほへい十中隊分合計八百発乃至三千二百発不発ノ如何いか試験しけん致度むね願出ねがいでこうじょう認可にんかしょうしげるさま致度此段及申請候也 つい認可にんか相成あいなこうじょう携帯けいたい弾薬だんやく消費しょうひすう過般かはん支給しきゅう相成あいなこうこうせき支署ししょ貯蔵ちょぞうぶんヲ以テ補填ほてんため致候あいだふくさるこう明治めいじじゅうななねんはちがつじゅうはちにち だい六師団長黒木為禎 陸軍りくぐん大臣だいじん伯爵はくしゃく大山おおやまいわお殿どの
  42. ^ 陸軍りくぐんしょうだい日記にっき 明治めいじ28ねん1がつ 「27 8ねん戦役せんえき日記にっき かぶと
    野間のま少佐しょうさ 明治めいじ27ねん12月30にち
    あさだいよんろくよんごう 陸軍りくぐん大臣だいじん代理だいり児玉こだま次官じかん 補充ほじゅうずみ 野間のま少佐しょうさ 村田むらた銃弾じゅうだんやくななまんななせんひゃく榴弾りゅうだんさんひゃく榴霰だんせんはちひゃくはちじゅう野砲やほうやくつつみ千八百八十二山砲薬包三百四十門管四千三百スナイトル銃弾じゅうだんやくいちまんせんだいぐん司令しれいかんヨリ請求せいきゅう宗谷そうやまるニテ発送はっそうみぎ補充ほじゅうアリタシ 明治めいじじゅうななねん十二月じゅうにがつさんじゅうにち午後ごごななよんじゅうはちふん〜」

参照さんしょう資料しりょう

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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