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タジク

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タジク
тоҷикӣ, تاجیکی‎, tojikī
はなされるくに タジキスタンの旗 タジキスタン
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
ロシアの旗 ロシア
話者わしゃすう やく850まんにん(2015ねん
言語げんご系統けいとう
表記ひょうき体系たいけい キリル文字もじラテン文字もじペルシア文字もじ
公的こうてき地位ちい
公用こうよう タジキスタンの旗 タジキスタン
統制とうせい機関きかん タジキスタンの旗 ルーダキー言語げんご文学ぶんがく研究所けんきゅうじょロシアばんタジクばん
言語げんごコード
ISO 639-1 tg
ISO 639-2 tgk
ISO 639-3 tgk
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タジク(タジクご)またはタジク・ペルシア(タジク・ペルシアご)は、おもタジキスタン共和きょうわこくウズベキスタンタジクじん母語ぼごとしている言語げんごで、タジキスタン共和きょうわこく公用こうよう系統的けいとうてきにはインド・ヨーロッパ語族ごぞくイランぞくし、アフガニスタンダリーイランペルシアとともに、しんペルシア基盤きばんとする言語げんごである。

歴史れきしてきには「ペルシア」(ファールシー)とばれていた言語げんごであり、「タジク」という名称めいしょう当時とうじソ連それん国内こくないのペルシア呼称こしょうとして1920年代ねんだいつくられたものである。標準ひょうじゅんサマルカンドブハラ地方ちほう方言ほうげんドゥシャンベ北西ほくせいもこの方言ほうげんけんふくまれる)にもとづいている。

話者わしゃはタジキスタンを中心ちゅうしんに、ウズベキスタンキルギスなどに分布ぶんぷする。話者わしゃ総数そうすうやく850~1000まんにんとされ、その大半たいはんきゅうソビエト連邦れんぽう圏内けんないらす。タジキスタンでは人口じんこうやく80%がタジク母語ぼごとする。タジキスタンのほかにはウズベキスタンにやく933,560にん[注釈ちゅうしゃく 1]、キルギスに33,518にんカザフスタンに25,514にん

アフガニスタンのタジクじん言語げんごダリーばれている。ダリーとタジクはともにペルシア東部とうぶ方言ほうげんぞくしており、西部せいぶ方言ほうげんぞくするイランのペルシアくらべてふる時代じだいのペルシア発音はつおんめている(ただし、ダリーのほうがより古風こふうである)。ペルシア(タジク、ダリー、イラン・ペルシア)はいずれもアラビア語彙ごいおおふくんでいるが、タジクにはロシアおよウズベクなどのテュルク諸語しょご語彙ごいおおふくまれ、構文こうぶんにもウズベク影響えいきょうられる。一方いっぽう、ダリーパシュトー語彙ごいおおふくみ、英語えいごヒンドゥスターニーからも語彙ごいれている。イラン・ペルシアは、近代きんだいれた語彙ごいフランス語ふらんすごからのものがおおい。言葉ことばとしてのペルシアはどの地域ちいきでも通用つうようするが、はな言葉ことばによる地方ちほう方言ほうげん格差かくさは、イントネーションと発音はつおんおおきなちがいがられる。

中国ちゅうごくタジクぞく言語げんごサリコルワクヒ)も「タジク」と総称そうしょうされているが、これらはひがしイランぐんぞくするパミールけい言語げんごであり、西にしイランぐんぞくするペルシア本稿ほんこうのタジク)とはべつ系統けいとうぞくする。

前史ぜんし

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元来がんらい中央ちゅうおうアジアらしていたタジク(タージーク)とばれるペルシアはなすイランけい人々ひとびと使用しようしていた方言ほうげん一種いっしゅであった。「タージーク」の語源ごげんについては諸説しょせつあるが、10世紀せいき以降いこうテュルクけいしょ政権せいけん中央ちゅうおうアジア・イランで台頭たいとうすると、「テュルク」にたいして「ペルシアきできる(ムスリムけいの)人々ひとびと」の意味いみで「タージーク」という単語たんご使つかわれるようになる。当時とうじ言葉ことばそのものは近世きんせいペルシアであり、イラン、アフガニスタンなどのペルシア文化ぶんか共有きょうゆうしていた。

7世紀せいきのアラブ征服せいふく時代じだいにはじまるウマイヤあさアッバースあさによる中央ちゅうおうアジア征服せいふく結果けっかきゅうサーサーンあさけいペルシアじん後裔こうえいたちはアラブしょ部族ぶぞく入植にゅうしょくともなって、ソグディアナなど中央ちゅうおうアジアの各地かくち入植にゅうしょくした。アッバースあさカリフ・マアムーン時代じだいにマアムーンのクーデターに協力きょうりょくしたサーサーンあさ貴族きぞく末裔まつえいとされるサーマーン人々ひとびとは、カリフ政権せいけんからホラーサーン中央ちゅうおうアジア各地かくち支配しはい委任いにんされ、ついには875ねんにアッバースあさだい15だいカリフ・ムウタミドからマー・ワラー・アンナフル全域ぜんいき支配しはいけんあらためてあたえられてサーマーンあさひらいた。かれらはアラビア語彙ごい文字もじもちいてサーサーンあさでのペルシアであるパフラヴィー中世ちゅうせいペルシア)とはちが独自どくじの「現代げんだいてき」なペルシア確立かくりつすることに尽力じんりょくした。とくブハーラーなどの宮廷きゅうていでは詩文しぶん年代ねんだいなどの創作そうさくによってこれらあらたなペルシアによる最初さいしょ文芸ぶんげい復興ふっこうがなされた。9世紀せいき以降いこうあらわれるアラビア文字もじかれアラビア借用しゃくようおおもちいたペルシアを、とく近世きんせいペルシアしょうする。これ以降いこう中央ちゅうおうアジアはテュルク・モンゴルけいしょ政権せいけん支配しはいけたが、近世きんせいペルシア文芸ぶんげいはそれらしょ政権せいけん庇護ひご隆盛りゅうせいし、近代きんだいいたるまで中央ちゅうおうアジア(マー・ワラー・アンナフル)はホラーサーンやイラン中部ちゅうぶファールス地方ちほうなどとならぶ、近世きんせいペルシア文芸ぶんげいいち中心ちゅうしんでありつづけた。この近世きんせいペルシア誕生たんじょうはまさに現在げんざい、タジクなどがはなされる中央ちゅうおうアジアである。

今日きょう「ペルシア」とった場合ばあいイラン・イスラーム共和きょうわこく公用こうようとされる近世きんせい現代げんだいペルシアすが、タジクとは中央ちゅうおうアジアにおける近世きんせいペルシア母体ぼたいとする言語げんごである。

中央ちゅうおうアジアのペルシアけんロシア帝国ていこくトルキスタン総督そうとく支配しはいはいると、タジクじんたいするテュルク推進すいしんされ、おおくのタジクじんウズベクをも使つかうようになった。ロシア革命かくめいによるソビエト連邦れんぽう成立せいりつもしばらくはタジクじんたいするテュルク(ウズベク)が推進すいしんされた。

タジク成立せいりつ

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1924ねんタジク自治じちソビエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこくウズベク・ソビエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこくうち自治じち共和きょうわこくとして成立せいりつし、1929ねん独立どくりつしたタジク・ソビエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこくとなると、タジクはその公用こうようとして従来じゅうらいよりは安定あんていした地位ちいることになった。ソビエト連邦れんぽうでは政治せいじてき意図いとからタジクはイランなどのペルシアとはべつ独立どくりつした言語げんごであると主張しゅちょうされるようになったが、上記じょうきとお本来ほんらい近世きんせいペルシア中央ちゅうおうアジア方言ほうげんにあたる。1928ねん、ソビエト連邦れんぽう政府せいふによりラテン文字もじによる表記ひょうき制定せいていされたが、1939ねん以降いこうキリル文字もじもちいて表記ひょうきされるようになった。また、ソビエト連邦れんぽう時代じだいはロシア進行しんこうした。

音韻おんいん組織そしき

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母音ぼいん

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母音ぼいん
ぜんした ちゅうした おくした
こう и
[i]
у
[u]
はんせま е
[e]
ӯ
[u̇]
ひく а
[a]
о
下記かき参照さんしょう

こうしたこう母音ぼいん発音はつおん記号きごう識者しきしゃにより [o] 、[ɒ] 、[ɔː] とことなった措定そていがされる。

子音しいん

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りょう唇音しんおん 歯音しおん/歯茎はぐきおん 後部こうぶ歯茎はぐきおん かた口蓋こうがいおん 軟口蓋なんこうがいおん 口蓋垂こうがいすいおん 声門せいもんおん
鼻音びおん м
/m/
н
/n/
破裂はれつおん п б
/p/ /b/
т д
/t/ /d/
к г
/k/ /g/
қ
/q/
ъ
/ʔ/
摩擦音まさつおん ф в
/f/ /v/
с з
/s/ /z/
ш ж
/ʃ/ /ʒ/
х ғ
/χかい/ /ʁ/
ҳ
/h/
やぶおと ч ҷ
/tʃ/ /dʒ/
ふるえおん р
/r/
接近せっきんおん л
/l/
й
/j/

文字もじ

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キリル文字もじ ラテン文字もじ IPA
А а A a [a]
Б б B b [b]
В в V v [v]
Г г G g [g]
Ғ ғ Ƣ ƣ [ʁ]
Д д D d [d]
Е е Je je, E e [je], [e]
Ё ё Jo jo [jo]
Ж ж Ƶ ƶ [ʒ]
З з Z z [z]
И и I i [i]
Ӣ ӣ ī [ʲi]
Й й J j [j]
К к K k [k]
Қ қ Q q [q]
Л л L l [l]
М м M m [m]
Н н N n [n]
О о O o [o]
П п P p [p]
Р р R r [ɾ]
С с S s [s]
Т т T t [t]
У у U u [u]
Ӯ ӯ Ū ū [ɵ]
Ф ф F f [f]
Х х X x [χかい]
Ҳ ҳ H h [h]
Ч ч C c [ʧ]
Ҷ ҷ Ç ç [ʤ]
Ш ш Ş ş [ʃ]
Ъ ъ ' [ʔ]
Э э E e [e]
Ю ю Ju ju [ju]
Я я Ja ja [ja]

語彙ごい

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タジク語彙ごい全般ぜんぱんてき守旧しゅきゅうてきで、イランとアフガニスタンで使用しようされなくなった単語たんご豊富ほうふのこっている。れいарзиз (arziz)「スズ」(元素げんそ)、фарбеҳ (farbeh)「ふとった」。直近ちょっきんでは、ソ連それん構成こうせい国家こっかだった歴史れきしてき事情じじょうからロシアからの借用しゃくよう語彙ごい多数たすうはいっており、社会しゃかい経済けいざいがく科学かがく技術ぎじゅつ政治せいじ関連かんれん語彙ごいおおくはロシアからの借用しゃくようとなっている。地理ちりてきちかいウズベクからの借用しゃくようもあり、イスラム教いすらむきょう国家こっかとしてアラビアからの借用しゃくようもある。1980年代ねんだい後半こうはんより、借用しゃくようをタジクえるうごきがすすめられ、その手法しゅほうとしては、すたれたふる語彙ごい復活ふっかつか、新語しんご創出そうしゅつによっている。たとえば、гармкунак (garmkunak)(「ヒーター、暖房だんぼう」)や чангкашак (čangkašak)(「掃除そうじ」)のような新語しんごは、イランとアフガニスタンの同義どうぎ語彙ごいとはことなっており、タジクとそののペルシアけい言語げんごあいだでの意思いし疎通そつうさまたげの要因よういんとなっている。

したひょうでは、対比たいひのため、ペルシア、パシュトークルド(と英語えいごなどのインド・ヨーロッパ語族ごぞく言語げんご)をわせて掲載けいさいしている。

タジク моҳ
(moh)
нав
(nav)
модар
(modar)
хоҳар
(xohar)
шаб
(šab)
бинӣ
(binī)
се
(se)
сиёҳ
(siyoh)
сурх
(surx)
зард
(zard)
сабз
(sabz)
гург
(gurg)
意味いみ つきこよみの) あたらしい はは 姉妹しまい よる はな 3 くろ あか 黄色きいろ みどり おおかみ
そののペルシアけい言語げんご
ペルシア ماه
māh
نو
nou
مادر
mādar
خواهر
xāhar
شب
šab
بینی
bīnī
سه
se
سياه
siyāh
سرخ
sorx
زرد
zard
سبز
sabz
گرگ
gorg
パシュトー میاشت
myâsht
نوی
nəwai
مور
mor
خور
xor
ښپه
shpa
پوزه
poza
درې
dre
تور
tor
سور
sur
زیړ
zyaṛ
شين، زرغون
shin, zərghun
لېوه
lewə
クルド meh xwîşk şev poz sisê, sê reş sor zer kesk gur
そののインド・ヨーロッパ語族ごぞく言語げんご
英語えいご month new mother sister night nose three black red yellow green wolf
アルメニア ամիս
amis
նոր
nor
մայր
mayr
քույր
k'uyr
գիշեր
gišer
քիթ
k'it'
երեք
yerek'
սև
sev
կարմիր
karmir
դեղին
deġin
կանաչ
kanač
գայլ
gayl
サンスクリット मास
māsa
नव
nava
मातृ
mātṛ
स्वसृ
svasṛ
नक्त
nakta
नस, नासा
nasa, nāsā
त्रि
tri
श्याम
śyāma
रुधिर
rudhira
पीत
pīta
हरित
harita
वृक
vṛka
ロシア месяц
mésjac
новый
nóvyj
мать
matʹ
сестра
sestrá
ночь
nočʹ
нос
nos
три
tri
чёрный
čórnyj
красный, рыжий
krásnyj, rýžij
жёлтый
žóltyj
зелёный
zeljónyj
волк
volk

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ただし、ウズベキスタンのタジク人口じんこう政治せいじてき非常ひじょうすくなく見積みつもられており、実際じっさいのタジク話者わしゃはこれよりはるかにおおく、ウズベキスタン人口じんこうの20-30%(やく600まん~900まんにん)にたっするとする見方みかたもある。いずれにしてもウズベキスタン人口じんこうのかなりの割合わりあいがウズベクとタジクのバイリンガル(外出がいしゅつにはウズベク家庭かていないではタジク。)であるとられており、ウズベキスタンはタジキスタンとならぶタジク国家こっかであるともいえる。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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