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デビッド・オタンガ

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デビッド・オタンガ
デビッド・オタンガの画像
プロフィール
リングネーム デビッド・オタンガ
ドーソン・アレクサンダー
本名ほんみょう デビッド・ダニエル・オタンガ
ニックネーム A-リスト(大物おおもの)
WWEのカニエ・ウェスト
身長しんちょう 183cm
体重たいじゅう 104kg
誕生たんじょう (1980-04-07) 1980ねん4がつ7にち(44さい
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
イリノイ州の旗 イリノイしゅうエルジン
トレーナー トム・プリチャード
ノーマン・スマイリー
デビュー 2009ねん5がつ9にち
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デビッド・オタンガDavid Daniel Otunga1980ねん4がつ7にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくプロレスラー現在げんざいWWERAWにて活動かつどうしている。

来歴らいれき

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ハーバード・ロー・スクール卒業そつぎょう2007ねんVH1のリアリティ番組ばんぐみ "I Love New York" のシーズン2にパンクというニックネームで出演しゅつえんした。

2008ねんWWEとディペロップメント契約けいやくFCWにて厭味いやみ弁護士べんごしギミックであるドーソン・アレクサンダーDawson Alexander, Esq.)としてデビュー。

2010ねんECW放送ほうそう終了しゅうりょうとなり、新設しんせつされた番組ばんぐみであるNXTのシーズン1にルーキーとして参加さんか。リングネームを本名ほんみょうであるデビッド・オタンガ変更へんこうし、Rトゥルースをプロにむかえ、じゅん優勝ゆうしょうたした。そのシーズン1のルーキーで結成けっせいされたネクサス一員いちいんとしてあばまわり、PPVのブラッギング・ライツにてジョン・シナとタッグをんで、コーディ・ローデス & ドリュー・マッキンタイアからWWEタッグ王座おうざ奪取だっしゅした。しかし、その翌週よくしゅうのRAWにてリーダーであるウェイド・バレットからおなじネクサスのメンバーであるジャスティン・ガブリエル & ヒース・スレイターにタッグ王座おうざわたすよう指示しじされ、リング中央ちゅうおうよこになり献上けんじょうした。

こののちからネクサスにたいして不満ふまんはじめて、11月5にちにはバレットの許可きょかなくみずからがリーダーとなってスマックダウン登場とうじょう序盤じょばんエッジアルベルト・デル・リオおそい、バックステージではレイ・ミステリオMVPカヴァルをも袋叩ふくろだたきにするが、メインせんのエッジ、コフィ・キングストンビッグ・ショー、デル・リオ、ケインとの10マン・タッグ・マッチに敗北はいぼくしてしまう。翌週よくしゅうのRAWではバレットがこの結果けっか激怒げきどし、シナとの試合しあいまれるがまたも敗北はいぼく追放ついほう危機ききにあったが、11月12にちければネクサス追放ついほうまるエッジとのランバージャックせんでケインの援護えんごもあって勝利しょうりし、追放ついほうまぬかれた。

2011ねん3月4にちのRAWにてランディ・オートンにパントキックをめられ長期ちょうき欠場けつじょうするが、4がつ18にちのRAWでパンクたいオートンせん乱入らんにゅうしてオートンを袋叩ふくろだたきにして復帰ふっき5月23にちのRAWでマイケル・マクギリカティとともにケイン & ビッグ・ショーくみやぶってWWEタッグ王座おうざ獲得かくとくした。

ネクサス消滅しょうめつ、マクギリカティとのタッグは継続けいぞくしていたが、8がつ22にちのRAWでコフィ・キングストン & エヴァン・ボーンくみやぶれて王座おうざから陥落かんらくし、マクギリカティとのタッグを解消かいしょうした。

マクギリカティとのタッグ解消かいしょう、RAWの臨時りんじGMとなったジョン・ロウリネイティス片腕かたうで法律ほうりつアドバイザーや顧問こもん弁護士べんごし)となり、かれをサポートし、US王座おうざせん挑戦ちょうせんするなど恩恵おんけいあたえられたが、2012ねん6がつにロウリネイティスが失脚しっきゃくすると同時どうじに8がつまでに目立めだった出番でばんあたえられなかった。

8がつ下旬げじゅんアルベルト・デル・リオ顧客こきゃくにして行動こうどうともにするようになる。デル・リオのこうそう相手あいてである世界せかい王者おうじゃシェイマスのフィニッシャーであるブローグ・キックを使用しよう禁止きんしにするよう奔走ほんそうし、成功せいこうしかけたが試合しあい直前ちょくぜんになってGMのブッカー・Tがキックを解禁かいきん結局けっきょく自身じしんがブローグ・キックをけ、デル・リオもけることになった。

デル・リオとシェイマスによる抗争こうそうしん世界せかい王者おうじゃとなったビッグ・ショーにき、シェイマスの再戦さいせんみとめぬようにしようとしたがシェイマスにおびえたビッグ・ショー自身じしんうったえをげ、またしてもシェイマスにばされることになった。以降いこう映画えいがへの出演しゅつえん決定けっていしたために出場しゅつじょう機会きかい減少げんしょうし、2013ねんにはRoyal Rumble 2013のロイヤルランブルマッチに9番目ばんめ登場とうじょうするがシェイマスにとされた。

そのもWWEでの、とくにレスラーとしての出番でばんはほとんどく、10月にふたたびビッグ・ショーの弁護士べんごしとして活動かつどうしている様子ようす放送ほうそうされている。2017ねんより、WWEのPPVにおけるアナリストをつとめている。

私生活しせいかつ

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2008ねん9月に映画えいがドリームガールズ』のジェニファー・ハドソン婚約こんやく翌年よくねん8がつにはだいいち長男ちょうなん)が誕生たんじょうしているが、2017ねん11月に破局はきょく以降いこう子供こども親権しんけんめぐって泥沼どろぬまあらそいに発展はってん決着けっちゃく法廷ほうていまれることとなった[1]

得意とくいわざ

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フィニッシャー。変形へんけいチョークスラムウラジミール・コズロフ使用しようしているアイアン・カーテンと同型どうけいわざ

獲得かくとくタイトル

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WWE
w / ジョン・シナ
w / マイケル・マクギリカティ

入場にゅうじょうきょく

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  • We Are One (12 Stones)
  • Death Blow
  • All About The Power - 現在げんざい使用しようちゅう

映画えいが出演しゅつえん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ “ジェニファー・ハドソン、親権しんけんあらそいが泥沼どろぬま. デイリースポーツ (株式会社かぶしきがいしゃデイリースポーツ). (2018ねん12月8にち). https://www.daily.co.jp/gossip/foreign_topics/2018/12/08/0011886912.shtml 2018ねん12がつ20日はつか閲覧えつらん 

外部がいぶリンク

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