ドン・キホーテ

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ドン・キホーテ
Don Quijote
初版のタイトル頁(1605年)
初版しょはんのタイトルぺーじ1605ねん
作者さくしゃ ミゲル・デ・セルバンテス
くに スペイン スペイン
言語げんご スペイン
ジャンル 冒険ぼうけん小説しょうせつ
刊本かんぽん情報じょうほう
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ スペイン 前編ぜんぺん 1605ねん
スペイン 後編こうへん 1615ねん
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ドン・キホーテ』(スペイン: Don Quijote、Don Quixote[1])は、スペイン作家さっかミゲル・デ・セルバンテス小説しょうせつ騎士きしどう物語ものがたりぎで現実げんじつ物語ものがたり区別くべつがつかなくなった郷士ごうし(アロンソ・キハーノ)が、みずからを遍歴へんれき騎士きしにんじ、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」[2]名乗なのって冒険ぼうけんたびかける物語ものがたりである。1605ねん出版しゅっぱんされた前編ぜんぺんと、1615ねん出版しゅっぱんされた後編こうへんがある。

概要がいよう[編集へんしゅう]

前編ぜんぺん原題げんだいは、"El ingenioso hidalgo Don Quixote de la Mancha"[3]。セルバンテスは前編ぜんぺん序文じょぶんなかで、牢獄ろうごくなかでこの小説しょうせつ最初さいしょ構想こうそうたことをほのめかしている。かれ生涯しょうがいにおいてなん投獄とうごくされているが、おそらくここでかたられているのは税金ぜいきん横領おうりょう容疑ようぎ入獄にゅうごくした1597ねんセビーリャ監獄かんごくのことであろう(ただし、「捕虜ほりょはなし」などはなし本筋ほんすじではない挿話そうわのいくつかは、それ以前いぜんいたものである)[よう出典しゅってん]。セルバンテスは釈放しゃくほうバリャドリードおおくの家族かぞくやしないながら前編ぜんぺんげ、1605ねんマドリードのファン・デ・ラ・クエスタ出版しゅっぱんしょから出版しゅっぱんした。前編ぜんぺんはたちまちだい評判ひょうばんとなり、出版しゅっぱんしたとしだけで海賊版かいぞくばんふくめ6はんかぞえ、1612ねんにははやくも英訳えいやくが、1614ねんにはふつやく登場とうじょうした。だが作品さくひんたか評価ひょうかにもかかわらず、版権はんけんわたしてしまっていたためセルバンテスの生活せいかつ依然いぜん困窮こんきゅうしていた。

後編こうへんは、"Segunda parte del ingenioso caballero Don Quixote de la Mancha"[4]として1615ねんおなじくファン・デ・ラ・クエスタ出版しゅっぱんしょから出版しゅっぱんされた。前編ぜんぺん同様どうようだい評判ひょうばんとなったが、セルバンテスは相変あいかわらずまずしいまま、1616ねんぼっした。

前編ぜんぺんはセルバンテスのたん編集へんしゅうとしての色合いろあいがく、作中さくちゅうさくおろかな物好ものずきのはなし」(司祭しさいたちが小説しょうせつ)、「捕虜ほりょはなし」、「ルシンダとカルデーニオのはなし」など、ドン・キホーテとは直接ちょくせつのかかわりいのないはなしおお挿入そうにゅうされている。また、前編ぜんぺんだい一部いちぶ(ドン・キホーテ単独たんどくいちはくにち遍歴へんれき)も、ひとつの短編たんぺん小説しょうせつとしての構成こうせいをもっている。後編こうへんではこのてん作者さくしゃ自身じしん反省はんせいして、脱線だっせんくしている。

贋作がんさく『ドン・キホーテ』[編集へんしゅう]

1614ねんアロンソ・フェルナンデス・デ・アベジャネーダスペインばん名乗なの人物じんぶつが『ドン・キホーテ』の続編ぞくへん発表はっぴょうした(原題げんだいSegundo tomo del ingenioso hidalgo Don Quixote de la Mancha[5])。だがこれはセルバンテスがいたものでもなければ、許可きょかったものでもない。すでにベストセラーとなっていた『ドン・キホーテ』の名前なまえ利用りようしただけの贋作がんさくである。セルバンテスが後編こうへん執筆しっぴつちゅう出版しゅっぱんされたため、『ドン・キホーテ』後編こうへんのなかで、この贋作がんさくが『ドン・キホーテ』前編ぜんぺんとは無関係むかんけいであることをなん主張しゅちょうし、さらには贋作がんさくのドン・キホーテに対抗たいこうしてさきサラゴサからバルセロナ変更へんこうしている。

アベジャネーダの正体しょうたいは、300ねん以上いじょうなぞのままであったが、現在げんざいでは1988ねんマルティン・デ・リケールが提起ていきしたヘロニモ・デ・パサモンテスペインばんせつ有力ゆうりょくとなっている。この人物じんぶつは、後述こうじゅつするヒネス・デ・パサモンテのモデルになった人物じんぶつであり、セルバンテスとともにレパントの海戦かいせんたたかって捕虜ほりょになったアラゴンひとである。

メタフィクション[編集へんしゅう]

『ドン・キホーテ』にはおおくのメタフィクション導入どうにゅうされている。

司祭しさい床屋とこやがドン・キホーテの蔵書ぞうしょ批評ひひょうする場面ばめんではセルバンテス自身じしん作品さくひんである『ラ・ガラテーア』もげられている。

後編こうへんでは「前編ぜんぺん出版しゅっぱんされて出回でまわっている」という設定せっていとなっており、登場とうじょう人物じんぶつたちが前編ぜんぺん批評ひひょうおこない、矛盾むじゅんしている記述きじゅつ釈明しゃくめいおこなったりする。また、前編ぜんぺんでドン・キホーテをった人々ひとびとが、前編ぜんぺんでの記述きじゅつをもとにドン・キホーテ主従しゅうじゅう悪戯いたずらをしかける。

また、上述じょうじゅつ贋作がんさくについても度々たびたび言及げんきゅうされており、「ドン・キホーテをかた人物じんぶつ存在そんざいし、贋作がんさくはこの2人ふたり道中どうちゅうである」という設定せっていになっている。

おも登場とうじょう人物じんぶつ[編集へんしゅう]

ドン・キホーテとサンチョ(ギュスターヴ・ドレによる挿絵さしえ
ドン・キホーテのぞう(マドリッド、スペイン広場ひろばにて)
ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ
本編ほんぺん主人公しゅじんこう本名ほんみょうをアロンソ・キハーノというラ・マンチャのとあるむらむ50さいほどの郷士ごうしだが、騎士きしどう物語ものがたりぎで現実げんじつ物語ものがたり区別くべつがつかなくなってしまい、遍歴へんれき騎士きしって、やせロシナンテともなか不正ふせいただたびる。自分じぶんをとりまくすべてを騎士きしどう物語ものがたりてき設定せっていにおきかえて認識にんしき次々つぎつぎとトラブルをこすが、それ以外いがいてんではいたって理性りせいてき思慮しりょふか人物じんぶつさんたびのちやまいたおれるととも正気しょうきもどすが、もなく死亡しぼうする。
サンチョ・パンサ
「パンサ」は「太鼓腹たいこばら」の。ドン・キホーテの近所きんじょんでいる農夫のうふ。「はた来島らいとうれたあかつきには統治とうちまかせる」というドン・キホーテの約束やくそくかれ、かれしたがえとしてたび同行どうこうする。奇行きこうかえすドン・キホーテになん現実げんじつてき忠告ちゅうこくをするが、大抵たいていはききいれられず、主人しゅじんとともにひどい災難さいなん見舞みまわれる。無学むがくではあるが、様々さまざまことわざをひいたり機智きちんだいいまわしをする。移動いどうにはロバ使用しようしている。
ドゥルシネーア・デル・トボーソ (ドルシネア)
ちかくのむらのアルドンサ・ロレンソという百姓ひゃくしょうむすめもとにドン・キホーテがつくげた空想くうそうじょう貴婦人きふじん。ドゥルシネーアのうつくしさ・だてのよさ・その美点びてん世界中せかいじゅう人々ひとびとみとめさせるのがドン・キホーテの遍歴へんれき目的もくてきのひとつである。
ペロ・ペレス
ドン・キホーテとおなむら司祭しさい
ニコラス親方おやかた
ドン・キホーテとおなむら床屋とこや
ヒネス・デ・パサモンテ
泥棒どろぼうつみ囚人しゅうじんとなり、ガレーせんおくりにするため連行れんこうされていたところをドン・キホーテにたすけられるが、囚人しゅうじんとともにドン・キホーテを袋叩ふくろだたきにしてる。後編こうへんで、人形遣にんぎょうつかいの旅芸人たびげいにんペドロ親方おやかたとして正体しょうたいかくして登場とうじょうする。
公爵こうしゃく夫妻ふさい
後編こうへんより登場とうじょう本名ほんみょう不明ふめい。すでに出版しゅっぱんされていた『ドン・キホーテ』前編ぜんぺんのファンで、ドン・キホーテ主従しゅうじゅうあつ歓待かんたいしつつ、様々さまざま方法ほうほうかれらに悪戯いたずら仕掛しかける。
サンソン・カラスコ
後編こうへんより登場とうじょう。ドン・キホーテとおなむら住人じゅうにんで、サラマンカ大学だいがく科学かがく。ドン・キホーテにむら静養せいようする約束やくそくけるべく、みずから「かがみ騎士きし」なる遍歴へんれき武芸者ぶげいしゃふんして決闘けっとういどむも、あえなくかえちにう。その銀月ぎんげつ騎士きし」として再度さいどいどみ、今度こんど勝利しょうりをおさめたため、ドン・キホーテはむら帰還きかんすることになる。
シデ・ハメーテ・ベネンヘーリ
モーロじん(アラビアじん)の歴史れきしであり、『ドン・キホーテ』の原作げんさくしゃとされる。作中さくちゅう直接ちょくせつ登場とうじょうすることはない。『ドン・キホーテ』はシデ・ハメーテの記録きろくをセルバンテスが編纂へんさんしたものであると作中さくちゅうでは説明せつめいされているが、実際じっさいにはシデ・ハメーテは架空かくう人物じんぶつであり、『ドン・キホーテ』は完全かんぜんにセルバンテスの創作そうさくである。

あらすじ[編集へんしゅう]

前編ぜんぺん[編集へんしゅう]

風車かざぐるま突進とっしんするドン・キホーテ(ギュスターヴ・ドレによる挿絵さしえ

ラ・マンチャのとあるむらまずしいらしの郷士ごうしんでいた。この郷士ごうし騎士きしどう小説しょうせつ大好だいすきで、むら司祭しさい床屋とこや相手あいて騎士きしどう物語ものがたりはなしばかりしていた。やがてかれ騎士きしどうねつは、ほんうために田畑たはたはらうほどになり、昼夜ちゅうやわず騎士きしどう小説しょうせつばかりんだあげくに正気しょうきうしなってしまった。狂気きょうきにとらわれたかれは、みずからが遍歴へんれき騎士きしとなってなか不正ふせいただたびるべきだとかんがえ、そのための準備じゅんびはじめた。ふるよろいっぱりしてみがげ、所有しょゆうしていたせたろううまをロシナンテと名付なづけ、みずからもドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと名乗なのることにした。最後さいごかれは、騎士きしである以上いじょうおもひめ必要ひつようだとかんがえ、エル・トボーソにむアルドンサ・ロレンソという田舎いなかむすめ貴婦人きふじんドゥルシネーア・デル・トボーソとしておもしたうことにめた。

用意よういがととのうと、かれはひそかに出発しゅっぱつした。冒険ぼうけん期待きたいするかれおもいと裏腹うらはらに、そのなにこることなく宿屋やどや到着とうちゃくした。宿屋やどやしろおもいこみ、亭主ていしゅ城主じょうしゅだとおもいこんでしまっていたドン・キホーテは、亭主ていしゅにみずからを正式せいしき騎士きしとして叙任じょにんしてほしいとねがる。亭主ていしゅはドン・キホーテがいささかれたおとこであることを見抜みぬき、叙任じょにんしきしてかれをからかうが、事情じじょうらない馬方うまかたにんかれやりはたきのめされてしまい、あわててにせ叙任じょにんしきませた。

翌日よくじつドン・キホーテは、遍歴へんれきたびにも路銀ろぎんしたがえ必要ひつようだという宿屋やどや亭主ていしゅ忠告ちゅうこくしたがい、みずからのむらかえすことにした。だが途中とちゅう出会であったトレド商人しょうにんたちに、ドゥルシネーアのうつくしさをみとめないという理由りゆうおそいかかり、ぎゃくはたきのめされてしまう。そこをむら近所きんじょんでいた百姓ひゃくしょう発見はっけんされ、ドン・キホーテはたおれたままむらかえることになった。

ちのめされたドン・キホーテの様子ようすかれ家政かせいめいは、この事態じたい原因げんいんとなった書物しょもつのこさず処分しょぶんするべきだと主張しゅちょうし、司祭しさい床屋とこや詮議せんぎうえでいくつかのこされたものの、ほとんどの書物しょもつ焼却しょうきゃくされ、書斎しょさいかべりこめられることになった。やがてドン・キホーテが回復かいふくすると、書斎しょさい魔法使まほうつかいによってられたとげられ、ドン・キホーテもそれに納得なっとくした。遍歴へんれきたびをあきらめないドン・キホーテは近所きんじょむ、教養きょうよう農夫のうふサンチョ・パンサを、手柄てがらててしまにいれ、その領主りょうしゅにしてやるという約束やくそくのもと、したがえとしてれていくことにした。ドン・キホーテは路銀ろぎんをそろえ、甲冑かっちゅう手直てなおしをして度目どめたびた。

やがてドン・キホーテとサンチョは3〜40風車かざぐるまくわした。ドン・キホーテはそれを巨人きょじんだとおもいこみ、全速力ぜんそくりょく突撃とつげきし、衝突しょうとつ衝撃しょうげきがえされて野原のはらころがった。サンチョの現実げんじつてき指摘してきたいし、ドン・キホーテは自分じぶんねた魔法使まほうつかいが、巨人きょじん退治たいじ手柄てがらうばうため巨人きょじん風車かざぐるまえてしまったのだといいはり、なおもたびつづけるのだった…

後編こうへん[編集へんしゅう]

遍歴へんれきたびからもどったドン・キホーテはしばらくラ・マンチャで静養せいようしていた。そのあいだ目立めだった奇行きこうられなかったのだが、いちがつほどのち司祭しさい床屋とこやおとずれると、やはり狂気きょうき治癒ちゆしていないことが判明はんめいした。そんななか、ドン・キホーテのいえにサンソン・カラスコという学士がくしおとずれる。カラスコがうには、ドン・キホーテの伝記でんき出版しゅっぱんされ(すなわち『ドン・キホーテ 前編ぜんぺん』)、ひろなか出回でまわっているのだという。ドン・キホーテ主従しゅうじゅうとカラスコは、伝記でんきかれた冒険ぼうけんについて、また記述きじゅつ矛盾むじゅんについてひとしきりかたうのだった。

やがてドン・キホーテとサンチョはさん度目どめ旅立たびだちの用意よういをかため、出発しゅっぱつする。ドン・キホーテのめい家政かせいめようとするが、カラスコはむしろかれ出発しゅっぱつ祝福しゅくふくしておくした。

旅立たびだちをたした主従しゅうじゅう最初さいしょかったさきは、エル・トボーソのむらであった。ドン・キホーテがさん度目どめ出発しゅっぱつにドゥルシネーアの祝福しゅくふくけたいとかんがえたためであった。かれはサンチョに、ドゥルシネーアをんでくるようにたのむが、サンチョは困惑こんわくする。ドゥルシネーアは架空かくう人物じんぶつであるし、モデルとなったアルドンサ・ロレンソのこともよくはらなかったためである。

結局けっきょくサンチョは、エル・トボーソのまちからてきたさんにん田舎いなかおんなを、ドゥルシネーアと侍女じじょだといいはることにした。その結果けっか、ドン・キホーテは田舎いなかむすめをドゥルシネーアと間違まちがえることはなかったが、自分じぶんにく魔法使まほうつかいのによってドゥルシネーアを田舎いなかおんな姿すがたせる魔法まほうをかけられているものだとかんがえ、彼女かのじょらのまえにひざまずき、忠誠ちゅうせいちかったがまったく相手あいてにされなかった。ドン・キホーテは、しんささえであったドゥルシネーアにかくも残酷ざんこく魔法まほうがかけられたことをかえなげいた。

やがて主従しゅうじゅうは、「かがみ騎士きし」と名乗なのる、こいなや遍歴へんれき騎士きし出会であう。ドン・キホーテはかがみ騎士きし意気投合いきとうごうし、騎士きしどうについてさかんにかたうが、かがみ騎士きしが「かつてドン・キホーテをたおした」とかたったのをくと、みずからがドン・キホーテであると名乗なのり、かれ発言はつげん撤回てっかいさせるために決闘けっとういどむ。勝負しょうぶはドン・キホーテが勝利しょうりした。かがみ騎士きしっていたうま駄馬だうまであったためである。落馬らくばしたかがみ騎士きしかぶとってみると、正体しょうたい学士がくしのサンソン・カラスコであった。カラスコはドン・キホーテを決闘けっとうかすことによってむらまらせることを目論もくろんでいた。騎士きしらしい決闘けっとうによればドン・キホーテにうことをかせられるだろうとかんがえたからである。しかしドン・キホーテの勝利しょうりによりくわだては失敗しっぱいわった。とうのドン・キホーテはとうと、まえのカラスコは魔法使まほうつかいがけた偽者にせものということにしてかたづけてしまった。

やがて、ドン・キホーテいちぎょうのところに国王こくおうへの献上けんじょうひんのライオンをのせた馬車ばしゃとおりがかり、これを冒険ぼうけんとみたドン・キホーテは、ライオン使づかいにたいして、ライオンと決闘けっとうしたいとねがる。そのにいたものすべてがドン・キホーテをめようとするが、ドン・キホーテはみみたず、さかんにライオン使づかいをおどすので、やむなくライオン使づかいはおり鉄柵てっさくはなつ。なんもライオンを大声おおごえ挑発ちょうはつするドン・キホーテだが、ライオンはドン・キホーテを相手あいてにせずにころんだままだったので、ドン・キホーテは不戦勝ふせんしょうだとして納得なっとくし、これからふためいを「ライオンの騎士きし」とあらためることにした。

やがて主従しゅうじゅうは、ったさきでカマーチョという富豪ふごう結婚式けっこんしき居合いあわせる。カマーチョはかねにものをわせてキテリアという女性じょせい結婚けっこんしようとしていたが、結婚式けっこんしきにキテリアの恋人こいびとであるバシリオがあらわれ、狂言きょうげん自殺じさつをしてキテリアとカマーチョの婚姻こんいん破棄はきさせる。そのにいた大勢おおぜいきゃくがもめて大騒おおさわぎになろうとしたところを、ドン・キホーテが仲裁ちゅうさいはいり、ことなきをた。バシリオとキテリアはドン・キホーテに感謝かんしゃし、かれまいにまねいた。かれはそこにさんにち滞在たいざいしたが、そのあいだにん思慮しりょふかさん助言じょげんのこした。

なおもたびつづけた二人ふたりは、鷹狩たかがりの一団いちだんなかにいた公爵こうしゃく夫人ふじん出会であう。彼女かのじょはドン・キホーテとサンチョをるやいなや、すぐに自分じぶんしろ招待しょうたいした。というのも、公爵こうしゃく夫人ふじんも『ドン・キホーテ』前編ぜんぺんをすでにんでおり、ひとつこの滑稽こっけい主従しゅうじゅうをからかってやろうとおもったからである。そんなたくらみにはまったづかないドン・キホーテは、公爵こうしゃく夫妻ふさいしろ遍歴へんれき騎士きしにふさわしい壮大そうだい歓待かんたい感動かんどうするが…。

評価ひょうか[編集へんしゅう]

『ドン・キホーテ』が出版しゅっぱんされた当初とうしょ滑稽本こっけいぼんとしてたか評価ひょうかけており、ドン・キホーテのキャラクターも道化どうけとしてのイメージでけとられた。17世紀せいき初頭しょとうにははやくも、スペイン本国ほんごく南米なんべいおこなわれたいくつかのまつりで、ドン・キホーテにふんした人物じんぶつ人々ひとびとわらいをとったという記録きろくのこっている。

セルバンテスの伝記でんき研究けんきゅうとも実証じっしょうてき作品さくひん研究けんきゅうはじまったのは、18世紀せいきのイギリスからである。1738ねんにセルバンテスの伝記でんきはじめて出版しゅっぱんされたのを研究けんきゅう気運きうんたかまり、それに呼応こおうするかたちでスペイン本国ほんごくでの実証じっしょう研究けんきゅうはじまった。この時代じだい解釈かいしゃく特徴とくちょうは、『ドン・キホーテ』から、騎士きしどう代表だいひょうされるふる悪習あくしゅう諷刺ふうしし、やがて打倒だとうにつながったという道徳どうとくかんや、批判ひはん精神せいしんっていることである。だが19世紀せいきはいると、これともまったことなるかた登場とうじょうする。

19世紀せいき解釈かいしゃくロマン主義しゅぎによるもので、ドストエフスキー解釈かいしゃく典型てんけいてきである。かれは『作家さっか日記にっき』のなかで『ドン・キホーテ』を「人間にんげんたましいもっとふかい、もっと不思議ふしぎいちめんが、ひとしん洞察どうさつしゃである偉大いだい詩人しじんによって、ここに見事みごとにえぐりされている」、「人類じんるい天才てんさいによってつくられたあらゆる書物しょもつなかで、もっと偉大いだいもっともものがなしいこの書物しょもつ」(ちくま学芸がくげい文庫ぶんこはん小沼おぬま文彦ふみひこわけより引用いんよう)とひょうした。19世紀せいきはこのような、ドン・キホーテの感情かんじょう尊重そんちょうした悲劇ひげきてき解釈かいしゃく主流しゅりゅうになったが、現在げんざいではこの見方みかたP・E・ラッセルなどによって批判ひはんされている。

20世紀せいき文芸ぶんげい評論ひょうろんミハイル・バフチンは、ドン・キホーテをカーニバル文学ぶんがくだい傑作けっさくであるとして評価ひょうかしている。そしてこの文学ぶんがく系譜けいふ忠実ちゅうじついだのが、19世紀せいきのドストエフスキーだとべた。

2002ねん5がつ8にちにノーベル研究所けんきゅうじょ愛書あいしょ団体だんたい発表はっぴょうした、世界せかい54かこく著名ちょめい文学ぶんがくしゃ100にん投票とうひょうによる「史上しじょう最高さいこう文学ぶんがくひゃくせん」で1獲得かくとくした。

メディアへの展開てんかい[編集へんしゅう]

音楽おんがく[編集へんしゅう]

リヒャルト・シュトラウスがこの小説しょうせつ題材だいざい作曲さっきょくした交響こうきょうもっと有名ゆうめいである。ドン・キホーテ (交響こうきょう)参照さんしょう

そのにはつぎ作曲さっきょくげている。

NHKみんなのうた」で、この小説しょうせつ題材だいざいにした「ドン・キホーテ」(はつ放送ほうそう:1981ねん2がつ作詞さくしなかくら重郎しげお作曲さっきょく吉岡よしおかしげうた佐々木ささきいさお)という楽曲がっきょく存在そんざいする。

映画えいが演劇えんげき[編集へんしゅう]

映画えいが作品さくひんとしてはゲオルク・ヴィルヘルム・パプスト監督かんとくの『ドン・キホーテフランス語ふらんすごばん』(Don Quichotte 1933ねん フランス)が有名ゆうめい主演しゅえんはロシア出身しゅっしんバス歌手かしゅフョードル・シャリアピンジャック・イベールげき中歌なかうたふく音楽おんがく作曲さっきょくしている。

演劇えんげき作品さくひんとしては、アメリカ作家さっかデイル・ワッサーマン脚色きゃくしょくした1965ねん初演しょえんのミュージカル、『ラ・マンチャのおとこ』が有名ゆうめいである。この作品さくひんは、『ドン・キホーテ』をストレートにドラマするのではなく、作者さくしゃのセルバンテスが教会きょうかい侮辱ぶじょくつみらえられたのち牢獄ろうごく舞台ぶたいとなっている。この牢獄ろうごくで、牢名主ろうなぬしに『ドン・キホーテ』の原稿げんこうげられそうになったことから、セルバンテス自身じしんがドン・キホーテをえんじて理解りかいもとめる、という重層じゅうそうてき構造こうぞうとされている。1972ねんにはピーター・オトゥール主演しゅえん映画えいがされた。

日本にっぽんでも1969ねんよりミュージカルの舞台ぶたいとして上演じょうえんされ、ろく代目だいめ市川いちかわ染五郎そめごろうたりやく[6]として評価ひょうかたかい。

オーソン・ウェルズ映画えいがこころみたが、完成かんせいしなかった。ドン・キホーテ (完成かんせい映画えいが)参照さんしょう

テリー・ギリアムが『ドンキホーテをころしたおとこ』(The Man Who Killed Don Quixote)とだいして、独自どくじ脚色きゃくしょくくわえた映画えいがこころみたが、撮影さつえい6にちにして中止ちゅうし余儀よぎなくされた。この経緯けいいは『ロスト・イン・ラ・マンチャ』とだいしたドキュメンタリー映画えいがとして公開こうかいされた。そのもギリアムは幾度いくどにもわたってこの企画きかく挑戦ちょうせんし、2019ねんについに完成かんせいした作品さくひん日本にっぽんでは2020ねんに『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』のだい公開こうかいされている。

マヌエル・グティエレス・アラゴン監督かんとくカミロ・ホセ・セラ脚色きゃくしょくフェルナンド・レイ主演しゅえんで、本国ほんごくスペインにてテレビドラマされた。日本にっぽんでは『BS海外かいがい傑作けっさくドラマ特選とくせん ドン・キホーテ』として、1992ねん7がつ28にち、29にち、30にちさん連続れんぞくで、NHK-BS2放送ほうそうされた。こえ出演しゅつえん日下くさか武史たけし山谷やまたに初男はつお[7][8][9][10]

バレエ[編集へんしゅう]

バレエ『ドン・キホーテ』

振付ふりつけマリウス・プティパ音楽おんがくレオン・ミンクス。バレエの『ドン・キホーテ』はへんだい19しょうからだい22しょうにかけての婚礼こんれいはなしおも題材だいざいであり、物語ものがたり中心ちゅうしんわか男女だんじょこい物語ものがたりとなっている。ドン・キホーテ自身じしんはどちらかとえば狂言回きょうげんまわ役回やくまわりであり、おど場面ばめんもないが、だい2まくにはかれ風車かざぐるま突撃とつげきするまえへんだい8しょう有名ゆうめいなエピソードもまれている。

アニメ[編集へんしゅう]

ほん作品さくひんをコミカルに強調きょうちょうしてアレンジした作品さくひん

漫画まんが[編集へんしゅう]

  • 騎士きしよ…』
和田わだ慎二しんじさくはなとゆめコミックス『スケバン刑事けいじ』3かんおよび『ふたりの明日香あすか』に収録しゅうろくほん作品さくひん下敷したじきにしたSFコメディ。自身じしん騎士きしドン・キホーテ、主人公しゅじんこうミック・ラル・ホワイトをひめだとおもんだ月面げつめんそう司令しれいかんは、平和へいわみだあくりゅうなぞ結晶けっしょうたい)を退治たいじするため、かれ敬愛けいあいする遠藤えんどうしたがえてはん陽子ようしばくだんかかえた宇宙船うちゅうせん特攻とっこうする。
  • 『スターウォーズ・ドン・キホーテ』
みなもと太郎たろうさく。1988ねん潮出版社うしおしゅっぱんしゃコミックトム』で連載れんさい。『みなもと太郎たろう世界せかい名作めいさく劇場げきじょう ハムレット』(マガジン・ファイブ、2006ねん)に収録しゅうろく[11]ほん作品さくひん下敷したじきにしたSFコメディで、西暦せいれき2036ねん自家用じかようシャトルを購入こうにゅうしたSFアニメオタクの老人ろうじん・呑木は、操縦そうじゅうけん下男げなんとしてやとった青年せいねんまいりいのしし范をれて念願ねんがん宇宙うちゅうたび[12]

イメージキャラクター[編集へんしゅう]

1994ねん三重みえけん志摩しまにオープンした、スペインをテーマとしたテーマパーク。『ドン・キホーテ』の登場とうじょう人物じんぶつをアニメ調ちょう擬人ぎじん動物どうぶつえたものをイメージキャラクターとしてもちいている。園内えんない施設しせつ「カンブロン劇場げきじょう」では、これをもちいたオリジナルのアニメーション作品さくひん上映じょうえいしている。

日本語にほんごやく[編集へんしゅう]

ギュスターヴ・ドレの挿絵さしえ主体しゅたいとしたもの[編集へんしゅう]

贋作がんさくドン・キホーテ
  • アベリャネーダ『贋作がんさくドン・キホーテ』 岩根いわね圀和やく[17]、ちくま文庫ぶんこうえした)、1999ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Don Quijote現代げんだいスペインつづり、Don Quixote刊行かんこう当時とうじのつづりで、19世紀せいき初頭しょとう正書法せいしょほう改革かいかくによって/x/をあらわす文字もじはそれまでの<x>から<j>にえられた。
  2. ^ 「ドン」は郷士ごうしより上位じょうい貴族きぞくく。「デ・ラ・マンチャ」は「ラ・マンチャ地方ちほうの」ので、出身しゅっしんあらわす。つまり「ラ・マンチャの騎士きし・キホーテきょう」とった意味合いみあい。
  3. ^ 永田ながたやくでは『奇想きそうおどろくべき郷士ごうしドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ正編せいへん』、会田あいだやくでは『才智さいちあふるる郷士ごうしドン・キホーテ・デ・ラマンチャまえへん』、牛島うしじまやくでは『機知きちんだ郷士ごうしドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』、おぎ内訳うちわけでは『奇想天外きそうてんがい郷士ごうしドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』、岩根いわねやくでは『才智さいちあふれる郷士ごうしドン・キホーテ・デ・ラマンチャまえへん』のわけがあてられている。
  4. ^ 永田ながた高橋たかはしやくでは『奇想きそうおどろくべき騎士きしドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ続編ぞくへん』、会田あいだやくでは『才智さいちあふるる郷士ごうしドン・キホーテ・デ・ラマンチャへん』、牛島うしじまやくでは、『機知きちんだ騎士きしドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャへん』、おぎ内訳うちわけでは『奇想天外きそうてんがい騎士きしドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャだい』、岩根いわねやくでは『才智さいちあふれる騎士きしドン・キホーテ・デ・ラマンチャへん』。
  5. ^ 太字ふとじはセルバンテスによる後編こうへんとの題名だいめいちがい。贋作がんさくでは前編ぜんぺんおなじく郷士ごうし(hidalgo)であるが、セルバンテスによる後編こうへんでは騎士きし(caballero)となっている。これは前編ぜんぺん作中さくちゅうでドン・キホーテが騎士きし叙任じょにんされているためだが、セルバンテスが後編こうへん執筆しっぴつちゅうに『贋作がんさくドン・キホーテ』が出版しゅっぱんされたことも関係かんけいしている可能かのうせいがある。続編ぞくへんあらわかたり(Segunda parte と Segundo tomo)もことなる。
  6. ^ 日本にっぽんでの1969ねん初演しょえん歌舞伎かぶき役者やくしゃとしての名跡みょうせき。のちきゅう代目だいめ松本まつもと幸四郎こうしろう代目だいめ松本まつもと白鸚はくおう改名かいめい
  7. ^ [1]
  8. ^ ドン・キホーテ(1)<3かいシリーズ> | NHKクロニクル | NHKアーカイブス
  9. ^ ドン・キホーテ(2) | NHKクロニクル | NHKアーカイブス
  10. ^ ドン・キホーテ(3)<おわり> | NHKクロニクル | NHKアーカイブス
  11. ^ “【マンガ探偵たんていきょくがゆく】パロディの巨匠きょしょう名作めいさくをギャグ 「みなもと太郎たろう世界せかい名作めいさく劇場げきじょう ハムレット」”. ZAKZAK (夕刊ゆうかんフジ). (2018ねん2がつ25にち). https://www.zakzak.co.jp/article/20180525-RNFIDJKJEROJXDESNEFHCPMN5I/ 2022ねん8がつ26にち閲覧えつらん 
  12. ^ みなもと太郎たろう世界せかい名作めいさく劇場げきじょう ハムレット(漫画まんが”. マンガペディア. 2022ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  13. ^ 再編さいへん抄訳しょうやくばん『ドン・キホーテ』(セルバンテス、会田あいだゆかり大林おおばやし文彦ふみひこ共編きょうへんやく白水しろみずしゃ、1967ねん新版しんぱん 1998ねん)がある。
  14. ^ 訳者やくしゃによる『ドン・キホーテのたび かみあらが遍歴へんれき騎士きし』(中公新書ちゅうこうしんしょ、2002ねん)がある。
  15. ^ 訳者やくしゃによる『ドン・キホーテの食卓しょくたく』(新潮しんちょう選書せんしょ、1987ねん)がある。
  16. ^ 訳者やくしゃによる『ドン・キホーテのスペイン社会しゃかい』(いろどりりゅうしゃ、2020ねん)がある。
  17. ^ 訳者やくしゃによる『贋作がんさくドン・キホーテ ラ・マンチャのおとこ偽者にせもの騒動そうどう』(中公新書ちゅうこうしんしょ、1997ねん)がある。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]