(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ニュース映画 - Wikipedia コンテンツにスキップ

ニュース映画えいが

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ニュース映画えいが(ニュースえいが)は、時事じじ問題もんだいなどの情報じょうほう伝達でんたつおよ解説かいせつ内容ないようとする短編たんぺん映画えいが記録きろく映画えいが一種いっしゅ[1]。「ニューズ映画えいが」とにごって発音はつおんされることもある[1]。ニュース映画えいがには記録きろく映像えいぞうとしての価値かちをもつものもおお[2]

とくだいいち世界せかい大戦たいせん前後ぜんごからだい世界せかい大戦たいせんのち映画えいがかんでの上映じょうえい目的もくてきに、家庭かていにテレビが普及ふきゅうするころまで活発かっぱつ制作せいさくされ[2]おおくが長編ちょうへん映画えいがとともに併映へいえいされた[1]

欧米おうべいのニュース映画えいが

[編集へんしゅう]

歴史れきし

[編集へんしゅう]

ニュース映画えいが誕生たんじょう

[編集へんしゅう]

19世紀せいきまつにはフランスのリュミエール映画えいがしゃ撮影さつえい技師ぎし世界せかい各国かっこく派遣はけんしロシア皇帝こうてい戴冠たいかんしきなどをフィルムにおさめて映画えいがかん上映じょうえいした[1]。また、アメリカではバイオグラフしゃ社会しゃかい様々さまざま出来事できごと報道ほうどうフィルムにおさめて上映じょうえいした[1]。しかし、これらの作品さくひん定期ていきてき制作せいさくされたものではなく、実写じっしゃではない再現さいげん形式けいしきのものもおおかった[1]

定期ていき上映じょうえいされる形式けいしきのニュース映画えいが登場とうじょうするのは20世紀せいきはいってからである[1]1908ねんフランス週刊しゅうかんのニュース映画えいが『パテ=シュナル』が上映じょうえいされるようになった[3]パテ兄弟きょうだいしゃ参照さんしょう)。これがニュース映画えいがはじまりとされている。

だいいち世界せかい大戦たいせん戦後せんご

[編集へんしゅう]

『パテ=シュナル』の登場とうじょう、ニュース映画えいが一気いっき本格ほんかくした[2]だいいち世界せかい大戦たいせんでは従軍じゅうぐんカメラマンが現場げんば撮影さつえいした戦況せんきょう報告ほうこくフィルムがニュース映画えいがとして上映じょうえいされるようになりおおきな反響はんきょう[2]

だいいち世界せかい大戦たいせんわるとせんもん上映じょうえいかん登場とうじょうするとともにニュース映画えいが製作せいさく一段いちだん活発かっぱつした[2]。また、一般いっぱん劇映画げきえいが本編ほんぺん)の前座ぜんざとして短編たんぺんアニメ映画えいがとも上映じょうえいされた。

アメリカにおいては、複数ふくすうのニュース映画えいが上映じょうえいするさいのフィルム交換こうかん時間じかん穴埋あなうめとして、短編たんぺんのアニメ映画えいが上映じょうえいされた。日本にっぽんでも有名ゆうめいな『トムとジェリー』は、その目的もくてき製作せいさくされたアニメ映画えいがである。

さらにトーキー発声はっせい映画えいが)の時代じだい到来とうらいするとニュース映画えいがにも同時どうじ録音ろくおん方式ほうしき採用さいようされ臨場りんじょうかんたかめられた[2]

1935ねんにスタートした『マーチオブタイム』は従来じゅうらいのニュース映画えいがとはことなり、ひとつの主題しゅだいおおくの時間じかん手法しゅほうがとられ、このころからニュース映画えいが分野ぶんやは「スクリーン・ジャーナリズム」とばれるようになった[2]

だい世界せかい大戦たいせん戦後せんご

[編集へんしゅう]

だいいち世界せかい大戦たいせんにおけるニュース映画えいが反響はんきょうけて、だい世界せかい大戦たいせんでもニュース映画えいが宣伝せんでんせんのほか国威こくい発揚はつよう戦意せんい高揚こうようのためのプロパガンダ映画えいがとして活用かつようされた[2]。ドイツで製作せいさくされた『ドイツ週間しゅうかんニュース』のように映画えいがかんでの上映じょうえい義務ぎむづけられたれいもある[2]

だい世界せかい大戦たいせん、ニュース映画えいがはテレビの普及ふきゅうとともに衰退すいたいしたが、1960年代ねんだいまつの「ニューズリール運動うんどう」などに影響えいきょうあたえた[2]

なお、ニュース映画えいが製作せいさくはアメリカやドイツなど欧米おうべいでは映画えいが会社かいしゃ主流しゅりゅうであり、新聞しんぶんしゃ通信つうしんしゃ主流しゅりゅうだった日本にっぽんとはことなる[2]

欧米おうべい代表だいひょうてきなニュース映画えいが

[編集へんしゅう]
  • 『パテ=シュナル』(1908ねん-1926ねん、フランス)[2]
  • 『パテニュース』(1910ねん-1970ねん、イギリス)
  • 『ハースト・メトロトーンニュース(ニュース・オブ・ザ・デイ)』(1914ねん-1967ねん、アメリカ)
  • 『パラマウントニュース』(1927ねん-1957ねん、アメリカ)
  • 『フォックス・ムービートーンニュース』(1928ねん-1963ねん、アメリカ)
  • 『ユニヴァーサルニュース』(1929ねん-1967ねん、アメリカ)[2]
  • 『ウーファ発声はっせい週報しゅうほう』(1930ねん-1940ねん、ドイツ)[2]
  • 『マーチオブタイム』(1935ねん-1951ねん、アメリカ)[2]
  • 『ドイツ週間しゅうかんニュース』(1940ねん-1945ねん、ドイツ)

日本にっぽんのニュース映画えいが

[編集へんしゅう]

歴史れきし

[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおいては、1930ねん松竹しょうちくによる『松竹しょうちくニュース』が定期ていきてき製作せいさくされたニュース映画えいがはじまりとされている。しかし、1914ねん東京とうきょうキネマ協会きょうかい開始かいしした『東京とうきょうシネマほう』が、定期ていきてき製作せいさくされたニュース映画えいがはじまりであるとするせつもある[2]

1934ねんころから、トーキーの発達はったつともな新聞しんぶんしゃ主体しゅたい製作せいさく活動かつどう活発かっぱつとなった。また、皇室こうしつならびに大日本帝国だいにっぽんていこく国軍こくぐん関連かんれんのニュースについては、かなら冒頭ぼうとうげており、『日本にっぽんニュース』だい1ごう1940ねん6がつ封切ふうきり)の記念きねんすべきトップニュースが「昭和しょうわ天皇てんのう関西かんさい巡幸じゅんこう」であった。とく皇室こうしつ関係かんけいのニュースには、かなら画面がめんみぎはしたてきの場合ばあい作品さくひん内容ないようにより項目こうもくめいまえ大書たいしょする場合ばあいもある)に「脱帽だつぼう」の文字もじれてあった。

1941ねん以降いこう1945ねん終戦しゅうせんまでは、国策こくさく宣伝せんでんのために情報じょうほう統制とうせいがかけられ、自由じゆう製作せいさくはできなくなり、また、全国ぜんこく映画えいがかん上映じょうえい義務付ぎむづけられていた。また皇室こうしつ戦争せんそう皇軍こうぐん関連かんれんしたもの、国外こくがいニュースの一部いちぶについては当時とうじ陸軍りくぐんしょう海軍かいぐんしょう厳格げんかく審査しんさ検閲けんえつ必要ひつようであったため、それをクリアした項目こうもくについては「陸軍りくぐんしょう海軍かいぐんしょう検閲けんえつずみ」という字幕じまく表示ひょうじされた。

戦後せんご最初さいしょのニュース映画えいがは9月6にち公開こうかいされた『聖断せいだんはいす』『ひがし久邇くに宮内くないかく成立せいりつ』の2ほん[4]。そのは、ふたた新聞しんぶんしゃ主体しゅたいとしたニュース映画えいが製作せいさく復活ふっかつし、1953ねんNHK民放みんぽうがTV放送ほうそうはじまると、新聞しんぶんしゃテレビ局てれびきょくけにもニュース映画えいが製作せいさくするようになった。しかし、1960年代ねんだいになると、テレビ普及ふきゅうニュースネットワークによるどうほうがたニュース発達はったつともなって衰退すいたいし、1960年代ねんだい後半こうはんにかけ、新聞しんぶんしゃはニュースネットワークと連携れんけいしたニュース制作せいさくにシフトしだした。くわえて、大手おおてニュース映画えいが作品さくひんすべ製作せいさく終了しゅうりょうしており、現在げんざいニュース映画えいが上映じょうえいする映画えいがかんはほとんどなくなった。

代表だいひょうてきなニュース映画えいが

[編集へんしゅう]

日本にっぽんニュース

[編集へんしゅう]

1955ねんまでの作品さくひんは『朝日あさひニュース』もふくめ、1978ねん1がつNHK権利けんり一切いっさい戦前せんぜんへん264かん戦後せんごへん312かんのフィルムを購入こうにゅうした[5]。また、1955ねん以降いこう作品さくひんは『朝日あさひニュース』もふく日本にっぽん映画えいがしんしゃ保有ほゆうつづけていたが、2008ねんおな東宝とうほうグループ会社かいしゃ東宝とうほうステラに移管いかんされ、日本にっぽん映画えいがしんしゃよく2009ねん解散かいさんした。なお、1946ねんまでの作品さくひん川崎かわさき市民しみんミュージアム視聴しちょう可能かのうである。また、1945ねんまでの一部いちぶ作品さくひんは、2009ねん8がつ13にちから10がつ12にちまでの期間きかん限定げんていながら無料むりょうで「NHK 戦争せんそう証言しょうげんアーカイブス トライアルサイト[6]」にて公開こうかいされた。なお2010ねん8がつよりオープンした正式せいしきサイトでは、1940ねん - 1945ねんまでに公開こうかいされた264ほんのうち254ほん(2016ねん7がつ8にち現在げんざい、260ほん)が視聴しちょうでき、2011ねん5がつ18にちから戦後せんごへん(2012ねん4がつ28にち現在げんざい、1948ねん12がつぶんまで、1-155ごう視聴しちょう可能かのう)も公開こうかいされた[7]

1940ねんだい1ごうから敗戦はいせんの51ねんまでのうつ作品さくひんのうち、解説かいせつりのダイジェストばんが1979ねん5がつ-80ねん3がつ、NHK総合そうごうテレビ『NHK特集とくしゅう 激動げきどう記録きろく』(ぜん5かい)として放映ほうえいされ、2008ねんにはNHKエンタープライズがDVDとして商品しょうひん。1946ねん-1951ねん作品さくひんについては、1990年代ねんだいにNHK衛星えいせい放送ほうそうで『ニュースでむかし日本にっぽん』にて5分間ふんかん編集へんしゅうしたものを放送ほうそうしていたこともある。

戦争せんそう期間きかんちゅう冒頭ぼうとう映像えいぞう

だい世界せかい大戦たいせんおこなわれた最初さいしょの2年間ねんかんには国民こくみん一致いっち団結だんけつして戦争せんそう勝利しょうりしようというねがいをこめた映像えいぞう字幕じまく上映じょうえいされたことがあった。また最後さいごには戦時せんじ国債こくさいなどをPRする字幕じまく表示ひょうじするかい不定期ふていきもうけられている。

  • だい80ごう - だい129ごう まず冒頭ぼうとう戦闘せんとう双発そうはつ)が上空じょうくう飛行ひこうする画像がぞう(それをバックに発行はっこうごうすう)→海軍かいぐん戦艦せんかん砲身ほうしんうつしながら「だい東亜とうあ戦争せんそう完遂かんすいへ!」という字幕じまくたてき)
  • だい130ごう - だい159ごう 日本にっぽん極東きょくとう東南とうなんアジア地域ちいき地図ちずをバックに「たたかけ!だい東亜とうあ戦争せんそう」→のちに「ちてしまむ」(たてき)→つづ発行はっこうごうすう当初とうしょ地図ちずをバック。そのブラックバック)

読売新聞社よみうりしんぶんしゃ関係かんけいのニュース映画えいが

[編集へんしゅう]

2014ねん以降いこう読売新聞よみうりしんぶんけいのニュース映画えいが権利けんりはすべて読売新聞社よみうりしんぶんしゃ読売新聞よみうりしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ)が所有しょゆうしている。

讀賣よみうりニュース(讀賣新聞よみうりしんぶん発声はっせいニュース)
[編集へんしゅう]
  • 1937ねん4がつ - 読売新聞社よみうりしんぶんしゃが『讀賣新聞よみうりしんぶん発声はっせいニュース』を制作せいさく全国ぜんこく映画えいがかん上映じょうえいされる。
  • 1937ねん9がつ - 『讀賣よみうりニュース』に改題かいだい
  • 1940ねん5がつ9にち - ニュース映画えいが統制とうせいのため製作せいさくられることになり、おわりかん
讀賣よみうり国際こくさいニュース
[編集へんしゅう]
  • 1949ねん3月30にち - 国際こくさい映画えいがしゃが『国際こくさいニュース』の製作せいさく開始かいし配給はいきゅう松竹しょうちく
  • 1950ねん7がつ16にち - 国際こくさい映画えいがしゃ読売新聞社よみうりしんぶんしゃ買収ばいしゅうされ、読売よみうり映画えいがしゃ改称かいしょうげんイカロス)。『国際こくさいニュース』も『讀賣よみうり国際こくさいニュース』と改題かいだいし、つづ松竹しょうちく配給はいきゅう
  • 1960ねん7がつ6にち - シネスコ
  • 1980ねん1がつ10日とおか - 週刊しゅうかん上映じょうえいりやめ、以降いこう隔週かくしゅう上映じょうえいとなる。
  • 1983ねん4がつ2にち - カラー(サイズはスタンダードサイズにもどる)。
  • 1997ねん8がつ16にち - おわりかん大手おおてのニュース映画えいがは、これですべおわりかんとなる)。

朝日新聞社あさひしんぶんしゃ関係かんけいのニュース映画えいが

[編集へんしゅう]

朝日新聞社あさひしんぶんしゃ大阪おおさか毎日新聞社まいにちしんぶんしゃどう時期じき制作せいさく開始かいし写真しゃしん化学かがく研究所けんきゅうじょ東宝とうほう映画えいが部門ぶもん前身ぜんしん)が制作せいさく手掛てがけていた。戦中せんちゅう中断ちゅうだんはさみ、東宝とうほうけいとなった『日本にっぽんニュース』に制作せいさく協力きょうりょくするかたち制作せいさく再開さいかいされるが、これよりすこまえ戦前せんぜんの『朝日あさひ世界せかいニュース』の制作せいさくじん松竹しょうちくけいで『しん世界せかいニュース』を制作せいさくしていた。なお、朝日新聞社あさひしんぶんしゃ東映とうえい合弁ごうべんした朝日あさひテレビニュースしゃ(のちNET朝日あさひ映像えいぞうからテレビ朝日てれびあさひ映像えいぞう改称かいしょうにより『東映とうえいニュース』が制作せいさくされるが、「朝日あさひ」をかんする作品さくひん外部がいぶ委託いたくであり、「朝日あさひ」をかんしない『東映とうえいニュース』が直系ちょっけいちか状態じょうたいとなった(ただし『東映とうえいニュース』に朝日新聞社あさひしんぶんしゃのクレジットは一切いっさいし)。このことは現在げんざい朝日あさひけいしょ作品さくひん権利けんり保有ほゆうしゃにもあらわれており、戦前せんぜんの『朝日あさひ世界せかいニュース』までの作品さくひんと『東映とうえいニュース』は朝日あさひけいテレビ朝日てれびあさひ映像えいぞう権利けんり保有ほゆうし、『朝日あさひニュース』は上述じょうじゅつとおり1955ねんまでの作品さくひんはNHK、1956ねんから1976ねんまでの作品さくひん東宝とうほうステラと外部がいぶもの権利けんり保有ほゆうしている。

朝日あさひ映画えいが週報しゅうほう
[編集へんしゅう]
  • 1924ねん4がつ - 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ制作せいさく全国ぜんこく映画えいがかん上映じょうえいされる(『アサヒキネマニュース』に改題かいだい)。

朝日あさひ世界せかいニュース

[編集へんしゅう]
  • 1934ねん7がつ - 当初とうしょ同年どうねん2がつアメリカ・ユニバーサル映画えいが提携ていけいして開始かいしした『朝日あさひユニバーサルニュース』と5がつドイツ・ウーファしゃ提携ていけいした『朝日あさひウーファニュース』の隔週かくしゅう上映じょうえいだったものを、『朝日あさひ世界せかいニュース』として一本いっぽん同時どうじ毎週まいしゅう公開こうかい変更へんこう。なお、製作せいさく朝日新聞社あさひしんぶんしゃとなっていたが、実際じっさい写真しゃしん化学かがく研究所けんきゅうじょのニュース担当たんとうした。
  • 1937ねん12月 - 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ写真しゃしん化学かがく研究所けんきゅうじょ後身こうしんである東宝とうほう映画えいが共同きょうどう朝日あさひ映画えいが製作せいさく株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつし、同社どうしゃに『朝日あさひ世界せかいニュース』の製作せいさく移管いかん
  • 1940ねん4がつ - ニュース映画えいが統制とうせいのため製作せいさくられることになり、おわりかん
朝日あさひニュース
[編集へんしゅう]
  • 1952ねん1がつ - 日本にっぽん映画えいがしんしゃとの提携ていけいり、同社どうしゃ製作せいさくの『日本にっぽんニュース』を『朝日あさひニュース』に改題かいだいごうすうは『朝日あさひ世界せかいニュース』の最終さいしゅうごう・330ごうから継承けいしょうした331ごうから開始かいしした)。
  • 1959ねん4がつ - シネスコ
  • 1975ねん4がつ - カラーされ、スタンダードサイズにもどる。週刊しゅうかんから隔週かくしゅうかん公開こうかい時期じき変更へんこう
  • 1976ねん4がつ - 日本にっぽん映画えいがしんしゃとの提携ていけい解消かいしょう(『日本にっぽんニュース』参照さんしょう)。

以下いか作品さくひんは、朝日新聞社あさひしんぶんしゃとの直接ちょくせつ関係かんけいはない。

しん世界せかいニュース
[編集へんしゅう]
  • 1946ねん3がつ - 朝日あさひ映画えいが製作せいさく後身こうしん朝日あさひ映画えいがしゃが『しん世界せかいニュース』を製作せいさく開始かいし配給はいきゅう松竹しょうちく
  • 1947ねん2がつ - 朝日あさひ映画えいがしゃしん世界せかい映画えいがしゃ改称かいしょう
  • 1949ねん2がつ - しん世界せかい映画えいがしゃ債務さいむ超過ちょうかのため業務ぎょうむ停止ていしとなり、おわりかん
東映とうえいニュース
[編集へんしゅう]
  • 1959ねん8がつ26にち - 朝日あさひテレビニュースしゃにより製作せいさく開始かいし全国ぜんこく東映とうえいけい公開こうかい(タイトルは本編ほんぺんオープニング同様どうよう荒磯あらいそなみ」。なお、だい1ごうよりシネスコ作品さくひんであった)。
  • 1978ねん8がつ31にち - ニュース映画えいが需要じゅようがなくなったことと、テレビ朝日てれびあさひ映像えいぞう報道ほうどう部門ぶもんテレビ朝日てれびあさひ移管いかんしたことにともない、994ごうをもっておわりかん

毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ関係かんけいのニュース映画えいが

[編集へんしゅう]

大阪おおさか毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ朝日新聞社あさひしんぶんしゃどう時期じき映画えいが制作せいさく開始かいし当時とうじ編集へんしゅう・ナレーション録音ろくおんなどを横浜よこはまシネマ商会しょうかい現在げんざいヨコシネ ディー アイ エー)に委託いたくしていた[8]

戦中せんちゅう中断ちゅうだんはさみ、外部がいぶ委託いたくかたち制作せいさく再開さいかい。のちにこれとはべつ毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ自体じたい直接ちょくせつ制作せいさくたずさわる作品さくひんまれ、両者りょうしゃ併存へいそん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ制作せいさくもの直系ちょっけい毎日まいにち映画えいがしゃ移管いかん)したが、両者りょうしゃ配給はいきゅう会社かいしゃ配給はいきゅうもう統合とうごうしたため毎日まいにち直系ちょっけい作品さくひんのこ結果けっかとなった。毎日まいにち直系ちょっけい作品さくひんは『日活にっかつ世界せかいニュース』をのぞ毎日まいにち映画えいがしゃ権利けんり保有ほゆうし、『日活にっかつ世界せかいニュース』は毎日放送まいにちほうそう(MBS)が権利けんり保有ほゆう。『毎日まいにち世界せかいニュース』『大毎だいまいニュース』はテレビ東京てれびとうきょう権利けんり保有ほゆうしていたが、放送ほうそう番組ばんぐみセンター譲渡ゆずりわたされている。

ひがし日大にちだいまい国際こくさいニュース
[編集へんしゅう]
  • 1924ねん - 大阪おおさか毎日新聞社まいにちしんぶんしゃが『大毎だいまいキネマニュース』を製作せいさく全国ぜんこく映画えいがかん上映じょうえいされる。
  • 1933ねん - 『大毎だいまいひがしキネマニュース』に改題かいだい。のち『大毎だいまいひがしトーキーニュース』に改題かいだい
  • 1935ねん7がつ - 外国がいこく通信つうしんしゃとの提携ていけいにより『ひがし日大にちだいまい国際こくさいニュース』に改題かいだい毎週まいしゅう公開こうかいとなる。
  • 1940ねん4がつ25にち - ニュース映画えいが統制とうせいのため製作せいさくられることになり、おわりかん
毎日まいにちNBCテレビニュース
[編集へんしゅう]
毎日まいにち世界せかいニュース
[編集へんしゅう]
  • 1947ねん2がつ - 理研りけん映画えいがしゃが『理研りけん文化ぶんかニュース』の製作せいさく開始かいし時事通信社じじつうしんしゃ提供ていきょうによる。配給はいきゅう大映だいえい
  • 1952ねん4がつ - 理研りけん映画えいがしゃ日米にちべい映画えいがしゃ合併がっぺいしてしん理研りけん映画えいがしゃ改称かいしょう
  • 1952ねん8がつ - ニュース映画えいが合併がっぺいすることとなり、『理研りけん文化ぶんかニュース』はおわりかんわりに毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ提供ていきょうの『毎日まいにち世界せかいニュース』の製作せいさく開始かいし配給はいきゅうつづ大映だいえい担当たんとう
  • 1960ねん7がつ - 『大毎だいまいニュース』に改題かいだい同時どうじにシネスコ
  • 1970ねん5月 - 配給はいきゅうもと大映だいえい日活にっかつ配給はいきゅうもう一元化いちげんかすることにともな製作せいさくられることになり、おわりかん

現在げんざい放送ほうそう番組ばんぐみセンターが保有ほゆう1956ねん以降いこう作品さくひん放送ほうそうライブラリーで視聴しちょう可能かのう。1952ねん - 1953ねん作品さくひんについては、1990年代ねんだいにNHK衛星えいせい放送ほうそうで『ニュースでむかし日本にっぽん』にて5分間ふんかん編集へんしゅうしたものを放送ほうそうしていたこともある。

毎日まいにちニュース
[編集へんしゅう]
  • 1954ねん12月 - 毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ戦後せんごふたた直接ちょくせつ製作せいさくたずさわるニュース映画えいがとして『日活にっかつ世界せかいニュース』の製作せいさく開始かいしおなじく映画えいが製作せいさく活動かつどう再開さいかいした日活にっかつ配給はいきゅう担当たんとう
  • 1955ねん1がつ1にち - 毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ毎日まいにち映画えいがしゃ設立せつりつし、『日活にっかつ世界せかいニュース』の製作せいさく移管いかん
  • 1960ねん9がつ28にち - 『毎日まいにちニュース』に改題かいだい。シネスコ
  • 1970ねん5がつ30にち - 配給はいきゅうもとダイニチうつはいになる(1971ねん10月16にち 大映だいえい配給はいきゅう変更へんこう1971ねん12月1にち日活にっかつ復帰ふっき)。
  • 1977ねん8がつ6にち - 週刊しゅうかん上映じょうえいりやめ、隔週かくしゅう上映じょうえいとなる。
  • 1981ねん10がつ - カラー。スタンダードサイズに変更へんこう(オープニングも、パレスサイドビルディング映像えいぞうをバックに「毎日まいにちニュース」のタイトルがズームアップするものに変更へんこう)。
  • 1992ねん4がつ - おわりかん

後年こうねんにっかつけい映画えいがかんでの上映じょうえいはほとんどなくなり、東京とうきょう地区ちくでは八重洲やえす観光かんこう文化ぶんかホールのみの上映じょうえいとなった。また、1991ねん4がつから12がつまでは『毎日まいにちニュースアングル』の題名だいめい制作せいさくされた。
※『日活にっかつ世界せかいニュース』は毎日放送まいにちほうそう権利けんり所有しょゆうしている[9]
※『毎日まいにちニュース』は毎日まいにち映画えいがしゃ権利けんり所有しょゆうしている。一時いちじYouTubeにて同社どうしゃ公式こうしきチャンネルとなる「なつかしの毎日まいにちニュース」においてアーカイブの配信はいしんおこなっていた時期じきがあるが、2024ねん現在げんざいおこなわれていない。

その

[編集へんしゅう]
中日ちゅうにちニュース
[編集へんしゅう]
  • 1954ねん1がつ - 中部ちゅうぶ日本にっぽん新聞しんぶんしゃげん中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ)が『中日ちゅうにちニュース』を制作せいさくし、新聞しんぶん販売はんばいエリア9県下けんか映画えいがかん自主じしゅ配給はいきゅうおこなう。
  • 1955ねん5がつ - 中部ちゅうぶ日本にっぽん新聞しんぶんしゃ中部ちゅうぶ日本にっぽんニュース映画えいがしゃげん中日ちゅうにち映画えいがしゃ)を設立せつりつし、『中日ちゅうにちニュース』の制作せいさく移管いかん
  • 1956ねん2がつ - 関東かんとう東北とうほく地区ちく配給はいきゅうもう拡大かくだい自主じしゅ配給はいきゅう)。大手おおて映画えいが会社かいしゃ唯一ゆいいつニュース映画えいが配給はいきゅうしなかったしん東宝とうほう系列けいれつ映画えいがかん中心ちゅうしん供給きょうきゅうされた。
  • 1959ねん4がつ - シネスコ
  • 1983ねん1がつ - カラー。ビスタサイズに変更へんこう
  • 1995ねん3がつ - 休刊きゅうかん以降いこう制作せいさくなし)。

それ以降いこうも、中日ちゅうにち映画えいがしゃ映像えいぞう保有ほゆうけん維持いじしており、YouTubeうえにおいても公式こうしきチャンネルでアーカイブ配信はいしんおこなわれている。

地方ちほうのニュース映画えいが
[編集へんしゅう]

中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ以外いがいではだい世界せかい大戦たいせん端緒たんしょとなった満州まんしゅう事変じへんにちちゅう戦争せんそう影響えいきょうけて、1936ねん地方紙ちほうしうつおと研究所けんきゅうじょ協力きょうりょくして「全日本ぜんにほん発声はっせいニュース新聞しんぶん連盟れんめい」を設立せつりつし、「〇〇新聞しんぶん發聲はっせい(はっせい)」という表題ひょうだい内外ないがい時事じじについて収録しゅうろくしたニュース映画えいがをそれぞれの都道府県とどうふけん映画えいがかん上映じょうえいした。このうち神戸新聞社こうべしんぶんしゃ提供ていきょうされた「神戸こうべ新聞しんぶん発聲はっせい」という兵庫ひょうごけん中心ちゅうしん上映じょうえいされたニュース映画えいがおさめた1937ねん上映じょうえいフィルム2かんが、2016ねん明石あかし時計とけいてん店主てんしゅによって保管ほかんしていたことがわかり、サンテレビジョンが、「東京とうきょうこうおん」への委託いたく[10]によってデジタルリマスターされたものが、YouTube公開こうかいされた[11]

テレビ局てれびきょくけに提供ていきょうされたニュース映画えいが
[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e f g 高村たかむらくら太郎たろう 監修かんしゅう世界せかい映画えいがだい事典じてん日本にっぽん図書としょセンター、2008ねん、638ぺーじ 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 高村たかむらくら太郎たろう 監修かんしゅう世界せかい映画えいがだい事典じてん日本にっぽん図書としょセンター、2008ねん、639ぺーじ 
  3. ^ 高村たかむらくら太郎たろう 監修かんしゅう世界せかい映画えいがだい事典じてん日本にっぽん図書としょセンター、2008ねん、638-639ぺーじ 
  4. ^ 世相せそう風俗ふうぞく観察かんさつかい増補ぞうほ新版しんぱん 現代げんだい世相せそう風俗ふうぞく年表ねんぴょう 昭和しょうわ20ねん(1945)-平成へいせい20ねん(2008)』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2003ねん11月7にち、10ぺーじISBN 9784309225043 
  5. ^ NHKアーカイブスカタログ―テレビ番組ばんぐみ放送ほうそう記録きろく番組ばんぐみ小史しょうし 1953~2008”. web.archive.org (2011ねん3がつ12にち). 2020ねん3がつ29にち閲覧えつらん
  6. ^ NHK 戦争せんそう証言しょうげんアーカイブス トライアルサイト
  7. ^ NHK戦争せんそう証言しょうげんアーカイブスについて - NHKオンライン「そう局長きょくちょう会見かいけん資料しりょう」 2010ねん7がつ22にち閲覧えつらん
  8. ^ ヨコシネ91ねんのあゆみ - ヨコシネディーアイエー
  9. ^ 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんリサーチナビ
  10. ^ 軍靴ぐんかひび生々なまなましく 本紙ほんしニュース映画えいが鮮明せんめい修復しゅうふく
  11. ^ 戦前せんぜんのニュース映画えいがをデジタル修復しゅうふくやく14ふん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]