パンク (サブカルチャー)

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パンクえい: punk)は、パンク・ロック中心ちゅうしん発生はっせいしたサブカルチャーである。当初とうしょはロック音楽おんがく、イデオロギー、ファッション中心ちゅうしんとしていたが、のちにアート、ダンス、文学ぶんがく映画えいがなどがふくまれるようになり、独自どくじのサブカルチャーを形成けいせいした。

パンクというサブカルチャーを体現たいげんする人々ひとびとパンクス (punks) とぶ。1人ひとり場合ばあいはパンク (punk) である。本来ほんらい意味いみは「不良ふりょう、チンピラ、役立やくだたず」[1]である。

歴史れきし[編集へんしゅう]

パンクは1970年代ねんだい中頃なかごろアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくとイギリスでまれた。具体ぐたいてき発祥はっしょうついては諸説しょせつある。オーストラリアみなみアフリカ共和きょうわこく日本にっぽん大都市だいとしでも比較的ひかくてき初期しょきにパンクの影響えいきょうられた[2][3][4][5][6][7]

列車れっしゃない2人ふたりのパンクス(1986ねん)。みぎおとこのコートにクラスのシンボルがステンシルでえがかれているてん注意ちゅうい

初期しょきのパンクは様々さまざま影響えいきょうからまれたもので、Jon Savage はこのサブカルチャーを、西洋せいようだい世界せかい大戦たいせん以後いご存在そんざいしたあらゆる若者わかもの文化ぶんかを「安全あんぜんピンでまとめてめた」ようなブリコラージュだとしょうした[8]様々さまざま哲学てつがくてきムーブメント、政治せいじてきムーブメント、芸術げいじゅつてきムーブメントがこのサブカルチャーに影響えいきょうあたえた。とくにパンクはいくつかのモダンアート系統けいとう触発しょくはつされている。パンクてき美学びがく形成けいせいには、おおくの作家さっか書籍しょせき文学ぶんがく運動うんどう重要じゅうよう役割やくわりたしている。パンク・ロックにはエディ・コクラン、フレディ・キャノンらのロックンロールからザ・フー、ストージズらのガレージ・ロックなどのルーツが存在そんざいする。

最初さいしょのパンク・ロック(からプロトパンクばれるようになった)は、1960年代ねんだいまつのアメリカ北東ほくとうでのガレージロックのリバイバルを始点してんとする[9]最初さいしょ当時とうじから「パンク」とばれる音楽おんがく登場とうじょうしたのは、1974ねんから1976ねんニューヨークでのことである[10]。それとほぼどう時期じき直後ちょくごロンドンでもパンクがられるようになった[11]あいだもなく、ロサンゼルスでもパンクがられるようになった[12]。これら3都市としきゅう成長せいちょうのバックボーンを形成けいせいしたが、ブリスベンボストンなどおおくの都市としにもパンクはひろがっていった。

1970年代ねんだいまつにパンクというサブカルチャーはニュー・ウェイヴ2トーン[13]、オルタナティヴ、ノー・ウェーブ、CMJ、カレッジ・ラジオなどのしんジャンルや媒体ばいたいみ、裾野すそのひろがっていった。アメリカでは1980年代ねんだいはじめごろ、パンクにから導入どうにゅうされてきた軽薄けいはくさやロックの形式けいしき排除はいじょし、より過激かげきハードコア・パンクまれた。おなじころイギリスでもたようなうごきがあり、こちらはストリートパンクばれた[14]元々もともとのパンクと同様どうよう、ハードコアとストリートパンクもサブカルチャーとしてひろまっていった。オルタナティヴ・ロックインディーズは1970年代ねんだいまつから存在そんざいしたが、1990年代ねんだい初頭しょとうのアメリカでは、アンダーグラウンドなサブカルチャーがパンクから進化しんかし、オルタナティヴ・ロック、グランジなどがオーバーグラウンドにかびがってきた[14]

音楽おんがく[編集へんしゅう]

パンクというサブカルチャーは、パンク・ロック中心ちゅうしんとしており、パンク・ロックを省略しょうりゃくして「パンク」とぶようになった。おおくのパンク・ロックは1960年代ねんだいガレージロックや1970年代ねんだいパブロックをルーツとして、ゆがみのはげしいギターと騒々そうぞうしいリズム・セクションをともなった。ロンドン、ニューヨークのつぎにはロサンゼルスなどの大都市だいとしにもひろがっていった[15]。パンクとフォークロック融合ゆうごうした音楽家おんがくかには、ビリー・ブラッグらがいる。パンク・ロックのうたみじかいことがおおく、アレンジやコード進行しんこう比較的ひかくてき単純たんじゅんである。歌詞かしはパンクてき価値かちとイデオロギーを表現ひょうげんしており、セックス・ピストルズの "No Future" のニヒリズムてき歌詞かしから、生真面目きまじめはんドラッグてきメッセージをつたえるマイナー・スレットの "Straight Edge" まで、様々さまざまである。パンク・ロックでは、ソロよりもバンドのほう普通ふつうである。パンクバンドの一般いっぱんてき構成こうせいとしては、ギターが1にんか2にん、ベースが1人ひとり、ドラムが1人ひとりで、ボーカルは演奏えんそうしゃ1人ひとり担当たんとうすることもある。バンドによってはメンバーがバックアップボーカルを担当たんとうすることもあるが、それはポップバンドでのあまいハーモニーをかなでるようなものではなく、スローガンをさけんだり、かえしたりするものである。

イデオロギー[編集へんしゅう]

機動きどうたいまえにドイツじんパンクスがいる(1984ねん抗議こうぎ運動うんどう

パンクのイデオロギーはおおくの場合ばあい平等びょうどう個人こじん自由じゆうはん体制たいせいてき視点してんにおいて、アナーキズムやニューレフトに親和しんわせいっている。典型てんけいてきなパンクの視点してんとしては、はん権威けんい主義しゅぎDIY主義しゅぎ服従ふくじゅう直接ちょくせつ行動こうどうはん産業さんぎょうロックなどがふくまれる。その傾向けいこうとして、はんサッチャー、はん人種じんしゅ差別さべつはんネオナチ、はんナショナル・フロント、戦争せんそう反対はんたいニヒリズムアナキズム社会しゃかい主義しゅぎ支持しじはん軍国ぐんこく主義しゅぎはん資本しほん主義しゅぎはんレーガン、はんせい差別さべつはん民族みんぞく主義しゅぎはんホモフォビア環境かんきょう保全ほぜん主義しゅぎ支持しじなどもふくまれた。しかし、パンクであってもおおくはロック愛好あいこうノンポリのパンクスであった。右翼うよくてき思想しそうものもいたし、絶望ぜつぼうかんふかまるにつれ、ネオナチ思想しそうキリスト教きりすときょう原理げんり主義しゅぎ、リバタリアンのパンクスも目立めだってきた。

初期しょきのイギリスのパンクスは No Future というスローガンでニヒリズムてき姿勢しせいあらわしていた。これは、セックス・ピストルズの "God Save the Queen" のいちせつである。パンクのニヒリズムは、「ヘロインや…メタンフェタミンといったつよくて自滅じめつせいたか薬物やくぶつ」の使用しよう剃刀かみそりでの「身体しんたい一部いちぶ切断せつだん」といったかたちあらわされていた[16]。ドロップキック・マーフィーズのベーシスト、ケン・ケーシーがナチスしき敬礼けいれいをしたことでバンドは批判ひはんされ、のちにバンドはファシズムに反対はんたいしていくことをさい確認かくにんした[17]。デッド・ケネディーズのきょく「ナチ・パンクス・ファック・オフ」は、はんナチズムのテーマてき見方みかたをされている[18]


アート[編集へんしゅう]

パンクは、ダダイスムなどのはん体制たいせいてきなアートからの影響えいきょう指摘してきされている。

パンクの美学びがくはパンクスのこの芸術げいじゅつ方向ほうこうせい決定けっていした。一般いっぱんに、アンダーグラウンドミニマル・アートひじりぞう破壊はかいてき風刺ふうしてきなものがこのまれる。パンクアート作品さくひんは、アルバムのカバーイラスト、コンサートなどのチラシ、パンク雑誌ざっしなどをかざった。パンクアートは明確めいかくなメッセージを直接的ちょくせつてきつたえることがおおく、社会しゃかいてき不公平ふこうへいさや経済けいざい格差かくさなどといった問題もんだいえがいていることがおおい。だれかがくるしんでいるイメージを使つかってもの衝撃しょうげきあたえ、感情かんじょう移入いにゅうさせるのが一般いっぱんてきである。あるいは、利己りこてきなイメージやおろかなイメージや冷淡れいたんなイメージをえがくことで、もの軽蔑けいべつかんじさせようとする場合ばあいもある。

初期しょき作品さくひんはコピー複製ふくせいするファンジンてきなものがおおかったため、白黒しろくろ作品さくひんおおかった。パンクアートはアンディ・ウォーホル大量たいりょう印刷いんさつきの手法しゅほう活用かつようする。パンクは、とくクラス筆頭ひっとうとして、ステンシルアートの復興ふっこうにも一役ひとやくった。状況じょうきょう主義しゅぎもパンクアートに影響えいきょうあたえており、とくセックス・ピストルズ関連かんれんのアートに顕著けんちょである。コラージュ多用たようされており、デッド・ケネディーズ、クラス、Jamie ReidWinston Smith のアートがれいとしてげられる。John Holmstrom はパンク漫画まんがであり、ラモーンズ関連かんれんPunk Magazine活動かつどうした。スタッキズムというムーブメントの源流げんりゅうはパンクであり、2004ねんリバプール・ビエンナーレウォーカー・アート・ギャラリー開催かいさいした The Stuckists Punk Victorian という展示てんじかい題名だいめいにもそれがあらわれている。グループの創設そうせつしゃ1人ひとりチャールズ・トムソン英語えいごばんは、パンクはかれのアートにとって「重要じゅうようなブレークスルー」だとべている[19]

ダンス[編集へんしゅう]

パンクに関連かんれんするダンスのスタイルとしてポゴダンスモッシュがある[20]。ステージからのダイブやクラウドサーフは、ザ・ストゥージズなどのプロトパンクのバンドが発祥はっしょうとされており、そのパンクやヘヴィメタルやロックのコンサートでもられるようになった。スカ・パンクではskankingばれるダンススタイルをひろめようとした。ハードコアダンスはこれらすべてのスタイルの影響えいきょうけてのち開発かいはつされたものである。サイコビリーでは "wreck" とばれるスタイルがこのまれる。これはからだをぶつけうスラムダンスのようなもので、なぐいをする。

文学ぶんがく[編集へんしゅう]

1994ねんから2004ねんごろのべいえいのパンク雑誌ざっしれい

パンクは、ビート・ジェネレーションなどのはん体制たいせいてき文学ぶんがくからの影響えいきょう指摘してきされている。

パンクからは多数たすう散文さんぶんまれた。パンク雑誌ざっし (punk zine) とばれるアンダーグラウンドな出版しゅっぱん形態けいたいがあり、ニュース、うわさ、文化ぶんかてき批評ひひょう、インタビューなどが掲載けいさいされる。一部いちぶ雑誌ざっし個人こじん (perzine) の形式けいしきである。有名ゆうめいなパンク雑誌ざっしとしては、Maximum RocknRollPunk PlanetCometbusFlipsideSearch & Destroy などがある。パンクについていた小説しょうせつ伝記でんき自伝じでん、コミックスなどもある。ロサンゼルスのパンクをえがいたコミックスとして『ラブ・アンド・ロケッツ』が有名ゆうめい

パンク詩人しじんとしては、リチャード・ヘルジム・キャロルパティ・スミスJohn Cooper ClarkeSeething WellsRaegan ButcherAttila the Stockbroker といったひとたちがいる。The Medway Poets というパフォーマンスグループにはパンク・ミュージシャンでもある Billy Childish参加さんかしており、トレイシー・エミン影響えいきょうあたえた。ジム・キャロルの自伝じでんてき作品さくひんぐん初期しょきのパンク文学ぶんがく好例こうれいである。パンクというサブカルチャーに触発しょくはつされ、サイバーパンクスチームパンクといった文学ぶんがくジャンルがまれた。

映画えいが[編集へんしゅう]

パンクを題材だいざいにした映像えいぞう映画えいがもあり、パンク・ロックのミュージック・ビデオやパンクと関連かんれんふかいスケーター・ロックのビデオもよく見受みうけられる。映画えいがかかわった有名ゆうめいなグループとしては、ラモーンズ(Rock 'n' Roll High School)、セックス・ピストルズ(『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』)などがげられる。に『シド・アンド・ナンシー』(1986)[21]有名ゆうめいで、セックス・ピストルズのベーシストだったシド・ヴィシャスゲイリー・オールドマンえんじた)とナンシー・スパンゲンクロエ・ウェブえんじた)の物語ものがたりえがいている。

パンクバンドのドキュメンタリー映画えいがもよく制作せいさくされている。代表だいひょうてきなものとしては、セックス・ピストルズをえがいた The Filth and the Fury がある。バンドメンバーや関係かんけいしゃマルコム・マクラーレンヴィヴィアン・ウエストウッド、ナンシー・スパンゲンら)だけでなく、ビリー・アイドルスティングわかのスージー・スー(スージー・アンド・ザ・バンシーズのボーカル)などの映像えいぞう使つかっている。クライマックスの1つは、エリザベス2せい即位そくい25ねん祝典しゅくてんでセックス・ピストルズがテムズ川上かわかみのはしけのうえで "God Save the Queen" を演奏えんそうし、その直後ちょくご逮捕たいほされるシーンである。

No Wave CinemaRemodernist film といったムーブメントはパンクとの関連かんれんふかい。パンクをえがいた映画えいが監督かんとくとしてはデレク・ジャーマン有名ゆうめいである。ほかにも、『24アワー・パーティー・ピープル』はパンクからニュー・ウェイヴマッドチェスターへと進化しんかする音楽おんがくシーンをえがき、Threat はニューヨークのハードコアシーンにおけるストレート・エッジ焦点しょうてんてている。

ライフスタイルとコミュニティ[編集へんしゅう]

カリフォルニアしゅうバークレーのパンク会場かいじょうちいさなステージでバンドが演奏えんそうしているところ。
うえ会場かいじょう付近ふきん楽屋がくやがわグラフィティかべおおわれている。

パンクスには様々さまざま職業しょくぎょう経済けいざい階層かいそう人々ひとびとがいる。ライオット・ガールというムーブメントをのぞけば、そのほとんどは男性だんせいである。のサブカルチャーと比較ひかくすると、パンクのイデオロギーは男女だんじょ同権どうけんによりちか[22]。パンクはおおむはん人種じんしゅ差別さべつてきだが、パンクスのほとんどは白人はくじんである(すくなくとも白人はくじん支配しはいてきくに以外いがいではあまりさかんではない)。パンクの特性とくせいとして薬物やくぶつ乱用らんようがよくげられる。例外れいがいとしてはストレート・エッジがある。また暴力ぼうりょくもつきものとされるが、アナクロパンクながれを平和へいわ主義しゅぎしゃのように暴力ぼうりょく反対はんたいとなえるパンクスもいる。

パンクスはローカルな音楽おんがくシーンを形成けいせいすることがおおく、ちいさいまちではすうじゅうにん大都市だいとしではすうせんにん程度ていどでも成立せいりつする[23]。そのようなローカルなシーンでは、中心ちゅうしんとなるパンクスのちいさいグループがあり、その周囲しゅういによりカジュアルな人々ひとびとあつまる。典型てんけいてきなパンクシーンは、パンクと中心ちゅうしんとなるバンド構成こうせいされる。ファンはコンサートや抗議こうぎ集会しゅうかいのイベントに参加さんかし、パンク雑誌ざっし出版しゅっぱんするひと、バンドの批評ひひょう、ライター、イラストなどをえが美術家びじゅつか、コンサートを運営うんえいする人々ひとびとインディーズのレーベルなどではたら人々ひとびとなどが関係かんけいする[23]スコッターがツアーちゅうのバンドに宿やど提供ていきょうするなどのサポートの役割やくわりたす場合ばあいもある。パンクにおいてもインターネット役割やくわり増大ぞうだいしつつあり、とく仮想かそう共同きょうどうたい形成けいせいファイル共有きょうゆうソフトによる音楽おんがくファイルのやりとりが重要じゅうようである。

真正しんせいせい[編集へんしゅう]

パンクとハードコアのサブカルチャーでは、シーンの価値かち哲学てつがくへの関与かんよ真正しんせいせい (authenticity) で各人かくじんやシーンそのものを評価ひょうかする。その尺度しゃくど政治せいじ思想しそう(アナクロパンクのスコッターなど)からライフスタイル(ストレート・エッジにおける薬物やくぶつやアルコールの禁止きんし)まで様々さまざまである。パンクのサブカルチャーにおいては、「習慣しゅうかんてき自分じぶんとはちが何者なにものかになりすますひと」を "poseur" (気取きど)と[24]。この用語ようごは、パンクというサブカルチャーの価値かち哲学てつがく共有きょうゆうまたは理解りかいせずに、たん仲間なかまとしてれられようとしてファッションやしゃべりかた真似まねしているひとして使つかう。

真正しんせいせい (inauthenticity) だと見破みやぶられたひとはメンバーから軽蔑けいべつされるが、用語ようご定義ていぎとそれをどういうひと適用てきようするかは主観しゅかんてきであり、議論ぎろんえない。たとえば Television Personalities というグループの1978ねんきょく "Part-Time Punks" には、パンクになりたいとおもったひとだれもが poseur であり、パンク・ロックにおける真正しんせいせいという概念がいねん虚構きょこうだという意味いみ歌詞かしがある。音楽おんがく評論ひょうろん Dave RimmerLike Punk Never Happened というほんでは、「ロンドンの最初さいしょのパンク少年しょうねんたちは、味気あじけないロックシーンに確実かくじつくさび革命かくめい遂行すいこうすることを想像そうぞうした」といている。Rimmerはまた、「この言葉ことば真正しんせいせいのムーブメントからはずれたひと軽蔑けいべつする表現ひょうげんであり、"Poseurs" はかれらがきな悪口わるぐちだった」といている[25]。Ross Buncle は1970年代ねんだいまつのオーストラリアのパースでのパンク・ロックの歴史れきしき、そのなか最終さいしゅうてき多数たすうの poseurs に門戸もんこひらかれ、音楽おんがくそのものよりイギリスのパンクバンドの服装ふくそうかれた人々ひとびとがシーンに参加さんかするようになったと主張しゅちょうしている。そしてかれ観衆かんしゅうなかにはかたどおりの poseurs はなかったことを賞賛しょうさんしている[26]

ほかにも poseur という言葉ことば使つかわれているきょくがいくつかある。X-Ray Spex の "I am a Poseur"、1980年代ねんだい初期しょきハードコア・パンクバンド MDC の "Poseur Punk"、カリフォルニアのパンクバンド NOFX の "Decom-poseur" などである。

Drowned in Sound というサイトにある記事きじでは、1980年代ねんだいの「ハードコア・パンクこそがしんのパンク」だと主張しゅちょうしている。何故なぜなら「poseurやファッションきょうむらがってきたことでニューロマンティックなどという軟弱なんじゃくなトレンドがまれてしまった」からであり、パンクシーンは「DIY精神せいしん完全かんぜんまもる」人々ひとびとだけでよく、「しんのパンクしゃは、勉強べんきょうしてはたらいて家庭かていっていえって退職たいしょくしてぬなどというシナリオとは無縁むえんだ」からだという[27]

ジャンルとの関係かんけい[編集へんしゅう]

ニューヨーク・ドールズデヴィッド・ボウイなどのグラムロックは、初期しょきのパンク・ロックやプロトパンクグラムパンクおおきな影響えいきょうあたえた。

パンクとヒップホップは1970年代ねんだい後半こうはんニューヨークでほぼどう時期じきまれており、両者りょうしゃ相互そうごなんらかの影響えいきょうあたえあった。初期しょきのヒップホップMCは自身じしんをパンク・ロッカーとび、パンク・ファッションはヒップホップの服装ふくそうにもられた。マルコム・マクラーレンイギリスにパンクとヒップホップの両方りょうほう紹介しょうかいする役割やくわりになった。ヒップホップはそのもパンクバンドやハードコアバンドに影響えいきょうあたえており、BiohazardThe TransplantsRefused といったバンドがある。

1960年代ねんだいまつごろのスキンヘッドのサブカルチャーは1970年代ねんだいになるとほぼえうせていたが、パンク・ロック(とくオイ!)の影響えいきょうで1970年代ねんだいまつごろに復活ふっかつした。ぎゃく伝統でんとうてきスキンヘッドが人気にんきのあるスカレゲエ何人なんにんかのパンク・ミュージシャンに影響えいきょうあたえている。パンクスとスキンヘッドの関係かんけいは、社会しゃかいてき状況じょうきょう時期じき場所ばしょによって、反目はんもくしあったり友好ゆうこうてきだったりしており、一概いちがいにはえない。

パンクとヘヴィメタルのサブカルチャーは、パンクの発祥はっしょうからやや類似るいじせいがある。1970年代ねんだいはじめ、ヘヴィメタルはプロトパンクに影響えいきょうあたえた。アリス・クーパーはパンクとメタルの両方りょうほうに(ファッション、音楽おんがく両面りょうめんで)影響えいきょうあたえた。デビューアルバムを1977ねんにリリースしたモーターヘッドは、そのもパンクにもメタルにも人気にんきがあり、ボーカルのレミー・キルミスターはパンク・ロックのファンだと公言こうげんしている。メタルコアグラインドコアクロスオーバー・スラッシュといったジャンルはパンクやヘヴィメタルの影響えいきょうつよけている。NWOBHMディスチャージなどのパンクバンドに影響えいきょうあたえ、ハードコア・パンクはメタリカスレイヤーといったスラッシュメタルバンドに影響えいきょうあたえた。1990年代ねんだいはじめにまれたグランジというサブカルチャーは、パンクのアンチファッションてき理想りそうとヘヴィメタルのギターサウンドの融合ゆうごうだった。しかし、ハードコア・パンクとグランジは1980年代ねんだい人気にんきとなったヘヴィメタルにたいする否定ひていてき反応はんのうとして発展はってんしためんもある。

インダストリアルrivetheadというサブカルチャーは、音楽おんがく、ファッション、姿勢しせいといっためんでパンクと関係かんけいがある。

パンク最盛さいせい、パンクスは一般いっぱん大衆たいしゅうのサブカルチャーから毛嫌けぎらいされ攻撃こうげきされた。1980年代ねんだいのイギリスでは、パンクスはテディボーイグリーサーバイカーモッズのサブカルチャーのメンバーとしばしば小競こぜいをこした。

1970年代ねんだい後半こうはん、パンクスはヒッピーともイデオロギーなどのめん対立たいりつしていた。しかし、クラスのメンバーペニー・ランボーもとはヒッピーであり、インタビューやエッセイ The Last Of The Hippiesなかで、友人ゆうじんだった Wally Hope記念きねんしてクラスを結成けっせいしたとべている[28]。また、クラスは60年代ねんだいから70年代ねんだいとおしてのヒッピーのムーブメントがクラスにおおきくかかわっているとしている(Dial House創設そうせつは1967ねん)。パンクスのおおくは、ヒッピーとのかかわりというてんでクラスには批判ひはんてきだった。また、ジェロ・ビアフラもヒッピーに影響えいきょうされ、イッピー思想しそう信条しんじょうとしている。しかし、かれいた歌詞かしはヒッピーに批判ひはんてき内容ないようだった。

ファッション[編集へんしゅう]

安全あんぜんピンやワッペンをけるのは、初期しょきパンク・ファッションの典型てんけいてきれいだった。だが、パンク・ファッションはパリコレのファッション・ショーに登場とうじょうすることにより、するどさやはげしさをうしなっていった。また、ボンデージSMられるような皮革ひかくゴムビニールせいふく着用ちゃくようすることもある。

パンクスによっては、ほそいジーンズ、格子縞こうしじまのズボンやキルトやスカート、Tてぃーシャツロッカージャケット(バンドのロゴ、ピン、ボタン、金属きんぞくせいびょうなどで装飾そうしょくすることがおおい)、スニーカー、スケートボードようシューズ、ブーツなどが使用しようされる場合ばあいもあった。後年こうねんのパンクスにはひとにショックをあたえる目的もくてきナチハーケンクロイツけるものもいたが、「おおくのパンクスははん人種じんしゅ差別さべつ主義しゅぎ」であり、ハーケンクロイツをけることには抵抗ていこうがあった。髪型かみがたモヒカンやもっと過激かげきなものにするパンクスもおり、かみたせてかため、様々さまざまいろをつけたりする。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

シチュアシオニスト・インターナショナル

脚注きゃくちゅう/出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ http://en.oxforddictionaries.com/definition/punk
  2. ^ Marsh, Dave (1971ねん5がつ). “"Will Success Spoil The Fruit?"”. Creem magazine. 2003ねん6がつ23にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2006ねん11月19にち閲覧えつらん
  3. ^ Moore, Thurston (1996ねん). “"Grabbing Ankles"”. Bomb Magazine. 2006ねん11月19にち閲覧えつらん
  4. ^ Robb, John (2005ねん11月5にち). “The birth of punk”. The Independent (UK). オリジナルの2006ねん4がつ27にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060427073129/http://enjoyment.independent.co.uk/music/features/article324977.ece 2006ねん12月17にち閲覧えつらん 
  5. ^ Savage, Jon. England's Dreaming: The Sex Pistols and Punk Rock. Faber and Faber, 1991. ISBN 0-312-28822-0
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  7. ^ Dougan, John. “"The Saints: Biography"”. billboard.com. 2006ねん11月1にち閲覧えつらん
  8. ^ Savage, Jon. Teenage: The Creation of Youth Culture. P. xvi. 2007. Viking. England.
  9. ^ "Proto-Punk" from Allmusic.com
  10. ^ Harrington, Joe S. Sonic Cool: The Life & Death of Rock 'N' Roll. pp. 324-30. 2002. Hal-Leonard. USA.
  11. ^ Harrington, Joe S. Sonic Cool: The Life & Death of Rock 'N' Roll. pp. 344-50. 2002. Hal-Leonard. USA.
  12. ^ Allmusic, L.A. Punk accessed 2012-07-27
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  20. ^ PopMatters: A Metaphysics of the Mosh Pit
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  24. ^ Definition of scotch,forgo,temporize,simulate,renege,poseur,precipitate,carp,blackjack,scrimp”. 2009ねん9がつ25にち閲覧えつらん
  25. ^ Part Two - Number 124 / June 1995: LIVE THROUGH THIS.... https://web.archive.org/web/20120114211815/http://www.rockrap.com/archive/arch124b.html
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