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パンク (英 えい : punk)は、パンク・ロック を中心 ちゅうしん に発生 はっせい したサブカルチャー である。当初 とうしょ はロック音楽 おんがく 、イデオロギー、ファッション を中心 ちゅうしん としていたが、後 のち にアート、ダンス、文学 ぶんがく 、映画 えいが などが含 ふく まれるようになり、独自 どくじ のサブカルチャーを形成 けいせい した。
パンクというサブカルチャーを体現 たいげん する人々 ひとびと をパンクス (punks) と呼 よ ぶ。1人 ひとり の場合 ばあい はパンク (punk) である。本来 ほんらい の意味 いみ は「不良 ふりょう 、チンピラ、役立 やくだ たず」[1] である。
パンクは1970年代 ねんだい 中頃 なかごろ 、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく とイギリスで生 う まれた。具体 ぐたい 的 てき な発祥 はっしょう 地 ち ついては諸説 しょせつ ある。オーストラリア 、南 みなみ アフリカ共和 きょうわ 国 こく 、日本 にっぽん の大都市 だいとし でも比較的 ひかくてき 初期 しょき にパンクの影響 えいきょう が見 み られた[2] [3] [4] [5] [6] [7] 。
列車 れっしゃ 内 ない の2人 ふたり のパンクス(1986年 ねん )。右 みぎ の男 おとこ のコートにクラス のシンボルがステンシルで描 えが かれている点 てん に注意 ちゅうい 。
初期 しょき のパンクは様々 さまざま な影響 えいきょう から生 う まれたもので、Jon Savage はこのサブカルチャーを、西洋 せいよう で第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 以後 いご に存在 そんざい したあらゆる若者 わかもの 文化 ぶんか を「安全 あんぜん ピンでまとめて止 ど めた」ようなブリコラージュ だと称 しょう した[8] 。様々 さまざま な哲学 てつがく 的 てき ムーブメント、政治 せいじ 的 てき ムーブメント、芸術 げいじゅつ 的 てき ムーブメントがこのサブカルチャーに影響 えいきょう を与 あた えた。特 とく にパンクはいくつかのモダンアート の系統 けいとう に触発 しょくはつ されている。パンク的 てき 美学 びがく の形成 けいせい には、多 おお くの作家 さっか 、書籍 しょせき 、文学 ぶんがく 運動 うんどう が重要 じゅうよう な役割 やくわり を果 は たしている。パンク・ロックにはエディ・コクラン、フレディ・キャノンらのロックンロール からザ・フー、ストージズらのガレージ・ロックなどのルーツが存在 そんざい する。
最初 さいしょ 期 き のパンク・ロック(後 ご からプロトパンク と呼 よ ばれるようになった)は、1960年代 ねんだい 末 まつ のアメリカ北東 ほくとう 部 ぶ でのガレージロック のリバイバルを始点 してん とする[9] 。最初 さいしょ に当時 とうじ から「パンク」と呼 よ ばれる音楽 おんがく が登場 とうじょう したのは、1974年 ねん から1976年 ねん のニューヨーク でのことである[10] 。それとほぼ同 どう 時期 じき か直後 ちょくご にロンドン でもパンクが見 み られるようになった[11] 。間 あいだ もなく、ロサンゼルス でもパンクが見 み られるようになった[12] 。これら3都市 とし が急 きゅう 成長 せいちょう のバックボーンを形成 けいせい したが、ブリスベン やボストン など他 た の多 おお くの都市 とし にもパンクは広 ひろ がっていった。
1970年代 ねんだい 末 まつ にパンクというサブカルチャーはニュー・ウェイヴ 、2トーン [13] 、オルタナティヴ、ノー・ウェーブ 、CMJ、カレッジ・ラジオなどの新 しん ジャンルや媒体 ばいたい を生 う み、裾野 すその が広 ひろ がっていった。アメリカでは1980年代 ねんだい 初 はじ めごろ、パンクに後 ご から導入 どうにゅう されてきた軽薄 けいはく さやロックの形式 けいしき を排除 はいじょ し、より過激 かげき なハードコア・パンク が生 う まれた。同 おな じころイギリスでも似 に たような動 うご きがあり、こちらはストリートパンク と呼 よ ばれた[14] 。元々 もともと のパンクと同様 どうよう 、ハードコアとストリートパンクもサブカルチャーとして広 ひろ まっていった。オルタナティヴ・ロック やインディーズ は1970年代 ねんだい 末 まつ から存在 そんざい したが、1990年代 ねんだい 初頭 しょとう のアメリカでは、アンダーグラウンド なサブカルチャーがパンクから進化 しんか し、オルタナティヴ・ロック 、グランジなどがオーバーグラウンドに浮 う かび上 あ がってきた[14] 。
パンクというサブカルチャーは、パンク・ロック を中心 ちゅうしん としており、パンク・ロックを省略 しょうりゃく して「パンク」と呼 よ ぶようになった。多 おお くのパンク・ロックは1960年代 ねんだい のガレージロック や1970年代 ねんだい のパブロック をルーツとして、歪 ゆが みの激 はげ しいギターと騒々 そうぞう しいリズム・セクションを伴 ともな った。ロンドン、ニューヨークの次 つぎ にはロサンゼルスなどの大都市 だいとし にも広 ひろ がっていった[15] 。パンクとフォークロック を融合 ゆうごう した音楽家 おんがくか には、ビリー・ブラッグ らがいる。パンク・ロックの歌 うた は短 みじか いことが多 おお く、アレンジやコード進行 しんこう は比較的 ひかくてき 単純 たんじゅん である。歌詞 かし はパンク的 てき 価値 かち とイデオロギーを表現 ひょうげん しており、セックス・ピストルズ の "No Future" のニヒリズム 的 てき な歌詞 かし から、生真面目 きまじめ で反 はん ドラッグ的 てき メッセージを伝 つた えるマイナー・スレット の "Straight Edge" まで、様々 さまざま である。パンク・ロックでは、ソロよりもバンドの方 ほう が普通 ふつう である。パンクバンドの一般 いっぱん 的 てき 構成 こうせい としては、ギター が1人 にん か2人 にん 、ベースが1人 ひとり 、ドラムが1人 ひとり で、ボーカルは演奏 えんそう 者 しゃ の1人 ひとり が担当 たんとう することもある。バンドによってはメンバーがバックアップボーカルを担当 たんとう することもあるが、それはポップバンドでの甘 あま いハーモニーを奏 かな でるようなものではなく、スローガンを叫 さけ んだり、繰 く り返 かえ したりするものである。
機動 きどう 隊 たい の前 まえ にドイツ人 じん パンクスがいる(1984年 ねん の抗議 こうぎ 運動 うんどう )
パンクのイデオロギーは多 おお くの場合 ばあい 、平等 びょうどう 、個人 こじん の自由 じゆう と反 はん 体制 たいせい 的 てき 視点 してん において、アナーキズムやニューレフトに親和 しんわ 性 せい を持 も っている。典型 てんけい 的 てき なパンクの視点 してん としては、反 はん 権威 けんい 主義 しゅぎ 、DIY主義 しゅぎ 、不 ふ 服従 ふくじゅう 、直接 ちょくせつ 行動 こうどう 、反 はん 産業 さんぎょう ロック などが含 ふく まれる。その他 た の傾向 けいこう として、反 はん サッチャー、反 はん 人種 じんしゅ 差別 さべつ 、反 はん ネオナチ、反 はん ナショナル・フロント、戦争 せんそう 反対 はんたい 、ニヒリズム 、アナキズム 、社会 しゃかい 主義 しゅぎ 支持 しじ 、反 はん 軍国 ぐんこく 主義 しゅぎ 、反 はん 資本 しほん 主義 しゅぎ 、反 はん レーガン、反 はん 性 せい 差別 さべつ 、反 はん 民族 みんぞく 主義 しゅぎ 、反 はん ホモフォビア 、環境 かんきょう 保全 ほぜん 主義 しゅぎ 支持 しじ なども含 ふく まれた。しかし、パンクであっても多 おお くはロック愛好 あいこう 家 か のノンポリ のパンクスであった。他 た に右翼 うよく 的 てき 思想 しそう の者 もの もいたし、絶望 ぜつぼう 感 かん が深 ふか まるにつれ、ネオナチ 思想 しそう やキリスト教 きりすときょう 原理 げんり 主義 しゅぎ 、リバタリアンのパンクスも目立 めだ ってきた。
初期 しょき のイギリスのパンクスは No Future というスローガンでニヒリズム的 てき 姿勢 しせい を表 あらわ していた。これは、セックス・ピストルズ の "God Save the Queen " の一 いち 節 せつ である。パンクのニヒリズムは、「ヘロインや…メタンフェタミンといった強 つよ くて自滅 じめつ 性 せい の高 たか い薬物 やくぶつ 」の使用 しよう や剃刀 かみそり での「身体 しんたい の一部 いちぶ の切断 せつだん 」といった形 かたち で表 あらわ されていた[16] 。ドロップキック・マーフィーズのベーシスト、ケン・ケーシーがナチス式 しき の敬礼 けいれい をしたことでバンドは批判 ひはん され、後 のち にバンドはファシズムに反対 はんたい していくことを再 さい 確認 かくにん した[17] 。デッド・ケネディーズの曲 きょく 「ナチ・パンクス・ファック・オフ」は、反 はん ナチズムのテーマ的 てき な見方 みかた をされている[18] 。
パンクは、ダダイスム などの反 はん 体制 たいせい 的 てき なアートからの影響 えいきょう が指摘 してき されている。
パンクの美学 びがく はパンクスの好 この む芸術 げいじゅつ の方向 ほうこう 性 せい も決定 けってい した。一般 いっぱん に、アンダーグラウンド 、ミニマル・アート 、聖 ひじり 像 ぞう 破壊 はかい 的 てき 、風刺 ふうし 的 てき なものが好 この まれる。パンクアート作品 さくひん は、アルバム のカバーイラスト、コンサートなどのチラシ、パンク雑誌 ざっし などを飾 かざ った。パンクアートは明確 めいかく なメッセージを直接的 ちょくせつてき に伝 つた えることが多 おお く、社会 しゃかい 的 てき 不公平 ふこうへい さや経済 けいざい 格差 かくさ などといった問題 もんだい を描 えが いていることが多 おお い。誰 だれ かが苦 くる しんでいるイメージを使 つか って見 み る者 もの に衝撃 しょうげき を与 あた え、感情 かんじょう 移入 いにゅう させるのが一般 いっぱん 的 てき である。あるいは、利己 りこ 的 てき なイメージや愚 おろ かなイメージや冷淡 れいたん なイメージを描 えが くことで、見 み る者 もの に軽蔑 けいべつ を感 かん じさせようとする場合 ばあい もある。
初期 しょき の作品 さくひん はコピー機 き で複製 ふくせい するファンジン的 てき なものが多 おお かったため、白黒 しろくろ の作品 さくひん が多 おお かった。パンクアートはアンディ・ウォーホル の大量 たいりょう 印刷 いんさつ 向 む きの手法 しゅほう も活用 かつよう する。パンクは、特 とく にクラス を筆頭 ひっとう として、ステンシル アートの復興 ふっこう にも一役 ひとやく 買 か った。状況 じょうきょう 主義 しゅぎ もパンクアートに影響 えいきょう を与 あた えており、特 とく にセックス・ピストルズ 関連 かんれん のアートに顕著 けんちょ である。コラージュ も多用 たよう されており、デッド・ケネディーズ 、クラス、Jamie Reid 、Winston Smith のアートが例 れい として挙 あ げられる。John Holmstrom はパンク漫画 まんが 家 か であり、ラモーンズ 関連 かんれん や Punk Magazine で活動 かつどう した。スタッキズム というムーブメントの源流 げんりゅう はパンクであり、2004年 ねん のリバプール・ビエンナーレ でウォーカー・アート・ギャラリー が開催 かいさい した The Stuckists Punk Victorian という展示 てんじ 会 かい の題名 だいめい にもそれが現 あらわ れている。グループの創設 そうせつ 者 しゃ の1人 ひとり チャールズ・トムソン (英語 えいご 版 ばん ) は、パンクは彼 かれ のアートにとって「重要 じゅうよう なブレークスルー」だと述 の べている[19] 。
パンクに関連 かんれん するダンスのスタイルとしてポゴダンス とモッシュ がある[20] 。ステージからのダイブやクラウドサーフ は、ザ・ストゥージズ などのプロトパンクのバンドが発祥 はっしょう とされており、その後 ご パンクやヘヴィメタルやロックのコンサートでも見 み られるようになった。スカ・パンク ではskanking と呼 よ ばれるダンススタイルを広 ひろ めようとした。ハードコアダンス はこれら全 すべ てのスタイルの影響 えいきょう を受 う けて後 のち に開発 かいはつ されたものである。サイコビリー では "wreck" と呼 よ ばれるスタイルが好 この まれる。これは体 からだ をぶつけ合 あ うスラムダンスのようなもので、殴 なぐ り合 あ いをする。
1994年 ねん から2004年 ねん ごろの米 べい 英 えい のパンク雑誌 ざっし の例 れい
パンクは、ビート・ジェネレーション などの反 はん 体制 たいせい 的 てき な文学 ぶんがく からの影響 えいきょう が指摘 してき されている。
パンクからは多数 たすう の詩 し や散文 さんぶん が生 う まれた。パンク雑誌 ざっし (punk zine) と呼 よ ばれるアンダーグラウンドな出版 しゅっぱん 形態 けいたい があり、ニュース、うわさ、文化 ぶんか 的 てき 批評 ひひょう 、インタビューなどが掲載 けいさい される。一部 いちぶ の雑誌 ざっし は個人 こじん 誌 し (perzine) の形式 けいしき である。有名 ゆうめい なパンク雑誌 ざっし としては、Maximum RocknRoll 、Punk Planet 、Cometbus 、Flipside 、Search & Destroy などがある。パンクについて書 か いた小説 しょうせつ 、伝記 でんき 、自伝 じでん 、コミックスなどもある。ロサンゼルスのパンクを描 えが いたコミックスとして『ラブ・アンド・ロケッツ 』が有名 ゆうめい 。
パンク詩人 しじん としては、リチャード・ヘル 、ジム・キャロル 、パティ・スミス 、John Cooper Clarke 、Seething Wells 、Raegan Butcher 、Attila the Stockbroker といった人 ひと たちがいる。The Medway Poets というパフォーマンスグループにはパンク・ミュージシャンでもある Billy Childish が参加 さんか しており、トレイシー・エミン に影響 えいきょう を与 あた えた。ジム・キャロルの自伝 じでん 的 てき 作品 さくひん 群 ぐん は初期 しょき のパンク文学 ぶんがく の好例 こうれい である。パンクというサブカルチャーに触発 しょくはつ され、サイバーパンク やスチームパンク といった文学 ぶんがく ジャンルが生 う まれた。
パンクを題材 だいざい にした映像 えいぞう や映画 えいが もあり、パンク・ロックのミュージック・ビデオ やパンクと関連 かんれん が深 ふか いスケーター・ロックのビデオもよく見受 みう けられる。映画 えいが に関 かか わった有名 ゆうめい なグループとしては、ラモーンズ(Rock 'n' Roll High School )、セックス・ピストルズ(『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル 』)などが挙 あ げられる。他 た に『シド・アンド・ナンシー 』(1986)[21] が有名 ゆうめい で、セックス・ピストルズのベーシストだったシド・ヴィシャス (ゲイリー・オールドマン が演 えん じた)とナンシー・スパンゲン (クロエ・ウェブ が演 えん じた)の物語 ものがたり を描 えが いている。
パンクバンドのドキュメンタリー映画 えいが もよく制作 せいさく されている。代表 だいひょう 的 てき なものとしては、セックス・ピストルズを描 えが いた The Filth and the Fury がある。バンドメンバーや関係 かんけい 者 しゃ (マルコム・マクラーレン 、ヴィヴィアン・ウエストウッド 、ナンシー・スパンゲンら)だけでなく、ビリー・アイドル 、スティング 、若 わか き日 ひ のスージー・スー(スージー・アンド・ザ・バンシーズ のボーカル)などの映像 えいぞう も使 つか っている。クライマックスの1つは、エリザベス2世 せい の即位 そくい 25年 ねん 祝典 しゅくてん でセックス・ピストルズがテムズ川上 かわかみ のはしけの上 うえ で "God Save the Queen" を演奏 えんそう し、その直後 ちょくご に逮捕 たいほ されるシーンである。
No Wave Cinema や Remodernist film といったムーブメントはパンクとの関連 かんれん が深 ふか い。パンクを描 えが いた映画 えいが 監督 かんとく としてはデレク・ジャーマン が有名 ゆうめい である。他 ほか にも、『24アワー・パーティー・ピープル 』はパンクからニュー・ウェイヴ やマッドチェスター へと進化 しんか する音楽 おんがく シーンを描 えが き、Threat はニューヨークのハードコアシーンにおけるストレート・エッジ に焦点 しょうてん を当 あ てている。
ライフスタイルとコミュニティ [ 編集 へんしゅう ]
カリフォルニア州 しゅう バークレーのパンク会場 かいじょう の小 ちい さなステージでバンドが演奏 えんそう しているところ。
上 うえ の会場 かいじょう 付近 ふきん の楽屋 がくや 側 がわ 。グラフィティ で壁 かべ が覆 おお われている。
パンクスには様々 さまざま な職業 しょくぎょう や経済 けいざい 階層 かいそう の人々 ひとびと がいる。ライオット・ガール というムーブメントを除 のぞ けば、そのほとんどは男性 だんせい である。他 た のサブカルチャーと比較 ひかく すると、パンクのイデオロギーは男女 だんじょ 同権 どうけん により近 ちか い[22] 。パンクは概 おおむ ね反 はん 人種 じんしゅ 差別 さべつ 的 てき だが、パンクスのほとんどは白人 はくじん である(少 すく なくとも白人 はくじん が支配 しはい 的 てき な国 くに 以外 いがい ではあまり盛 さか んではない)。パンクの特性 とくせい として薬物 やくぶつ 乱用 らんよう がよく挙 あ げられる。例外 れいがい としてはストレート・エッジ がある。また暴力 ぼうりょく もつきものとされるが、アナクロパンク の流 なが れを汲 く む平和 へいわ 主義 しゅぎ 者 しゃ のように暴力 ぼうりょく 反対 はんたい を唱 とな えるパンクスもいる。
パンクスはローカルな音楽 おんがく シーンを形成 けいせい することが多 おお く、小 ちい さい町 まち では数 すう 十 じゅう 人 にん 、大都市 だいとし では数 すう 千 せん 人 にん 程度 ていど でも成立 せいりつ する[23] 。そのようなローカルなシーンでは、中心 ちゅうしん となるパンクスの小 ちい さいグループがあり、その周囲 しゅうい によりカジュアルな人々 ひとびと が集 あつ まる。典型 てんけい 的 てき なパンクシーンは、パンクと中心 ちゅうしん となるバンド で構成 こうせい される。ファン はコンサートや抗議 こうぎ 集会 しゅうかい や他 た のイベントに参加 さんか し、パンク雑誌 ざっし を出版 しゅっぱん する人 ひと 、バンドの批評 ひひょう 家 か 、ライター、イラストなどを描 えが く美術家 びじゅつか 、コンサートを運営 うんえい する人々 ひとびと 、インディーズ のレーベルなどで働 はたら く人々 ひとびと などが関係 かんけい する[23] 。スコッター がツアー中 ちゅう のバンドに宿 やど を提供 ていきょう するなどのサポートの役割 やくわり を果 は たす場合 ばあい もある。パンクにおいてもインターネット の役割 やくわり は増大 ぞうだい しつつあり、特 とく に仮想 かそう 共同 きょうどう 体 たい の形成 けいせい とファイル共有 きょうゆう ソフト による音楽 おんがく ファイルのやりとりが重要 じゅうよう である。
パンクとハードコアのサブカルチャーでは、シーンの価値 かち や哲学 てつがく への関与 かんよ の真正 しんせい 性 せい (authenticity) で各人 かくじん やシーンそのものを評価 ひょうか する。その尺度 しゃくど は政治 せいじ 思想 しそう (アナクロパンクのスコッター など)からライフスタイル(ストレート・エッジにおける薬物 やくぶつ やアルコールの禁止 きんし )まで様々 さまざま である。パンクのサブカルチャーにおいては、「習慣 しゅうかん 的 てき に自分 じぶん とは違 ちが う何者 なにもの かになりすます人 ひと 」を "poseur " (気取 きど り屋 や )と呼 よ ぶ[24] 。この用語 ようご は、パンクというサブカルチャーの価値 かち や哲学 てつがく を共有 きょうゆう または理解 りかい せずに、単 たん に仲間 なかま として受 う け入 い れられようとしてファッションやしゃべり方 かた を真似 まね している人 ひと を指 さ して使 つか う。
非 ひ 真正 しんせい 性 せい (inauthenticity) だと見破 みやぶ られた人 ひと はメンバーから軽蔑 けいべつ されるが、用語 ようご の定義 ていぎ とそれをどういう人 ひと に適用 てきよう するかは主観 しゅかん 的 てき であり、議論 ぎろん が絶 た えない。例 たと えば Television Personalities というグループの1978年 ねん の曲 きょく "Part-Time Punks" には、パンクになりたいと思 おも った人 ひと は誰 だれ もが poseur であり、パンク・ロックにおける真正 しんせい 性 せい という概念 がいねん は虚構 きょこう だという意味 いみ の歌詞 かし がある。音楽 おんがく 評論 ひょうろん 家 か Dave Rimmer の Like Punk Never Happened という本 ほん では、「ロンドンの最初 さいしょ のパンク少年 しょうねん たちは、味気 あじけ ないロックシーンに確実 かくじつ に楔 くさび を打 う ち込 こ む革命 かくめい を遂行 すいこう することを想像 そうぞう した」と書 か いている。Rimmerはまた、「この言葉 ことば は真正 しんせい 性 せい のムーブメントから外 はず れた人 ひと を軽蔑 けいべつ する表現 ひょうげん であり、"Poseurs" は彼 かれ らが好 す きな悪口 わるぐち だった」と書 か いている[25] 。Ross Buncle は1970年代 ねんだい 末 まつ のオーストラリアのパース でのパンク・ロックの歴史 れきし を書 か き、その中 なか で最終 さいしゅう 的 てき に多数 たすう の poseurs に門戸 もんこ が開 ひら かれ、音楽 おんがく そのものよりイギリスのパンクバンドの服装 ふくそう に惹 ひ かれた人々 ひとびと がシーンに参加 さんか するようになったと主張 しゅちょう している。そして彼 かれ は観衆 かんしゅう の中 なか には型 かた どおりの poseurs は居 い なかったことを賞賛 しょうさん している[26] 。
他 ほか にも poseur という言葉 ことば が使 つか われている曲 きょく がいくつかある。X-Ray Spex の "I am a Poseur"、1980年代 ねんだい 初期 しょき のハードコア・パンク バンド MDC の "Poseur Punk"、カリフォルニアのパンクバンド NOFX の "Decom-poseur" などである。
Drowned in Sound というサイトにある記事 きじ では、1980年代 ねんだい の「ハードコア・パンク こそが真 しん のパンク」だと主張 しゅちょう している。何故 なぜ なら「poseurやファッション狂 きょう が群 むら がってきたことでニューロマンティック などという軟弱 なんじゃく なトレンドが生 う まれてしまった」からであり、パンクシーンは「DIY 精神 せいしん を完全 かんぜん に守 まも る」人々 ひとびと だけでよく、「真 しん のパンク者 しゃ は、勉強 べんきょう して働 はたら いて家庭 かてい を持 も って家 いえ を持 も って退職 たいしょく して死 し ぬなどというシナリオとは無縁 むえん だ」からだという[27] 。
他 た ジャンルとの関係 かんけい [ 編集 へんしゅう ]
ニューヨーク・ドールズ やデヴィッド・ボウイ などのグラムロック は、初期 しょき のパンク・ロックやプロトパンク やグラムパンク に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えた。
パンクとヒップホップ は1970年代 ねんだい 後半 こうはん のニューヨーク でほぼ同 どう 時期 じき に生 う まれており、両者 りょうしゃ は相互 そうご に何 なん らかの影響 えいきょう を与 あた えあった。初期 しょき のヒップホップMCは自身 じしん をパンク・ロッカーと呼 よ び、パンク・ファッション はヒップホップの服装 ふくそう にも見 み られた。マルコム・マクラーレン はイギリス にパンクとヒップホップの両方 りょうほう を紹介 しょうかい する役割 やくわり を担 にな った。ヒップホップはその後 ご もパンクバンドやハードコア バンドに影響 えいきょう を与 あた えており、Biohazard 、The Transplants 、Refused といったバンドがある。
1960年代 ねんだい 末 まつ ごろのスキンヘッド のサブカルチャーは1970年代 ねんだい になるとほぼ消 き えうせていたが、パンク・ロック(特 とく にオイ! )の影響 えいきょう で1970年代 ねんだい 末 まつ ごろに復活 ふっかつ した。逆 ぎゃく に伝統 でんとう 的 てき スキンヘッドが人気 にんき のあるスカ やレゲエ も何人 なんにん かのパンク・ミュージシャンに影響 えいきょう を与 あた えている。パンクスとスキンヘッドの関係 かんけい は、社会 しゃかい 的 てき な状況 じょうきょう 、時期 じき 、場所 ばしょ によって、反目 はんもく しあったり友好 ゆうこう 的 てき だったりしており、一概 いちがい には言 い えない。
パンクとヘヴィメタル のサブカルチャーは、パンクの発祥 はっしょう からやや類似 るいじ 性 せい がある。1970年代 ねんだい 初 はじ め、ヘヴィメタルはプロトパンクに影響 えいきょう を与 あた えた。アリス・クーパー はパンクとメタルの両方 りょうほう に(ファッション、音楽 おんがく の両面 りょうめん で)影響 えいきょう を与 あた えた。デビューアルバムを1977年 ねん にリリースしたモーターヘッド は、その後 ご もパンクにもメタルにも人気 にんき があり、ボーカルのレミー・キルミスター はパンク・ロックのファンだと公言 こうげん している。メタルコア 、グラインドコア 、クロスオーバー・スラッシュ といったジャンルはパンクやヘヴィメタルの影響 えいきょう を強 つよ く受 う けている。NWOBHM はディスチャージ などのパンクバンドに影響 えいきょう を与 あた え、ハードコア・パンクはメタリカ やスレイヤー といったスラッシュメタル バンドに影響 えいきょう を与 あた えた。1990年代 ねんだい 初 はじ めに生 う まれたグランジ というサブカルチャーは、パンクのアンチファッション 的 てき 理想 りそう とヘヴィメタルのギターサウンドの融合 ゆうごう だった。しかし、ハードコア・パンクとグランジは1980年代 ねんだい に人気 にんき となったヘヴィメタルに対 たい する否定 ひてい 的 てき 反応 はんのう として発展 はってん した面 めん もある。
インダストリアル やrivethead というサブカルチャーは、音楽 おんがく 、ファッション、姿勢 しせい といった面 めん でパンクと関係 かんけい がある。
パンク最盛 さいせい 期 き 、パンクスは一般 いっぱん 大衆 たいしゅう や他 た のサブカルチャーから毛嫌 けぎら いされ攻撃 こうげき された。1980年代 ねんだい のイギリスでは、パンクスはテディボーイ 、グリーサー 、バイカー 、モッズ 、他 た のサブカルチャーのメンバーとしばしば小競 こぜ り合 あ いを起 お こした。
1970年代 ねんだい 後半 こうはん 、パンクスはヒッピー ともイデオロギーなどの面 めん で対立 たいりつ していた。しかし、クラス のメンバーペニー・ランボー は元 もと はヒッピーであり、インタビューやエッセイ The Last Of The Hippies の中 なか で、友人 ゆうじん だった Wally Hope を記念 きねん してクラスを結成 けっせい したと述 の べている[28] 。また、クラスは60年代 ねんだい から70年代 ねんだい を通 とお してのヒッピーのムーブメントがクラスに大 おお きく関 かか わっているとしている(Dial House の創設 そうせつ は1967年 ねん )。パンクスの多 おお くは、ヒッピーとの関 かか わりという点 てん でクラスには批判 ひはん 的 てき だった。また、ジェロ・ビアフラ もヒッピーに影響 えいきょう され、イッピー の思想 しそう を信条 しんじょう としている。しかし、彼 かれ の書 か いた歌詞 かし はヒッピーに批判 ひはん 的 てき な内容 ないよう だった。
安全 あんぜん ピンやワッペンを身 み に付 つ けるのは、初期 しょき パンク・ファッションの典型 てんけい 的 てき な例 れい だった。だが、パンク・ファッションはパリコレのファッション・ショーに登場 とうじょう することにより、鋭 するど さや激 はげ しさを失 うしな っていった。また、ボンデージ やSM と見 み られるような皮革 ひかく やゴム やビニール 製 せい の服 ふく を着用 ちゃくよう することもある。
パンクスによっては、細 ほそ いジーンズ、格子縞 こうしじま のズボンやキルト やスカート、T てぃー シャツ 、ロッカージャケット (バンドのロゴ、ピン、ボタン、金属 きんぞく 製 せい の鋲 びょう などで装飾 そうしょく することが多 おお い)、スニーカー、スケートボード 用 よう シューズ、ブーツなどが使用 しよう される場合 ばあい もあった。後年 こうねん のパンクスには見 み る人 ひと にショックを与 あた える目的 もくてき でナチ のハーケンクロイツ を身 み に着 つ ける者 もの もいたが、「多 おお くのパンクスは反 はん 人種 じんしゅ 差別 さべつ 主義 しゅぎ 」であり、ハーケンクロイツを身 み に付 つ けることには抵抗 ていこう があった。髪型 かみがた をモヒカン刈 が り やもっと過激 かげき なものにするパンクスもおり、髪 かみ の毛 け を立 た たせて固 かた め、様々 さまざま な色 いろ をつけたりする。
シチュアシオニスト・インターナショナル
脚注 きゃくちゅう /出典 しゅってん [ 編集 へんしゅう ]
^ http://en.oxforddictionaries.com/definition/punk
^ Marsh, Dave (1971年 ねん 5月 がつ ). “"Will Success Spoil The Fruit?" ”. Creem magazine . 2003年 ねん 6月 がつ 23日 にち 時点 じてん のオリジナル よりアーカイブ。2006年 ねん 11月19日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Moore, Thurston (1996年 ねん ). “"Grabbing Ankles" ”. Bomb Magazine . 2006年 ねん 11月19日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Robb, John (2005年 ねん 11月5日 にち ). “The birth of punk” . The Independent (UK). オリジナル の2006年 ねん 4月 がつ 27日 にち 時点 じてん におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060427073129/http://enjoyment.independent.co.uk/music/features/article324977.ece 2006年 ねん 12月17日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Savage, Jon. England's Dreaming: The Sex Pistols and Punk Rock . Faber and Faber, 1991. ISBN 0-312-28822-0
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