(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ビハール州 - Wikipedia コンテンツにスキップ

ビハールしゅう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビハールしゅう
Bihar
बिहार
インド国内の位置
(インド国内こくない位置いち
基礎きそ情報じょうほう
くに インド
行政ぎょうせい ビハールしゅう
州都しゅうと パトナ(Patna)
面積めんせき 94,164 km2
人口じんこう 2011ねん
 - 合計ごうけい 104,099,452 にん
 - 人口じんこう密度みつど 1,102 にん/km2
時間じかんたい インド標準時ひょうじゅんじ(IST)UTC+5:30
公用こうよう ヒンディーインド英語えいごウルドゥーアンギカボージュプリーマガヒーマイティリー
創立そうりつ 1912ねん
しゅう知事ちじ ラジェンドラ・アルレカール英語えいごばん(Rajendra Arlekar)
しゅう首相しゅしょう ニティーシュ・クマール英語えいごばん(Nitish Kumar)
立法りっぽう機関きかん議席ぎせきすう 二院にいんせい(243+96)
略称りゃくしょうISO IN-BR
しゅう公式こうしき
ウェブサイト
https://state.bihar.gov.in/

ビハールしゅう(ビハールしゅう、英語えいご: Bihārヒンディー: बिहार)は、インド構成こうせいするしゅうひとつ。州都しゅうとパトナ古都ことパータリプトラ)。

歴史れきし

[編集へんしゅう]
ブッダガヤの菩提樹ぼだいじゅ

マガダこく

[編集へんしゅう]

古代こだいさかえたマガダこくは、このビハールしゅうあたりに位置いちしていた。ガウタマ・シッダールタさと境地きょうちいたったブッダガヤがあるように、仏教ぶっきょうまれたでもある。紀元前きげんぜん4世紀せいき成立せいりつしたマウリヤあさパータリプトラげんパトナ)にさだめた。4世紀せいき成立せいりつしたグプタあさでもパータリプトラはとされた。

イスラーム到来とうらい

[編集へんしゅう]

10世紀せいき以降いこうアフガニスタン成立せいりつしたイスラーム王朝おうちょうであるガズナあさは、きたインド侵入しんにゅうかえすことになった。そして、13世紀せいき初頭しょとうにはデリーとしたデリー・スルターンあさ成立せいりつし、こののイスラームすすんでいった。

そのムガル帝国ていこくによる支配しはいけた。

イギリス植民しょくみん

[編集へんしゅう]

1764ねんブクサールのたたかでムガル帝国ていこく勝利しょうりしたイギリスひがしインド会社かいしゃは、1765ねんにアラーハーバード条約じょうやく締結ていけつし、ベンガル地方ちほうディーワーニー行政ぎょうせい徴税ちょうぜいけんDiwani Rights)を獲得かくとくイギリスは、このにも統治とうちけんひろげた。

1912ねんから1936ねんまでオリッサしゅう合併がっぺいしたが、ふたた単独たんどくしゅうとなった。

独立どくりつ

[編集へんしゅう]

2000ねんジャールカンドしゅうがビハールしゅうから分離ぶんりした。

2014ねんジタン・ラム・マンジー(Jitan Ram Manjhi)は9かげつあいだ、ムサハール(Musahar、不可ふかさわみん出身しゅっしんしゃはじめてのしゅう首相しゅしょうとしてビハールしゅう首相しゅしょうつとめた。[1]

地理ちり

[編集へんしゅう]

インド北東ほくとう位置いちする。東部とうぶ西にしベンガルしゅう西部せいぶウッタル・プラデーシュしゅう南部なんぶジャールカンドしゅうしゅうさかいせっし、北部ほくぶネパール国境こっきょうせっする。しゅう中部ちゅうぶ横切よこぎるようにガンガー(ガンジスがわ)がながれている。

地方ちほう行政ぎょうせい区分くぶん

[編集へんしゅう]

経済けいざい

[編集へんしゅう]

ビハールしゅうのGDP(しゅうないそう生産せいさん)は5ちょう9401おくルピー(740おくドル)で、だい14一人ひとりたりしゅうないそう生産せいさんは46,292ルピー(661ドル)でだい33であった(2019-2020ねん)。

産業さんぎょう

[編集へんしゅう]

農業のうぎょう

インドのしゅうなかで、ビハールしゅう野菜やさい生産せいさんりょうだい4果物くだもの生産せいさんりょうだい8である。人口じんこうの80%が農業のうぎょう従事じゅうじしており、これはインドの平均へいきんえている。おも農産物のうさんぶつはライチ、グアバ、マンゴー、パイナップル、ナス、オクラ、カリフラワー、キャベツ、べい小麦こむぎ、サトウキビ、ヒマワリである。良好りょうこう土壌どじょうめぐまれた気候きこう条件じょうけん農業のうぎょう有利ゆうりであるが、洪水こうずい土壌どじょう浸食しんしょくによってさまたげられることもある。しゅう南部なんぶ毎年まいとしかんばつに見舞みまわれ、いねなどの作物さくもつ悪影響あくえいきょうおよんでいる。

住民じゅうみん

[編集へんしゅう]

2011ねん国勢調査こくせいちょうさでは、ビハールしゅうそう人口じんこう1おく4,099,452にんでインドで3番目ばんめ人口じんこうおおしゅうであった。また、インドでもっと人口じんこう密度みつどたかしゅうであり、1平方へいほうキロメートルあたり1,106にんんでいた。2020ねん男女だんじょ男性だんせい1,000にんたり女性じょせい1,090にんであった。年齢ねんれいそうについては、ビハールしゅう人口じんこうやく58%が25さい未満みまんであり、これはインドでもっとたか比率ひりつである。2021ねんのビハールしゅう都市としりつは20%であった。2020ねん成人せいじん識字しきじりつは68.15%(男性だんせい78.5%、女性じょせい57.8%)であった。

民族みんぞく

[編集へんしゅう]

言語げんご

[編集へんしゅう]

ヒンディーしゅう公用こうようであり、2011ねん国勢調査こくせいちょうさによれば、そう人口じんこうの25.54%がはなす。ウルドゥーしゅうないの15地区ちくだい2公用こうようとしてさだめられており、8.42%がはなす。しかし、国民こくみんだい多数たすうビハールのいずれかをはなしている。おもなものは、ボージュプリ(24.86%)、マイティリ(12.55%)、マガヒ(10.87%)。マイティリは、インド憲法けんぽうしたでインドの地域ちいき言語げんごとしてみとめられている。ベンガルスルジャプリはな人々ひとびと小規模しょうきぼなコミュニティが、しゅう一部いちぶとく東部とうぶ都市とし)にられる。

宗教しゅうきょう

[編集へんしゅう]

2011ねん国勢調査こくせいちょうさによると、ビハールしゅう人口じんこうの82.7%がヒンドゥーきょうを、16.9%がイスラムきょう信仰しんこうしている。キリスト教きりすときょう(0.12%)、仏教ぶっきょう(0.02%)、シークきょう(0.02%)は、ビハールしゅうないでは少数しょうすうである。ビハールしゅう人口じんこうのほとんどはインド・アーリアはな民族みんぞくグループにぞくしている。

文化ぶんか

[編集へんしゅう]

観光かんこう

[編集へんしゅう]

その歴史れきしから仏教ぶっきょう関連かんれん史跡しせきおおい。

交通こうつう

[編集へんしゅう]
だい1運河うんがめんしたパトナかわこう(Gai Ghat)

空路くうろ

[編集へんしゅう]

ビハールしゅうには2020ねん時点じてん運用うんようちゅう空港くうこうパトナ英語えいごガヤダルバンガー英語えいごの3ヵ所かしょである。いずれもインド各地かくち主要しゅよう空港くうこう定期ていき便びんむすばれ、しゅうない国際こくさい空港くうこうガヤ空港くうこうのみで、ぶし便びんタイブータンミャンマーから寄港きこうする。

しゅうあいだ道路どうろ

[編集へんしゅう]

しゅうないはししゅうあいだ道路どうろそう延長えんちょう4,006km国道こくどう英語えいごどう5,358kmである。

内水うすいめん航路こうろ

[編集へんしゅう]

いちねんつうじて航行こうこう可能かのうガンジスがわは、かつて広大こうだいヒンドゥスターン平野へいや主要しゅよう水上すいじょう交通こうつうもうであった。古代こだいには舟運しゅううん業者ぎょうしゃが500をかぞえ、海外かいがいとの交易こうえきたずさわった。ガンジスがわはいくつもの大小だいしょう河川かせんまじわり、しゅう南北なんぼくむす交易こうえきとしての役割やくわりたしてきた[2]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ しるしカースト最下さいかそうにさげすまれる社会しゃかい集団しゅうだん「ネズミをべるひと”. AFP通信つうしん. 2020ねん9がつ29にち閲覧えつらん
  2. ^ Yang, Anand A (1998) (英語えいご). Bazaar India: Markets, Society, and the Colonial State in Gangetic Bihar. ISBN 978-0-520-21100-1. https://books.google.com/books?id=D5lQutvzAp4C&q=Bazaar+India 15 October 2009閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]