当時地球の形は完全な球ではなく回転楕円体に近いということまでは分かっていたが、ニュートンの理論から導かれる南北に扁平な楕円体形状(扁球)であるのか、それまでのジャック・カッシーニの理論から導かれる南北に長い形状(長球)であるのかが論争されていた。その問題に決着をつけるために、1736年に赤道近くのペルーと極に近いラップランドに子午線弧長の測量のための観測隊が派遣され、モーペルテュイはラップランド隊の隊長を務めた。帰国後の1738年にLa figure de la terre(『地球の形状』[1])を発表した。
最小作用の原理は1741年の論文"Loi du repos des corps"や1744年の論文"Accord de plusieurs lois naturelles qui avaient paru jusqu’ici incompatibles"に発表された。1751年にザムエル・ケーニッヒが最小作用の原理はすでにゴットフリート・ライプニッツによって1707年に発見されていたという異議を述べて論争になったが、モーペルテュイにプライオリティが認められた。
また生物の進化に関して1752年の著書"Venus physique"や1754年の著書"Systeme de la Nature"で、進化論の先駆けとなる概念を述べたことが記録に残っている。