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ピンク映画えいが

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成人せいじん映画えいがかん入口いりくち岐阜ぎふ柳ケ瀬通やながせどおり 朝日あさひ映画えいが劇場げきじょう 2011ねん、2023ねん現在げんざい現存げんそん

ピンク映画えいが(ピンクえいが)は、日本にっぽんポルノ映画えいがのうち、大手おおて一般いっぱんてきには日本にっぽん映画えいが製作せいさくしゃ連盟れんめい加盟かめいの4~6しゃしてぶ)以外いがい映画えいが製作せいさく会社かいしゃによって製作せいさく配給はいきゅうされた作品さくひんのこと。ただし、このけ(大手おおて作品さくひんをポルノとぶ)が定着ていちゃくしたのは東映とうえいがポルノという呼称こしょう使つかはじめ、さらに日活にっかつロマンポルノ開始かいしされて以降いこうであり、それ以前いぜん特別とくべつ区別くべつされていない。

現在げんざい製作せいさく配給はいきゅう会社かいしゃとしてはしん東宝とうほう映画えいが、オーピー映画えいがきゅう大蔵おおくら映画えいがOkura Pictureより)、しん日本にっぽん映像えいぞう(エクセス・フィルム)がある。このほか製作せいさくのみをおこなっているくにうつがあり、配給はいきゅうしん東宝とうほう映画えいが委託いたくされていたが、近年きんねん作品さくひん他社たしゃ配給はいきゅうしている。映画えいが監督かんとくとしては若松わかまつ孝二こうじ[1]女優じょゆうとしては新高にいたか恵子けいこ香取かとりたまきらがられている。

同性愛どうせいあいものけの映画えいがについては「ゲイけピンク映画えいが」を参照さんしょう。)

概要がいよう

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"ポルノ映画えいが"という呼称こしょう日本にっぽんはじめて使つかって映画えいがつくったのは東映とうえいである。東映とうえい任侠にんきょう映画えいが仕掛しかじん[2][3][4][5] 当時とうじ東映とうえい取締役とりしまりやくだった岡田おかだしげる(のち、同社どうしゃ社長しゃちょう)が、1960年代ねんだい後半こうはんから『大奥おおおく物語ものがたり』(1967ねん)や『徳川とくがわ女系じょけい』(1968ねん)といったエロチシズム路線ろせん映画えいが仕掛しかけていき[6][7][8]、このうち、やはり岡田おかだ企画きかくはじめた"温泉おんせん芸者げいしゃシリーズ"[9][10] だい4さく温泉おんせんみみず芸者げいしゃ』(鈴木すずきのりぶん監督かんとく、1971ねん7がつ3にち公開こうかい)にいて[11] プロデューサーの天尾てんのおかん海外かいがい雑誌ざっしグラビアから"ポルノグラフィ"という言葉ことばつけて[12][13] どうさく主演しゅえんデビューする当時とうじ16さいいけ玲子れいこすため、あれこれ思案しあんし「日本にっぽんはつのポルノ女優じょゆう」というキャッチコピーけた[12][14]今日きょうSEX映像えいぞう代名詞だいめいしとして日本にっぽん定着ていちゃくする"ポルノ"という言葉ことばは、このとき東映とうえいつくった造語ぞうごである[15][16]岡田おかだしげるがポルノ・ピンク映画えいが参入さんにゅうした動機どうきは、当時とうじピンク映画えいがが、表立おもてだって宣伝せんでんもしないのに隆盛りゅうせいきわめて、ソロバンをはじいてみると松竹しょうちく年間ねんかんはいいれよりも総体そうたい上回うわまわることがかったからといわれている[17]日活にっかつ東映とうえいのアイデアを拝借はいしゃくして"日活にっかつロマンポルノ"という言葉ことばつく[16]東映とうえいの『温泉おんせんみみず芸者げいしゃ公開こうかいから4かげつの1971ねん11月20にちに『団地だんちつま 昼下ひるさがりの情事じょうじ』『いろれき大奥おおおく秘話ひわ』を"日活にっかつロマンポルノ"だい1だんとして封切ふうきり「ポルノ映画えいが」という名称めいしょう一気いっき普及ふきゅうした[12]。『網走あばしり番外地ばんがいち』シリーズでNO.1ヒットをしていた石井いしい輝男てるお一般いっぱん映画えいがでも一流いちりゅう監督かんとくたちが演出えんしゅつし、一般いっぱん映画えいがでも主演しゅえんスターである梅宮うめみや辰夫たつお丹波たんば哲郎てつろう吉田よしだ輝雄てるお伊吹いぶき吾郎ごろうらが登場とうじょうする。そこからポルノの女王じょおうわれるいけ玲子れいこ杉本すぎもと美樹みきらがスターとなっていき、フランスポルノの女王じょおうサンドラ・ジュリアンクリスチーナ・リンドバーグらがゲスト出演しゅつえんした。とく初期しょき一部いちぶ作品さくひん豪華ごうか時代じだいげきのセットや衣装いしょう使つかい、日活にっかつのポルノとは桁違けたちがいの大金たいきんとうじていた(1970年代ねんだいにはぎゃく日活にっかつよりもてい予算よさん小品しょうひんえた)。当時とうじ日本にっぽん映画えいがは2本立ほんだてが基本きほんであるため、ヤクザ映画えいが併映へいえいされていた。東映とうえいポルノは、1960年代ねんだい後半こうはんから1970年代ねんだいわりにかけてつくられた。

日活にっかつは1960年代ねんだいなかばにはいると、石原いしはら裕次郎ゆうじろう小林こばやしあさひ人気にんき低下ていか作品さくひんのマンネリのため客足きゃくあしとおのき、後発こうはつのスターも観客かんきゃく動員どういんりょくがなく経営けいえい破綻はたんおちいった。成人せいじん映画えいがなら一般いっぱん映画えいがより1けたすくない制作せいさくでもきゃくりが見込みこめると、1971ねんにポルノせんもん会社かいしゃ転進てんしん日活にっかつロマンポルノ名乗なのった。ポルノをきらった日活にっかつ既存きそんのスターはテレビドラマや他社たしゃ映画えいが仕事しごともとめてめていき、すでしていた映画えいが監督かんとくらについては、この日活にっかつはなれたものおおい。一方いっぽう、それ以外いがいのスタッフについては、日活にっかつのこってそのままロマンポルノの制作せいさく従事じゅうじしたものすくなくない。

日活にっかつロマンポルノは人材じんざい作風さくふうなどからピンク映画えいがをスケールアップしたものがおおい。日活にっかつ配給はいきゅうもうがバックにあるロマンポルノは零細れいさい企業きぎょうつくるピンク映画えいがくらべればすうばい予算よさんめ、日活にっかつしゃゆうのスタジオが利用りようでき、俳優はいゆう監督かんとくなども事実じじつじょう日活にっかつ専属せんぞくおおかったことから、ピンク映画えいがとは様々さまざまめんでカラーがことなっていた。ピンク映画えいが業界ぎょうかいのスターだった女優じょゆう監督かんとくなど優秀ゆうしゅう人材じんざい日活にっかつにヘッドハンティングされることもあり、けっして対等たいとう良好りょうこう関係かんけいとはえなかった。

ただし、3本立ほんだてのうち1ほんにピンク映画えいがって配給はいきゅうする体制たいせいはやくに定着ていちゃく。これ以外いがいにも、1980年代ねんだい後半こうはん以降いこう諸般しょはん事情じじょうからロマンポルノにピンク映画えいが出身しゅっしん監督かんとく次々つぎつぎ進出しんしゅつするようになり、垣根かきねはらわれていった。なお、作品さくひん現在げんざい日活にっかつ著作ちょさくけん所有しょゆうし、ビデオなども日活にっかつマークをつけて発売はつばいされているため、一見いっけんして区別くべつむずかしくなっているものもある。基本きほんてき作品さくひん日活にっかつ撮影さつえいしょ使つかわれず、技術ぎじゅつスタッフもすべて社外しゃがい人間にんげんだったが、通常つうじょうのピンク映画えいがよりは若干じゃっかんおおめの予算よさん外注がいちゅうされるケースがおおかった。ピンク映画えいが監督かんとく日活にっかつ撮影さつえいしょまねかれて買取かいとりではない日活にっかつ映画えいが監督かんとくしたれいもある。

独立どくりつけいピンク映画えいがおも女優じょゆうとしては香取かとりたまき新高にいたか恵子けいこ松井まつい康子やすこ可能かのうかづ夏海なつみ千佳子ちかこ)、扇町おうぎまち京子きょうこ内田うちだ高子たかこ西にし朱実あけみとりこずえもり美沙みさみち加奈子かなこ藤野ふじのひろらんこう寿ことぶきらが活躍かつやくした[18]のち白川しらかわ和子かずこ宮下みやした順子じゅんこたにナオミらもピンク映画えいがのスターとなった。1970年代ねんだい後半こうはんにははら悦子えつこがピンク映画えいがから日活にっかつうつっている。2010年代ねんだいより業界ぎょうかい縮小しゅくしょう徐々じょじょ専業せんぎょうおよび一般いっぱん女優じょゆう起用きようすくなくなっており、わるように主演しゅえんやくにAV女優じょゆう起用きよう目立めだつようになった[19]。これは制作せいさくがわからすればやく抵抗ていこうなくつとめてくれること、すで人気にんきがあり動員どういん見込みこめること[19]、AV女優じょゆうがわからすれば演技えんぎめんちかられたい、外部がいぶ作品さくひん露出ろしゅつやしたいとう理由りゆう合致がっちによる。

おも監督かんとくとしては若松わかまつ孝二こうじ山本やまもとすすむ渡辺わたなべまもる小林こばやしさとる新藤しんどうたかしまもるいと文弘ふみひろ小川おがわ欽也きんや小森こもりしろ湯浅ゆあさなみおとこ南部なんぶ泰三たいぞうらがいた[20]

日本にっぽんでは「ピンク」といういろめいもちいられているが、アメリカでの類似るいじ映画えいがは、フィルムをあお着色ちゃくしょくしていたことから「ブルーフィルム」とばれる。日本にっぽんで「ブルーフィルム」とは、温泉おんせんがいなどでの上映じょうえいかい提供ていきょうされていた8ミリまたは16じゅうろくミリフィルムによる短編たんぺんピンク映画えいが(その多数たすう修正しゅうせい映画えいが)をすことがおおい。

起源きげん歴史れきし

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1950年代ねんだいまでに、浅草あさくさなどの都市とし映画えいがかんなかおおっぴらに上映じょうえいされていたブルーフィルム上映じょうえい禁止きんしとなった[21]。こうした客層きゃくそうのニーズをたすため、また1950年代ねんだいから1960年代ねんだいに、テレビ普及ふきゅうしょくうばわれたニュース映画えいが教育きょういく映画えいが関係かんけいしゃたちが糊口ここうしのぐため、お色気いろけをテーマにした短編たんぺん中篇ちゅうへん映画えいがさかんに制作せいさくされるようになり、これをおなじく衰退すいたいしつつあった小規模しょうきぼなニュース映画えいが専門せんもんかん供給きょうきゅう上映じょうえいされるようになった。新高にいたか恵子けいこ証言しょうげんしているが、初期しょきはピンクとっても下着したぎまでで、むねしりせない文字通もじどおり「お色気いろけ作品さくひんであり、はげしいせい描写びょうしゃにはほどとお代物しろものだった。また、作品さくひんとしてのしつたかくなかった。

しかし、1961ねんしん東宝とうほう倒産とうさんひとつの転機てんきとなった。しん東宝とうほう経営けいえいわれた大蔵おおくらみつぎ大蔵おおくら映画えいが設立せつりつする。1962ねんきょうたて映画えいが製作せいさく大蔵おおくら映画えいが配給はいきゅうの『肉体にくたい市場いちば』が公開こうかいされた。「成人せいじん指定してい」「独立どくりつプロ製作せいさく」「劇映画げきえいが」という3つの要素ようそたした最初さいしょ作品さくひんとして、この『肉体にくたい市場いちば』がピンク映画えいがだい1ごうとされている[22]

鈴木すずき義昭よしあきは1963ねん日本にっぽんのメジャー映画えいが会社かいしゃである東映とうえい製作せいさくした『五番ごばんまちゆうきりろう』と日活にっかつの『にっぽん昆虫こんちゅう』が"ピンク映画えいが"だいいちごうろんじている[23]。『別冊べっさつニュース特報とくほう』1964ねん6がつごう双葉社ふたばしゃ)『氾濫はんらんする映画えいがあたらしいエロチシズム』に「きょうになってエロでたった。最近さいきん傾向けいこうのはしりは『五番ごばんまちゆうきりろう』と『にっぽん昆虫こんちゅう』のふたつだ」とかれているという[23]。このさく作品さくひんてきにもたか評価ひょうかたが[23]興行こうぎょうてき成功せいこうはエロチック・シーンによるところがおおきかった[23]。その成功せいこうをつけた邦画ほうがしゃは、きそいながらエロチシズムりものにした映画えいが量産りょうさんした[23]

このころ、ピンク映画えいがという言葉ことばはなく、「お色気いろけ映画えいが」などともばれていたというが、夕刊ゆうかん内外ないがいタイムス文化ぶんか芸能げいのう記者きしゃで、のち映画えいが評論ひょうろん村井むらいみのる村井むらいみのる)が1963ねんせき孝司たかし監督かんとく沼尻ぬまじり麻奈美まなみ主演しゅえん映画えいがであるくにうつ配給はいきゅうの『情欲じょうよく洞窟どうくつ』を取材しゅざいしたさい、「おピンク映画えいが」とこれらの作品さくひんぐん造語ぞうごつくり、その「お」がはずれてピンク映画えいがという言葉ことば誕生たんじょうしたとわれる[24]

また、しん東宝とうほう関西かんさい支店してん有志ゆうししん東宝とうほう興業こうぎょう現在げんざいしん東宝とうほう映画えいが)を設立せつりつし、大蔵おおくら映画えいがしん東宝とうほう興業こうぎょうのピンク映画えいがかいの2大会たいかいしゃ成立せいりつする。また、一般いっぱん劇映画げきえいが経験けいけんした若松わかまつ孝二こうじなどの監督かんとくやスタッフが、次々つぎつぎとピンク映画えいが参入さんにゅうしてきた。とく若松わかまつは「若松わかまつプロ」を設立せつりつし、ピンク映画えいがうよりは問題もんだいさくわれる作品さくひん発表はっぴょうした。そして1965ねんにピンク映画えいが歴史れきしじょうもっとおおきなニュースがもたらされた。若松わかまつ監督かんとく[1] の『かべなか秘事ひめごと』がベルリン国際こくさい映画えいがさい出品しゅっぴんされたのである。これは1960年代ねんだいという激動げきどう時代じだいには、もはや石原いしはら裕次郎ゆうじろう主演しゅえんのようなエンターテイメントけい凡作ぼんさくではなく、アートけいのラジカルな映画えいがれる用意ようい出来できていたことをしめしていた。

1965ねん映倫えいりん審査しんさ成人せいじん映画えいが233ほんちゅう大手おおて5しゃ東映とうえい東宝とうほう日活にっかつ大映だいえい松竹しょうちく)は17ほんのこりがおおむねピンク映画えいが作品さくひんすう急増きゅうぞう[25]。その一方いっぽう業界ぎょうかい淘汰とうた再編さいへんすすみ、1960年代ねんだい中盤ちゅうばんにはしん東宝とうほう興業こうぎょう大蔵おおくら映画えいがなどは共倒ともだおれをふせぐため全国ぜんこく各地かくち成人せいじんかん一般いっぱん映画えいが同様どうよう、チェーンしていった。1970ねんには日活にっかつロマンポルノの一定いってい成功せいこうもあって、東映とうえいセントラルフィルムひがしかつ事実じじつじょう松竹しょうちくけい)、ミリオンフィルムジョイパックフィルム現在げんざいヒューマックスシネマ)といったメジャーけいのピンク映画えいが製作せいさく会社かいしゃ出現しゅつげんした。1968ねん段階だんかいでピンク専門せんもんかんやく200かん。1970ねんには220かん当時とうじ東映とうえいかん330かんにはおよばないものの、東宝とうほう160かんおおきくき、大映だいえい松竹しょうちく専門せんもんかんにダブルスコアをつける数字すうじとなった[26]。これによりだいろく系統けいとう出現しゅつげんとも報道ほうどうされた[26]

1980年代ねんだい前半ぜんはんはピンク映画えいが最盛さいせいであり、これら制作せいさく会社かいしゃ多数たすう発表はっぴょうする一方いっぽうで、ゲイ・ポルノなども制作せいさく開始かいしされる。しかし、1980年代ねんだい後半こうはんアダルトビデオ市場いちばうばわれ衰退すいたい、さらにピンク映画えいがたいする映画えいが業界ぎょうかいによる自主じしゅ規制きせいなどからメジャーけい制作せいさく会社かいしゃ次々つぎつぎ撤退てったいした。1988ねんのロマンポルノの撤退てったいふくめて、1990年代ねんだいには市場いちば大幅おおはば縮小しゅくしょうした。

21世紀せいきはいり、日本にっぽん映画えいが産業さんぎょうもデジタルすすなか、フィルムによる撮影さつえいアフレコによる録音ろくおんかかわったピンク映画えいがも、唯一ゆいいつたのつな富士ふじフイルム映画えいがようのフィルムの生産せいさん中止ちゅうしけたことにより、現存げんそんするピンク映画えいが製作せいさく会社かいしゃすべてデジタルに移行いこうしている。しかし縮小しゅくしょう市場いちばなかでも存続そんぞく可能かのうせいもとめ、「業種ぎょうしゅとの共同きょうどう出資しゅっし」「一般いっぱんようR15+ばん成人せいじんようR18+ばんの2バージョンをつくる」といったこころみがされている。

表現ひょうげん特徴とくちょう

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ピンク映画えいが文字通もじどおり、せい描写びょうしゃ第一義だいいちぎとする映画えいがである。しかし、『肉体にくたい市場いちば』が制作せいさくされた1960年代ねんだい前半ぜんはんは、女優じょゆう映画えいが乳房ちぶさせるのは御法度ごはっとで、ベッドシーンで男女だんじょこしからめる描写びょうしゃ撮影さつえいできなかった[27]どうさくせい描写びょうしゃ現在げんざい(2022ねん)からするとかなり大人おとなしいものだが、封切ふうぎられた直後ちょくご警視庁けいしちょう公安こうあんから摘発てきはつされた[27]。しかしこの摘発てきはつ結果けっかてき世間せけん話題わだいとなり、さい編集へんしゅうばん肉体にくたい市場いちば』はだいヒットした[27]

初期しょきのピンク映画えいが基本きほんてき全編ぜんぺんモノクロ映像えいぞうだったが、1964ねん小川おがわ欽也きんや監督かんとく作品さくひんわらわ』ではつの“パートカラー”が採用さいようされた[27]シーンになるとカラー映像えいぞうわるというこのパートカラーは、以降いこうピンク映画えいがものとなった[27]

上記じょうきのようにながらくせい描写びょうしゃたいする規制きせいつよかったこと、監督かんとくやスタッフに映画えいが業界ぎょうかい関係かんけいしゃすくなからず存在そんざいすること、大学だいがく映画えいが専門せんもん学校がっこう出身しゅっしん作家さっか監督かんとく脚本きゃくほん)やスタッフ、俳優はいゆうがそもそも映画えいが業界ぎょうかい志望しぼうであって一般いっぱん映画えいがへの憧憬どうけいつよかったことなどから、せい描写びょうしゃ力点りきてんきつつも一般いっぱん映画えいがとしてのしつのぞむこともおおかった。

このため、欧米おうべいのポルノ映画えいがではあまりかえりみられない映画えいがとしての評価ひょうかと、せい描写びょうしゃ女優じょゆう美貌びぼうなどポルノとしてのクオリティが共存きょうぞんする日本にっぽん独特どくとくのものとなった。

ピンク映画えいがてい予算よさんはやりを特徴とくちょうとしており、一般いっぱんてき作品さくひん場合ばあい300まんえん程度ていど予算よさん撮影さつえい期間きかんは3にちほど。したがって、おおくの場合ばあいには2ばん徹夜てつや撮影さつえいをしつづける。かつては専用せんようスタジオをもちいた撮影さつえい一部いちぶおこなわれていたが、一般いっぱんてきにはオールロケが主流しゅりゅうである。かぎられた予算よさん補助ほじょのために、ロケとしてもちいられたホテルや飲食いんしょくてんのクレジットを映画えいが内部ないぶ表示ひょうじするなど、苦心くしんさくもちいられたという。また、この「300まんえん・3にち」という数字すうじは、1960年代ねんだいから物価ぶっか大幅おおはば高騰こうとうした21世紀せいきにまでわっておらず、とくにフィルム使用しよう時代じだい末期まっき現場げんば窮乏きゅうぼうをきわめた。ぎゃくに、初期しょき現場げんばには(制作せいさく会社かいしゃのピンハネにもよるが)余裕よゆうがあるケースも存在そんざいし、1960年代ねんだいまつ業界ぎょうかいりした浜野はまの佐知さち総勢そうぜい30にんちかいロケなども体験たいけんしたことがあるという。

ピンク映画えいが作風さくふう作家さっか影響えいきょうするが、それ以上いじょう影響えいきょうつよいのが会社かいしゃがわ要求ようきゅうである。一般いっぱんてき作家さっかがわ芸術げいじゅつてき映画えいがてき作風さくふうのぞむのにたいし、会社かいしゃがわせい描写びょうしゃなどポルノとしてのクオリティをのぞむことがおおい。このぶつかりいのなか作品さくひんまれるとってよい。

てい予算よさん短期間たんきかんで、作家さっかせいつよ新人しんじんおお起用きようすることからピンク映画えいが一種いっしゅのインディペンデントな作品さくひんおもわれることもあるが、ピンク映画えいがそのものはむしろかつてのプログラムピクチャーほう性格せいかくちかく、このような制限せいげんなか作家さっかがわ独自どくじのカラーをすことになる。またピンク映画えいがは、60ふん前後ぜんこうしゃくに4かいほどののシーンをれるのが一般いっぱんてきだった[27]。この条件じょうけんでストーリーをつくるには、たか演出えんしゅつりょく必要ひつようとされた[27]

この「しばり」は会社かいしゃによってまちまちであり、きびしく条件じょうけん要求ようきゅうアダルトビデオ追随ついずいするような作品さくひんもとめる会社かいしゃもあれば、作家さっかがわ裁量さいりょうおおあたえている鷹揚おうよう会社かいしゃもある。作家さっか主義しゅぎやすいのは当然とうぜん後者こうしゃであり、ミニシアター映画えいがさいにおいて上映じょうえいされて「映画えいが」として評価ひょうかされるのはこのような作品さくひんである。その一方いっぽうで、会社かいしゃ・ピンク映画えいがとくした観客かんきゃく好評こうひょうなのは前者ぜんしゃにおいて制作せいさくされたポルノとしての性格せいかくつよ作品さくひんという場合ばあいもあり、ときとして(ピンク映画えいが興味きょうみつ)一般いっぱん映画えいがファンとピンク映画えいがファンのあいだ評価ひょうかちがいをすことがしばしばある。

しかし、このようなてい予算よさんはやりという制作せいさく形態けいたいはかつてのアメリカBきゅう映画えいが共通きょうつうしており、事実じじつ大手おおて制作せいさく会社かいしゃ一部いちぶ大作たいさくのぞ自社じしゃ制作せいさくから撤退てったいし、社員しゃいん監督かんとくやとわなくなってからはアメリカのBきゅう映画えいががそうであったように、ピンク映画えいが映画えいが監督かんとく養成ようせい機関きかんであると同時どうじ登竜門とうりゅうもんとして重要じゅうよう役割やくわりたしていた。

映画えいがタイトルは監督かんとく脚本きゃくほん意向いこう反映はんえいされず、かりタイトルのまま撮影さつえいおこなわれ、公開こうかい直前ちょくぜん公開こうかいかん配給はいきゅうもと営業えいぎょうセクションでめられることがおお[28]脚本きゃくほんたちばなみつるはちによると「昭和しょうわ以来いらい風習ふうしゅう」である[28]。このためソフト、R-15編集へんしゅうさいどういち作品さくひんながら(表現ひょうげん規制きせいなどもあり)べつタイトルになることもおお[29]

その影響えいきょう

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ピンク映画えいが出身しゅっしんには若松わかまつ孝二こうじのような巨匠きょしょうもいれば、浜野はまの佐知さちのような「作家さっか主義しゅぎ」の監督かんとくもおり、多様たようせい確保かくほされていた。

ポルノ、ピンクのライバルは相変あいかわらずアダルトビデオやアダルトコンテンツなどであり、とくわか観客かんきゃくそううばつづけている。ただ、その一方いっぽう映画えいが作品さくひんとしてしつたかさがさい評価ひょうかされることにより、作家さっかせいたかいピンク映画えいががロマンポルノとともにDVDなどソフトとして復活ふっかつしたりしており、意外いがい底堅そこがたいちめんもある。また、アダルトビデオから人気にんき女優じょゆう進出しんしゅつしてくるケースも(人材じんざい不足ふそく手伝てつだって)1990年代ねんだい以降いこうではさかんになり、そうした作品さくひんでアダルトビデオファンをむこともおおくなっている。大蔵おおくら映画えいが斎藤さいとうごうけいは(AV女優じょゆうがわとしては)「演技えんぎをやってみたいAV女優じょゆうさんはおおい」、制作せいさくがわも「AV女優じょゆうさんの認知にんち影響えいきょうりょくがとてもつよい」と業界ぎょうかい同士どうし相乗そうじょう効果こうかんでいることをかたっている[30]。またAVは各国かっこく事情じじょうから正式せいしきルートでの輸出ゆしゅつ困難こんなん半面はんめん、ピンク映画えいが容易よういであり、『つむぎ』(あおいそら主演しゅえん髙原秀和しゅうわ監督かんとく)などは海外かいがいでの販売はんばい上映じょうえいでもヒットした。

社会しゃかいから怪談かいだん、ホラー、コメディまで作風さくふう多岐たきにわたることを、ピンク映画えいがファンを自認じにんし、監督かんとくさくおおくあるじょうじょう秀夫ひでおは『みずからジャンル映画えいがであることを否定ひていしようとする自虐じぎゃくてき風潮ふうちょうがある特殊とくしゅ存在そんざいゆえに「エロくなくて面白おもしろい」などというカオスな感想かんそうまれたりもする』と記述きじゅつしている[31]

ドイツの配給はいきゅう会社かいしゃ代表だいひょうつとめるステファン・ホールは「欧米おうべいには存在そんざいしないユニークなインディペンデント映画えいが」、「なかには心底しんそこつまらない映画えいがもあります」とひょうしている[32]

上映じょうえいかん

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現状げんじょう

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客層きゃくそうとしては、自宅じたく個室こしつアダルトビデオなどのポルノ作品さくひん鑑賞かんしょうする環境かんきょうつことの出来できない家族かぞくちの中高年ちゅうこうねんしゃ出稼でかせ労働ろうどうしゃ老人ろうじんなどがおもで、過去かこにおいて常連じょうれんだった学生がくせいなどはほとんどられない。とく冬季とうき暖気だんきもとめてやってくる客層きゃくそうは、開館かいかんから閉館へいかんまで居座いすわることがある。企業きぎょうのスケジュール管理かんりゆるやかだった時代じだいには、営業えいぎょうマンセールスマン時間じかん調整ちょうせいのためにることもおおかったという。

しかし近年きんねん上映じょうえいかん相次あいつはいかんシネマコンプレックスへの転身てんしんにより、上映じょうえい制作せいさく機会きかい激減げきげんしている。ピンク映画えいがかん個人こじん経営けいえい場合ばあいおおく、観客かんきゃくげん経営けいえいしゃ高齢こうれい後継こうけいしゃ問題もんだい)、施設しせつ老朽ろうきゅう耐震たいしん基準きじゅんたせず、えも耐震たいしん工事こうじ経済けいざいてき困難こんなんである)などで閉館へいかんする場合ばあいおおい。比較的ひかくてき規模きぼおおきいピンク映画えいがかん運営うんえい会社かいしゃでも、すでにピンク映画えいが集客しゅうきゃくりょくいと判断はんだんし、閉館へいかん一般いっぱん映画えいがかんへの転換てんかんはかっているケースがほとんどである。その一方いっぽうで、製作せいさくがわのデジタル連動れんどうして、フィルム上映じょうえいからDVD上映じょうえいえて上映じょうえいつづけている成人せいじん映画えいがかん存在そんざいする。

オーピー映画えいがではフィルムからデジタルへの移行いこうおそ成人せいじん映画えいがかんのことをまえデジタル移行いこう躊躇ちゅうちょしていたが、2015ねんの『誘惑ゆうわく遊女ゆうじょ〜ソラとシド〜』から完全かんぜんデジタル制作せいさく移行いこう編集へんしゅう作業さぎょう効率こうりつし、一般いっぱん映画えいがかん上映じょうえいよう並行へいこう制作せいさくする「OP PICTURES+」企画きかくんだ[30]

1990ねんひがしかつ撤退てったい以降いこう、ピンク映画えいがながらくオーピー映画えいがしん東宝とうほう映画えいが、エクセスフィルムの3しゃ体制たいせいつづいてきたが、2010年代ねんだいはいってこうしゃ事実じじつじょう新作しんさく提供ていきょう休止きゅうし。2015ねん以降いこうはほぼオーピー映画えいがのみによる年間ねんかん30ほんだい新作しんさくと、旧作きゅうさくさい上映じょうえいによって業界ぎょうかい維持いじされている。2020ねん以降いこうはオーピー映画えいが新作しんさく減少げんしょうし、2023ねん現在げんざいつきに1〜2ほん公開こうかいというペースである。

かつて存在そんざいした上映じょうえいかん

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関連かんれん企業きぎょう

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おおきくわけて、製作せいさく会社かいしゃ配給はいきゅう会社かいしゃ、その両方りょうほうおこな会社かいしゃ分類ぶんるいされる。

現存げんそんする企業きぎょう

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配給はいきゅう会社かいしゃ
  • しん東宝とうほう映画えいが - きゅうしん東宝とうほう興業こうぎょう直接ちょくせつ製作せいさくしているほか、2009ねんまでくにうつ作品さくひん配給はいきゅうおこなっていた。2014ねん以降いこう新作しんさく公開こうかいがなく、事実じじつじょう活動かつどう休止きゅうし状態じょうたいにある。
  • オーピー映画えいが - 大蔵おおくら映画えいが関連かんれん会社かいしゃ直営ちょくえいかんつ。大蔵おおくら映画えいがは70年代ねんだい前半ぜんはんまで撮影さつえいしょっていた。
  • しん日本にっぽん映像えいぞう - ブランドめいはXces Film。
制作せいさくプロダクション

映画えいが会社かいしゃ興行こうぎょう会社かいしゃけい映画えいが監督かんとく個人こじん企業きぎょうちかいものにけられる。代表だいひょうてきなものにとどめてある。

過去かこにピンク映画えいが製作せいさく配給はいきゅうしていた企業きぎょう

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配給はいきゅう会社かいしゃ
過去かこにピンク映画えいが製作せいさくしていたプロダクション

過去かこ存在そんざいした企業きぎょう/事業じぎょうしょ

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関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b https://moviewalker.jp/person/52234/
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外部がいぶリンク

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