フランツ・シュレーカー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランツ・シュレーカー
Franz Schreker
1912ねんごろ
基本きほん情報じょうほう
生誕せいたん (1878-03-23) 1878ねん3月23にち
モナコの旗 モナコ
死没しぼつ (1934-03-21) 1934ねん3月21にち(55さいぼつ
ドイツの旗 ドイツこくベルリン
ジャンル オペラ
職業しょくぎょう 作曲さっきょく指揮しきしゃ

フランツ・シュレーカーFranz Schreker, 1878ねん3月23にち モナコ1934ねん3月21にち ベルリン)は、オーストリア作曲さっきょく指揮しきしゃ

もっぱらオペラ作曲さっきょくであり、「拡張かくちょうされた調しらべせい」という手法しゅほう綜合そうごう芸術げいじゅつという概念がいねん20世紀せいき音楽おんがく表現ひょうげんほうんで、美学びがくてき多様たようせいロマン主義しゅぎ自然しぜん主義しゅぎ象徴しょうちょう主義しゅぎ印象いんしょう主義しゅぎ表現ひょうげん主義しゅぎしんそくぶつ主義しゅぎ)や音色ねいろ実験じっけん特徴とくちょうてき作風さくふうひろげた。

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

ボヘミア出身しゅっしんユダヤじん宮廷きゅうてい写真しゃしんイグナツ・シュレッカー(Ignaz Schrecker)と、シュタイアーマルクしゅう出身しゅっしんカトリック信者しんじゃ貴族きぞくであったエレオノーレ・フォン・クロスマン(Eleonore von Clossmann)との長男ちょうなんとしてまれ、ヨーロッパなか転々てんてんとしたのち父親ちちおや死後しご1888ねんリンツからウィーンうつった。

1892ねん奨学しょうがくきんウィーン音楽おんがくいん進学しんがくし、ジギスムント・バハリヒアルノルト・ロゼー師事しじしてヴァイオリン学習がくしゅうはじめるも[1][2]ロベルト・フックス作曲さっきょく移籍いせきし、ついには1900ねん卒業そつぎょうして作曲さっきょくとしてひとちをたす。

最初さいしょ成功せいこうさくは、弦楽げんがく合奏がっそうのための《間奏かんそうきょくIntermezzo)》作品さくひん8であり、これは1901ねんしん音楽おんがく新聞しんぶんNeue musikalische Press)から賞金しょうきん授与じゅよされている。また、はやくも1895ねんには、デープリングらくとも協会きょうかい(Verein der Musikfreunde Döbling)を創立そうりつして指揮しきしゃとして活動かつどうはじめていた。1907ねんにはフィルハーモニー合唱がっしょうだん結成けっせいして1920ねんまでその指揮しきたり、アレクサンダー・ツェムリンスキーの《詩篇しへんだい23ばん》や、アルノルト・シェーンベルクの《グレのうた》と《には平和へいわ(Friede auf Erden)》を初演しょえんしている。

音楽おんがくいん卒業そつぎょうすう年間ねんかんは、さまざまな仕事しごとをして糊口ここうをしのぐ日々ひびであったが、舞踏ぶとうグレーテ・ヴィーゼンタールとそのいもうとエルザのしょくにより、1908ねんのクンストシャウ(Kunstschau)の杮落としのために、パントマイム皇女おうじょ誕生たんじょうDer Geburtstag der Infantin)》を作曲さっきょくし、芸術げいじゅつてき成長せいちょうがやっと注目ちゅうもくあつめた。この野心作やしんさくがあたったため、シュレーカーはヴィーゼンタール姉妹しまいのために舞踊ぶよう音楽おんがくをさらに手懸てがけ、《ふうDer Wind )》や《ゆるやかなワルツ(Valse lente )》、舞踊ぶようげき《ロココ(Ein Tanzspiel (Rokoko) 》などを作曲さっきょくした。

1912ねんフランクフルトにおいて、1903ねんからとりくんできた歌劇かげきはるかなるひび英語えいごばんドイツばんDer ferne Klang)》が初演しょえんむかえると、シュレーカーの名声めいせいたしかなものとなり、同年どうねんウィーン音楽おんがくいん教授きょうじゅ任命にんめいされた。この突破口とっぱこうは、その10年間ねんかん成功せいこうはじまりをげるものであった。ただし、1913ねん3月15にちにフランクフルトとウィーンで同時どうじ初演しょえんされのちに1まくの「神秘しんぴげき」として改作かいさくされて1915ねんたんに《おもちゃ(Das Spielwerk )》と改題かいだいされ)歌劇かげき《おもちゃとひめくんDas Spielwerk und die Prinzessin )》は、たいして歓迎かんげいされなかったが、ウィーンでは騒動そうどうこし、シュレーカーのをさらにひろめるのにはかろうじて役立やくだった。

だい1世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつによってシュレーカーの成功せいこう中断ちゅうだんされたが、歌劇かげき烙印らくいんされた人々ひとびと英語えいごばんドイツばん》が、1918ねん4がつ25にちにフランクフルトで初演しょえんされると、シュレーカーは当時とうじ最先端さいせんたんくオペラ作曲さっきょくされた。やはりフランクフルトにおいて1920ねん1がつ21にちおこなわれた《たからさが英語えいごばんドイツばん》の世界せかい初演しょえんがシュレーカーの経歴けいれき絶頂ぜっちょうとなった。この2つのオペラの合間あいまに、ウィーン音楽おんがくいん教員きょういんのために作曲さっきょくされた《室内しつない交響曲こうきょうきょく》は、やがてレパートリーにはいり、現在げんざいもっとも頻繁ひんぱん演奏えんそうされるシュレーカー作品さくひんとなった。

シュレーカーは1920ねん3がつベルリン高等こうとう音楽おんがく学校がっこう校長こうちょう任命にんめいされ、1920ねんから1932ねんまで多種たしゅ多様たよう学科がっか多岐たきにわたる音楽おんがく教育きょういくおこなった。主要しゅよう門弟もんていについては別記べっきのとおりである。シュレーカーの名声めいせい影響えいきょうりょくは、ワイマール共和きょうわこく初期しょきすう年間ねんかん頂点ちょうてんむかえ、当時とうじリヒャルト・シュトラウスいでもっと上演じょうえんされるオペラ作曲さっきょく一人ひとりとなった。

1923ねんオットー・クレンペラー指揮しきケルン初演しょえんされた《きょうえるほのおIrrelohe )》が賛否さんぴ両論りょうろんかれ、1928ねんエーリヒ・クライバー指揮しきによる《うたえる悪魔あくまDer singende Teufel )》が失敗しっぱいわるとともに、芸術げいじゅつとしての命運めいうんくだざかむかえた。政界せいかい動向どうこうはんユダヤ主義しゅぎ蔓延まんえんもまたがねとなり、シュレーカーの経歴けいれき終焉しゅうえん近付ちかづきつつあった。《ヘントの鍛冶たんやDer Schmied von Gent )》(1932ねんベルリン)は右翼うよくデモによって妨害ぼうがいされ、《クリストフォルス(Christophorus )》のフライブルク初演しょえん予定よていは、ナチスあつりょくによってキャンセルのた。ついに1932ねん6がつには、ベルリン高等こうとう音楽おんがく学校がっこう校長こうちょうしょくをもうしない、翌年よくねんには芸術げいじゅつアカデミー作曲さっきょく教授きょうじゅしょく解雇かいこされた。1933ねん12月にのう梗塞こうそくわずらったのち翌年よくねん3がつ21にちに、56さい誕生たんじょう目前もくぜん他界たかいした。

作風さくふう[編集へんしゅう]

シュレーカーは、ウィーン音楽おんがくいん卒業そつぎょうすると徐々じょじょブラームス影響えいきょうりょくからはなれ、リヒャルト・ワーグナーやリヒャルト・シュトラウス、ディーリアスドビュッシーなど、多様たよう影響えいきょう折衷せっちゅうして独自どくじ音楽おんがく語法ごほうげていった。基本きほんてき調しらべてき作曲さっきょくであるが、高度こうど半音はんおんかい技法ぎほうふく調ちょう要素ようそわされている。ラヴェルはウィーンを訪問ほうもんしたさいに、ウニヴェルザール出版しゅっぱんしゃでシュレーカーの《室内しつない交響曲こうきょうきょく》の出版しゅっぱんつけ、フランスにかえったといわれている。

また、旋律せんりつせいよりも多彩たさい和音わおん音色ねいろ音響おんきょう重視じゅうしする姿勢しせいは、ポスト・セリエル音楽おんがくによる音響おんきょう作曲さっきょくほう台頭たいとうした1950年代ねんだい終盤しゅうばんに、テオドール・アドルノによりさい評価ひょうかされた[3]

主要しゅよう作品さくひん一覧いちらん[編集へんしゅう]

劇場げきじょう作品さくひん歌劇かげき[編集へんしゅう]

  • 1901–1902: 1じょう歌劇かげきほのおFlammen - 1 Akt
  • 1912: 3まく歌劇かげきはるかなるひび英語えいごばんドイツばん》(1912ねん8がつ18にち、フランクフルト初演しょえんDer ferne Klang - Oper in 3 Aufzügen
  • 1913: プロローグと2まく歌劇かげき《おもちゃと姫君ひめぎみ》(1913ねん3がつ15にち、フランクフルトとウィーンにて同時どうじ初演しょえんDas Spielwerk und die Prinzessin - 2 Akte, Prolog
    • 1915: 《玩具おもちゃ》(《おもちゃと姫君ひめぎみ》の改作かいさくDas Spielwerk
  • 1918: 3まく歌劇かげき烙印らくいんされた人々ひとびと英語えいごばんドイツばん》(1918ねん4がつ25にち、フランクフルト初演しょえんDie Gezeichneten - Oper in 3 Akten
  • 1920: 前奏ぜんそうきょくと4まく歌劇かげきおよび終曲しゅうきょくによる《たからさが英語えいごばんドイツばん》(1920ねん、フランクフルト初演しょえんDer Schatzgräber - Oper mit Vorspiel, 4 Akten, Nachspiel
  • 1924: 《きょうえるほのおIrrelohe
  • 1924–1928: 前奏ぜんそうきょく、2まく3けい歌劇かげき終曲しゅうきょくによる《クリストフォルス、あるいはオペラの幻想げんそうChristophorus oder Die Vision einer Oper - Vorspiel, 2 Akte (3 Bilder), Nachspiel
  • 1927–1928: 《うた悪魔あくまDer singende Teufel
  • 1929–1932: 《ヘントの鍛冶たんやDer Schmied von Gent, UA 29. oktober 1932, Berlin
  • 1933-1934: 《メムノン》(未完みかん前奏ぜんそうきょくのみ、草稿そうこうのまま) Memnon

管弦楽かんげんがくきょく[編集へんしゅう]

  • 1896: 弦楽げんがく合奏がっそうとハープのための《あいうたLiebeslied für Streichorchester und Harfe
  • 1899: 《スケルツォ》Scherzo
  • 1899: 《交響曲こうきょうきょく短調たんちょう作品さくひん1(おわり楽章がくしょう散逸さんいつSymphonie a-moll
  • 1900: 弦楽げんがく合奏がっそうのための《スケルツォ》 Scherzo für Streichorchester
  • 1900: 弦楽げんがく合奏がっそうのための断章だんしょう間奏かんそうきょく》(のちに《ロマンティックな組曲くみきょく》のだい3楽章がくしょう転用てんようIntermezzo - Satz für Streichorchester
  • 1900: 管弦楽かんげんがく伴奏ばんそうつき女声じょせい合唱がっしょうきょく詩篇しへん だい116ばん作品さくひん6 Der 116. Psalm für Frauenchor und Orchester
  • 1902: 管弦楽かんげんがく伴奏ばんそうつき合唱がっしょうきょく白鳥はくちょううた作品さくひん11 Schwanengesang für Chor und Orchester
  • 1902–1903: だいオーケストラとオルガンのための交響こうきょうてき序曲じょきょく《エッケハルト》作品さくひん12 Ekkehard, symphonische Ouvertüre für großes Orchester und Orgel
  • 1903: 《ロマンティックな組曲くみきょく作品さくひん14 Romantische Suite
  • 1904: 《幻想げんそうてき序曲じょきょく作品さくひん15 Phantastische Ouvertüre
  • 1905: オスカー・ワイルド原作げんさく同名どうめい御伽おとぎばなしによる舞踏ぶとう音楽おんがく皇女おうじょ誕生たんじょう》(室内しつないオーケストラばんDer Geburtstag der Infantin, nach dem gleichnamigen Märchen von Oscar Wilde für Kammerorchester
    • 1923: 管弦楽かんげんがく組曲くみきょく皇女おうじょ誕生たんじょう》 Suite für Orchester
    • 1927: 管弦楽かんげんがくのためのパントマイム《スペインのまつり》 Pantomime Spanisches Fest für Orchester
  • 1908: 《祝典しゅくてん円舞曲えんぶきょく円舞曲えんぶきょくふう間奏かんそうきょくFestwalzer und Walzerintermezzo
  • 1908: 《ゆるやかなワルツ》 Valse lente
  • 1908–1909: だいオーケストラのための舞踊ぶよう音楽おんがく《ロココ》 Rokoko - Ein Tanzspiel für großes Orchester
  • 1909: しょうオーケストラのためのパントマイム《ふうDer Wind - Pantomime für kleines Orchester
  • 1909: 《夜曲やきょく》(楽劇がくげき《はるかなるひびき》より) Nachtstück aus der Oper Der ferne Klang
  • 1909: 《ちゅうごえのための5つの歌曲かきょくFünf Gesänge管弦楽かんげんがく配置はいちは1920ねん
  • 1913: 《あるドラマへの前奏ぜんそうきょく》(楽劇がくげき烙印らくいんされた人々ひとびと》より) Vorspiel zu einem Drama (zusammengestellt aus Teilen der Oper Die Gezeichneten)
  • 1916: 《室内しつない交響曲こうきょうきょく》(だい編成へんせいのための《シンフォニエッタ》としても構想こうそうKammersymphonie (auch für größere Besetzung als Sinfonietta)
  • 1918: 交響こうきょうてき間奏かんそうきょく楽劇がくげきたからさがし》より) Symphonisches Zwischenspiel aus der Oper Der Schatzgräber
  • 《2つの抒情じょじょうZwei lyrische Gesänge (ウォルト・ホイットマンの原詩げんしによる、楽器がっき配置はいちは1929ねん
  • 1928: 《室内しつないオーケストラのためのしょう組曲くみきょくKleine Suite für Kammerorchester
  • 1929–1930: 《だいオーケストラのための4つの小品しょうひんVier kleine Stücke für großes Orchester
  • 1932–1933: メロドラマ《インタペルネスのおんなDas Weib des Intaphernes - Melodram
  • 1933: 《あるグランドオペラへの前奏ぜんそうきょく》(未完みかん楽劇がくげき《メムノン》より) Vorspiel zu einer großen Oper (aus der unvollendeten Oper Memnon)

その[編集へんしゅう]

  • 初期しょき合唱がっしょうきょく
  • 初期しょきのピアノきょく
  • リート(やく40てん

門弟もんてい[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Programme notes for a concert of Schreker”. 2007ねん12月20にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ Sonances article about Schreker”. 2009ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ 長木ながき誠司せいじ編著へんちょ作曲さっきょくの20世紀せいきⅰ』音楽之友社おんがくのともしゃ1992ねん、115ぺーじ

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]