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メノン (対話篇) - Wikipedia コンテンツにスキップ

メノン (対話たいわへん)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

メノン』(メノーン、まれ: Mεいぷしろんνにゅーωおめがνにゅーえい: Meno)はプラトン初期しょきまつ対話たいわへんである。副題ふくだいは「とく[1]について」。

『メノン』は執筆しっぴつ時期じきてきにも内容ないようてきにも『ソクラテスの弁明べんめい』や『ラケス』といったプラトンの初期しょき対話たいわへんと『饗宴きょうえん』『国家こっか』などの中期ちゅうき対話たいわへん結節けっせつてんたる位置いちめており、初期しょき対話たいわへんてき特徴とくちょうゆうしつつも中期ちゅうき対話たいわへんでよりくわしく洗練せんれんされたかたちかたられるアイディア――想起そうきせつ、「真理しんり知識ちしき)」[2]と「おもいなし(思惑おもわく臆見おっけん)」[3]区別くべつ仮設かせつほうなど――が荒削あらけずりではあるがべられている。

みじかいながらも簡潔かんけつ明瞭めいりょうにまとめられたその内容ないようから、「プラトン哲学てつがく最良さいりょう入門にゅうもんしょ」として評価ひょうかたか[4]

構成こうせい

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登場とうじょう人物じんぶつ

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時代じだい場面ばめん設定せってい

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紀元前きげんぜん402ねん初頭しょとう[5]アテナイ某所ぼうしょ。メノンがソクラテスに、とくひとおしえられるものかたずねるところからはなしはじまる。

ソクラテスは、かれがそうしたいをするのはテッタリア地方ちほうおもむいて多大ただい影響えいきょうあたえているゴルギアス影響えいきょうだと推察すいさつしつつ、自分じぶんおしえる云々うんぬん以前いぜんに、そもそもとくなにであるかすららないし、っているひとったこともないとう。こうしてソクラテスとメノンのとくにまつわる問答もんどう開始かいしされる。

途中とちゅう、メノンの召使めしつかい幾何きかがくいにこたえてもらったり、アニュトスが対話たいわくわわる(しばらくしておこって沈黙ちんもく)などしながら、ソクラテスがメノンとの問答もんどうえ、そこをるまでがえがかれる。

特徴とくちょう補足ほそく

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パイドン』において、ほんへん想起そうきせつ証明しょうめい要約ようやくてきかえられている(73A-B)。

また、アリストテレスは、その著作ちょさくオルガノンないで、ほんへんを2かい名指なざしで言及げんきゅうしている[6]

内容ないよう

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対話たいわはメノンがソクラテスにたいして「とくおしえられうるのか」とうことからはじまる。それをソクラテスはそれがなにであるかをらなければそれがどういうものであるかをることはできないとして「とくとはなにか」といういに主題しゅだい転換てんかんさせ、メノンにそのこたえもとめる。

メノンはいくつかのこたえ提出ていしゅつするも、いずれもソクラテスに否定ひていされ、くるまぎれのうちにらないものを探求たんきゅうすることはできないというのちに「探求たんきゅうのパラドックス」とばれるパラドックス『探求たんきゅう対象たいしょうなにであるかをっていなければ探求たんきゅうはできない(さもなくばそれはかお名前なまえらないひとさがすようなものである)。しかし、それをっているならばすでこたえはているので探求たんきゅう必要ひつようはない』を提出ていしゅつする。それにたいしてソクラテスは想起そうきせつを以ってそれにこたえ、メノンにふたた探求たんきゅうをするようすすめる。

しかし、メノンはふたた当初とうしょの「とくおしえられうるのか」といういにかえり、ソクラテスにその回答かいとうもとめる。それにたいしてソクラテスは(不本意ふほんいながらも)仮設かせつほうを以ってこたえようとする。いわく、とくとは知識ちしきであり、知識ちしきただしさ(ぜん)であり、知識ちしきとはおしえられうるものであるからしてとくおしえられうる。

ところがその直後ちょくごソクラテスはこの結論けつろん疑義ぎぎもうて、その破壊はかいりかかる。いわく、とくおしえるとしょうするソフィストテミストクレスアリステイデスペリクレスといっただたる政治せいじれい有徳うとく政治せいじなどですらとくおしえることができず、とくおしえうるものはいない。ゆえにとくおしえられえない。また、道案内みちあんないれいにとり、そのみちらなくても適当てきとう見当けんとうをつければ目的もくてきけることから、ひとまさしくみちびくのはただしさだけではなく、おもいなしもそれが可能かのうであるから、ただしさすなわ知識ちしきではなくなり、とくただしさでもなくなる。

そこでソクラテスは有徳うとくひとっていて有徳うとくなのではなく、どの意味いみかれらはいわばかみがかりの巫女ふじょなどとおなじであるので、とくかみによってあたえられるものであると結論けつろんける。しかし、これはとく内容ないよう本質ほんしつにまでんだ回答かいとうにはなっておらず、実質じっしつとくとはなにであるか」といういにたいする回答かいとう失敗しっぱいわっている。

原典げんてんにはしょう区分くぶんいが、慣用かんようてきには42のしょうけられている[7]以下いか、それをもとに、かくしょう概要がいようしるす。

導入どうにゅう

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  • 1. メノンは、ソクラテスに「とく」はおしえられるかう。ソクラテスは、乗馬じょうば金持かねもちで有名ゆうめいだったテッタリアひとをそんなふうにしてしまったのはゴルギアスかとからかいつつ、ここアテナイでは事情じじょうぎゃくで、そんなことかれてもみな、「そもそも「とく」がなにかすららない」とこたえるだろうとべる。
  • 2. ソクラテスは、それは自分じぶんおなじで、自分じぶんは「とく」がなにかをらないうえに、それをってるものったこともいとべる。メノンは、ゴルギアスがアテナイにときわなかったのかとう。ソクラテスは、ったけれども物覚ものおぼえがわるくておもせないので、メノンにおもさせてほしいとう。

メノンとの問答もんどう1

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とく」の定義ていぎ1

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  • 3. メノンは、おとこの「とく」は「国事こくじ処理しょりする能力のうりょく」であり、おんなの「とく」は「おっとへの服従ふくじゅう家事かじ」であり、その子供こども年配ねんぱい自由じゆうじん召使めしつかい、それぞれに「とく」があるとべる。ソクラテスは、それらに共通きょうつうする「とく」の定義ていぎきたいとべる。
  • 4. ソクラテスは、再度さいど、「とく」の単一たんいつそう本質ほんしつ)の定義ていぎについて、解説かいせつ
  • 5. メノンは、それをけて、「とく」とは「人々ひとびと支配しはいする能力のうりょくつこと」だとべる。ソクラテスは、召使めしつかい主人しゅじん支配しはいするのはおかしいと指摘してき。メノンも、同意どういする。ソクラテスは、その定義ていぎに「まさしく」をくわえるべきかう。メノンは、「正義まさよし」は「とく」なのだからくわえるべきだと同意どういする。ソクラテスは、それは「とく」か「とく一部いちぶ」かう、「円形えんけい」が「かたち一部いちぶ」であるように。というのも、ほかにも様々さまざまな「かたち」があるからだと。メノンは、たしかに「とく」にも色々いろいろあるとべる。ソクラテスは、げてみるようたのむ。メノンは、「勇気ゆうき」「節制せっせい」「智恵ちえ」「度量どりょうおおきさとうげる。ソクラテスは、再度さいど我々われわれおおくの「とく」をつけしてしまったと指摘してき
  • 6. ソクラテスは、「自分じぶんたちもとめているもの」は、そうした様々さまざまなものを列挙れっきょするさいに、「念頭ねんとうにおいているとうのもの」であることを、「かたち」と「円形えんけい」「直線ちょくせんがたとうれい指摘してき

かたち/いろ」の定義ていぎ

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  • 7. ソクラテスは、「かたち」をれいに、共通きょうつう同一どういつ定義ていぎ要求ようきゅうためしに、「かたち」とは「いろ随伴ずいはんしているもの」というれいげてみる。メノンは、それでは不明瞭ふめいりょうかたりである「いろ」のさい定義ていぎ必要ひつようになるので、あいだけた定義ていぎだと指摘してき
  • 8. ソクラテスは、ソフィストであれば先程さきほど定義ていぎでもいいだろうが、自分じぶんたち問答もんどうほうをやっているのだから、合意ごうい確認かくにんながらはなしすすめていこうと前置まえおきし、「わり」「限界げんかい」「はし」「平面へいめん」「立体りったい」などを確認かくにんしつつ、「立体りったいがそこでかぎられるもの」「立体りったい限界げんかい」という定義ていぎ提示ていじ
  • 9. メノンに「いろ」の場合ばあいはどうなるかをわれ、ソクラテスは、エンペドクレスの「感覚かんかく外物がいぶつから流出りゅうしゅつした微粒子びりゅうし感覚かんかく器官きかんあなからはいってしょうずる」というせついにしつつ、「いろ」とは「そのおおきさが視覚しかく適合てきごうして感覚かんかくされるところの、かたちから発出はっしゅつされる流出りゅうしゅつぶつである」という定義ていぎ提示ていじする。メノンは、しょうさんする。ソクラテスは、今回こんかい定義ていぎはものものしいので、メノンはっているかもしれないが、自分じぶんまえ定義ていぎほうすぐれているとおもうとべる。

とく」の定義ていぎ2

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  • 10. メノンは、「とく」の定義ていぎとして「うつくしいものを欲求よっきゅうして、これを獲得かくとくする能力のうりょくがあること」を提示ていじ。ソクラテスは、「うつくしいもの」は「いもの」であるが、その反対はんたいの「わるいもの」を、みずかのぞものなどいないこと(だれもがみな自分じぶんなりに「うつくしいもの/いもの」を欲求よっきゅうしているのであり、無知むちゆえにそれが結果けっかとして「わるいもの」であったりするだけ)を指摘してき
  • 11. ソクラテスは、さき定義ていぎの「欲求よっきゅうして」の部分ぶぶんくずれたので、のこりの「いものを獲得かくとくする能力のうりょく」を考察こうさつ。「いもの」として、健康けんこうとみきむぎん名誉めいよ官職かんしょくなどを2人ふたり例示れいじしていくが、ソクラテスはそれらが「不正ふせいに」獲得かくとくされたなら「とく」とはえないので、「まさしく、敬虔けいけん」という条件じょうけん定義ていぎにつける必要ひつよう指摘してき。メノンも、同意どういする。さらにソクラテスは、「ただしくない」場合ばあいに、きむぎんなどの「いもの」を「獲得かくとくしないこと」も「とく」でありるし、結局けっきょくのところ、「正義まさよし」「節制せっせい」「敬虔けいけん」などがくわわらないと、その定義ていぎりたないことを指摘してき。メノンも、同意どういする。
  • 12. ソクラテスは、結局けっきょく相変あいかわらず「とく」をきざんでその「部分ぶぶん」を提示ていじしているだけだと指摘してき。メノンも、同意どういする。

まり

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  • 13. メノンは、他人たにんんでまらせるソクラテスの性質せいしつを「シビレエイ」にたとえてからかう。ソクラテスは、「シビレエイ」は自分じぶんでしびれることはいが、自分じぶん場合ばあいは、他人たにんまえに、まずなによりも自分じぶん自身じしんみち見失みうしなってまっているのだと、ちがいを指摘してき
  • 14. メノンは、ソクラテスが対象たいしょうまったらないのであれば、それをどうやって、どういう目処めどもとで、探求たんきゅうするのか、また、かりにそれを獲得かくとくできたとして、どうやってそれを確認かくにんするのかう。ソクラテスは、それは論争ろんそうたちがよく議論ぎろん、「人間にんげんは、っているものも、らないものも、探求たんきゅうすることはできない」というはなし一緒いっしょだと指摘してき。メノンは、それはよくできた議論ぎろんだとおもわないかう。ソクラテスは、否定ひていしつつ、「不死ふしたましい」のはなしはじめる。

たましい不死ふし」と「想起そうきせつ

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  • 15. ソクラテスは、たましい不死ふしであり、その輪廻りんね過程かていで、あのこののあらゆるものをすでまなんできているのだから、それをおもこすことができるのは、なに不思議ふしぎなことではない、ひとが「探求たんきゅうする」とか「まなぶ」とかんでいるものは、じつすべて「想起そうきする」ことにならないとべる(想起そうきせつ)。さらに、先程さきほど論争ろんそうこのみの議論ぎろん我々われわれ怠惰たいだにするのでしんじてはいけないし、こちらの「想起そうきせつ」は我々われわれ探求たんきゅう鼓舞こぶするのでこちらをしんじるとべる。メノンは、「想起そうき」の意味いみたずねる。ソクラテスは、メノンの従者じゅうしゃ使つかって証明しょうめいしようとべる。メノンは、従者じゅうしゃなかから1人ひとり召使めしつかいえらぶ。

幾何きかがくほどき」をつうじた証明しょうめい

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  • 16.
    「4平方へいほうプース正方形せいほうけい
    →「16平方へいほうプース正方形せいほうけい
    →「9平方へいほうプース正方形せいほうけい
    →「8平方へいほうプース正方形せいほうけい
    ソクラテスは、召使めしつかいに「正方形せいほうけい」をいてせ、それを縦横じゅうおうせんき、「よん等分とうぶん」する。もとの「正方形せいほうけい」の一辺いっぺんを2プース(pous)[8]とすると、よん等分とうぶんされた「ちいさな正方形せいほうけい」のいちへんは1プースであり、その面積めんせきは1平方へいほうプースとなる。「ちいさな正方形せいほうけい」を2つわせると、その面積めんせきは2平方へいほうプース。もとの「正方形せいほうけい」は、「ちいさな正方形せいほうけい」4つからるので、さきばい(2の2ばい)であることを確認かくにんしつつ、ソクラテスはその「正方形せいほうけい」の面積めんせきたずね、召使めしつかいは4平方へいほうプースとこたえる。ソクラテスは、つぎもとの「正方形せいほうけい」の「2ばい面積めんせき」をつ「2ばい正方形せいほうけい」を想像そうぞうしてもらう。その面積めんせきわれ、召使めしつかいは8平方へいほうプースとこたえる。ソクラテスは、それではその「2ばい正方形せいほうけい」のいちへんながはどれくらいかをう。召使めしつかいは(面積めんせきが2ばいなのだからおなじように)もとの「正方形せいほうけい」のいちへん(2プース)の2ばいだとこたえる。ソクラテスは、メノンにいま召使めしつかいは「面積めんせきが2ばい正方形せいほうけいは、2ばいあたりからできる」とおもんでいる状態じょうたいだと指摘してき
  • 17. ソクラテスは、実際じっさい縦横じゅうおう2ばいあたりつ「だい正方形せいほうけい」をいてせ、そこにはもとの「正方形せいほうけい」が4つはいること、すなわち、2ばいあたりからは4ばい面積めんせき図形ずけいができることを指摘してき、その面積めんせきは4平方へいほうプースの4ばいで16平方へいほうプースだと確認かくにんする。召使めしつかい同意どういする。ソクラテスは、あらためて面積めんせきが8平方へいほうプースである「2ばい正方形せいほうけい」のいちへんながさをう。ソクラテスは、「2ばい正方形せいほうけい」が、もとの「正方形せいほうけい」の2ばいであると同時どうじに、いまいた「だい正方形せいほうけい」の半分はんぶんおおきさであることを指摘してき召使めしつかい同意どういする。ソクラテスは、もとの「正方形せいほうけい」のいちへんは2プースであり、「だい正方形せいほうけい」のいちへんは4プースなので、「2ばい正方形せいほうけい」のいちへんながさはそのあいだにあると指摘してき召使めしつかい同意どういする。そのながさをたずねられ、召使めしつかいは3プースとこたえる。ソクラテスは、実際じっさいいちへん3プースのくわえてせ、その面積めんせきう。召使めしつかいは9平方へいほうプースとこたえる。ソクラテスは、「2ばい正方形せいほうけい」の面積めんせきが8平方へいほうプースであることを確認かくにんしつつ、あらためてそのいちへんながさをう。召使めしつかいからないとこたえる。
  • 18. ソクラテスは、メノンにいま召使めしつかい先程さきほどの「おもみ」状態じょうたいから、「まり(アポリア)の自覚じかく」(無知むち)にまで前進ぜんしんしたと指摘してき。そして、「しびれさせること」(上記じょうき13)は真相しんそう発見はっけん一助いちじょとなることを指摘してき。メノンも、同意どういする。
  • 19. ソクラテスは、「だい正方形せいほうけいないにある4つのもとの「正方形せいほうけいぐんのそれぞれに、それらを半分はんぶんにする「対角線たいかくせん」をき、正方形せいほうけいつくる。面積めんせきが4平方へいほうプースであるもとの「正方形せいほうけい」を半分はんぶんにしたものが4つあるので、2×4=8平方へいほうプースの「2ばい正方形せいほうけい」がようやくつくられたことを、召使めしつかい確認かくにんする。
  • 20. ソクラテスは、いま一連いちれんのやりりによって、召使めしつかいらなかったはずの事柄ことがらたいし、かれなか様々さまざまな「おもいなし」(思惑おもわく)がしょうじ、かえたずねられることでそれが明確めいかくしていったことを指摘してき。メノンも、同意どういする。ソクラテスは、それは「自分じぶんなかにあった知識ちしきし、把握はあくなおすこと」であり、「想起そうきする」ということではないかと指摘してき。メノンも、同意どういする。ソクラテスは、召使めしつかいはこれまで幾何きかおそわったことがあるのかう。メノンは、否定ひていする。
  • 21. ソクラテスは、召使めしつかいが「現世げんせい」でそれをまなんでないとすると、「前世ぜんせい以前いぜんまなんだことになると指摘してき。メノンも、同意どういする。ソクラテスは、したがってたましい不死ふしであり、すべてをっているのであり、らないとおもっているようなことでも、それをはげまし、探求たんきゅうし、想起そうきできるようにつとめるべきではないかと指摘してき。メノンは、なるほどと感心かんしんする。ソクラテスは、このせつもっ様々さまざまなことを確信かくしんてき断言だんげんしようとはおもわないが、ひとなにかをらない場合ばあいに、こうしてそれを探求たんきゅうしなければならないとおもほうが、勇気ゆうきづけられ、なましんくなり、よりすぐれたものになるのではないかと指摘してき。メノンも、同意どういする。

メノンとの問答もんどう2

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仮設かせつほう

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  • 22. ソクラテスは、それでは「とくとはなにか」の探求たんきゅうもどろうと提案ていあん。しかしメノンは、それよりも当初とうしょたずねていた「とくおしえられるのか」(それともまれつきか)についての、ソクラテスの意見いけんかせてしいとべる。ソクラテスは、それをれ、どうやら自分じぶんたちは「なにであるか」すらわかってないものにたいして、それが「どのような性質せいしつであるか」を考察こうさつしなければならないらしいと、自嘲じちょうする。
    ソクラテスは、これを考察こうさつするにあたって、正誤せいご判明はんめいなままの結論けつろん前提ぜんていさき設定せってい仮設かせつ)し、そこからさかのぼって条件じょうけんうように議論ぎろんしぼんでいく手法しゅほうるよう提案ていあん
仮設かせつ1「とくおしえられる/知識ちしき
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  • 23. ソクラテスは、「とくおしえられる」と(仮定かてい/仮設かせつ)して、それは「どのような性質せいしつ」か、から議論ぎろんはじめる。ソクラテスは、おしえられるとすれば、「とく」は「知識ちしき」ではないかと指摘してき。メノンも、同意どういする。ソクラテスは、これで「とくが「知識ちしき」の一種いっしゅであれば、おしえられるし、「知識ちしき」でなければ、おしえられない」というだいいち段階だんかい片付かたづいたと指摘してき。メノンも、同意どういする。
仮設かせつ2「とく(知識ちしき)はいもの(ぜん)/有益ゆうえき
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ソクラテスは、それではつぎに「とくは「知識ちしき」か」をかんがえなければならないと指摘してき。メノンも、同意どういする。ソクラテスは、「とく」は「いもの(ぜん」と仮設かせつし、「「知識ちしき」とはべつの「ぜん」があれば、「とく」は「知識ちしき」ではないし、すべての「ぜん」が「知識ちしき」に包括ほうかつされるなら、「とく」は「知識ちしき」である」と推定すいていできると指摘してき。メノンも、同意どういする。
ソクラテスは、「人間にんげん」は「とく」ゆえにそうであるし、また同時どうじに、「人間にんげん」は「有益ゆうえき」な人間にんげんでもあるので、「とく」は「有益ゆうえき」だと指摘してき。メノンも、同意どういする。
  • 24. ソクラテスは、「有益ゆうえき」のれいとして、健康けんこうつよさ、うつくしさ、とみなどをげる。メノンも、同意どういする。ソクラテスは、しかしこれらはときには「有害ゆうがい」でもあると指摘してき。メノンも、同意どういする。
    ソクラテスは、それではそれらは「ただしい使用しよう」である場合ばあいには「有益ゆうえき」になり、そうでない場合ばあいは「有害ゆうがい」になるのではないかと指摘してき。メノンも、同意どういする。
    ソクラテスは、つづいて「たましい」における「有益ゆうえき」のれいとして、「節制せっせい」「正義まさよし」「勇気ゆうき」「物分ものわかりのさ」「記憶きおくりょく」「度量どりょうおおきさ」とうげ、これらも「知識ちしき」「知性ちせい」をともな場合ばあいには「有益ゆうえき」となり、そうでない場合ばあいは「有害ゆうがい」になると指摘してき。メノンも、同意どういする。
    ソクラテスは、したがって「とく」が「有益ゆうえき」なものであるならば、「とく」は「」でなければならないと指摘してき。メノンも、同意どういする。
  • 25. ソクラテスは、さらさきげた「とみ」のるいも、「」にみちびかれたたましいよって「有益ゆうえき」になるし、そうでなければ「有害ゆうがい」ともなると指摘してき。メノンも、同意どういする。ソクラテスは、したがって人間にんげんにとっての一切いっさいの「いもの」は「たましい」に、そしてその「」に依存いぞんするのであり、「とくは「」ということになると指摘してき。メノンも、同意どういする。
    ソクラテスは、したがって「すぐれた人物じんぶつ」というのも、「まれつきではない」ということになると指摘してき。メノンも、同意どういする。

アニュトスとの問答もんどう

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とく教師きょうし」について1

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  • 26. ソクラテスは、しかしいまだに「とくが「知識ちしき」である」ことにたいする疑念ぎねんぬぐえないとう。というのも、「とく」が「知識ちしき」であり、おしえることができるのであれば、それをおしえる教師きょうしがいるはずだが、自分じぶんはまだそれに出会であったことがからだと。そこにちょうどアニュトスがやってたので、素性すじょうく、アテナイで重要じゅうよう官職かんしょくになってもいるかれに、ソクラテスは「とく教師きょうし」についてたずねてみることにする。
  • 27. ソクラテスは、たとえば医術いじゅつくつづくり、ふえじゅつなど、なにかをおそわろうとおもったら、その専門せんもんのところで報酬ほうしゅうはらっておそわるのが当然とうぜんではないかと指摘してき。アニュトスも、同意どういする。
  • 28. ソクラテスは、では「とく」をまなぶには、ソフィストいたるのところへくべきかう。アニュトスは、激昂げっこうして否定ひてい連中れんちゅうのところへけば害悪がいあくけて堕落だらくすると。
  • 29. ソクラテスは、しかしプロタゴラスは40ねん以上いじょうもソフィストをやって大金たいきんかせいでいたし、現在げんざいでも様々さまざまなソフィストたち活躍かつやくしている、もしかれらの看板かんばんいつわりありなら、そんなにながかくとおせるものかと疑問ぎもんていす。さらに、もしかれらがそのような「偽物にせもの」なら、かれらは青年せいねんたち自覚じかくてきあざむいているのだろうか、それとも本人ほんにんたち無自覚むじかくなままそれをおこなっているほどくるっているのかう。
  • 30. アニュトスは、ソフィストたちくるっているわけではなく、くるっているのはむしろ青年せいねんたちほうであり、もっとくるっているのはそれを許容きょようするかれらの身内みうち、そしてもっとくるっているのがそれらを排除はいじょしない国家こっかだとこたえる。ソクラテスは、アニュトスはどうしてそんなにソフィストたち毛嫌けぎらいするのかう。かれらのうちだれかがアニュトスに悪事あくじはたらいたのかと。アニュトスは、かれらのだれともったことがないが、かれらがどんな人間にんげんかはっているとべる。ソクラテスは、それではだれのところにけば、とくおしえてもらえるのかう。アニュトスは、アテナイじんで「ひとかどの立派りっぱ人物じんぶつ」ならだれでもすぐれた人間にんげんにしてくれるとこたえる。
  • 31. ソクラテスは、その「ひとかどの立派りっぱ人物じんぶつたちは、だれにもまなばずにそうなったのかう。アニュトスは、かれらも「ひとかどの立派りっぱ人物じんぶつ」であった先人せんじんたちまなんだのだとこたえる。ソクラテスは、そんな現在げんざいおよ過去かこすぐれた人物じんぶつたちは、「自分じぶん徳性とくせい他者たしゃおしえる」ことにかけてもすぐれている(いた)のかう。
  • 32. ソクラテスは、テミストクレスれいし、かれ息子むすこのクレオンパントスに熱心ねっしん教師きょうしあたえ、教育きょういくほどこしたが、父親ちちおやほどすぐれた人物じんぶつになったというはなしは、いたことがないと指摘してき、それではテミストクレスは自分じぶんっている肝心かんじん知恵ちえだけは息子むすこおしえるがなかったのかう。アニュトスは、ありないと否定ひていする。
  • 33. ソクラテスは、つぎアリステイデスAristides[9]れいし、息子むすこリュシマコス[10]おなじようにすぐれた人物じんぶつにできなかったことを指摘してきさらに、ペリクレスとその2人ふたり息子むすこたちパラロス、クサンティッポスについても指摘してきさらに、トゥキュディデス[11]とその2人ふたり息子むすこたちメレシアス[10]、ステパノスについても言及げんきゅう
  • 34. ソクラテスは、以上いじょうのように、本人ほんにん徳性とくせいがあり、教育きょういく熱心ねっしんで、かねもコネも十分じゅうぶんであるのにもかかわらず、だれ一人ひとりとして息子むすこたち自分じぶんおなじように仕上しあげることができなかったということは、「とくおしえることができない」ということなのではないかと指摘してき。アニュトスは、人々ひとびとのことを軽々かるがるしくわるってはいけないと憤慨ふんがい、このくに(アテナイ)ではとく他人たにんがいくわえるのは容易よういなのだから、くちわざわいのもとにならぬようをつけることをソクラテスに忠告ちゅうこくしつつ、いかりでだまむ。

メノンとの問答もんどう3

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とく教師きょうし」について2

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  • 35. ソクラテスは、アニュトスはソクラテスがかれらの悪口わるぐちっているとおもんでいるとメノンにべる。アニュトスが「わるう」の意味いみさとときれば、おこるのをやめるだろうと。
    ソクラテスは、わりにメノンにかれくにすぐれた人物じんぶつたちは、「とく」をおしえられるとい、その教師きょうしやくけているかう。メノンは、かれらはときには「とく」をおしえられるとうし、あるときはそうでないとうと、べる。ソクラテスは、ではそんな意見いけん一致いっちしない人々ひとびとを「とく」の教師きょうしえるかう。メノンは、否定ひていする。ソクラテスは、それではソフィストたちはどうがう、「とく」をおしえると公言こうげんするかれらは、本当ほんとうに「とく」の教師きょうしだとおもうかう。メノンは、すくなくともゴルギアスは、「ひと弁論べんろんひいでたものにする」とっているだけで、「とく」をおしえるなどとはっていないし、のソフィストがそれを約束やくそくしているのをくと、わらっているとう。ソクラテスは、ではメノンもソフィストたちは「とく」の教師きょうしとはおもえないのかう。メノンは、からないとこたえる、自分じぶんときには「とく」をおしえられるとおもったり、ときにはそうでないとおもったりもすると。
    ソクラテスは、「とく」がおしえられるとおもえたり、おもえなかったりするのは、メノンや政治せいじたちだけではなく、詩人しじんテオグニス場合ばあい一緒いっしょだと指摘してき
  • 36. ソクラテスは、テオグニスの披露ひろうする。そして、これまでのはなしをまとめ、一方いっぽうには「とく」をおしえるとしょうするソフィストたちがいるが、そんなかれらの資質ししつ能力のうりょく疑問ぎもん批判ひはんげかけるものがおり、他方たほうには、本人ほんにんの「徳性とくせい」がみとめられている人物じんぶつたちがいるが、かれらがその「徳性とくせい」をおしえられるかかについて見解けんかい相違そういがある、こうした意見いけん混乱こんらんした人々ひとびとを「とく」の教師きょうし肯定こうていできるかう。メノンは、否定ひていする。
  • 37. ソクラテスは、それでは「とく」をおしえることができるものはいないし、それをならものもいないし、とくおしえられるものではないということになると指摘してき。メノンも、同意どういする。

とくかみてきただしいおもいなし(思惑おもわく)」

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メノンは、それでは「とくそなえた人物じんぶつ」の存在そんざいすらも否定ひていされることになってしまうのかう。ソクラテスは、自分じぶんたちは「とく」が「知識ちしき」によってみちびかれる場合ばあいだけではないことに、気付きづいてなかったのではないかと指摘してき
  • 38. ソクラテスは、というのも「すぐれた人物じんぶつ」は「有益ゆうえき人間にんげん」であり、その「有益ゆうえき」たるゆえんは、我々われわれを「まさしくみちび」ことにあるわけだが、それが」によってのみなされるとかんがえたのが、ただしくなかったのではないかとべる。なぜなら、見当けんとうをつけてみちあるいていくのとおなじように、「」にまでいたっていないおもいなし(思惑おもわく)」であったとしても、それがうまくいくかぎりは、その「有益ゆうえきせい」において、「」となんわらないからだと。メノンは、「知識ちしき」をっているものつね成功せいこうするが、「おもいなし(思惑おもわく)」の場合ばあいつねにうまくいくとはかぎらないのではないかと指摘してき

知識ちしき」と「おもいなし(思惑おもわく)」

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  • 39. ソクラテスは、ぎゃくえば、おもいなし(思惑おもわく)」がただしいかぎりは、つねにうまくいく指摘してき。メノンは、それではなぜ「知識ちしき」は、「おもいなし(思惑おもわく)」よりたか評価ひょうかされるのかう。ソクラテスは、「ダイダロス彫像ちょうぞう[12]れいす。「ダイダロスの彫像ちょうぞう」は、そのままではってくなってしまうが、しばけておけば値打ねうちものとなる、おなじように、ただしい「おもいなし(思惑おもわく)」も、そのままではたましいからってしまう(忘却ぼうきゃくされてしまう)が、それをさきの「想起そうき」のはなしのように、「原因げんいん根拠こんきょ思考しこう」(すなわち言論げんろん(ロゴス))でもっしばりつければ、「知識ちしき」として、「永続えいぞくてき」に価値かちのあるものとしてめる(記憶きおくする)ことができる、それゆえ「知識ちしき」は、「おもいなし(思惑おもわく)」よりたか評価ひょうかされるのだと。
  • 40. ソクラテスは、これはあくまでも比喩ひゆ使つかった推量すいりょうだが、それでも「知識ちしき」とただしい「おもいなし(思惑おもわく)」がべつのものだということ自体じたいたしかだとべる。メノンも、同意どういする。

すぐれた人物じんぶつ」と「かみがかり」

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ソクラテスは、「知識ちしき」であれ、ただしい「おもいなし(思惑おもわく)」であれ、まれながらにしてそなわっているものではない指摘してき。メノンも、同意どういする。ソクラテスは、では「すぐれた人物じんぶつ」も、まれながらにしてすぐれているわけではない指摘してき。メノンも、同意どういする。
  • 41. ソクラテスは、さき議論ぎろんによって、「すぐれた人物じんぶつ」は、おしえることができるような「知識ちしき」によってただしくみちびいていたのではないことが、あきらかになったので、ただしい「おもいなし(思惑おもわく)」によってそうしていたということになり、これによってくにまさしくみちびいている政治せいじというのは、神託しんたく巫女ふじょらとなんわらず、「かみがかり」によって、それをおこなっていることになると指摘してき。メノンは、同意どういしつつ、そんなことをったら、かたわらのアニュトスがはらてているかもしれないとべる。

とくおしえられるしゃ

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  • 42. ソクラテスは、これまでの議論ぎろんをまとめると、「とく」とは、まれつきのものでも、おしえられるものでもなく、それをにつけているものは、「知性ちせい」とは無関係むかんけいに、「かみめぐ」によってそれをけていることになる、これまでのように他者たしゃに「とく」をおしえることができるものないかぎは、と指摘してき。そして、もしそうした人物じんぶつてくるとしたら、それはホメロステイレシアス形容けいようしたように、かげにしてしまうような存在そんざいだろうと指摘してき。メノンも、同意どういする。

とくそれ自体じたい

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ソクラテスは、しかしながら「とく」については、こん議論ぎろんしてきたように、「いかに人間にんげんにそなわるようになるか」ではなく、「とくそれ自体じたいがそもそもなにであるか」といういをがけてはじめて、明確めいかくることができると指摘してき。そして、自分じぶんはそろそろかなくてはならないとべ、アニュトスへの説得せっとくやわらげをメノンにたのみつつ、はなしわる。

論点ろんてん

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とく」と「知識ちしき

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ほんへんでは、「とく」は「おしえられるもの」ではなく、それゆえに「知識ちしき」でもなく、「かみによってあたえられている、ただしい「おもいなし」(思惑おもわく)」であると結論けつろんけられる。これは一見いっけん、「とく」を知的ちてき探求たんきゅうしているソクラテスの態度たいどや、『プロタゴラスとうられる「とく知識ちしきである」という命題めいだいと、矛盾むじゅんするようにもえる。しかし、ほんへんにおける、「「とく」は「おしえられるもの」ではなく、それゆえに「知識ちしき」でもない」というかんがえは、あくまでも、

  • これまでの政治せいじやソフィストたち検討けんとうしたかぎりでは

という条件じょうけんきのはなしであると同時どうじに、前段ぜんだんにおける「とくおしえられる(知識ちしきである)」という仮定かていから出発しゅっぱつする仮設かせつ法的ほうてき議論ぎろんによる証明しょうめいたいする疑問ぎもん反証はんしょうから、否定ひていてきみちびかれた暫定ざんていてき結論けつろんであり、この結論けつろん自体じたいがまだ1つの「おもいなし」(思惑おもわく)であり、改善かいぜん余地よちがあるものであることが、ぜんへんとおして示唆しさされている。

そして、そのことは、末尾まつびでソクラテスが、「他者たしゃとくおしえることができるもの」が出現しゅつげんする可能かのうせい示唆しさしたり、「とくそれ自体じたいがそもそもなにであるか」をがけないかぎりはこうした問題もんだい明確めいかくになることはないことに言及げんきゅうしていることで、確認かくにんされる。

さらに、『ソクラテスの弁明べんめい』や『ゴルギアスとう記述きじゅつあわせてかんがみれば、まさにソクラテスただいちにんのみが、そうした事柄ことがらんでいたのだということが、あらわになる。

また、過去かこのアテナイの著名ちょめい政治せいじなど、「すぐれた人物じんぶつ」とされている人々ひとびとは、「知識ちしき」をわせているのではなく、一種いっしゅの「かみがかり」としてその業績ぎょうせきしたにぎないとするくだりは、『イオン』における詩人しじん批判ひはん共通きょうつうするモチーフであり、『ソクラテスの弁明べんめい』の「無知むち」のくだりにおける政治せいじ詩人しじん批判ひはん補強ほきょうする内容ないようとなっている。

知識ちしき」と「おもいなし(思惑おもわく)」

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ほんへんでは、「知識ちしき[2]と「おもいなし(思惑おもわく)」[3]差異さいについても言及げんきゅうされている。

おもいなし(思惑おもわく)」は、それがたまたま上手うまくいっている「ただしいおもいなし(思惑おもわく)」であるかぎりは、機能きのう有益ゆうえきせいとしては「知識ちしき」と等価とうかだが、「おもいなし(思惑おもわく)」は、原因げんいん根拠こんきょ理論りろん」によって裏付うらづけられていないがゆえに、失敗しっぱいする可能かのうせいつねはらまれている同時どうじに、記憶きおく定着ていちゃくさせることも困難こんなんであることが言及げんきゅうされている。

それゆえに、「おもいなし(思惑おもわく)」を、「まり(アポリア)の自覚じかく」(無知むち)を探求たんきゅうしていくことで、「知識ちしき」にまでたかめていくことの重要じゅうようせいも、ソクラテスと召使めしつかい幾何きかがくてき問答もんどうとおして、ほんへんでは示唆しさされている。

ちなみに、ほんへんでは、「ダイダロス彫像ちょうぞう」をれいし、

  • ただしい「おもいなし(思惑おもわく)」を、「言論げんろん(ロゴス)」でしばりつけることで、それが「知識ちしき」になる

ということが、(一応いちおう、これは「比喩ひゆ使つかった推量すいりょう」にぎない不確ふたしかなものであり、「おもいなし(思惑おもわく)」と「知識ちしき」がべつものであることだけはたしかであるということを、表現ひょうげん強調きょうちょうしたいがためにしたはなしであることを、ことわってはいるものの)ソクラテスによって主張しゅちょうされている。しかし、プラトンはのちに、中期ちゅうきまつ対話たいわへんテアイテトス』において、この「知識ちしき」が「ただしいおもいなし(思惑おもわく)+言論げんろん」であるというかんがえを、あらためてみずか丁寧ていねい否定ひていしている。

そして、その『テアイテトス』や、『国家こっか』の「線分せんぶん比喩ひゆ」、『パイドロス』『ピレボス』『だいなな書簡しょかんとう記述きじゅつあわせて考慮こうりょすると、「言論げんろん技術ぎじゅつ」であるべんしょうじゅつ(ディアレクティケー)を使つかって、たましいなかの「知性ちせい」をそだてていき、それによって(あたかも視覚しかくなどの感覚かんかく物質ぶっしつ直接ちょくせつとらえるのとおなじように)「直接的ちょくせつてき実在じつざいとしてのイデア観照かんしょう把握はあく」した情報じょうほうや、「対象たいしょう関連かんれんした情報じょうほう総体そうたい十全じゅうぜん把握はあく」することとうが、いむひそか十分じゅうぶんな「知識ちしき」の条件じょうけん要件ようけんとしてもとめられることになる。

想起そうきせつ

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ほんへんでは、中期ちゅうき対話たいわへん頻出ひんしゅつすることになる、「なんでもっている、輪廻りんね転生てんせいかえ不滅ふめつたましいが、刺激しげきけてその記憶きおく想起そうきすることで、事物じぶつたいする知識ちしき」という「想起そうきアムネーシスせつ」が、はじめて明確めいかくかたちされており、そのれいとして、ソクラテスとメノンの召使めしつかいによる幾何きかがくてき問答もんどう提示ていじされている。

ただし、これはだい真面目まじめ事実じじつとしてしているはなしというわけではなく、「そのようにかんがえたほうが、らないことに直面ちょくめんしたさいに、その探求たんきゅう鼓舞こぶし、怠惰たいだになることをふせぐのに役立やくだ」というあるしゅ方便ほうべんとしてされていることが、ほんへんないでは明記めいきされていることに注意ちゅうい必要ひつよう

仮設かせつほう

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ほんへんでは、「とく自体じたい」がからないままで、「とく性質せいしつ」(とくおしえられるか)を議論ぎろんしていくために、結論けつろん前提ぜんてい仮設かせつしながら、その条件じょうけん矛盾むじゅんいようにはなししぼんでいく、「仮設かせつヒュポテシスほう」がされる。

ただし、これによってられたかんがえは、どこまでっても仮設かせつ仮説かせつ)であって、結局けっきょくは、「対象たいしょうそれ自体じたい」(この場合ばあいは「とく自体じたい」)がなにであるかがあらわになるまでは、正誤せいご確定かくていできないままであることが、ほんへん末尾まつびなどでも指摘してきされている。

日本語にほんごやく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ アレテー」(まれ: ἀρετή、arete)の訳語やくご
  2. ^ a b エピステーメー」(まれ: ἐπιστήμη, episteme)。
  3. ^ a b ドクサ」(まれ: δόξα, doxa)。
  4. ^ 『メノン』 岩波いわなみ文庫ぶんこ p133
  5. ^ 『メノン』 藤沢ふじさわれいおっとやく 岩波いわなみ文庫ぶんこ pp138-140
  6. ^ 分析ぶんせきろん前書ぜんしょだい2かん 67a21、『分析ぶんせきろん後書あとがきだい1かん 71a29
  7. ^ 参考さんこう: 『メノン』 岩波いわなみ文庫ぶんこ
  8. ^ 1pous(プース)≒30cm
  9. ^ ラケス』に登場とうじょうするリュシマコスのちち
  10. ^ a b ラケス』の登場とうじょう人物じんぶつ
  11. ^ ラケス』に登場とうじょうするメレシアスのちち
  12. ^ ダイダロスは、ギリシア神話しんわ伝説でんせつてき工匠こうしょうかれったぞうは、ひとりでにうごすとされる。「ダイダロスのぞう」のたとえは、『エウテュプロン』(11C)などでももちいられている。

関連かんれん項目こうもく

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