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ラ・シルフィード

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラ・シルフィード
La Sylphide
シルフィードやくえんじるマリー・タリオーニ
タリオーニばん
構成こうせい 2まく
振付ふりつけ F・タリオーニ
作曲さっきょく J・シュナイツホーファ
台本だいほん A・ヌリ
美術びじゅつ P=L=C・チチェリ
衣装いしょう E・ラミ
設定せってい スコットランド
初演しょえん 1832ねん3月12にち
パリ・オペラ
おも初演しょえんしゃ
【シルフィード】
 M・タリオーニ
【ジェイムズ】
 J・マジリエ
【エフィ】
 L・ノブレ
【マッジ】
 L・エリー[1]
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ラ・シルフィードふつ: La Sylphide) は1832ねんにフランスで初演しょえんされたバレエ作品さくひんぜんまく

シルフィードえんじたマリー・タリオーニはやわらかいチュールかさねた膝下ひざもとたけのロマンティックチュチュけ、ポワント(つま先立さきだち)の技術ぎじゅつ駆使くししておどり、妖精ようせい叙情じょじょうてき幻想げんそうてき世界せかい表現ひょうげんしてセンセーションをこすととも自身じしん不朽ふきゅうのものとした。「ジゼル」「白鳥はくちょうみずうみ」とともにさんだいバレエ・ブラン(Ballet Blanc;しろのバレエ)のひとつにかぞえられるロマンティックバレエの代表だいひょうさくである。

初演しょえんは1832ねん3月12にちパリオペラ振付ふりつけはマリー・タリオーニのちちフィリッポ・タリオーニ音楽おんがくジャン・マドレーヌ・シュナイツホーファ(タリオーニばん)だったが、コレオグラフィー現存げんそんせず、振付ふりつけ継承けいしょう途絶とだえている。

タリオーニばんオーギュスト・ブルノンヴィル自国じこくデンマーク王立おうりつ劇場げきじょうでの上演じょうえん希望きぼうするが、オペラ要求ようきゅうした高額こうがく演奏えんそうりょうのためかなえられず、ヘルマン・フォン・ロヴィンショルド音楽おんがくあらたに振付ふりつけて1836ねん11月26にちデンマーク王立おうりつバレエだんにより上演じょうえんした。これがブルノンヴィルばんとして今日きょうまで継承けいしょうされひろられる。

1972ねん、パリオペラで、ピエール・ラコットのこされていた版画はんがなどの資料しりょうもとにタリオーニばん可能かのうかぎ復元ふくげんした(ラコットばん、もしくはタリオーニ/ラコットばん)。このほか1946ねん上演じょうえんのヴィクトル・グゾフスキーばんがある。

あらすじ

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だい一幕ひとまく

スコットランドの農村のうそん婚約こんやくしゃエフィとの結婚式けっこんしきひかえたジェイムズのまえにシルフィードがあらわれて魅惑みわくてきおどかれ魅了みりょうする。親戚しんせき友人ゆうじんたちが祝福しゅくふくおとずれるが、エフィをあいするグエン(グァーンとも)は彼女かのじょあきらめられない。うらなマッジはエフィに「幸福こうふく結婚けっこんをするが相手あいてはジェイムズではなくグエンである」とげ、おこったジェイムズによってされる。

ひとびとがしき準備じゅんびてジェイムズがひとりになるとふたたびシルフィードがあらわれ、結婚けっこんるとなげかなしみながらあい告白こくはくする。やがて結婚式けっこんしきおこなわれるが、シルフィードが指輪ゆびわうばり、ジェイムズは彼女かのじょってもりく。

だいまく

ジェイムズはシルフィードをうが、れようとするとすりけていくシルフィードにおもいがつのり、マッジにそれをかたにかけるとべなくなるというショールをもらいける。しかしそれはのろいのショールであり、そうとらずジェイムズがシルフィードのかたにかけると、背中せなかはねちもがきくるしみ、シルフィードはあい後悔こうかいはないとげてぬ。そこへエフィとグエンの結婚式けっこんしきかねり、すべてをうしなったジェイムズはなげいきえる。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 欧文おうぶん表記ひょうき: Louise Launer Elie.