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上杉 吉憲(うえすぎ よしのり)は、江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩5代藩主。山内上杉家21代当主。
貞享元年(1684年)、4代藩主・上杉綱憲の庶長子として誕生した。庶子ではあったが、父と正室の栄姫との間に嫡子がなかったので、栄姫を養母として正式に世子となり、喜平次と改名した。元禄11年(1698年)11月28日、元服し、従四位下・民部大輔に叙任。5代将軍・徳川綱吉の偏諱を受け吉憲を名乗った。元禄16年(1703年)8月21日、父の隠居により家督を継いだ。同日、侍従兼任。
宝永元年9月(1704年9月)、家督相続早々に江戸幕府より江戸城半蔵門・清水門の石垣普請を命じられた。宝永2年(1705年)に米沢に初入部した。またこの年に片山元僑を藩に招く。享保4年(1719年)には弟の勝周に1万石を分与して支藩である米沢新田藩を立藩させた。先述の普請手伝いなどもあって藩財政の窮乏が進み、参勤交代の費用にすら事欠く有様で、享保5年(1720年)の参勤交代の際には藩士の俸禄100石中の300文、人別銭100文を徴収して江戸への路費に充てた。また藩士も各々窮乏し、正徳年間には既に中級武士の馬廻組の中ですら、家財を売って、また細工物をして生計を立てるなどの者も多くなった。
享保7年(1722年)、死去した。享年39。墓所は米沢市。跡を長男の宗憲が継いだ。